08/01/28 21:31:47 fnPeWFKm
真の知識は真実をあきらかに耳の底にのこした人。
その仕事は「弥陀をたのめ」と人にすすめるばかり。
我が身の罪深さに地獄一定と嘆く人が宿善のもよほしにあづかって、次第相承の善知識に親近を得て、南無阿弥陀仏のいわれを聞きひらいたときに往生は治定。
年齢も能力も人物の善し悪しも関係なし。ただ帰命するのみ。
たのむ一念のときに信心決定して等正覚の位になるけれど、凡夫はやはり凡夫のまま。
愚かさゆえ、こちらが南無阿弥陀仏を忘れても阿弥陀はけっして捨てはしない。
しかしそれではあまりにもったいないので、たびたびに溝をさらえて仏恩報謝の念仏をすべし。
・・というふうな感じだと思います。