08/01/27 03:20:45 88W4/AzT
私が六字に限定しないと理解するに至った根拠を挙げておきますね
親鸞聖人御消息集
「念仏申し候ふ人々のなかに、南無阿弥陀仏ととなへ候ふひまには、無碍
光如来ととなへまゐらせ候ふ人も候ふ。これをききて、ある人の申し候ふ
なる、南無阿弥陀仏ととなへてのうへに、帰命尽十方無碍光如来ととなへ
まゐらせ候ふことは、おそれあることにてこそあれ、いまめがはしくと申
し候ふなる、このやういかが候ふべき。
南無阿弥陀仏をとなへてのうへに無碍光仏と申さんはあしきことなりと候ふ
なるこそ、きはまれる御ひがごとときこえ候へ。帰命は南無なり、無碍光仏は
光明なり、智慧なり、この智慧はすなはち阿弥陀仏なり。阿弥陀仏の御かたち
をしらせたまはねば、その御かたちをたしかにたしかにしらせまゐらせんと
て、世親菩薩 御ちからを尽してあらはしたまへるなり。このほかのこ
とは、少々文字をなほしてまゐらせ候ふなり。」
誤解があれば指摘して下さい