08/02/26 10:54:41 ozVy5PvP
例えば、「高野豆腐」は高野山から広まったものだから、謗法とするかといえばNOです。
高野豆腐をお供えすることだってあります。「高野豆腐」を食べたからどうなるということもありません。
しかし、高野豆腐に対して、「ありがたい」と手を合わせて信仰の対象としても、高野豆腐さんは
「わたしに、おがまれても・・・・・・」と困惑してしまうでしょう。
占いというものがあります。おみくじを引いて大吉が出れば運がよくなり、凶では運が悪くなる。
占いを頼りにする人もいますが、逆に見れば、占いを信じている人は、実は自分自身に迷っているのです。
迷ってどちらに行けばよいか分からないので、占いに頼ってしまうのです。
仏教では「因果応報」と言いまして、未来の果を良くしたいなら、今の因をどうするかという事が大切で、
何を頼りにするかといえば、自分の積む功徳を頼りにします。
「謗法払い」とは、心の中の「迷い」を払いのけることなのです。
きちんと納得した上で入信するには、「迷い」の元となるであろう占いのような物は払いましょうということです。
>君はこれはダメ、僕はok
は、確かに間違いですから、折伏してあげてください。