08/02/02 19:05:07 x5PZ7+qk
凡そ人の認識に於いて、何ものかが、
区分されること無しに認識されることはあり得ないわけだが、
宗教(的)領域に於いてそれが為された時、
「それ」は、『区分・識別』か?『排除・否定』か?
また、
『なぜ区分された』のか?
また、
『区分されたことにより排除・否定へと向かった』のか?
『排除・否定する為に区分された』のか?
或いは、
『排除・否定すること無しに区分はあり得ない』のか?
『区分することは、排除・否定と同義にならざるを得ない』のか?
よしんば、区分が正当化されたとして、
『区分の基準』の妥当性は何が担保するのか?その基準は万人に通ずるものなのか?
その方途『どのように区分がなされているのか』、に関して、
良し悪しはあるのか?ないのか?
区分の基準の変更は可能か?不可能か?