08/05/07 21:05:53 GHRoop5J
>>67 個我が本来は無いというのは、全体と離れた個我というものが誤って認識されているからなのじゃ。
例えば手で物を触ると、手が感じる。足は何の感じもしない。
手だけが感じるのであるから、手は体から離れた個体であろうか?
又、食べた物を味わうのは舌であるが、舌は個体であろうか?
それらは各々別の感覚を持っているが、肉体という全体から離れた個体ではあるまい。
感覚によって固有の認識主体である個我があるという認識も、又誤って認識されたものなのじゃ。
肉体も心も全体である大いなる意識から、片時も離れた事は無い。
個我が無いとは、手や足、舌が固有の感覚を持っていても、体の一部であり、個体ではないように、全体から切り離された個我というものは無いという意味なのじゃ。
個我が無くなれば輪廻も無くなるで良かろう。
自らが個我であるという想念が、そもそも輪廻の原動力と言っても良かろう。
個我は本来は無いが、誤って認識された個我という想念によって輪廻する。
誤った認識が消えれば、誤って認識された個我という想念も無くなり、輪廻も無くなる。
言葉によって表せば、このようになるが、それもその通りにあるのではない。
自ら修行する事で気付くしか無いのじゃ。
>>68 そうじゃ、気付きが大事じゃ。
>>71 わしは区別して使っている。自意識は自我とか、個我として認識された意識。
意識は全てを包含する永遠なるものじゃ。