08/04/22 09:47:45 dH4nXMA/
ニートの負担は、
ニートがいる家庭が生活費の負担をしている事と、
無職=納税しないために社会全体の負担になっているという事の
2点があると思うけど、
後者は、出家者して一度も在家を指導せずに一生を
終える仏教国の修行者と、経済負担的に同じだよね。
お釈迦様の時代から、仏教国は、多量の出家者=無納税者を社会的に
認めていたわけだから、
無納税自体は非難されるべき事じゃないんじゃないかと思う。
その人に、在家を指導できるようになる(在家へ恩恵がもたらされるようになる)、
可能性があるかないかという点で違いはあるので、
その可能性があるから投資(無能税を社会的に認める)してもいいのだ、
と考えることもできるかもしれないが。
291:神も仏も名無しさん
08/04/22 12:36:06 oahmJyH0
>>290
出家者の存在を信者が望んでるし、
在家信者が出家する可能性もあるし、
布施には功徳があるから出家者に布施することは喜びだから、
出家者は社会のお荷物扱いされないですね。
292:神も仏も名無しさん
08/04/22 13:34:36 /WgEvVp9
社会のお荷物とはやくざのことですか?
293:神も仏も名無しさん
08/04/22 14:31:22 Ge7FZGU7
>>291
なんという世俗諦
294:神も仏も名無しさん
08/04/22 19:13:12 M4ltAe78
非納税者、高齢者、病人、無生産者、出家、前科者、犯罪者、
就労者、政治家、企業のトップ
「こうだから、こいつらに価値がある、価値が無い」と、判断するのも、相対的な主観でしょう。
また、目に見える社会的な貢献度だけが、人間を計る基準ではないのは言うまでも無いことだ。
問題があると思ったら、他人を変えるのではなく、自分が慈悲の瞑想を行い、慈悲や布施で
他人に接する。
「お荷物」とレッテル貼るのは、現物をしっかりみていない、妄想だ。
われわれは、他者には(敵であろうと無生産者だろうと)慈悲の瞑想をし、
自分に対しては精神の向上を求め、社会貢献をしたければ自分がする。
それだけでいい。
295:神も仏も名無しさん
08/04/22 21:41:09 TllrTU0d
今日、長老の本を4冊買った。
手元に計11冊ある。
あと寺和田の初期の頃の薄っぺらい本が
10冊ほど。
瞑想は全然進んでない。
酒止めて精進せねば。
296:神も仏も名無しさん
08/04/22 23:21:54 TZsUfkV7
積ん読消化は経典、古典、名著から。
297:神も仏も名無しさん
08/04/23 11:04:54 J+RLlRH/
原始仏典すこし読んでみたけど、
むずかしすぎてダメだと思った。日々の生活の参考にはできない。
やっぱりスマさんのように、噛み砕いてやさしく、法話形態になってないとな。。
でもスマさんの本はやっぱり、スマさんという個人のフィルターが
かかっているように思うので、スマさん以外の仏教の本も読んでみたいんだけど、
あまりないですよね。聞き手に親切な法話みたいな本となると。
こんど書店で探してみようとは思っているんですが。
298:神も仏も名無しさん
08/04/23 11:09:22 tsSF+5GO
日常生活で原始仏典に書いてあることを実践しようとするのは大変だよ。
嘘をつくな、酒を飲むななど、できないことが多い。
299:神も仏も名無しさん
08/04/23 11:32:17 6aYtJ3ON
酒くらい何とかなるだろう。私の場合、失うものもあったけど
甘酒すら飲まない。ウィスキーボンボン・ブランデーケーキ・酒粕パン
も避ける。酒は強要される場合も有り得るから仕事上、断り切れない場面も
出てくる。周りの理解が必要。
上位の人が私が酒をやらないと知ってウーロン茶を注いでくれたが
返しにビールを注いであげられないのはなんとも居心地が悪い。
398 また飲酒を行なってはならぬ。
この(不飲酒の)教えを喜ぶ在家者は、他人をして飲ませてもならぬ,
他人が酒を飲むのを容認してもならぬ。─
これは終に人を狂酔せしめるものであると知って─。
(Suttanipata)
300:神も仏も名無しさん
08/04/23 12:29:56 hI6b37Mt
>他人が酒を飲むのを容認してもならぬ。─
この場合、目の前で相手が酒を飲むのを止めるんじゃない?
俺はそこまではやってられない。
301:神も仏も名無しさん
08/04/23 12:49:39 t/y4UGWH
来世も寺和田の教えに出逢うためにはどうしたらいいんだろう?
長老、この件で何か発言されてますか?
302:神も仏も名無しさん
08/04/23 12:58:16 6aYtJ3ON
>>300
仕事関係ではそこまで出来ないだろう。
プライベートな関係では止めるべきだろうが
相手との関係性にもよるよ。
私は禁酒運動も少しやったことがあるが
他人の家に行って酒を飲むなと言ったところで
「自分で働いたお金で好きなもの飲んでどこが悪い」と言われれば
それまでだ。
相手が聞く耳を持っているか、自分との関係性はどうかなど考慮すべきで
ある。
303:神も仏も名無しさん
08/04/23 12:59:19 7BVY2E13
預流果になるのが一番でしょうけど…。
あまりそういうこと考えてると、
浄土信仰とかと変わらなくなっちゃいそう。
304:神も仏も名無しさん
08/04/23 13:04:35 6aYtJ3ON
>>301
経典(増一阿含経第十六)には次のようにある。
もしこの八法(八斎戒法)を世の清信男女が守るならば、彼等は人中、天上に
生まれ、決して地獄、餓鬼、畜生等の八難の中に生まれることなく、つねに
よい知識を持つ師に会い、よき父母の家に生まれ、辺地に生まれること
なく、仏教流布の国に生まれ、長寿をたもち、人に使われるようなことの
ないような多くの功徳が得られるのである。
305:神も仏も名無しさん
08/04/23 13:12:26 t/y4UGWH
>>303
ヨルカは勉強だけでもなれる可能性があると
「実践心理学」第2巻にありますね。
長老の本読みまくるか。
>>304
八法ってなんですか?
306:神も仏も名無しさん
08/04/23 13:17:29 6aYtJ3ON
>>305
いわゆる八斎戒法とは、一名、八関斎、八支斎、八禁とも言われ在家の
男女が一日一夜を期して持つ八つの戒法である。すなわち不殺生、不偸盗、
不邪淫※、不妄語、不飲酒、非時の食を取らないこと、美麗な床に坐ら
ないこと、香を塗り髪を飾らず歌舞を見たり聞いたりしないこと等であっ
て、これらの八法をば、その斎日の間、けっして犯すことのなきをいうので
ある。
(※ちなみに前掲書には不邪淫とありますがこれは不淫の誤りです)
307:神も仏も名無しさん
08/04/23 13:26:06 Z2c/8O02
>>306
美麗な床に座らないことってどういう意味ですか?
308:カプチ-ニ
08/04/23 13:27:42 FpkrhEl0
「日本は地上の楽園です 身分差別が無くて、国民の
みんなが協力しあって暮らして行く国です」
309:神も仏も名無しさん
08/04/23 13:28:48 t/y4UGWH
>>306
ありがとう。
不飲酒は守れそうもないな・・
十善戒のほうがまだいい。
310:神も仏も名無しさん
08/04/23 13:35:10 6aYtJ3ON
>>307
パーリ語経典からの日本語訳では
「私は、高い寝床やぜいたくな寝床につかない戒めを守ります。」
註:高い寝床とは肘から指の先までと、親指と中指までの長さを合わせた
長さ、大体65㎝以上の高さの寝床をいい、立派な寝床とは、指(親指を
除く)四本をそろえて、横に立てた高さ以上の厚さのある毛の絨毯を
いう。
311:神も仏も名無しさん
08/04/23 13:40:27 Z2c/8O02
>>310
なるほど、ありがとうございます。
312:神も仏も名無しさん
08/04/23 15:57:29 yqjZw98a
自分が預流果なのかそうじゃないのか分からない(たぶんそうじゃないと思うが)
自分はないと悟っているのか、それとも頭で理解しただけなのか・・
欲や恐怖は依然としてあるが、以前とは明らかに精神の安定度は違う。
313:神も仏も名無しさん
08/04/23 16:16:21 J+RLlRH/
>>299
そういう難しさありますよね。
俗世間との協調性の問題というか。
314:神も仏も名無しさん
08/04/23 16:22:33 J+RLlRH/
心所について質問なんですが、
失敗してひどく怒られているときの、心のざわつき
(しんどさ、つらさ)は何になるかというと、ドーサ(怒り)
であってますか?
怒られている状態を受け入れたくないかというと、
よく分からないんだけど、心所のなかでは、
一番これがあてはまるから、これですかね。
それとも、どんな心も 心所のどれかに分類できるわけじゃなかったりしますか?
315:神も仏も名無しさん
08/04/23 17:35:57 fLNyHQq5
怖れ、不安、落ち込みとかもあるかもね。
316:神も仏も名無しさん
08/04/23 19:13:06 dzvcptSM
死んじゃえばお前らの望みはすべて叶うような気がする
317:神も仏も名無しさん
08/04/23 19:23:50 L6huwzkZ
歩行の瞑想のとき、立ち止まって回る際どんなサティ入れてる?
参考までに聞かせて。
318:神も仏も名無しさん
08/04/23 20:49:59 J+RLlRH/
>>315
「怖れ」 も 「不安」 も 「落ち込み」も
そういう心所はないじゃないですか。
心所としては何にあたるのかなあと。
心所のどれかひとつ、じゃなく、複数でいいかもしれませんが、
あの怒られているときの心は、何になるのか知りたくなったので。
不善心所のどれかだったとしたら、注意しないといけないし。
319:神も仏も名無しさん
08/04/23 21:08:08 t/y4UGWH
>>312
自意識過剰乙
320:brown
08/04/23 21:38:21 rCErGgzm
>>314
それは貪,憍,掉挙であると考えられています。
まず相手に対する依存心があります。さらに,自分自身に対する
プライドがあり,相互依存の結果,心のうわつきが生じます。
根本的には,評価や相手の関心,自己の立場に対する愛着が
あるわけです。そういうこだわりがある。
そのこだわりを手放せば,相手の言動に左右されず,全く無頓着に
どのような言動にも平静になります。
さらに,自己の失敗に対して怒られている状況において,
自分自身へのこだわりが介在しています。
それはもっと注意すれば正しくできたのではないか?それは自分の
能力が低いのではないか?もう認めてもらえないのではないか?
いままで築いた評価が台無しでないか?などという自分自身への
こだわりが介在してきます。
このこだわりの形成プロセスにも,他者への依存が根本となっており,
これを崩すには,日頃から,他者への依存がプライドを生み出す
プロセスを破壊するように修習しておく必要があります。
さらに,相手への依存に,自分自身へのこだわりが介在して,
これらが不協和を唱えた結果,心の散乱,うわつきが生じてしまい,
そこへと囚われていくプロセスが走っていきます。
そうなるともう救う手立てはありません。
さっさとその場から逃げて,帰って寝るのが一番でしょう。
321:神も仏も名無しさん
08/04/23 22:04:00 JxfKp0l1
日ごろ忙しくてそんなこと考えていられない人でも救われますか
322:317
08/04/23 22:12:40 L6huwzkZ
歩行の瞑想やってる人おらんの?
回るときって三半規管意識すると気持ち悪くなるから
どこに意識をおけばいいのか迷う。
つか観察じゃなくてその時強く感じられる感覚を探して同一化しようとするから
自分が小さくなった感が拭えず気持ち悪い。
正しい自己観察とはどういうことなのか。
教えてbrownさん!
323:brown
08/04/23 22:30:06 rCErGgzm
>>321
一日24時間のうち,たった一秒でも不善心の生じる瞬間のある人間が
救われる可能性は,針一本の隙間もない。
そうしたところ,一日のうちたった一秒でも善心の生じることなく
終わる者がどうなるかは考えるまでもない。
絶望的です。
324:神も仏も名無しさん
08/04/23 22:54:59 DyxtRBac
瞑想と断食の関係はどう?
断食すると食べ物などがもの凄く強い刺激となって
自分に入ってくるという話を聞くんだけど。
断食して刺激に敏感になってしまうと
瞑想にはかえって厳しい環境になる?
325:brown
08/04/23 22:57:24 rCErGgzm
>>322
正しい自己観察が成れば,心は苦しみを増します。
どんどんと苦しみと闇は増すばかりで,一層ひどい状態になって
いきます。
外へと散漫になるのではなく,内心へと集中することで,
自己は拡大するように感じるはずです。
より心の騒がしい煩悩の音がはっきりと聞こえるようになるので,
とても耐えられないくらい,苦しみを増すはずです。
そのとき,正しく自己観察しています。
しかし,そのとき,とても恐ろしいと感じます。とにかく
逃げ出したい,見たくない,もういいと感じます。それが,痴という
煩悩です。それはいつまでもつきまといます。影のように。常に。
それは最後までつきまといます。常に心を別の煩悩で覆おうとします。
もし別の煩悩で覆われれば,痴は,姿を隠します。心を恐れさせる
必要がなくなったからです。
しかし,正しく自己観察すれば,痴の働きはどんどん強まり,とても
耐えられない恐れを引き起こします。
それに勝利すれば,全てに打ち勝った者となります。
326:神も仏も名無しさん
08/04/23 23:06:24 osR55C+B
>>324
断食すると妄想がなくなって瞑想しやすいよ。
刺激に敏感になるのは断食の初期だけ。
それを通り越すと欲が取れる。
そして、妄想が少なくなる。
327:brown
08/04/23 23:08:51 rCErGgzm
>>324
瞑想と断食などの苦行は,逆方向です。
瞑想は徹底的考察あるいはリラックスすることで心本来の集中力を発揮させよう
とするのに対し,苦行は,意志力によって集中力を高めようと努力するものです。
しかし,極端な苦行は,意志力を破壊し,かえって脱力,リラックス
させてしまいます。そうして,不意に瞑想的な状態に移行してしまいます。
それはドラッグによる覚醒体験と同じようなものです。
結局何の智慧も生み出しません。単に変な体験をしただけに終わります。
ただし,それは座禅や単なる瞑想による神秘体験でも同じことです。
はっきりとした現実認識を欠いた取り組みは,自己と他者に対する理解を
生まないからです。
328:神も仏も名無しさん
08/04/23 23:10:58 J+RLlRH/
>>320
どうもありがとう御座います。
勉強になります。
憍 というのを知らなかったのですが、
慢(自分と誰かを比較する心)のことですよね。
慢のうちの、自分と誰かを比較して自分を高みに置く場合が、
憍 ですかね。
貪 - 相手への依存
ということが分かりにくいのですが、
相手に認めてもらいたい気持ち、ということでしょうか。
ぜんぜん自己分析できないんだなぁと、反省しました。
brownさんみたいに分析できるようになるには、どうしたらいいでしょうか・・・。
心所について詳しく勉強したくて、唯識の本もチェックしたんですが、
結局、チェックしたなかでは、スマさん本(アビダルマ本)が一番分かりやすく
かつ詳しく、これを頼ることにしましたが、今回の例のように、
どの心所がでてきているのか分からない事が多々あります。
329:神も仏も名無しさん
08/04/23 23:11:33 fLNyHQq5
>>318 ごめん。心所のことだったね。
ただ、今ここ、で怒られた時の事を思い出すのは過去を考えている訳で。
だから、そういうことを模索するよりも 怒られた時に即サティ、ラベリングができるように
瞑想をがんばるべきじゃないかな。
その時の気づきが、恐れ、不安、怒り、落ち込みとすぐにラベルが貼れるようになりたい。自分も。
330:神も仏も名無しさん
08/04/23 23:13:27 L6huwzkZ
>>325
ふええ・・・すごいですね・・・
ということは、苦しみを求めることが正しい自己観察に繋がるのでしょうか?
なんだか悟りとは逆説的ですが。
331:brown
08/04/23 23:14:01 rCErGgzm
>>324 >>326
ただし,>>326にあるように,断食や禁欲,苦行には,心を清める効果は
あります。
また逆に,修行が進めば,食欲は食べるのに苦労するくらいになくなって
しまい,意識的に栄養をとるように強いて食べなければならなくなります。
だから,食は苦だと言われるのです。
332:神も仏も名無しさん
08/04/23 23:28:17 h2Nr7fZL
冥想中食べ物のことばかり浮んでくるよw
333:brown
08/04/23 23:36:06 rCErGgzm
>>330
輪廻は全て苦しみです。苦しみを苦しみと認識することが正しい悟りです。
凡夫の不十分な認識は全て輪廻です。したがって,物事を正しく認識すれば
するほど,苦という認識だけに専注するようになるはずです。
経証から言えば,仏陀曰く,「修行者は二種の観察をする。『これが苦である』
という観察と,『これが苦の因である』という観察である。この二種の観察を
する者は正しく解脱する」と。
体験から言えば,brownの心が特別穢れすぎていただけかも知れないけれど,
とても耐え切れない全人格的な絶望,地獄を通り抜ける必要があります。
しかし,全く心配する必要はありません。どのような最大限の苦しみも
何ら心を損なうことなく,「ああ苦しいんだな」と放っておけばなんと
いうことはないからです。なぜなら,恐れるものは何もないからです。
やがてその苦しみは,「苦しい」という想いも消し去ってしまいます。
やがてその絶望は,自我も認識も消し去り,どこかに逃れたい,解脱したい
という想いすら除却してしまいます。そのとき,やっと,望みの消滅が成就し
ます。
そうして,輪廻から離れることなく,輪廻の内側から輪廻と涅槃の境界を
破壊することができます。
そこに到達する鍵は,恐れを恐れない決意です。
334:brown
08/04/23 23:52:34 rCErGgzm
>>328
とにかく徹底的に考察し,それを継続することです。
洞察は,徐々に生じてくるものだからです。
心がある散乱状態を考察すべく集中していくと,なんだかボーッとして
きます。なんだか気持ち悪いというか,ふわつくというか,嫌な感じが
します。しかし,それに飲み込まれずに,かつ焦らず,時間がかかること
を腹に据えて,じっくりと自分自身の心に取り組みます。
常に,常に,なんとか心を分析し,浄化しようと努めていくと,徐々に,
身の丈にあった洞察が生じてきます。そうやって,一歩一歩進むしか
ないのです。それを諦め,怠れば終わりです。もう進歩はありません。
しかし,怠ることなく,精進すれば,少しずつ,進んでいきます。
それ以外に道はありません。
しかし,そうして進んでいけば,誰でも,数ヶ月も真剣に取り組めば,
はっきりとした洞察とともに,心の本性を垣間見るところまでは必ず
行きます。断言できます。
それは,りんごが木から離れれば,下に落ちるように,そうなっている
からです。
335:brown
08/04/24 00:04:08 praooq+D
>>328
それから,常に事実を大切にすることです。
また,どのようないやらしい,汚らわしい,腐った心をも,恐れることなく
直視することです。
それにあたって,落ち着いて,じっくりと取り組むことです。
外のせいにするのではなく,事実を把握し,自己の心の煩悩を直視する
ことです。
生じてくる苦しみは甘受し,耐え抜くことです。
自己の穢れを恐れないことです。
誰も助けてくれるものはない,孤独を知ることです。
この心の穢れや騒がしさに対して,外部に対して,何の解決力も能力も
ない自己の無力さを知ることです。
それを解決する道も,それを解決しないで置いておく生き方も,何も
分かっていない,自己の無知を知ることです。
336:神も仏も名無しさん
08/04/24 00:04:47 PWPAIaul
>>334
がんばります。
有難うございました。
337:神も仏も名無しさん
08/04/24 00:11:10 RGSxfe3n
>>333
どうもです。
>輪廻は全て苦しみです
解脱しない限り何度でも苦しみの輪廻を廻り続ける・・・まるで地獄ですね。
なぜ神様はこのような世界をお作りになったのでしょうか?
生まれてきた赤ん坊が間もなく餓死で苦しみながら死んでいく。
このような不条理な世界を我々が望んだというのでしょうか?
338:神も仏も名無しさん
08/04/24 00:14:42 6rRIWhpA
みんなすごいな、私は最近やっと肉食だけやめた段階。
しかし昔は野菜などまったく食べず、魚も少しだけで、完全に肉食だったんだけど
肉やめて菜食になり1週間ほどすると野菜ってこんなに美味しかったのかと思った。
それでも1週間くらいではまだ肉を我慢してる状態で、肉を食べたくなったら
肉の脂っこさに最も似ていると思われるウナギを食べて我慢。
現在肉断ち1ヶ月、体がものすごく軽い、物理的にも多少軽くなったがそれ以上に軽い。
ただ性器の元気は明らかになくなった。かと言って精神的な性欲が無くなった
科と言えばそうではない、性欲も少なくはなったが無くなったわけではない。
これは辛い、性欲はあるのに体が反応しない。
今度は性的に体を反応させる為に肉を食べてみるか?と思ったが
あんなに好きだった肉なのに食べる事を想像すると気持ち悪くなる。
おそらくこのまま行けば精神的な性欲も無くなっていくような気がするが
それも不安に思う。
みなさんは性の問題はどうしてますか?やはり捨てていくものなのでしょうか?
今日はもう寝ますのでレス頂いても返信は後日以降になります、おやすみなさい。
339:神も仏も名無しさん
08/04/24 00:17:36 c2cgn5Mx
前回のオーラの泉で、榎木さんが出演していたよね。
個人的には、この人の物言いが高飛車な感じがするので
好きではないんだけど、人間は自分の常識で生きていて
その常識が現実を作り出すみたいなことを言っていたのには
同意。
食べなきゃ死んじゃうと思っているから、死んじゃう現実が
その常識に合わせるようにやってくる。
食べなきゃ食べないでもいいという考えでいれば、食べなくても
全然平気になってくる・・・ってさ。
天風の師匠のカリアッパも
「食べ物がもっと貧しくなっても困らない。おれたちは気で生きているからな。」
と言い放って、もっと栄養価の高いものを食わせろと言った天風をぎゃふんと
言わせたんだったね。「生き方の違いか?」と。
断食が終わると、食い物から放たれる匂いからでもエネルギーは摂取できる
みたいなことを言っていた行者も知ってる。本当なんだろうか。
食い物に限らず、あんまり刺激が強いと現代の社会では生きられないよ。
それでなくても、悪い話ばかりをニュースで見させられるし・・・
340:brown
08/04/24 00:22:44 praooq+D
>>337
不条理で理解に苦しみますが,無始の過去より我々が望み続けてきたことです。
神様とは自分自身のことであり,心の中に居ます。
彼が何をしているかというと,不条理を引き起こすその望みの手綱を
しっかりと持ち続ける働きをしています。それは全くばかげたことで,
そのトリックが分かれば,なぜそのようなものに騙されて続けてきたのか
全く理解に苦しみます。しかし,そのトリックを暴くまでは,とても
信じがたいその魔法に,我々はかけられたまま,ただ苦しみしかない
この六道をさまよい続けるように宿命付けられているのです。
341:神も仏も名無しさん
08/04/24 00:38:46 c2cgn5Mx
>>340
不条理を体験したくて、この世に出てきたという現世論には
納得しかねるなあ。
同時に、過去生における罪業解消としての現世体験論や、
過去生罪業陰徳に基づく今生不条理累積等式論にも賛同
しかねるのですわ。
342:神も仏も名無しさん
08/04/24 00:43:53 Pan678+m
怒り、悲しみ、これらをサティし続けるといいのかな、、、。
343:brown
08/04/24 00:57:31 praooq+D
>>341
違う違う。不条理を不条理と分かっているわけではない。
喩えて言えば,詐欺師が「これはお得ですよ」と言うのに騙されて
買ったが,買ってみるととんでもないものだったという感覚でしょう。
そのトリックは鮮やかで,実のところ買ってみた結果,騙されたことに
気づいているとも言えないわけです。ただ,なんとなく財布を見ると,
どうも残金が少ないという現象だけに気づいているかも,という感覚
ですね。
その感覚に鋭い人は,なぜ残金が少ないか,原因を辿っていきます。
非常に複雑ですが,よくよく分析していくと,どこかにお金がどんどん
流出していることが分かってきます。
そして詐欺師の罪を追及し,彼との付き合いをやめます。
するとむしろ,お金は勝手に湧き出しているので,どこかから集めてくる
必要もないことが分かってきます。
しかも,これらすべてが,幻というか,非現実的です。何か夢のような,
白昼夢の世界です。何か夢のようなものにこだわることで,輪廻のフィルターが
真実を覆い隠し続けます。しかし,それらは虚妄で,苦しみや不条理は
実は何も存在しない。魔法の幻覚です。
344:brown
08/04/24 01:10:44 praooq+D
この輪廻は悲しい。
人々が輪廻の幻覚に惑わされているのは悲しい。
輪廻の苦しみは悲しい。
人々がその苦しみから逃れる術もなく激しく悩み苦しんでいるのは悲しい。
自己の頑なな信仰に固執して,現実に効果のある方法に気づかないのは
悲しい。
無知への恐れから眼をそらしてしまうのは悲しい。
別にどのような方法をとっても,どのような道を辿ってもいい。
その真剣な苦しみから,何らかの方法で救われますように。
別に地獄に堕ちようが,天界でひと時の忘却に没却しようがかまわない。
その真剣な生き方がやがて報われますように。
誰かが誰かを救いますように。
偶然でも,何かが人々を救いますように。
偉大な仏陀の功徳が世を救いますように。
345:神も仏も名無しさん
08/04/24 01:18:29 WQLT2vrA
brownさんは預流果からかなり進んだようですね。
346:神も仏も名無しさん
08/04/24 01:56:30 Pan678+m
この人が預流果かどうかはしらないけど、
その真剣な苦しみから,何らかの方法で救われますように。
別に地獄に堕ちようが,天界でひと時の忘却に没却しようがかまわない。
その真剣な生き方がやがて報われますように。
誰かが誰かを救いますように。
偶然でも,何かが人々を救いますように。
偉大な仏陀の功徳が世を救いますように。
これには同感。自分含めてみんな憐れなもんだよ
347:神も仏も名無しさん
08/04/24 07:17:12 zQi+UsSv
>>327
そうかな?
地橋さんは瞑想が進まない人には食事を減らすように指導しているよ。
一週間の集中瞑想のとき、少食で瞑想させるんです。
しかしね、これはきつい。
それくらいなら、いっそ断食する方が楽です。
断食だと食欲が取れるので、かえって楽なんです。
348:神も仏も名無しさん
08/04/24 07:26:12 taRp7MK2
やはり、悩みどころは、似ているのですね。
私も、過大な自己評価と、他者から視線に過剰に反応してしまう自身の心に、
疲れてしまいますことが多々あります。
今の私の課題は、このクダラナイ心の傾向を捨ててしまうことです。
brownさん、書き込みあがとうございます。
参考にさせて頂きます。
では、出勤してまいります。
生きとして生けるものが幸せでありますように。
349:神も仏も名無しさん
08/04/24 09:21:55 NO52Up4E
すっかりスレチになってますね。
茶さん。
語り、教えたければ鬼和尚のようにご自分でスレを立てたらいかがですか。
350:神も仏も名無しさん
08/04/24 09:26:42 PWPAIaul
私はbrownさんにいて欲しいな。
別スレで質問できるならそれでも嬉しいけど。
351:神も仏も名無しさん
08/04/24 09:47:47 NO52Up4E
何故、いて欲しいのですか?
とにかく瞑想するのみです。
するとわずかながらも集中力が生まれてきます。
その集中力でテーラワーダ協会HPの長老の講義や根本仏教などを
熟読なさって本当の真理をご自分で発見されてはいかがでしょう。
アビダンマ講義シリーズもとても参考になると思います。
長老の歩んでこられた道を観るか。突然現れた悟り人を観るか。
それは、あなたの自由です。
ですが、このスレはヴィパッサナー瞑想を実践する方が
その方法に不安や疑問を感じた時に質問する場ではないでしょうか。
長老の瞑想指導は、とにかく厳密です。
一語一句聞き逃さず、言われた通りに実践するのみです。
わからないことを子供がお母さんに聞くように安易に質問する前に
ご自分を観察さなることだと思います。
352:神も仏も名無しさん
08/04/24 11:07:21 GNYLHoIR
自分は>>321さんではないんですが
>>323さんで書いている
>一日24時間のうち,たった一秒でも不善心の生じる瞬間のある人間が
>救われる可能性は,針一本の隙間もない。
これ凄まじいですね。やっぱこれぐらいの覚悟必要ですってことですよね。
不善心所が大量に観られる自分など洒落にならないです。
ドーサ、マーナ、ローバ、イッサー、時にウッダッチャ。
長老のように日々生じるものを受動観察と、
止められるものは止めたほうがいいってことなのかな・・・
というかホームページですか・・・?
353:神も仏も名無しさん
08/04/24 11:40:53 PWPAIaul
>>351
おそらく>>351さんは私を誤解されていると思います。
なぜそう思うかは、文章を書くのがヘタな私にとっては、
書くと時間がかかってしまいそうなので、
省略させてください。
354:神も仏も名無しさん
08/04/24 13:45:05 Pan678+m
>ですが、このスレはヴィパッサナー瞑想を実践する方が
>その方法に不安や疑問を感じた時に質問する場ではないでしょうか。
違うと思う。テンプレを見た限りではそうなっていない。
また、仏教スレにおいて話の向きによっては多少のテーマの振幅は仕方ないと思う。
だが、ヴィパッサナーに特化したスレもあっていいと思うので、
スレタイから「A・スマナサーラ」という言葉を抜いて、
テンプレも「ヴィパッサナー瞑想の実践において不安や疑問を感じたときに質問するスレ、
その他の話はお断り」とでもして新たにあなたが立ててもいい。
355:神も仏も名無しさん
08/04/24 13:51:04 zDU7KWkC
ブッダの実践心理学第2巻買っちゃいましたよ。
高かったけど、立ち読みしてたらやっぱり
ちゃんと読んどいた方がいいかなと思いまして。
ここのスレも時々覗いて参考にさせてもらってます。
前にここで歩く瞑想1時間もやるの何で?って質問したものです。
「現代人のための瞑想法」に
ある程度長い時間やらないと効果が出ないと書いてました。
でもヴィッパッサナーさぼってます。だめですね。
皆さんはヴィッパッサナー等やってみて
どんな変化がありましたか?興味があるのでよければ教えて下さい。
356:神も仏も名無しさん
08/04/24 16:12:58 zQi+UsSv
テーラワーダ協会もチベット問題で声明出してるらしいね。
テレビで宮崎が言ってた。
357:神も仏も名無しさん
08/04/24 16:50:32 RGSxfe3n
声明で生命が救えるのだろうか?
358:神も仏も名無しさん
08/04/24 18:07:05 7IhZRAqe
>>322 >>325
(((( ;゚Д゚)))
359:神も仏も名無しさん
08/04/24 19:20:39 QMbsBerX
ブラウンさんは小金持ちでふつうの労働者より暇もあるから
言えるんだろう
360:神も仏も名無しさん
08/04/24 20:19:22 7IhZRAqe
でも、一番俗っぽい2ちゃんねるのスレで高度な瞑想の話をするとは…
分かっているのかなあ?ブラウンさん。
そして相談に来る人も。ここは一応2ちゃんねるだよ。
361:神も仏も名無しさん
08/04/24 20:38:36 BZIXbqH6
長老が書いてたけど、一日一時間瞑想しても
残り23時間無自覚では意味がないと。
2週間くらいぶっつずけで何時間もやるしかないと。
じゃ俺らむりじゃん。
362:神も仏も名無しさん
08/04/24 22:17:27 PWPAIaul
>>355
目立つ変化はないかも。
人の体験談では、結構劇的な変化があったりするけど、
そういう劇的なのはないな。
仏教を知った時にすでに最悪な状態からは抜けていたということもあるけど。
最近気づいたのは、ご近所トラブル(マンションの騒音問題)が、
うちvs隣人では起こらないのに、
その隣人vs 別の隣人で起こっている事。
363:神も仏も名無しさん
08/04/24 22:22:24 c2cgn5Mx
>>361
別の言い方をすれば、瞑想で高い効果を得ても、
日常生活で騙されたり、嫌がらせをされたりしたときに
ムカッときてしまうのでは、瞑想は何のためだったのか?
ということになってしまう。
364:神も仏も名無しさん
08/04/24 22:33:21 PWPAIaul
>>360
2chも色々だと思う
>>361
私もそれ読んで、なんだそうなのかよ、と思ったよ。
スマさんは違う本かHPかのどこかで、少しでも瞑想したら、
後戻りしないって書いてたのに。
以前に、後戻りしない事に関して質問したいと思っていた。
そしてそれを忘れた頃に、>>361のその箇所を読んで、なんだー
やっぱりそうかーと思いました。
365:神も仏も名無しさん
08/04/24 22:56:34 mz+QNx3z
瞑想をするという行為自体が波羅蜜を積むという話もある。
精進波羅蜜か、智恵波羅蜜か、どれかは忘れたけど。
パーラミターね。
今生で成果が出なくても来世以降にその波羅蜜が意味を持つこともある。
だから、たとえ1分でも瞑想するのが大事なんだそうだ。
これはスマ長老の話じゃないけど。
366:神も仏も名無しさん
08/04/24 22:59:48 c2cgn5Mx
瞑想しているけれど、怒り癖、それも仕事で
自分に責任をなすりつけられたとかなんて
ことがあると、そりゃもう瞬間大激怒。
癖って治らないんじゃないかと自分で諦念。
367:神も仏も名無しさん
08/04/24 23:04:13 PWPAIaul
>>338
性欲の何が悪いのか分からん、と思っていました。
でも、仏教は性欲は捨てたほうがいいと言っているみたいなので、
最近ちょうど、気になりはじめた所です。
在家には性については何もいわないのかと思っていたけど、
どうも、在家も、子供を作る計画があるとき以外は、
性欲と無縁でいたほうがいいみたいですね。
世の常識とまったく違いますよね。。
368:神も仏も名無しさん
08/04/24 23:19:14 5qHOra62
五感は目を光らせとかないと、煩悩だらけで冥想も集中できないよね。
369:神も仏も名無しさん
08/04/25 00:14:55 YBSp+DNJ
ヴィパッサナーは、自転車と同じで、乗り方が身につけば、乗り方を忘れない、
一分でもその分は得をしたとおもってやればいい
とのこと。
慈悲の瞑想も、24時間そのつもりで、とのことだった。
自分も、ニュースをみれば、つらい事件や事故はいくらでもあるから、
他人事と思わないように、身を置き換える努力はしてる。
やはり自分と同じようにだれだって幸せになりたいわけで。
370:神も仏も名無しさん
08/04/25 00:17:37 djFlnzo2
なるほど、自分の身に置き換えることで
自分の身にその結果を引き寄せるのですね、わかります。
371:神も仏も名無しさん
08/04/25 00:28:47 4ooMc82P
>>367
テーラワーダね 出家に関しては女の声も聞いてはいかんというほど厳格だけど
在家に関しては緩やかみたいだね 「浮気をするのはだらしがない」という程度という
のをどこかで読んだことある
それどころかスマさんは一夫一妻を根拠のないキリスト教道徳として批判している
昔のインド貴族みたいに妻が複数いて
「よし 私にはお気に入りの妻が20人もいるのだから 絶対不邪淫戒を守る」
というのを想像してニヤニヤしてますがw
372:神も仏も名無しさん
08/04/25 01:34:05 djFlnzo2
慈悲の瞑想の3つ目の「私の願いがかなえられますように」ってあるじゃん?
これ喜を指してるんだよね?喜びってのは例えば
子供が親におもちゃ買ってもらって嬉しい!
とかそういうこと?これって自己欲を満たすことじゃないの?
まあ完全に欲を断ち切るのなら
食事もただ無味乾燥な栄養摂取の行為に成り下がりそうだが。
373:神も仏も名無しさん
08/04/25 01:40:01 djFlnzo2
あと私の願いってのを具体的なお願いに置き換えてもいいの?
例えば「いい仕事に就けますように」とか。
そっちのほうが実感こもるんだが。
374:神も仏も名無しさん
08/04/25 07:53:40 Jpf/yX2P
>>373
ちょっと違う気がする。
自分の願いごとがかなったとしたらうれしい。
同じように、他人の願いごとがかなったときに
喜べる心をみにつければいいのでは。
あと、願いごとも「不満足」の一種だと思います。
願いごとがかなうということは、願いごと(不満足)がなくなること。
「就職したいよ就職したいよ」という願いは、
就職できていない現状に苦・不満がある。
不満がなくなれば、願いごとについての妄想がなくなる。
就職した人は「就職したいよ」と願わない。
就職しなくてもいい立場の人も「就職したい」と願わない。
375:神も仏も名無しさん
08/04/25 07:56:41 Jpf/yX2P
願いごとがかなうということも、
「悩み苦しみがなくなること」の変形バージョンでは。
「悩み苦しみがなくなりますように・願いごとがかなえられますように」とは、
「怒りと欲を感じるできごがなくなりますように」
ってことでは。
376:神も仏も名無しさん
08/04/25 09:15:01 risOpM1m
クイズ番組じゃないんだから当てずっぽはやめなさい。
少しは先哲の遺したものでも読めよ。
「悩み苦しみがなくなること」─悲の修習
「願いごとがかなう」─喜の修習
377:神も仏も名無しさん
08/04/25 16:58:16 pU8+/RWs
最近慈悲の意味に納得できた気がする。
確かに人は独りでは生きては行けないんだろうけど、
みんな本音と建前を使い分けて、人為的な道徳観のフィルターの上で付き合うのってなんか寂しいなあと
慈悲はわざわざ育てなくては身につかないものだなんて空しいなあと
少し人間不信に陥りかかっていたんだけど、そうじゃない。そうやって考えを巡らせているうちに一つ希望の光が差してきた。
人はみんな寂しい。他の人だって繋がっていたい。それは本能だ。それだけは確かだ。
その上で慈しみの気持ちを育てる努力をしなければいけないのは自明じゃないか。
これからは慈悲の瞑想にも気持ちが入りそうだ。
378:神も仏も名無しさん
08/04/25 17:29:33 oBgXbgwv
素晴らしい。
379:神も仏も名無しさん
08/04/25 19:28:42 YBSp+DNJ
>>377
そうだよね。
せっかく生まれてきたんだから、だれだって幸せになりたいし、悲しいのは嫌よね。
おなじ人間、今日自殺した人だって、はつらつとした一日があっただろうし、どんな気持ちでなくなったんだろう、家族はどんな思いなんだろうと思うと、
苦しみが取り除かれるよう祈らずにはいられない。
「だれだって」悲しい目にはあいたくないはずだし、できれば安心したいはずだしね。
だれもが幸せでありますように。つらい悲しみが解消され、心が悟りに導かれますように。
380:神も仏も名無しさん
08/04/25 19:29:37 YBSp+DNJ
×嫌よね
○嫌だよね
どうでもいいことだけど、男だからw
381:神も仏も名無しさん
08/04/25 22:36:05 1xZXhG1J
>>364
「現代人のための瞑想法」でしょ?
とりあえずGWの5日間一日10時間くらいやってみるよ。
382:神も仏も名無しさん
08/04/25 23:20:43 EPLpxmxn
GWや年末年始の休みには断食道場に行く人が多いらしいね。
現代人の体と心は消耗しているんだよなあ。
383:神も仏も名無しさん
08/04/26 15:22:48 Vlx6IpDq
何か目新しい情報はないかと、ついつい掲示板にかじり付いて見続けてしまって
(依存症?)、実践がおろそかになってしまうのですが、ヴィパッサナー修行は、とにかく
ひたすら実践して掴め!ということでいいでしょうか?
384:神も仏も名無しさん
08/04/26 20:28:26 OCPOzEn0
いいんじゃない。正しく実践ね。
385:神も仏も名無しさん
08/04/26 20:51:06 BGEQlE9E
家の中で歩く瞑想をやってます。足踏みだけで30分歩く瞑想を
やってもリラックスできました。ちょっと足の付け根と骨盤の
辺りが筋肉系が痛いですけど。
386:神も仏も名無しさん
08/04/26 20:59:31 OCPOzEn0
慈悲の瞑想で生命を慈しむことと
ヴィパッサナーで生命なんて大したことない
無意味なものだ、と捉えるのと矛盾してしまう。
387:神も仏も名無しさん
08/04/26 21:20:58 EgRwDNBC
たいしたことない、無意味ってそれは価値判断が入ってるんじゃないか?
388:神も仏も名無しさん
08/04/26 21:36:57 WmS8Zf36
>>386ここにけっこうくわしい
URLリンク(www.j-theravada.net)
Q:ヴィパッサナー冥想と一緒に慈悲の冥想もするように言われていますが、
互いにまったく関係のない冥想方法のように思われます。
生きとし生けるものすべての幸せを願うことと、生きることを『苦』だと思って解脱を目指すことは、正反対の行為だと思えますが。
A:実践の方法から見ると、慈悲とヴィパッサナーは背中合わせになって、
逆方向を向いているように見えます。
慈悲の冥想はすべての生命の幸福を願うことで、『生』を認めています。
ヴィパッサナーは個人の解脱を目指して、『生』を脱出しようとしています。
しかし慈悲の冥想実践の中身を少々考えてみてください。
まず自分が幸せであるように念じて、「個が幸福に生きていきたい」という当たり前の事実を確認します。
次に、自分に関係ある人々もまったく同じ気持ちでいることを理解し、確認します。
そこで、我々が、幸せに生きていきたいという立場になります。
『個』に限っていた理解が、『我々』という次元まで大きくなったのです。
次に、我々だけではなく、いかなる生命でも幸福に生きていきたいということを理解し、
確認します。結果として「幸せになりたいのは誰ですか」と聞くならば、
「私ですよ」という答えではなくて「一切の生命ですよ」という答えになります。
『個』の次元が『我々』に成長し、次に『一切の生命』という次元で見られるようになります。
389:神も仏も名無しさん
08/04/26 21:47:19 U9SJAKNw
生命を無意味だと思い込むのではなくそれをありのままに過大評価しなくなれば苦を見出す
390:神も仏も名無しさん
08/04/26 21:53:17 OCPOzEn0
>>388
ありがとう。勉強になったよ。
391:神も仏も名無しさん
08/04/26 21:55:57 OCPOzEn0
>>387
事実だよ。
392:神も仏も名無しさん
08/04/27 01:36:35 MEz64RQJ
patipada 購読申し込み迷うなぁー
金額が微妙だ・・・
まだ読んでないスマ本いっぱいあるしな
393:神も仏も名無しさん
08/04/27 01:38:27 rWmBK6ub
一切皆苦はあくまで世俗諦
394:神も仏も名無しさん
08/04/27 02:44:47 MxI0GiVz
一般の思考や、弱い感情の場合は、サティを入れると
すぐに「いまここ」に戻れるのですが、
「怒り」のように大きな感情にサティを入れるとき、
すぐに怒りから身体に意識をもどすと、怒りを抑圧しているような感格がある。
かといって、あまり長くサティを入れると、感情と一体化してしまう
なかなか、どの程度この感情を確認するのに時間をかければいいか、
配分がむずかしいのですが、長老やゴエンカさんがどういってるか
ご存知ないですか?
また、日常でのサティと、きちんと時間を取ってのヴィパッサナーでは、その際の配分は同じでしょうか。
395:神も仏も名無しさん
08/04/27 09:12:16 vu6oi/EH
sukhi hotuでググってグナタラナ長老の瞑想解説を読んでみると参考になると思います。
ご質問には、気づきと言う項目が特に参考になるかもしれません。
感情へのサティは、難しいですよね。
自分も昨日、久しぶりにどうすることもできないくらい感情に振り回されました。
その時は、身体へのサティは入れずに 感情にピタッと合うラベルを
貼り付けまくりました。
「怒り、欲、嫉妬、心配、不安、混乱、落ち込み、興奮・・・・etc」
それでもだめな時は、感情を一切排除してひたすら行動にサティを入れ続ける。
迷わずどちらかへの切り替えが、必要だと思いました。
>>また、日常でのサティと、きちんと時間を取ってのヴィパッサナーでは、その際の配分は同じでしょうか。
これは、その時の状況に合わせてだと思います。
勤務時間が長い方やじっくり時間を取るのがむずかしい方は、日常の行動の中で出来る限り
サティを入れ続けるのが理想ではないでしょうか。
あまりにも縛られると感じる時には、時間を決めて実践してみては。
慈悲の瞑想もとりまぜながら 色々工夫するのも楽しいと思いますよ。
396:神も仏も名無しさん
08/04/27 09:56:38 qcC//phv
>>392
すぐに申し込んだほうが良い。
パティパダー購読の魅力は、本誌もさることながら約2ヶ月に1回ついてくる施本だ。
本屋では買えない長老の言葉が詰まってるぞ。
機会を逃したら二度と手に入らない内容でいっぱいだ。
397:神も仏も名無しさん
08/04/27 09:59:53 ftPYtqys
感情を受け入れ、観察しつづける
もし振り回されても自己嫌悪しない
398:神も仏も名無しさん
08/04/27 16:22:02 xdWIp41A
>>394
「いまここ」ってなんだよ
399:神も仏も名無しさん
08/04/27 18:44:14 3BZIWaVH
ラージャヨーガ スワミヴィヴェーカ-ナンダ
400:神も仏も名無しさん
08/04/27 19:46:03 MxI0GiVz
>>395
>>397
ありがとうございます。大変参考になりました。
sukhi hotuのサイトもじっくりみて見ます。
自己嫌悪しないことも大切ですよね。自己嫌悪自体に気づかないこともしばしばですが、
これから気づきの力をつけていきたいと思います。
401:神も仏も名無しさん
08/04/27 19:49:20 MEz64RQJ
>>396
ありがとう。
たぶん申し込みます。
本が沢山でてて、専門誌もあるのは嬉しい事なんだけど、
なんか好きなバンドのCD揃えたいけど、
ぜんぶ揃えると高すぎる、みたいな感じになってる。
402:神も仏も名無しさん
08/04/27 20:05:07 YuFtmfoD
激しい感情の場合身体に反応がでるから
それを観てると落ちるよ。
ヴィヴェーカナンダは悟ってない。
403:神も仏も名無しさん
08/04/27 21:03:48 qcC//phv
>>402
俺もそう思う>悟ってない。
彼は一生懸命師匠の言葉を解釈しようと努力し、それを世界に広めるのが限界だった。
仏教ならその波羅蜜で来世は今度こそ悟れる境涯に生まれ変われるといいねと思う。
404:神も仏も名無しさん
08/04/27 21:15:13 YuFtmfoD
>>403
スマ長老はJ・クリシュナムルティは預流果だ
と言っていたが、俺は悟ってたと思う。
ラマナ・マハリシもラーマクリシュナも
おまけにダンテス・ダイジも。
貴兄のレスで入会する事にした。
405:神も仏も名無しさん
08/04/27 21:27:48 vvgtmfLH
そうだよね。
スマ長老個人の見立てで、
J・クリシュナムルティは預流果以上に感じる。
伝記を読むと尋常ではない。
正直、長老やダライ・ラマ以上じゃないかと思う。
406:神も仏も名無しさん
08/04/27 21:34:23 YuFtmfoD
>>405
やっぱそう思う?
「生と覚醒のコメンタリー」なんて読むとすごいよ。
ダンテスがJは「20世紀最大の救世主」って言ってるよね。
唯クリシュナムルティの本で理解できなかった
ところをスマ長老の本で「なるほど、そうか」と
わかったところがけっこうあるから
スマ長老もヤッパすごいんだろうね。
でもJの方が上だ。貴兄に賛成。
407:神も仏も名無しさん
08/04/27 22:00:51 KIvyyPeI
スマさんは感情を抑えるようにという指導だね。
このスレでもそういう人が多い。
クリシュナムルティは、感情を抑えるようになんていわない。
感情を見るようにというだけ。サティを強調する。
このへんクリシュナムルティのほうが人間の本質を見抜いて
いると思う。
人間の本当の問題は、感情が出てしまうことにあるのではなく、
感情を抑えてしまうことにある。
だから、感情は出した方がいい。
心理療法なんかで、感情を出すことを強調するのはそのため
です。
無意識に抑えてしまっている感情に気付き、ひとつひとつそれ
にサティを入れていくことが出来れば、人は変わるよ。
408:神も仏も名無しさん
08/04/27 22:09:44 YuFtmfoD
長老は道徳を強調するよね、確かに。
若い頃一番好きだったバグワン(ラジニーシ)は、若い人は知らないだろうけど
カタルシスを瞑想の中に取り入れていた。
抑圧するなと。
ヴィパッサナーで心配なのは抑圧なんだよね。
現代人はストレスのかたまりだからいきなり
ヴィパッサナーをやっても長い長い年月が必要になると思う。
スリランカやブッダの時代とは違うからなあ。
409:神も仏も名無しさん
08/04/27 22:18:31 YuFtmfoD
URLリンク(www.osho-japan.com)
ここにラジニーシのカタルシス的瞑想があるので
参考にどうぞ。
これを経てヴィパッサナーに入るといいかもなあ、と思う。
410:神も仏も名無しさん
08/04/27 22:27:17 eqQo6qfB
>>408
まあ、だから「慈悲の瞑想」が必要なんじゃないか?
正直長老も日本がこんなにストレスの多い社会だとは思わなかったから内心びっくりしているとか。
で、「分かったから慈悲の瞑想を生涯続けるつもりで私の話を半分に聴きなさい。
そうして解脱できなくとも俗世で最大限に生涯を全うしなさい」って感じなんじゃないかな。
「慈悲の瞑想」自体は日本語以外の言葉になっていないようだし。
「お釈迦様の智慧を結集して創った最初にして最後の簡単な瞑想」
それが「慈悲の瞑想」で、今の「忙しい」と言っている日本人(修行に至れない人々)の言い訳を封じる最終兵器なのかもしれない。
正直日本全国に「慈悲の瞑想」だけが広がっても良いんじゃないかと思っている。
だからCD「パーリ語日常読誦経典」には「慈悲の瞑想」が入っていて「ブッダの安らぎの声」には慈悲の瞑想は入っていないんだよ。
別に今の段階で長老自ら「慈悲の瞑想に副作用が入っている」なんて公言していないでしょ。
もしあったら真っ先に書籍にして修正版を出すって。長老の事だから。
素人の目から言わせてもらいました。
411:神も仏も名無しさん
08/04/27 22:33:09 xdWIp41A
また玉石混淆なスレの模様を呈してきました
412:神も仏も名無しさん
08/04/27 22:39:01 MEz64RQJ
>>410
>だからCD「パーリ語日常読誦経典」には「慈悲の瞑想」が入っていて
「ブッダの安らぎの声」には慈悲の瞑想は入っていないんだよ。
意味がわからない。どういうこと?
>慈悲の瞑想」自体は日本語以外の言葉になっていない
そうなの?
アメリカとかにもテーラワーダ広まってそうだと思ってた。
413:神も仏も名無しさん
08/04/27 22:43:25 hfCP8o3V
ヴィパッサナーで抑圧?
地橋氏の著書見る限り心随観でそれも解けそうだと思うけどな。
その点で言うなら慈悲の瞑想の方が難しい気がするなあ。
414:神も仏も名無しさん
08/04/27 22:44:26 eqQo6qfB
>>411
結局は>>388を見ろってことだろうけどね。
けど、ヴィパッサナー瞑想を本格的にやろうなんて思って実行できる人の方がはるかに少ないからねぇ。
それと最近また長老は書籍を出しているし、このところ新書もたくさん出しているし、
ヴィパッサナー瞑想がきちんと出来る国にいるなら
「まさか老病死に勝つ方法があったとは」なんて題名でハードカバーを出したりしないよ。
日本だから「お釈迦様の教え」をたくさん出しているんだよ。
>>412
そりゃテーラワーダは広まっているだろうけど、「慈悲の瞑想は他の国でも広めていますよー」って言って、
日本語以外の言葉で紹介した事ある?パーリ語で慈悲の瞑想聴いた事ある?ないでしょ。
っていうか書籍でも紹介されていない罠>日本語以外の慈悲の瞑想
415:神も仏も名無しさん
08/04/27 22:46:34 MEz64RQJ
このスレ伸びるの早いよね。
範囲も広いし。
考えてたんだけど、質疑応答スレが一つあってもいいかな?
作ろうかね?
「テーラワーダ☆質疑応答スレ」 とかどう?
玉石混淆な感じでも、スレチになってないと思うし、
自分が興味ないところはスルーしてロムってればいいと思うけど、
もう一個あったほうが、適度な速度になっていいかもと思う。
416:神も仏も名無しさん
08/04/27 22:46:42 hfCP8o3V
ヒント:サッベー サッター バワントゥ スキタッター
417:神も仏も名無しさん
08/04/27 22:50:17 hfCP8o3V
>>415
俺が知る限り寺和田協会スレは2つあるけど
どっちかが盛り上がってるときはどっちかがクソスレというか隔離状態になってるよ
だから増やしても仕方ないような
418:神も仏も名無しさん
08/04/27 22:58:19 MxI0GiVz
日本で教えてる慈悲の瞑想はスマさんが日本人ようにアレンジしたんじゃなかったっけ。
違う文言なら、ゴエンカさんの本にも載ってるし今日教えてもらったグナラタナ長老は
アメリカをメインに活動しているそうだけど、違う文言で慈悲の瞑想を説いてるようだ
でも、テーラワーダ以外でも、こうした慈悲の瞑想と類似したものは
普遍的に多いんじゃないかな。
419:神も仏も名無しさん
08/04/27 22:59:44 hfCP8o3V
ちなみにチベットの伝統にも慈悲の瞑想(四無量心の祈り)はあるよ
瞑想バイブルっていう一見スピリチュアル系の怪しい本に(内容は悪くないけど訳者がREIKI系の人だった)チベットの瞑想として載ってた
420:神も仏も名無しさん
08/04/27 23:01:18 MEz64RQJ
>>414
テーラワーダの教えのキモは
ヴィパッサナーと慈悲の瞑想だと思ってたから、
当然、スリランカとかの仏教国でも、アメリカとかでもテーラワーダが
伝わっているなら、当然、慈悲の瞑想は浸透しているものだと思ってたんだけど、
そうじゃないってこと?
>「慈悲の瞑想は他の国でも広めていますよー」って言って、
>日本語以外の言葉で紹介した事ある?
そういうことは、日本人は別に知らなくてもいいことだから、
紹介してない事が、実際に広まってない事の根拠にはあまりならないように思うけど。
421:神も仏も名無しさん
08/04/27 23:11:52 IlX2TOop
>>418
アッシジの聖サンフランシスコの祈りとか、
「世界人類が平和でありますように」も慈悲の瞑想の一種か
422:神も仏も名無しさん
08/04/27 23:12:53 MxI0GiVz
チベットで有名なのはトンレンか。
天台でも朝は観世音菩薩に祈り衆生の幸福を祈願、
夜は阿弥陀仏に祈り衆生の悟りを祈願するって話だけど、
ここまで行くとスレ違いになるか。
ちなみに、ゴエンカさんのメッタ・バーバナの文言は、
「わたしは、知ってか知らずか、意識してか意識しないでか、その思いや言葉、あるいは
行動で、わたしを傷つけた人々を許します。
わたしは、知ってか知らずか、意識してか意識しないでか、わたしの思いや言葉、ある
いは行動で、わたしが傷つけた人々に許しを請います。
みんな、わたしの友達だ。ひとりも敵はいない。 」
423:神も仏も名無しさん
08/04/27 23:17:31 YuFtmfoD
>>410
慈悲の瞑想でもカタルシスにはならないんだよね
残念ながら。
その点ラジニーシは瞑想の中にサイコセラピーを
組み込んでいるというか、こっちをやってヴィパサナに
入るといいと思うんだ。
もっともクリシュナムルティは完璧にラジニーシを否定してるけど。。
長老は否定するが感情をだしても(一人で瞑想の中で)
しっかり離れていれば落ちていくとおもうんだよね。
424:神も仏も名無しさん
08/04/27 23:19:02 jWDithFY
元々は「梵住」っていってたくさんあるサマタ瞑想の一つなんだよ
425:神も仏も名無しさん
08/04/27 23:23:37 QyCMIENu
慈悲の瞑想について語るときに、
なんか、「慈悲慈悲」って意気込みすぎの人が多い気がする…。
サマタ瞑想なんだから、雑念をはらって慈悲の言葉に意識をもどす、
妄想がでてもすぐに慈悲の言葉にもどす、
っていう部分が大事なんじゃないかなぁ。
426:神も仏も名無しさん
08/04/27 23:26:46 YuFtmfoD
長老も数あるサマタのなかでも慈悲の瞑想を推薦します
って書いてるよね。
誰かノーマインド瞑想やってみてよ。
ほんとに深く入れるし観察できるから。
そして感想書いてよ。
427:神も仏も名無しさん
08/04/27 23:43:36 1bcBNeo5
慈悲の瞑想の発音抑揚ってなんとかなんないもん?
なんか、もの凄く湿り気が多くて陰気。
428:神も仏も名無しさん
08/04/27 23:43:43 MxI0GiVz
慈悲の瞑想は乗ってくると自然に集中してくるよ。
仏陀も言ってたことだけど、だれでも自分が可愛いのは当たり前、
それぞれみんな自分が大事なんだと思うと。「俺」だけじゃなくてみんな幸せになってほしいと思う。
429:神も仏も名無しさん
08/04/27 23:55:46 Tr88Ju+7
>>427
メロディは自由にやっていいだろ
別にインドテイストがいやなら例えばボサノバ風にアレンジしてもいい
和風がよければ詩吟風にやってもいいし
キリスト教徒や西洋圏の人なら歓びの歌なんかに乗せてもいい
ジョンレノンが好きならイマジンに乗せてやってもいいし
メタルが好きなら慈悲の気持ちさえ入ってればヘッドバンキングしながらやったっていいんだよ
430:神も仏も名無しさん
08/04/28 00:36:04 TGZacH5y
怒らないことについで、
シコらないことを発刊して欲しい。
いや、まじで。
431:神も仏も名無しさん
08/04/28 00:38:32 t5HgXBr5
>>430
とことん死随念やればいい。いわゆるメメントモリ。
432:神も仏も名無しさん
08/04/28 01:20:50 1anuL/2w
シコる人は、サルと同じなのですby長老
433:神も仏も名無しさん
08/04/28 01:45:03 t5HgXBr5
長老の本で一番読みやすかったのは「仏教は心の科学」
長老の本で一番眼から鱗が落ちたのは「平和の生滅」
長老の本で一番読み応えがあるのは「ブッダの実践心理学」
長老の本で一番呆れ果てたのは「般若心経は間違い?」
434:神も仏も名無しさん
08/04/28 10:00:17 MJhGZ6wm
>>430
危険を伴うので・・・
ちょっと本気になって自分で調べて自己責任でやるか、
長老僧から直接指導を受けなさい。
初心者には最初からいきなり教えないことになっている。
なぜか。
これも経典を調べれば分かるよ。
今日は下弦、布薩日(ウポーサタ)である。
出来る人は八斎戒を守るがよし。
既婚者は夫婦関係を避ける。
独身者はしない。午後からの断食をする等々。
分かるね。出来るだけ俗事を避ける。
出来る範囲でやってみるとよい。
435:神も仏も名無しさん
08/04/28 13:40:58 TGZacH5y
みんな性をコントロールできてるみたいだね。
俺は刹那とはいえ快楽に身を委ねてしまう。
抑圧することなく、シコらずに満たされる方法が知りたいんだな。
436:神も仏も名無しさん
08/04/28 13:50:57 FCtqle5A
抑圧は必要ないよ。
サティすれば自然に消えるから。
437:神も仏も名無しさん
08/04/28 13:58:53 MJhGZ6wm
>サティすれば自然に消えるから。
こういうのは信用しないほうがいい。
私は上座部僧と寝食を共にしたこともあるが
私に正直な心情を吐露した方もいた。
勿論
>快楽に身を委ねてしまう
ことはないが消えたと思っても・・・と言うようなことをね、言っておられた
当時私も似たような心的状況にあったので彼の言うことはよく理解できた。
まあ、油断はしない方がいい。
438:神も仏も名無しさん
08/04/28 14:09:48 1anuL/2w
しこるより、2ちゃんにこだわる心のほうが俺にとっては強力で処理が難しいな。
どうしてものぞきたくなり、レスをつけたくなり、やめたくなくなり、これに執着しがち。
439:神も仏も名無しさん
08/04/28 14:27:26 Gtbt8Sb3
URLリンク(light.kakiko.com)
知ってるかもしれないけどこのサイトはオナ禁の参考になるよ
2chのオナ禁まとめサイトとかと一緒に書籍化してくれないものか
最近2ch新書できたのにオナ禁関係が無いのは不可解だ
440:神も仏も名無しさん
08/04/28 14:47:58 MabPB9+n
>>438
不2ch戒は無い。
放逸にならず邪見を起こさずに見ればいい。
まあ、そこは中庸に。
441:神も仏も名無しさん
08/04/28 14:56:25 FCtqle5A
>>437
それは、上座部僧といえども、まだサティが出来てないということだろうな。
本当にサティ出来れば、その瞬間に消えるはず。
そのサティが難しいんだよ。
サティの練習は初歩のように見えるけど、上座部僧さえまだマスター出来
てないのをみると、これさえ習熟すればかなりのレベルに達することがわ
かる。
442:神も仏も名無しさん
08/04/28 15:04:42 MJhGZ6wm
判らない奴だな。
性を制することが出来れば不還だろ。
その獅子吼が世界に響いたと言われるタイの高僧Buddhadasa長老でさえ
預流果を噂された程度というのにそんなに簡単に在家が瞑想を完成させる
ことは余り期待しない方がいい。大口を叩くなということだよ。
しかもあきらめるな、と言っておこう。
443:神も仏も名無しさん
08/04/28 17:08:35 /lfAmK+t
スマナサーラ氏の指導を初めて受けたけど、正直厳しくて、批判的な印象があったなあ
言ってることは理に適っているけど、言い方がきつい印象を受けた
もっとダライラマのように大らかなやさしさと、笑顔なほうが緊張しないで瞑想しやすいと思う
444:神も仏も名無しさん
08/04/28 17:17:08 8dRwWEm9
ダライラマに指導受けたら?w
445:神も仏も名無しさん
08/04/28 17:38:19 MJhGZ6wm
360 愚人は、咎め立てする心で、勝利者(ブッダ)の教えを聞く。その
ようなことをすると、正しい真理から遥かに遠ざかる。―地が天から
遥かに遠ざかっているように。(Theragatha)
446:神も仏も名無しさん
08/04/28 18:38:10 Gx3uWZY1
主観にもほどがあるな
447:神も仏も名無しさん
08/04/28 19:24:48 1anuL/2w
なんだかなぁ…
448:神も仏も名無しさん
08/04/28 20:01:39 1anuL/2w
自分が預流果に達した人がここにいるわけでもない、
みな、ドングリの背比べレベル。
他人を上から見下したような批判はやめよう。
「見下した態度なんてとってない」という人もいるかもしれませんが、まあ、自分の胸に訊いてみて。
449:神も仏も名無しさん
08/04/28 20:19:20 7AwvsRIi
>自分が預流果に達した人がここにいるわけでもない
さあ、それはどうかな。お前にも分かっていない事を決め付けない方がいい。
450:神も仏も名無しさん
08/04/28 21:27:28 lYrWK1Ny
俺、瞑想とか修行はいいからパーリ語の読経ができるようになりたい。
CD聴いているだけじゃなかなか身につかない。
それに意味も込めて心から唱えてみたい。
CDのような声の通る読経をしてみたい。
…今はそれだけ。
451:brown
08/04/28 21:43:09 XESSlEA0
性欲を抑圧するとき,性欲が覆われる。
性欲に溺れるとき,無貪が覆われる。
性欲と無貪との双方を覆わない者が,心の真の姿を正しく知っている。
正しく知っている者の心は,統一されており,完全で,寂滅する。
正しく知らない者の心は,不完全で,その不完全性を補うべく
計らいが働く。ついには執着に堕し,苦しみに堕落する。
452:神も仏も名無しさん
08/04/28 21:49:02 95/p1GzT
>>450
ブッダの教えなんてすばらしい人にしか実行できないさっ ははっ もうヤーメタ
とキレているときもパーリ語の読経は美しい。キライになれないw
453:神も仏も名無しさん
08/04/28 21:59:34 lYrWK1Ny
>>452
でしょ。声の高い人がいちばんいい。
「パーリ語日常読誦経典」だと声の低い人のものも混ざっていて聴きづらいことに最近気づいた。
だから「ブッダのやすらぎの声」を購入した方が一番良い。
次に「慈経-ブッダの『慈しみ』は愛を越える」の付属CDの「慈経」がいい。
パーリ語の読経は他の事でムカついているときも安らぐ事があるから不思議だ。
454:神も仏も名無しさん
08/04/28 22:14:43 8dRwWEm9
いつも釣りに誘ってくれる友人がいます。
最近は生餌を使いたくないのでルアーでやりたいと言ったら賛成してくれた。
もう必要以上釣りたくないし釣れなくていい。
455:神も仏も名無しさん
08/04/28 22:22:38 95/p1GzT
>>453
棚からCD取り出して今聞いてるよw
ん~ 声にのびとツヤがあるね。
法要の時の集団読経にも慈経でてくるけどあれは「声のマラソン」って感じ。
祝福してもらえるっていうのが嬉しいので、その時は声より気持ちで癒されるw
456:神も仏も名無しさん
08/04/28 22:24:13 D9qE7EWe
>>454
まさに、あなた向けの法話がHPにアップされているから、
参考程度に聴いてみて。
確か「生きものをいじめるなかれ」だったと思う。
457:神も仏も名無しさん
08/04/28 22:41:17 8dRwWEm9
>>456
どうもありがとう。
458:神も仏も名無しさん
08/04/28 23:11:28 U5BlYlrn
>>449
それを世間は悪魔の証明と言う
459:神も仏も名無しさん
08/04/28 23:33:36 U5BlYlrn
チベットの人々の痛み苦しみがなくなりますように
中国の人々の怒りや無明がなくなりますように
生きとし生けるものの慈しみの花が開きますように
生きとし生けるものが幸せでありますように
460:神も仏も名無しさん
08/04/29 02:47:10 euM5uHXA
ブッダの実践心理学第2巻p258
>>色界の第四禅定がある人は、さらに瞑想して瞑想の能力で意思、
心のエネルギーを絞って、「壁に自分の身体という物体が通れるような
穴があって欲しい」と希望します。そうすると壁に穴ができて、
その人だけ通れるのです。他の人には穴は見えません。
地面に沈みたければ、自分が沈めるような状態を作る。
そうすると自然に、地面の中に入ることができます。
瞑想によって物質まで変化させる能力が生まれるっていう事だよね。
真面目に読んでたんだけど、もしかしてトンデモ本だったのか?
だれか分かる様に解説して~!
461:神も仏も名無しさん
08/04/29 03:06:50 Q1nR3a+I
わからん。自分でやってみれば?w
でも悟ったら、そんなことしたいという欲も起きなくなるような気がするけどな。w
462:神も仏も名無しさん
08/04/29 03:46:08 C6YjR9qF
な、なんだって?w
463:神も仏も名無しさん
08/04/29 03:46:43 C6YjR9qF
いや、したい、したくないの問題ではないだろ。
>>460が気にしてるのは。
トンデモなのかどうかってことだろ。
464:神も仏も名無しさん
08/04/29 08:57:36 mFvqAOPz
なんていうか、このスレ見てるとさ、難しい言葉とか理屈が
出てくるのだけど、その代わりというか、実際の瞑想は
深まっていないとか、悩み苦しみは全然減っていない人が
多いんじゃないかと思ってしまう。
自分なんか悩みだらけなもんで、それでこのスレを頼って
しまうんだけど、難しい専門用語や理屈はともかく、実際に
瞑想によって日常生活での悩み苦しみがすっかり消えて
しまう(感じなくなってしまう)ような実際トレーニング(言葉は
適切ではないかも知れないけど)周りの話が聞ければよい
なあと思っているんですよね。勝手なこと言って申し訳ないけど。
465:神も仏も名無しさん
08/04/29 09:05:19 C9HRwdXY
>>460
いずれもSamatha四十業処の中の
壁を通り抜けるのは・・・
地面に沈むのは・・・
瞑想でつ。
いずれも超能力を目指している訳ではないが、ある理由があって私は時々
やっております。そのための道具も自作してね。超能力の気配は今の所
ない。不思議なことはあった。
基になる経典を読んでいれば別に驚くことはない。
長老的な解釈・解説・言葉につまづきそうになっているのかな。
面倒くさい人たちだな。
「へ~え、そういうこともあるのか。半信半疑」と言うことにでもして
おけよ。そうでなければ自分でちゃんと経典を調べなさい。
ちなみに
>物質まで変化させる
というより化作すると表現しております。
466:神も仏も名無しさん
08/04/29 09:17:23 C9HRwdXY
>>464
405 わたしは出家してから二十五年になるが、そのあいだ、指を一はじき
するだけの時間でも、心の静けさを得られなかった。(Theragatha)
あなただけではない。焦らない。
467:神も仏も名無しさん
08/04/29 09:55:57 DzeoxW6A
>>460 物質を変化させるのなら、
他の人にも壁の穴が見えるのでは?
468:神も仏も名無しさん
08/04/29 12:15:25 RZxNivBS
明恵上人も瞑想中に、桶に虫が落ちたから助けにいけ、と弟子に語り、
見に行くとほんとに蜂が落ちていたが、「こんなことはあたりまえのことだからさわぐな」
といったそう。
法然上人も病者を治すヒーリング能力があったそうだが、どちらも、
それは仏道修行の副産物だからそれを人に説いたり、価値があるものとして扱わなかった。
天台の千日峰回行中も千里眼のようなものは働くそうだし、
松原泰道も、夜、座禅中に障子がガタガタゆれるような超常現象は、座禅をすると
いくらでもあるが、そんなものは全く関係がない、と。
ゴエンカも、「瞑想していての超常現象ははいて捨てるほどあるが、
それに気をとられるな」と。
ようするに、われわれが日常を送るときにいる精神構造とはまたちがう
精神構造では、日常とは別のことがおきると言うことであり、目的ではない。
どちらにしても、仏道のあゆみの途中で、はじめとは違ったことがあっても、
大事なのは道を歩くことで、超能力は気にしなくてもいいのでは。
信じられなければ信じなくても、とりあえず、目の前の瞑想をすればいい。
ただ、壁抜け出切る人がいるなら、興味としてちょっと知りたい。
イエスの水上歩行もそうだったのだろうか。
469:神も仏も名無しさん
08/04/29 12:19:29 RZxNivBS
>>460氏が、現時点で信用できないと疑いをもつことは、ある意味健全。
だが、道のりの遠くのことよりも、目の前の一歩として推奨されている瞑想は、
おそらく損でもないのだから、いまはそれを考えるだけでいいのではないでしょうか。
現時点で自分とは無縁のように見えることが、思わぬことにつながるかもしれないし、、、。
470:神も仏も名無しさん
08/04/29 12:23:46 O9Is4PTP
サマタ瞑想すればいろんな超能力が出るよ。
しかし、ヴィパサナではそうにうのはすべて妄想として退ける。
壁抜けも水上歩行も、そういうのに興味を持つこと自体が妄想。
今に生きてない証拠。
471:神も仏も名無しさん
08/04/29 12:45:40 RZxNivBS
まあまあ、それがメインだとは言ってないんですから、、、。
472:神も仏も名無しさん
08/04/29 13:04:19 hI6mNdLR
壁抜けはa・・・
水上歩行はp・・・
地面に沈むのはa・・・
いずれもSamatha
473:神も仏も名無しさん
08/04/29 18:26:18 I4xXt22J
お前ら今日も修行せず2ちゃんかよ・・・
474:神も仏も名無しさん
08/04/29 18:37:43 7KNKV5Gu
一時間やってからきてますが?
475:神も仏も名無しさん
08/04/29 21:36:21 DzeoxW6A
>>474 プライド(慢)の煩悩に注意
476:神も仏も名無しさん
08/04/29 22:10:16 7KNKV5Gu
べつに?
毎日してることですから書き込みの時点では全然そんな感じはなかったよ。フフ。
むしろそれを注意って促すことが慢に注意だろうね。
ま、いいんだけど あとだしがあれだから。
じゃ、いまから一時間行ってきますわ。
477:brown
08/04/29 22:46:48 nhvIPEOp
超能力というものは全く存在しません。
それは禅定中に現れる幻に過ぎません。
現実感覚というのはそれ自体幻で,如何ようにも思い通りに変形し得るので,
その意味で如何なる現象も作り出せます。しかし,その全体が完全な虚構だ
と知る必要がありますね。
確かにそれは体験できます。しかし,それは全くの妄想です。
ある時期,私自身も色々な体験を遊んだことはありますが,
まあ,ちょっと楽しい遊びではありますね。でもそれは全くの妄想です。
だから,妄想を妄想と認定しない無知や不精進な遊び心を断じれば,
完全に断たれます。非常に重要なヴィパッサナーの智慧だと思いますね。
それは,「食欲や性欲が消える」というような種類の断滅ではありません。
文字どおり,二度と生じることはなくなります。
どちらかというと中道ではなく,「無辺」に属するような無です。
それは,「色は空(幻)なり」というような種類の妄想ではありません。
とにかく,全くの妄想です。それは,「兎に角」というような種類の
妄想です。
478:brown
08/04/29 22:55:16 nhvIPEOp
こういうことがよく分かっていない人は,何か,心や存在状態を超越する
ためにヨーガや瞑想をするが,反って,とても救いようのない堕落状態に
無自覚的に突入していると言えます。やがて,「思考が現実化する」
などといった輪廻を一層強化する妄想の「金属化」を果たしてしまいます。
個人的なつつましい煩悩の炎を,あたり一面火事にするような猛威を振るう
草原の炎に置き換えただけです。
そのような無自覚状態こそが,「無明」と呼ばれるのに。
そのような期待感が一切ないとき,心に澄み渡った,自己を制した清らかさ
が現れます。つまり,逆に言えば,このような妄想は,多かれ少なかれ,
潜在的にせよ,顕在的にせよ,我々誰でも持っている種類の妄想といえます。
479:神も仏も名無しさん
08/04/29 23:04:45 hI6mNdLR
それと同じように、大王よ、比丘は、このように心が統一され、清浄純粋
で、無垢無傷で、柔軟で活動的、確固として動じないとき、超人的な不可思
議な力に心を傾け注ぐのです。そして、彼は、種々の超人的な不可思議な力
を体得するのです。すなわち、ひとりでありながら多くのものになり、多く
のものでありながらひとりになり、まるで空中にあるかのように現れ消え、
壁を越え、柵を越え、山を越えて、何にもすがらずに行き、また、まるで
水中にあるかのように地上にも出没し、また、まるで大地の上であるかのよ
うに水上を乱さずに進み、また、まるで翼のある鳥のように、空中を足を組
んで坐ったまま進み、あのように偉力があり、あのように威厳のある太陽や
月にも手で触れて感じ、梵天界に至るまでも身体で到達するのです。
これもまた、大王よ、眼で見ることのできる沙門の果報であり、前述の眼
で見ることのできる沙門の果報よりも、もっと優れ、もっとすばらしいもの
です。( Sâmaññaphalasutta 沙門果経)
よい子は外道に惑わされないように。
480:brown
08/04/29 23:11:12 nhvIPEOp
非常に重要なところなので,もう一度,端的に,はっきりと,言っておきましょう。
超能力への期待のことを無明といい,超能力の不在のことを明知と言うのです。
そして,そのような無明は,完全な妄想なので,はっきりとした自覚を持つ
ことによって,二度と生じないように断滅されます。その自覚を生むための
作法とは,ヴィパッシュヤナーによる「真に起こることの観察」です。
よく日ごろの自分を思い返していただくと,いつもいつもこの超能力に
頼っているというか,期待していることが分かるはずです。目覚めて,
寝坊したとき,1分でも時間が早くなるでしょうか?片思いの彼女は,
こちらを振り返って欲しいと願うことで好きになってくれるでしょうか?
そういう無自覚が,現実と理想(という妄想)の隙間を生み,その隙間を
思考と感情が織物のように絡まりあって埋めるため,輪廻という構造を
支持し続けてしまうのです。
481:神も仏も名無しさん
08/04/29 23:20:30 O9Is4PTP
ニミッタも同じですか?
482:神も仏も名無しさん
08/04/29 23:29:52 RZxNivBS
原理主義者の意見も外道の意見も話1/3でちょうどいい。
483:神も仏も名無しさん
08/04/29 23:51:35 abXY27e/
>>476
まあ、慢心があるというよりは、謙虚さが感じられないよね。慢心の全くない人間なんてそうそういないし。
俺も言いたがりなだけかもしれないけど、でも言ってやってる俺カコイイ的に見られるのは抵抗があるね。
でも言うことによって気づきのきっかけになれば結果的にはいいんだろうし、まあ言っておきました。
あなたに悟りの光が現れますように。
私に悟りの光が現れますように。
生きとし生けるものに悟りの光が現れますように。
484:神も仏も名無しさん
08/04/30 00:21:34 fr0d3FlR
ちょっと聞いてくれ。
アマゾンで長老の法句経~一日一悟~を買おうと思うのだが、
送料無料にならないので何か長老の文庫でも買おうと思うのだが、
下の持ってるものリストからかぶらなくて、読んでおけ!
というのがあったら教えてください。
怒らないこと
シリーズ自分作り1~4
パワー・アップ・ユアライフ
ブッダの実践心理学1・2
自分を変える気づきの瞑想法
485:神も仏も名無しさん
08/04/30 00:21:38 OxxS0Dra
つーか、おれ474じゃないけど、>>474みて即慢心とか思っちゃうほうがどうかって気がすんだが。
やってんのかって疑問にやってます言っただけだろ
486:神も仏も名無しさん
08/04/30 00:50:01 IedZ8aQ3
>>484
リストの中で自分が持っているのは
・怒らないこと
・自分を変える気づきの瞑想法
の2冊。
怒りは、自分の性質が瞬間怒り系スーパー短気で
これで人間関係をずいぶん切ってきた反省から買ってみた。
当たり前のことが並んでいるようだけど、怒りで本を一冊書く
となると、やはりそれだけの内容にはなっていて、あらためて
ビクリとすることがあった。
繰り返して潜在意識に刷り込むまで読むのがいいんだろうね。
2冊目の瞑想本は後半部に25ページほど、実際の立つ瞑想、
座る瞑想、歩行瞑想の仕方がイラスト入りでわかりやすい。
でも、本全体の中に「これっ!!」と思う文章に出くわすのは
瞑想本に多いので、この本も初心者向けの瞑想ガイドブック
ではあるけれど、自分にはありがたい。
487:神も仏も名無しさん
08/04/30 05:22:22 LxDBf4W4
>>484
そのリストの中では、「怒らないこと」だけ持ってる。
文庫なこともあって読みやすかった。安いし。
読んでみて、実際に怒らなくなった。
家族との口喧嘩もなくなったよ (おれ以外の家族同士はまだやってるが)。
自分の場合はね。
「ブッダの実践心理学」は、未読です。
単行本でシリーズ物なので、読み応えありそう。単価も高いし。
でも、これから本格的に仏教思想と実践方法を学びたいので、近々購入の予定。
ずっと前から欲しい本だった。
488:神も仏も名無しさん
08/04/30 05:26:07 LxDBf4W4
スマさんのダンマパダ本は2冊とも持ってるよ。
読みやすくレイアウトされてるので、名言箴言集みたいな感じで読めるのもいい。
ダンマパダはより詳しく読みたいので、講談社からでてる、友松圓諦師の法句経も
読書リストに入れてある。
489:神も仏も名無しさん
08/04/30 07:48:26 hdznmptE
>>484
「1時間やってからきてます。」
と書かずに、あえて
「1時間やってからきてますが?」
490:神も仏も名無しさん
08/04/30 07:49:36 hdznmptE
ごめん>484じゃなく>485
491:神も仏も名無しさん
08/04/30 08:05:56 tX2f8fwD
50
他人の過失を見るなかれ。他人のした事としなかったことを見るな。
ただ自分のした事としなかったこととだけを見よ。
492:神も仏も名無しさん
08/04/30 12:17:44 OxxS0Dra
>>489
しつこいな、、、、せめてその日のうちに気持ち切り替えなよ。
493:神も仏も名無しさん
08/04/30 16:01:43 Qpkw0UaI
文化庁長官の青木保さんて
タイのバンコクで半年間出家経験ありだってね
ちょっと意外でした
494:神も仏も名無しさん
08/04/30 17:21:54 CBHe63wx
協会から、長老の月一の法話をDVD化して販売しているのですが、
これは内容的にどんな感じなんでしょうか?
本で説いていることとそれほど変わりないなら、あえて購入する必要も
ないかなとは思うのですが。
レンタルとかしてくんないかな。。
495:神も仏も名無しさん
08/04/30 17:48:57 8rH9vt1Y
わざわざ法話など聞きに来ないで、家の周りで歩く瞑想でもしてろってさ!
その方が心が成長するんだって、長老が言ってた
496:神も仏も名無しさん
08/04/30 19:05:07 jsfqLkRp
そうなんだ。
497:神も仏も名無しさん
08/04/30 19:05:35 IwnFUBgt
長老の日本語は聞き辛いよ。
生で聞くならまだしも、DVDでは苦しいね。
本だけにしとけ。
498:神も仏も名無しさん
08/04/30 22:11:38 qvKj2FsO
>>495
確かにそれの方が前向きかもしれん…>長老が言っていようがいまいが。
ただ、最近は車はともかく自転車の往来が激しく、「歩道を歩く」ことすらままならないことが多い。
…最低車が来ない大きな公園の中を歩くのがベストだろうが、果たしてそういう環境に恵まれているだろうか?
法話は「耳障りがいい」だけかもしれないし。
今日サンガ新書から発売された「あべこべ感覚」を読んでいても「自分が成長する」というよりは
「瞑想修行の壁にぶつかったときに読むと目から鱗が落ちる」程度のものだと思う。
499:神も仏も名無しさん
08/04/30 22:32:28 nrSo9Odm
私はもっぱらおなかの瞑想
(ふくらみちじみの瞑想)
横になってるときも含めて。
歩くのは、家でできたら良いけど殆ど無理だからやらない。
立つのは、電車でたまにやる。
500:神も仏も名無しさん
08/04/30 23:55:14 nrSo9Odm
質問します。
慈悲喜捨の「捨」の心でいるのは良い。
でもそれが(悪い意味での)無関心ではいけない。
という箇所がスマさんの本のどこかにありました。
この事が、あまり理解できていません。
詳しく引用できなくてすみません。
「捨」と無関心の違いはどう理解すればよいでしょうか?
無関心は無知による無関心、という説明はあったと思います。
たとえば、兄弟が結婚することが決まり、その知らせを受けたとします。
「捨」の心でその報告を受けたならば、喜びの心はでてこないと思います。
なるほどそうですか、わかりました。という感じだと思います。
無関心なら、そうなの、どうでもいいことだわ。という感じなのかな、と思います。
結婚式に出席しても、「捨」の人は、たんたんと行事の場に居合わせていて、
うまくいえませんが、結婚式の行事の空気とかやり方に、
礼儀正しく、付き合っている感じかなと思います。
無関心の心でも、そういう感じにすることはできそうな気がします。
501:神も仏も名無しさん
08/05/01 00:29:23 UJ6HDNj+
快・不快って高速で変換されるなw
他人の屁のにおいかいだだけで瞬時にむっとするw
502:神も仏も名無しさん
08/05/01 00:44:09 SJu3OB20
あんたはムッとしても、他人は平気でプッとするのが
世の中だからね。
503:神も仏も名無しさん
08/05/01 00:50:43 ZWD+LEvH
>>488
自己レス。
友松圓諦の法句経講義と法句経、買ってきた。
そして、ずっと読みたかったパユットー氏の著書2冊も。
今日はもう遅くなっちゃったけど、明日から読めるので嬉しい。
504:brown
08/05/01 02:01:34 XcnpSqjl
>>500
捨というのは,痴に対する対治です。(サマディーの)平静な対応力のことです。
無関心というより,むしろ積極的に世の中に関わっていく心持を言っています。
捨というニュアンスは,「世の中に無関心」ではなく,「自分自身への
こだわりに無関心」と把握されます。執着心から離れているので,判断に
偏りがなく,中道を採ることができます。力みがなく,放逸でもなく,
愛着するのでもなく,嫌悪するのでもなく,平等に,人々に応接します。
そうやって,特定のこだわりなく,世の中を見ることで,自然な対応力が
身についてきます。心が平静であることで,こだわりなく,自然な対応が
可能になります。つまり,最も効果のある行動を取ることができます。
それは,起こることに対して,予め身構えず,その時々の全条件を踏まえて
行動することを意味しています。それは,心が混乱せず,はっきりとした
理解を伴って行動することを意味しています。放逸ならざることであり,
完全な集中力を保つことを意味しています。
505:神も仏も名無しさん
08/05/01 02:19:26 aT314Vdz
>>503
友松さんの法句経講義はいいですね。
ただ、漢文調の訳詞かたなので好き嫌いはあるかも。岩波から出てる中村元の「真理のことば」、
は、ネットで全文見れますが、スマさんもほめてた。
あと、松原泰道の法句経や、ちくまから出てる増谷文雄の「仏教百話」も結構お薦めです。
長文スマソ
506:神も仏も名無しさん
08/05/01 02:22:05 aT314Vdz
>無関心というより,むしろ積極的に世の中に関わっていく心持を言っています。
>捨というニュアンスは,「世の中に無関心」ではなく,「自分自身への
>こだわりに無関心」と把握されます。
あー、これ思うわ。
どうせ死ぬんだから、しがらみにこだわらず、できるだけ善いことをしよう、って感じで。
喜とも矛盾しないよね。
507:神も仏も名無しさん
08/05/01 02:32:55 aT314Vdz
捨についてはここが詳しかった。こだわりを捨てると視野が広くなるし、
こだわってると視野が狭くなるという感覚は日常的でわかりやすい。
URLリンク(www.j-theravada.net)
Q:先月は、慈悲喜捨の冥想についてお聞きしていましたが、一番むずかしいとおっしゃっていた「捨」の冥想について、
もう少し教えていただけますでしょうか。
解かりやすく言えば感情の波が立たないこころなのです。
しかし、鈍感で、何も興味がない、気にしない、無関心、閉鎖的で自分の世界にだけ
閉じ困れていると言える状態とは全く違います。これは、智慧、理解能力から現れる「冷静心」だと理解しておきましょう。
例えばだれかが収賄で問題になった知ります。
瞬時に腹が立つ。「なんという悪人か、裏切り者か」と思ってしまうのです。
このように決まり切っている感情を引き起こすのではなく、多側面で観察するのです。
収賄を犯した人にも何か言い分があるはずです。もしかすると周りからやらされたかもしれません。
「あるいは自分さえ良ければ」という気持ちで犯したかもしれません。
前者の場合は一人でよい人間になろうと努力しても周りの影響で振り回されることもあるということが解ります。
後者の場合は、自分のことしか考えられない弱みと、その結果自分に対して良かれと思ったことは
逆効果になることも解ります。それで、その人は「悪人だ」とも「悪い人ではない」とも決め付けることせず、
「冷静に」自分の気持ちを保つのです。
508:頭
08/05/01 07:40:18 uGdR0irx
教えてください。
瞑想をやった後に、頭痛(額のやや上あたり)になったことが何回かあります。
たまたまなのかもしれませんが、
瞑想して頭痛になることはありますか?
頭痛の原因が瞑想だとしたら、
瞑想のやり方に間違いがあるのでしょうか?
509:神も仏も名無しさん
08/05/01 10:40:48 RqsYtNoG
そのような頭痛が起きたこと数回あります。
頭痛だけでなく 身体のいろんな所が痛くなりますよね。
それも観察し「痛み痛み」とラベルを貼っているうちに頭痛は消えました。
痛くなったらチャンスだと思うようにしています。
ただ、瞑想が終っても頭痛が残っている場合は、病院へ行ったほうが良いかも。
510:494
08/05/01 13:22:54 2MdFekWK
皆さんレスありがとうございます。
実践第一ってことで、歩く瞑想等日々取り組もうと思います。
511:神も仏も名無しさん
08/05/01 17:24:47 aT314Vdz
お互い気長に頑張りましょう!
512:500
08/05/01 17:33:34 +xZyRiX0
レスどうも有り難うございます。
>>504
>「自分自身へのこだわりに無関心」
この言葉の表現では、こだわりがあるけれど、それに無関心、
みたいなふうに聞こえるのですが、
捨の人は、こだわりはもともと無いと思っていました。
そうですよね??
「こだわりに無関心」ということが(どうもイメージしにくいですが)、
こだわりが無いということを表すのでしょうか。
513:神も仏も名無しさん
08/05/01 20:59:27 UJ6HDNj+
悟った人って話が分かってもらえないときってどうするんだろう。
「馬鹿だなあ・・・ぜんぜん話し分かってないなあ・・・」とか思わないのかな。
514:神も仏も名無しさん
08/05/01 22:31:22 VOjcoesU
EOが「マトモな人間なら自殺をする」と書いていたが、
長老も「平和の生滅」で「生きることは悪で罪だ」と
断言してるね。
これでこそ真の仏教だ。まさしく叡智だ。
日本の真言宗では生かせ生命なんて題目上げてるが
本当に愚かだ。
515:神も仏も名無しさん
08/05/01 22:50:29 sztvQGCZ
>>514
マトモな人間なら自殺するってのは気持ちとしては分かるが、
ただ自殺しちゃうと輪廻を繰り返すことになるから、
ここはじっと自殺願望を抑えて根源的な執着をなくし涅槃を目指すのが
仏教なんじゃないか?
生きることは悪で罪だけど、罪を償わない限りいつまでたっても
その罪からは逃れられないからさ。
516:神も仏も名無しさん
08/05/01 22:54:32 sztvQGCZ
>>498.
法話や経典その他の意義は唯一つ、本気で修行に取り組む動機作りを
手助けしてくれるということだと俺は思う。
もう何年も仏教書を読んでると、酒を飲むということに対する嫌気が染み付いてくる。
最初は俺は在家だし付き合いがあるしとか簡単に言い訳し罪悪感も感じなかったが、
何度も何度も手を変え品を変え不飲酒戒の説明を読んでいると、
次第に本気で飲みたくなくなってくる。
いまじゃ飲み会のつどに、乾杯の口付けだけして出来るだけ飲まないようになった。
法話とか経典は、こうして心にしみこませていく効果があるんだと思う。
517:神も仏も名無しさん
08/05/01 23:05:27 aT314Vdz
自殺も生への執着の、それも強いかたちでの現れだと思うんだ
518:神も仏も名無しさん
08/05/01 23:14:55 8BY8PZJ3
願望が実現できないことへの怒りに基づく自殺はそうだね
生に執着しなければ死んでも良いし死ななくても良い
悪、罪という評価は誰がしているのか見極めるべき
519:神も仏も名無しさん
08/05/01 23:18:07 sztvQGCZ
経典には自殺した阿羅漢の記録もある。
したがって、ブッダは条件のそろった自殺は認めたことになる。
スマ長老も宝島社新書でこのテーマ扱ってた。
だが、その条件をクリアし自殺がOKになるのは、凡夫じゃまず不可能だろw
520:神も仏も名無しさん
08/05/01 23:20:50 xHNK0UOT
怒りを抱く人間に対しては、、慈しみの心で接することが
最良の接し方であったとは。
日々、その効果を実感しています。
しかし、なんと単純で逆説的なんだ人間とは。
頭の片隅に残っていた、馬鹿にしていた道徳が、真実だったなんて。
521:神も仏も名無しさん
08/05/01 23:23:43 hMn6pbpC
善良なゆえに道徳なんじゃなくて法に沿ってるというかそのものだから道徳なんだなってきがする
522:神も仏も名無しさん
08/05/02 00:50:53 ihAIlHfs
もともと道徳ってそういう意味だからね。「大道廃れて仁義あり」って言葉あるでしょ。
523:神も仏も名無しさん
08/05/02 01:34:47 JFF/Eujv
>>513
自分の中の「分かって欲しい」という欲の発生をすぐに発見。
直後に観照して一瞬で欲が消滅。
終わり。
524:神も仏も名無しさん
08/05/02 02:12:59 ts+sF+J4
>>520
怒りを抱く人間に対しては、日常生活の上で
実はたいした問題にならない。
たいていの場合は、怒りよりもむしろ、
陰を極めた執拗な嫌がらせだとか、
陰口だとか、あらぬ噂を撒き散らかされたとか、
はめられたとか、引き出しに入れてある名刺の箱から
名刺をザックリ盗んでよからぬ輩に配りちらされたとか、
書類を隠されたとか、海外赴任当日にボストンバッグを
隠されたとか、新入時に部長が新しいデスクを入れて
くれたのに新人の新しいデスクを自分のデスクと取り替え、
新人には鍵の壊れた、ペン皿のボロボロの、デスク表面は
汚れだらけのものがあてがわれたとか、部内打ち合わせ
で、呼んだことにして上司には「あいつは来たくないらしいですよ」
と打ち合わせ拒否したように報告して部長の心証を悪く見せようと
画策されたとか・・・まあ、全部、自分がやっかまれて実際に
やられてきたことばかりだけど、そういう陰湿な関わりのほうが
多いと思うな。
怒りなんて稚拙さを露呈しているだけだと思うから、ほっとけば
自分で転けるから現実には上のような実際的なものに比べたら
問題にならないくらい軽微。
525:神も仏も名無しさん
08/05/02 03:06:43 JFF/Eujv
>>524
そういうことをする人にこそ慈しみの心を向けることが必要だと思う。
というよりは、そういう人に向けないのなら一体どこに向けるのかという
感じがするのだが、とにかくやれば解消の方向へ向かう。
526:brown
08/05/02 03:40:19 Ex+c1zWy
>>512
非常によいところに気づかれましたね。
捨というのは3段階あるわけです。
小捨の人は,通常的な意識で捨の修習に取り組みます。
欲や怒りなどのこだわりがあるが,どんどんとこだわりを捨てるように努力して,
欲や怒りの対象が現れても,それに対して無関心であるように振舞います。
そうしていくと,心が統制され,止滅の心を得,こだわりを無くすことができます。
それが中捨の人で,こだわりがないので,そもそも欲や怒りということが
ありません。その場合には欲や怒りが出てこないのです。全く平静で,
行為を統制することにより,その止滅の境地に居続けるように努力します。
それが中捨の人です。
しかし,>>524ではないが,世の中にはおせっかいな人もいて,積極的に
加害行為を行ってくる人もいるし,世の中と積極的に関わりを持っていくと,
そのような行為の統制によって,止滅を維持することに執着するではなく,
こだわりやその結果としての欲や怒りがありつつ,それから自由である
精神態度を目指すようになります。彼が大捨の人で,こだわりを知りつつ,
「こだわりに無関心」なのです。その場合には,彼の心には,「こだわり
と呼ばれたもの」という心が起き,次いで彼の心は,心自らそのこだわりや
その他の精神状況を,全体の調和の中に融解してしまいます。そのため,
常に,心は自己展開的に完全な調和を保ち,常に雑音のある世の中で働き
つつ,同時に平静な心を展開し続けることができます。
だから,捨というのは,本来的には,無関心というより,むしろ積極的に
世の中に関わっていく心持を言っているわけです。
527:brown
08/05/02 04:01:17 Ex+c1zWy
>>526
ちょっと難しいですね。通常の意識では分からないことだとは思います。
完全に自覚に照らされた心というのは,全ての矛盾を並存しているんですね。
矛盾の自己調和というか。全ての方向への気づきがあるわけです。
そして,矛盾が脅威ではないわけです。無明の心は,この矛盾を恐れて
しまうんですね。一方を採って,一方に偏るわけです。しかし本来的に心は全ての
矛盾を包摂していて,それこそが調和のとれた「安心」なんですね。
全ての矛盾を覆わずにそのまま明らかにすると,その地点で調和を取るんですね。
だから,ヴィパシュヤナーで心を一つも覆い隠さずにそのまま全部見るわけです。
好きだといっても,煩いもある。嫌いだといっても,慈しみもある。
一生懸命といっても怠け心もある。思考もそうですね。こうすべきと規範が
あっても,それを貫けない場合もある。道徳的でない心があるといっても,
一方で確かに善良な心もある。
心が自覚で満たされれば,善も不善も,正も不正も何もそのままで問題ない
わけです。問題が自己解決するから。全部の起こることは起こることとして,
そのまま受け入れられるようになるわけです。
だから,反って,自由に生きて,善を採ることができるようになるわけです。
528:神も仏も名無しさん
08/05/02 07:54:58 tE7iTD8o
>>524 嫌がらせも怒りがあるからやるわけでしょう。
私を嫌っている人々も幸せでありますように。
でも…自分がその立場になると、
なかなか瞬時に冷静になれませんね。
529:神も仏も名無しさん
08/05/02 08:42:21 oFx7W9w5
嫌がらせに対する具体的な対処はともかく
常に心は刺激を求めていることが良くわかる事例だね
自らを高めるか滅ぼすかは関係なしに刺激ならなんでもいい
いやがらせをしている人は怒りもあるかも知れないが、それが面白いんだよね
心が子供のままで貧困
もちろん心変わりしていつかは成長できる可能性もある
でもその人の成長を待つ必要はない
まずは自分
「他人のしたこととしなかったこととを見るな
ただ自分のしたこととしなかったことだけを見よ」
つられて怒ったらその人のレベルに落ちる
530:500
08/05/02 09:35:28 Ep3h5oiS
>>512はひょっとしたら書き方がまずかったかもしれません。
>>504や皆様のレスをよみ、分かってきました。
とまず書くべきだったかもしれません。
しかし、>>504 の
「自分自身へのこだわりに無関心」の箇所だけ、
ひっかかったので、聞きました。
自分自身へのこだわりに無関心というのは、
もしかして、他人による自分自身に向けられたこだわり、
なのでしょうか。
自分自身の自分自身へのこだわり、と読んだのですが。
このように説明してみましたが、
なお、私の不理解はなおっておらず、
スルーするのが適切ならば、それでいいです。
531:500
08/05/02 09:37:40 Ep3h5oiS
すみません!!
レス付いていたのに、見落としていました。
今から読みます。
532:神も仏も名無しさん
08/05/02 13:26:40 ihAIlHfs
いやがらせに対して腹を立てることを肯定できないが、
腹を立ててしまった自分に対する慈悲も同様に大切。
自分がされていやなことは人もいや、と同時に、人がされて嫌なことは自分も嫌なのだから、
自分と他者に同等に慈悲の視線をむける「平等観」が「捨」につながっていく。
慈悲の瞑想を、自分と他人に行っていくと、「自分も他人も同じ、煩悩に振り回されがちな凡夫」
と言うことがわかり、「捨」もおのずから養われていく。
個人的には、この文章が「捨」をよくあらわしていると思う。
「心の忿(いかり)を絶ち、おもての瞋(いかり)を棄てて、人の違(たが)うことを怒らざれ。
人みな心あり。心おのおの執(と)るところあり。かれ是とすれば、われは非とす。われ是とすれば、かれは非とす。
われ必ず聖(ひじり)なるにあらず、かれ必ず愚かなるにあらず、ともにこれ凡夫ならくのみ、
是善く非悪しきの理(ことわり)、たれかよく定むべき」
誰もみな、煩悩で苦しんで怒りもおこす。
それは自分もそうだし、他人もそう。だから、いきとしいけるものすべてに「慈悲」の視点が必要。
533:神も仏も名無しさん
08/05/02 15:42:59 Asj4HMH7
他人から極めて不合理な対応をされたとき、
自身の心が、どこまで冷静でいられるか。
これが、私の課題です。
私は、以前、かなり不合理な扱いを受けた経験があり、
その影響からか、つい最近まで、怒り・疑い・嫉妬・慢の塊のような心に
なっておりました。
その傾向は、幾分、緩和されてきましたが、まだまだ、以前のような心の有り様には、
戻っていません。
今でも、初対面の人に会ったときは、もちろんのこと、表面上はかなり打ち解けたように
関係にある同僚と、コミュニケーションを交わすときでさえ、不安・恐れが、頭のどこかに
あります。
スマさんを含めた仏教関連の書籍にあたるうちに、この課題に取り組む足がかりのようなものは、
得られたような気だけはしますが、まぁ、まだまだ修行の日々は、続きそうです。
534:500
08/05/02 19:24:46 Ep3h5oiS
>>526-527
中捨 - こだわりがそもそもない。
大捨 - こだわりを知りつつ、それから自由である
ですよね。
これだけだと、中捨のほうが上のように思いましたが、
中捨より大捨のほうがハイレベルなのですよね。
ということは、
中捨の「こだわりがない」とは、
あらゆる事に関してこだわりが無いのではなく、
まだこだわりのあるものが残っている
(または、こだわるものがこれからでてくる可能性がある)
のかなと思いましたが、あってますでしょうか。
一方、大捨は、あらゆる事に関して、
「こだわりを知りつつ、それから自由である」ということでしょうか。
大捨の人に一時的に浮上してくるこだわりは、
「世間一般的に、こういう事にはこういうこだわりがあるものだ」、
という事を知識として知っているようなものではなく、
実際に当人に生じる「こだわり」のことですよね。
535:神も仏も名無しさん
08/05/02 19:38:17 ZJywC1T0
↑自演か
536:神も仏も名無しさん
08/05/02 20:04:23 y8704/Aq
あれこれ考えるより、歩いてみなよ
537:500
08/05/02 20:51:52 Ep3h5oiS
>>536
私(500)に対するレスですよね。
お気遣いありがとうございます。
実践軽視で、理論に偏っているかもしれない事を
注意してくださったのだと思いますが、
自分では 特に偏っていないと思っています。
たぶん心配無用です。
ところで、
この程度の(私の)書き込みでは、理論に偏っている事にはならないと
思いますし、もっと沢山何日も書き込みがあったとしても、
1年に数回とかだったら、理論偏重にはならないですよね。
あんまりぜんぶロムってなくて、また長いこと来ないこともあったりして、
うろおぼえなんですが、理論偏重を注意するようなレスをたまに見て、
実際は違うかもしれないんじゃないかな、というのがよくあった気がします。
実際はどうかわからないから、言うだけ言っておくのもいいのかもしれませんが。
538:brown
08/05/02 21:06:13 Ex+c1zWy
>>534 喩えて言えば,・・・
火は危ないですね。火事になるから。
火を無用心に使ってそこら辺が燃え盛っているのを消し止めようとして,
完全に消してしまった状態が中捨ですね。その状態で全く問題ない
わけです。それでいいんです。とりあえず。
しかし,今一歩進んでみると,そこで,火をわざわざ点けてみるわけです。
そして消す。点ける→消す→点ける→消す。自由自在。火は危なくない
わけです。
このとき,他人の家に火を点けたり,単に他人の家の火事を消火するのを
手伝うだけではそうはならないわけです。火事の場合はそれで訓練できる
わけですが,心は,自分自身の心しか扱えないからです。だから自分自身の
心に点ける必要がありますね。この技術は同時に他の人々の心の炎を消す
手助けにもなりますね。この視点からすると,中捨は未だ不完全です。
しかし,本当は,
>「世間一般的に、こういう事にはこういうこだわりがあるものだ」、
>という事を知識として知っているようなものではなく、
>実際に当人に生じる「こだわり」のことですよね。
こういうことは区別できないんですね。それは実は同一のことなんです。
だから「こだわりと呼ばれたもの」なんですね。こだわりというのは
そういうものなんです。何か演じているというかパフォーマンスですね。
何かリアルに思えるけど。大捨の人だけでなく,本当は,無捨の人でも,
その捨てていないこだわりは,実は「世の中でそう呼ばれたもの」に過ぎない
んですね。
539:brown
08/05/02 21:19:59 Ex+c1zWy
>>508
>瞑想して頭痛になることはありますか?
飽くまで個人的な小さいサンプルですが,瞑想が深まって自我を捉える
くらいになってくると,頭がごんごんしたり,喉が押されるような
感じになったり,胸やお腹の辺りがやっぱり押されるような感じになったり,
抵抗力が弱まって風邪をひいたり,熱が出たような感じになったり
(これ,不思議に熱を測ってみても37度弱くらいなんですね),逆に
寒気がしたりするものですね。
目的に到達するまで「船から放たれた鳥が何度も飛び立って,島が
見つからないで何度も戻ってくるように」何度も,そういった深まりの
行きつ戻りつを経験しましたが,その度にそういう現象は起きてきます。
これはなぜかと言うと,心的な力で自我が弱ってくるので,それが身体的
にも影響を与えて,免疫力を低下させたりするからです。
だから風邪を引いたりしますね。あと,食欲などの生理欲が極端に細くなったり。
540:神も仏も名無しさん
08/05/02 21:35:01 yzzTLcGT
brownさんは生きてて疑問に思うことはないんですか?
あれこれあり方を模索したり、他人の悩み見るとつられて疲れるんですが、
悩まないで済む方法ってありますか?
長老あたり「怒らないこと」についで「悩まないこと」出版してくれないかな。
541:brown
08/05/02 22:02:05 Ex+c1zWy
>>540
いや,悩んでばっかりですよ。分からないことばかり。というか何も
知らない人なんですね。自分にむかつきますね。正直。プレゼン資料一つ
作るのに,あれでも駄目,これでも駄目と悩みますね。それぐらい馬鹿です。
それでいいんですよ。悩んだら,「ああ,悩んでるんだなあ」くらいで
いいんです。怒ったら,「怒ってるのかあ」というくらいで丁度です。
しかし,私には,昔はもっともっと,命を駄目にするような悩みがあったんです。
「なぜ私はここにいるんだろう?」「私は何のために生きてるんだろう?」
「何か本当にやるべきことがあるのではないか?それを自分はやってないん
じゃないか?」「どうして一度も本当に満足できないんだろう?」
「生きていたくないなあ」「でも死んだらどうなるんだろう」
「悟りって何だろう?どうしたら得られるのだろう?」なんていう疑問です。
とにかくその疑問が小さいときから離れなかった。何をしているときも。
やりたかった,欲しかったことを経験しているその最中も。
でも,それは全く無くなってしまいましたね。きれいさっぱり。完全な満足
というのが分かった,経験したからでしょうね。欲って満足(きり)がない
でしょう?だから,何度でも,さらに大きく欲しくなるんっすよ。でも完全な
満足は一回,一瞬だけでも十分。それ以上全く欲しくならないですね。
心の本性に接することで,欲しくなくてもずっとある。すると,この世の
ことで悩みとかあっても,大したことではないわけです。
そういうもんです。それはそんな大げさなことではないんですよ。
だから,是非,その瞬間を得てください。びっくりしますよ。あなたの
その悩み,全部消し飛ぶから。保証します。