08/05/09 05:00:29 HWHmirz1
「あったりまえ」といふのは、そのことに限定して言ったこと。当然のこと。
異教、異教と偉さうに言ひなさんな。少しは研究したらだうか。
さやふなことでは、信仰の深みも、伝道も覚束ぬだらう。
法華経は、大いに聖書と関係がある。シルクロードの世界。
靖國は、"こころ"の奥深くを抉るほどに、深みのある意味合ひを持つ、
ことぐらいは吟味してみても無駄ではないだらう。
バビロンは神の御意志からは程遠い。が、時としてそれを用ひることもある。
統一協会は基督教ではない。人格破壊集団と言っても過言ではないだらう。
J.W.も同じく、然り。こちらも多くの人格破壊が見られる。
世界の基督教徒、仏教徒、無神論者、etc、にも神は目を留めてゐる。
このことを考へれば、聖書の神の教へと願ひは、分離ではなく一致。
しかるに、その御意志を意識的に拒めば、神はそこまでは強制なさらない。
神を見上げてゐるのは、何も基督教徒だけではない。