08/01/29 17:39:03 z0ogCagR
>>374
まず、私が申します所の「異安心」というのは、あくまでも、当流の安心と比較しての
ことを言っています。
当流における安心というのは、阿弥陀如来が建立されました極楽浄土に往生する
因を得ることです。
URLリンク(www.d7.dion.ne.jp)
に、念仏について書いてありますが、当流とは違います。
ですけれども、それが無意味ということではありません。
浄土真宗では、凡夫があっと言う間に彌陀教主の極楽浄土に往く因を得ることを
考えています。
すべての方が、そのような道を求めるわけではありません。
ちらっと見ただけですけれども、この著者の方は、
とても日本の神霊的なお方であると感じます。
この方も、弥陀の救いに出会ったならば、
おそらく、大変よろこばれたことと思います。
書いてあることには、とても勉強になることがたくさんあると思います。
ただし、あくまでも当流においては、
◎八万の法蔵をしるといふとも、後世をしらざる人を愚者とす(御文章)
であるのです。霊界のことを何もしらなくても、気の利いた説法ができなくとも、
弥陀をたのんだ方を智者と呼び、仏法者とお呼びします。