08/07/09 23:11:25 LPeHX5o8
最後に。
仏様は慈悲心を持っています。全ての命を平等に考え、全てを救いたいと感じたからこそ「誰でもが仏となれる」つまり成仏できる。
そう教えられたのでしょう。
だからこそ罰は「与えられる物」ではなく、自分が因果の法のなかで縁をつくり報いを受ける物であり、
罰が当たることを教えられるのではなく、罰が当たるような事をしてはいけません。と、教えられるのでは無いでしょうか。
悪いことをした「行為」ではなく、その行為をした自分が悪いことの報いを受けるだけです。
良いことをすればその行為に対して褒美を与えられるのではなく、その報いによって褒美をいただけるであり、悪い行為は罪障。良い行為は功徳と言われるのだと思います。
長い間読んでて思ってたことがたくさんあったので読むのが嫌になるほど長文になってしまいました。
すいません。