【浄土真宗】妙好人と学ぶ7【信心獲得(決定)】at PSY
【浄土真宗】妙好人と学ぶ7【信心獲得(決定)】 - 暇つぶし2ch2:298
08/03/15 01:45:43 Uwi2aXG8
>>前スレ989 スレリンク(psy板:989番)
>298さんも早く早く信決定なされて、大慈悲の阿弥陀仏に、よろこんでいただきましょうね。
>早く、他力信心の妙味を、こころからよろこびあいたいものです。

私はあくまでも、弥陀に信心いただけたことをよろこんで、
こちらのスレに、書き込んでいるのです。

他力信心の妙味、一味の味わいを、多くの方によろこんでもらいたい、
その思いから、書き込んでいます。

この味わいは、御恩報謝につながります。

この味わいに、そのうれしさに、ありがたさに、
何もできない凡夫なれど、弥陀の御名号、南无阿彌陀佛を、
口に称えて参ります。

3:298
08/03/15 01:47:57 Uwi2aXG8
◎さればこの南無阿弥陀佛の体は、われらを阿弥陀佛のたすけたまへる支証のために、
御名をこの南無阿弥陀佛の六字にあらはしたまへるなりときこえたり(御文3-5)

◎さてその他力の信心といふはいかやうなることぞといへば、ただ南無阿弥陀佛なり。
この南無阿弥陀佛の六つの字のこころをくはしくしりたるが、すなはち他力信心のすがたなり(御文3-2)

◎されば南無阿弥陀仏と申す体は、われらが他力の信心をえたるすがたなり。
この信心といふは、この南無阿弥陀仏のいはれをあらはせるすがたなりとこころうべきなり(御文2-14)

◎当流の信心決定すといふ体は、すなはち南無阿弥陀仏の六字のすがたとこころうべきなり(御文4-8)

◎信心獲得すといふは第十八の願をこころうるなり。この願をこころうるといふは、
南無阿弥陀仏のすがたをこころうるなり(御文5-5)

真実信心いただけた方は、この御文章が、ありがたくいただけることと思います。

幾度読み返しても、ありがたい、御文様です。

南无阿彌陀佛

4:神も仏も名無しさん
08/03/15 01:50:09 rZYexArU
【真宗・親鸞】妙好人と学ぶ7【信心獲得(決定)】
スレリンク(psy板)l50
              ↑
     重複したようです。お好きな方を。



5:298
08/03/15 02:02:15 Uwi2aXG8
>>4
ごめんなさい。浄土真宗で検索したので、気付きませんでした。

6:神も仏も名無しさん
08/03/15 02:06:30 iMbIV84r
>>2
>私はあくまでも、弥陀に信心いただけたことをよろこんで、
>こちらのスレに、書き込んでいるのです。

それは素晴らしいことですね。

常によろこびまもりたまう仏様の御懐に包まれてあること、
尊い尊い南無阿弥陀仏に生きさせて頂く幸せを、
こころより喜ばせていただきましょうね。

凡夫の行い、なにひとつ間に合わなかったとわからせて頂いてこそ、
絶対他力の信心頂く身とはなれるのです。
何事も、阿弥陀仏のご本願のおひとりばたらきです。
仏恩報謝のお念仏、称えずにはいられません。

御恩尊や、
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

7:298
08/03/15 02:09:21 Uwi2aXG8
>>6
>尊い尊い南無阿弥陀仏に生きさせて頂く幸せを、
>こころより喜ばせていただきましょうね。

本当に、そうですね。
そう言っていただけますと、うれしい限りです。

8:神も仏も名無しさん
08/03/15 06:54:47 2gIqRROJ
大経の令諸衆生功徳成就とは
南無阿弥陀仏の事だよ。

みんな阿弥陀仏がなさっている。成し遂げてくださっている。
それが阿弥陀仏のあのお姿、そして南無阿弥陀仏の六字。

南無阿弥陀仏と讃えませ

9:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/03/15 10:51:23 Rg2C4BEh
>スレリンク(psy板:979番)
> 一日も早く善知識に会えることを祈ります。

 善知識は、悪知識に対するなり。真善知識、正善知識、実善知識、
是善知識、善善知識、善性の人なり。悪の知識は、仮善知識、偽善
知識、邪善知識、虚善知識、非善知識、悪知識、悪性の人なり。
                           (愚禿抄)

 あなたの善知識は、貴方には何を教えてくれた善知識なんでしょうか?。

>2
> 他力信心の妙味、一味の味わいを、多くの方によろこんでもらいたい、
> その思いから、書き込んでいます。

 そうだったんですか。それでは、自分の理解と聖教との違いが指摘されたら、
余りムキにならず「ああ、自分はまだ至らなかったなぁ」と、自省できるような人に
なりたいものですね。

 ところで、

凡夫が生涯にただ一度で信心決定する、真実行たる南無阿弥陀仏があるのだと言います。
そして、それは五正行に基づくのだと言います。 しかも、五正行は、阿弥陀の三字に入っ
ていると主張します。
(スレリンク(psy板:919番))は、どちら様が発明された御説な
んでしょうかね?。「五正行は阿弥陀の三字に入る」とは、具体的にどういう意味なんでしょう
か?
 他力信心の妙味、一味の味わいを、多くの方によろこんでもらいたいものですよね(微笑)
 


10:神も仏も名無しさん
08/03/15 10:57:38 an/441xz
>>9
キモヲタデブ中年は二度とこのスレに来ないでね
        /  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \   パー──ン       / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \
      <       (☆)   〉                     /               \
       \ =======,/                  (__i|__i|__リ     ;       |
        /~`ー=、=,=ィ.                  (   ;;    ∪     |
      /    (●)ヾ'(●) \                    ,◎─ 〃⌒)         |
      |    "⌒(__人__)⌒" |    _'そ       (o,;(´   ´_'ノ     ,; ′;| ´  ;  '
.     \     `ヾ┬ノ´ ,/〔ニ二【@】        ゝ   u.  ゞ    ,●";`‘,`・    ;
       /⌒ ̄ ̄〃 ̄ ̄〆⌒'ニ)ソ  ̄ Y `       `i       ーーーーrーゝ
        ヾ  、__゙__il、_,ジ,イ            ヾ、__  ____-‐ー‐\
       |       o| = |_ノ               /´ ̄ ̄         ヽ
.        |          |    |               /    ゙ヽ  渡海 難   |
.      |       o|   .|               /     |           |
      |   ===   | ==|                /      |           |

11:神も仏も名無しさん
08/03/15 13:07:57 iwFauBB0
前スレ
1 :神も仏も名無しさん:2008/03/02(日) 10:06:51 ID:txdCAaym
2 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2008/03/02(日) 10:08:54 ID:txdCAaym
本スレ
1 :神も仏も名無しさん:2008/03/15(土) 01:40:40 ID:Uwi2aXG8
2 :298:2008/03/15(土) 01:45:43 ID:Uwi2aXG8

前スレもそうだったけど、今回も自称妙好人の基地外固定がスレ立てたのか。
渡海難も298もこのスレの厄介者だからな。それに笑いのマートルとけちゃっぷが続いてるって感じ。

で、なぜ298はわざわざ名無しでスレ立てたのか?渡海難と同様に他スレで身元を隠して自作自演をやってるのかと。

12:神も仏も名無しさん
08/03/15 14:11:18 IjHmjK9W
>298さん
「南無阿弥陀仏の六字をよくこころえたる信心の行者」だったっけ、
蓮如さんは御文の中でよくそのような意味の事を仰るけど、
その同じ蓮如さんが「知り顔の体」
「心得たと言うのは心得ぬなり」とか言われて、批判される。
これって常識的には、矛盾した発言だよね。
片や「よく心得わける事を推奨」しているように言いながら、
片や「心得たなんて言うのは心得てないんだ」と否定する。
蓮如さんが末通らない人、教義に矛盾する人でないとするなら、
どうしてそんな事を言われたのだと思う?


13:神も仏も名無しさん
08/03/15 14:46:25 JcIx7sU4
298さんと298さんの信心に疑問を持つ人の議論、
一般的には圧倒的多数の人が298さんの主張を支持すると思う。
それは、298さんの考え方は凡夫の世間にあって常識的だから。
しかし、他力の教えは阿弥陀さんの側の常識であって、凡夫の側の常識でははかれない。
だから、難中の難なのだと思います。
 
カルトの信者を救出する目的で教義の矛盾を論じても、
カルト信者に自信を持たせるだけで徒労に終るということを読んだことがあります。
なんとなくそれに近いものを読ませてもらっている気がします。

14:神も仏も名無しさん
08/03/15 15:39:59 KoD+DfYh
>>13
一般的に言えば298さんに疑問を持つ方のほうが圧倒的に多いだろうと、私は思います。
世間一般の理解は、ただ口に南無阿弥陀仏と称えればよい、というのではないでしょうか。
どちらかといえば、298さんを否定される方のほうが、より世間に受け入れられる信心ではないかと。
事実、このスレでも298さんを支持しているのは、同じ信心をいただいている方ばかりみたいですし。

15:神も仏も名無しさん
08/03/15 15:45:51 0UJUlNrB
まあ、298と渡海は五十歩百歩ですから。基地外は基地外なりの持論を持ってるんですよ。

16:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/03/15 15:48:37 Rg2C4BEh
>14
>ただ口に南無阿弥陀仏と称えればよい

 「ただ(いたずらに・虚しく・形式的に・闇雲に)口に南無阿弥陀仏と称えればよい」
といういみでしょうか?

 「ただ(ひたすらに・二心無く・専一に・真剣に・心を込めて)口に南無阿弥陀仏と称えればよい」
といういみでしょうか?

17:神も仏も名無しさん
08/03/15 15:51:49 KoD+DfYh
>>16
両方です。

18:神も仏も名無しさん
08/03/15 16:02:00 Ht4Fqpdd
ただ口でとなえりゃいいだろ、ってのは平安浄土教、
それから融通念仏だね。法然浄土教、親鸞は違うでしょ。

19:神も仏も名無しさん
08/03/15 16:04:02 Ht4Fqpdd
口でとなえておけばいい、っていうのは
名号を口でとなえることに効力を認める信心だね。
まあ、これが一番の易行ですよ。
特別な善知識やたのみ方、聴聞すらいりませんからね。

20:神も仏も名無しさん
08/03/15 16:15:14 P2ng6tQd
称名は口でとなえるものではなく
口から溢れこぼれ出るものです

21:神も仏も名無しさん
08/03/15 16:24:47 JcIx7sU4
>>14
世間一般の理解は、ただ口に南無阿弥陀仏と称えればよい、ということしょう。
しかし、少し学べば、心底阿弥陀仏の救いを信じて念仏を称えれば、と知る。
すると、阿弥陀仏を心を込めてたのめばいいんだろ、と考える。
心を込めたたのみ方ができれば・・・世間の常識的思考の発展の仕方だと思います。
私自身がそのように思っていましたよ。

22:神も仏も名無しさん
08/03/15 16:40:05 KoD+DfYh
>>21
そうですね。真摯に向き合った人は、あなたのようにそれだけではいけないんじゃないかと考えます。
しかし、世間的にはそこまで深く考えてみる人は少ない。『ただ人まねばかりの体たらくなり』でしょう。

>心を込めたたのみ方ができれば・・・

これですよね。このうえなく易行、されど難信の法は。


23:神も仏も名無しさん
08/03/15 20:10:18 IjHmjK9W
唯称名も難しいねー。何を持って唯称名と言えるのかとか、
唯称えればいいだけじゃんっとか、命延びれば人は「はからい」だすからねー。
あれこれはからって、その時々の気分に合わせて、人は答えを出す。
次の日、違う意見に強烈なシンパシーを感じれば、その答えも変わる。
または逆に、自分の答えや信念を守ろうすれば、
頑なになって殻に籠もろうとする。
得てしてそんな茶番を毎日繰り返して留まる事がないんだねー。
だから、輪廻は止まらない。その原因である我が心をたのみ続けるから。
だけど、凡愚は本当に輪廻が大好きで、それが虚しい事とはこれっぽっちも思わない。
凡愚の心は底無しの虚仮不実、皆嘘の固まり。
体験も、思いも、領解も、信念も、求道も、全部嘘。
我執の上に築き上げた不良物件。一生懸命補強しても、不退の決意で立て替えしても、
土台から、建材、補強材から建て替え素材に至るまで、
全て雑毒虚仮・嘘の泥で出来てるからね、手の施しようがないのさ。
阿弥陀さまが立ち上がられた、仏願の生起を訊ねてみれば、
全く出離の縁なき者が対象。手元には泥しかないなら、
もう自力はあてにならないじゃん。
弥陀の「お前を必ず助ける」一心をたのむより他に、何があるの?
黄金持ってると勘違いしたり、いつか黄金が手に入るなどと期待するのは、
弥陀の本願を疑い、自分の心をあてたよりにしてるからさ。
死ぬまで不真実の泥の塊がそんな信念やら期待やらを持っても、
有毒ガスを出すだけ。唯仏一乗清らかなのに、誓願一乗なのに、
高慢心を旨として、二乗・三乗と余計な物拵えないでおくれ。
南無阿弥陀仏

24:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/03/15 20:15:43 Rg2C4BEh
>18
>それから融通念仏だね。法然浄土教、親鸞は違うでしょ。

 黒谷上人御法語
 法然上人の御法語

 道俗等おもふベし、我身にはかしこき事は一もなし。
 坊さんも在家者もよく考えて欲しい。自分には賢いところは何もない。

 佛の願によらずば、かかるあさましきものの往生の大事をとぐべしやと思て、阿彌陀佛の悲願
をあふぎ、他力をたのみて名号を憚なく唱べき也。

 仏の願に寄らなければ、このような愚かな者がどうして極楽浄土に往生できただろうかと、そ
のように考え、阿弥陀仏の悲願を仰ぎ、他力をたのみ、遠慮することなく名号を唱えなさい。

 是を本願を憑とはいふなり。
 本願をたのむとは、そういうことを言う。

 すべて佛たすけ給へと思て、名号をとなふるに過たる事はなき也。
 どの様なことでも、仏に、どうか助けて下さいと心に思い、南無阿弥陀仏の名号を唱える以上
に素晴らしいことはない。

 此外によしと思も僑慢の心なり。
 このほかに、「これが正しい」と思うことがあれば、これは驕慢の心である。

25:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/03/15 20:16:39 Rg2C4BEh
 凡、佛をたのむといふは、心の中の観念にあらず、ただ名号を唱るをすなはち本願憑とは云也。
 およそ、仏をたのむというのは、心の中でただ思うことではない。ただ名号を唱えると言うこ
とこれを本願たのみと言う。

 念佛の行者観念にとどまる事なかれ、思はばやがて聲をいだしてとなふべき也。
 念仏を心の中で考えているだけで止まってはいけない。考えたらやがて声に出して唱えなさい。

 称名の外には決定往生の正因なし。称名の外には決定往生の正行なし。
 称名念仏の外に往生が決定していく正因はない。称名念仏の外に往生が決定していく正行はな
い。

 称名の外には決定往生の正業なし。称名の外には決定往生の観念なし。
 称名念仏の外に往生が決定していく正業はない。称名念仏の外に往生が決定していく観念はな
い。

 称名の外には決定往生の智恵なし。称名の外には三心なし。
 称名念仏の外に往生が決定していく智恵はない。称名念仏の外に三心はない。

 称名の外には決定往生の四修なし。五念も称名の外にはなし。
 称名念仏の外に往生が決定していく四修はない。五念門も称名念仏の外にはない。

 佛の本願も称名を本願とす。厭離穢土の心も称名の中にあり。
 佛の本願も称名が本願である。厭離穢土の心も称名の中にある。

26:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/03/15 20:17:33 Rg2C4BEh
 法藏菩薩の昔の他力本願の故に、彌陀如來の自在神力を信じ奉るべし。
 阿弥陀仏が法蔵菩薩と言われていたころの他力本願を根拠に、彌陀如來の自在神力を信じてほ
しい。

 若是よりおくふかき事を存候はば、日本國六十余州大小の神罰を蒙り、來世の彌陀の四十八願
にもれ候て、無間地獄におつべし。
 もし、仏教というものにこれよりもさらに奥深い教えがあれば、日本中のあらゆる神々の神罰
を受けるだろう。来世の阿弥陀仏の四八願に漏れ、自分は無間地獄に堕ちていくだろう。



「念佛の行者観念にとどまる事なかれ、思はばやがて聲をいだしてとなふべき也」。
 重い言葉として受け止めてほしいものだ。

27:神も仏も名無しさん
08/03/15 20:22:01 IjHmjK9W
>22
真摯?輪廻を繰り返す煩悩成就の凡愚に真摯なんてありえない。
阿弥陀さまが真摯に願い、真摯に「必ず助ける」と宣言されたんでしょ。
お釈迦さま、阿弥陀さまがどうにもならない私に真摯な心をかけて下さると
聴聞しないで、何を聴聞するのさ。
虚仮が造り出した真摯を誉めても、絶対、浄土の因にはならないからね。
南無阿弥陀仏

28:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/03/15 20:53:37 Rg2C4BEh
>27
>真摯な心をかけて下さると聴聞しないで、何を聴聞するのさ。

 聴聞が大事という考えは、まあ大事なことだな。ところで、声を出して自分が
念仏を唱えるということと、聴聞と、どちらが大事だと思う?

 貴方の場合、胸を手に当てて考えることも大事だろうな。声を出して念仏は
称えているか?声を出して念仏を称えるということがなければ、真摯な心をか
けて下さると聴聞しても、意味のないことだよ。


29:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/03/15 20:56:17 Rg2C4BEh
>22
>心を込めたたのみ方ができれば・・・

凡、佛をたのむといふは、心の中の観念にあらず、ただ名号を唱るを
すなはち本願憑とは云也。

 こころそこになければ、法然の言葉も、親鸞の言葉も、聞いても聞こえず
見ても見えず、か。

30:神も仏も名無しさん
08/03/15 20:59:08 W+TAtE4j
>>27
はい。そうですね。
他力にたどり着くまでは、みんな自力が混ざってるんですよね。
でも、あとで思えばその自力さえも阿弥陀様がお膳立てしてくれたのかなあ、って思ったりするんですよね。

31:神も仏も名無しさん
08/03/15 21:02:20 iMbIV84r
仏様の側から見れば、わたしたちの行動はみんな非常識です。

必ず来る死と後生の問題を放置して、どうでもいい(もちろん、当人にとっては
どうでもよくないのですが)世間のことにのみ、毎日あくせくと生命を費やしている。

財産も、家族も、自分の身体でさえ、すべてうつろっていくゆえに
なにひとつあてにならないのに、「お金があれば」、「家族がいれば」、
「健康であれば」…と、信じて求めている一方で、
必ず極楽往生させて、未来永劫、幸せにしてみせると誓っている、
阿弥陀仏の本願はぜんぜん信じないし、求めない。

法の鏡で見せて頂けば頂くほど、なるほど確かに助かる縁の微塵もない、私たち。

でもだから、阿弥陀仏の本願を聞けるというのは、それだけでもすごいことです。
そういうものがある、と知るだけでも尊いし、他力の信心得たい、と思う気持ちも尊い。

仏様とのご縁なんてあるはずもない、煩悩具足の凡夫なのに、
どうして知っているのか、どうして聞けているのか、どうして求めようなんて思えるのか、
考えてみたらものすごく不思議なことです。
これすべて、阿弥陀仏のご本願のものすごい力によって、
第十八願の世界に向かって、引きずられていっているんですよね。


32:神も仏も名無しさん
08/03/15 21:02:26 W+TAtE4j
>>29
心をこめてたのむのも、いっさいがっさい、ぜんぶ阿弥陀様がしてくれるので、ただしたがうだけなんですね。


33:神も仏も名無しさん
08/03/15 21:02:52 iMbIV84r
>>31
そして宿善開発の一念で、南無とたのむ身にならせて頂いたとき、
阿弥陀仏のまことのこころにおさめとられ、南無阿弥陀仏の御六字のなかに、
仏と凡夫とが、決して離れない姿となって生きさせて頂ける。

「南無阿弥陀仏」と口で称えさせて頂く「だけ」でも、何が何でも私たちを助けずにはおかない
阿弥陀仏の深い深いお慈悲がさせてくださっていることと知れば、
本当に尊く、有難いことです。

そうと知ってみれば、この世で見るもの聞くもの全てが、そのまま
阿弥陀仏のご勅命、「我をたのめ、必ず助ける。」のお呼び声。

ここまでお膳立てして頂いていたら、もう、いつまでも「いやだ、救われたくない」なんて
言ってはいられないですね。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。


34:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/03/15 21:12:13 Rg2C4BEh
>32
>ただしたがうだけなんですね。

 それで貴方は、自律的に、能動的に念仏を称えるの
か?。称えないのか?。(苦笑)

35:神も仏も名無しさん
08/03/15 21:13:12 W+TAtE4j
御恩報謝の念仏を称えてます。

36:神も仏も名無しさん
08/03/15 21:13:52 SPM8yeM5
【重要なお知らせ】

精神病の渡海難は放置してください。相手にする価値も無い人間です
ので放置が一番です。現実社会で渡海難が誰にも相手にされないように
無視してください。

▲▼▲▼渡海難とは ▲▼▲▼
2ちゃん以外では誰にも相手にされない人間。
内面から滲み出すキモイ精神のお陰で腐臭が漂い、周りから忌み嫌われ
ているのだが社会が自分のことを理解してくれないと誤解し、浄土真宗の
坊主と思われる人を叩くことでようやく自我を保っているような屑。そのような
卑屈な根性が誰にも相手にされなくなる原因と未だ理解できないようだ。。。。
長い間 社会と隔絶された生活をしているため脳内でいろいろな人と語り
合う事ができる。(自作自演が得意)


※以下の文を10回暗誦して反省してください。

荒らし・煽り・叩きに反応する事は荒らしへの荷担にしかなりません。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
荒らし・煽り・叩きを無視できないあなたも荒らしです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

37:神も仏も名無しさん
08/03/15 21:15:15 SPM8yeM5
     ∞~プーン       ~
      / ̄ ̄ ̄ ̄\   ~ プゥーン
     (  人____)  ~
 ~∞  |ミ/  ー◎-◎-)  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 プーン (6     (_ _) )<オレはこう見えても結構モテるんだぜ!!!!
      |/ ∴ ノ  3 ノ  \_________
      \_____ノ,,    ∩_
     /,|┌-[]─┐| \  (  ノ
      / ヽ| |  バ  | '、/\ / /
     / `./| |  カ  |  |\   /
     \ ヽ| lゝ    |  |  \__/
     \ |  ̄ ̄ ̄   | プーン~∞ 
      ⊂|______|
       |l_l i l_l |  
       |   ┬    |
◆渡海難の正体◆
・引篭り歴10年以上・童貞、彼女&女友達無し(というか友達1人も無し)
・身長159cm以下体重75kg以上 体脂肪率38%以上 ・年賀状は1枚も来た事が無い
・3流大学卒、アニメサークル所属、合コン歴無し ロリコン
・今行きたい所:秋葉原、オタワ(カナダの首都、ヲタクが集まる所だと思ってるらしい)
・前科5犯(万引き、食い逃げ、性的暴行、強制猥褻、痴漢(存在自体が痴漢))
・好きなゲーム:ゲーム関係なんでも、但しホラー以外(ションベンちびって3日以上放心状態になるから)
・所持エロゲーは軽く1000を越える
・コンビニの処分された弁当しか食べられない、というか最近家族に手料理を作ってもらってない
・風呂には3日に1回しか入らない ・50M走タイム11秒5以上 ・自分の年齢=彼女いない歴
・AV、アニメビデオを1日最低3回は見る ・“ラップ”と聞くと「サランラップ?」とボケでなくマジで答える
・趣味:2CH心と宗教板への書き込みをすること、座禅念仏
 そして浄土真宗関連スレ、親鸞会関連スレを見つけるとここぞとばかり攻撃し、チンポをこすりながらレスを待つ
・カラオケで歌うのはいつもアニソン、というか友達がいなくてカラオケも行けない
・真宗教団と親鸞会と真宗の僧侶を目の敵にしている ・ギャルゲグッズを多数所持
・メル友募集をしても女性からは1通も来ない、(ネカマからは来る、しかも普通に女と勘違いする)
・自分にレスする者全員に対して「ボーズ(坊主)」「親鸞会」と言う恥知らずのリアル精神病患者

38:神も仏も名無しさん
08/03/15 21:16:39 SPM8yeM5
念仏宗渡海会(「こんにちは会」ともいう)
・教祖 渡海 難(「とうみかたし」と読む) ←渡海紀三朗文科相とは無関係
・会費 4000円
・HP  URLリンク(www7b.biglobe.ne.jp)
・根本聖典(?)親鸞の思想と教行信証(世界数ヶ国後に翻訳されると本人が称している)
「親鸞仏教の正当性を問う」URLリンク(mentai.2ch.net)
「親鸞仏教の正当性を問う(パート2)」URLリンク(mentai.2ch.net)
「親鸞仏教を見直そう。」URLリンク(mentai.2ch.net)
「親鸞仏教を問う(Ⅲ)」URLリンク(life.2ch.net)
「親鸞仏教論 Ⅳ」URLリンク(life.2ch.net)
「□■ЯЯ親鸞仏教(浄土真宗)質問箱RR■□」スレリンク(psy板)
「○●Я親鸞仏教質問箱R(その2)●○」スレリンク(psy板)
「○●Я親鸞仏教質問箱R(その3)●○」スレリンク(psy板)
・教義 渡海教祖の思いつきで右に左にコロコロ変わる。ある時はお釈迦さまの代弁者となり、ある時は親鸞思
想の代弁者となる。大川隆法の「霊言」のようなものである。
ちなみにカルト教団に「サタン」とするものがあるのと同じく念仏宗渡海会にも「親鸞会」や「浄土真宗のお坊
さん」というサタンが存在し、自分に都合の悪い者がいると「親鸞会」や「浄土真宗のお坊さん」と言って決め
つける。
ちょうど創価学会の「日顕宗」のようなものと思えばいいだろう。
・会員数 ゼロ(笑)
・教祖の性格 一言で言えば基地害、電波。独善的で絶対に他人の言うことを聞かない。
裁判の時弁護士が使うような論法で次々と質問をはぐらかす。
・活動 2chでの布教活動を主とする。
あと、彼にとってのサタンである親鸞会の退会者に狙いをつけて退会者狩りを行うが念仏宗渡海会の信者になっ
たという話は聞いたことがない。
渡海会には「座禅念仏」という行があるそうだ。それを真宗関係のサイトで説いて回った所、次々と拒絶されて
いる。
あと「ああ先生」という呪文もある。詳しいことは分からないが人の意見を聞かない奴に先生もヘチマもあった
ものではないが。

39:神も仏も名無しさん
08/03/15 21:18:12 SPM8yeM5
渡海難のカキコパターン

1 あるスレに突如として乱入。「最初は~について教えてください」と学習者を装って参加する。
2 スレの参加者がそれに乗って丁寧に教えてやる。
3 その言葉の揚げ足を取って渡海難が攻撃開始。『教行信証』を断章して自分勝手な仏教解釈のコーシャクが
始まる。
4 それに対しスレの参加者が「まともな根拠をつけて」反撃する。
5 渡海難、正論で反撃できなくなり、しばらく黙る。その後、「お坊さんですね」(最近はこのパターンが多
い)か、「親鸞会ですね」と寺や親鸞会批判をする。(大概は奴の妄想)
6 それに対する反撃の後、4~5、もしくは3~4がしばらく続く。(7、もしくは8へ)
7 「馬のションベントーク」で相手がウザイと感じるまでけなす。
8 明後日の方向にひたすら答えにならないレスを乱発し、スレの流れをかく乱する。もしくは「仮説」に逃げ
る。「ウソも100回言えば」のクチでそれに騙されて「渡海は真の論者だ」という信者はこの8のシチュエー
ションから生まれる。(9もしくは10へ)
9 (しばらくしてスレが静かになると)一方的勝利宣言をして他スレを荒らしに行く(1に戻る)
10 あまりに渡海難がウザイので2chではスレが下がったり、他のHP掲示板は静かになる、すると「私を恐
れているんだ」と他スレや他の掲示板で言いふらす。

40:神も仏も名無しさん
08/03/15 21:20:17 JcIx7sU4
>>30
> 他力にたどり着くまでは、みんな自力が混ざってるんですよね。
> でも、あとで思えばその自力さえも阿弥陀様がお膳立てしてくれたのかなあ、って思ったりするんですよね。

どうにもすっきりしない引っかかる表現だなぁ?


41:神も仏も名無しさん
08/03/15 21:20:59 SPM8yeM5
もう渡海難の話題はうんざりだろうけど、まだまだ出現するかもしれないので、
特定するためプロファイリングしてみますね。

渡海 難 とはこんな人物

 ●年齢は60歳くらい

 ●浄土真宗、真宗の僧侶、親鸞会に深く怨みを持っている

 ●来世を否定して、現世を肯定

 ●阿弥陀仏は架空の存在と主張

 ●親鸞聖人が問題を解決したから、我々は世間のことに努力すれば良いと
  「十劫安心」まがいのことを言う

 ●カウンセリング、自律訓練法など、いろいろな事を経験したらしい

 ●正規の宗教教育は受けておらず、すべて独学のようだ

 ●座禅して念仏せよと主張するが、その目的は不明
  ココロが癒されて身体に良いのかな?





42:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/03/15 21:28:25 Rg2C4BEh
>35
> 御恩報謝の念仏を称えてます。

 なるほど。

 わが身の往生、一定とおぼしめさんひとは、仏の御恩をおぼしめさんに、
御報恩のために、御念仏、こころにいれてもうして、世のなか安穏なれ、仏
法ひろまれと、おぼしめすべしとぞおぼえそうろう。

 これで自分の往生は決まったと、そのように確信できたなら、仏のご恩を
心に思いながら、御恩報謝の念仏を称えるといいでしょう。
 自分の往生は決まったと、そのように確信できないうちには、御恩報謝の
念仏は急ぐべきではないと僕は考える。

 往生を不定におぼしめさんひとは、まずわが身の往生をおぼしめして、御
念仏そうろうべし。

 本当にこれで往生できるんだろうかと、心配するような人は、「どうか私の
往生をよろしくお願いします」とそのように思いながら念仏するのもいいだろう。

 このほかは、別の御はからい、あるべしとはおぼえずそうろう。 (消息集)
 この他には特別考えることはなにもありません。
 

43:神も仏も名無しさん
08/03/15 22:33:55 WjqhmcqF
現代は、知的レベルと霊性の両立した善知識(?)が求められているのでしょうね。

44:神も仏も名無しさん
08/03/16 00:19:35 7oS3fxAI
>30
凄い予定調和だねー。泥が予定調和をはからってるなんて、
へそで茶を沸かすような茶番劇だよ。
大体、他力に辿り着くって何?何が他力に辿り着くのさ。
私は他力に辿り着きましたって言ったら、自力じゃん。
~したから、辿り着きましたって、勝手に辿り着いたと思ってるだけ。
わたしは弥陀をたのんだので、他力に辿り着きましたってこと?
そしたら、私が弥陀をたのむ=give
だから、他力に辿り着く=takeの関係じゃん。
キリスト教の神と人との契約論が、阿弥陀仏に置き換えられただけみたい。
信心と天国の関係みたい?福沢諭吉の脱亞入欧教育の賜物かも?
阿弥陀さまは契約結ばないよ。契約結べるような相手だったら、
若不生者不取正覚の誓いを起こす必要ないし、阿弥陀と名乗る必要もないじゃん。
他力に辿り着いた者を救う仏と名乗らないと、嘘つき仏になっちゃうよ。
そんな仏、たのむに値しないねー。もし、それでもそんな仏が好きなら、
明日から、「南無他力に辿り着いた者を助ける仏」と称名するのが、
理にかなってるし、そういう宗旨にはそういう仏名じゃないとねー。
私は、そんな仏さまより南無阿弥陀仏だなー。南無阿弥陀仏

45:神も仏も名無しさん
08/03/16 00:34:01 vQj4tqPO
渡海難と298のことが新聞に載ってたぞ

URLリンク(up2.viploader.net)
URLリンク(up2.viploader.net)

46:神も仏も名無しさん
08/03/16 00:34:21 7oS3fxAI
>43
冷製も知識もいらないねー。そんなコギトな事、ゴミ箱直行だね。
そんなカテゴリーを作って何か意味あるのかな?
自分の知ったこと、興味あること、歩んだ道、評価してもらいたい?
大丈夫、阿弥陀さんは知ってるよ。
名が体をあらわす仏さま、際限がない仏さまだから、
あなたの気持ちを知ってる。俺は知らないです、泥だから。
我が心たのまず、弥陀たのめ。蓮如って人のお勧めだよ。


47:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/03/16 01:00:27 E7uScBw/
>46
 要するに、自分は何も考えたくないということなんだろうね。

 この人の信心、聞より生じて思より生ぜざる、このゆえに名づけて
「信不具足」とす。(信の巻・化身土の巻)

 信心は永遠に得られないだろう。「阿弥陀さんは知ってる」などと言
われても、「迷惑だよ」と言われるのが関の山だな。


48:神も仏も名無しさん
08/03/16 03:28:03 7oS3fxAI
>47
渡海さんに返事していいのかなー。
俺が何処に聞思がなくていいなんて書いたのかねー?
考えるんだよ、他力とは何?今までこれでよしと思い込んでいたのは、
自力の妄念に過ぎないのではないかってね。
煩悩好きが、煩悩に流されているだけで終わってるんじゃないかって。
弥陀の本願に照らして点検する。お釈迦さまのお示しにも照らして、
現在する苦果を引き起こしている因について。その中には自分で
解決できるものもあるからね。無論、後生の一大事に関しては、
我々のはからうことに非ず、弥陀たのめ以外、何もないけど。
親鸞聖人が三部経千部読ジュしようとして思い立って、やめたように。
聞思は重要ですね。



49:神も仏も名無しさん
08/03/16 07:03:57 GeFk44Kk
妄念でもって妄念の点検をしているのだね。

50:神も仏も名無しさん
08/03/16 08:09:08 7oS3fxAI
>50
お釈迦さまのお示しによって、現在の苦果からその原因を探っていくのさ。
治せる事もあれば、治せない事もあるけど、仏法をよりどころとして、
生き死んでいくのさー。南無阿弥陀仏

51:298
08/03/16 08:38:58 v/AA7wt/
娑場のことはいろいろありますが、浄土が尊いですし、南无阿彌陀佛が尊いことです。
生きてゆく上で、必要なことがあるのは、過去の執着の故。
弥陀をたのめば、もう後は、残りの後片付けをして、きれいになって往生です。
真に価値があると感じるものに出会い、いただけたと感じ、感謝してお称えする南无阿彌陀佛。
とてもしあわせなことです。
南无阿彌陀佛


52:神も仏も名無しさん
08/03/16 09:44:11 5a0sZ8hd
>>51
> 弥陀をたのめば、もう後は、残りの後片付けをして、きれいになって往生です。

歎異抄14章を読んでみて下さい。
「罪を滅せんとおもはんは、自力のこころにして、臨終正念といのるひとの本意なれば、
他力の信心なきにて候ふなり。」

53:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/03/16 10:37:39 E7uScBw/
>>48
>渡海さんに返事していいのかなー。    -微笑-

>俺が何処に聞思がなくていいなんて書いたのかねー?

 はて?。聞思がなくていいなんて書いてなかったかな?。そうですか。そうですか。なるほど。
なるほど。

>考えるんだよ、他力とは何?今までこれでよしと思い込んでいたのは、自力の妄念に過ぎない
のではないかってね。

   ほほう。立派だねぇ。

>煩悩好きが、煩悩に流されているだけで終わってるんじゃないかって。
   ほほう。なるほど。なるほど。考えて、結果はどうなりましたか?

>弥陀の本願に照らして点検する。
   ほほう。点検するんだな。点検結果はまとまりましたか?。

>お釈迦さまのお示しにも照らして、
   ほほう。お釈迦様も、いろいろとお忙しくなりますね。

>現在する苦果を引き起こしている因について。
  聞思した結果はどうなりましたか?。結果が大事ですよね。点検しっぱなしじゃ意味がない。

54:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/03/16 10:38:21 E7uScBw/
>その中には自分で解決できるものもあるからね。

 ほほう。それで何か解決しましたか?どのように解決しましたか。解決する前と解決した後で、
何がどう変わりましたか?。

>無論、後生の一大事に関しては、我々のはからうことに非ず、
  ほほう。なるほど。なるほど。

>弥陀たのめ以外、何もないけど。
  ほほう。たのんで何か変わりましたか。どのようにたのんだのでしょうか?
  頼むまえと、頼んだあとでは何がどのように変わりましたか?
  変わらなかった?。 気休めにはなった? 気休めにもならなかった?

>聞思は重要ですね。
  なるほど。なるほど。
  はてはて、7oS3fxAIのことを阿弥陀様が何か覚えてくれているかなぁ? 「7oS3fxAI?。知
らんなぁ。どこの誰だって?。聞いてないなぁ。何も話は聞いてないぞ」などと、阿弥陀様がそ
う仰らなければ、幸いですよね。

55:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/03/16 10:40:26 E7uScBw/
>>51
>娑場のことはいろいろありますが、浄土が尊いですし、南无阿彌陀佛が尊いことです。

 「いろいろ」という一言で娑婆のことにふたをされてもねぇ。娑婆こそ、今、現実に生きている世界だからねぇ。

>生きてゆく上で、必要なことがあるのは、過去の執着の故。

 まあ、過去の執着があるのは否定しないが、それだけかねぇ?。
 なんか退廃的だね。この人には未来に希望はないんかねぇ

>弥陀をたのめば、もう後は、残りの後片付けをして、きれいになって往生です。
   この人は、死ぬことしか考えてないんだろうか? 早く死にたい?。自殺願望?

>真に価値があると感じるものに出会い、いただけたと感じ、感謝してお称えする南无阿彌陀佛。

 娑婆の縁つきて、ちからなくしておわるときに、かの土へはまいるべきなり。(歎異抄)。
 娑婆では力の限りを尽くしていくことこそ、我々の義務であり、使命だと僕は思う。その中で、
いよいよ命の全てが燃え尽きたとき死は厳粛にやってくる。死ぬことなどは考えず、今生のこと
に全力を尽くしていきたいものだ。秘事法門は退廃的な宗教だねぇ。

>とてもしあわせなことです。南无阿彌陀佛
       退廃的な幸福感だなぁ。なんか、病的だなぁ。

56: ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
08/03/16 10:42:54 vEIlE3cS
 |    彡彡⌒⌒⌒ ミ      彡     ⌒⌒ミ
 |    彡彡ノ.  三  ヽ     / ヽ       ||!
 |   ∥|∥  '。  。` |    |  ||   !  l l| l||
 |   川川∥U  ' ω` ヽ    / U |川川 !! l |l|||ル
 |   川6    ∴)д(∴)  (∴   9川| l| |川 l||l
 |   川川      ~ /    ヽ      川 | lルリ
 |    / ヽ  ___/     \__      ヽ
 |   /        \        /        ヽ
 |   | |  ト     ヽ       /  Y  |      !
 |   / . |  |       ヽ     /    |  |      !

57:神も仏も名無しさん
08/03/16 10:47:33 wp6cwDCq
三業を整えて信心を獲得すると仏凡一体になる。
信心を獲たあとは徐々に煩悩が減り、心が清浄になっていく。
信後の人生はおまけ、もしくは食後の後片付けのようなものなのである。





58:神も仏も名無しさん
08/03/16 11:35:53 7oS3fxAI
>51
残りの後片付けってなんだろー?
明日もあさっても命ある限り、煩悩は絶え間なく起こる。
後片付けしたと思った次の瞬間にはまた起こるよね。
その後片付けはどうすんの?阿含経典で、お釈迦さまは心の動きについて
「常に気を付けておれ」と言われてる。
親鸞さまは、「弘誓のちからをかむらずば、
いづれのときにか娑婆を出でん。仏恩深く思いつつ、
つねに弥陀を念ずべし」と言われてる。
自力によって煩悩を断じていく道と、必ず涅槃にいたらしめるという
仏願を本とする他力と、その方便は違うけど、
煩悩は苦果を生じさせる因であることには変わらないよね。
称名念仏には、煩悩大好きの私を「必ず助ける」のお心を聞く状態に
引き戻してくれるそんな働きもあるんじゃないかなー?
物理的にも、称えてる間は悪口言えないし。
また、阿弥陀さまの「必ず救う」を聞いてる刹那を切り取れば、
私は救われたとか、喜び心が出たとか、他人との差異がどうだとか、
ああだから、こうだから、と言う感想は差し挟めないよね。
そこにあるのは「必ず救う」という弥陀の真実心だけ。
凡夫の心が全く介在してないから、信心は全く仏心と言えるんだね。
ああ辛と言うは後なり唐辛子か。
>57
嘘だぁ。

59:神も仏も名無しさん
08/03/16 11:51:17 eQsgHzm0
>>57
>三業を整えて信心を獲得すると仏凡一体になる。

三業を自分で整えることは、できないことです。
阿弥陀仏はそのこと十分ご存知ですから、整えて来いともおっしゃいません。
そのままで、信心頂き、仏凡一体とならせて頂けます。

>心を獲たあとは徐々に煩悩が減り、心が清浄になっていく。

煩悩はいっさい減りません。煩悩しかない凡夫そのままのお救いですから。

心も清浄になりません。虚仮不実のそのままです。

それでも煩悩即菩提、障り多きに徳多しと、苦を楽に転じ変えてくださるのが、
不思議不思議の南無阿弥陀仏のおちから。

信頂いた後は、生きているうちから
阿弥陀仏の無量の御光が常に照らし、包み、お守りくださるゆえに、
もうなにひとつ、足すも引くもいらない、こころは浄土に遊ぶなり。
仏恩報謝のお念仏を称えさせて頂く現在ただいまが、
生きてまいるお浄土、南無阿弥陀仏です。


60:神も仏も名無しさん
08/03/16 14:58:49 GwlcplGw
ここにいる方は、葬式を、すでに済ませたのでしょうか。

61:神も仏も名無しさん
08/03/16 15:46:12 1eg90xai
不断煩悩得涅槃なんだよ

正信げを読みなされ

62:神も仏も名無しさん
08/03/16 16:52:28 UE6pDhmw
そういえば、子どものとき、報化二土正弁立のところでいつもプッっと吹き出してたっけ。
退屈だったから、なんとなく変化がほしかったんだね。 ・・・関係ないけど。

63:神も仏も名無しさん
08/03/16 16:56:42 UE6pDhmw
さあ、今日の仕事、おわり~~♪
帰ってビール飲も。
仏壇に手を合わせない日はあっても、ビールを飲まない日はないような。。。

64:笑いのマートル
08/03/16 22:12:01 gnNboDn4
自分の業の稲刈り。
どんな死に方をするのかも教えてもらえない。
煩悩の厚い雲に覆われて知る事が出来ない。
綺麗な死に方がしたいなんて、希望でしかないと思います。
私は、どんな迷惑をかけて死んで行くのだろうか・・・
毎日が修行の我らではあるけれど。
大した修行も出来ぬ身なれば、
ただ、阿弥陀仏今度の一大事をお救い下さいとたのむのが精一杯。
そのままで良いとのお言葉に甘えて過ごす毎日。
この世での業因の稲刈りが出来なければ、死ねないと言われている。
この後どんな稲刈りが待っているのだろうか・・・
悪い稲刈りの方が、きっと多いんだろうなぁ。
刈るのも楽な根無し草。
何とも有り難い、南無阿弥陀仏。
南無とたのべば、魂の葬式済ませる。
この命終われば御浄土に往ける身。
魂の葬式済ませ、後はこの身の葬式を待つばかり。
しかも、妄念の身でありながら、生かして貰える南無阿弥陀仏。
見た事もない極楽恋しと思えぬ身。

65:神も仏も名無しさん
08/03/16 23:40:29 5a0sZ8hd
>>64
> この世での業因の稲刈りが出来なければ、死ねないと言われている。

私は意味すら分からないんだけど、死ねないんならその方がいいね。

66:7
08/03/17 03:36:54 6nIC8dCS
皆さん、お久しぶりです。このスレを建てていただいてからもう7スレ目になるのですね。

無事に信心獲得させていただけたことが、有難いです。

298様の、仰るとおり。

このスレを建てていただいた方々、妙好人の皆様、本当に有難うございます。

67:神も仏も名無しさん
08/03/17 04:21:40 v37LzYpo
信仰の事を考えるのは、一日の中でもわずかな時間。やっぱり日々、仕事や家の事、そんな事に追い回されていますから…

振り返るとやっぱり、恥ずかしくなるような、しまった!と思うような事ばかり。なるほど、愚か者以外の何者でもない。

それでもとりあえず大過なく過ごせているのは、いろいろな人、いろいろな事に助けられているからなんだろう。

まずは何かをアテにせず、とりあえず頑張ってみる。でも愚か者だから、やっぱり何かしら穴がある。それを誰かが、何かが助けてくれている。

助けられた事に気付く場合もあれば気付かない場合もある。何かを期待せずにまず努力してみて、何かの助けがあれば、またなかったように思えても、ともかく無事に過ぎた事は、何かの助けがあったんだろうと思って、感謝する。

そう思ってた方が気が楽だ。まず自分を凄いなんて思わないこった。

最近はそう考えて生きるようにしてます。

68:神も仏も名無しさん
08/03/17 06:34:13 IU6OxEKf
7様、おめでとうございます。
ほんとうに良かったです。

69:神も仏も名無しさん
08/03/17 06:38:43 iJr3xs/0
>>7
今のご気分はいかがですか?
これからは自信教人信、という感じですか?

70:笑いのマートル
08/03/17 07:45:42 3mBSjgXY
>64
自分に与えられた、
この世でしなければならない業因を、全て完了したら死ぬと言う事。
どう云う死に方をするのかも、生まれた時には決まっているらしいし、
何歳まで生き、どんな生き方をするのかも決まっているらしい。
体の丈夫な時に、ご信心をいただく業因があると良いですね。

7様、ご気分はいかがですか?
今宵は袖にあまりぬるかな、の心境だと思いますが・・・
こんなに簡単にいただけてしまうものかと言う気持ちだと思います・・・
後念相続怠りなく、また縁のある方の手を引かれて行く事を願っています。
御浄土での蓮台でのご対面楽しみにしています。

71:神も仏も名無しさん
08/03/17 08:30:20 hkCsAbuj
そういえば、数年前に長生きの遺伝子が発見されましたね。
長寿の方は先祖から伝わる長生きのDNAを持っているとのこと。
そのニュースを聞いた時は、科学が仏教に追いついた、
仏教の教えを科学が証明したそんな気がしました。
それだけの話しですが・・・。

72:神も仏も名無しさん
08/03/17 11:32:52 IU6OxEKf
しかし、なんですねぇ。どなたがこのスレッドを始められたのか知りませんが、たいへん善いことをなさいましたねえ。感動致しました。

73:神も仏も名無しさん
08/03/17 11:49:19 TYaVsHkC
7さんは、信心獲得しちゃったかー。これで、親鸞聖人と縁切りだね。
信心獲得「した」自分の心を伴侶として、
後生大事に付き合う人生がスタートしたって事。
また、心当たりがでてきたら、戻っておいで。


74:神も仏も名無しさん
08/03/17 13:58:35 EKFr5/UN
信心獲得したら、どうして親鸞聖人と縁切りになるのか、よくわからないけど・・
たぶん、73さんは、これだ、という信心を持っているんだろね。
7さんが獲得したのは73さんとは違うものらしいから、ペテンか何かだと思ってるんだろうなあ。


75:神も仏も名無しさん
08/03/17 14:22:42 EKFr5/UN
本願ぼこりとかじゃなければいいけどね。
って、私も人のことは言えないかぁ。ごめん。

76:神も仏も名無しさん
08/03/17 18:01:02 mpDooO31
阿弥陀仏は、明後日の方向に迷い通しの私たちを、けっして見捨てられず、
いまこのときも、お呼びづめでいてくださいます。
真実の親様の、大慈悲のみこころなればこそですね。

信心いただかれた、というかたも、
どうぞ、いくたびもいくたびも信心の溝をさらえて、
尊い阿弥陀仏の法水を、我とわが身に通わせて頂きましょう。

何を聞いてもわかっても知っても信じても、すべて凡夫の世迷言です。
自分の力では、どこまでも堕ちてゆくしかない私たちです。
けれどその私を正客として、必ず救いとってみせるとお誓いくださったのが、
大慈大悲の阿弥陀仏。
本当の自分の姿を、自分で見ることすらできない魂の真っ暗闇を、
阿弥陀仏の無限の光明が打ち破ってくださるときが、
娑婆の終わり、臨終です。

そのあとは常に、喜びまもりたまう阿弥陀仏のお心に抱かれ連れられて、
煩悩一杯のままが幸せ一杯、生きさせて頂くのです。

それもすべて、阿弥陀仏のおひとりばたらき。
信前のかたも、信後のかたも、こころから嬉しく、
ご恩を喜ばせて頂きましょうね。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。


77:神も仏も名無しさん
08/03/17 19:03:48 mpDooO31
後生のことは、阿弥陀仏におまかせするのみ。

三世十方の諸仏さえ、どうにもなさることができなかった、煩悩具足の凡夫。
自分の力でどうにかなれると思うことが、そもそも「顛倒している」、
さかさまに考えているということなんですよね。

その姿を、仏法というまちがいのない鏡に照らして見せて頂くことが、
そのまま、阿弥陀仏の調熟の光明によって育てて頂いているということ。

もし後生の一大事、自分のちからがひとかけらでも役に立ったと、
それでどうにかなったというかたは、「悪人」ではなく「善人」。
阿弥陀仏の正客ではないのです。

それでも、「善人なおもって往生す、いかにいわんや悪人をや」とは…
本当に、阿弥陀様のおやごころは、どこまで深く広いのでしょう。

ともかく自分で阿弥陀仏をたのんで極楽往生きまった、というかたがいるのですから、
たのむことすらできない「悪人」煩悩具足の凡夫の往生は、ますます一定。
尊いことですね。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。


78:7
08/03/17 19:31:45 qUOAWspp
>>68様 ありがとうございます。本当におめでたいことだな、と思います。

>>69様 ようやく肩の荷が下りたと言う感じでしょうか。何とか信心獲得の瞬間まで寿命があって良かったなぁ、とホッとしています。

>笑いのマートル様 本当に易行でしたし、しばらくは???という感じでした。でもつい顔がほころんでしまうというか。
 煩悩の雲は厚いですね。後念相続の日々が楽しみです。誰かをお手引きするご縁があれば、それもまた身に余る幸せです。

>>72様 親鸞会スレにて信心の沙汰を何故しないのかと皆に問うていましたら、心ある方が専用のスレを建ててくださいました。
 本当に有り難く、名前も顔も分かりませんが、感謝申し上げる次第です。

>>73様 信心獲得を目指すスレなんですが、信心獲得はないという考えをお持ちなのでしょうか。
  戻っておいでと言われますが、どちらの方でしょうか。

>>77様 弥陀をたのめと何度も蓮如上人はおっしゃってみえますが、蓮如上人を否定される方なのでしょうか。

79:神も仏も名無しさん
08/03/17 19:46:12 TYaVsHkC
>76
298さんかなあ?
信前の方も信後の方もご恩喜ばせていただきましょうって、
おかしくない?信前の人は仏恩報ずる思いないでしょ。
当たり前だよね、大利益を得てないんだから。
何もしてくれてないと思ってる人に対して、恩義が発生するわけないよね。
必ず浄土に参らせる、業繋を悉く除く、三塗の扉を必ず閉じさせると
私目当てに誓って下さった仏だから、恩があるんであって、
信前の人に恩着せがましい事を言うのは、必要ないどころか、押し売りだよ。
信前信後なんて、何故はからうんだろう?自分は信後ですって、
安心したいの?お前は信前ですって分けたいの?意味ないよ、本当。
阿弥陀さまが必ず助ける、これが真実。あとは、何もいらない。
信前だの信後だのと、むつかしき題目唱えなさんな。
7さんは、可哀想。余計なはからいを勧める人達に心奪われ、
信心獲得しましたなんて言っちゃって、もう引っ込みつかなくなるよ。
これからは、信心獲得したと宣言した事を防衛するために生きなきゃなんない。
親鸞聖人でも仰らなかった事を、平気な顔して言うな!恥知らずめ!
ってとこかなー。

80:298
08/03/17 20:40:29 MKHNBhXc
>>79
76は、私では、ないですよ。
獲信があるならば、信前と、信後は、あるわけです。
「信をとれとれ」と、蓮師はそのために、生涯を捧げた方であると、
私はそう思い、尊敬申し上げております。
私も、とにかく有縁の方に信をとってほしいと、
そればかり、願っております。
そして、三塗に沈んでいる方にも、
如来の光を受けてラクになって欲しいと、望んでおります。
如来の広大な恩徳を我が身に受けまして、
歓ばせていただくしあわせは、この味は、
やはり、一味の方しかわからないことでしょう。
仕方のないことですが、受け付けない方は、
なぜ、受け付けないのでしょうね。
きっと、これまであれこれだまされてきたり、
だまされた話ばかりを、聞いてきたんでしょうね。
その方から見て信頼できる方から、
お話つながることを、願うばかりです。
恥知らずな私ですけれども、信を獲ってくださる方が現れますことは、
どうしても、うれしいですね。浄土で再会する仲間です。顔がほころびます。ありがたいことです。
南无阿彌陀佛

81:298
08/03/17 20:45:53 MKHNBhXc
7様にはおわかりのことと思いますが、
南无阿彌陀佛の六字には、必要なすべてが、込められております。

如来の光明を我が身に受けますれば、不可避に信心が獲られます。

獲信見敬大慶喜。「ああほんとだ」と、よろこんでくださる方が増えますことを、
願っております。

82:神も仏も名無しさん
08/03/17 21:43:59 hkCsAbuj
>>79
> 阿弥陀さまが必ず助ける、これが真実。あとは、何もいらない。

本当にそう思いますね。
信を獲らなきゃ、信じたい、そういう気持ちは理解できるけど、それは阿弥陀さまを信じていないってことじゃないかな?
それは、余計なはからい。

83:神も仏も名無しさん
08/03/17 21:49:31 IK6wiY40
>>79
>これからは、信心獲得したと宣言した事を防衛するために生きなきゃなんない。

どうして、こういう発想が浮ぶのか不思議でなりません。
阿弥陀様の信心を、何故に防衛しなきゃならないのでしょう。
我々が忘れようが疑がおうが、さえぎるものはありませんのに。
ご自分の胸のうちが文面に表れたのではないでしょうか。
読んでいて、なんだか悲しくなりました。

84:298
08/03/17 22:06:20 MKHNBhXc
>>77
>その姿を、仏法というまちがいのない鏡に照らして見せて頂くことが、
>そのまま、阿弥陀仏の調熟の光明によって育てて頂いているということ。

何をしていようと、調熟の光明に照らされていると思いますよ。
ですから、仏法から見れば、どんな生命でも、必ず次第に少しずつ良くなっている
はずです。

85:298
08/03/17 22:10:07 MKHNBhXc
>>77
それに、阿弥陀さまは、悪人だけでなく、善人も救うと思いますよ。
善人を捨てるような阿弥陀さまでは、無いと思いますよ。

菩薩方ですら、弥陀に救われて、よろこんでいるのです。

ましてや、私のような悪人は、弥陀に救われて、
本当に奇跡ですよ。

思い返すたびに、自らに身震いする悪人です。

阿弥陀さまが救ってくださらなければ、どうなっていたことか。

86:298
08/03/17 22:15:29 MKHNBhXc
>>82
同感です。
往生程の一大事を、凡夫がはからうものではございませんが、
そう聞いて、はからわぬべしとはからっている方のすがたを、
見抜いていらっしゃるのですね。

同行は、「弥陀におまかせ」の意味がわかりますけれども、
なかなか、信をいただくまでは、やはり、わからないんでしょう。

あくまでも、真実信心であって、自らつくる信心ではないのですから、
はからっても、仕方ないんですけれどもね・・・

>>83
これも、同感です。
阿弥陀様の信心は、金剛ですものね。
79様は、嫉妬していらっしゃるのでしょうが、
ですけれども、どんな悪人でも救う阿弥陀さまですから、
自分よりひどい方でも、救われてしまうのですからね。

弥陀をたのんだ者勝ちであると思います。

87:神も仏も名無しさん
08/03/17 22:29:15 hkCsAbuj
>>83
自力の信だからですよ。
自分の心が作り出した作り物だからですよ。

88:7
08/03/17 22:33:05 6nIC8dCS
>>79様 このスレは、信前信後がある、これが前提のスレなんだと思います。
     調熟の光明と、摂取の光明とがある、それが前提のスレではないでしょうか。
     信心獲得という言葉があることを、そのまま受け止めて欲しいと思います。
     蓮如上人も、信前の者と信後のものを分けていらっしゃいますが、意味などないと突っぱねるのでしょうか。
     「阿弥陀さまが必ず助ける、これが真実。あとは、何もいらない。」と本当に思っていらっしゃるのなら、
     自分は信前だと悩んでいる人にも、信後だと喜んでいる人にも、どちらに対しても優しく言葉をかけてあげてくださいな。

>>87  他力の信には、信前と信後がありますよ。自力では不可能な真実行だからこそ、真実信心いただけるのだと思います。

89:神も仏も名無しさん
08/03/17 22:35:11 hkCsAbuj
>>86
> 自分よりひどい方でも、救われてしまうのですからね。
 
> 弥陀をたのんだ者勝ちであると思います。


ひどい、あまりにもひどすぎる発言。
他力の信心 = 法然上人や親鸞聖人と等しい信心を獲たと公言する人の言葉とはとても思えない。

90:神も仏も名無しさん
08/03/17 22:36:56 LwUEluqn
浄土真宗=聞法
これってホント?


91:神も仏も名無しさん
08/03/17 22:37:28 I9+ck2tN
おまえらチベットの為に何もしないの?
おまえらの仏教て何なの?

92:298
08/03/17 22:43:44 MKHNBhXc
>>89
>ひどい、あまりにもひどすぎる発言。

このつっこみは、予想していましたよ。
「私より、ひどい人がいる」と言っているのでは、無いのです。

「救われた」という人がいるときに、なぜ、嫉妬するのかと言えば、
それは、「こんな人が救われているはずがない」という思いが、
あるからではありませんか?

もちろん、それがお聖教に照らして適切な判断であれば、
それは、適切な判断なのだろうと思います。

そして、もちろん、私たちは、差別心を消すことなど、できないです。

私は、多くの方に、信を獲てほしい。

獲信者を、神格化する必要も、ありませんよ。
あくまでも、凡夫ですよ。

それでも、阿弥陀さまの真実信心は、尊い尊いものなのです。

「弥陀をたのんだ者勝ち」というのは、実際、そう思っています。
仏法では、「勝利者」という言い方がありますからね。
もちろん、私は、ここでは、他力信を獲た者の意味で書いていて、
みなさんに、勝ってほしいのです。

煩悩あるままで、勝てるのが、この法です。

「こんなひどい自分ですね」と、これは負けているすがたですけれども、
そのまま勝てる、不思議な法なんです。

93:298
08/03/17 22:48:07 MKHNBhXc
>>90
これは、どのような用語にも言えますけれども、「聞」と「法」の、それぞれの意味に依ると思います。

もちろん、「会当作世尊」ですから、聞法が要であることは、間違いないと思います。

「聞其名号」のほうが、文字数は増えますけれど、わかりやすいかもしれません。

「依此経執持名号」という言い方もあります。

弥陀をたのめば信心決定です。

やはり、御文様がわかりやすいと思います。

もし、興味がおありであれば、ぜひ御文様を(原典のままで)お読みください。

94:神も仏も名無しさん
08/03/17 22:53:50 hkCsAbuj
>>92-93
善人の固まりですね。
聖者の気分ですか?
教祖様のような発言ですよ。
凡夫のヒガミですけどね。

95:神も仏も名無しさん
08/03/17 23:04:44 Tl9YGWOV
令諸衆生 功徳成就(大経)とは、
一切の衆生に代わって成就された、
南無阿弥陀仏の事だ。

必ず救うの誓いあり、成就の文があっても、
証しが無ければ私達凡夫は迷うだけ。

証しが南無阿弥陀仏なのだ。

96:298
08/03/17 23:05:35 MKHNBhXc
>>88
「信前信後がある」というのは、真宗の大切な内容だと思います。
そして、凡夫が易行で獲信するならば、その明確な瞬間はわからないにしても、
ある日を境に、安心するということになると思います。

>>87
他力信は、自分では、つくれませんからね・・・
弥陀に、いただくものなんです。不思議ですよ。

97:298
08/03/17 23:08:32 MKHNBhXc
>>94
法について語ろうとすると、そうなってしまうのでしょうね。
気をつけたいと思います。
やはり、どうしても、「いいこと話そう」と思ってしまいますから、
そのせいかもしれないと思います。
気分としては、「聖者」という感じでは、ないんですけれども・・・
「凡夫が信をいただいてうれしい」というのが、近いです。
ただ、たとえばお手引きさせていただいて、誰かが信をいただいてくれれば、
信をくださっている阿弥陀様は聖者ですからね。
「阿弥陀様は、いいですよー すごいですよー」と、知らせたい気持ちはあります。

98:神も仏も名無しさん
08/03/17 23:30:04 TYaVsHkC
>88
自力心で、弥陀をたのんだと思ってる人に優しい言葉をかけて、
どーすんの?って、正直思うんだけど。まあ、優しい言葉がお好きなら、
いくらでも贈らせていただきますよ。
おめでとう、信心獲得。
よかったね、本当自分のことのようにうれしいです。
これで、煩悩いくら起こっても平気ですね、信心獲得したのですから。
これからは僕らの仲間だよ。正定聚不退転だね。


99:298
08/03/17 23:30:09 MKHNBhXc
>>68
本当に、よかったです。
たくさんの佛菩薩が、歓ばれたことと思います。
南无阿彌陀佛

100:神も仏も名無しさん
08/03/17 23:31:51 TYaVsHkC
>99
嘘つき。

101:298
08/03/17 23:36:33 MKHNBhXc
>>98
信を獲れば、他にも獲信者がいることが、理解されると思いますよ。
なんと言っても、易行ですからね。
南无阿彌陀佛のおちからは、どこでも、おなじです。
同じ南无阿彌陀佛でいただく信だから、いつでも、どこでも、誰でも同じ信なのです。
私たちの信心も、法然聖人の信心も、親鸞聖人の信心も、
天親菩薩の信心も、みな同じ、御同心です。
なんと、もったいないことかと思います。
阿弥陀様は、私のような泥凡夫を、差別なさりません。
もったいないことです。
南无阿彌陀佛

102:神も仏も名無しさん
08/03/17 23:38:30 TYaVsHkC
>97
違うね。自力信心だからだよ。
自分が信心獲得したという体験を信じているから、
自分は他人とは違うという意識が働くのさー。
何にも変わらない常没流転のお互いさ。だからこそ、弥陀の本願が有り難いのさ。
いらない体験は捨てちゃえ捨てちゃえ!生ゴミか不燃ゴミかわからないけど、
朝出掛ける前に、ゴミ出ししちゃおう。

103:298
08/03/17 23:42:48 MKHNBhXc
>>102
弥陀をたのめば、一念にして、極楽往生治定ですよ。
その後のお念仏は、我が口で称えようとも、我が心でよろこび称えようとも、
我が身体にて合掌して称えようとも、他力のお念仏だといただいてゆくのだと思います。
自分から、他力が出て来るのですから、本当にもったいないことです。
泥ばかり出していた泥凡夫から、金粉が吹き出すかのようです。
こんな凡夫が救われてありがたい、南无阿彌陀佛です。
南无阿彌陀佛

104:神も仏も名無しさん
08/03/17 23:53:07 TYaVsHkC
>103
皆、死ぬ時分になったら、忘れちゃうよ。たよりにならないことをたよりにしないでよ。
我忘れても、我を忘れぬ弥陀とは聞かなかったんだね。
私は信心得てるから、助けてもらえるんだって考えてるんじゃないの?
っていうか、そう洗脳されたんじゃない?善知識?に。


105:神も仏も名無しさん
08/03/18 00:04:16 Lo+G+kib
>104のつづき
金粉ショーがそんなに有り難いのかなー?
我が身の喜び、すなわち、煩悩所生の喜びより、
阿弥陀さんの必ず助けるを信じればいいのに。
私がこうなったから、ああなったから、信じられるって、
はからう思いは捨てちゃえ!捨てちゃえ!
7さんが可哀想、飛んだ悪知識に会っちゃって。
まあ、自分の信心欲しい信心欲しいという煩悩が、結果、こうなっちゃった、
自業自得、そして業縁の和合だから、しょうがないけど。


106:神も仏も名無しさん
08/03/18 01:04:40 4pZAMglp
>>79
信前でも、阿弥陀仏の御恩を感じていましたよ。永い永い間、お育て下さっているということに。
もちろん、信後にわからせて頂く、仏恩の深さ大きさには、くらべるべくもないことですけれど。

>>78
信心頂いた本人が???の状態で、まわりから「信心いただけてよかったね」
「よかったね」と言われて段々その気になるというのは、つもり信心の典型です。
「信決定」のあとの後念相続が大切だ、というのも、まわりに同行のおおい地域がいいというのも、
この場合は「つもり」を固めていくために必要なのかな、とも思えて、かなしくなりました。

>>78
>>77様 弥陀をたのめと何度も蓮如上人はおっしゃってみえますが、蓮如上人を否定される方なのでしょうか。

繰り返し、自力をふりすててとおっしゃっておいでですね。

>>86
>弥陀をたのんだ者勝ちであると思います。

「弥陀をたのんだ」この言い方自体が、すでに勝ちではないです。

本当の他力の信心は、自分がたのんで頂くものではないですから。
よって、それは「たのんだつもり」の自力の信心。
勝ち負けで言うなら、負けです。いえ、まだ勝っていないというべきでしょうか。
やがてはみな、本願海に帰入させていただくのですから…


107:298
08/03/18 02:46:27 CZ2EZCIE
>>106
「弥陀をたのんだ」この言い方自体が、すでに勝ちではないです。

ところが、

◎前々住上人(蓮如)仰せられ候ふ。弥陀をたのめる人は、南無阿弥陀仏に
身をばまるめたることなりと仰せられ候ふと云々(聞書100)

とあるのです。

この聞書も、信をいただくと、「なるほどー」とうなずけます。

そして、「蓮師と同じ信心いただけた」とよろこべるのです。

◎もろもろの雑行をすてて、一向一心に後生たすけたまへと弥陀をたのめば、
決定極楽に往生すべきこと、さらにその疑あるべからず(御文4-14)

南无阿彌陀佛

108:神も仏も名無しさん
08/03/18 08:48:39 aWJxo5E9
>>101 第三者が読めば矛盾した内容の文章ですよ。

> いつでも、どこでも、誰でも同じ信なのです。

(本)阿弥陀仏はその通りですね。
でも、あなたが信じる(偽)阿弥陀仏はそうではないでしょう?
「善知識による信を獲れば」という条件つき、つまり「いつでも、どこでも、誰でも」ではない。
あなたたちのグループ内では、「いつでも、どこでも、誰でも」なのでしょう。


揚げ足取りと言われるでしょうが、

> 同じ南无阿彌陀佛でいただく信だから、

これはあなたがたの信心が、阿弥陀仏からたまわったものではなく、
阿弥陀仏を道具に使っただけという意識が表れているのだと思いますよ。
善知識によって、善知識からいただいた信心であって、阿弥陀仏からたまわった信心ではないのですよ。

109:神も仏も名無しさん
08/03/18 10:49:44 ymOG4zeL
>>103
>泥ばかり出していた泥凡夫から、金粉が吹き出すかのようです。

気がつけば、あちこちきらきらと光ってますもんね。
また変な意味にとられてもなんだけど。。。(笑)

しかし、傍からは、知識帰命みたいな想像をしがちなんでしょうね。
一味の安心をいただけば、「同じ信」ということがわかるのですが。


110:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/03/18 10:52:08 KMDnOfkL
>>80
>私も、とにかく有縁の方に信をとってほしいと、

 聖教と自分の考えとずれが生じることはやむを得ないことです。聖教と自分の考えとにずれが
指摘されても、ムキにならず、無視もしなくなったとき、このときこそ、298さんは本当に信
心が決定するときでしょうね。
 聖教は常に正しいということではない。聖教とのズレがあったとき、聖教を正面から批判する
という選択肢があっていい。むしろその方が正論でしょう。無批判に受け入れるのは良くない。
 しかし、批判の余地も無くなれば、「ああ、自分は至らなかったな。自分は本当に、まだまだ
分かっていなかったんだなぁ」と、そのように思えるようになったとき、このときが本当の信心
決定のときでしょう。そのように信をとってほしいものですね。まあ、疑城胎宮の中にいれば、
五百年先の話かも知れませんね。

>そして、三塗に沈んでいる方にも、如来の光を受けてラクになって欲しいと、望んでおります。

 聖教に対して無視をしたり、歪曲するのはよくないですね。如来は、光をもってラクになって
欲しいと、望んでおりますよ。

>如来の広大な恩徳を我が身に受けまして、歓ばせていただくしあわせは、この味は、やはり、
一味の方しかわからないことでしょう。

 聖教が正しく受けられるようになったとき、説得力が出ますよね。

111:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/03/18 10:53:13 KMDnOfkL
>これまであれこれだまされてきたり、だまされた話ばかりを、聞いてきたんでしょうね。

 それは五正行に基づくのだと言います。 しかも、五正行は、阿弥陀の三字に入っていると主
張する(スレリンク(psy板:919番))ような偽善知識(愚禿抄)から、
騙された話ばかりを、聞いてきたんでしょう。

>恥知らずな私ですけれど
 私もそう思いますよ。上辺ではなく、胸に手を当てて、298さんも早くこのことに気づくと
いいですね。

>信を獲ってくださる方が現れますことは、どうしても、うれしいですね。
 298さんが、今後、本当に信を取れたとき、このときが一番嬉しくなりますよ。

>浄土で再会する仲間です。顔がほころびます。
    一日も早く貴方も浄土にいける身になるとよろしいですね。

112:神も仏も名無しさん
08/03/18 11:03:07 pFaBYb4v
掟によって他言できない善知識の特別なたのみ方で獲信するという
法門が今後どれくらい広まっていくのか。その勢いに注目したい。

113:神も仏も名無しさん
08/03/18 11:05:44 4pZAMglp
>◎もろもろの雑行をすてて、一向一心に後生たすけたまへと弥陀をたのめば、

「もろもろの雑行をすてて」、自分のはからい一切なしに、ということです。
でも「じゃあ、雑行を捨ててたのめばいいんだろう」これも、自分でたのんでいるんです。
そもそも、「たのむ」というのは、こんにち使われている意味の、お願いするという
主体的な動作ではありません。

どういうことか、信前はわからないから、自分の頭で、常識で、自分の知識の範囲で判断してしまう。
お聖教を読んでも、自分の心に合う、そうだそうだと思えるところばかりしか目に入らない。
そして、「わかったわかった」と喜んでいるのが、そのまま、生死流転のすがたです。

南無とは、いっさいの自分のはからいがない、そのままをおまかせできたすがた。
宿善開発の一念で、阿弥陀仏のご本願のおちからによって、そうならせて頂けます。

釈尊が広大勝解者と言ってくださるのは、出離の縁の一切ない凡夫を必ず救うと誓われた、
素晴らしい阿弥陀仏のご本願の通りになった、わたしたちを喜んでくださるのです。

「たのんだもの勝ち」という言葉には、
阿弥陀仏のご本願を手づかみにして、自分の手柄と振り回すこころが現れていますよ。
それが凡夫のいつわらざる姿とはいえ、申し訳ない、もったいない、おそろしいこころです。

それでも、そんなわたしたちのはからいを一切こえて、「そのお前をこそ、そのまま救う」と、
大慈悲の阿弥陀仏は、現在ただいまもお呼び続けでいてくださいます。
ありがたく、うれしいことですね。
あてにならない自力の信心捨てて、はやくはやく、
そのお呼び声に心の底から「ハイ」と答えられる身に、ならせて頂きましょう。

114:神も仏も名無しさん
08/03/18 11:36:06 4pZAMglp
>>103
>我が身体にて合掌して称えようとも、他力のお念仏だといただいてゆくのだと思います。

他力のお念仏と、「自分で」いただく、「自分で」思うのでは、たよりないですね。

>泥ばかり出していた泥凡夫から、金粉が吹き出すかのようです。

泥凡夫はいまこのときも確実に、泥ばかり出しています。泥吐く凡夫をそのままに、
南無阿弥陀仏のなかにまるごとかかえこんですくいとる、
だから阿弥陀仏のご本願はすばらしいのです。

きれいになった自分の幻想に酔っていたのでは、いつまでたっても、
南無阿弥陀仏の南無のすがた、分からせて頂けません。


いくら「後念相続」と踏み固めても、いくらお聖教から自分の信心に合う部分を
選び読んで確信を深めても、自力の信心は、やがて必ず崩れます。

それが死を持ってしても崩れない、他力の信心か、とったつもりのまぼろしかは、
阿弥陀仏と、本人だけが知っていることです。

…まさかとはおもいますが、他人から「あなたは信を獲った」といわれて、
信心獲得したつもりになっているかたは、おられませんよね?

115:99
08/03/18 13:11:09 Eja5nHs7
>>93
ご指導の通り、御文を原文で読んでみました。
しかし「聞法」なんて文字はでてきませんよ。
目につくのは「称名念仏すべきものなり」とか「南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏を称うべき」です。カナメは念仏することにおもえます。
間違っていますか?

116:298
08/03/18 16:02:06 jV2hNLLP
>>115
カナメは念仏で、その通りだと思います。
「法」というのは、「阿彌陀」あるいは「阿彌陀佛」あるいは「南无阿彌陀佛」だと思います。
これを「聞く」というのは、「称える」ことでもあるのだと思います。

そして、念仏には方法があります。

◎ただ声に出して念仏ばかりをとなふるひとはおほやうなり、
それは極楽には往生せず(御文3-3)

「すがた」もあるのです。

◎されば南無阿弥陀佛と申す六字の体はいかなるこころぞといふに、
阿弥陀如来を一向にたのめば、ほとけその衆生をよくしろしめして、
すくひたまへる御すがたを、
この南無阿弥陀佛の六字にあらはしたまふなりとおもふべきなり(御文3-4)


>>109
そうですね、私は比喩で書いたのですが、>105様は、文字通りにとったのかもしれないと
思いました。「金粉が出る」という奇瑞は、いろいろな宗教で言いますしね。
もちろん、たまには実際に金粉が出たとしても、そういうこともあるだろうと思いますが、
そういう意味ではなくて、金剛心につながる比喩としてのことです。
真実信心は金剛心、その金剛心のかたまりがそのまま出る感じとも違う感覚に思いますので、
「金粉」という比喩で書いたのです。金そのものでなく、金粉が、あちらこちらにまぶしてある。

知識帰命に見えるんでしょうね。
知識も、自分では、はからわず、弥陀にまかせるしかないですのにね。

117:298
08/03/18 16:18:39 jV2hNLLP
>>114
114様は、「たのみ方がある」ということを、信じることができないのだと思います。
そして、それは、無理もないことなのだと思います。
おそらく、そのように教わってきて、しかも、ご自身でも、そう信じてきたのだと思うからです。
私たちの異安心を心配して、親切からおっしゃってくださっているのだろうとも思います。
実際、似たような異安心は、いろいろあるはずですし、その存在についても聞いております。
それにしても、なぜ、「たのみ方などない」と、114様がそう信じているかと言えば、おそらく、
他人から、そのように言われて、「それが正しい」と信じ込んでいるのだと思います。

◎若し仏も無く、仏の法もなく、菩薩も無く、菩薩の法もなしと言う。是くのごとき等の見、若しは心に自ら解し、
若しは他に従って其の心を受けて決定せるを皆誹謗正法と名づく(論註)

心自解や、従他受其心決定が、誹謗正法であるということを、
よく考えていただいたら、うれしいことです。

聴聞で決定するなら、まさに、従他受其心決定であると、私は思います。

そして、仏法も菩薩法も、あるのです。

南无阿彌陀佛

118:298
08/03/18 16:20:17 jV2hNLLP
>>117
いただいたら → いただけたら

119:298
08/03/18 16:25:33 jV2hNLLP
>>114
>いくら「後念相続」と踏み固めても

後念相続は、「踏み固める」というよりも、「掘り出す」という感じだと思います。

せっかく弥陀の真実信心いただいても、よくわからないですから、
それを味わってゆきます。

お聖教を読むことは、「善知識同行に近づく」ということで、
とても良い相続になると思います。

そして、その時間と手間が無いときには、「南无阿彌陀佛」と御恩報謝の
お念仏を称えてゆきます。

南无阿彌陀佛

120:298
08/03/18 16:30:32 jV2hNLLP
>>113
>南無とは、いっさいの自分のはからいがない、そのままをおまかせできたすがた。
>宿善開発の一念で、阿弥陀仏のご本願のおちからによって、そうならせて頂けます。
>釈尊が広大勝解者と言ってくださるのは、出離の縁の一切ない凡夫を必ず救うと誓われた、
>素晴らしい阿弥陀仏のご本願の通りになった、わたしたちを喜んでくださるのです。

ここは、全くその通りだと思うんですけれどもね・・・
どうして、ここにあてはまらないことに、なっちゃうんでしょうね。

こういうことを理解されている方ですから、
信をいただけば、「なるほど、なるほど」と、よろこべると思いますが、
今は、私とは考え方が違うのですから、
あくまでも、私の言うことは参考に聞いていただいて、
ご自身の求道を、進んでほしいと思います。

必ず、どなたも前進していると、私は信じているからです。

そして、私の考えでは、無碍の一道に出させてくれる南無阿弥陀仏があり、
如来の信心によって、決定するのです。自分は関係ないから、安心なのです。

南无阿彌陀佛

121:笑いのマートル
08/03/18 16:50:59 1InUWTsV
南無阿弥陀仏の善に勝る善なし。
私達人間の考える善など本当にちっぽけなモノだなぁ・・・
造悪は容易く出来てしまうこの身・・・
あぁ、考えれば悪しか造っていないとつくづく思う。
それでも救って下さる。
いただいた後も善行が出来ない私をお許し下さる
阿弥陀仏の心の広さ、深さは計り知れない。
と言うよりもこの凡夫には想像出来ない広大さ。
阿弥陀様のゆりかごは、心地よいですね。
信心の謂れを知っている人を探し、在所に赴けば、
あら不思議、悪人でありなが、善人と化す不可思議よ。
五十二段の御浄土にひとっとび。

122:神も仏も名無しさん
08/03/18 16:54:57 Lo+G+kib
>101
同じ南無阿弥陀仏でいただく信心って、変な表現だなー。
南無阿弥陀仏と信心が別個のものみたいに見えちゃうし、
同じ南無阿弥陀仏って言うと、ならば違う南無阿弥陀仏があるの?
とも思えてくる。
信心の体は南無阿弥陀仏ですよね。信心は全く仏心と言われるから、
凡情は入ってない。もし入ってたら、正定之因とは言えなくなっちゃう。
だって、信心が仏心だからこそ、因は仏因、果は仏果となるわけで、
因凡情ならば、果もそれに報いた果しかあり得ないです。
そしたら、信心と言うのは、仏さまのお心そのもの、
南無阿弥陀仏そのものと言わなきゃならないよね。
南無阿弥陀仏の名号が、何で出来上がってるかとその因をたずねれば、
法蔵菩薩のご修行。その修行は何を因としてなされたものかと、
さらにたずねれば、若不生者の誓いでしょ。一切の衆生を救うぞって。
だから、一声称念罪皆除と言われるのも、
除八十億劫生死之罪と言われるのも、不取正覚と言われるのも、
その根源をたずねれば、みんなみんな、
間違いなくお前を救うと誓われた仏さまのお心だったのでした。
もはや、必ず浄土にお前を往生させん、成仏させんという仏の真実心の他に、
信心も南無阿弥陀仏も成立しない。それ以外に何か足しても、
何か引いても、仏果を得る因とはならないってことです。


123:笑いのマートル
08/03/18 16:56:52 1InUWTsV
親鸞も私も同じ信。
時代は違えども、南無阿弥陀仏よりいただいたモノは同じ。
信心をいただいて親鸞聖人を我が父の様にさえ感じるこの嬉しさ、安心な心。

124:298
08/03/18 17:03:49 jV2hNLLP
>>111

◎「一切善根荘厳浄土」といふは、阿弥陀の三字に一切善根ををさめたまへるゆゑに、
名号をとなふるはすなはち浄土を荘厳するになるとしるべしとなりと(尊号銘文)

◎ただ阿弥陀の三字の名号をとなへんを往生極楽の別因とせんと、
五劫のあひだふかくこのことを思惟しをはりて、
まづ第十七に諸仏にわが名字を称揚せられんといふ願をおこしたまへり。
この願ふかくこれをこころうべし(唯信鈔)

◎たとい大千世界に満てらん火をも、また直ちに過ぎて仏の名を聞くべし。
阿弥陀を聞かば、また退せず(教行信証)

◎あらゆるもの阿弥陀の徳号を聞きて、信心歓喜して聞くところを慶ばんこと、
いまし一念におよぶまでせん。至心の者回向したまえり。
生まれんと願ずれば、みな往くことを得しむ。ただ五逆と謗正法とをば除く。
かるがゆえに我頂礼して往生を願ず(教行信証)

◎皆悉く阿弥陀の名号の中に摂在す。故に名号の功徳最も勝れたりと為す。余行は然らず(選択集)

◎われらすでに阿弥陀といふ名号をきく。しるべし、われらが往生すでに成ぜりといふことを。
きくといふは、ただおほやうに名号をきくにあらず、
本願他力の不思議をききて疑はざるをきくとはいふなり(安心決定鈔)

◎二つに念仏往生といふは、阿弥陀の名号をとなへて往生をねがふなり。
これはかの仏の本願に順ずるがゆゑに、正定の業となづく(唯信鈔)

◎兆載永刧の修行は
 阿彌陀の三字にをさまれり
 五刧思惟の名號は
 五濁のわれらに付屬せり(帖外和讚)

125:298
08/03/18 17:08:06 jV2hNLLP
>>122
>ならば違う南無阿弥陀仏があるの?

ありますよ。

◎ただ声に出して念仏ばかりをとなふるひとはおほやうなり、
それは極楽には往生せず(御文3-3)

◎もろこし・わが朝に、もろもろの智者達の沙汰しまうさるる観念の念にもあらず。
また、学文をして念の心を悟りて申す念仏にもあらず(一枚起請文)

◎云何なるをか実の如く修行せずして、名義と相応せずと為る、
謂く、如来は是れ実相身なり、是れ為物身なりと知らざればなり(論註)

◎決定の信をえざるゆゑ
 信心不淳とのべたまふ
 如実修行相応は
 信心ひとつにさだめたり(高僧和讃)

126:笑いのマートル
08/03/18 17:18:06 1InUWTsV
縁のない人間には、どんなに理解しろと言っても、
無理なんだろうなぁ・・・
南無阿弥陀仏と一体になると言う事も、
何が何だか理解に苦しむんだろうなぁ・・・
身体で聞く南無阿弥陀仏が分からないんだろうなぁ・・・

127:笑いのマートル
08/03/18 17:28:26 1InUWTsV
信心いただけば親鸞聖人と同じ縁。
南無阿弥陀仏より授かった故に。
信心いただく者は皆、南無阿弥陀仏の一人子よ、
と、皆に同じく可愛がる。
誰とて区別あたわずに、皆を同じに可愛がる。
やっと逢えたと親様は、歓喜の涙を流し、
もう離さぬぞと、ひしと抱きしめ。

128:笑いのマートル
08/03/18 17:35:15 1InUWTsV
すぁてっと、すごとでもすんべっかなぁ・・・
ところでよぉおらぁどこのどいつだんべかなぁ・・・
7様よぉ、証拠はあったべか?
ココじゃあいえねえけっどもよぉ・・・

129:神も仏も名無しさん
08/03/18 17:38:08 Lo+G+kib
>117
俺は114さんじゃないけど、「たのみ方がある」ことを信じるも信じないもないねー。
こう言えばいいかな、「たのみ方があるなんて思ってるのは自力」
なぜなら、弥陀の本願の他に、たのみ方という条件を付け足してるから。
何故そんな条件をもうけるのかと言えば、
そのたのみ方をしている自分は、正しい信心を得ている、
そのたのみ方を知らない人は、信心を得ていないと分別したいからじゃない?
口先では、常没流転の泥凡夫って言いながら、信心決定したもの知り顔。
ホント、滅法の凡夫は高慢で、弥陀のたのみ方なんて法をつくって、
仏の大悲を遮って、我田引水を生業としてる。
今や、真宗はこんな善(悪)知識ばかりなんだろうか?
自称信心決定しちゃった人は、凡情と仏心の違いもわきまえない。
自我意識ばかり肥え太り、慢心と我執が仏心を食い物にする、
そんな時代なんだろうねー。今に始まった事じゃないけどさ。


130:神も仏も名無しさん
08/03/18 17:45:25 Lo+G+kib
>127
自力信心だから、誰も喜ばないよ。喜ぶのは、お花畑の頭と、
脳内麻薬物質の分泌を喜ぶジャンキー仲間でしょ。


131:神も仏も名無しさん
08/03/18 18:03:01 Lo+G+kib
>125
ありがとー。でも、南無阿弥陀仏自体は変わらないよね。
南無阿弥陀仏に違いがあるんじゃなくて、
弥陀の本願力回向をはからう(仏智疑惑、不了仏智、自力)のか、
そうではない(信、無疑、他力)のか、に
違いがあるのではなくって?


132:神も仏も名無しさん
08/03/18 18:18:43 4pZAMglp
>>122
>◎云何なるをか実の如く修行せずして、名義と相応せずと為る、
>謂く、如来は是れ実相身なり、是れ為物身なりと知らざればなり(論註)

よく、このところを「正しいたのみ方がある」という主張のために持ち出されますね。
298さんの善知識がそう教えられているのでしょうか。
ここは、尊いお念仏称えても無明を晴らすことができないのはなぜか?
それは、真実の信心がない凡夫がとなえる、自力の念仏だからだ、といわれているところなのですが…

信前の念仏はどんなにがんばっても、誰に何を教わっても自力作善の、混ざりもののはいった念仏です。
それで真実信心いただくことは、どうしたってできないことです。

正しく念仏となえて助けて頂こうとする、というのは、やはり
二十願の世界に生きていらっしゃるということでしょうね。
それは阿弥陀様のお誓いですから、誠に尊く、素晴らしいことなのですけれど
選択本願の世界とは違っています。


133:298
08/03/18 18:22:10 jV2hNLLP
>>132
>それは、真実の信心がない凡夫がとなえる、自力の念仏だからだ、といわれているところなのですが…

もう少し、説明していただけませんか? どうしてそうなるのでしょうか?

134:神も仏も名無しさん
08/03/18 18:24:53 4pZAMglp
>>117
>それにしても、なぜ、「たのみ方などない」と、114様がそう信じているかと言えば、おそらく、
>他人から、そのように言われて、「それが正しい」と信じ込んでいるのだと思います。

いいえ。凡夫を凡夫のそのままに、聞即信で必ず助けるという、
阿弥陀様のお言葉以外には、この世には何ひとつ、信じるに値するものはないからです。

298さんたちは、>>129さんも仰っているように、
阿弥陀仏のご本願のほかに、信ずるものを必要とされているのですね。

>>119
>せっかく弥陀の真実信心いただいても、よくわからないですから、
>それを味わってゆきます。

やはり、言い聞かせる信心なんですね、これは。
真実の信心は、他人様から「お前は頂けたんだぞ、よろこべ、味わえ」
と言われるものではないんですよ。


135:298
08/03/18 18:30:17 jV2hNLLP
>>134
どうも、誤解があるようですが、「聞即信」ですよ。
「聞」とは、「弥陀をたのむ」ということでしょう?
それても、ここに、考え方の違いがあるのでしょうか。

「聞」とは、法話を聞くのですか?
「本願を聞く」のであれば、「本願を聞く」とは、「弥陀をたのむ」のでは、ないのですか?

>真実の信心は、他人様から「お前は頂けたんだぞ、よろこべ、味わえ」
>と言われるものではないんですよ。

「お前は頂けたんだぞ、よろこべ、味わえ」という言い方だと、押し付けがましい感じですけれども、
せっかく素晴しいものをいただいて、感謝できなければ、もったいないでしょう?

感謝できれば、よろこべますし、うれしいですから、本人にとりましても、
しあわせなことですよ。

信をいただいたら、御恩報謝の南無阿弥陀仏、上一形に至るまで、
続けてゆくのであると思っております。

南无阿彌陀佛

136:298
08/03/18 18:31:14 jV2hNLLP
>>134
さらに言えば、「聞」とは、「南无阿彌陀佛と一体になる」ということなのです。
これにより、信をいただきます。

137:神も仏も名無しさん
08/03/18 18:40:36 64NyrJ1o
実に興味深いですねぇ

138:神も仏も名無しさん
08/03/18 18:48:19 Lo+G+kib
>136
違うよ。聞くというは信をあらわすみのりなりだっけ?、和語聖教に言われてるから、
その御文を無視しないなら、聞くことが、即ち信なんだよ。
聞いたから、信をいただきますなんて事じゃなくて、
聞く事即ち信心なんだよー。
あと、南無阿弥陀仏と一体になるって具体的にはどういうこと?


139:神も仏も名無しさん
08/03/18 18:49:50 4pZAMglp
>>133
あの、298さんの善知識は、本当にここをもとに、正しくお念仏称えれば
信いただける、と教えておられるのでしょうか?

>>131さんの言われているのと、同じことだと思いますけれど…
前後を見て、どのような文脈の中で言われているものか、読んでみてください。
すぐ後に、三不信が書かれていますね。

>又三種の不相応あり。一には信心淳からず、存ずるがごとく亡ずるがごとき故なり。二
>には信心一ならず、決定なきが故なり。三には信心相続せず、余念間つるが故なり。此の
>三句展転して相成ず。信心淳からざるを以ての故に決定なし。決定なきが故に念相続せず。

ご自身でも引用されているとおり、

>◎決定の信をえざるゆゑ
> 信心不淳とのべたまふ
> 如実修行相応は
> 信心ひとつにさだめたり(高僧和讃)

信心頂く前は不如実、ということです。


140:298
08/03/18 18:50:34 jV2hNLLP
>>138
「聞くこと即ち信心」で、全く構いませんよ。その通りであると思います。
具体的なことは、次第相承の善知識にお聞き下さい。

141:298
08/03/18 18:52:12 jV2hNLLP
>>139
信心いただく前は不如実であるのですから、信をいただけるような念仏が如実なのでは
ありませんか?

如実な念仏を行う、ということではないのでしょうか?

142:笑いのマートル
08/03/18 18:53:03 1InUWTsV
南無阿弥陀仏を丸貰いすれば、自然と歓びが出て来ます。
歓ぶなと言われても、歓びが出て来ます。
まっ、南無阿弥陀仏は、十方衆生を凡て救うのが目的ですから、
いつかは、ココで反発している人とも、極楽でお会いする事でしょう。


143:298
08/03/18 18:54:00 jV2hNLLP
>>142
その「いつかは」というのは、きっと、ものすごく雄大な話ですよね?
押しつけようがありませんから、仕方ありませんけれども、
はやく、みなさん、いただけるといいなと思います。

144:神も仏も名無しさん
08/03/18 18:55:10 4pZAMglp
>>135
>「お前は頂けたんだぞ、よろこべ、味わえ」という言い方だと、押し付けがましい感じですけれども、
>せっかく素晴しいものをいただいて、感謝できなければ、もったいないでしょう?

凡夫の体験、自覚を重視するわけではありませんが…
本当に素晴らしいものを頂けば、「もったいない」もなにも、本人が喜ばずにいられない、
喜んでも喜びきれないものです。

信心獲得は、本人と、阿弥陀様の間のこと。
他人様から見てわかるものでも、他人様から、「貴方は頂いたんですよ」と
言われるものでもありません。

>「聞」とは、「弥陀をたのむ」ということでしょう?

たのむ、という言葉を「お願いする」と言う意味で使っておられる限り、違いますね。


145:笑いのマートル
08/03/18 18:57:58 1InUWTsV
そうです。
どのくらい先になるのでしょうね?
遠い未来の近い話ですよ。
極楽の時間と人間界の時間じゃ違いますから・・・
私は、どのくらい阿弥陀仏のお手を煩わせて今に至ったのでしょうね?

146:神も仏も名無しさん
08/03/18 19:03:53 64NyrJ1o
頂いた、頂けたという心で満タンですね。

147:神も仏も名無しさん
08/03/18 19:08:01 4pZAMglp
>>141
>如実な念仏を行う、ということではないのでしょうか?

ちがいます。
信いただいて初めて、如実な念仏を称えさせて頂くことができます。
だから信心為本、です。
298さんの言われることは、順序が完全に逆転しています。
むしろそれは浄土宗でしょうか。

>>143
>はやく、みなさん、いただけるといいなと思います。

なんといいましょうか、教えが完全に違うのですから…

例えば浄土真宗のみ教えを信じる人に、キリスト教を信じておられる人が、
貴方も早く神を信じられるようになれればよいですね、と言っているような感じです。


148:神も仏も名無しさん
08/03/18 19:28:59 4pZAMglp
二十願の世界に生きておられるのであれば、誠に尊いこととは思います。
ただ、それを十八願の世界としてここですすめられるのは、間違ったことです。

…それでも、>>13さんが既に言われているように、話せば話すほど、
矛盾を示せば示すほど、ご自分たちの教えに固執されるのでしょうね。
もともと、ひとりひとりのしのぎですし、自分でわかるしかない。

往生のことは、他人に頼っても自分の心に頼ってもだめ。この世で、
たよりにしてよいのは、阿弥陀仏のご本願のみです。

聞即信の一念で、生死流転の凡夫が私であったとはっきりわかり(機の深信)、
同時に、その私を助けてくださる阿弥陀様のご本願にまちがいないとはっきりわかり(法の深信)、
一切の疑いがなくなり、南無(たのむ機)阿弥陀仏(助ける法)の御六字の中に、
仏凡一体とならせていただけるのです。
すべて、阿弥陀仏のおひとりばたらきです。

この火宅無常の世に、阿弥陀仏の無量の光明に包まれ守られて、
喜び一杯に生かされて往くとは、本当に、三千世界の果報者ですね。
そして一息切れたら極楽往生、仏の悟りをひらけばすぐにこの世に戻り、
衆生済度のお手伝いをさせて頂けるのです。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

149:笑いのマートル
08/03/18 19:40:04 1InUWTsV
今まで矛盾に感じていた事も、
信を獲れば、なるほどこう言う事だったのか、
と合点が行く話なんですけれどねぇ。
信を獲った人には、矛盾がなくなる。
信を獲らない人間には、矛盾だらけな教えだと思います。
まぁ、世の中、独りよがりですから。

150:298
08/03/18 20:02:21 jV2hNLLP
>>147
>298さんの言われることは、順序が完全に逆転しています。
>むしろそれは浄土宗でしょうか。

法然聖人のお念仏と、親鸞聖人のお念仏は、同じだと思いますよ。

151:7
08/03/18 20:06:50 eyr5tUF9
どんなことがハッキリしようとも、お聖教に合わねば真宗とは違う何か別の信心だと思います。
自分がどんな体験をしようとも、御文さまという信心の鏡とピッタリあうか、それが真宗かどうかだと思います。
南无阿彌陀佛

152:298
08/03/18 20:09:46 jV2hNLLP
信を獲るのもお念仏、信後の報謝もお念仏、
本当にありがたいことだと、思っています。

お念仏は、不思議なことなんです。
そして、その「不思議」というのが、世間で一般に言う「不思議」とは、
ちょっと異なる感じの不思議です。

よろこびの心が出て来ることも、不思議です。
なぜ、よろこびが出てくるんだろうと、不思議なのです。
あっと言う間に、心の状態が変わってしまいます。

信じられないでしょうね。

私は、信じられるものに出会えて、うれしいです。

別のことを信じている方も、その方が、信じてうれしいのであれば、
それも、尊いと思います。

しあわせになることが、大切ですからね。

苦しむための信仰では、ありませんから。

世の中には、いろいろな教えがあって、このスレを見ても、「真宗」と名乗るものでも、
さらにいろいろとあるとわかります。

お聖教の同じ箇所にも、いろいろな解釈がありますね。

末法にあって、現証が獲られるこの教えは、本当に尊いと、
私はよろこぶのです。

南无阿彌陀佛

153:298
08/03/18 20:13:08 jV2hNLLP
>>151
御文様は、実にありがたいですね。
むずかしいお聖教を、凡夫にもわかるように、噛み砕いて書いてくださっています。
信をいただけば、正に鏡であると、ますますうれしくなりますし、
信前とは読み方が変わり、加護力を獲て、お聖教を読める身になったことが、
わかりますよね。
自力でいくら解釈しても、ずれてしまうことも、納得がゆくわけです。
ありがたいことです。
南无阿彌陀佛

154:298
08/03/18 20:20:44 jV2hNLLP
>>144
>>「聞」とは、「弥陀をたのむ」ということでしょう?
>たのむ、という言葉を「お願いする」と言う意味で使っておられる限り、違いますね。

これは、私が誤解を招く書き方をしているんだな、と思います。
古語の下二段活用には、使役の意味が含まれることがあって、
ここでは、如来の回向が含意されていると思うんですよね。

ただそれを、現代語にそのまま移すことがむずかしいですから、
「御願いします」という意味にも取れる感じで、
確かに私は書いてしまっています。

それは、なぜかと言えば、いずれにしても、まずは自力で「御願いします」と
たのむ(「お願いします」の意)からです。

これによって、「弥陀をたのむ」という、「弥陀をたよりにする」ということが回向されまして、
信心いただけるからなんです。(これは、「お願いします」とは、違います。)

ですから、教学的なことはさておき、信を獲るための理解としては、
「弥陀にお願いするんですよ」で、さほど問題がないと思いますよ。

ですけど、こう聞いて、ひとりで一生懸命お願いしても、それは違いますからね。

その誤解を避けるためには、「自力でお願いしても、むなしいことですよ」と言うことも、
親切なことです。

一生懸命に、お内仏に、ひとりで、「信を獲らせてください、御願いします」と、
頭を下げても、そこでは獲信しないと思います。

もちろん、弥陀に御願いすれば、導いてくださると思います。

実際に獲信するときには、次第相承の善知識から、六字のいわれを聞くことになると思います。

155:298
08/03/18 20:21:47 jV2hNLLP
>>145
仏教は、雄大な教えですよね・・・
私もここに至るまで、相当なお世話になってきたのだと思います。
こんな頑固者が、よく信じられたものです。
ありがたいと思っています。

156:298
08/03/18 20:34:51 jV2hNLLP
>>154
どうも、うまく書けていないような気がしますね・・・
念仏為先、信心為先が、両立するような、お念仏をするということなんです。
信をいただけるお念仏、一念にて、信が生まれるお念仏です。

157:99
08/03/18 21:05:38 Eja5nHs7
御文には「念仏行者」とでてきますよね。
「聞法行者」や「聞法者」とも聞かない。変換もできない。
もちろん聞法は大切なのは間違いないですが。
親鸞聖人や蓮如上人は、信心を得てから念仏を称えたのか、
念仏を称えながら、そのうち信心を得たのか。

聖人方のされた方を真似てみたいのですが、後者ですよね。普通に考えて。

158:298
08/03/18 21:14:38 jV2hNLLP
>>157
聞法と称名についてですが、行巻を見ると、引文と御自釈の関係として、
書いてあるように思っております。

信を獲られる聞法とは、称名であり、また単なる聞ではなく、見聞であります。

>念仏を称えながら、そのうち信心を得たのか。

「念仏を称えながら、そのうち」というよりも、「一念の念仏で信むまる」であると思います。

つまり、たった一度のお念仏で、信心をいただけるのです。

そのようなお念仏、聖人方のされた方が、今に至るまで伝わっておりまして、
その法を伝えてくださる方を、次第相承の善知識として、
私はありがたく思っております。

一度のお念仏で信をいただきまして、その後は、
信をいただいたことをよろこんでゆきます、御恩報謝のお念仏となると思います。

南无阿彌陀佛

159:298
08/03/18 21:19:36 jV2hNLLP
>>157

御文様であれば、

◎「その名号を聞く」といへるは、南無阿弥陀仏の六字の名号を無名無実にきくにあらず、
善知識にあひてそのをしへをうけて、この南無阿弥陀仏の名号を南無とたのめば、
かならず阿弥陀仏のたすけたまふといふ道理なり。これを『経』に「信心歓喜」と説かれたり。
これによりて、南無阿弥陀仏の体は、われらをたすけたまへるすがたぞとこころうべきなり。
かやうにこころえてのちは、行住坐臥に口にとなふる称名をば、
ただ弥陀如来のたすけまします御恩を報じたてまつる念仏ぞとこころうべし。
これをもつて信心決定して極楽に往生する他力の念仏の行者とは申すべきものなり(御文1-15)

ここに、「聞く」と「たのむ」の関係が書いてあると思います。

信をいただけば、本当にありがたくいただける箇所でございます。

尊いことです。正に、鏡でございます。

南无阿彌陀佛

160:99
08/03/18 21:34:11 Eja5nHs7
>信を獲られる聞法とは、称名であり、また単なる聞ではなく、見聞であります

ちょっと、意味が、イマイチ、伝わりません。すいません。

>そのようなお念仏、聖人方のされた方が、今に至るまで伝わっておりまして

そこから先が、気になりますが。どんな感じでしょう。ここでは書けないってのはナシで。

>「念仏を称えながら、そのうち」というよりも、「一念の念仏で信むまる」であると思います

百発百中、一発一中なんでしょうか。それとも数うちゃ当たるほうでしょうか。
変な書き方ですいません。

161:298
08/03/18 21:35:30 jV2hNLLP
>>160
>百発百中、一発一中なんでしょうか。それとも数うちゃ当たるほうでしょうか。

「百発百中、一発一中」のほうです。

こちらのスレの過去ログは、お読みになっていますか?

162:99
08/03/18 21:45:47 Eja5nHs7
>>161
過去ログはところどころかじって、全部は見てません。

そうすると、無駄な弾は撃たなかったわけですか。
つまり信を得てからの念仏であって、信を得るための念仏ではない、と。
ならば、念仏は何のために称えるのですか。


163:298
08/03/18 22:07:21 jV2hNLLP
>>162
無駄な弾は、私は打ちましたよ。
それは、「一念にて信が生まれる念仏がある」ということは、
教義から推測したとしても、その方法が、わかりませんでしたから。
そのような方法に出会えることを念じながらも、
他に何をやったらいいかわからないですから、
「南无阿彌陀佛」を言っていました。
ただ、私はこの時期は、何をやっていいかわからないですから、
他の「南無」も言っていました。(「南無観世音大菩薩」「南無八幡大菩薩」等)
そして、やっと次第相承の善知識に出会えまして、
一念にて信が生まれる念仏のことを教えていただくことができたから、
信を獲ることができたのです。
どうしたら縁がつながるか、わからなかったですけれども、
実際こうやって、縁をいただくことができました。
ですから、「無駄な弾」と書きましたけれども、それは、お返事としての表現であって、
決して無駄ではなかったと、如来から導きをいただいたと、信じている次第です。
南无阿彌陀佛

164:神も仏も名無しさん
08/03/18 22:14:54 64NyrJ1o
観音様にお願いするのはわかるとしても
なぜ八幡様だったのでしょう。本地佛が阿弥陀如来だから?

165:298
08/03/18 22:18:32 jV2hNLLP
>>164
本地が阿弥陀如来というのは、私は信をいただいてから知りました。
私の名付け親は、八幡様と聞いていましたから(母が地元の八幡様に、
名前を聞きに言ったそうです)、ご縁があると思い、
助けをお願いしたのです。

166:99
08/03/18 22:19:28 Eja5nHs7
無駄な弾でもいいから撃ちなさい、つまり、自力でいいから念仏しなさい。
そう言ってくれる人が善知識だとおもいます。それ以上は仏の仕事かな、と。

ありがとうございました。

167:298
08/03/18 22:20:17 jV2hNLLP
>>164
神宮にも足を運びました。
何が有効だったのか、わかりませんけれども、
とにかく無事、信をいただけて、うれしいです。

168:298
08/03/18 22:21:18 jV2hNLLP
>>166
そうですね、人知では、わからないことだと思います。
信をいただけることを、願っております。
南无阿彌陀佛

169:298
08/03/18 22:33:51 jV2hNLLP
>>12
実際には心得ていないのに、「心得た」と言う人が、多いからだと思います。

170:笑いのマートル
08/03/18 22:40:45 1InUWTsV
念仏を口で称えると解釈している間は、理解できないと思います。
念仏は、この身体に聞かしめるものです。
人の言った通りに行動する事も、聞くと云う言葉を使うと思います。

171:298
08/03/18 22:55:26 jV2hNLLP
>>104
私が覚えていようが忘れていようが、信心決定に変わりはないですよ。
だからこそ、安心なのです。覚えていようとすることは、これはこれで、また大変ですよね。
もちろん、意識がある間は、御恩報謝の南無阿弥陀仏を、やってゆきたいと思っています。
しかし、いつまでも意識があるとも、限りませんしね。
信心の体は、あくまでも、南无阿彌陀佛。だからこそ、安心です。
念仏衆生摂取不捨。六字をたのむすがたを知れば、これで極楽往生治定と存じます。

172:298
08/03/18 23:21:58 jV2hNLLP
「信を獲たいなあ」と思うだけで、もう、かなりのお育てにあっているのだと思います。
死後への不安をなくすだけなら、信を獲らなくても、いいわけですから。
なぜかはわからないけれども、南無阿弥陀仏の信をいただきたいと、
そう思う方は、もう、かなりの宿善を積まれた方なのだと、私は思っております。
ですから、そのような方が、今生にて信を獲ることを望んでゆけば、
必ず導かれるだろうと思うのです。
南无阿彌陀佛


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