08/01/27 03:33:00 BSmRIUGS
>>275
さらに申しますれば、念仏衆生は摂取不捨ですので、信後のすがたは
問われませんから、たとえば一念帰命した後に、他の宗教に熱心になり、
弥陀をかえりみないとしても、極楽往生治定に変わりはありません。
ですから、どう称えても良いのです。
ですけれども、多くの場合は、真実行のありがたさに、
機法一体のありがたさに、自然と、「南無阿弥陀仏・・・」とお称えしたく
なるものであると思います。
また、そのように、自力の心も開発してゆきまして、よろこびを開発してゆくことにより、
命終まで、たのしく暮らしてゆくことができると思います。
せっかく価値あるものをいただいたのですから、よろこべる方が、
ラクに過ごせますし、楽しいですし、しあわせです。