【浄土真宗】妙好人と学ぶ7【信心獲得(決定)】at PSY
【浄土真宗】妙好人と学ぶ7【信心獲得(決定)】 - 暇つぶし2ch352:298
08/03/21 00:34:06 VQT71Jqj
>>310
「機の深信」ということを聞いたばっかりに、それをご自身でつくろうとしているように
思えるのです。
それであれば、聞かなかった方がよかったのだと思います。
「機の深信」も、信をいただくときに、如来からいただくもの。
自分でつくるものでは、ありません。

「身にあまる」ということについては、御文様を、よくいただいてください。

◎「うれしさをむかしはそでにつつむ」といへるこころは、むかしは
雑行・正行の分別もなく、念仏だにも申せば、往生するとばかりおもひつるこころなり。
「こよひは身にもあまる」といへるは、正雑の分別をききわけ、一向一心になりて、
信心決定のうへに仏恩報尽のために念仏申すこころは、おほきに各別なり。
かるがゆゑに身のおきどころもなく、をどりあがるほどにおもふあひだ、
よろこびは身にもうれしさがあまりぬるといへるこころなり(御文1-1)

「念仏だにも申せば、往生するとばかりおもひつる」になっていないか、
よくご自身を見てほしいと思います。

「雑行・正行の分別」は、ありますか?

「念仏だにも申せば」であるならば、まだ、その分別は無いのです。

そして、信心決定のうへに仏恩報尽のために念仏申すこころは、おほきに各別なのです。

簡単に信をいただく方法があっても、背を向ける方ばかりであるから、
行き易くして人がいないのです。

南无阿彌陀佛

353:神も仏も名無しさん
08/03/21 00:42:06 hZRcSFNy
>>342
体験といえば体験でしょうか、信前と信後は本人にとっては明確になります。

第三者が確認することはありません。
外から見て、信心決定したかどうかはわかりませんから。
よくよく話をしてみて、どうもそうらしい、どうもちがうらしい、というのは分かっても、
本当のところを知っているのは、阿弥陀仏と本人のみです。

>>344
>それだと、信心決定は単なる思い込みにすぎなかった、というような事態に陥らないでしょうか。

大変よくあることですね。気分の激しい落ち込みや高揚、動揺などがあって、
その中で「信いただけた!」という気になることは多いです。
魔が入るというより、自力の信心を、他力の信心と思い込んでしまうということですね。

ただ、一度の、阿弥陀仏との魂の邂逅させて頂くということは、
他の体験とは次元が違うものなので、わかります。
もちろん、それも、強い深い妄想だった…ということもあるかもしれませんけど。

ただ、つもりの信心は必ず崩れますが、真実信心は決して崩れません。
二種深信を伴い、本願に対する疑いいっさいなくなり、
阿弥陀仏のお力で極楽往生させて頂くのだと心が決まったら、もう決して崩れないということです。
摂取の光明におさめとられて、逃げようにも逃げられず、という状態ですから。
そして御恩報謝のお念仏が自然と口からあふれてくる、そういう生活になります。


354:298
08/03/21 00:44:32 VQT71Jqj
>>353
>二種深信を伴い、本願に対する疑いいっさいなくなり、
>阿弥陀仏のお力で極楽往生させて頂くのだと心が決まったら、もう決して崩れないということです。
>摂取の光明におさめとられて、逃げようにも逃げられず、という状態ですから。
>そして御恩報謝のお念仏が自然と口からあふれてくる、そういう生活になります。

これは、353様の現在の生活ですか?
それとも、未安心ではあるけれども、信をいただいたら、
そのようになると教わった内容を、ここで紹介しているということでしょうか?

355:神も仏も名無しさん
08/03/21 01:13:12 hZRcSFNy
>>347
>凡夫が易行にて、あっという間に、信をいただける南无阿彌陀佛です。

善知識の神通力によって頂く信心は、浄土真宗の信心ではありませんから。

>>350
298さんと同じ教えを信じておられる方ですか?
突然出てこられて、威圧的な態度で、決め付け、見下し、喧嘩腰ですね。

何をそんなに怒っておられるのかわかりませんが、ともあれ、
南無阿弥陀仏をともに尊いと思われる方ならば、お怒りをお静めください。
「薬あり、毒を好め」、とは親鸞聖人も仰いませんでしたから。
私の書き込みに間違いがありましたなら、訂正をして頂ければと存じます。

>ようするにあんたまだ時期じゃないげんわ、ほやし自力で念仏となえてなさいな。

何の時期でしょう?わたしのほうから、298さんたちの教えに用はありません。
大慈大悲の親様から、じかにお六字のまこと、この胸に頂きました大幸福者です。
常によろこびまもりくだされる、阿弥陀様の光明の中に生かされて、
御恩報謝のお念仏、称えさせて頂くばかりです。

ありがとうございます、
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

356:298
08/03/21 01:16:00 VQT71Jqj
>>355
>>凡夫が易行にて、あっという間に、信をいただける南无阿彌陀佛です。
>善知識の神通力によって頂く信心は、浄土真宗の信心ではありませんから。

信心をくださるのは、阿弥陀さまですよ。

357:神も仏も名無しさん
08/03/21 01:21:54 M2at9OxQ
>352
また、~だと思います、ですかぁ?あなたのはからいだよね。
正雑の区別がついてないのは、あなたじゃないのかな。
知識の教えを受けて、他力の念仏が称えられるようになったと
確信してる。それって、弥陀の救いよりも、
自分が今そういう境界に住している事をあてにしてるんだよ。
他力の念仏が称えられるようになりました、なんて言う人は、
実は、阿弥陀仏の誓願不思議、名号不思議を信じてるんじゃなくて、
他力の念仏が称えられるようになったと思ってる自分の心を信じてるのさ。
心底弥陀の本願が響きました、もう疑いの心はありませんっていうのも、
心底弥陀の本願が響きわたったと感じている自分の心をたのんでるのさ。
弥陀たのめといくら勧めても、自分は弥陀をたのんだんだっていう、
自覚意識、=自力のはからいに住してしまってるから、
何言ったって、徒らごと。
らっきょの皮をどこまで剥いたか、俺はここまで剥いたから大丈夫と、ある人は言い、
いや、ちゃんと剥けてないじゃないか、俺はここまで剥いたから
正しいんだって、ある人は言い、お互いに言い争ってるわけ。
俺からすれば、俺もらっきょ、お前もらっきょ、御同朋でしかないね。
何体験したっていいさ、心の底からお念仏が溢れてきたでもいいし、
仏像が光り輝いて見えるでも、たのみ方を知ってるでも、
なんでもいいさ、人の心は業縁によってどうとでも変わるんだから。
だから、そんな事をあてたよりにしないで、必ず助ける弥陀の真実心を
たよりとしよーよって事。自分の体験、心持ち、感動した事、真実だと信じてる事、
そりゃいろいろあるさ。俺にもあるように。
でもね、それらはどう転んでも、不定なもの、無常なもの。
ただ一つ無常じゃないのは、必ず助けるのご本願。
このご本願一つをたのみとしていこうよって事。機の深信、法の深信さ。


358:連華蔵世界
08/03/21 01:23:53 ZZxhnAGl
298さんと同じかはわかりませんが、御文の解釈は合ってますね。

じゃあ聞くけどあなた十八願の印くんでみてください。

意味わかりますか

359:298
08/03/21 01:23:57 VQT71Jqj
>>355
>大慈大悲の親様から、じかにお六字のまこと、この胸に頂きました大幸福者です。
>常によろこびまもりくだされる、阿弥陀様の光明の中に生かされて、
>御恩報謝のお念仏、称えさせて頂くばかりです。

「じかにお六字のまこと、この胸に頂きました大幸福者」とのことですが、
本当かどうか、もちろんご自身では、おわかりになるでしょう。
主語を書かれていませんが、この書き方では、ご自身のことを書いたことに
なると思いますよ。

お立場もあるでしょうけれども、弥陀の救いは、本当にあるのです。

後生の一大事は、ひとりひとりのものです。

人身獲たこの機会を、逃してしまうのは、もったいのないことです。

もちろん、いずれは、阿弥陀様が救ってくださるにせよ、
わざわざ、苦しみを増やす必要もありません。

そこまでご縁を得たのですから、六字に救われてほしいと、
私は思います。

秘事法門が何を言うのかと、聞き流してもらって構いませんが、
よくよく考えて頂けるなら、うれしいことです。

信をいただけば、仏法者となり、お聖教の読み方も、変わって参ります。

南无阿彌陀佛

360:298
08/03/21 01:26:49 VQT71Jqj
>>357
あくまでも、南无阿彌陀佛が信心の体となります。
自分の心がどうであろうと、それはどうでも良いのです。
そのような私たちから見れば、あなた様は、
自分の心で遊んでいるだけなのです。

>>352で御文様を引きました。よく読んでほしいと思います。

361:298
08/03/21 01:37:40 VQT71Jqj
真宗の方だけでなく、他宗の方でも、この教えは、
内心に秘める信心ですから、社会生活に支障がなく、
信を獲た後でも、まわりとの関係から、これまでの信仰を続ける方も
いらっしゃると思いますし、それでも、如来は捨てません。

他宗外道の信仰の場所で、「南无阿彌陀佛・・・」と言っていたらおかしいですが、
真宗であれば、「南无阿彌陀佛、南无阿彌陀佛」と大手を振っていえますし、
聖典も同じですから、拝読する機会があれば、うれしくいただけます。

一生にただ一度、どちらかの場所で、信心を獲てほしいと思います。

南无阿彌陀佛

362:神も仏も名無しさん
08/03/21 01:41:42 hZRcSFNy
らっきょの皮むき大会がはじまるのかな…

>>358
298さんと同じように、次第相承の善知識からいわれを聞かないと、
獲信できないという教えですか?
それは、やっぱり、神通力が関係しているんでしょうか?

>じゃあ聞くけどあなた十八願の印くんでみてください。
>意味わかりますか

何を仰っているやら、さっぱりわかりません。

363:神も仏も名無しさん
08/03/21 01:49:46 hZRcSFNy
>>359
>お立場もあるでしょうけれども、弥陀の救いは、本当にあるのです。

立場は、ぜんぜんないんですよ。ああもちろん、弥陀の救いは、本当にあります。

けれど、いかな善知識とはいえ、たとえ神通力をもっていようと、誰かが誰かに
浄土真宗の他力の信を「頂かせる」ことは、絶対にできないことを知っているのです。

そのような方法で獲る信は、
阿弥陀仏から頂く金剛の信心ではありません。破闇の光明によって心の闇が
破られることもないでしょうし、摂取の光明にもおさめとられることもないでしょうから、
それでは、信心決定ではないんですよ。


364:298
08/03/21 01:59:13 VQT71Jqj
>>363
>けれど、いかな善知識とはいえ、たとえ神通力をもっていようと、誰かが誰かに
>浄土真宗の他力の信を「頂かせる」ことは、絶対にできないことを知っているのです。

神通力はともかくとしても、次の御文様を、よく読んでください。

(「神通力」と言っても良いかと思いますが、あなた様にそのような言い方をすると、
誤解が広がるだろうと思います。おそらく、別のことを想像なさる気が致します。)

◎「その名号を聞く」といへるは、南無阿弥陀仏の六字の名号を無名無実にきくにあらず、
善知識にあひてそのをしへをうけて、この南無阿弥陀仏の名号を南無とたのめば、
かならず阿弥陀仏のたすけたまふといふ道理なり(御文1-15)

易行にて、心の闇が破られ、摂取の光明におさめとられるからこそ、
これなら凡夫も救われると、広める気持ちにもなるのです。

信じ難いことも、よくよくわかります。

疑うのも、当たり前だと思います。

お疑いになることは、よくわかりますけれども、「絶対にできないことを知っている」の根拠を、
検討なさってみてください。

親鸞聖人も、法然聖人に出会って、信をいただいています。

◎真宗紹隆の太祖聖人、ことに宗の淵源を尽し、教の理致をきはめて、
これをのべたまふに、たちどころに他力摂生の旨趣を受得し、
あくまで凡夫直入の真心を決定しましましけり(御伝鈔)

「あくまで凡夫直入」です。「聖人だからこそ」では、ないのです。

365:連華蔵世界
08/03/21 02:07:51 ZZxhnAGl
>>362
あ~そうでしたか、失礼しました。

 298さんと同じように、次第相承の善知識からいわれを聞かないと、
獲信できないという教えですか?
それは、やっぱり、神通力が関係しているんでしょうか?
 
 はあ、なんで神通力が出てくるのかなぁ~ここで説明するの大変です
ただし、例外もありますよ、目前にて弥陀を拝んだ人は浄土へいけるそうです
目の前にピッカピッカのまさしく黄金の如来を拝ませて頂いた方という意味です
法然さんや親鸞聖人、蓮如さんなどはまさに目前にて如来を拝見していたと聞いて
ます。
 知識からいわれを聞かないと獲信できない教えと言われましても、そのような
単純に表せられる事ではないですよ、ですので御文様を拝見してくださいと298さん
はおっしゃていると思いますよ。

先ほどは突然でてきて暴言を吐いたと批判されることにはお詫びします
わたしは最初からこのスレを見ている者で、こうやってたま~に書いたりして
いますよ、名前は違うけど。




366:神も仏も名無しさん
08/03/21 02:15:23 hZRcSFNy
298さんのまわりにおられるのは、そうやって獲信されたかたばかりなんでしょうか。
それ以外の方法で、信心決定された方を見たことがない?

だったらもしかして、他力の信心というものそのものを、誤解していらっしゃるかもしれません。

私は、私の善知識から聴聞させていただき、
阿弥陀仏と遇わせて頂くことができたのです。
だからわかるのですよ。代官は、必要ないということが。

そして、これは阿弥陀仏と私との間のことであり、何者も、最後の最後、
その手助けをすることはできないのだということが、わかっているのです。
いっさいが、阿弥陀仏のなされてくださったことです。

367:神も仏も名無しさん
08/03/21 02:19:31 hZRcSFNy
>>365
そうなんですか。それはこちらこそ失礼いたしました。
このスレッドの先輩ですね。

神通力、というのは、>>260>>261でそのようなことが
書かれていたからで、他意はありません。

今日は遅いので、これにて失礼いたします。

368:298
08/03/21 02:21:47 VQT71Jqj
>>366
特に掟とかがなくて、獲得のことを表しても良いのであれば、
ぜひ詳しくお伺いしてみたいです。

おそらく、「一心に」に関することだと思うのですが、(あるいは、機を見つめる)
差し支えなければ、ぜひ、ご自身の体験を、ご紹介いただけるならば、うれしいです。

369:298
08/03/21 02:22:18 VQT71Jqj
>>367
お休みなさいませ。
また、お時間のあるときに、書いて下さることをお待ち申し上げております。

370:7
08/03/21 08:53:45 jQAj402N
おはようございます。18願の印ですか・・・南无阿彌陀佛の六字にこもっていますよね。だとすれば同行の方ですね。
嬉しくなります。

371:神も仏も名無しさん
08/03/21 08:54:16 WEec18io
>>349
> ですから、救われたからと何もしないのではなく、自らを警戒し、
> なるべく善行してゆこうと、そして何より、御恩報謝の南無阿弥陀仏を称えてゆこうと思うのです。

これが他力の信を獲たと公言する方の言葉ですか?
自力作善そのものじゃないですか!

372:神も仏も名無しさん
08/03/21 09:03:23 6XBfHccD
在家真宗VS職業真宗の対決だな。
どちらも正しく、どちらも間違い。

373:7
08/03/21 09:17:39 jQAj402N
>>371 不断煩悩即涅槃であり、さるべき業縁の催せばいかなる振る舞いもすべし、ですから。
    信後も善行を励もうとされる298様を尊敬いたします。
    南无阿彌陀佛は無上善、これ以上足す善もなければ妨ぐる悪もありません。
    往生の因として善行しようとか、称名しようというわけではありませんから、他力の信とは矛盾しないでしょう。

374:神も仏も名無しさん
08/03/21 10:47:10 7nBnOw9Z
はなから拒否感をもって対話に臨めば、何に対しても否定的に受け取りがちに
なってしまうかもしれません。
お互いに気をつけなければなりませんね。

375:笑いのマートル
08/03/21 10:53:02 oQTYHYh+
往生の因としての善行が『あの』南無阿弥陀仏ですから。
満願成就の南無阿弥陀仏を私達も体験していると言う事です。
南無阿弥陀仏の行を次第相承の善知識に教えて貰ったに過ぎません。
私から何もしていない、南無阿弥陀仏に仕立てて貰った故に、他力です。
自分の力など一つも無かったです。

376:298
08/03/21 11:06:02 VQT71Jqj
>>371
◎聖教のをしへをもみずしらぬ、おのおののやうにおはしますひとびとは、
往生にさはりなしとばかりいふをききて、あしざまに御こころえあること、
おほく候ひき。いまもさこそ候ふらめとおぼえ候ふ。浄土の教もしらぬ信見房などが
申すことによりて、ひがざまにいよいよなりあはせたまひ候ふらんをきき候ふこそ
あさましく候へ(御消息)

◎まづ開山聖人の定めおかれし御掟のむねをよく存知すべし。
その御ことばにいはく、「たとひ牛盗人とはよばるとも、仏法者・後世者とみゆるやうに
振舞ふべからず。また外には仁・義・礼・智・信をまもりて王法をもつて先とし、
内心にはふかく本願他力の信心を本とすべき」(御文3-11)

「外には仁・義・礼・智・信をまもりて王法をもつて先」というのは、雑行であり、
善行です。(仏法で言うところの善行為というよりは、世間での「善」だと思います。)

一方、

◎されば聖人のいはく、「たとひ牛盗人とはいはるとも、もしは後世者、もしは善人、
もしは仏法者とみゆるやうにふるまふべからず」(御文2-2)

この「善人」というのは、「みゆる」とありますように、わざわざ善行を人目につくように
やろうとすることは避けましょう、ということだと思います。

◎それ出世の法においては五戒と称し、世法にありては五常となづくる仁・
義・礼・智・信をまもりて、内心には他力の不思議をたもつべきよし、
師資相承したてまつるところなり(改邪鈔)

371様は、自力作善を、悪しき事として教わっているのでしょうか。
私たち凡夫の自力作善は、その功徳では、浄土往生に満たないだけであり、
それでも往生定めていただいたのですから、そのかたじけなさに、
できないなりに、善行励んでゆくのも、良いことだと思いますよ。信後は、それも他力と受け取ります。
「そんなことする自分じゃなかったのに・・・」ということです。

377:298
08/03/21 11:10:06 VQT71Jqj
>>370
そうですね、南无阿彌陀佛には、往生に必要なものが、揃っていますね。
善知識の導きのもとに、六字を称えれば、極楽往生治定です。
そうして、六字と一体となるのが、この道であると思います。

378:神も仏も名無しさん
08/03/21 11:30:14 hZRcSFNy
多くのお寺さまが、失ってしまった、救いは本当に今現在にあるんだという教え、
阿弥陀仏のご本願の教え、在家にこういうかたちで受け継がれていたんですね。
感動しました。

ただ、そういった人為的な儀式、しきたり、組織によって保たれるのは、
真の阿弥陀仏から頂く、本当の南無阿弥陀仏ではないということ。

わたしたちひとりひとりが、
阿弥陀様から、じかに南無阿弥陀仏を胸に受け取り、
誰に確かめてもらうことも、保障してもらうことも要らない、
死に際しても決して崩れることのない安心の身になることが、
阿弥陀様の本当のお誓いです。

臨終に向かうとき、必ず誰の心にも底知れない暗闇、さびしさ、苦しみが沸いてきます。
でも、それは本当は遠い明日のことではない、地獄は遠い先のことではない、
いまここのこの身にあるんです。
阿弥陀様は、遠い昔から、そういう私たちをお見通しで、
そのまま来い、必ず救うとお呼びづめでいてくださるのです。

ありがとうございます、
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

379:298
08/03/21 11:33:49 VQT71Jqj
>>378
もちろん、ひとりひとりが、阿弥陀様から、じかに真実信心をいただきます。
どうして、わざわざ誤解しようとなさるのでしょうか。
「偽物である」という前提、先入観があるのでは、ありませんか?

真宗の救いは、血脈となり、あちらこちらに伝わっていると、
私は思います。

いずれにしても、相承無ければ、いたずら事です。

南无阿彌陀佛

380:神も仏も名無しさん
08/03/21 11:36:42 hZRcSFNy
>>368
>おそらく、「一心に」に関することだと思うのですが、(あるいは、機を見つめる)
>差し支えなければ、ぜひ、ご自身の体験を、ご紹介いただけるならば、うれしいです。

凡夫の体験を紹介することには、あまり意味はありません。
同じ体験をすれば…このように思えば…このようになれば…の、
自力信心のよりかかり場所になるからです。
それでも、機会があればお話させて頂くこともあるかと思います。

必要なことは、わたしたちひとりひとりが、ご本願のとおりになること、
南無阿弥陀仏のまことを胸に頂き、光明の中におさめとられ、私たちも安心、
阿弥陀仏にも安心していただくこと、それだけです。


381:神も仏も名無しさん
08/03/21 11:43:28 hZRcSFNy
よく知らぬことも多い身ゆえ、在家信者のかたたちに、失礼な物言いがあったら申し訳ないです。
ただ、

>いずれにしても、相承無ければ、いたずら事です。

これは、あやまりです。極楽往生のために、相承は必要ありません。
必要なのは、阿弥陀仏から頂く、真実信心ひとつです。
これはささやかな私の知識や智慧や了見でいうのでない、
仏様のまことです。

>「偽物である」という前提、先入観があるのでは、ありませんか?

誰かが誰かに「信いただかせることができる」と言うこと自体が、偽者であるという証拠なのです。
そのようにして伝統が守られてきたのだということは理解できますが、それは、まちがいです。


382:298
08/03/21 12:02:52 VQT71Jqj
>>381
>これは、あやまりです。極楽往生のために、相承は必要ありません。

相承については、お聖教にも各所に出てきますが、
なぜ、あなた様から、このように断言できるのでしょうか。

>>380
>凡夫の体験を紹介することには、あまり意味はありません。
>同じ体験をすれば…このように思えば…このようになれば…の、
>自力信心のよりかかり場所になるからです。

では、結局、掟があるのと同じようなもので、
経験については、お話できないということなのですね?

私としては、ぜひお伺いしたいと思っています。

383:298
08/03/21 12:04:50 VQT71Jqj
>>381
>誰かが誰かに「信いただかせることができる」と言うこと自体が、偽者であるという証拠なのです。

これも、何かお聖教に根拠はあるのですか?

そちらで法話を聞いて、信じ込んでいるだけではありませんか?

よく、ご確認ください。

384:神も仏も名無しさん
08/03/21 12:27:06 hZRcSFNy
相承あろうと人です、凡夫のひとりです。

人が、人に頂かせることができるものは、すべて人の信です。
どんなに大切に丁寧に守り、環境を整えて堅固に固めても、人の信は必ず崩れます。

凡夫が凡夫に信心を頂かせることができる、と信じながら、
阿弥陀仏のご本願力が、相承なしには届かないと思っている、

そのすがたこそ「さかさま」なんです。

>これも、何かお聖教に根拠はあるのですか?

「今この弥陀をたのめということを御教え候〈そうろう〉人をしりたるかと仰せられ侯。
乃至、此の事を教うる人は、阿弥陀如来にて候。」(御一代記聞書)


385:神も仏も名無しさん
08/03/21 12:46:47 M2at9OxQ
>360
わたしたちから見たらって、煩悩罪濁の仲間たちの目から
見たらって事ですよね。何ぞそんなものをたよりに、
レスを付けるのかなー。たよりとなるのは、「必ず助ける」ご本願だけなのに。
御文の件は、その通りでしょ。一向一心といい、信心決定といい、
「今宵は身にも余りぬるかな」だよね。私の心で、盗った盗らぬと、
はからう問題じゃないって事。
また、仏の歓喜はそりゃ、凡夫の喜びとは、一味どころか、
天と地ほど違うよね、お悟りの上の歓喜なんだから。
煩悩成就凡夫人の喜びなんて、転倒した喜びだよね。
五欲が満ちたら、勝手に喜ぶ。この御文さまは、
凡夫の五欲を満足させるために書かれたものなのかなー。
もしそうであれば、蓮如さまは仏教じゃないって言われちゃうね。


386:298
08/03/21 13:18:01 VQT71Jqj
>>384
その聞書は、私たちが勝手につくった法ではなくて、
阿弥陀如来が教えてくださった法である、ということではありませんか?

断言して否定する根拠としては、弱いと思います。

もし、そこを根拠にされるなら、
あなた様がおっしゃている、「善知識は、弥陀をたのめと教える人である」ということまで、
否定されてしまうと思いますよ。

南无阿彌陀佛

387:298
08/03/21 13:23:30 VQT71Jqj
いずれにしても、>>384様は、次第相承の善知識の浅からざる御勧化の御恩は、
あまり感じていらっしゃらないで、弥陀直通の御恩を奉じていらっしゃるということですよね?

もちろん、私も、如来には、ふかく感謝しております。

善知識がいらっしゃることも、如来様のおかげです。

地上に法が現されましたのも、釈迦牟尼如来として、応現くださったおかげです。

領解文も、誠にありがたく、蓮師にも、感謝申し上げます。

附属しております文如上人の御教戒も、よくよくご拝読いただけたらと思います。

少なくとも私たちは、領解文と一致しない信を、他力信とは認めないのです。

南无阿彌陀佛

388:笑いのマートル
08/03/21 13:24:05 oQTYHYh+
五重の義に善知識が含まれているのに、
その善知識を無視したら、五重の義が揃わなくなりますよ。
何故、蓮師が善知識を五重の義に含めたのでしょうね。

389:298
08/03/21 13:27:54 VQT71Jqj
>>385
相変わらず、他者には不可知を言い、
ご自身は、正しいとの御主張を繰り返されていると思っております。

いつか、気付いてくださることを、願っております。

御文様も、ただ読み流すのではなく、よくよく、読んでほしいです。

よくわからなくても、八十通の原典を繰り返し音読していただければ、
見えて来るものがあるだろうと思います。

>>352に引きましたように、蓮師は、「念仏だにも申す」と、「正雑の分別をききわけ、
一向一心になりて、信心決定のうへに」を、分けて書いていらっしゃいます。

この差がよくわからないなら、未安心ということだと、
謙虚に受けとめねばならぬところだと思います。

南无阿彌陀佛

390:神も仏も名無しさん
08/03/21 13:52:04 WEec18io
>>388 
五重の義

往生浄土のための五種の因縁。
他力信心獲得の過程を示したもの。
宿善・善知識・仏の光明・信心・名号の五。
宿善によって善知識にあい、本願の法を聞き、光明のはたらきによって信心獲得の身となり、他力の信心を得れば必ず名号が称名念仏として出てくるという意。
蓮如上人は『口伝鈔』『執持抄』『浄土見聞集』などにみられる文義によってこの五重の義を立て、他力信心の由来を示し、十劫安心、善知識だのみといったあやまった見解をただされた。

391:神も仏も名無しさん
08/03/21 14:05:48 7nBnOw9Z
善知識をたのむのであれば、当然異安心ですが、善知識の教えの下に
弥陀をたのむのであれば、別に不審なこともないと思います。
ただ、印象として、なにかアヤシゲなものを想像してしまうんですよね。
一度そう思ってしまったら、そこらへんを払拭するのは難しいかも、です。

392:298
08/03/21 14:49:03 VQT71Jqj
>>391
アヤシゲなものを想像するのも、無理ないことですし、
実際アヤシゲなことをやる場所も、たくさんあるだろうと思います。
正法に辿り着くのは、困難なのです。
ですから、獲信者にお会いして、そのときの感触や感覚で、
判断することになるだろうと思います。

◎しかるに宿善開発する機のしるしには、善知識にあうて開悟せらるるとき、
一念〔も〕疑惑を生ぜざるなり。その疑惑を生ぜざることは、光明の縁にあふゆゑなり(口伝鈔)

とありますように、不思議なことですが、いかにもアヤシイはずなのに、
なぜか疑惑が出ない、という場所を探します。

そして、正法を伝える場所であっても、宿善開発前であれば、見事に疑惑が出るのです。

つまり、疑惑が出るにも、二通りあります。

1)偽物だから疑惑が出る
2)宿善開発前だから疑惑が出る

どちらであるかも、自ら感じてゆきます。

南无阿彌陀佛

393:神も仏も名無しさん
08/03/21 15:12:45 SgxORvrG
次第相承の善知識も掟も知らない門徒って多いんだね。びっくりした。
お寺さんでもそういとこちゃんと伝える場所あるのにね。
無帰命安心の人もいるみたいだし。

394:298
08/03/21 15:19:06 VQT71Jqj
>>393
知っている方からすれば、「お聖教に書いてあるじゃないか」のようなことで、
当たり前のことなんですけれども、はじめに違うことを教わると、
それが刷り込みになってしまうのだと思います。

だからこそ、伝えて行く価値があると思っています。

われらが往生すべき他力の信心といふいはれをしらなければ、
いたずら事であると、御文様にもありますのにね。

395:神も仏も名無しさん
08/03/21 16:41:52 VSB9R1he
俺は本願寺派の先生方から、
本願成就の南無阿弥陀仏を教えて頂いたんだがなぁ。

本願寺派は現生正定じゅを伝えているぜ。
今、ただいまの救いを説いているのが本願寺派なんだよ。

396:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/03/21 16:44:22 zdGKg8ZC
>>394
>だからこそ、伝えて行く価値があると思っています。
 ほんとうですね。本当のことこそ伝えていく価値があるんですよね。

>われらが往生すべき他力の信心といふいはれをしらなければ、いたずら事であると、御文様に
もありますのにね。

 そうですね。

> 205
> そして、五念門、五正行に従うたのみ方ですから、ひとつひとつ、お聖教に根拠がありますよ。
それだけでなく、現証があるから、次第に、納得してゆきます。絵に描いた餅ではなく、体験で
きるものです。

 五正行に従うたのみ方?はて?お聖教に根拠がある? はて? それはきっとどなたかが絵に
描いてくだっさお餅を298さんはご覧になったんでありましょうね(微笑)

> 信をいただいてから拝読するお聖教は、また、格別なものです。

 298さんも、われらが往生すべき他力の信心といういわれをきちんと教われると、絵に描い
た餅以上の格別な喜びが湧いてくると思いますよ。
 それでは、具体的なことは、次第相承の善知識にお聞き下さい(>>140)。

397:神も仏も名無しさん
08/03/21 16:44:59 tcQMFwop
>>393
どこのお寺ですか?参考までにお聞かせください。

あ、秘密なんでしたっけ。

398:神も仏も名無しさん
08/03/21 16:49:22 tcQMFwop
これまで明らかにされてきた真宗は偽真宗。偽信心ってことですよね。
そりゃショックですよ。

399:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/03/21 16:49:53 zdGKg8ZC
>395
 効能書きを力説するばかりで、ちっとも処方箋が出ない
先生ではありませんでしたか。

400:神も仏も名無しさん
08/03/21 16:52:02 tcQMFwop
>>399
渡海さんこんにちは。

401:神も仏も名無しさん
08/03/21 16:57:15 C/CFksLM
仕事探せよニート海難
いい年こいていつまで宗教ごっこやってるんだよ

402:7
08/03/21 17:02:02 jQAj402N
頂いた信心が本物か偽かは、お聖教で確認していくしかないと思います。御文様は、信心の「鏡」です。

いかなる「現証」と思える体験があろうとも・・・御文様に合わねば、真宗とは呼べないと思います。

403:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/03/21 17:09:18 zdGKg8ZC
>400
こんにちは。 

404:298
08/03/21 17:30:38 VQT71Jqj
>>398
必ずしも、そうとは限らないと思います。
「これまで明らか」というと、すべてが含まれてしまうからです。
掟を守った上で、一般に話せる内容が、明らかにされてきている場合もあるはずですから、
明らかにされてきたものがすべて偽信心には、ならないと思います。

「明らかにされてきた内容だけでは足りない」というだけで、
その先があるということです。

◎しかれば今日よりのちは、他力の大信心の次第をよく存知したらんひとにあひたづねて、
信心決定して、その信心のおもむきを弟子にもをしへて、
もろともに今度の一大事の往生をよくよくとぐべきものなり。(御文1-11)


真宗では、門徒が先に信を獲ることもあるということが、
おもしろいことです。

◎ある御門徒衆に御尋ね候ふ。そなたの坊主、心得の直りたるをうれしく存ずるかと
御尋ね候へば、申され候ふ。まことに心得を直され法義を心にかけられ候ふ、
一段ありがたくうれしく存じ候ふよし申され候ふ。そのとき仰せられ候ふ。
われはなほうれしく思ふよと仰せられ候ふ(聞書116)

405:神も仏も名無しさん
08/03/21 17:38:34 tcQMFwop
>>404
そうでしょうか?これまで明らかにされている真宗信心には
掟や無宿善の機に沙汰しないものなどないことが前提だと思います。
最初から秘密の教えがあって師資相伝、必ず師について面授をうけ、
禅の印可のように獲信するんですよ、と最初から説明されているのなら
構わないのです。

そんなものはないと思っていたのが、
宿善ありとみなされた時点で突然ある、といわれるとしたら
それまでの教えはうそだったのか、と困惑するばかり、
ということにならないでしょうか。

406:神も仏も名無しさん
08/03/21 17:43:11 tcQMFwop
無宿善もいるかもしれない誰でもの法話では説明しない、
宿善あるものは必ずたずねてくるはずだ、ということは
法話は宿善をみるための篩のようなものということにも思えます。
それならそうと最初から言ってほしいな、と思うんです。



407:神も仏も名無しさん
08/03/21 17:50:13 M2at9OxQ
>389
気付いていただけると願われてもねー。
気付いても、凡夫の気付きの外には出られないし。
煩悩で気が付いた事が浄土往生の役には立たないね。
あと、あなたの願いも阿弥陀さまの願いじゃないから、不真実の願いだね。
願い下げだよー。そんな事思うも、願うも、面々のおはからい事。
しちめんどくさい事を言われても、
俺は末代無知の在家止住の身だから、理解できないです。
一言で言ってみればいいじゃん。
>402
御文どころか、和讃にも、教行信証にも、和語聖教にも合わなきゃダメだね。
どっちかと言えば、親鸞聖人に合わせなけりゃ、
御文の意味も曲解する事になりがちかもね。
五重の義だって、親鸞聖人の意に合わせて読まないとね。
親鸞聖人はそんな事言われてないのだから、なおさらさ。


408:神も仏も名無しさん
08/03/21 18:01:50 M2at9OxQ
>398
別にショックでも何でも無いんじゃないかなー。
自力信だから迷うんでしょ。私に真実ありって信ずるから、
嘘だって言われたらショックなのさ。最初っから嘘の固まりだからね。
だから、凡夫と言われるわけだよね。箸にも棒にもかからないのに、
まだ自心をたのんでいるから、足元が崩れていく思いをするのさ。
それでお聖教で足場固めをしようとはからう。
そうなっちゃうと、我が心をたのむ心から、
抜け出し難くなっちゃうのさ。因果で考察すれば、そういう事。

409:神も仏も名無しさん
08/03/21 18:14:03 VSB9R1he
408さんは良い事言うわ!

俺も無帰命安心って言われようが構わねー
だって帰命しようとするものは俺には無いから

みんな南無阿弥陀仏が成し遂げてるよ

410:神も仏も名無しさん
08/03/21 18:28:09 M2at9OxQ
ついでに、善知識について。善知識は弥陀の代官、弥陀の使いさ。
でも、それは「一向一心に弥陀をたのめと勧めるばかり」
と言う前提のみにおいて、弥陀の代官と言えるのさ。
だから、他の条件や、その人の煩悩で造り上げた事を主張しても、
従わない事だね。ご法話を聴聞するも、かどを聞けと言われるし。
仏の御心以外の、しちめんどくさい事に、何の価値がある?
まあ、こんな考え方もあるのかーと参考にはなるだろうけど、
明日ありと~の私、暇を持て余してるわけでもなかろ。
南無阿弥陀仏

411:7
08/03/21 18:30:18 jQAj402N
我が機ばかり見てどうするのでしょう。機は問われない救いですよ。

帰命するすがたも、阿弥陀様から賜るのだから、他力ではないですか。

412:神も仏も名無しさん
08/03/21 18:38:48 VSB9R1he
帰命と言うよりも
全てを成し遂げられた
南無阿弥陀仏をあてにする、ってえ事かな!

それが俺の中で味わっている、他力回向の信心だな!

413:298
08/03/21 18:45:31 VQT71Jqj
>>407
>しちめんどくさい事を言われても、
>俺は末代無知の在家止住の身だから、理解できないです。

>御文どころか、和讃にも、教行信証にも、和語聖教にも合わなきゃダメだね。

相手に合わせて、このように主張を使いわけていますね。

他者は「はからい」と否定し、自らの「はからい」は肯定する構造も、
いつもの通りですね。

「合わなきゃダメ」なのは、その通りだと思います。
ですから、どこが合わないかを、引用していただけると、助かります。
(私自身、お聖教に合う信心を求めていて、
信後も信心の沙汰を続けたいですし。)

「御文、和讃、教行信証、和語聖教」のすべてに合わせるのであれば、
御文に合わなければ、問題外になるのではありませんか?

414:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/03/21 19:01:32 zdGKg8ZC
>413
>どこが合わないかを、引用していただけると、助かります。

 まあ、こういうことを言うなら、
> 具体的なことは、次第相承の善知識にお聞き下さい。(>140)
 こういうことは言うべきではないな(苦笑)。


415:神も仏も名無しさん
08/03/21 19:08:14 M2at9OxQ
>411
我が機ばかり見てる?誰が誰を見てるの?
仏智見によって、韋提夫人を代表に、心想ルイ劣の凡夫と見られたのだから、
その通りに頂くしかないでしょー。
私が煩悩で見た私のすがたじゃないんだから。
それとも、あなたは仏智見を信じないのかな?
仏が煩悩成就の凡夫と見られたの。そして、その私を必ず救うと仰って下さる。
仏の一心以外に何をたのむのさ。信心決定した人が、
仏智疑惑の自力にまかせて、おかしな事言わないの。メッ。


416:神も仏も名無しさん
08/03/21 19:17:46 M2at9OxQ
渡海さん、パクってすみません。
>413
業縁がもよおせば、私が善知識と仰がせていただいておりますお方に
めぐりあえる事でございましょう。そのお方に聞かれるとよいですよ。
幸い、インターネットの時代でもございます。
お求めになられるお方にとっては、
大変ありがたい時代となりました。ぜひ、ご自身でお求め下さいますよう。
南無阿弥陀仏

417:298
08/03/21 19:31:07 VQT71Jqj
>>416
では、「合わない」とは言っても、具体的な箇所が思い浮かぶのでは無いと
いうことなのでしょうか。

そもそも、あなた様の信心は、御文様と合わない箇所がたくさんあるはずですが、
それらは「はからい」ということで、捨てていらっしゃるわけでしょう?

御文様と合わなければ、御本典とは、なおさら合わないと思いますが・・・

わけのわからない所ばかりではありませんか?

>>415
仏の一心をたのんだと、どうやって認識しているのですか?
相変わらず他者は否定して、ご自身は「その通りにいただいている」の繰り返し。
あなた様の言う信心の沙汰というのは、
具体的な内容を伴わない気がします。

お聖教を示すでもなし、自身の獲信の体験を語るでも無し。

他者は「はからい」と否定して、自身の「はからい」は「正しい」と主張するばかり。

何もわからぬ凡夫にしては、他者は「間違っている」とわかるのですね。

418:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/03/21 20:03:18 zdGKg8ZC
>140
> 具体的なことは、次第相承の善知識にお聞き下さい。

 では、「南无阿彌陀佛と一体になる」とは言っても、具体的な箇所が思い浮か
ぶのでは無いということなのでしょうか。
 そもそも、あなた様の信心は、御文様と合わない箇所がたくさんあるはずですが、
それらは「はからい」ということで、捨てていらっしゃるわけでしょう?

 御文様と合わなければ、御本典とは、なおさら合わないと思いますが・・・
わけのわからない所ばかりではありませんか?

                                  (苦笑)


419:神も仏も名無しさん
08/03/21 20:17:08 SgxORvrG
宿因多幸にして、本朝念仏の元祖黒谷聖人に謁し奉りて、出離の要道を問答す。
授くるに浄土の一宗をもってし、示すに念仏の一行をもってす。
自爾このかた、聖道難行の門を閣きて浄土易行の道に帰し、忽ちに、自力の心を改めて、偏に、他力の願に乗ず。
自行化他、道綽の遺誡を守り、専修専念、善導の古風に任す。見聞の道俗随喜を致し、遠近の緇素、皆発心す。
ここに、祖師、西土の教文を弘めんが為に、遥かに東関の斗藪を跂てたまう。
暫く常州筑波山の北の辺に逗留し、貴賎上下に対して末世相応の要法を示す。
初めに、疑謗を成す輩、瓦礫荊蕀の如くなりしかども、遂に改悔せしむるの族、稲麻竹葦に同じ。
皆邪見を翻して、悉く正信を受け、共に偏執を止めて還りて弟子と為る。

法然様に浄土の法門を聞いてたちまちに正信になって関東で教えを広めれば邪見の者ことごとく正信を頂いたのね。親鸞様すごいね!!
今は何十万人も真宗聞いてて決定者ほとんどいないのおかしいね。

420:神も仏も名無しさん
08/03/21 20:22:25 tcQMFwop
>>408
そうでしたね。凡夫が自分の心を固めても詮無いことでした。

421:神も仏も名無しさん
08/03/21 20:25:21 tcQMFwop
はて?この心も自力だな。困った。

422:298
08/03/21 20:57:11 VQT71Jqj
>>406
六字のいわれを聞き開き、信をいただきましたとき、
「それまでの教えがうそ」というよりも、
「それまでわからなかった謎が解けた」という感じになると思います。

真宗には、示談もありますので、法話のかどを聞き、
示談にて信心の沙汰を行ってゆけば、
求めている方に対しては、いずれお手引きがあるはずだと思います。

ですから、「篩のようなもの」と言えば、正にその通りだと思いますが、
この「篩」というのは、行者の側から背を向ける篩です。

「ざるで水をすくうようなもの」とも言われます。

何も言わなければ、気付きようがありませんので、
御文様でも「知っている人に尋ねよ」のような意味の内容が出て参ります。

>最初から秘密の教えがあって師資相伝、必ず師について面授をうけ、
>禅の印可のように獲信するんですよ、と最初から説明されているのなら
>構わないのです。

かなり思い切った説き方だと思いますが、
私が2chで書いていることは、この内容に近いです。

実際、こういう書き方をしている真宗の本もあります。

そう説かれて、すっと納得される方も、やはりそれまでの経験があるからだと思います。

方便は、いろいろあるかと思います。

ひとりでも多くの方が、信を獲ることを望んでおります。

423:298
08/03/21 21:00:21 VQT71Jqj
>>419
親鸞様すごいですね!!

易行ですから、あっという間に、ぐんぐん決定者が生まれても
おかしくないわけですが、現状は、そうではないのでしょうから。

疑謗を成す輩が変わってゆくのが、さすが親鸞様です。

424:298
08/03/21 21:04:09 VQT71Jqj
>>421
「この心も自力」とわかれば、
八方ふさがりと、いずれわかるかもしれないと思います。

そのようにして、宿善は開発されてゆくものだと思います。

最後には、弥陀をたのむしかありません。

425:298
08/03/21 21:13:30 VQT71Jqj
>>418
「南无阿彌陀佛と一体になる」というのは、「機法一体の南無阿弥陀仏」の言い換えであると、
以前書きました。
また、「南無阿弥陀仏の主になる」という言い方も、お聖教に出て参ります。

◎弥陀をたのめば南無阿弥陀仏の主に成るなり。南無阿弥陀仏の主に成るといふは
信心をうることなりと云々。また、当流の真実の宝といふは南無阿弥陀仏、
これ一念の信心なりと云々(聞書237)

この御文も名文であると思います。もう一度引きます。

◎当流の真実の宝といふは南無阿弥陀仏、これ一念の信心なり(聞書237)

私が主張していることは、御文様と「合う」ということです。

そして、「御文様と領解が合う信心を探しましょう」ということを、
繰り返し書いています。

それが納得行かない方は、私とは、考え方が違います。

御文様と合わないところあれば、御文様を捨てるのではなく、
御文様と割符が合う信心を探し直すということです。

御文様と合うわけですから、御本典とも合うのです。

南无阿彌陀佛

426:笑いのマートル
08/03/21 21:22:13 oQTYHYh+
処方せんを読んだって病気は治りません。
南無阿弥陀仏の願薬をひと飲みすれば病気は治ります。
難しいことは何も無いんですがね。
皆さんは、南無阿弥陀仏の願薬を毒だと思っている。
もしくは、処方箋やらの効能書きを見て安心してしまっている。
薬を飲まなければ病気は治りません。
六道輪廻を繰り返す病気は、南無阿弥陀仏にしか治せないんてすすよ。
なにせ諸仏が見放した衆生ですから、
南無阿弥陀仏が、我が救うとお誓いを立てて下さった、
願薬を飲むしか仏になれる道はないです。

427:笑いのマートル
08/03/21 21:31:56 oQTYHYh+
極楽に行く因が、南無阿弥陀仏の菩薩行。
どんな極悪人でも救える方法を編み出して下さったから、
五重の義に従っただけで済む事です。
あまりにも簡単で疑いも出てしまうのでしょう。
掟によって守られているから、
まるで秘密結社の様に見えてしまうのでしょう。
南無阿弥陀仏の仏国を望めば自然に導かれて行くと思います。
眼を背けているのは誰でもない、自分の方だと気がつけば、
阿弥陀仏は、こちら側を見ているのですから、
先ずは、阿弥陀仏の法を見る事です。

428:神も仏も名無しさん
08/03/21 21:38:22 SgxORvrG
それ、一向専修の念仏は、決定往生の肝心なり。
これすなわち『大経』のなかに弥陀如来の四十八願をとくなかに、第十八の願に念仏の信心をすすめて諸行をとかず、
「乃至十念の行者かならず往生をうべし」ととけるゆえなり。
しかのみならず、おなじき『経』の三輩往生の文にみな通じて「一向専念無量寿仏」とときて「一向にもっぱら無量寿仏を念ぜよ」といえり。
「一向」というは「ひとつにむかう」という、ただ、念仏の一行にむかえとなり。
「専念」というは、「もっぱら念ぜよ」という。ひとえに、弥陀一仏を念じたてまつるほかに、二つをならぶることなかれとなり。

ということですね。

429:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/03/21 21:47:35 zdGKg8ZC
>425
 はて?

> 「南无阿彌陀佛と一体になる」というのは、「機法一体の南無阿弥陀仏」の言い換えである

 餡と皮が一体の饅頭とは、饅頭と一体になると言うことでしょうか?何が饅頭と一体になるん
でしょうね。

> また、「南無阿弥陀仏の主になる」という言い方も、お聖教に出て参ります。

 饅頭を買ってきた。わたしは饅頭の主になった。これは饅頭と一体に
なったということでしょか?

>それが納得行かない方は、私とは、考え方が違います。

 非常に興味深いお考えですね。

> 御文様と割符が合う信心を探し直すということです。

 どうぞお探し下さい。

430:298
08/03/21 21:55:03 VQT71Jqj
>>429
渡海様は、六字と一体になった経験もなければ、そのような信心を求めるつもりも現在は無い、
ということだと思います。

431:298
08/03/21 22:02:51 VQT71Jqj
>>429
>餡と皮が一体の饅頭とは、饅頭と一体になると言うことでしょうか?何が饅頭と一体になるん
でしょうね。

饅頭は、あまり良いたとえではないと思います。
饅頭と一体になったら、饅頭になるということです。
南无阿彌陀佛と一体になるというのは、機が法と一体になるのですから、
自分自身が、南无阿彌陀佛そのものになるということです。


>> また、「南無阿弥陀仏の主になる」という言い方も、お聖教に出て参ります。
>饅頭を買ってきた。わたしは饅頭の主になった。これは饅頭と一体に
なったということでしょか?

違います。行ずると、一体になるのです。

つまり、「主になる」ということと、「一体に成る」ということは、
矛盾せず、同じことであり、両立します。

南无阿彌陀佛

432:7
08/03/21 22:06:23 6R38xgoO
渡海さん、お元気そうで良かったです。

十八願は、本当に、本当に易行でしたよ。お聖教、そのまんま、でしたよ。

どうぞ、大悲の願船に乗じて下さい。

捜し求めて辿り着けば、本当に後はあっという間なのです。


433:7
08/03/21 22:31:33 6R38xgoO
嬉しい時に 南无阿彌陀佛

落ち込む日にも 南无阿彌陀佛

寝ても覚めても 南无阿彌陀佛

転悪成善 南无阿彌陀佛

無碍の一道 南无阿彌陀佛

南无阿彌陀佛

434:神も仏も名無しさん
08/03/21 22:58:48 VSB9R1he
南無阿弥陀仏を思わぬ時も

南無阿弥陀仏をとなえない時も

南無阿弥陀仏に包まれているよ

光明名号南無阿弥陀仏

435:神も仏も名無しさん
08/03/21 23:01:14 VSB9R1he
決定摂取の南無阿弥陀仏

436:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/03/22 00:54:22 s4FOLEaT
>>431
「おい。きいたかよ?。ついになっちゃったんだってよ?」
「なっちゃったって、なにさ?」
「わかってるじゃねぇか。仏様にだよ。」
「だれか死んだか。」
「違うよ。生き仏様だよ。」
「イキボトケ!? (゜∇゜ ;)エッ!? だれが。」
「決まってんじゃねぇか。298だよ。」
「え~ぇ?。298がイキボトケ!?」
「そうよ。阿弥陀様になっちまったんだよ」
「マサカ!?」
「本当だよ。いま、ニュースで大騒ぎしているよ。」
「するってぇと、これから俺たちは、298に、m(_ _;)mうへぇーとしなければならんの
か?」
「あたりめぇだよ。何て言っても阿弥陀様は諸仏の師匠だ。298に言わせると、お釈迦様より
偉いそうだ。」
「っげ!。なんでそんなことになっちゃたんだよ?」
「じつはな。称えちゃったんだってよ」
「何を?」
「念仏だよ」
「念仏?」

437:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/03/22 00:54:53 s4FOLEaT
「そうだよ。南無阿弥陀仏は機法一体だろう。だからよ。阿弥陀様と一体になるんだってよ。阿
弥陀様と一体になったから、298は阿弥陀様になったんだってよ」
「うぇー。悲劇だな。何かというとすぐムキになり、噛みついてくるあの298が阿弥陀様に成
っちゃったって。サイテーの悲劇だな。」
「そうよ。だから、いま国連でも大騒ぎよ。何と言っても、お釈迦様以来、長い間、仏様が出な
かったろう。それで、ここにきて急に登場したわけよ。世界的にもこれはお祝いしなければなら
んということで、国連も動いているんだが、日本政府が頭を抱えている」。
「どうして」
「そりゃそうだろう、何かというとムキになって牙を剥いてくる奴だ。今後何が起きるかわから
ねぇだろう。福田総理もお祝いだから目出度いが、せめてもうすこし紳士が阿弥陀様になってく
れていたらなーって、ぼやいているそうだ。」
「そりゃそうだ。これからあいつに町で会ったらどうしよう」
「しょうがねーだろう。五百人、千人規模の阿羅漢を後ろに引き連れてぞろぞろ行列してくれば、
俺たちは道路で土下座しなけりゃならんだろう。何と言っても阿弥陀様なんだから。」
「うっっっ。地獄だな」
「そうよ。だから、通り過ぎた後は、石でもぶつけてやろうかと思うよ。」
「石ぶつけて相手がけがしたらどうする。」
「地獄落ちか?。( ´△`)アァ-。」

438:神も仏も名無しさん
08/03/22 00:56:56 MUP6UKGu
>417
あなたはホントに「はからい」の固まりだね。
決定摂取は弥陀のお心。お念仏称えよー。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

439:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/03/22 00:59:57 s4FOLEaT
>432
> 十八願は、本当に、本当に易行でしたよ。お聖教、そのまんま、でしたよ。

 まあ、ハシカにかかったんでしょうね。ハシカは恐い病気です。早く治すと
いいでしょう。
 子供の時なら軽いが、大人になってからかかると、苦しみますよ。


440:神も仏も名無しさん
08/03/22 01:12:46 taTCXaqV
>>386
>その聞書は、私たちが勝手につくった法ではなくて、
>阿弥陀如来が教えてくださった法である、ということではありませんか?

違いますよ…これもまたご自分の理解の範囲でねじまげて読んでいらっしゃいます。

>いずれにしても、>>384様は、次第相承の善知識の浅からざる御勧化の御恩は、
>あまり感じていらっしゃらないで、弥陀直通の御恩を奉じていらっしゃるということですよね?

私は逆に感じていましたよ。なぜ298さんたちは、善知識のご恩は言うけれど、
阿弥陀仏のことをあまり語られないのだろうと。

いうまでもなく、善知識おられなければ、この法に出会えませんでした。
けれど、私の善知識は、蓮如上人の言われるとおり、弥陀をたのめと教えて下さる方。
その教えに従い、阿弥陀仏と私が、遇わせていただくことできたのです。


441:298
08/03/22 01:18:48 MoyagLo1
>>438
別に私が「はからい」の固まりでもかまいませんが、
どうして、それがご自身に向かないのでしょうか。

>決定摂取は弥陀のお心。お念仏称えよー。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

これが、あなた様の「はからい」で無いことに、どうしてなっているのでしょうか。

相変わらず、他者は「はからい」であると否定し、
ご自身のことは、そっちのけですね。

>>352に引きました「念仏だに申す」と、どう違うのですか。

もう一度、引きますね。

◎「うれしさをむかしはそでにつつむ」といへるこころは、むかしは雑行・正行の
分別もなく、念仏だにも申せば、往生するとばかりおもひつるこころなり(御文1-1)

もちろん、それでも、「うれしい」ことには変わりがありません。

よろこびも、あるのです。

ですけれども、

◎ただ口にだにも南無阿弥陀仏ととなふれば、たすかるやうにみな人のおもへり。
それはおぼつかなきことなり(御文3-2)

他力信には、「ただ口にだにも南無阿弥陀仏ととなふ」以上のことが
あるのだと思います。

南无阿彌陀佛

442:神も仏も名無しさん
08/03/22 01:19:47 taTCXaqV
>>387
>少なくとも私たちは、領解文と一致しない信を、他力信とは認めないのです。

領解文だけですか。

あなたたちの信心には、機の深信がない。悪人正機がわかっていない。
信後のお念仏を信前に称えられると思っている。
凡夫が凡夫の機をととのえられると思っている。
凡夫が凡夫に、阿弥陀仏の真実信心を頂かせることができると思っている。

お聖教と、どこもかしこもあっていません。
失礼ながら、そんな信心は、客観的に見ても親鸞聖人と同じ信心とはいえません。

お聖教から、自分に都合の良い部分だけを抜き読みして、読んだつもりになっていませんか。
他人にはよく「お聖教をよめ」と言われますが、あなたがたご自身が、
御文章だけでなく、お聖教のすべてを読み通し、本当に自分の信心が
そこに書かれていることとあうのかどうか、お確かめになるべきだと思いますよ。


443:298
08/03/22 01:22:34 MoyagLo1
>>440
>違いますよ…これもまたご自分の理解の範囲でねじまげて読んでいらっしゃいます。

なぜ、違うのですか。

そして、私が、>>386にてお書きしました

>もし、そこを根拠にされるなら、
>あなた様がおっしゃている、「善知識は、弥陀をたのめと教える人である」ということまで、
>否定されてしまうと思いますよ。

については、いかがお考えでしょうか?


>私は逆に感じていましたよ。なぜ298さんたちは、善知識のご恩は言うけれど、
>阿弥陀仏のことをあまり語られないのだろうと。

南无阿彌陀佛の意味は、ご存知ですか?

そして、私は、「六字のいわれ」「弥陀にいただく信心」「他力信」「六字にすべてこもっています」等、
幾度も幾度も、書いていると思います。

440様の心の中では、これらのことが、阿彌陀佛と結びついていないのではありませんか?

「他力」というのは、阿彌陀佛のことですよ。

南无阿彌陀佛

444:神も仏も名無しさん
08/03/22 01:22:36 taTCXaqV
といっても、もう、自力の信心を固める方法論のようなものができあがってしまっていて、
そこにすっかり取り込まれておられるようだから、今はこれ以上、話をしても無駄ですね。

ただ、本当に不思議です。ただの凡夫である善知識を信じられるのに、
阿弥陀仏の本願力による直接の信心決定を信じられないとは。

本当の信心決定すれば、代官などを通してではなく、
真実の阿弥陀仏と遇わせて頂け、ほんとうに、自分の身に
大慈悲の仏様の暖かき心が通ってくださいますのに。

凡夫から「頂かせていただく」信心で満足していること、本当に不思議です。
まこと聞く耳、見る目もたない凡夫だから、当たり前のこと、でしたか…

445:神も仏も名無しさん
08/03/22 01:29:30 MUP6UKGu
>441
だって、現に、ムキになってるじゃん。自分の信心が壊されたくないから。
意味ないねー。


446:神も仏も名無しさん
08/03/22 01:30:09 vhnTc2+i
渡海難は最近は総持寺の座禅会には行っているんだろうか。腰が悪いそうだが。

447:298
08/03/22 01:33:06 MoyagLo1
>>444
幾度も、阿弥陀如来が信をくださると、書いているわけですが・・・

先入観が強いから、書いてある通りに、読めないだけではありませんか?

本当の信心決定している方が、どうして六字のいわれも知らず、
自力の心のふりすて方も知らないのですか?

そして、もろともに信が獲れないのですか?

五重の義が成就するときには、そのすべてが同時に成立します。

(時間順の解釈と、同時の解釈と、両方できます。)

善知識だのみに、仕立て上げたいだけでしょう?

>凡夫から「頂かせていただく」信心で満足していること、本当に不思議です。

何度も何度も、弥陀にいただく信心であるとお書きしています。

どう読んだら、そのような解釈になるのでしょうか。

後生は、本当にあると思います。

せっかく如来が易行にて助けてくださるのに、
背を向けるのは行者の側なのです。

南无阿彌陀佛

448:298
08/03/22 01:37:20 MoyagLo1
>>445
ムキになってはいけないのですか?
凡夫がムキになるのが不思議ですか?

あなた様は、他者のことは、「はからい」と否定し、
自身は何を書こうが「正しい」とすることの繰り返しです。

自分の心に執着しているのは、あなた様だと思いますよ。

「はからい」ということばを、他者否定の道具にしていると思います。

あなた様のなかに、はからい以外に、何があるというのですか?

いったい、どのようにして、如来から信をいただいたというのですか?

読んで聴いて、そう思って、それだけならいいですが、
それを他者否定の道具にするのが真宗なのですか?

はからいを超えたところに、他力信があり、
あくまでも、如来にいただく信なのです。

私の心と、如来にいただく信心を、ごっちゃにしないでほしいです。

私は凡夫。私の心は、汚れています。

如来の心が、清浄なのです。

南无阿彌陀佛

449:神も仏も名無しさん
08/03/22 01:38:04 MUP6UKGu
>447
かわいそう、自力の振り捨て方を知ってる事自体が、自力なのに。
悪知識のせい、また、業縁のもよおしとは言え、やっぱりかわいそうだよー、
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏


450:神も仏も名無しさん
08/03/22 01:39:58 MUP6UKGu
>448
我が心たのまないでいいので、ムキになる必要がないんです。
南無阿弥陀仏

451:神も仏も名無しさん
08/03/22 01:40:19 taTCXaqV
>>443
>なぜ、違うのですか。

御文章を読み返してみてください。阿弥陀仏をたのめと教えて下さる方、
それは、阿弥陀仏ご自身である、というみ教えです。
つまり阿弥陀仏ご自身が、じかに、わたしたちひとりひとりに「たのめ」と呼びかけて
くださっている、善知識でもあるのです。
であれば、たのむ一念の時、間に代官がはさまる必要はまったくありませんし、不自然です。

他力の信を獲られた方なら、おわかりになるはずですけれども。
往生はひとりひとりのしのぎなり、のお言葉でも結構ですよ。

>あなた様がおっしゃている、「善知識は、弥陀をたのめと教える人である」ということまで、
>否定されてしまうと思いますよ。

このようなことは、まったく、考えておりません。

>440様の心の中では、これらのことが、阿彌陀佛と結びついていないのではありませんか?

298さんたちは、阿弥陀仏のご本願力を仰ぎ喜び、御恩を尊ばれるこころが薄いからですよ。
おそらく、善知識さんから得た信心だからなのでしょうね。

298さんたちの信心には、
南無阿弥陀仏の真実の暖かき血が通っていないのです。
現在只今、生きてはたらく阿弥陀仏のお力を、身にうけていないのです。
かなしいことに、それで満足しておられるということです。


452:298
08/03/22 01:42:03 MoyagLo1
>>442
>お聖教と、どこもかしこもあっていません。

申し訳ありませんが、そこまでおっしゃるならば、引用していただけないでしょうか?

前回の引用につきましては、おかしい点を指摘しています。(>>386

それに対して、返答がありませんね。


>領解文だけですか。

これは、問題のすりかえです。

私は、自身の信が領解文と「合う」ということを主張しています。

そして、あなた様の信は、「合いますか?」と問いかけているのです。

おそらく、あなた様の信は、領解文と合わないことでしょう。

領解文と合わないのですから、「領解文だけですか?」という反問は、
おかしいと思いますよ。

領解文と合った上で、さらに、御文とも、御本典とも、一枚起請文とも、合う信心が、
本物であると思います。

南无阿彌陀佛

453:神も仏も名無しさん
08/03/22 01:45:29 MUP6UKGu
>450
やべ、書き忘れてた。私の意見は正しい事ひとつもないよ。
弥陀が必ず救うだけです。自力はあてにならないからねー。
必ず救うって言われてるんだから、称えよ常にって言われてるんだから、
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
阿弥陀さまのみことのまんま。

454:298
08/03/22 01:46:59 MoyagLo1
>>449
相変わらず、あなた様は、理由無くして、他者を否定しているだけです。
「自力」「はからい」これらのことばを、他者否定の道具にしています。

あなた様は、自分自身が、自力のはからいの固まりであることをわからず、
ひたすら、他者の否定を繰り返していると思います。

私が、こちらに書き込むとき、確かに自分の力(意思)で書き込んでいます。

しかし、それらと、如来の信は、そのままの関係には、ありません。

なぜなら、信心の体は、あくまでも南无阿彌陀佛であり、
凡夫の心には、用がないからです。

私の心も、あなた様の心も、極悪最下の性質を持っているわけでしょう?

極悪最下を取り出して、あれこれ言うのではなく、
如来から信をいただいて、真実信心の相続により、
極楽に往生してください。

私をかわいそうと思うなら、
如来をたのみ、信心決定してほしいです。

あなた様の心をたのむのではなく、
如来をたのむのです。

如来をたのんだつもりでは、たのんだことになりません。

そこには確かないわれがあり、六字があります。

南无阿彌陀佛

455:神も仏も名無しさん
08/03/22 01:47:18 MUP6UKGu
夜中に書き込みはよくないかもね。ごめんね、南無阿弥陀仏。
おやすみ、南無阿弥陀仏

456:298
08/03/22 01:48:48 MoyagLo1
>>455
おやすみなさい。
六字を大切にされていることは、とても素晴しいと思っています。
南无阿彌陀佛

457:神も仏も名無しさん
08/03/22 01:48:57 Wge9OI7i
298さんは夜中でも平日昼間でもかまわず
このスレに張り付いていらっしゃいますが
普段は何のお仕事をされているんですか?
お坊さんですか?

458:神も仏も名無しさん
08/03/22 01:55:00 MUP6UKGu
>454
非難されるのがそんなに怖かったんだ。ごめんね、君の気持ちもわからず。
てっきり、信心決定した方だと思ってたので(笑)
不躾な言い方になっちゃって本当ゴメン。
俺の言う事なんて、煩悩成就凡夫人の言う事だから、
そんなに気に留める事無いよ。それよりも、弥陀たのめ。

459:298
08/03/22 01:57:18 MoyagLo1
>>451
なるほど、「善知識=阿彌陀佛」という解釈なのですね。
それで、>>386にて問いかけましたことについては、納得が行きました。

では、これまであなた様が書いていた「善知識」というのは、
すべて「人」ではなく、阿彌陀佛であったということなのでしょうか?

>298さんたちは、阿弥陀仏のご本願力を仰ぎ喜び、御恩を尊ばれるこころが薄いからですよ。

阿弥陀如来が救ってくださったことを、深く感謝しています。

もちろん、凡夫の感謝ですから、如来の目から見れば、とても浅いことでしょう。

このような感謝では、取るに足らず、もっとはるかに感謝すべきだということは、わかります。

ですから、ご指摘もっともだとも思います。

それでも、あなた様のご指摘がどこから来るかと言えば、
おそらく、このスレが、獲信を目的としているところからだと思います。

信をくださるのは如来ですが、それを繰り返し書いても、
「じゃあ、どうすればいいのだ?」となるはずだからです。

具体的には、獲信者に会い、次第相承の善知識を紹介していただき、
六字のいわれを聞き開き、弥陀をたのむことになります。

他の道もあるのかもしれませんが、私が紹介することのできる獲信への道はこれであり、
凡夫が易行にて、あっという間に信を獲れ、信をいただけば、お聖教とも一致します。

南无阿彌陀佛

460:神も仏も名無しさん
08/03/22 01:59:18 taTCXaqV
>>452
382に対しては、回答しましたよ。
ですがおそらく今、何を書きましても、298さんの心にはとどかないでしょうね。

>申し訳ありませんが、そこまでおっしゃるならば、引用していただけないでしょうか?

過去に何度も何度も指摘をしてきました。
それらに対して、明確な、お聖教に基づいた反論はありませんでしたね。
過去ログを読み返して頂ければ、わかると思います。


461:298
08/03/22 01:59:53 MoyagLo1
>>457
私は在家ですが、如来に救われる方がひとりでも多く出ることは、
私にとって、最優先のことです。

そのため、仕事の形態も変えつつあります。

いつ忙しくなって、あまり顔を出せなくなるかもわかりませんが、
私は、私のできることを、精一杯やるまでです。

できるときに、できることを、目の前のことを、やってゆきます。

どんな小さな一歩でも、踏み出しつづけたいと思っています。

微力ながら、それが私の御恩報謝です。

南无阿彌陀佛

462:298
08/03/22 02:01:50 MoyagLo1
>>460
>過去に何度も何度も指摘をしてきました。

私は、一番はじめのスレから見ていますよ。
これは、本当のことなのでしょうか?

「何度も何度も」と言う程多いのであれば、
その一部で結構ですから、発言番号や、URLを教えていただけないでしょうか?

おそらく、一番引用してきたのは私だと思います。

南无阿彌陀佛

463:298
08/03/22 02:04:07 MoyagLo1
>>458
私は、弥陀をたのんだと、繰り返し書いているのですが・・・

なぜ、その指摘が、ご自身に向かないのですか?

別に、批難されることが、恐いわけではありませんよ。

私は、ひとりでも多くの方が、如来をたのんでくださることを願っています。

誹謗が縁になることもあるでしょう。

難信之法ですから、誤解が多いのも承知の上です。

それでも、何の成果もないかもしれませんが、私は目の前のことをやるのです。

誰もついてこなくても、ひとりでも、進みます。

南无阿彌陀佛

464:神も仏も名無しさん
08/03/22 02:09:32 taTCXaqV
>>452
ありがとうございます。領解文、御文、御本典、一枚起請文、お聖教のすべて、
そのまま、ぴったりとあう、一味の信心です。
仏様の真実心ですから、あわないほうがおかしいのです。

それにしても、おかわいそう。
阿弥陀仏の、なにものにも遮られない光明のおちから、誰にでも届けられている、
阿弥陀仏のじかのお呼び声のあることを信じられないで、
身近な善知識を信じて、自力の信心を他力の信心と思い込んで。

阿弥陀仏の光明は、相承があろうとなかろうと、誰の身にも届きます。
私たちの自力の心が、ふたをしているだけです。そしてそれは、宿善の機が熟したとき、
阿弥陀仏のご本願のおちからによって、必ず破られるのです。
このこと、「信楽まことにときいたり」が信じられないのは、本当におかわいそうです。

でも、阿弥陀様はそんな298さんたちを、決してお見捨てになることはありません。
常に望みを捨てず、うまずたゆまず、お育ての光明で照らしていてくださいます。
もったいなく、ありがたいことと感謝させて頂きましょうね。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

465:298
08/03/22 02:09:40 MoyagLo1
如来大悲の御恩は、骨を砕きても謝すべし。

原文とは違いますが、(途中が省略されているのか)私は、よくこう思っています。

「御恩報謝の南无阿彌陀佛」と、私はよく言いますから、そのことばと
まざったのかもしれません。

そして、私の骨は砕けているかと言えば、砕けていません。

砕けてしまえば、もう動けません。ですから、砕けていなくてありがたいことですが、
如来の御徳は、こんなものではなく、もっとはるかに広大なものです。

御恩報謝というのは、見返りのためにやるのではなく、
報謝するためにやるものです。

もう、御恩はいただきました。返しようのない御恩をいただきました。

私にできる御恩返しは、名号称えることと、ひとりでも多くの方に信を獲ってもらうことくらいしか、
ありません。

難信之法である以上、確率は低いのです。お話しても、疑う方や、誹謗される方が多いでしょう。

ですから、それは折り込み済みで、わかった上で、
それでも、お話聴いてくださる方を探し、疑問にお答えし、
望む方には、実際に如来に救われていただかなくてはなりません。

南无阿彌陀佛

466:神も仏も名無しさん
08/03/22 02:12:00 Wge9OI7i
 どんな仕事ですか?
過去のレス見ても1日中書き込みされてる
みたいですが・・・。2ちゃんに張り付きながら
できるような仕事なら教えてくださいませんか?
寝る前ちょこっとネットして寝てすぐ出勤の
身からすればうらやましい。。。


467:298
08/03/22 02:15:03 MoyagLo1
>>464
領解文の「次第相承の善知識の浅からざる御勧化の御恩」から、
いきなり合っていないのでは、なかったのですか?

◎願力不思議の仏智を授くる善知識の実語を領解せずんば往生不可なり(改邪抄)

◎さればこの流に帰して修行せんひと、ことごとく決定往生の行者なるべし(真要抄)

◎念仏の心は、善知識に従ひて阿弥陀仏の真実の功徳名号を説くを聞く心より生ず(往生要集)

◎これすなはち、木像ものいはざればみづから仏教をのべず、経典くちなければ
てづから法門を説くことなし。このゆゑに仏法を授くる師範をもつて、滅後の如来と
たのむべきがゆゑなり・・・善知識にちかづきてはつねに仏法を聴聞し、同行にむつびては
信心をみがくべしといふこころなり(持名抄)

◎総じていふときは、真の善知識といふは諸仏・菩薩なり。別していふときは、
われらに法をあたへたまへるひとなり・・・またまさしくみづから法を説きてきかするひとならねども、
法をきかする縁となるひとをも善知識となづく(真要抄)

◎称名はすなはち憶念なり、憶念はすなはち念仏なり、念仏はすなはちこれ南無阿弥陀仏なり(浄土文類聚鈔)

このあたりも、よくわかりますか?

468:298
08/03/22 02:24:45 MoyagLo1
>>466
本当に知りたいならば、尋ねてきてください。
おそらく私は、多くの一般の方よりは、忙しいです。
私にとっては、如来から信を獲る人が増えることは、
優先順位が高いのです。
なるべく時間を見つけているだけです。
いつまで続くかも、わかりません。
それでも、できる範囲のことをやるまでです。
この掲示板も、他の掲示板で、教えていただきました。
目の前のことで、できると思うことをやることだと思います。
仕事も同じです。
金銭的見返りも、幻想だと思います。
本当になりたい姿があるのなら、
実行して、そうなれば良いと思います。
法蔵菩薩の姿を思い出してください。
他の如来には、無理だったことを、世自在王仏にもわからなかったことを、
五劫思惟し、永劫修行して、成し遂げたのですよ。
願行具足の南無阿弥陀仏を我が身に受け、
その如来の御徳が身に満ちて、
何をできないことがあるでしょうか。
現に我らのような凡夫を救ってくださる如来がいらっしゃるのです。
苦毒中に御修行なさって、清浄で無い念は一念も無い方です。
私のような凡夫とは、全然違います。
大経を読むだけでも、仕事の方法は、全然変わると思います。
願行具足することです。凡夫には無理ですが、少しでも、できる範囲でやれば、
10年もやれば、必ず状況が変わると思います。
空いた時間で、御恩報謝の南無阿弥陀仏をしてゆけば、
それで、すべての行がこもります。現代人にもできます。
南无阿彌陀佛

469:神も仏も名無しさん
08/03/22 03:14:50 taTCXaqV
>>467
よくわかりますよ。合っていないと仰るのは「次第相承」の解釈が違うということでしょうね。
それと同様に、他のものも、私は合っているということができ、
298さんは、合っていない、ということができるでしょうね。

問題は、本音がつい出てしまうところです。

>>86
>79様は、嫉妬していらっしゃるのでしょうが、
>ですけれども、どんな悪人でも救う阿弥陀さまですから、
>自分よりひどい方でも、救われてしまうのですからね。

例えばここ、悪人正機が分かっていない。つまりこれは、
阿弥陀仏のご本願がわかっていないんです。

>弥陀をたのんだ者勝ちであると思います。

すべて阿弥陀仏のおひとりばたらきである、
他力の信心いただく信心決定を、自分の手柄顔に書いています。

もちろん、あとから言いつくろいはいくらでもできるでしょうね。
それに、人間だからうっかり言い間違い、言い損ないはいくらでもある。
でも、たくさん書き込まれているだけに、それがたくさんある。何度も何度もそういうことが
あるとすれば、やはり、ふとしたはずみに出る本音に、貴方の信心が自力であること、
親鸞聖人のものと同じではないことが現れているということです。


470:神も仏も名無しさん
08/03/22 03:16:53 taTCXaqV
おそらくこのままでは、これ以上、何を書いても平行線でしょうから、
298さんも本当によく、自分はこれでいいのかと、信心をよくよく叩いてください。
お聖教を、自分の心に合うところだけではなくて、全部をよみかえして。

さきほどの>>384の引用も、きちんとお聖教を読み込まれている方なら、
そんな読み違いはなさらないはずですよ。

私ももっとよくお聖教を読み、分かりやすくお話できるように努めますから。
ともかく今日は、これで。

471:神も仏も名無しさん
08/03/22 05:24:31 Xe94mS9g
当スレでいろいろ参考になるのではと思いましたので貼りつけます。既出ならすいません。

かたみの文 福間欣嗣様のご著作より借用

命をかけて宗門の御安心を守られた大瀛和上が、三業惑乱のさなか病気をおして江戸で対論中、死を覚悟して故郷の母上に安心の要を書き送られた文。

・広島県筒賀村(和上の生誕地)の碑文の写し。
・送りカナを変え、現代かなづかいに改め、句読点や改行などを加えて読みやすくした。
・『』の部分は、碑文に傍点を打ってあるところで、三業帰命をたしなめられたところと拝察。

 静かにおもんみれば、人間に生を感ずることは上々の因縁によれり。これ大なるよろこびなり。
されども若し仏法に逢わずば、枯れ木の春にあわざるが如し。よろこびの中にも、かなしみあり。
たまたま人間に生まれ、ことに仏法にあえる身は、よろこびの中のよろこび何事かこれにしかむ。
たまたま仏法に逢うといえども、他宗の教えは我れ等が身のうえには、かないがたし。

 ここに真宗の教えは、末代つみふかき五障三従の女人を、本とたすけたまわんと誓いたまいし弥陀の本願をすすめたまえば、
ありがたしというも、なおおろかなるものなり。されば其の本願をたのみて、浄土にまいらんと思うについて、
いかように心をもちてたすかるべきぞなれば、何の様もなく、ただ我が身はつみふかきあさましき身ぞとおもいとりて、
かかるあさましき身を本とたすけたもう弥陀如来の本願なれば、罪ふかき身ながら御たすけにあづかることよと信じ奉りて、
少しもうたがいのこころなければ、必ず御助けにあづかるなり。此の趣をしかと思い定めてうたがいのなきを、「たのむ」とも、
「信ずる」ともいうなり。

 御文章に曰く。「かの仁躰において、はやく御影前にひざまづいて、廻心懺悔のこころをおこして、本願の正意に帰入して」とあり、
又曰く「この故に南無の二字は、衆生の弥陀如来に向かいたてまつりて、後生たすけたまえともうす心なるべし」とあり。

『然れども弥陀をたのむとて、画像木像にむかいてたのむにもあらず、口に「たすけたまえ」というにもあらず、心のうちに「御助け候え」と凡夫の念をおこすにもあらず、』

472:神も仏も名無しさん
08/03/22 05:26:04 Xe94mS9g
>471続き
南無阿弥陀仏は本願の御呼び声なれば、「たすけてやるぞ」とよびかけたまえるその御呼び声をきいて、
御助けにあづかる事よと信じて、後生の一大事をば弥陀にまかせまいらせて、自力の計らいなきを「たのむ」とはいうなり。

 此の上は、よきもあしきも皆前生よりの約束業因のなすわざとあきらめて、必ず神にいのり仏にいのり、
其のほか日の善悪をえらび、方角の吉凶を問い、天を拝み星をまつり、占いにかかるなどいまわしき心あるべからず。
 又さきだてる親兄弟の法事を営みたもうとも、先だてるものへ手向けまいらするこころあらば、これみな自力なり。
親兄弟の命日にあたりて法事を営みたもうときは、忌日命日を縁として、仏に報謝のために御供養もうすと思いたまうべし。
たとい仏壇の掃除をするとも、花をたつるとも、香をたくとも、みな報謝とおもうべし。信のうえはなにごとも報謝と思いたまうべし。

我が身だに仏にならば、自由自在に済度なるべし。人のためとおぼしめさずとも、まづ我が身の信心さだまりぬるやいなやとおぼし召して、
自身の安心決定あるべきなり。
いよいよ往生うたがいなくおぼしめす上は、報恩の稱名おこたりなく御たしなみ肝要なり。

 此の上は、御本山の掟、御公儀様の御法度にそむかぬように心をかけて、御身のつつしみ第一にしたもうべきなり。
併し人によりて身の過ぎわいについて、偽りをいわねば身のたたぬ人もあるべし。
其の外腹もたち慾もおこるは常の事なれば、止めてもやめられぬことは、仕方もなし。往生のためとてはやむるに及ばず。
兎角あしき心のおこるときは、「さてさて浅ましきかな、かかる者も御助けに預る事のありがたや」と、却ってこれを御縁とし、
仏恩よろこびたもうべきなり。

 身の行いはあしくとも、心さまはあしくとも、稱名はうかばずとも、有りがたくおもうこころはおこらずとも、是れでは往生いかがとうたがうべからず。
「此の者をたすけんとありて、あつく御苦労まします本願よ」と、安堵のおもいに住して、御入り候へ。我が安心かくのごとし。
これをかたみとおぼし召して、あけくれ御覧候え。        あなかしこ
                                         大瀛
母上様

473:7
08/03/22 06:01:53 DasSHk5a
>ただ、本当に不思議です。ただの凡夫である善知識を信じられるのに、
阿弥陀仏の本願力による直接の信心決定を信じられないとは。

ただの凡夫が直接信心を頂けると信じられる方が、ただの凡夫である善智識が弥陀の代官であることを信じられないとは不思議です。

474:神も仏も名無しさん
08/03/22 07:36:58 uLlxnSI6
>>472
我が身だに仏にならば、自由自在に済度なるべし。人のためとおぼしめさずとも、まづ我が身の信心さだまりぬるやいなやとおぼし召して、
自身の安心決定あるべきなり。→誤

 我が身だに仏にならば、自由自在に済度なるべし。人のためとおぼしめさずとも、まづ我が身の信心さだまりぬるやいなやとおぼし召して、
自身の安心決定あるべきなり。 →正



475:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/03/22 09:14:08 s4FOLEaT
>441,>448
「おい。知っているか?。いま、政府は頭を抱えているそうだ。」
「なんで頭を抱えるんだ。」
「お釈迦様いらい、二千数百年ぶりに仏様が誕生した。しかも日本からだ。それは
大変お目出度いことだが、その仏様は質が悪い。『俺ははからいの固まりでもいい
んだ』と言っているんだ。
 阿弥陀様が計らって下さっておるのはありがたい話だが、『私は凡夫、私の
心は汚れています』と言っているんだよ。それでいて『如来の心は、清浄』って言っ
ているんだよ。だから、困っているんだよ。阿弥陀様ともなれば、凡夫で、心は汚れ
ていて、それが『清浄』だってんで、政府は困っているんだよ。阿弥陀様のお言葉に
逆らっては、地獄に堕ちるからな。」
「そうか、深刻だな。これからは、そんな阿弥陀様が、阿羅漢五百人を連れて町を
練り歩く。わしらはそれに土下座する。悲劇だね。」



476:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/03/22 09:24:37 s4FOLEaT
「ムキになる阿弥陀様ってのも、( ̄(エ) ̄)ゞ クマッタナーってことなんだよ。」
「そうだよね。阿弥陀様には、ムキになってほしくないものだ。」
「俺は凡夫だ。凡夫の阿弥陀様だー、ムキになって悪いか?て、阿弥陀様から
言われれば、わしらはどう返答すりゃいいんだ?」

477:神も仏も名無しさん
08/03/22 09:46:47 qXQnufb2
>>470

他力信心決定された人のようですので聞かせて下さい。
改邪鈔にこのように書かれていますが、どう解釈されていますか。

それ本願の三信心と云うは、至心・信楽・欲生これなり。
まさしく願成就したまうには、「聞其名号 信心歓喜 乃至一念」(大経)とらとけり。
この文について、凡夫往生の得否は乃至一念発起の時分なり。
このとき願力をもって往生決得すと云うは、すなわち摂取不捨のときなり。
もし『観経義』によらば、「安心定得」といえる御釈、これなり。
また『小経』によらば、「一心不乱」ととける、これなり。
しかれば、祖師聖人御相承弘通の一流の肝要、これにあり。
ここをしらざるをもって他門とし、これをしれるをもって御門弟のしるしとす。


478:神も仏も名無しさん
08/03/22 10:02:53 CSJOuEzz
隆寛・辨長・証空・聖覚・源智・幸西もみんなまとめて
なかよくナムアミダブツ。

479:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/03/22 10:47:49 s4FOLEaT
 煩悩具足の身をもって、すでにさとりをひらくということ。この条、もって
のほかのことにそうろう。即身成仏は真言秘教の本意、三密行業の証果
なり。

 秘事法門というのは真言宗の亜流と浄土真宗の亜流とが、一門不知の
隔絶村の中で融合した土俗民族宗教だろう。
 客観性・普遍性がないおかしな教義でも、それをおかしいという人は、村
にはいない。秘事法門は、古老が口伝で伝える土俗宗教に外かならない。

 教団内ではグルと呼ばせ、神聖法皇と呼ばせていたある教祖は、自分の
教えをヒンズー教・真言宗・チベット密教との融合宗教だと言っていた。まさ
に究極の亜流宗教だった。

 298が「俺は自分自身が、南无阿彌陀佛そのものになる」という意識も、
客観的検証のない歪曲亜流宗教の暴走を感じる。

480:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/03/22 10:50:55 s4FOLEaT
>479
誤 一門不知
正 一文不知の村人だけで構成している

481:神も仏も名無しさん
08/03/22 10:54:56 qXQnufb2
>>479

煩悩具足の身をもって、すでにさとりをひらくということ。この条、もって
のほかのことにそうろう。即身成仏は真言秘教の本意、三密行業の証果
なり。

う~ん。298さんは煩悩具足の身をもってすでにさとりをひらくとは言っていないようですよ。
渡海さんは座禅念仏を主張されているのですよね。
是非はともかくとして、s会の方々よりもまだ実践としての念仏があるように私は思えます。

482:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/03/22 11:12:57 s4FOLEaT
>481
>う~ん。298さんは煩悩具足の身をもってすでにさとりをひらくとは言っていない
ようですよ。

 煩悩具足の身をもって即身成仏したと言っているわけでしょう。
 前代未聞。真言宗の亜流です。

>実践としての念仏があるように私は思えます。

 298さんには称名念仏はないだろう。
 一念で仏になり、自分は阿弥陀仏になったつもりでいる。298に念仏は不用だ。
称える意味がない。
 自分(阿弥陀仏)が自分(阿弥陀仏)に報恩(ありがとう。ありがとう)と言っていれば、
これは気が狂っている証拠だろう。

483:神も仏も名無しさん
08/03/22 11:18:14 IkMNXvLj
阿弥陀仏を奉ずる者同士が、敵対的な物言いをしたり、相手の言葉を
わざと捻じ曲げて解釈したりするのは、いかがなものでしょうか。
広い意味で、同行ですので、仲良くしたいものですね。

484:神も仏も名無しさん
08/03/22 11:18:16 MUP6UKGu
>463
やっぱり、弥陀をたのんだっていう自分の心をたのんでんじゃん。
その心で、やることやるって何するつもり?
自力心の奨め、布教活動は、あなたにとってはライフワークかもしれないけど、
親鸞聖人にとっては迷惑な話じゃないのかな?
自心を信ずるんじゃないよ、信じた経験を信ずるんじゃないよ。
弥陀の誓願不思議・名号不思議を信じて念仏申すんだよ。
私は出来てますとか、信じてますからとか、
名号と一体になる体験しましたからとか、
そんな条件や理由を貼り付て、自分の信心を固めなきゃいけない事自体、
それこそ、自力疑心のはからいに他ならないんだよー。
南無阿弥陀仏

485:7
08/03/22 11:27:34 1VQ2P3Zb
>弥陀の誓願不思議・名号不思議を信じて念仏申すんだよ。

これはあなたのはからいではないのですか?

486:神も仏も名無しさん
08/03/22 11:41:05 qXQnufb2
>>484

>弥陀の誓願不思議・名号不思議を信じて念仏申すんだよ。

う~ん。298さんの領解はあなたのいうことと同じことを言っていると思いますよ。
298さんはあくまでも信前の機に対する言葉を言っているんだと思います。

そもそも俺は救われたんだ。という思いや私一人のための救いだった。
という喜び自体は信心の体にはなりませんからね。あくまでも名号六字が信心の体ですからね。

>>482
渡海さん。推論の飛躍だと思いますが・・・。298さんはそういうことを言ってはいないと思います。



487:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/03/22 12:24:43 s4FOLEaT
>486
>そういうこと

 指示代名詞でなく、具体的な言葉を引用してください
 そういうことを言ってないなら、どういうことを言っているのか、貴方の了解を
明らかにして下さい。

>そういうことを言ってはいないと思います。

 否定形なら、人は何でも言えます。

 「パンダだとは言ってないんだと思いますよ。アメリカだとも言ってないんだと
思いますよ。月だとも言ってないと思いますよ。スッポンだとも言ってないんだ
と思いますよ。金正日だとも言ってないんだろうと思いますよ。イエスキリストだ
とも言ってないんだろうと思いますよ」

 「~とは言ってないと思います」という言葉ほど無責任な言葉はない。
発言は肯定系で主張し、発言に責任を持ちましょう。


488:7
08/03/22 12:27:38 1VQ2P3Zb
渡海さんは人の言わなかったことを書いてそれを批判するパターンが多いわけですが、寂しいのでしょうか。
後生など無いと思っていらっしゃるのかも知れませんし、それはご自由ですが、ここを遊び場にされるしても、
言わなかったことを批判するということを繰り返しますと、余計寂しい結果になるのではないかと心配いたします。
せっかくご自身の考えがおありのようですから、キチンと相手のご発言をコピペされてから反論されてはどうでしょうか。
余計なお世話かとは思いますが、他の人が間違って298様を誤解するといけませんので、申し上げます。

489:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/03/22 12:49:21 s4FOLEaT
>488
>渡海さんは人の言わなかったことを書いてそれを批判するパターンが多い

 僕は文字面にひきづられようとは思わないんだ。
 「人の言わなかったことを書いている」というなら、それは本人から指摘が
あってしかるべきだろう。

 僕の方が貴方より、298の言葉を深く捉えているのかも知れないからね。

 298が言ってないことを渡海難は書いてそれを批判しているかどうか、それ
は298本人が反論として言うなら別だが、298とは別人のギャラリーが言って
も、説得力はない。貴方の発言は野次馬の野次に過ぎない。

490:7
08/03/22 12:58:49 1VQ2P3Zb
渡海様へ
わかりました。298様を待ってみえるのですね。失礼しました。

491: ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
08/03/22 12:58:58 Ro9l7Tjp
    O
      o     、,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,
       。  ノ´::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ
        (:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ
       (:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ       と
      (:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::)      思
     (:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::)      う
      ヽノヽノヽノノヽノヽノノヽノヽノノヽノヽ、::::::::::::::::)     キ
       | ,,;;;;;;;;;;;;;;,,,,,, )) ( ,,,,;;;;;;;;;;;;;,,,,   `ヽ、;;;;;;;;::)    モ
       || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|____| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  /~~ヽノ:::)    ヲ
       || ((((○)))) 0⌒0 (((((○))) | ̄´ ´~) );;::)    タ
       |\___/ノ  ミ\___/ヽ  つ, ノ;;;:ノ     で
       | ´     ./   、´    `   (_ノ;;;ノ      あ
       <      (。、 。)         >;;;;::ノ       っ
        \    ノ`∪´ ヽ、  ●、  /|;;;;ノ        た
         | ....(/~~~~~~~\)....    彡 |ノ 
         |  ( ̄ ̄~~~ ̄ ̄)     | イ
         |   ~~ ̄`´ ̄~~´;;   /  |
          \  .....´⌒`......   /    |
          _|\_;;;;;;;;;;;__/      |__
     __/;;;ノ               /;;;;;;;;;;;;\___
   /;;;;;;;;;;;;/;;;;\             ./;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;\;;;;;;;;;;;\

492:神も仏も名無しさん
08/03/22 13:22:40 MUP6UKGu
>485
違うよ。私は信心決定しました、と言うのは、過去の体験に順じてるって言ってるわけ。
救われました。他力の念仏称えました。正定聚不退転になりました。
っていうのも同じ事だよ。
弥陀のご本願を煩悩成就凡夫人即ち自分の過去に起きた体験の枠内に
入れてしまうから、自力としかいいようがない。
いつだって、弥陀の誓願不思議・名号不思議を信じるのであって、
信じ「た」と自分の手柄にしてしまったら、自力じゃん。
その心で「南無阿弥陀仏の主になった」なんて言ったら、
虚仮不実の自力心で南無阿弥陀仏を利用する事になっちゃう。
南無阿弥陀仏を煩悩の奴隷にして「主」を名乗るのは、本末転倒だよね。



493:笑いのマートル
08/03/22 13:24:27 4CDZ2FOE
298さんは、生き仏じゃないですよ。ただの凡夫ですよ。
信心をいただいたと言うだけです。
あまりの嬉しさに、皆に知ってもらいたい一心で、
書き込みしているだけでしょう。
この世に生き仏など居ませんよ。
死んで仏となる身です。
自分は仏だと言ったらそれこそ怪しい。

494:笑いのマートル
08/03/22 13:35:50 4CDZ2FOE
弥陀は、私達の方を絶え間なく見つめています。
眼を背けているのは、他でもない自分ですよ。
何度この言葉を書いたかしら・・・

495:神も仏も名無しさん
08/03/22 13:36:26 MUP6UKGu
>486
全く違うよ。あと、信前だ、信後だと分別して話する事自体、
何様?って言われてもしょうがないよね。
お釈迦さまにでもなったおつもりか?って事。
仕方ないよね。だって、彼はたのんだ人。言い換えれば、宿善めでたしの人。
わたしは、いつでもたのむだけ。宿善も仏凡一体も称名もありがたし。
たのむ心もあなたから。南無阿弥陀仏

496:笑いのマートル
08/03/22 13:39:48 4CDZ2FOE
自力しか知らない人に他力の信心あることを説いても分からないのでしょう。

497:神も仏も名無しさん
08/03/22 13:41:56 qXQnufb2
>>492

>いつだって、弥陀の誓願不思議・名号不思議を信じるのであって、信じ「た」と自分の手柄にしてしまったら、自力じゃん。

あれ?あなたは決定者だと思ったら違うのね。言いたいことはよ~く分かります。
しかし他力という言葉に酔った人のようですね。
たのむ一念を知らない人のいうことのようですね。本山系の人ですか?
いつでも誓願不思議・名号不思議を信じるのは結構だと思いますが、往生一定という慶喜というものがいつまで経ってもないわけだ。
いつでもこの瞬間でも誓願不思議・名号不思議を信じているというその思いはあなたが思っているに過ぎない。自力信ですね。

どう思うが思うまいが誓願不思議・名号不思議は働いていますよ。

498:7
08/03/22 14:36:23 1VQ2P3Zb
>わたしは、いつでもたのむだけ

いつからたのむようになったのですか?誰がたのむのですか?現在進行形で表現すれば他力なのでしょうか。

499:298
08/03/22 14:42:50 MoyagLo1
>>488,489

「南无阿彌陀佛と一体になる」ということを、即身成仏と解していらっしゃるのでしょうか。

即身成仏と、住不退転は、異なります。

私はあくまでも、泥の凡夫。惑染凡夫人です。

弥陀をたのんで、自らが阿彌陀佛となるのは、「拝まずの秘事」でしょう?
(自分自身が阿彌陀佛なのだから、他を拝む必要はないとする。)

この道では、行者も凡夫、獲信者も凡夫、善知識も凡夫なのです。

そして、南無阿彌陀佛と一体になるからと言って、
即身成仏ではないのです。

私は礼拝もします。御恩報謝の南无阿彌陀佛もお称えします。

滅度に至るのは、報土に行ってから。

此土では、あくまでも凡夫。それでも、信をいただきましたら、
佛凡一体です。弥陀の心光常護、諸佛の囲繞により、守られて、
生きて参ります。

南无阿彌陀佛

500:298
08/03/22 14:47:46 MoyagLo1
>>469
>>ですけれども、どんな悪人でも救う阿弥陀さまですから、
>>自分よりひどい方でも、救われてしまうのですからね。
>例えばここ、悪人正機が分かっていない。つまりこれは、
>阿弥陀仏のご本願がわかっていないんです。

これは、

◎一つには道ありと信ず、二つには得者を信ず。この人の信心、ただ道ありと信じて、
すべて得道の人ありと信ぜざらん。これを名づけて信不具足とす(教行信証)

得道の人ありと信じない方のために、書いたものです。

それは、あなた様も同じ。

なぜ、あなた様がそう信じられないかと言えば、
それは、あなた様は、あなた様よりも私のことをひどい存在であると思っていて、
そのような存在が救われたとは、信じがたいからなのでは、ありませんか。

しかし、弥陀は、どんな方でも、弥陀をたのめば救ってくださいます。

これは、>>495の方も同じです。

>何様?って言われてもしょうがないよね。
>お釈迦さまにでもなったおつもりか?って事。

弥陀は機を問わず救います。

南无阿彌陀佛

501:神も仏も名無しさん
08/03/22 14:49:56 bfxNAdGY
皆さん、セコムし・・・じゃない、お念仏してますか?

502:298
08/03/22 14:57:47 MoyagLo1
>>492
>信じ「た」と自分の手柄にしてしまったら、自力じゃん。

御消息です。よく読んで欲しいと思います。

◎他力によりて信をえてよろこぶこころは如来とひとしと候ふを、
自力なりと候ふらんは、いますこし承信房の御こころの底のゆきつかぬやうにきこえ候ふこそ、
よくよく御案候ふべくや候ふらん。自力のこころにて、わが身は如来とひとしと候ふらんは、
まことにあしう候ふべし。他力の信心のゆゑに、浄信房のよろこばせたまひ候ふらんは、
なにかは自力にて候ふべき。よくよく御はからひ候ふべし(御消息)

他力の信心があるからこそ、よろこんでゆくのは、もはや自力ではないと
いただきてゆきます。

「以前の自分とは違う」とわかるからです。私の場合も、御恩報謝のお念仏を称えれば、
信後のお念仏とは、違います。

しかも、「よくよく御はからひ候ふべし」とあるでしょう。

御開山聖人は、なんでもかんでもはからひを否定したのとは、
違うと思いますよ。

◎ともかくも行者のはからひをちりばかりもあるべからず候へばこそ、他力と申すことにて候へ(御消息)

他力信いただくときのことを、おっしゃっているのだと思います。

他力信をいただくときには、すべておまかせです。

◎詮ずるところ、名号をとなふといふとも、他力本願を信ぜざらんは辺地に生るべし(御消息)

南无阿彌陀佛

503:298
08/03/22 14:58:31 MoyagLo1
>>501
していますよ。機会を見つけて、御恩報謝のお念仏をしております。
こちらに書き込む合間にも、しておりますよ。

南无阿彌陀佛

504:298
08/03/22 15:00:06 MoyagLo1
>>502
いただきてゆきます → いただいてゆくのだと思います
信後のお念仏とは、違います → 信前のお念仏とは、違います

505:神も仏も名無しさん
08/03/22 15:07:27 bfxNAdGY
いろんな立場があるんですね。

1 渡海念仏宗 
2 特別な善知識が必須。298、7、マートル他
3 特別な善知識はなくていい、信じた体験も自力なので否定
4 特別善知識はなくていい、信じた体験が起こることは否定しない

5 オカルト系
最近オカルトの方の書き込みがないですね。

506:298
08/03/22 15:08:23 MoyagLo1
>>483
全くその通りですね。ありがとうございます。
気をつけます。醜い姿をお見せしてしまい、申し訳ありません。
私のことはともかく、弥陀の信心が誤解されては、
なりませんから・・・
あくまでも私は凡夫なんですけれども、
弥陀は、素晴しいのです。
ですから、私の姿から、この道を判断してほしくありません。
「こんなのでも、救われる」という風に、見て頂けたらと思います。
つい、私は、否定的になってしまうのでしょうね。
一方、十方衆生を救おうとされ、清浄の念のみであった阿弥陀様は、
とてつもないお方だと思います。
南无阿彌陀佛

507:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/03/22 15:33:34 s4FOLEaT
>499
>自分自身が、南无阿彌陀佛そのものになるということです(>>431)。
> 即身成仏ではないのです(>>499)。

 意味不明。

 南無阿彌陀佛と一体になる(>>136
 「南无阿彌陀佛と一体になる」というのは、「機法一体の南無阿弥陀仏」の言い換えである(>>425
スレリンク(psy板:368番)
三業を整えることによって、佛になるという点においても、真の禅門であるのです。

 南无阿彌陀佛と一体になるというのは、機が法と一体になるのですから、自分自身が、南无阿彌陀
佛そのものになるということです。(>>431)


 自分自身が阿弥陀仏にその者になる。自分自身が仏になる。阿弥陀仏になる。
 三業を整えることによって(即身)で佛になる。        →  即身成仏

>503
>御恩報謝のお念仏をしております。こちらに書き込む合間にも、しておりますよ。

 はて?。
 ただ御恩報謝のお念仏をしていれば助かるのでしょうか?。御恩報謝の念仏には
こころえが必要だったのではないでしょうか。

スレリンク(psy板:602番)
 また名号をもつてなにのこころえもなくして、ただとなへてはたすからざるなり。
>きちんと称えるには、「こころえ」が要るのです。

508:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/03/22 15:34:06 s4FOLEaT
>507
 あげ


509:神も仏も名無しさん
08/03/22 15:44:53 Qwv+I1VJ
>>507-508
キモオタオヤジはうせろ
                                           ' ,; `, ; ` ; ,
                 ボォオオオオオオオオオ          ;  y"'(,;r_ソi,;  ,
                                         ノ;";;',,,u`゙;,゙`,,;;.´`r;
     /  ̄ ̄ ̄\                           ´; (,,'_;、;_;;',;人;;';`:;)
    /      \ ,,/丶                          ヽ(;,◎-◎一;;u:ヽミ/
    /     (●_ (●                        ´,,;)(";;(。。;;(´";゙,;;`9)
    |     ::⌒(__人_))                   ; ゙、  ノ;,‘"ノ{、;ε`,;;,';;u゜,, "イ
.    \     `ー'/               '′,;  ;ソ′ノ},; ' ; "; ,',ヽ;;';_;;;;_;;_`,;イ二)
   √㊥/⌒\ーィ´l≒ー№____ハ,,''",_,,'′;⌒",⌒'"~`,,,´ ,"彡"从;;:´'';´~゙゙;((´⌒:)~ヘ
   ∟_|\ ir─┴!ー─,=ァ──‐';y、~~、,     ''       ≠ ル'";; " ;|___|  }
    |___|  `ー─┬'ーtョ'       ′    `゙ーヾン,,"   ,; ; ,,  从"‘     |  |  ロ
.   ⅢII| ー─‐l                  '   `゙ヾ;;;;ン,,,ノ;Y;≒;;,',`_____| ,人_}
       |   / /                       ,´       ;,ヾ、  、,   (_,,ソ
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       └一ー一                               ノ'__}("___}

510:7
08/03/22 16:36:37 1VQ2P3Zb
test

511:神も仏も名無しさん
08/03/22 16:42:40 MUP6UKGu
>497
仏力他力によらないで、体験によるんじゃ、自力信心だよ。
信心決定者だと思うも思わないも、煩悩成就凡夫人の判断力によってるだけだし。
あてにならないものをあてにしても何にもなんないよ。

512:神も仏も名無しさん
08/03/22 16:52:48 MUP6UKGu
>498
たのむ主体が何なのか、問う事自体に意味あるのかなー?
答えが出たら安心するの?。
その答えも、煩悩成就凡夫人が造りだした、壊れゆくものなのに。


513:7
08/03/22 17:04:38 1VQ2P3Zb
>>511-512 信心獲得というものを完全に否定されているのでしょうか。。

 もしくは、信心獲得出来たかどうかは、阿弥陀さまにしか分からない、というお立場でしょうか。

514:神も仏も名無しさん
08/03/22 17:16:18 MUP6UKGu
>502
他力の信心は相続心だよ。信をいただく時だけ、はからわないなんて、
あり得ないって事。ありえてるのは自力信だからさ。
あれこれ凡夫の分際で、信心の盗り方だとか、
たのみ方だとか、はからってるから、今の君は問題なんだよ。
躍り上がる喜びなんて、煩悩でも造れる。性格だって、人それぞれ。
これこれこういう喜びが出たから信心決定だ、
いやいや、俺みたいに喜べなきゃ信心決定じゃない。
凡夫のらっきょう皮剥き合戦じゃん。
それよりも、あなたを思ってる方に、思いをいたしなよ。
たのみ方も、信心の浅深も、何一つ沙汰しない、お前を必ず浄土往生させると
いつの何時も思っておられる方に。人間業じゃない、阿弥陀仏の誓願に。
信心は全く仏心だよ、凡夫のはからいじゃない。
南無阿弥陀仏と一体となった感動でもない。必ず助けると言う
切なる願いのかたまりさ。そしたら、寝ても覚めてもへだてなく南無阿弥陀仏称えましょ。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏


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