【仏教】悟りを開いた人のスレ 22 【鬼和尚】at PSY
【仏教】悟りを開いた人のスレ 22 【鬼和尚】 - 暇つぶし2ch6:スレ住人名言集
08/05/06 12:14:06 9yX55Nz/
【鬼和尚編】

>>427 おぬしは賢いのう。三番と答えれば振り出しに戻る所じゃった。妄想にじゃ。

 さて二番は修行する事じゃ。数息観を行い、己の心を観察し、自ら悟りを得る事。これが輪廻を知るための、最初からの正しい道じゃ。

 四番は、輪廻とは普通の人間には見えないが存在し、悟りを得た者には見えるが幻影であると知れるものと言おうか。

 例えば二人の船乗りが海の上で舟に乗り、遠くに何かを見つける。望遠鏡を持った一人がそれを見て、確かにそれはそこにあるが蜃気楼のような幻影であると知る。
 一方、望遠鏡を持たないものは、それがあるのか、無いのかさえも判らず、それの有無を聞く。
 しかし、望遠鏡を持った者はそれが在るにはあるが、幻影であるとしか言えないであろう。
 これが第一の比喩である。

 望遠鏡を持った者とは悟りを得た者の喩えじゃ。彼は輪廻を知ると同時に、それが幻影であると知る。
 望遠鏡を持たないものとは普通の者であり、それが在るのか無いのかさえ判らない。そして、聞いてもやはり何の事であるかも、半分位しか判らないであろう。

 更に輪廻とは芝居の背景のようなものとも言える。
 芝居の背景は外から見ている者にははっきり見え、それが仮説されたものであり、約束事で架空のものと知っているじゃろう。
 役者には見えないが、その範疇で役柄が演じられ、強い影響力を持っている。
 例えば背景が外なら寛いでいるのはおかしく、家の中で田畑を耕すのはありえない事じゃ。
 この場合役者とは普通の人間であり、見えないが輪廻の中で行き、その影響力を強く受ける。
 外から見る者とは悟りを得た者、彼はそれが見えるが、それが仮設されたものであり、架空のものと知っているじゃろう。

 これら輪廻についての喩えじゃが、実際にこのようにあるのではなく、喩えであり実際は自ら悟りを得て知る以外に無い。
 そして、それを知る事が悟りではなく、これは悟りを得る事によって知る事の一つに過ぎない。


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