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22 名前:次第にその迷雲も晴れ :2007/05/14(月) 00:00:04 ID:Ol0SCjC0
「次第にその迷雲も晴れ」発言が凄まじい動揺をきたしている模様です。
高森氏の信心が(たとえ本人にとって神秘体験であったにせよ)相対的な体験
であったことが明らかになりつつあります。この相対性を秘し、会員に絶対の
境地が存在すると欺いてきた罪は重大です。なぜこうした罪を犯すことになった
のか、高森氏の心象を描いてみましょう。
同文の告白にて分かるように、彼は何をさておいても「名布教師」たらん
としていたに違いない。つまり、他に感銘を与える名説法を日々研究し、研鑚し
ていたのでしょう。実際、彼の説法は人気を博しました。
ところで、彼の名布教師たらんという願望は、「華光会」のインスタント信心
の獲得の場面において、最も満たされたと考えられます。彼は自らの相対的で
はあるが、神秘体験を他人に経験させることで、自信をつけていったと考えられます。
さて、彼がこうして布教師としてのキャリアを重ねていくごとに、彼はあること
に気づいたにちがいない。「あること」とは、「信一念の絶対的体験をみずから
体験したことを公言することが、聞法者の関心を著しく惹きつけること」である。
これは、絶対の幸福がある、と断言する先輩に新入生が惹き付けられるのと
「全く」同じ構造である。そして、本人すらできていない体験をできると公言
することで、会員を増やしていったと思われる。
ところが、彼は内心忸怩たるものを感じていた。なぜなら、かつて華光会の機関紙
に投稿した内容が、親鸞会を拡大する決定的教義「一念の信心」と矛盾するもので
あったためである。したがって彼は華光会を「土蔵秘事とそれに類するもの」と名
づけ、断罪し、会員との接触を恐れたのである。