08/03/14 05:17:04 KVoKsk11
自分で捕えて、殺して捌ける範囲で、肉食をするというアイデアもありましたね。
ウシやクジラは、私には出来ないだから食べない。
鶏を飼っても鶏をむしってさばける人は食べる。捌けないけど、卵は食べる。
磯で貝をとるけど、マグロを取りに行けないから、貝は食べてマグロは食べない
そんなのをどっかで読んだ事があるよ。厳密に判断してないけど参考になる。
ヨーロッパではお祭りで豚を殺して食べるけど、それが自然ならそれで良い!
いただく実感の持てないような食品は、実際、感謝していただく心がけが難しい。
我が子にも尋ねられたら屠殺のことを隠さずに話すようにしている。
豚肉食べるなら、スエードのカバンも持つかな・・なんて感性もあるよ!
たとえば、コーン油に水素添加してマーガリン作って食べるのは
自分にはワケが判らないからマーガリンは食べない。クリームの入った瓶をふりふりして
バターを作れるから売ってるバターはたべる。実際には、田植えもしなけりゃ、粉引きも
自分は出来ないけど。可能性として突飛でないから米もパンも食べる
まあまあ醤油は作れないし、味噌の手作りを隣の奥さんはしてるけど、私は出来ないけど。
酵母のありがたい作用に感謝しながら本醸造の製品を買って食べてるよ。
美味しい感覚(味覚)は人間にとって非常にパワフルな感覚なので、後づけに
都合よく解釈してますが、まあまあ、なんというか、こうやって考えると、
牛肉を滅多に食べない自分と、ステーキ食べるアメリカ人の知り合いが仲良く調和して
友だちでいられるでしょう。
山奥の修道院で瞑想三昧のお坊さんが、豚を殺して肉を捌いてじゅーじゅー焼く一方で
瞑想生活をやれるかというと難しいと思うよ。屠殺というのはやはりインパクトあるよ。
そりゃそうだよ。やっぱりヤギの乳をしぼってチーズくらい作るだろうけど、
畑をたがやし野菜を食し、祈りを書写しながら、瞑想をするんで調和するじゃない?