08/06/26 18:06:16 7LLAhwiE
>>227
久保川擯斥理由に小論「究極の御本尊」がある。
戒壇本尊の奥にまします久遠元初の自受用報身如来を拝す。(戒壇本尊そのものを拝むのではなくその奥に究極の本尊がある)
これを読んだときレグルス文庫「現代文明と宗教」の所論によく似ていると思った。
大御本尊御図顕前から妙法は存在し楠板も物体だからいずれ朽ちるが妙法は存在する。確かこんな内容だった。
石山教学では目に見える戒壇本尊は日蓮大聖人の御当体とし消滅を想定していない。
あなたの考えなら久保川の(擯斥理由となった)本尊論は正しく異説ではなくなる。
>本尊は、妙法を余す所なく具現化しているが、妙法そのものではない。
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これは邪説とされた久保川の小論と同じ。
ちょっと纏まっていない雑然とした文章になったが”「本尊は妙法そのもの」”なのではないか?