08/01/22 19:52:09 q+8WJ9Ie
唯物論発見!!! → 親鸞
『菩薩戒経』に言わく、出家の人の法は、国王に向かいて礼拝せず、父母に向かいて礼拝せず、
六親に務えず、鬼神を礼せず、と。已上
僧は鬼神を礼拝してはいけない。
大智律師(元照)の云わく、神は謂わく鬼神なり。すべて四趣・天・修・鬼・獄に収む、と。
いわゆる霊的なものというのは、所詮、六道の中の天・阿修羅・餓鬼・地獄のいずれかに収ま
る。いずれも迷いの世界を免れない。
度律師(戒度)の云わく、魔はすなわち悪道の所収なり、と。
霊的作用など、所詮は悪道の一つである。
論語に云わく、季路問わく、「鬼神に事えんか」と。子の曰わく、「事うることあたわず。人
いずくんぞ能く鬼神に事えんや」と。
季路が孔子に聞いた。霊的な鬼神につかえることはいかがでしょうか。孔子は答えた。そのよ
うなことは不可能である。人がどうして鬼神につかえることができるだろうか。
(化身土巻)