08/02/08 00:54:48 gxvzIt+X
欲楽の生活は「苦」を招き、禁欲の苦行も理想を達成する道ではない。
釈尊は、この両極を離れた中道こそ道諦としての真理であると説かれます。
この中道の人格完成のための実践方法を八正道と言います。
1 正見
「正しく眼の無常を観察すべし。かくの如く観ずるをば是を正見と名く。
正しく観ずるが故に厭を生じ、厭を生ずるが故に喜を離れ、貪を離る。
喜と貪とを離るるが故に、我は心が正しく解脱すと説くなり」といわれる。
われわれが身心のいっさいについて無常の事実を知り、自分の心身を厭う思を起こし、
心身のうえに起こす喜や貪の心を価値のないものと斥けることが「正見」
(samyag-dRSTi, sammaa-diTTi)である。
このように現実を厭うことが正見であるなら、人間の日常性を否定する消極的なもののように思われる。
しかし、その日常性の否定は、真実を積極的に追求することから生まれるから、
かえって真実の認識の完成である。
この意味で「心解脱」といわれ、正見が「四諦の智」といわれる。
この正見は、以下の七種の正道によって実現される。
その点で、八正道は、すべて正見である「智慧」の活動してゆく相である。
八正道は全て正見に納まる。