08/01/28 15:36:10 RNpWEO5r
>>339
>信を得た人は、掟破りでもしたということか。馬鹿馬鹿しい。
無宿善の機に話すならば、掟破りになるでしょう。
なぜ、信を得るだけで、掟破りになってしまうと思われたのか、よくわかりません。
できることなら、信は獲った方が良いです。
>自分が作ったチェックリストで見て、自分は信前だったのか、信後だったのか。
もちろん、私は全部わかります。同行に対してであれば、
自分の領解を説明もできます。
>貴方の言葉には、助かったという実感がない。血が通わない。涙が通っていない。
>口ほど便利な道具はない。誠実みがない。
これは、私の性格が至らぬためです。私を見て弥陀から離れてしまうのは、
もったいないことです。私は確かに浅はかな凡夫ですが、
弥陀はそうではないからです。
ご不審あれば、重ねて問うていただければ、うれしいです。
351:神も仏も名無しさん
08/01/28 15:52:49 v5RsnxdP
「一心一向に弥陀に帰命した」ということと「本願力に疑いがない」とは同じことでしょうか。
帰命したが疑いが残っている、ということはありえるのでしょうか。
352:298
08/01/28 15:56:30 RNpWEO5r
>>340
>>別に模範解答があるわけではなくて、「ああ、成る程、よくわかる」というわかり方が出来るなら、それで良いのです。
>298さんに模範解答を求めている人などいませんよ。ああ成る程、よくわかる。298さんは本当に信心のある人だ。僕も貴方のことをそのように思えれば安心できる。
>298さんにお答えいただけなければ、「ああ、成る程、よくわかる」という、こんな分かり方さえできないでしょう。不信感だけが妙な形で膨らんでいく。
「ああ、成る程、よくわかる」というのは、たとえば、このスレを読んだ人がいて、
刺激を受けて、獲信者を探しはじめ、探しあて、次第相承の善知識のご紹介をたのみ、
紹介していただき、会い、六字のいわれを聞き開き、弥陀をたのんだならば、
その後に見れば、「ああ、成る程、よくわかる」と、その方が実感するのです。
私に信心があるかどうかは、見た方がそれぞれ判断すれば良いことです。
何も私が無理して示そうとするようなことではありません。
353:298
08/01/28 15:56:49 RNpWEO5r
>>340
> 「この行は、途中から弥陀が行いますので、完全に同一となり(>>317)」など、
>奇妙きてれつな宇宙人の呪文のような言葉が出てくれば、「コノヒト ワ
>イッタイ ナニ オ カンガエ テ イル ヒト ナン ダ ロウ」なんていう
>不信感がでてくるんですよ。
そんなに奇妙に思われたことを、つい不思議に思ってしまうのですが、
信じがたいお話であることも、よくわかりますが、真宗に於いては、
弥陀が私たちを救ってくださるのです。
凡夫は、凡夫であるが故に、自らを救うことできませんので、
弥陀に救っていただくのです。
これは、真宗に関係する人の間では、有名なことですから、
少し調べていただけるなら、きっと、(渡海様には信じられなくても)
このようなことを主張している宗旨であると知れると思います。
もちろん、ご自分の道を歩むのは尊い方ですが、私たちは、自力至らぬから
弥陀をたのむのですから、どうかバカになさらないでください。
私たちをバカにするのは構いませんが、私たちの気持ちとしては、
弥陀をバカにはしてほしくないのです。
しかし、これも単なるお願いで、渡海様におまかせするしかありません。
宿善の機は、今生で弥陀にあったことが一度も無くとも、
「弥陀をたのみたい」と思うのです。
確かに希なお話ではありますが、その希な方々を丹念に見つけ、
浄土への道をお教えしたいのが、私の希望です。
354:298
08/01/28 16:02:23 RNpWEO5r
>>351
根源無明そのものは破砕してくださいます。ですから、この意味での疑いは、
生涯一度の一念帰命にて、きれいさっぱりとなくなります。
これにより、流転から離れることができます。
信後でも、自力の信は残りますから、疑おうと思えば、いくらでも疑うこと可能です。
しかし、どれほど疑おうと、極楽往生治定に変わりはありません。
それでも、せっかく救われたのですから、自力の信も育てていった方が、
楽しく生きられます。このために、後念相続を行います。
たとえば、御文様を読んでゆきます。すると、読む程に、「蓮師と同じ信心いただけた」
とよろこべるのです。(はじめは、御同行と一緒に読んでいった方が良いと思います。)
このようにして、信後のよろこびは、開発してゆくことができます。
355:298
08/01/28 16:05:09 RNpWEO5r
>>354
「いくらでも」というのは、あくまでも、「その方の能力の範囲内において」
という意味です。
疑いは凡夫の心の自然な働きですから、疑いは出てくる方が普通だと思います。
しかし、それをそのまま打ち捨てておくのはもったいないことです。
そのために、後念相続してゆくのですが、これは、「疑いが出てくること」も
自覚できますし、「それがもったいない」ことも自覚できます。
もちろん、それは全員ではありません。信後のすがたは、機によります。
大体の傾向をお話しています。
356:神も仏も名無しさん
08/01/28 16:06:19 v5RsnxdP
>>355
なるほどよくわかりました。
ありがとうございました。
357:298
08/01/28 16:13:59 RNpWEO5r
>>356
大きなよろこびを得たい方は、信後相続を丹念にするでしょうし、
「もう救われたのだから、そんなのも面倒だ」という方は、
打ち捨ててもおかれるでしょう。
もちろん、御恩報謝のお念仏をしてゆくことが、おすすめです。
これは、本来、弥陀の救いの価値と意味を感じてゆくことにより、
「あいがたき法に出会えた、ありがたい、うれしい」「こんな自分が救っていただけた、
ありがたい、うれしい」等の感謝の気持ちが出てきて、
自然と弥陀に感謝することばを口から出したくなるのです。
南无阿彌陀佛
358:298
08/01/28 18:16:27 RNpWEO5r
信を得るには、信心決定の念仏行者を探し、その方は、次第相承の善知識を
知っているはずですから、ご紹介を御願いし、次第相承の善知識に遭い奉り、
六字の謂れを聞き開き、一心に弥陀をおたのみして、これにて極楽往生治定と
知るべきなのです。
たったこれだけで、永劫の流転から抜けることができます。
凡夫直入易行、横超捷径です。頓教中の頓、これに過ぎるものはありません。
弥陀をたのめば、救われるのもアッと言う間であり、そのあまりの簡単さに、
易行であると実感し、「こんなに簡単だったとは・・・ 自分で疑っていただけだった。
自分で弥陀から逃げていただけだった。阿弥陀様、ごめんなさい、ごめんなさい」と
涙も致しますし、そんな自分をも見捨てず救ってくださったうれしさに、
涙もするものなのです。
359:298
08/01/28 18:18:22 RNpWEO5r
自力の心をふりすてるのは、自力ではできないのですから、
ふりすてようと自分であれこれ工夫しても、詮無きことです。
その方法を、次第相承の善知識から、教えてもらわなければなりません。
360:298
08/01/28 18:29:14 RNpWEO5r
凡夫直入の捷径なのですから、難しいことは、何もありません。
彌陀に救われることを望まれる方になら、誰にでも開かれている道です。
真実信心の招待状は、南无阿彌陀佛というかたちで、届いています。
この南无阿彌陀佛を目にし、呼ばれたと感じる宿善の機は、
その人身にて、南无阿彌陀佛という他力の行を致さねばなりません。
361:神も仏も名無しさん
08/01/28 21:31:47 fnPeWFKm
真の知識は真実をあきらかに耳の底にのこした人。
その仕事は「弥陀をたのめ」と人にすすめるばかり。
我が身の罪深さに地獄一定と嘆く人が宿善のもよほしにあづかって、次第相承の善知識に親近を得て、南無阿弥陀仏のいわれを聞きひらいたときに往生は治定。
年齢も能力も人物の善し悪しも関係なし。ただ帰命するのみ。
たのむ一念のときに信心決定して等正覚の位になるけれど、凡夫はやはり凡夫のまま。
愚かさゆえ、こちらが南無阿弥陀仏を忘れても阿弥陀はけっして捨てはしない。
しかしそれではあまりにもったいないので、たびたびに溝をさらえて仏恩報謝の念仏をすべし。
・・というふうな感じだと思います。
362:神も仏も名無しさん
08/01/28 21:45:04 fnPeWFKm
法をたずねるとき。
信心を獲得するのにお金はいらないと思います。
お賽銭程度は別として。
363:神も仏も名無しさん
08/01/29 00:00:50 YQJ/uIv4
/ ̄ ̄ ̄ ̄\
( 人____)
|ミ/ ー◎-◎-) / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(6 (_ _) ) <キミも自分のキモヲタ度を調べてみよう by渡海 難
| ∴ ノ 3 ノ \_____________
\_____ノ
1.サークル活動と聞いて連想するのは大学でなく同人だ。
2.服は親に買ってきてもらう。または親が勝手に買ってくる。
3.「りぼん」「なかよし」「ちゃお」の内、定期購読していた雑誌がある。
4.ヲタクと呼ばれると自分はマニアということを主張する。
5.「CC」の後に続くのは「さくら」だ。
6.やたらと独り言が多い。
7.ちなみに部屋は踏み場が無いほど汚い。
8.茶髪、金髪の人間が恐い。
9.人名:「○きどうざん」 ○に入るのは「り」である。
10.モー娘のメンバーは全員言えないがシスプリの妹12人の名前はすべて分かる。
11.エロゲー雑誌の名前は5個以上言えるがファッション雑誌の名前は5個以上言えない。
12.アニメは本編よりスタッフロールの方が楽しい。
13.「メッセサンオー」「虎の穴」「アニメイト」の袋を持って平気で町を歩ける。
14.3段腹だがノースリーブの服で町を歩ける。
15.ゲームを買うのに徹夜で並んだことがある。
16.携帯の着メロはアニメorエロゲーの主題歌。
17.渋谷、原宿、池袋は近寄りがたい。
18.「メイド」「巫女」「ネコミミ」と聞くと興奮する。
19.「眼鏡娘」ではなく「メガネっ娘」が正しい。
20.靴下は白が多い。
21.もちろんギャルゲーは本名プレイ。
22.アニメorゲームのキャラ名で領収書をもらったことがある。
5個以上該当はマジでヤバイです。
ちなみに渡海 難さんは見事全部該当しました。
364:298
08/01/29 01:22:22 6ZmE25GX
>>361
御同行の方ですか?
有縁の方のために念のため。
>南無阿弥陀仏のいわれを聞きひらいたときに往生は治定。
「南无阿彌陀佛のいわれを聞き開き、彌陀をたのむ一念のときに往生は治定」です。
信前の方であれば、とても良くまとまっていると思います。
そのようなプロセスで捉えていれば、御文様を読んでもよくわかると思います。
365:298
08/01/29 02:52:42 6ZmE25GX
>>343
>やれやれ。言葉が過ぎた。僕には他人に命令するような資格はないんだ。
>チェックリストには、仏教音痴の無宿善の機が、生兵法で刀を振り回し、挙げ
>句の果てに自分で怪我をし、質問を受けても答えられなくなっている滑稽さを
>感じました。
確かに、私は、「仏教音痴の無宿善の機」なのかもしれません・・・
生兵法で突進もし、論理破綻もしているのだろうと思います。
「どんな悪を為しても救われる」そんな極端なことを申す我らでございますので、
多くの仏教徒から見れば、仏教を貶めていると見えても、仕方がありません。
耶蘇教の影響を受けた邪道であろうと、批判を受けたこともございます。
他ならぬ浄土宗の方からも、(悪い意味の)秘事と批判を受けたこともございます。
西方十億万佛国土を超えた極楽浄土におわします、
教主阿弥陀如来に直接救っていただくための方法が、
秘事でなくて何なのだろう、と考えるのが我らなのです。
我らからすれば、極普通の方法で、アクセスできると考える方が
不思議でございます。
弥陀が完成された、南无阿彌陀佛を介しなければ、
とてもでないですが、無理であろうと思います。
利口な方から見れば、きっとバカに見えるだろうとも思います。
そう見えても仕方のない、とんちんかんな、間違いも多い私ですけれど、
そんな私のことも哀れんで、救ってくださるのが阿弥陀様です。
一般には無宿善の悪機でも、当流では、彌陀に救っていただけるのが、
宿善の機なのです。
私は、利口に見えるよりも、救っていただけたことが、うれしいです。
◎五濁増のときいたり
疑謗のともがらおほくして
道俗ともにあひきらひ
修するをみてはあだをなす
366:298
08/01/29 05:12:08 6ZmE25GX
>>247
>>複数の宇宙を扱いますし、
>>宇宙の寿命よりも、さらに永い時間についても扱います。
>阿弥陀は至高神なのか、それとも人格神なのか、精霊なのか、観念なのか、
>妄想なのか?この答が知りたいのです。
あなた様が「神」をどのような意味で用いているかがよくわかりませんでしたので、
複数の宇宙の話を出しました。
「至高神」「人格神」についても、定義が必要です。
367:298
08/01/29 05:16:57 6ZmE25GX
>>65
>それでは、何処に書いてあるんですか?と尋ねる事は極めて自然な質問でしょう。
>そういった単純な事も誘導尋問になるのでしょうか?
誘導尋問になるかは、私はよくわかりません。
尋ねることに問題があるのではなくて、
質問にこたえている私の意図を受け取ろうとせず、
簡単に「それは違います」と決めつけて、「では、次の根拠を」という
態度に問題があると思います。
なぜなら、それは「尋ねている」とは見なされないからです。
形式的に尋ねているに過ぎず、その実は、否定であり、拒否であると
思います。
あなた様の態度は一方的であって、私の多くの質問にも、
答えません。思うことを、隠していらっしゃるはずです。
ご自身の意図を、さらに明確に表してください。
不審に問題があるのではなく、表さないことに問題があるのです。
368:298
08/01/29 05:20:57 6ZmE25GX
>>15
>私が浄土門であろうが聖道門であろうが、私の質問はそんなことに関係ありません。
やはりこれは、尋ねる態度としては、問題があると考えます。
答を求める方であれば、より協力的であるのではないでしょうか。
尋ねているとは言えない、と見なされても、仕方の無い態度であるように
思われます。
弥陀の救いの法は、機を問わず、そこに変化はありませんが、
疑心に対する方法は、応機になると思います。
あなた様は、疑心を隠して、問うています。そこに問題があります。
つまり、あなた様は、質問しているようでいて、
行おうとしていることは、質問ではありません。
そこに倒錯がありますから、批判をしたいのであれば、
まずはその批判を、なるべく直接ことばで表すことを
試みるのが良いと思います。
369:298
08/01/29 05:27:12 6ZmE25GX
>>15
破邪顕正を為そうとしているのであれば、当流では、自身が信を獲らずして、
破邪顕正などは、言語同断であると申し上げます。
他派では、良しとされているのかもしれませんが、その場合は、
浄土門そのものへの批判となるでしょう。
あなた様は、意図を明かしませんので、とてもおっしゃっていることが、
わかりにくいです。
思う所を、そのまま表すことを心がけてほしいと思います。
不綺語戒は、ご存知でしょう? それとも、外道の方ですか?
370:298
08/01/29 05:29:51 6ZmE25GX
>>50
>他に出拠が探せないのであれば、試しに、お聖教中で「宿善」と言う
>語句が説明されている箇所を抜き出しましょうか?
ただ抜き出すだけでは、あまり生産的とも思えませんので、
私の発言と矛盾すると思われる箇所を引いていただけたらと思います。
371:298
08/01/29 05:35:29 6ZmE25GX
>>339
>貴方は、自分が知っているつもりでしょう。それなら貴方がここで応えたらどうですか
無宿善の機も読む可能性がある場所では、述べられないことも多いのです。
ですから、有縁を辿り、直接面会して、お聞きするしかありません。
面会しても、どこまで教えていただけるか、私にはわかりません。
基本的に、内心に秘めるべきものですから、教えていただけないことの方が、
多いのかもしれません。それであれば、再度尋ねるか、また別の方を
お探しするしかないと思います。
たとえば、渡海様のこの聞き方では、おそらく無理です。
372:298
08/01/29 05:44:54 6ZmE25GX
>>339
>信心の世界に隠し事などあるわけもない。
そうでしょうか? 渡海様の自力信の立場は、自分の心は他人にはわからないのだからということで、
強弁して押し切ろうとするものではないのですか。
しかし、信仰もありますので、弥陀を渇仰すれば、弥陀は見捨てないだろうけれども、
蓮の華が開かないことへの不安もあるのではないのですか。
化土往生もかなわず、堕ちられたらどうなさるのですか。
つつけば揺らぐ自力信、その後の揺らぎについても、語られたらいかがでしょうか。
自力で渇仰しても、他力が来迎するわけではないでしょう。
渡海様の信心は、来迎を心待ちにするタイプのものに他なりません。
臨終来迎ではなく、平生来迎を期待する信仰です。
373:298
08/01/29 05:49:43 6ZmE25GX
>>339
凡夫直入の「直」を、よくお考え下さい。
374:神も仏も名無しさん
08/01/29 17:15:27 QpxhIjS1
>>366
こういうような説には、共感を覚えるのですが、異安心となるのでしょうか?
URLリンク(www.d7.dion.ne.jp)
375:298
08/01/29 17:39:03 z0ogCagR
>>374
まず、私が申します所の「異安心」というのは、あくまでも、当流の安心と比較しての
ことを言っています。
当流における安心というのは、阿弥陀如来が建立されました極楽浄土に往生する
因を得ることです。
URLリンク(www.d7.dion.ne.jp)
に、念仏について書いてありますが、当流とは違います。
ですけれども、それが無意味ということではありません。
浄土真宗では、凡夫があっと言う間に彌陀教主の極楽浄土に往く因を得ることを
考えています。
すべての方が、そのような道を求めるわけではありません。
ちらっと見ただけですけれども、この著者の方は、
とても日本の神霊的なお方であると感じます。
この方も、弥陀の救いに出会ったならば、
おそらく、大変よろこばれたことと思います。
書いてあることには、とても勉強になることがたくさんあると思います。
ただし、あくまでも当流においては、
◎八万の法蔵をしるといふとも、後世をしらざる人を愚者とす(御文章)
であるのです。霊界のことを何もしらなくても、気の利いた説法ができなくとも、
弥陀をたのんだ方を智者と呼び、仏法者とお呼びします。
376:神も仏も名無しさん
08/01/29 18:44:32 QpxhIjS1
>>375
弁栄師は、日本の神霊とは関係がありません。
筋金入りの仏教者ですし、近代浄土宗にも多大な影響を与えた方です。
コピペ
浄土仏教の思想 14-清沢満之・山崎弁栄 (-) (講談社)
脇本 平也 (著), 河波 昌 (著)
商品の説明
日本文化の大潮流を体系的に書き下ろす初の全集!
●清沢満之―浩々洞を開設して雑誌『精神界』を刊行、精神主義によって仏教の近代化をはかる。
●山崎弁栄―光明主義を唱導して光明会を創設。釈尊にかえり、法然の真精神を現代に蘇らせる。
この方は、
○通じて神と如来は宇宙大霊体の代表的人格現にして即ち大霊である。
○人は宇宙の一分子にて小霊である。
こうおっしゃっています。
377:神も仏も名無しさん
08/01/29 18:52:15 QpxhIjS1
また、こうも言われます。キーワードは万教同根です。
○宗敎の関係は己のみにて成立するものにあらず。
○主体と客体の親密に合一する処に成立す。
○主体は即ち人にて客体は神即ち仏敎の如来である。
○人の信仰と如来の恩寵との関係である。
○信仰とは己を獻げて帰命信頼すること恩寵とは人の信仰に対して慈愛心を以て愛念養成し給ふ親子的関係の如くである。
○通じて神と如来は宇宙大霊体の代表的人格現にして即ち大霊である。
○人は宇宙の一分子にて小霊である。
378:298
08/01/29 18:52:30 z0ogCagR
>>376
教義的には、似ていると思いますよ。あくまでも、感覚的なものですが。
379:298
08/01/29 19:24:50 z0ogCagR
>>377
また、
>○主体は即ち人にて客体は神即ち仏敎の如来である。
これは私たちと方向が逆です。如来が我らを救ってくださるからです。
>○人の信仰と如来の恩寵との関係である。
これも、ひょっとしたら、方向が違います。真実信心も、如来がくださるものだからです。
380:298
08/01/29 19:35:21 z0ogCagR
>>377
もし、その方が「万教同根」とおっしゃられているのであれば、
さまざまな宗教に触れられて、そのどれでも満足できずに、
混交して、ご自分なりの宗教観をお育てになったのではないでしょうか?
381:神も仏も名無しさん
08/01/29 19:46:22 QpxhIjS1
>>380
筋金入りの仏教者です。
仏道修行の結果、諸宗教の奥にある真理を感得されたのだと思っています。
URLリンク(www.ne.jp)
382:神も仏も名無しさん
08/01/29 19:48:25 S599Os/9
374さんのご紹介の説はたいへん素晴しいものだと思います。
しかし、298さんにとっては、異安心かどうかという以前にまったく興味を覚えないんじゃないかと。
それは何故かと申しますと、298さんは既に無上の功徳をいただいているからです。
世の中には素晴しい教えや法がたくさんあるでしょう。
その中には、なにものにも代え難い尊い教えもあると思います。
しかし、それにしてでも「凡夫が佛になる」という以上の功徳は想像できないからです。
いろんな道があると思います。それぞれに思い定めた道を行けばいいのでは。
しかし、298さんとしては、当然のことながらご自身が救われたご信心を少しでも多くの方に獲得してもらいたいと考えておられるはずです。
他力は易行であるけれど、ここを読んでいると難信の法なのだなあと、つくづく感じます。
383:神も仏も名無しさん
08/01/29 19:55:41 QpxhIjS1
浄土宗(法然)と真宗(親鸞)は、もはや別の道、別の教えと、認識した方がいいのですか?
384:神も仏も名無しさん
08/01/29 20:34:02 QpxhIjS1
>>382
何か誤解されているようですね。
コピペ
山崎の宗教思想
「宗教家は奇跡を現わさなくてはつまりません」と述べ、現世利益を認めるような発言をされているが、
「予言ができるとか、病気がなおるとか、そんな奇跡がなんの価値がありましょう。
凡夫が仏になる。これほど大きい奇跡がまたとありましょうか」
と、阿弥陀仏信仰の絶対性を説いている。
385:298
08/01/29 20:49:50 z0ogCagR
>>384
>凡夫が仏になる。これほど大きい奇跡がまたとありましょうか」
>と、阿弥陀仏信仰の絶対性を説いている
私が言う所の他力信は、「阿弥陀仏信仰」というものとは、少し違います。
凡夫が自分で信仰するものでは無いからです。
自力の信で報土に達することは無いからです。
>仏道修行の結果、諸宗教の奥にある真理を感得されたのだと思っています。
仏道修行の結果であれば、四諦を得るのではないでしょうか。
釈尊は、真理の内容も明示しています。
真理を感得していない方でも、四諦の内容を読むことができます。
当流においても、「南无阿彌陀佛」は、信前の方も知っています。
ただ、機法一体になっていません。
諸宗教の奥にある真理が感得されたと感じ、万教同根と感じたり、説いたりしたとしても、
南无阿彌陀佛の謂れを知ることはできなかったということになります。
また、「万教」を本当に知るのなら、神通が開けているはずでしょう。
「万教同根のはずである」と推測するに至った、ということなのでしょうか?
それとも、弥陀如来が本師本佛であるために、
根を辿れば、弥陀如来であるということなのでしょうか?
浄土真宗では、諸宗教の奥にある真理を感得する必要も無く、
ただ、一心に弥陀をたのめば、それで良いのです。
386:298
08/01/29 20:51:32 z0ogCagR
>>383
「もはや」ということは、「現在説かれている」という意味でしょうか?
「現在説かれている」ということでしたら、「真宗(親鸞)」だけでも、
さまざまな教えがあり、それぞれは、別物と認識することができると思います。
私たちの考えでは、法然聖人の教えも、親鸞聖人の教えも、同じです。
387:298
08/01/29 20:54:39 z0ogCagR
>>382
>しかし、298さんとしては、当然のことながらご自身が救われたご信心を
>少しでも多くの方に獲得してもらいたいと考えておられるはずです。
そうです、そう考えております。
>他力は易行であるけれど、ここを読んでいると難信の法なのだなあと、つくづく感じます。
難信ということが、示されていますね。ありがたいことです。
388:298
08/01/29 20:57:46 z0ogCagR
>>384
弥陀の救いというのは、信仰する必要も無いのです。
南无阿彌陀佛という無上の方便があるのですから、
それにより、弥陀から真実信心をいただき、
極楽往生が治定致します。
389:298
08/01/29 21:04:02 z0ogCagR
>>381
>筋金入りの仏教者です。
私は、山崎様が筋金入りの仏教者であるかどうかは、よく存じません。
しかし、たとえば1000年くらい転生を重ねて修行されている
筋金入りの仏教者がいらっしゃるとして、
もし、凡夫が今生にて弥陀をたのむならば、その修行者を
軽く飛び越えて正定聚の位に住すというのが、
浄土真宗です。
390:神も仏も名無しさん
08/01/29 21:14:24 rDyH+ofd
勤行はお西とお東のどちらの節がよろしいのでしょうか。
391:298
08/01/29 21:19:28 z0ogCagR
>>390
どちらでもよろしいのではないでしょうか。好みで決めればよろしいかと思います。
392:神も仏も名無しさん
08/01/29 21:21:15 QpxhIjS1
>>389
同じ阿弥陀仏の教えでも、いろいろあるのですね。
正当の浄土真宗では、阿弥陀仏は神霊であると認識してもおかしくはないですか?
393:298
08/01/29 21:31:09 z0ogCagR
>>392
「神霊」の定義によります。通常、「神霊」という言い方はしません。
「神霊のようなもの」と捉えて、弥陀に救われたいと念じ、
縁を得て、一心に弥陀をたのむ方がいらっしゃったなら、
その方は、弥陀に救われます。
弥陀は、信前の機を問いませんので、たとえば、信前にキリスト教を信仰して
いらっしゃったり、あるいは、仏教の他宗を信仰していらっしゃった方でも、
要は、弥陀をたのめば、救われるのです。
信前の思想も問われません。素行も問われません。
通常は、「本師本佛」と捉え、西方浄土にて、尽十方無碍光を発していらっしゃっていると
捉えると思います。
394:神も仏も名無しさん
08/01/29 21:33:33 rDyH+ofd
>>391
ありがとうございました。
395:298
08/01/29 21:40:43 z0ogCagR
>>392
私は山崎様のことは、全くと言って良い程知らないのですが、
たとえば、たくさん修行された方だとします。
そのような方でも、聞くことのできないのが、
南无阿彌陀佛なのです。
ですから、もし、聞くことのできた方は、本当にそのご縁をよろこべるのです。
396:神も仏も名無しさん
08/01/29 21:41:39 QpxhIjS1
>>393
「本師本佛」とはどういう存在でしょうか?
不可思議なのは分っていますが、専門用語ではなく、「神霊」のような意味の分る言葉で、理解したいのです。
397:298
08/01/29 21:45:25 z0ogCagR
>>394
正信念仏偈も、本当に素晴らしい内容を含んでいます。
勤行なさっているうちに、「ああ、本当に阿彌陀様に救われてみたいものだ」という
渇仰の気持ちが育つかもしれないと思います。
そうなりましたら、信心決定の行者をお探し下さい。
外相には出しませんけれども、それでも、このスレを読んでいるような方であれば、
何となく思い当たるご発言に気付かれるはずです。
身分の上下も、年齢の上下も問わずに、聞いてみて下さい。
そうしましたら、「南无阿彌陀佛とは、何ですか?」とその方の領解を聞いてみて下さい。
もしその方が六歳の子供でも、信を得ているなら、この道の先輩です。
決しておろそかにせず、次第相承の善知識を、紹介してもらってください。
398:298
08/01/29 21:48:33 z0ogCagR
>>396
これは、396様の現在のご理解によって、どのようにお話すれば
良いのか、異なってくると思います。
本師本佛というのは、簡単に言えば、「もっとも先に悟った生命」ということです。
阿弥陀如来は、ご自身が如来となった後、たくさんの佛をお育てになりました。
次に、私たち凡夫を哀れみまして、どうにかして、私たちも救いたいと、
思ってくださったのです。
そのために、法蔵菩薩となって生まれ、御修行されて、
南无阿彌陀佛を成就なさったのです。
これで、わかりますでしょうか? それとも、わけがわかりませんか?
399:298
08/01/29 21:59:46 z0ogCagR
>>396
「大本の師であり、佛である」という言い方であれば、わかりますか?
ある佛がいらっしゃったとして、その先生の、そのまた先生の・・・と
ずっと辿ってゆくと、最後は阿弥陀如来に辿り着く、ということです。
400:神も仏も名無しさん
08/01/29 22:02:55 QpxhIjS1
>>399
法蔵菩薩というのは、過去に実際に地球上に人間として生まれた存在ですか?
それならば、モーゼや釈迦如来、イエスと同じように、阿弥陀如来は、人格神とも呼べます。
地球の人間が300万年程の歴史をもつとしたら、(私はダーウィン論者ではないので何億年もあると思っていますが)、
法蔵菩薩が地球上に生まれたのは、いつごろのことだと想定されますか?
それから、佛と言うのは、霊的存在だと思ってもいいですか?
401:298
08/01/29 22:07:19 z0ogCagR
>>400
法蔵菩薩が名号を成就なさったのは、十劫前ですから、まだこの宇宙もできていません。
「人格神」と呼ぶには、「人」の定義もいるのです。
仏教では、「人」というのは、人間界の衆生ですから。
佛を、とりあえず霊的存在と思うのはかまわないと思いますが、
あえて「霊」ということばを好むのには、理由があるはずですので、
ご自分の心を、よく観てみると良いと思います。
「霊的存在と思いたい」からには、「霊的存在とは何か」という観念、
そして、「霊的存在では無いならばイヤだ」という理由があるはずですので、
できましたら、それらを教えてください。
用語としては、「佛」や「如来」を推奨致します。
402:298
08/01/29 22:10:48 z0ogCagR
>>401
ただし、劫には、さまざまな説があり、私がここに書いたことについて、
多く同意されているわけではありません。
私は、劫というのは、宇宙1回分だと捉えています。
私も、さらに勉強が必要なところです。
403:298
08/01/29 22:14:24 z0ogCagR
>>400
宇宙レベルの話になると、私には、よくわかりません。
それをわかるために、修行して行く道も仏教にはあるのですが、
地上に転生を重ねて修行するのも良いですけれども、
私は弥陀をおたのみして、極楽浄土へと参り、
本師本佛の阿弥陀如来の説法を直に聴くことを選んだということです。
浄土に参りませば、神通もいただけますから、
自分のこれまでの転生もすべてわかるようになりますし、
他の宇宙の生命の考えている内容までわかるようになります。
404:神も仏も名無しさん
08/01/29 22:18:20 QpxhIjS1
>>401
法蔵菩薩は人間ではないとすれば何ですか?
それと、別に「霊」にこだわっている訳ではありません。
意味の分る言葉で理解したいのです。
「佛」、「如来」というのは、人間ではないとすれば、どんな存在だと思えばいいのでしょうか?
405:298
08/01/29 22:27:15 z0ogCagR
>>404
まず、「何」ということについて、仏教では「一切」ということを立てます。
ですけれども、これを説明してゆくことは、仏教系の別のスレで、
熱心になされているかもしれないと思います。(未確認です。)
意味のわかる言葉ということであれば、「生命(せいめい)」はいかがですか?
たとえば、虫という生命から見れば、人間という生命は、
いろいろ知力もあるし、想像を超えた能力を得ているように見えるかもしれません。
そのように、私たち人間から見て、はるかに超越した能力を持っている生命を
考えるとわかりやすいのではないかと思います。
私たちが、虫に対して、自分のわかっていることを伝えようとしたら、
どうですか? 困難ではないですか?
ですので、釈尊としてお生まれくださり、縁をつくってくださったのです。
法蔵菩薩様ですが、五劫思惟に永劫修行ですので、寿命がこの地上の人とは全く違います。
406:神も仏も名無しさん
08/01/29 22:39:34 QpxhIjS1
>>405
肉を持たない生命体=佛、如来
これでいいですか?
407:神も仏も名無しさん
08/01/29 22:42:05 QpxhIjS1
>>405
法蔵菩薩は、地上ではないなら、どこで修行をしたのですか?
また、肉体は持っていたのでしょうか?
408:神も仏も名無しさん
08/01/29 22:44:27 0YVkmeky
>>406
googleやwikipediaかなんかで調べろよ、そのくらいのこと。
409:298
08/01/29 22:50:04 z0ogCagR
>>406
地上の私たち人間の肉とは違いますが、身体はお持ちであったと思います。
(しかし、佛如来の場合には、「持たない」という言い方で表現されることも
あると思います。)
浄土真宗で信をいただく場合、南无阿彌陀佛以外の教義を全然知らなくても救われるという
御宗旨ですので、私は自分が「救われる」内容に絞って学んできました。
ですので、仏教全般についての知識が不足しています。
ですから、きちんとお答えすることができません。申し訳ありません。
しかも、佛如来は、身体を他の世界に複数出すことがお出来になり、
たとえば、釈迦牟尼如来は、阿弥陀如来の応身です。
諸経典類や概説書を読まれると、解説が載っているかもしれないと思います。
私の場合は、「私が勉強しても、所詮私の想像だから不正確だろう」と思い、
浄土往生後に先送りしている感じです。ですけれども、ご質問受けましたので、
今後、少し興味を持って勉強するかもしれません。
あるいは、仏教系のスレで、そのような話題を扱っているスレッドもあるかもしれません。
真宗では、たいした知力も無ければ修行もできない私たちを救うための
名号がありますので、この名号によって、弥陀に救われようということなのです。
あまりお役に立てなくて申し訳ありません。
410:298
08/01/29 22:51:10 z0ogCagR
獲信者というのは、一切智者ではなくて、あくまでも凡夫なのです・・・
411:298
08/01/29 22:52:12 z0ogCagR
>>407
とりあえず、大経を読んでみてください。
412:神も仏も名無しさん
08/01/29 22:55:04 QpxhIjS1
>>411
形而上の問題よりも、まず、信をいただくことだ大切だということですね。
大経読んでみます。ありがとうございました。
413:298
08/01/29 23:01:40 z0ogCagR
>>412
とにかく信心為先です。ですけれども、興味があるのであれば、
三部経(漢訳あるいは現代語訳)を通読していただければ、
基本はわかると思います。(「なんとなくわかる」というレベルのわかり方になると思いますけれども。)
(ひょっとして、過去生で聖道をやられている方であれば、すいすいわかるかもしれません。)
経典を読んでも信は獲れないのですが、基本的なイメージを掴むことができます。
「あくまでも信心為先である」ということを頭に入れた上で、
いろいろ勉強なさると良いと思います。
414:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
08/01/30 11:12:28 O5VtNhVz
>>350
>無宿善の機に話すならば、掟破りになるでしょう。
>> 357,358,359,360,365 等々。
掟、掟を連呼する298さんは、実に饒舌だ。饒舌は人を煙に巻く。こういう饒舌が掟破りにならんという
のは、不思議な話だ。298には誠実みがない(苦笑)。浄土真宗は、宗祖の主張と、一つ一つ誠実に照
合しながら語るのが原則だ。教外別伝は受けられない。
>> 372,373
饒舌が止まらない貴方の掟はダブルスタンダードで誠実みがない。
貴方は、宗祖の主張と調和しない我流の宗教を立てているのだということはよく分かる。親鸞にも蓮如に
も、ダブルスタンダードは無いからね。
掟破りになるから話さないと、相手の話は遮断して、自分の饒舌は止まらない。ダブルスタンダードで疑城
胎宮の信心を防衛するのは勝手だが、他人の心配をする前に、貴方自身が金鎖を断ち切る勇気をもつこと
が必要だ。
415:298
08/01/30 13:06:02 vXfK6vNX
>>414
掟がありながら、蓮師も御文を書いていらっしゃるでしょう。
また、親鸞聖人も、教行信証を書いていらっしゃいます。
御本典にせよ、御文にせよ、南无阿彌陀佛(=真実行)が何であるかは、
書いてありません。
まじめに読んだ方は、気付くはずです。
浄土真宗には、「聖教読まずの聖教読み」と呼ばれる方々もいらっしゃいます。
一般のイメージの「妙好人」には、特にそのようなイメージがあると思います。
当流は、自信教人信が原則であり、自障障他は戒められています。
416:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
08/01/30 13:18:21 O5VtNhVz
>415
> 当流は、自信教人信が原則であり、自障障他は戒められています。
貴方の掟も自障障他も、疑城胎宮の金鎖の守護神。結局の所はダ
ブルスタンダードの操り人形。二枚の舌の内の一方の舌。
舌を何枚も持っていて巧みに使い分ける人に、誠実な人はいるわけ
がない。
417:298
08/01/30 13:19:07 vXfK6vNX
>>414
>貴方は、宗祖の主張と調和しない我流の宗教を立てているのだということはよく分かる。
なぜ、よくわかるのかがわかりません。
渡海様は、浄土真宗を信じていらっしゃらないのですか。
親鸞聖人を語りながら、名号を南無とたのんだことも無く、
そして、そのまま命終を迎える方がほとんどです。
もちろん、いずれは、渡海様も弥陀に救っていただけます。
私がお話しているのは、今生に救われたい方々に対してです。
418:298
08/01/30 13:21:23 vXfK6vNX
>>416
掟があるから、話してはいけない内容があり、
公開の場では、あくまでも、宿善の機と無宿善の機が混在していても
許される内容を語ることが、なぜダブルスタンダードになるのですか?
419:298
08/01/30 13:24:43 vXfK6vNX
>>416
信心獲らずにおすすめするのが、自障障他ですよ。
420:298
08/01/30 14:01:47 vXfK6vNX
>>416
確かに、このような公開の場でお話できることには、限りがあります。
しかし、それでただ沈黙してしまっては、ご縁にならないでしょう?
ですから、御開山も御本典を遺されましたし、蓮師も御文を遺されました。
そして、一般の方向けに、法話もなさったのです。
法話は、角有るところを聴かねばなりません。
そして、宿善の機は、「足りないお話」であることに、気付くのです。
御本典を読むにしても、御文様を読むにしても、
「結局、南无阿彌陀佛が何かは書いていないじゃないか! どうすればいいんだ?」
と嘆くような読み方、それでも諦めきれずに、本の中に探すような読み方が良いのです。
それでも、
◎『御文』はこれ凡夫往生の鏡なり。『御文』のうへに法門あるべきやうに
思ふ人あり。大きなる誤りなりと云々(聞書177)
です。ですけれども、納得行くまでは、探されたらよいのです。
いずれは、「善知識を尋ねよ」と書いてあることに気付くでしょう。
南无阿彌陀佛
421:298
08/01/30 14:07:12 vXfK6vNX
>>412
あくまでも易行です。ぜひ、今生で信をお獲り下さい。
いずれは弥陀に救っていただけるとは言え、
わざわざ、苦しみの転生を長引かせることもありません。
共に浄土に参り、衆生済度を致しましょう。
422:298
08/01/30 14:21:33 vXfK6vNX
>>412
悩まれる方の多くは、信心為先であることも、易行であることも、弥陀が機を問わないことも、
心のどこかで信じられないのです。
ですので、あれこれ理解しなくてはいけないとか、教義を理解しなくてはいけないとか、
罪悪感を深めねばいけないとか、自分の機を扱ってしまいます。
(これらはすべて、必要の無いことです。)
弥陀の救いは、そのようなものではありません。機を問わずに、他力にて、
お救いくださいます。
今のままの身と心で、そのままで、弥陀のもとに参ればよいのです。
423:298
08/01/30 14:29:06 vXfK6vNX
>>422
>悩まれる方の多くは、信心為先であることも、易行であることも、弥陀が機を問わないことも、
>心のどこかで信じられないのです。
これは、「信じられない」のがいけない、という意味ではありません。
信じられないから、悩んでしまう、という意味です。
そのままで、信じられずに、悩んでいるままで、弥陀をたのめば良いのですが、
そのためには、次第相承の善知識に遭い、六字のいわれを聞き開くことが必要なのです。
多くの法話では、「そのままで、信じられずに、悩んでいるままで、弥陀をたのめば良い」で
話しが終わってしまいますので、「でも、どうやって弥陀をたのんだらいいんだ?」と
聴いた方が、また悩まれてしまうと思います。
ですので、批難が起こることもわかった上で、「そのためには、次第相承の善知識に遭い、
六字のいわれを聞き開くことが必要」とまで、私は申し上げます。
これは、蓮師に倣っています。
424:298
08/01/30 16:05:23 vXfK6vNX
>>403
地上の生活でも、遠くに参るときには、飛行機や電車の切符を手配致します。
尊敬される方の説法、あるいは、好きなミュージシャンのコンサートがあると聴けば、
あるいは、好きな画家の展示会があると聴けば、
切符を手配して、かけつけることでしょう。
本師本佛であらせます極楽浄土の教主阿彌陀如来様は、
私たち凡夫を、希望者は全員、招待してくださっています。
私は、如来の説法を直に聴きたいと思い、
浄土往生を希望し、弥陀をおたのみ申し上げました。
ですから、死後を楽しみにしているのです。
この地上へのご縁が切れましたら、極楽浄土へと参ります。
425:298
08/01/30 16:15:48 vXfK6vNX
>>405
通常の感性であれば、たとえば虫を見て、「どうにかして救ってあげたいなあ」と
智慧を尽くして、虫にわかってもらおうとは、思いつかないと思います。
私など、子供の頃、簡単に虫を殺していました。
慈悲心がない恐ろしい存在であることが、よくわかります。
我ながら、ぞっと致します。今でも、体内の免疫系も、日々殺生していることでしょう。
どうやっても、救われない存在であると思います。
弥陀におたよりする由縁です。南无阿彌陀佛
426:秘事法門
08/01/30 22:55:34 T/XjSZ1y
>420
私にも善知識とお呼びすべき方があります。
ただし、アプローチは298さんとは違います。
私は善知識を求めたわけでもなく、救いを求めたわけでもなく、
ある講演会に行ったのがきっかけで、ご法話会に足を運び、
弥陀をたのめと教えて頂きました。
もし、私が救いを求めるように勧められたら、
私はきっと凡百ある「信じる者は救われる」宗教と
真宗は同類だと判断し、法話を聞く気になれなかったかもしれません。
また、もし救いを求めるように差し向けられたとしても、
救済を求めるという、煩悩が作りだす欲求を基盤として、
その欲求がかなったという煩悩が作り出す所の、救われた感覚・感情・感激を
何の疑いもなくたのんでしまっていたかも知れません。
往生ほどの一大事、凡夫のはからうべきことにあらず。
ただ、正覚を成された弥陀のおはからいにまかせまいらせる他ありません。
そののちは報恩のお念仏申して、日々暮らさせていただく。
若不生者の誓いゆえ、凡夫の浅知をだらだら述べるのは一利もないですね。
427:秘事法門
08/01/30 23:12:42 T/XjSZ1y
298さんへ追加します。
298さんは信心決定した、浄土往生決定した、
そうした心に住しているのではないかなとふと思いました。
その心は煩悩ですよね。凡智に過ぎないのですから。
そして、往生決定したと感じた感激を信心と思われているのではないでしょうか?
これはまさしく「煩悩の所為」「凡智によるはからい」とは言えないでしょうか?
428:秘事法門
08/01/30 23:32:48 T/XjSZ1y
さらに追加します。
掟についてですが、自分の都合にあわせて掟を勝手に作っていませんか?
所謂『掟の御文』といわれるものが遺されていますが、
ある特殊な次第相承の善知識といわれる方があって、
その選ばれた人によらなくては信心決定できないとも、
救いを求めるという条件がなければ浄土往生がかなわないとも、
述べられてはいません。お聖教には述べられていない、
特殊な善知識が脈々と秘密の法を伝授しているなら、
もはやお聖教は各自読む必要はなく、秘密の法を継承している善知識に
自身の往生について全託するのが近道であると言うことにはなりませんか?
善知識が誰かという違いだけで、
根本的にはS鸞会と同じカラクリによっているような気がするのですが。
429:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
08/01/31 01:02:51 lv700AJh
> 417 名前
> なぜ、よくわかるのかがわかりません。
僕には、貴方に解らせようと言う気も起きない
疑城胎宮の中にいる限り500年考えても分かるまい。掟、掟、自障障他で自分のガードを固
める貴方に、まともなことを言う気も失せる。
>渡海様は、浄土真宗を信じていらっしゃらないのですか。
ダブルスタンダードの貴方に解らせられる信心などは、爪のあか程も持ち合わせがない。
> もちろん、いずれは、渡海様も弥陀に救っていただけます。
大きなお世話だ。
「掟、掟、自障障他」の繰り返しで、まともな会話をダブルスタンダードで勝手に遮断する貴
方に心配される程、僕はそんなに落ちぶれてない。
>私がお話しているのは、今生に救われたい方々に対してです。
疑城の金鎖の囚人とも知らずにやってくる人を、今生に救われたい方とは聞いて呆れる。
430:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
08/01/31 01:03:55 lv700AJh
>>418
> 掟があるから、話してはいけない内容があり、
掟掟で金鎖の城のガードを固める貴方に、まともな話などできるわけがないわいな。
>公開の場では、あくまでも、宿善の機と無宿善の機が混在していても
> 許される内容を語ることが、なぜダブルスタンダードになるのですか?
まともな話をすれば、「掟、掟」と話を遮り、自障障他と切り返してくる貴方が、一体何
を僕から聞きたいと言うんだ。
金鎖の城でガードを固める貴方と、まともな話などできるわけがないわいな。
>>419
>信心獲らずにおすすめするのが、自障障他ですよ。
大きなお世話だ。説教はよそでやれ。
金鎖の城でガードを固める貴方に、どんなまともな話ができるというんだ。聞いて呆れる。
馬鹿馬鹿しい。
431:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
08/01/31 01:04:21 lv700AJh
>>420
>確かに、このような公開の場でお話できることには、限りがあります。
えらそうなことは、ダブルスタンダードの二枚舌の一枚を抜いてからにしろ。
掟、掟を連呼し、自障障他で相手を拒否し、自分は饒舌が止まらない。
人の話に耳を塞いで、自分は舌が二枚も三枚もある。金鎖の世界には誠実さが無い。
>嘆くような読み方、それでも諦めきれずに、本の中に探すような読み方が良いのです。
偉そうな説教は、掟を連呼してガードを固める舌を抜いてからにしろ。
>いずれは、「善知識を尋ねよ」と書いてあることに気付くでしょう。
馬鹿も休み休みいうものだ。疑城胎宮の外にも出られず、お前の善知識などは聞いて呆れる。
顔でも洗って出直してこい。
432:298
08/01/31 01:20:12 U83D7fX9
>>426
救いを求めずに、なぜご法話会に足を運んだのでしょうか。
それに、「救いをもとめずに、弥陀をたのむ」ということも、
私にはよくわかりません。
では、何のために、弥陀をたのまれたのですか?
また、赤子が彌陀をたのむとき、
顕在意識として、「救いをもとめる」という自覚はないだろうと
思いますが、それでも、救いを求めるから、
正法に辿り着き、弥陀をたのむのです。
私は、「救いを求めよ」と言っているのではありません。
宿善は、宿世のことなのですから、いまさらどうにもなりません。
「宿善の機は、救いを求める」と言っています。
そして、「救いを求めるのなら、宿善の機です」と言っています。
「凡夫の浅知をだらだら述べるのは一利もない」についてですが、
蓮師は示談を奨励されていますし、「聖教読まずの聖教読み」が
信を獲らせることについても書かれています。
私の立場は、むしろ逆です。
私の書き方は、むしろお聖教や教義にこだわり過ぎているのであって、
さまざまな妙好人がこのスレにつどい、だらだらと書いてくださる方が、
良いと思っています。
433:298
08/01/31 01:23:47 U83D7fX9
>>427
「浄土往生決定したと自分で思う心」は、確かに自力の心ですし、
煩悩であることに間違いないと思います。
凡智によるはからいであることも、間違いないでしょう。
そして、その凡智によるはからいに翻弄される私でありますのも、
私が凡夫足る由縁であります。
一方、弥陀の信は、私の信とは、直接の関係はありません。
私が、信じようとも、疑おうとも、よろこぼうとも、悲しもうとも、
変わらず、間断無く、相続されております。
「往生決定したと感じた感激」は、自力の信心です。
しかし、自力の信心も、救われたよろこびも、凡夫にとっては、
ありがたいものですので、他力信にとどまらず、
自力心のよろこびまでいただけることを、よろこんでおります。
434:298
08/01/31 01:27:54 U83D7fX9
>>428
>掟についてですが、自分の都合にあわせて掟を勝手に作っていませんか?
掟は、あくまでも、定められているものです。
◎他宗他人に対して沙汰すべからず(御文2-8)
また、>>348の引文もご覧下さい。
435:298
08/01/31 01:32:40 U83D7fX9
>>428
>ある特殊な次第相承の善知識といわれる方があって
典拠と感じていただけるかはわかりませんが、
◎釈尊・善導この法を説きあらはしたまふとも、
源空・親鸞出世したまはずは、われらいかでか浄土をねがはん。
たとひまた源空・親鸞世に出でたまふとも、
次第相承の善知識ましまさずは、
真実の信心をつたへがたし(真要鈔)
◎この御ことわり聴聞申しわけ候ふこと、御開山聖人御出世の御恩、
次第相承の善知識のあさからざる御勧化の御恩と、
ありがたく存じ候ふ。このうへは定めおかせらるる御掟、
一期をかぎりまもりまうすべく候ふ(領解文)