08/01/27 01:43:28 BSmRIUGS
>>248
>ただし、南无阿彌陀佛の六文字に限定する必要はないと私は理解しています
>親鸞さんもそういう理解だったと把握しています
そういうことでありますならば、私の領解と「違う」ということは言えると思います。
つまり、同行でも、同心でもありません。
ですけれども、どちらが正しいのかは、私にはわかりません。
各自の信じる道を行くしかないとしか、わからないのです。
親鸞聖人の名号の理解についてですが、六字名号に限らなかったという
意味でしょうか?
251:あんこ入り☆パスタライス
08/01/27 01:45:33 88W4/AzT
>>250
> 親鸞聖人の名号の理解についてですが、六字名号に限らなかったという
> 意味でしょうか?
そう書いたつもりでしたが・・・分かりにくくてすみません
252:298
08/01/27 01:48:20 BSmRIUGS
>>248
>> 「もし、有縁の方で求める方がいらっしゃるならば、
>> カンタンに獲信していただくことができますか?」です。
>私は救済者ではないので分かりません
>何をもってカンタンと判断すればいいのかも分かりません
>ごめんなさい
これは、我らからすれば、「自力の信」ということになります。
思索による信であり、観念的な理解です。
救済者ではなくても、わかるのです。
出第五門を、いただいていないことになってしまいませんか?
253:神も仏も名無しさん
08/01/27 01:49:00 R46LctlO
>>249
長々とすいませんでした。
他力念仏もまだ生きているだな、と思いました。
254:神も仏も名無しさん
08/01/27 01:49:52 R46LctlO
訂正
いるだな→いるのだな
255:あんこ入り☆パスタライス
08/01/27 01:50:25 88W4/AzT
>>250
> そういうことでありますならば、私の領解と「違う」ということは言えると思います。
そうですか、298さんと私の領解は違うんでね
> つまり、同行でも、同心でもありません。
了解です
> ですけれども、どちらが正しいのかは、私にはわかりません。
> 各自の信じる道を行くしかないとしか、わからないのです。
そうですね、私もそう思います
256:298
08/01/27 01:52:08 BSmRIUGS
>>251
私の理解では、真実行は南无阿彌陀佛です。
257:298
08/01/27 01:54:35 BSmRIUGS
>>251
また、蓮師も「六字のいはれ」とはおっしゃいますが、「九字のいはれ」「十字のいはれ」とは
おっしゃいません。
文字数を変えることによるお示しは、御開山一流のものであると私は考えています。
(不勉強なのでわかりませんが、ひょっとすると、法然聖人も示されているのかもしれません。)
救いの法は同一ですが、方便は積み重ねられてきていると思います。
258:あんこ入り☆パスタライス
08/01/27 01:54:48 88W4/AzT
>>252
> これは、我らからすれば、「自力の信」ということになります。
> 思索による信であり、観念的な理解です。
皆さん(「我ら」から推測)からするとそうなるんですか
> 救済者ではなくても、わかるのです。
凄いですね
> 出第五門を、いただいていないことになってしまいませんか?
出第五門とは、どういうことでしょうか?
教えてください
ところで、298さんの仰る「カンタン」とは、絶対的な言葉なのでしょうか?
私はその言葉の概念の把握ができていないのかな?とも思いました
どうでしょう
259:298
08/01/27 01:56:01 BSmRIUGS
>>255
おそらく、あんこ入り☆パスタライス様の信心では、「同行」自体が、
存在しないのではないでしょうか?
これは、文字通り「同じ」「行」ということです。
五念門は、わかりますでしょうか?
真実行は、五念門を含みます。
260:298
08/01/27 02:02:15 BSmRIUGS
>>258
まず、あくまでも、「六字のいわれ」であって、「九字のいわれ」では無い、と
言われてピンと来ないということは、少なくとも、次第相承の善知識から、
六字のいわれを聞き開いていないと思います。
救済者では無くともわかるのは、もちろんのことで、
そうでなくては、凡夫に救済のお手伝いができません。
「カンタン」というのは、むずかしく考える必要は無く、
真の御同行であれば、「もちろん、カンタンですよ」という領解になります。
これは、無理して表現しているのではなく、自然とうなずけます。
無理してわかったことにしようとすれば、何でも比喩と考えたりすることによって、
わかっていることにできます。
出第五門については、次の書き込みで、御本典から引きます。
もしわかりにくければ、再度ご質問いただければ、うれしいです。
また、御文様を幾度か御拝読したことはございますか? よろしければ、教えてください。
261:あんこ入り☆パスタライス
08/01/27 02:05:19 88W4/AzT
>>259
> おそらく、あんこ入り☆パスタライス様の信心では、「同行」自体が、
> 存在しないのではないでしょうか?
「同行」の存在の有無を問題にしていないというのが、私の率直な感じだと思います
でも、「同行」の意味の理解を間違えているかもしれません
> これは、文字通り「同じ」「行」ということです。
これも、298さんの言う同心ではないので、こだわりどころがイマイチ分からない感じです
> 五念門は、わかりますでしょうか?
興味を抱かなかったので、名称のみ知っているくらいです
詳しくは知りません
> 真実行は、五念門を含みます。
そういうことを書いた文章は散見したことがあります
そのくらいで、この言葉で仰りたい重要性が分かりません
262:298
08/01/27 02:16:51 BSmRIUGS
>>261
とりあえず、「違う」ということは、ほぼ間違いないと思います。
ですので、もし知りたい、興味がある、ということでしたら御説明申し上げるのですが、
現在、獲信しているということで落ち着いているということでしたら、
特に申し上げる必要も無い様に思います。
「真実行」が抜けていて良いという実感でしたらば、我らからすれば、
いたずら事ということになり、真実信心もいただいていないということになり、
極楽往生も治定していないということになります。
もし、蓮師を認めてくださっていらっしゃるならば、
御文様と領解を合わせてみてくださいとしか言えません。
御文様は、我らの信心の合わせ鏡です。
◎そもそも、当流勧化のおもむきをくはしくしりて、極楽に往生せんとおもは
んひとは、まづ他力の信心といふことを存知すべきなり。それ、他力の信心と
いふはなにの要ぞといへば、かかるあさましきわれらごときの凡夫の身が、た
やすく浄土へまゐるべき用意なり。その他力の信心のすがたといふはいかなる
ことぞといへば、なにのやうもなく、ただひとすぢに阿弥陀如来を一心一向に
たのみたてまつりて、たすけたまへとおもふこころの一念おこるとき、かなら
ず弥陀如来の摂取の光明を放ちて、その身の娑婆にあらんほどは、この光明の
なかに摂めおきましますなり。これすなはちわれらが往生の定まりたるすがた
なり。されば南無阿弥陀仏と申す体は、われらが他力の信心をえたるすがたな
り。この信心といふは、この南無阿弥陀仏のいはれをあらはせるすがたなりと
こころうべきなり。さればわれらがいまの他力の信心ひとつをとるによりて、
極楽にやすく往生すべきことの、さらになにの疑もなし。あら、殊勝の弥陀
如来の本願や。このありがたさの弥陀の御恩をば、いかがして報じたてまつる
べきぞなれば、ただねてもおきても南無阿弥陀仏ととなへて、かの弥陀如来の
仏恩を報ずべきなり。されば南無阿弥陀仏ととなふるこころはいかんぞなれば
阿弥陀如来の御たすけありつるありがたさたふとさよとおもひて、それをよろ
こびまうすこころなりとおもふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。(御文5-22)
263:298
08/01/27 02:25:57 BSmRIUGS
◎「出第五門とは、大慈悲をもって一切苦悩の衆生を観察して、応化身を示して、
生死の園、煩悩の林の中に回入して、神通に遊戯し、教化地に至る。
本願力の回向をもってのゆえに。これを出第五門と名づく」(論)とのたまえり。
示応化身とは、『法華経』の普門示現の類のごときなり。
ただし、還相廻向につきましては、詳しい方から、異論があるかもしれない
所です。
264:298
08/01/27 02:27:40 BSmRIUGS
>>253
私としては、長い分には構わないというか、できることなら、
なるべく弥陀の救いに興味を示していただいて、
できることなら、弥陀に救われていただけるなら、
それほどうれしいことはございません。
265:あんこ入り☆パスタライス
08/01/27 02:31:13 88W4/AzT
>>260
ごめんなさい
> 「六字のいわれ」であって、「九字のいわれ」では無い
と言われた印象がありませんでした
どこでのお話でしたか?レスを急いで読み飛ばしてるのかも・・・
> 少なくとも、次第相承の善知識から、 六字のいわれを聞き開いていないと思います。
なるほど、これは
> 「六字のいわれ」であって、「九字のいわれ」では無い、と言われてピンと
来るような話を「次第相承の善知識」はされるから、298さんはそう判断したと理解しましたが
> 救済者では無くともわかるのは、もちろんのことで、
> そうでなくては、凡夫に救済のお手伝いができません。
分からないとできないと思います。同感です
> 「カンタン」というのは、むずかしく考える必要は無く、
> 真の御同行であれば、「もちろん、カンタンですよ」という領解になります。
難しく考えずにということなので、私の領解は「無条件、そのまま」です
私が知り得た方法、考えうる方法の中で比較すればカンタンという表現になります
> これは、無理して表現しているのではなく、自然とうなずけます。
そういう思いで仰っているのだと思っています
> 無理してわかったことにしようとすれば、何でも比喩と考えたりすることによって、
> わかっていることにできます。
そういう理解の仕方もあるんですね
266:あんこ入り☆パスタライス
08/01/27 02:32:21 88W4/AzT
> 出第五門については、次の書き込みで、御本典から引きます。
ありがとうございます
> また、御文様を幾度か御拝読したことはございますか?
ありますが、正しく理解できているかな?と疑問に思っているくらいの読み方です
疑問を持つ理由は、私の知識不足や教学理解への偏りがあるんじゃないかということに対する疑念です
267:298
08/01/27 02:32:39 BSmRIUGS
>>261
>>真実行は、五念門を含みます。
>そういうことを書いた文章は散見したことがあります
>そのくらいで、この言葉で仰りたい重要性が分かりません
五念門のことばの定義を知らなくても獲信はできますが、
できますならば、五念門の内容を確認していただいて、
あんこ入り☆パスタライス様の獲信の模様を思い出していただいて、
比較していただいて、お聖教の通りであるかどうかを、
確認してほしいと思うのです。
なぜ重要かというと、自力の信では、いたずら事であり、
極楽往生が治定していないと思うからです。
これまでの書き込みから推測致しますに、杞憂ではないと思いますので、
ご自身で、お聖教と照らし合わせていただければと思うのです。
268:298
08/01/27 02:38:25 BSmRIUGS
>>265
掟がありますので、肝心なところを、あまり詳しく説明することができないのです。
真実信心そのものは、きちんと認識できないわけですから、
御同行かどうかわかるような方便があるのです。
御開山一流であれば、それとわかるようになっています。
あんこ入り☆パスタライス様は、冷静にお聞きになってくださいますので、
とても感謝しています。
言いにくいことを書いていますから、私はかなり遠慮しながら書いております。
「九字のいわれでは無い」というのは、わかりやすくするために、私が
付け加えました。
九字にも十字にも、もちろんいわれがございますけれども、
六字のいわれが真実行なのです。
269:あんこ入り☆パスタライス
08/01/27 02:49:21 88W4/AzT
>>268
他にもレス頂いていますが、特にこれは印象的でした
> 九字にも十字にも、もちろんいわれがございますけれども、
> 六字のいわれが真実行なのです。
私の見識が狭いことが理由でしょうが・・・この言葉には初めて接しました
九字、十字ではなく六字でなくてはという理由をお尋ねしたいところですが
これが掟でナイショの部分なのでしょうか?
270:298
08/01/27 02:54:54 BSmRIUGS
>>269
レスくださいましたことに、感謝致します。
ひやひやもので書いていますので・・・
心の広い方であると思います。
◎「その名号をきく」といふは、ただおほやうにきくにあらず、
善知識にあひて、南無阿弥陀仏の六つの字のいはれをよくききひらきぬれば、
報土に往生すべき他力信心の道理なりとこころえられたり(御文3-6)
「九字、十字ではなく六字でなくてはという理由」は、
六字のいはれをよくききひらいたときに、自然とわかります。
なぜなら、あくまでも、六字のいはれであるからです。
あんこ入り☆パスタライス様には、この言い方でわかると思います。
271:298
08/01/27 02:58:16 BSmRIUGS
行巻では、次の如しです。
◎称名則是最勝真妙正業。正業則是念仏。念仏則是南無阿弥陀仏。
南無阿弥陀仏則是正念也。可知。
◎今弥勒付属之一念即是一声。一声即是一念。一念即是一行。
一行即是正行。正行即是正業。正業即是正念。正念即是念仏。即是南無阿弥陀仏也。
272:298
08/01/27 03:00:11 BSmRIUGS
>>269
掟についてですが、南无阿彌陀佛とは、正業そのものなのですから、
そのいはれを聞き開くということは、正雑二行の沙汰をしていただくことに、
他なりません。
そこでの示し方は、正業を示すことにより、それ以外のすべては雑行であるという
示し方になります。
273:あんこ入り☆パスタライス
08/01/27 03:09:29 88W4/AzT
>>270
> レスくださいましたことに、感謝致します。
こちらこそです
> ひやひやもので書いていますので・・・
お気遣いありがとうございます
> 心の広い方であると思います。
関心があって298さんとお話しているので、お付き合い頂けて嬉しいです
274:298
08/01/27 03:20:41 BSmRIUGS
>>273
行巻では、五念門のところで、論註が引かれております。長くなりますので、
途中まで引きます。
◎「帰命尽十方無碍光如来」とは、「帰命」はすなわちこれ礼拝門なり、
「尽十方無碍光如来」はすなわちこれ讃嘆門なり。何をもってか知らん、
帰命はこれ礼拝なりとは。龍樹菩薩、阿弥陀如来の讃を造れる中に、
あるいは「稽首礼」と言い、あるいは「我帰命」と言い、あるいは「帰命礼」と言えり。
この『論』の長行の中に、また「五念門を修す」と言えり。
五念門の中に礼拝はこれ一なり。天親菩薩すでに往生を願ず。あに礼せざるべけんや。
故に知りぬ、帰命はすなわちこれ礼拝なりと。しかるに礼拝はただこれ恭敬にして、
必ずしも帰命ならず。帰命はこれ礼拝なり。もしこれをもって推するに、
帰命を重とす。偈は己心を申ぶ、宜しく帰命と言うべし
ここには、「尽十方無碍光如来」はすなわちこれ讃嘆門なり、とございます。
しかし、阿弥陀の三文字には、弥陀の兆載永刧の修行がおさまっているのです。
◎兆載永刧の修行は
阿彌陀の三字にをさまれり
五刧思惟の名號は
五濁のわれらに付屬せり
275:あんこ入り☆パスタライス
08/01/27 03:20:45 88W4/AzT
私が六字に限定しないと理解するに至った根拠を挙げておきますね
親鸞聖人御消息集
「念仏申し候ふ人々のなかに、南無阿弥陀仏ととなへ候ふひまには、無碍
光如来ととなへまゐらせ候ふ人も候ふ。これをききて、ある人の申し候ふ
なる、南無阿弥陀仏ととなへてのうへに、帰命尽十方無碍光如来ととなへ
まゐらせ候ふことは、おそれあることにてこそあれ、いまめがはしくと申
し候ふなる、このやういかが候ふべき。
南無阿弥陀仏をとなへてのうへに無碍光仏と申さんはあしきことなりと候ふ
なるこそ、きはまれる御ひがごとときこえ候へ。帰命は南無なり、無碍光仏は
光明なり、智慧なり、この智慧はすなはち阿弥陀仏なり。阿弥陀仏の御かたち
をしらせたまはねば、その御かたちをたしかにたしかにしらせまゐらせんと
て、世親菩薩 御ちからを尽してあらはしたまへるなり。このほかのこ
とは、少々文字をなほしてまゐらせ候ふなり。」
誤解があれば指摘して下さい
276:298
08/01/27 03:29:10 BSmRIUGS
>>275
この部分は、信後の御恩報謝のお念仏についてのことであると私は解しています。
また、
「南無阿弥陀仏ととなへてのうへに、帰命尽十方無碍光如来ととなへ
まゐらせ」
「南無阿弥陀仏をとなへてのうへに無碍光仏と申さん」
につきましては、
「南無阿弥陀仏をとなへ」が真実行、
「てのうへに」は信後を示し、
「帰命尽十方無碍光如来ととなへ」「無碍光仏と申さん」が御恩報謝のお念仏と
解釈することもできると思います。
御恩報謝でありますれば、たとえば、「阿弥陀様って、本当にありがたいね!!!」でも
良いわけです。もう、信はいただいているわけですから。
ただ、繰り返し申すには、「南無阿弥陀仏」は便利ですし、
さりげなく、真実行の存在を広めていることにもなります。
いかがでしょうか。
277:298
08/01/27 03:33:00 BSmRIUGS
>>275
さらに申しますれば、念仏衆生は摂取不捨ですので、信後のすがたは
問われませんから、たとえば一念帰命した後に、他の宗教に熱心になり、
弥陀をかえりみないとしても、極楽往生治定に変わりはありません。
ですから、どう称えても良いのです。
ですけれども、多くの場合は、真実行のありがたさに、
機法一体のありがたさに、自然と、「南無阿弥陀仏・・・」とお称えしたく
なるものであると思います。
また、そのように、自力の心も開発してゆきまして、よろこびを開発してゆくことにより、
命終まで、たのしく暮らしてゆくことができると思います。
せっかく価値あるものをいただいたのですから、よろこべる方が、
ラクに過ごせますし、楽しいですし、しあわせです。
278:298
08/01/27 03:36:26 BSmRIUGS
>>277
>せっかく価値あるものをいただいたのですから、よろこべる方が、
>ラクに過ごせますし、楽しいですし、しあわせです。
ただし、これは私の押しつけですので、同感しない方については、
この限りではありません。
279:あんこ入り☆パスタライス
08/01/27 03:40:32 88W4/AzT
>>276
納得しました
他にも、六字に限定しないと考えるに至った雑多な知識があります
以下の点、298さんの見解を教えて頂けませんか?
・親鸞さんは、礼拝対象を六字名号限定とはされていなかったらしい
・蓮如さんは、当初は帰命尽十方無碍光如来の名号を多用していたらしいが
同時代に問題視された無碍光派(増悪無碍の団体)と区別をつける為、六字名号に切り替えたらしい
どちらも、ネットか本で得た知識です
根拠薄弱または正否の確認不能だと判断されるなら、その一言で結構です
280:298
08/01/27 03:42:51 BSmRIUGS
>>275
弥陀の救いにも、さまざまな側面がございますので、
「ああ、弥陀の救いは、こんなところにまで届いているんだ・・・」という感慨であれば、
「帰命尽十方無碍光如来」という言い方も、しっくり来ると思いますし、
私の個人的な経験で言えば、信をいただく前、十字名号は、よくお称えしていました。
これは、意味がわかりやすいということと、長くてカッコ良いと感じたということと、
親鸞聖人が好まれた、とどこかで聞いたからです。
しかし、真実行は、単なる口称念仏ではございませんので、これは、
六字名号になっております。ですけれども、九字名号も、十字名号も必要なのです。
281:あんこ入り☆パスタライス
08/01/27 03:43:21 88W4/AzT
>>277
これも同感なんですけどね
でも、298さんと私は違うということなんでしょうね
282:298
08/01/27 03:55:56 BSmRIUGS
>>279
>親鸞さんは、礼拝対象を六字名号限定とはされていなかったらしい
現在でも、九字名号、十字名号を脇がけに致しますが、それでもちろん問題ありません。
そして、向かって右が十字名号であることにも、いわれがございますけれども、
このいわれが、どの時代に生じたかまでは、存じておりません。
あくまでも、方便でございます。
また、この「礼拝対象」の礼拝とは、信後の礼拝のことであると思います。
これも、御恩報謝です。
また、信前の礼拝であれば、宿縁のためか、宿善開発のためになると思います。
不可思議光は摂取の光ですので、調熟の光明(宿善を育てる光明)の
表現としては、帰命尽十方無碍光如来が適切だと思います。
宿善の開発を願う意味とも取れますが、これも、私の推測です。
283:298
08/01/27 03:56:26 BSmRIUGS
>蓮如さんは、当初は帰命尽十方無碍光如来の名号を多用していたらしいが
同時代に問題視された無碍光派(増悪無碍の団体)と区別をつける為、
六字名号に切り替えたらしい
これも、その通りであっても、不思議はないと思います。
真偽に関わらず、問題が無いということです。
なぜなら、真実行についてのことではなく、渇仰の気持ちからの
礼拝等に関することであるからです。
わざわざ誤解されることもありません。これは、王法為先などにも
つながると思います。
南無阿弥陀仏とは、あくまでも梵語ですので、わかりやすいように、
意味が(漢字を知る人には)わかる十字名号を好まれたのかもしれません。
このあたり、歴史的な背景につきましては、私も今後知識を深めたい所です。
なぜなら、その方が、説得力が増して良いと思うからです。
参考になるかもわかりませんが、確かな知識もありませんので、
雑感を述べさせていただきました。
歴史的な背景の説明というよりは、私の領解の説明と取ってください。
284:298
08/01/27 04:02:44 BSmRIUGS
>>277
落ち着かれているなら、日暮しの上では、全く問題がないわけです。
それに、もしかしたら、あんこ入り☆パスタライス様は、
過去生にて第十八願をいただいている、還相廻向の方かも
しれないわけですから、今生で必ず第十八願をいただくことが
必要かも、凡夫である私には、究極のところ、わかりません。
気になりますならば、いつか、十八願いただいてくだされば、
私としては安心ということです。領解で共通する部分がありますれば、
違うところは残るにしても、讃嘆はできますので、
信心の沙汰というのも、あれこれ信心を表現して行けば良いわけですから、
それで、「うーん、何が違うんだろう」で良いと思いますし、
将来私の気が変わるのかも知れませんし。
285:298
08/01/27 04:05:57 BSmRIUGS
>>281
とりあえず、阿弥陀様についてあれこれお話してゆけるだけでも、
私はうれしいですから。
286:あんこ入り☆パスタライス
08/01/27 04:07:24 88W4/AzT
>>282-284
レスありがとうございます
今までのお話を再読して「我らとは違う」と言われた訳が理解できました
随分違うものだなぁと久しぶりに感心してしまいました
私の理解は、「”六字=九字=etc”のいわれ」でしたが
「”六字”のいわれ」が重要なのだと教えて頂きました
ありがとうございました
また、お付き合いをお願いするかもしれません
その時は、よろしくお願いします
失礼します
287:298
08/01/27 04:09:23 BSmRIUGS
>>286
こちらこそ、おつきあいありがとうございました。
またお話できます機会がありましたら、うれしく思います。
288:神も仏も名無しさん
08/01/27 12:39:01 R46LctlO
298さんへ
近現代の浄土教の篤信者で、真実信心を得ていると思われる方を教えてください。
著書を読んでみたいです。
私が感銘を受けたのは、
稲津紀三著『中論と他力信仰』(大東出版社)です。
289:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
08/01/27 13:28:17 071AYamC
>>165
>カンタンなチェックリストを作りましたので、領解を確認する助けにしていただけたらと思いま
す。
298さん。298さんは信心を得ていると仰っていますよね。貴方が掲げたチェックリストを
拝見すると、どれも非常に基本的な言葉が並んでいます。カンタンなチェックリストを作っていた
だけたので、全部は大変かと思いますが、二つ,三つでも、その深い意味を、貴方のお考えで
できるだけ簡潔ご説明いただけませんか。
290: ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄
08/01/27 13:43:28 K5RBgFVw
/ ̄ ̄ ̄ ̄\
( _ 人_ _)
|:::| ´・ ・^ ||
( ∴ (_ _)∴ ) _
| ノ 3ヽ ノ /  ̄  ̄ \
ゝー_ _ ノ /、 ヽ
/ /"lヽ ヽ |- |―-、 |
/ ,ィ -っ( ,人) ヽ q -´ 二 ヽ |
| / 、__ う| | ・,.y i ペッ、、、 ノ_ ー | | キモいんだよてめーは
| / | ⊂llll | \. ̄` | /
 ̄T ̄ | ⊂llll / O===== |
| ノ ノ 彡イ / |
291:298
08/01/27 14:56:16 BSmRIUGS
>>261
なぜ、「同行」が重要なのかを書きたいと思います。
「因」があって、「果」があります。
御同行であるが故に、「因」が同じですので、同じ報土に生まれるからです。
化土が孤独なのは、因が千差万別だからです。
292:298
08/01/27 15:00:51 BSmRIUGS
>>289
書いてしまえば、チェックリストとしての機能を果たさなくなってしまいます。
御同行であるが故に、次第相承の善知識に教わった方は、
「なるほど」とわかるのです。
それに、掟に関わる内容だからこそ、他の方も他言しないわけですから、
チェックリストとなるのです。
「よくわからない」ということであれば、次第相承の善知識に教わっていない
ことに他なりません。
今でも、真宗の救いは生きているのですから、有縁を辿り、
獲信者を探し、次第相承の善知識に値奉り、永劫の流転から抜けねばならないと
思います。
293:298
08/01/27 15:09:54 BSmRIUGS
>>288
おそらく、真実信心獲た方の著書もあると思うのですが、
広く一般にすすめて良いものを、私は知らないのです。
私は、信をいただく前に、自身に対して、
「最後は真宗なのだろう」という予感は持っていました。
理由として思いつくのは、
1)南無阿弥陀仏は有名
2)救われなければあきらめて、なりふりかまわず他力信心にすがる
3)自力聖道の方も、最期は称名念仏になることがあると聞く
などです。
しかし、あきらめて、偽物の南無阿弥陀仏にすがるのは避けたいという
思いが有りました。
真宗の本も、書店で買いまして、いろいろ読みましたが、どうも、
ごまかされているという感が否めませんでした。
その内容で、命を賭して普及しようとするものだろうか。
その内容で、骨を砕いてまで謝そうとするものだろうか。
と、失礼ですが、疑問が残りました。
そもそも、子供のときに、「南無阿弥陀仏と唱えて救われる。
信じる人はそれで休まるのかもしれないけれど、
よく信じられるものだな」と思うような、疑い深い私なのです。
しかし、著書がある方が、求める方の助けになるはずです。
真実信心獲た方の著書もあると聞きますので、
同行に尋ねてみようと思います。
294:298
08/01/27 15:10:56 BSmRIUGS
>>288
「近現代」と絞りますのは、語学的な問題でしょうか?
295:神も仏も名無しさん
08/01/27 15:27:20 F1unvP33
>>165のチェックリストがわからないのなら
「次第相承の善知識に教わっていない」ということになるということですが、
その「流れ」に接触しない限り獲信できないということなのでしょうか?
296:298
08/01/27 15:27:41 BSmRIUGS
>>288
もし、まだ真宗の聖典を読んだことが無いのでしたら、
『浄土真宗聖典註釈版第二版』(本願寺出版社)をお勧めします。
5000円くらいしますけれども、主要なものがひと通り入っていますので、
便利です。これ1冊手元にあれば、基本はわかりますし、
インターネットで全文検索もできますので、索引も強力です。
わからなくても、註釈をたよりに、何となく読んでゆくだけでも、違うと思います。
はじめての方へのおすすめは、
一枚起請文→領解文→御裁断御書→御裁断申明書→御文章
という順序です。特に、御文章八十帖は、幾度も読み返していただければ、
だんだんわかってくると思います。
御文章は、宿善ある機には、必ずわかる謂れがあり、
信前には道しるべとなり、信後には後念相続の助けとなる、
本当に尊い書です。
297:神も仏も名無しさん
08/01/27 15:29:04 R46LctlO
>>294
まだ神や仏への敬い、信仰心が残っていた時代(昭和初期以前)よりも、
唯物論全盛の信仰困難な現代で、真実信心を獲た方の信仰本を読んでみたいと思ったからです。
298:298
08/01/27 15:30:01 BSmRIUGS
>>295
>その「流れ」に接触しない限り獲信できない
これは、その通りです。そもそも、その「流れ」を地上に出すために、
釈尊がお生まれくださったのです。
このように申しますと、排他的に聞こえるでしょうけれども、
求める方には、必ずご縁が現れる謂れがあるのです。
極楽浄土から、諸菩薩も私たちを見守っており、
還相廻向として、さまざまに現れ、宿善の機には、必ず、
ご縁を現させてくださいます。
299:神も仏も名無しさん
08/01/27 15:30:13 R46LctlO
>>296
ありがとうございます。
300:神も仏も名無しさん
08/01/27 15:33:31 F1unvP33
>>298
たとえば妙好人といわれた源左の場合は
特定の流れに接触したり善知識との面談を通じて信を獲たのではなかったようですが
298さんの信心は源左とは違うということなんでしょうか?
301:298
08/01/27 15:33:33 BSmRIUGS
>>297
信仰困難な時代でも、弥陀の救いは自力の信ではありませんので、
基本は変わりません。
自分の心を自分でどうこうするのではなく、機は問わずに、
南无阿彌陀佛で獲信致します。
南无阿彌陀佛により、阿弥陀如来から真実信心をいただくのですから、
時代も自分も、関係なく、同じ信心をいただけます。
現代人でも、御文様と同じ信心をいただける、七祖聖教を読んでも
うなずける信心をいただけるところに、正統性を感じ、
よろこべるものだと思います。
302:298
08/01/27 15:35:41 BSmRIUGS
>>300
源左様につきましては、前スレにて、愚見をお書き致しました。
よろしければ、ご覧ください。私のHNは、298で同じです。
もし見れなければ、また別の表現で書いてみようと思います。
あくまでも、掟がありますので、
ほとんど言わない方も多いのです。
303:298
08/01/27 15:38:52 BSmRIUGS
>>270に書きましたように、善知識に会って、六字のいわれを聞き開くことが必要です。
もし、源左様が善知識に会っていないなら、別の信心ということになります。
私が源左様について詳しくなく、史料が少なくてよくわかりませんが、
確か、牛にヒントをいただいた日に、ご隠居様に会われていると思います。
304:神も仏も名無しさん
08/01/27 15:47:15 F1unvP33
前のスレですか。2ちゃんねるビュワーを買っていないので読めないです。
残念。私も源左について得に詳しいわけではなく、代表的人物として
思いついたのが源左だったのでした。ご隠居が何か
その「流れ」と関係があるのかもしれないということですね。
ありがとうございました。
305:298
08/01/27 15:49:14 BSmRIUGS
「真宗には掟が有る」ということが、あまり有名ではないようなのですが、
御文様には、とてもわかりやすく書いてあります。
「機を見て説く」ということを、わかりやすく言い換えたのが「掟」ですけれども、
わかりやすいがために、誤解を生んだり、反感を生んだりもするようです。
たとえば、次第相承の善知識の法話を20年聞いていたとしても、
自らは名乗りませんから、わからないのです。
宿善、無宿善の機が混在する場所にての一般の法話とは異なる導きが
あるのですから、尋ねねばならないのです。
306:298
08/01/27 15:53:50 BSmRIUGS
>>304
結局、掟がありますので、真の同行に対してでなければ、肝心の所は
語られず、それでも、ご縁になるようにと、皆様工夫なさるわけです。
このスレで私が書いているのは、現代人の方にとって疑問が起こるようにと
書いています。
307:298
08/01/27 17:00:15 BSmRIUGS
もし、興味を持たれた方がいらっしゃれば、
御文様八十帖を繰り返しご拝読くださいと願うばかりです。
南无阿彌陀佛
308:298
08/01/27 17:08:03 BSmRIUGS
>>307
すみません、五帖八十通と書いた方がいいですね。
訂正致します。
私の意識では、通というよりも、一通一通が帖であって、
一文字一文字が佛菩薩なのですが、あくまでも
個人的なものですから。
309:298
08/01/27 17:14:23 BSmRIUGS
>>217
安楽集のこの周辺に、いろいろと記述があります。
御聖典を、インターネットからダウンロードすることもできますので、
ダウンロードして、検索してみてください。
◎また『智度論』(意)によるにいはく、「浄土の果報は欲なきがゆゑに欲界にあらず、
地居のゆゑに色界にあらず、形色あるがゆゑに無色界にあらず、
地居といふといへども精勝妙絶なり」と(安楽集)
310:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
08/01/27 20:31:56 071AYamC
>>292
>書いてしまえば、チェックリストとしての機能を果たさなくなってしまいます。
チェックリストとしての機能を果たさなくなる?。おかしいですね。
蓮師は「不審は問へ」(聞書40)とのことですから、それは、大分変わったことをなさっている
と思います。
スレリンク(psy板:443番)
>掟に関わる内容だからこそ、他の方も他言しないわけですから、
掟ですか?。
貴方の掟は、不穏分子をあぶり出すための手段になっているような感じですね。
表向きと内情が異なる時点で、良くないことだと思います。 もちろん、蓮師の意図は違うと思
います。不審があれば、弥陀をたのむことはできないでしょうから、何とかわかってほしいための
ものだと思います。
スレリンク(psy板:445番)
>今でも、真宗の救いは生きているのですから、有縁を辿り、獲信者を探し、次第相承の善知識に
値奉り、永劫の流転から抜けねばならないと思います
そこに真実があると感じる方は、ここ(今2ch)で求めるしかないと思います。
スレリンク(psy板:445番)
311: ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄
08/01/27 20:37:52 Olmir7Oe
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312:298
08/01/27 22:50:54 BSmRIUGS
>>310
全体的に、主語などがよくわからず、主張が読み取りにくいです。
「掟がありますので・・・」というのでは、答えにならないということなのでしょうか?
それとも、「なぜ掟などというものがあるのか、公開すれば良いではないか」という
批判なのでしょうか?
313:298
08/01/27 23:04:50 BSmRIUGS
>>310
掟があるからこそ、他言されていないわけで、だからこそ、
次第相承の善知識から話しを聞くことができたかどうかの
チェックリストになると思うのですが・・・
わかりにくいでしょうか?
314:神も仏も名無しさん
08/01/27 23:15:07 W5IULun+
チェックリスト、どれも私が助かるすがたのことを言っているのだと思います。
そして、掟は一期かぎり守り申すべきものですからね。
315:298
08/01/27 23:16:47 BSmRIUGS
>>299
もし、御聖典を読まれていないのでしたら、近現代の方の著書を読むにしても、
いずれにしても、基礎知識としても、御聖典を読むのは良いことだと思います。
他宗教の知識もたくさんある方のようですので、獲信すれば、
より多くの方にわかりやすい説明ができるかもしれないと思います。
316:298
08/01/27 23:18:59 BSmRIUGS
>>314
そうです、そこが最重要事であり、真実行そのものですので、
掟を守りながらも、真実行を描写しようとされた先輩方のことばを
並べてあります。
317:298
08/01/27 23:22:45 BSmRIUGS
>>316
行のことを言うと、「信心正因」の批判が出るかもしれませんので、
少し説明致します。
真実行と言えども、私たちに、寸分違わぬ行ができるわけではありません。
ですから、この行が因であれば、果が異なってしまいます。
ところが、この行は、途中から弥陀が行いますので、完全に同一となり、
いただく信心も同一ですから、同じ果を得るのです。
たとえて言えば、番号を合わせると開く鍵があるとします。
この番号を合わせるときに、人によって、ダイヤルを回す早さも違うでしょう。
しかし、番号が揃った後には、同一の仕組みによって解錠しますから、
その部分は共通します。
同行とは、そのようなものです。
318:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
08/01/28 01:07:18 CNc29+hb
>>312
>主張が読み取りにくい
難しいことは言っているつもりはないんですよ。
掟だなどともったいぶらずに、自分の考えを述べたらどうですか。
貴方は自分から言い出した信心チェックリストだ。各項目について、どのように考えれば正し
い信心となると貴方は考えているのか、貴方の所見を述べればいいのであり、隠す程の問題では
ないでしょう。
親鸞会の会長が、質問に応えないのはおかしいと言っているのは貴方でしょう。自分が提起し
たチェックリストに自分で回答を寄せることがどうして掟違反などになるのよ。
「不審は問へ」。分からないことは質問しろということだ。貴方が余所のスレに書いたコメン
トでしょ。不審を問われたら、気軽に応えたらどうですか?。それとも貴方には信心がないから、
自分が出した信心チェックリストに応えられないのでしょうか?。 貴方は舌を何枚持っている
のか?馬鹿馬鹿しい。
319:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
08/01/28 01:07:50 CNc29+hb
>>313
さっぱり分かりません。
人には隠して法文教えたること候わず。もしこの事、慈信に申しながら、空言をも申し隠して、
人にも知らせずして教えたること候わば、三宝を本として、三界の諸天善神、四海の龍神八部、
閻魔王界の神祇冥道の罰を、親鸞が身に尽く被り候べし。
他の人に隠して誰か特別な人に法文を教えるようなことは決してありません。仮にも善鸞に伝
え、他の人には嘘を言って本当のことを隠し、誰にも分からないように善鸞に教えるようなこと
があれば、仏・法・僧を基本として、欲界・色界・無色界のあらゆる天人、善神、東西南北四方
の海の龍神達、八部衆、閻魔大王、あらゆる神々の罰がこの親鸞一人に被さるだろう。
298さんの仏法は二枚舌?。三宝を本として、三界の諸天善神、四海の龍神八部、閻魔王界
の神祇冥道の罰が一身に降り被ってくるそういう教えなのでしょうかね?。
>>317
>この行は、途中から弥陀が行いますので、完全に同一となり、
全く意味不明。
320:298
08/01/28 01:16:08 r+QbJxLf
>>318
私の考えというのは、次のようなものです。
「信心をいただくためには、次第相承の善知識から、六字の謂れを聞き開いて、
一心に弥陀をおたのみすることが必要です」
そして、私の同行の方は、>>115のチェックリストがよくわかるはずです、
と申しているのですから、チェックリストとして機能できるのではないでしょうか。
真宗は、一子相伝ではないのですから、同じ流れを汲んでいる善知識様から
教われば、同じ内容を聞くはずです。
隠す問題ではないのではなくて、隠されているからこそ、他では聞けないのですから、
チェックリストになるのです。
これは、「なぜチェックリストになるのか?」という質問にお答えするつもりで
書いているのですが、わかりにくいでしょうか?
321:298
08/01/28 01:25:30 r+QbJxLf
>>319
その御消息は、
◎また夜も昼も慈信一人に、人にはかくして法文をしへたること候はず。
もしこのこと、慈信に申しながら、そらごとをも申しかくして、
人にもしらせずしてをしへたること候はば、三宝を本として三界の諸天善神・四海の竜神八部・
閻魔王界の神祇冥道の罰を、親鸞が身にことごとくかぶり候ふべし。
のことでしょう? これは、「慈信一人に、特別なことを教えているということは無い」という
意味なのではないでしょうか?
確かに、私程度の者が申すことの中には、矛盾する内容も間違いもあるとは思います。
ですけれども、この部分を典拠にご批判なさるのは、よく意図がわかりません。
322:298
08/01/28 01:32:07 r+QbJxLf
>>318
> 「不審は問へ」。分からないことは質問しろということだ。貴方が余所のスレに書いたコメン
トでしょ。不審を問われたら、気軽に応えたらどうですか?
問われたので、なぜ、それがチェックリストになるのか、そして、
私があげた単語について、なぜ私は解説しないのかについて、お答えしたつもりなのですが・・・
内容自体は、次第相承の善知識にお会いして、直接お伺いして下さい、
そうすれば、わかりますよ、ということで、お書きしています。
323:298
08/01/28 01:40:55 r+QbJxLf
>>318
「隠す」という言い方が、お気に召さないのでしょうか?
求めている方には、開かれている教えなのですから、
本当に求めている方は、有縁を辿って、獲信者を探し、
次第相承の善知識を紹介してもらえば良いのです。
仏法は、誰が知っているかわからないのですから、
それらしき人がいたら、尋ねれば良いのです。
その際に、御文様を読み込んでいれば、適確な質問が出来、
異安心から守られるだろうと思います。
神通ある方々が浄土から見守っていらっしゃるのですから、
宿善の機には、必ずご縁が現れます。
324:298
08/01/28 01:44:40 r+QbJxLf
>>320
チェックリストの引用番号は>>165の間違いでした。
325:298
08/01/28 01:49:26 r+QbJxLf
>>318
>各項目について、どのように考えれば正しい信心となると貴方は考えているのか、
>貴方の所見を述べればいいのであり、隠す程の問題ではないでしょう。
別に模範解答があるわけではなくて、「ああ、成る程、よくわかる」というわかり方が
出来るなら、それで良いのです。
無理しなくとも、「なるほどね」とわかる感じです。
「考える」という時点で、ずれているような感じです。
体験したのであれば、「成る程」とわかります。
326:298
08/01/28 02:07:10 r+QbJxLf
>>318
>掟だなどともったいぶらずに、自分の考えを述べたらどうですか。
掟というのは、もったいぶっているものではなくて、定められているものなのです。
「おきつ」という動詞から派生した名詞で、そもそも「定められているもの」という意味です。
この場合、「ありよう」や「(あるべき、あるいは、うつくしき)すがた」と解釈してくださっても構いません。
327:298
08/01/28 02:10:46 r+QbJxLf
>>318
>>165のチェックリストは、「自分で答えを考えましょう」という趣旨ではありません。
もし、わからないならば、次第相承の善知識に出会っていないと判断して、
探していただくきっかけになることを意図しています。
328:298
08/01/28 05:12:08 r+QbJxLf
信心は内心に秘めながら、外相には出さず、それでいて、
宿善を判断し、王法を優先し、仁義を優先し、
娑婆に生のある間は、仏法者であることを隠し、
ということですが、内部に沸き上がるようなエネルギーを秘めながら、
基本的には、お講にて同行と会ってゆくということなのでしょうか。
救われたい方とは、弥陀が引き合わせてくださるということだと思いますが、
私には、まだまだわからないことが多いです。
獲信者の先輩の方がいらっしゃったら、ぜひいろいろと教えてほしいです。
329:298
08/01/28 05:17:48 r+QbJxLf
永劫の流転から離れてしまうということは、
これまでずっと執着を持って、こだわって、かかわってきた世界から
離れてしまうということです。
私は、そこには一抹のさみしさを感じます。
これは、執着の残留だと思いますけれども、
いわば、弥陀の救いというのは、弥陀の早業によって、
強制的にこの執着から切り離されるようなものであり、
法性への回帰をうながされるようなものです。
やはり、これは、凡夫の性質としては、本来望むようなものではありません。
それであるが故に、荘厳な浄土のイメージが説かれていると思います。
330:298
08/01/28 05:50:45 r+QbJxLf
弥陀の救いにより、自らの悪機が照らし出されるのようなことが言われ、
また、そこには個人差があるとのことですが、私の場合は、
確かに照らし出されてきているように思います。
信前から、多少は自覚がありましたが、独占欲・支配欲のようなものも
非常に強く、地獄に行くどころではなく、地獄に行ったとしても、
そこの冥主になりたいくらいの勢いの望みを抱いていたと思われます。
331:秘事法門
08/01/28 06:26:06 ROUnldlg
298さんの掟とは、次第相承の善知識と言う特定の人間がいて、その善知識が特殊な法を握っていて、
それに従う事によらねば、信心が得られないと言うことなのですか?
そして、その特殊な法とは、真実行と言う行法を修行することで、
初めは自分の行だったものが、阿弥陀如来の行に変化していく、
それを他力と名付けていると言うことでしょうか?
332:298
08/01/28 06:53:20 r+QbJxLf
>>331
そのように解釈していただいて構いませんが、
かなり秘事法門様の先入観に影響されている解釈になっているような
気も致します。
「特殊な法」「握って」「従う」「行法」「修行」「名付け」のあたりの
用語法から、見て取れると思います。
おそらく、これまで学習された内容から、
何かを想像していらっしゃるのでしょう。
前スレか、前々スレにも、似たような方がいらっしゃいました。
どのようなものを想像されているのか、
具体的に書いてくださるならば、私でも、
より正確な判断ができると思います。
333:298
08/01/28 06:59:45 r+QbJxLf
>>331
おそらく、おっしゃりたいことは、異安心であって、
手を出すなということなのでしょう。
違うのでしょうか?
334:298
08/01/28 07:08:15 r+QbJxLf
今私にリアルタイムで関心があるのは、
交換の概念ですね。
「宗教組織を維持するには、金銭が必要だ」という
理論が、財施の正当化に使われますが、
「本当にそうなのか?」ということを考えています。
335:298
08/01/28 07:42:51 r+QbJxLf
>>331
例によって私の表現と性格が悪く、攻撃的に響いてしまったかも
しれないことを、お詫びします。
ただ、思うことを、言って欲しかったのです。
336:298
08/01/28 08:08:45 r+QbJxLf
>>331
私は、331様からは、自分が知っていることを
自慢したい気持ちを感じたのですが、
違いましたでしょうか?
いずれにしても、どのようなものを想像なさっているのか、
教えていただけたら、うれしいです。
337:298
08/01/28 09:18:51 r+QbJxLf
>>331
「掟とは?」という質問そのものに答えるならば、「掟の要とは、無宿善の機に
正雑二行の沙汰をしないことです」ということになります。
これは第一に、正法誹謗の罪を犯させないためであり、無宿善の機を守る
ためです。
そして、第二に、法を守るためです。魔という存在にとって、正法は
都合の悪いものだからです。
338:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
08/01/28 10:35:06 CNc29+hb
>>320
>私の同行の方は、>> 115のチェックリストがよくわかるはずです
信心の有無をチェックリストで確認するなど、聞いたことがない。
経釈をよみ学せざるともがら、往生不定のよしのこと。この条、すこぶる不足言の義といいつ
べし。他力真実のむねをあかせるもろもろの聖教は、本願を信じ、念仏をもうさば仏になる。そ
のほか、なにの学問かは往生の要なるべきや。
>同じ流れを汲んでいる善知識様から教われば、同じ内容を聞くはずです。
貴方の善知識はひとに何を勧めているのやら。 ┐( -"-)┌ヤレヤレ...
親鸞は弟子一人も持たず候。
そもそも善知識の能というは、「一心一向に弥陀に帰命したてまつるべし」と、ひとをすすむべきばかりなり。
>質問にお答えするつもりで書いているのですが、わかりにくいでしょうか?
チェックリスト信心など聞いたこともない。
>>321
>私程度の者が申すことの中には、矛盾する内容も間違いもあるとは思います。
そう思うなら、真摯になったらどうですか。
信前か信後か、貴方はあのチェックリストで分かるという考えなんでしょう。あれで領解を確
認できるというのでしょう。それなら、自分こそ進んでそのチェックリストを試し、信前か信後
かを多くの人に確認して貰おうとは思わないのですか。
他人の余計な心配だけして、貴方自身はそれで終わりですか?
339:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
08/01/28 10:36:13 CNc29+hb
>>322
>次第相承の善知識にお会いして、直接お伺いして下さい、そうすれば、わかりますよ
2CHのここで知ろうとする人がいてはいけないのでしょうか。隠す程のことがあるのでし
ょうか。
そもそも善知識の能というは、「一心一向に弥陀に帰命したてまつるべし」と、ひとをすすむ
べきばかりなり(蓮如)。余所で聞けば必ず分かるという保証などあるわけもない。
>>323
>「隠す」という言い方が、お気に召さないのでしょうか?
信心の世界に隠し事などあるわけもない。
>本当に求めている方は、有縁を辿って、獲信者を探し、次第相承の善知識を紹介してもらえば良いのです。
今求めている人に対し、貴方がここで善知識となり、開かれている教えをそのまま開いたらど
うですか?貴方は言っていることと、行っていることがちぐはぐだ。言葉に誠実みがない。
>それらしき人がいたら、尋ねれば良いのです。
貴方は、自分が知っているつもりでしょう。それなら貴方がここで応えたらどうですか
>御文様を読み込んでいれば、適確な質問が出来、異安心から守られるだろうと思います。
御文様を適確に読んで異安心から守られている成果をここで示したらどうですか。
340:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
08/01/28 10:37:48 CNc29+hb
>宿善の機には、必ずご縁が現れます。
貴方に現れたご縁を示してみたらどうですか。
人には隠して法文教えたること候わず。 ~ 人にも知らせずして教えたること候わば、三宝
を本として、三界の諸天善神、四海の龍神八部、閻魔王界の神祇冥道の罰を、親鸞が身に尽く被
り候べし。
人に隠して教える法文があるというなら、親鸞は地獄に堕ちることでしょう。
>>325
>別に模範解答があるわけではなくて、「ああ、成る程、よくわかる」というわかり方が出来る
なら、それで良いのです。
298さんに模範解答を求めている人などいませんよ。ああ成る程、よくわかる。298さん
は本当に信心のある人だ。僕も貴方のことをそのように思えれば安心できる。
298さんにお答えいただけなければ、「ああ、成る程、よくわかる」という、こんな分かり
方さえできないでしょう。不信感だけが妙な形で膨らんでいく。
「この行は、途中から弥陀が行いますので、完全に同一となり(>>317)」など、奇妙きてれ
つな宇宙人の呪文のような言葉が出てくれば、「コノヒト ワ イッタイ ナニ オ カンガエ
テ イル ヒト ナン ダ ロウ」なんていう不信感がでてくるんですよ。
>326
>掟というのは、もったいぶっているものではなくて、定められているものなのです。
弥陀をたのむ・六字のいわれ・易行・非行の行・他力の行・自力の心をふりすてて・六字のす
がた・南无阿彌陀佛の主になる・一文不知の愚鈍の身になして
341:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
08/01/28 10:48:08 CNc29+hb
>>340 (続き)
これらの説明をすれば掟に反するとは、いったいどこの世界の話をしていることやら。貴方自身「信をい
ただけば全て分かる」と言っているじゃないですか。信を得た人は、掟破りでもしたということか。馬鹿馬鹿
しい。
>「おきつ」という動詞から派生した名詞で、
掟の説明などはスレ違い。板違い。
>>327
>次第相承の善知識に出会っていないと判断して、探していただくきっかけになることを意図しています。
ばかばかしい。貴方がいまここで説明すれば足りるでしょう。
342:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
08/01/28 10:49:30 CNc29+hb
>>328
>私には、まだまだわからないことが多いです。獲信者の先輩の方がいらっしゃったら、ぜひいろいろと教えてほしいです。
貴方は自分で信心を得ているつもりなのか、つもりでないのか。
自分が作ったチェックリストで見て、自分は信前だったのか、信後だったのか。
自分は信心が分かってないと思えば、自分でチェックリストを作るのは勝手だが、他人の信心を測るようなことはやめなさい。
貴方の言葉には、助かったという実感がない。血が通わない。涙が通っていない
口ほど便利な道具はない。誠実みがない。
>>329
>私は、そこには一抹のさみしさを感じます。 貴方の言葉には実感がない。
>>330-331 意味不明。
>>337
全く誠実みが感じられない薄っぺらな話だ。
343:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
08/01/28 10:56:42 CNc29+hb
>342
>他人の信心を測るようなことはやめなさい。
やれやれ。言葉が過ぎた。僕には他人に命令するような資格はないんだ。
チェックリストには、仏教音痴の無宿善の機が、生兵法で刀を振り回し、挙げ
句の果てに自分で怪我をし、質問を受けても答えられなくなっている滑稽さを
感じました。
344:神も仏も名無しさん
08/01/28 10:58:11 eRlsfNTN
:::::::::::/ ヽ::::::::::::
:::::::::::| キ じ き i::::::::::::
:::::::::::.ゝ モ つ み ノ:::::::::::
:::::::::::/ イ に は イ:::::::::::::
::::: | な。 ゙i ::::::
\_ ,,-'
―--、..,ヽ__ _,,-''
:::::::,-‐、,‐、ヽ. )ノ
:::::_|/ 。|。ヽ|-i、 .. / ̄ ̄ ̄ ̄
/. ` ' ● ' ニ 、 (____人
ニ __l___ノ (-◎-◎一
/ ̄ _ | i ( (_ _)
|( ̄`' )/ / ,.. ( ε (∴
`ー---―' / '(__ ) ヽ____
====( i)==::::/ ,/ニ渡海 難
:/ ヽ:::i /;;;;;;;;;;;;;;;;
345:神も仏も名無しさん
08/01/28 13:04:26 aqG6YF/d
法然 百四十五箇条問答 第二十七条
問 .輪廻を離れ、三界には生まれたくないと願って極楽に生まれたとしても、
また、この世に生まれ帰って来なければならないのでしょうか?
答 極楽に一度生まれれば、永遠にこの世に帰って来ることはない。
ただし、人を導くために、あえて帰って来ることはある。しかしそれは、苦しみの生死を繰り返す輪廻ではない。
346:神も仏も名無しさん
08/01/28 13:44:23 aqG6YF/d
URLリンク(www1.ocn.ne.jp)
↑
仏教の正しい理解が学べるサイト
347:298
08/01/28 15:26:22 RNpWEO5r
>>338
>信心の有無をチェックリストで確認するなど、聞いたことがない。
◎あるいは記得し出言しながら、心口各異にして慚愧せざるのものあり。
はなはだ悲歎すべきところなり(文如上人)
>>同じ流れを汲んでいる善知識様から教われば、同じ内容を聞くはずです。
>貴方の善知識はひとに何を勧めているのやら。 ┐( -"-)┌ヤレヤレ...
>親鸞は弟子一人も持たず候。
>そもそも善知識の能というは、「一心一向に弥陀に帰命したてまつるべし」と、ひとをすすむべきばかりなり。
この部分は、何を疑問に思われているかが、よくわかりませんでした。
「一心一向に弥陀に帰命したてまつるべし」には、もちろん私も同感ですし、善知識様も、そうおっしゃると思います。
>それなら、自分こそ進んでそのチェックリストを試し、信前か信後
かを多くの人に確認して貰おうとは思わないのですか。
>他人の余計な心配だけして、貴方自身はそれで終わりですか?
もちろん、「私はわかる」という意味で書いています。
348:298
08/01/28 15:26:43 RNpWEO5r
>>338
>2CHのここで知ろうとする人がいてはいけないのでしょうか。隠す程のことがあるのでしょうか。
御文様を引きます。
◎無宿善の機のまへにおいては、正雑二行の沙汰をするときは、
かへりて誹謗のもとゐとなるべきなり。この宿善・無宿善の道理を分別せずして、
手びろに世間のひとをもはばからず勧化をいたすこと、
もつてのほかの当流の掟にあひそむけり。
◎一つには、自身の往生すべき安心をまづ治定すべし。二つには、
ひとを勧化せんに宿善・無宿善のふたつを分別して勧化をいたすべし。
◎当流のこころは、人を勧化せんとおもふとも、宿善・無宿善のふたつを
分別せずはいたづらごとなるべし。このゆゑに、宿善の有無の根機をあひはかりて
人をば勧化すべし。
◎あるいはまた仏法聴聞のためにとて人数おほくあつまりたらんときも、
この人数のなかにおいて、もし無宿善の機やあるらんとおもひて、
一流真実の法義を沙汰すべからざるところ
349:298
08/01/28 15:35:49 RNpWEO5r
>>339
>今求めている人に対し、貴方がここで善知識となり、開かれている教えをそのまま開いたらど
>うですか?貴方は言っていることと、行っていることがちぐはぐだ。言葉に誠実みがない。
もちろん、私に求めてきた方には示しています。
2chのような公開の場所に書かれた内容は、無宿善の機も見る可能性がありますから、
何でも書けないだけです。
また、私は次第相承の善知識ではありません。
>人に隠して教える法文があるというなら、親鸞は地獄に堕ちることでしょう。
これについては、>>321にておこたえしています。
350:298
08/01/28 15:36:10 RNpWEO5r
>>339
>信を得た人は、掟破りでもしたということか。馬鹿馬鹿しい。
無宿善の機に話すならば、掟破りになるでしょう。
なぜ、信を得るだけで、掟破りになってしまうと思われたのか、よくわかりません。
できることなら、信は獲った方が良いです。
>自分が作ったチェックリストで見て、自分は信前だったのか、信後だったのか。
もちろん、私は全部わかります。同行に対してであれば、
自分の領解を説明もできます。
>貴方の言葉には、助かったという実感がない。血が通わない。涙が通っていない。
>口ほど便利な道具はない。誠実みがない。
これは、私の性格が至らぬためです。私を見て弥陀から離れてしまうのは、
もったいないことです。私は確かに浅はかな凡夫ですが、
弥陀はそうではないからです。
ご不審あれば、重ねて問うていただければ、うれしいです。
351:神も仏も名無しさん
08/01/28 15:52:49 v5RsnxdP
「一心一向に弥陀に帰命した」ということと「本願力に疑いがない」とは同じことでしょうか。
帰命したが疑いが残っている、ということはありえるのでしょうか。
352:298
08/01/28 15:56:30 RNpWEO5r
>>340
>>別に模範解答があるわけではなくて、「ああ、成る程、よくわかる」というわかり方が出来るなら、それで良いのです。
>298さんに模範解答を求めている人などいませんよ。ああ成る程、よくわかる。298さんは本当に信心のある人だ。僕も貴方のことをそのように思えれば安心できる。
>298さんにお答えいただけなければ、「ああ、成る程、よくわかる」という、こんな分かり方さえできないでしょう。不信感だけが妙な形で膨らんでいく。
「ああ、成る程、よくわかる」というのは、たとえば、このスレを読んだ人がいて、
刺激を受けて、獲信者を探しはじめ、探しあて、次第相承の善知識のご紹介をたのみ、
紹介していただき、会い、六字のいわれを聞き開き、弥陀をたのんだならば、
その後に見れば、「ああ、成る程、よくわかる」と、その方が実感するのです。
私に信心があるかどうかは、見た方がそれぞれ判断すれば良いことです。
何も私が無理して示そうとするようなことではありません。
353:298
08/01/28 15:56:49 RNpWEO5r
>>340
> 「この行は、途中から弥陀が行いますので、完全に同一となり(>>317)」など、
>奇妙きてれつな宇宙人の呪文のような言葉が出てくれば、「コノヒト ワ
>イッタイ ナニ オ カンガエ テ イル ヒト ナン ダ ロウ」なんていう
>不信感がでてくるんですよ。
そんなに奇妙に思われたことを、つい不思議に思ってしまうのですが、
信じがたいお話であることも、よくわかりますが、真宗に於いては、
弥陀が私たちを救ってくださるのです。
凡夫は、凡夫であるが故に、自らを救うことできませんので、
弥陀に救っていただくのです。
これは、真宗に関係する人の間では、有名なことですから、
少し調べていただけるなら、きっと、(渡海様には信じられなくても)
このようなことを主張している宗旨であると知れると思います。
もちろん、ご自分の道を歩むのは尊い方ですが、私たちは、自力至らぬから
弥陀をたのむのですから、どうかバカになさらないでください。
私たちをバカにするのは構いませんが、私たちの気持ちとしては、
弥陀をバカにはしてほしくないのです。
しかし、これも単なるお願いで、渡海様におまかせするしかありません。
宿善の機は、今生で弥陀にあったことが一度も無くとも、
「弥陀をたのみたい」と思うのです。
確かに希なお話ではありますが、その希な方々を丹念に見つけ、
浄土への道をお教えしたいのが、私の希望です。
354:298
08/01/28 16:02:23 RNpWEO5r
>>351
根源無明そのものは破砕してくださいます。ですから、この意味での疑いは、
生涯一度の一念帰命にて、きれいさっぱりとなくなります。
これにより、流転から離れることができます。
信後でも、自力の信は残りますから、疑おうと思えば、いくらでも疑うこと可能です。
しかし、どれほど疑おうと、極楽往生治定に変わりはありません。
それでも、せっかく救われたのですから、自力の信も育てていった方が、
楽しく生きられます。このために、後念相続を行います。
たとえば、御文様を読んでゆきます。すると、読む程に、「蓮師と同じ信心いただけた」
とよろこべるのです。(はじめは、御同行と一緒に読んでいった方が良いと思います。)
このようにして、信後のよろこびは、開発してゆくことができます。
355:298
08/01/28 16:05:09 RNpWEO5r
>>354
「いくらでも」というのは、あくまでも、「その方の能力の範囲内において」
という意味です。
疑いは凡夫の心の自然な働きですから、疑いは出てくる方が普通だと思います。
しかし、それをそのまま打ち捨てておくのはもったいないことです。
そのために、後念相続してゆくのですが、これは、「疑いが出てくること」も
自覚できますし、「それがもったいない」ことも自覚できます。
もちろん、それは全員ではありません。信後のすがたは、機によります。
大体の傾向をお話しています。
356:神も仏も名無しさん
08/01/28 16:06:19 v5RsnxdP
>>355
なるほどよくわかりました。
ありがとうございました。
357:298
08/01/28 16:13:59 RNpWEO5r
>>356
大きなよろこびを得たい方は、信後相続を丹念にするでしょうし、
「もう救われたのだから、そんなのも面倒だ」という方は、
打ち捨ててもおかれるでしょう。
もちろん、御恩報謝のお念仏をしてゆくことが、おすすめです。
これは、本来、弥陀の救いの価値と意味を感じてゆくことにより、
「あいがたき法に出会えた、ありがたい、うれしい」「こんな自分が救っていただけた、
ありがたい、うれしい」等の感謝の気持ちが出てきて、
自然と弥陀に感謝することばを口から出したくなるのです。
南无阿彌陀佛
358:298
08/01/28 18:16:27 RNpWEO5r
信を得るには、信心決定の念仏行者を探し、その方は、次第相承の善知識を
知っているはずですから、ご紹介を御願いし、次第相承の善知識に遭い奉り、
六字の謂れを聞き開き、一心に弥陀をおたのみして、これにて極楽往生治定と
知るべきなのです。
たったこれだけで、永劫の流転から抜けることができます。
凡夫直入易行、横超捷径です。頓教中の頓、これに過ぎるものはありません。
弥陀をたのめば、救われるのもアッと言う間であり、そのあまりの簡単さに、
易行であると実感し、「こんなに簡単だったとは・・・ 自分で疑っていただけだった。
自分で弥陀から逃げていただけだった。阿弥陀様、ごめんなさい、ごめんなさい」と
涙も致しますし、そんな自分をも見捨てず救ってくださったうれしさに、
涙もするものなのです。
359:298
08/01/28 18:18:22 RNpWEO5r
自力の心をふりすてるのは、自力ではできないのですから、
ふりすてようと自分であれこれ工夫しても、詮無きことです。
その方法を、次第相承の善知識から、教えてもらわなければなりません。
360:298
08/01/28 18:29:14 RNpWEO5r
凡夫直入の捷径なのですから、難しいことは、何もありません。
彌陀に救われることを望まれる方になら、誰にでも開かれている道です。
真実信心の招待状は、南无阿彌陀佛というかたちで、届いています。
この南无阿彌陀佛を目にし、呼ばれたと感じる宿善の機は、
その人身にて、南无阿彌陀佛という他力の行を致さねばなりません。
361:神も仏も名無しさん
08/01/28 21:31:47 fnPeWFKm
真の知識は真実をあきらかに耳の底にのこした人。
その仕事は「弥陀をたのめ」と人にすすめるばかり。
我が身の罪深さに地獄一定と嘆く人が宿善のもよほしにあづかって、次第相承の善知識に親近を得て、南無阿弥陀仏のいわれを聞きひらいたときに往生は治定。
年齢も能力も人物の善し悪しも関係なし。ただ帰命するのみ。
たのむ一念のときに信心決定して等正覚の位になるけれど、凡夫はやはり凡夫のまま。
愚かさゆえ、こちらが南無阿弥陀仏を忘れても阿弥陀はけっして捨てはしない。
しかしそれではあまりにもったいないので、たびたびに溝をさらえて仏恩報謝の念仏をすべし。
・・というふうな感じだと思います。
362:神も仏も名無しさん
08/01/28 21:45:04 fnPeWFKm
法をたずねるとき。
信心を獲得するのにお金はいらないと思います。
お賽銭程度は別として。
363:神も仏も名無しさん
08/01/29 00:00:50 YQJ/uIv4
/ ̄ ̄ ̄ ̄\
( 人____)
|ミ/ ー◎-◎-) / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(6 (_ _) ) <キミも自分のキモヲタ度を調べてみよう by渡海 難
| ∴ ノ 3 ノ \_____________
\_____ノ
1.サークル活動と聞いて連想するのは大学でなく同人だ。
2.服は親に買ってきてもらう。または親が勝手に買ってくる。
3.「りぼん」「なかよし」「ちゃお」の内、定期購読していた雑誌がある。
4.ヲタクと呼ばれると自分はマニアということを主張する。
5.「CC」の後に続くのは「さくら」だ。
6.やたらと独り言が多い。
7.ちなみに部屋は踏み場が無いほど汚い。
8.茶髪、金髪の人間が恐い。
9.人名:「○きどうざん」 ○に入るのは「り」である。
10.モー娘のメンバーは全員言えないがシスプリの妹12人の名前はすべて分かる。
11.エロゲー雑誌の名前は5個以上言えるがファッション雑誌の名前は5個以上言えない。
12.アニメは本編よりスタッフロールの方が楽しい。
13.「メッセサンオー」「虎の穴」「アニメイト」の袋を持って平気で町を歩ける。
14.3段腹だがノースリーブの服で町を歩ける。
15.ゲームを買うのに徹夜で並んだことがある。
16.携帯の着メロはアニメorエロゲーの主題歌。
17.渋谷、原宿、池袋は近寄りがたい。
18.「メイド」「巫女」「ネコミミ」と聞くと興奮する。
19.「眼鏡娘」ではなく「メガネっ娘」が正しい。
20.靴下は白が多い。
21.もちろんギャルゲーは本名プレイ。
22.アニメorゲームのキャラ名で領収書をもらったことがある。
5個以上該当はマジでヤバイです。
ちなみに渡海 難さんは見事全部該当しました。
364:298
08/01/29 01:22:22 6ZmE25GX
>>361
御同行の方ですか?
有縁の方のために念のため。
>南無阿弥陀仏のいわれを聞きひらいたときに往生は治定。
「南无阿彌陀佛のいわれを聞き開き、彌陀をたのむ一念のときに往生は治定」です。
信前の方であれば、とても良くまとまっていると思います。
そのようなプロセスで捉えていれば、御文様を読んでもよくわかると思います。
365:298
08/01/29 02:52:42 6ZmE25GX
>>343
>やれやれ。言葉が過ぎた。僕には他人に命令するような資格はないんだ。
>チェックリストには、仏教音痴の無宿善の機が、生兵法で刀を振り回し、挙げ
>句の果てに自分で怪我をし、質問を受けても答えられなくなっている滑稽さを
>感じました。
確かに、私は、「仏教音痴の無宿善の機」なのかもしれません・・・
生兵法で突進もし、論理破綻もしているのだろうと思います。
「どんな悪を為しても救われる」そんな極端なことを申す我らでございますので、
多くの仏教徒から見れば、仏教を貶めていると見えても、仕方がありません。
耶蘇教の影響を受けた邪道であろうと、批判を受けたこともございます。
他ならぬ浄土宗の方からも、(悪い意味の)秘事と批判を受けたこともございます。
西方十億万佛国土を超えた極楽浄土におわします、
教主阿弥陀如来に直接救っていただくための方法が、
秘事でなくて何なのだろう、と考えるのが我らなのです。
我らからすれば、極普通の方法で、アクセスできると考える方が
不思議でございます。
弥陀が完成された、南无阿彌陀佛を介しなければ、
とてもでないですが、無理であろうと思います。
利口な方から見れば、きっとバカに見えるだろうとも思います。
そう見えても仕方のない、とんちんかんな、間違いも多い私ですけれど、
そんな私のことも哀れんで、救ってくださるのが阿弥陀様です。
一般には無宿善の悪機でも、当流では、彌陀に救っていただけるのが、
宿善の機なのです。
私は、利口に見えるよりも、救っていただけたことが、うれしいです。
◎五濁増のときいたり
疑謗のともがらおほくして
道俗ともにあひきらひ
修するをみてはあだをなす
366:298
08/01/29 05:12:08 6ZmE25GX
>>247
>>複数の宇宙を扱いますし、
>>宇宙の寿命よりも、さらに永い時間についても扱います。
>阿弥陀は至高神なのか、それとも人格神なのか、精霊なのか、観念なのか、
>妄想なのか?この答が知りたいのです。
あなた様が「神」をどのような意味で用いているかがよくわかりませんでしたので、
複数の宇宙の話を出しました。
「至高神」「人格神」についても、定義が必要です。
367:298
08/01/29 05:16:57 6ZmE25GX
>>65
>それでは、何処に書いてあるんですか?と尋ねる事は極めて自然な質問でしょう。
>そういった単純な事も誘導尋問になるのでしょうか?
誘導尋問になるかは、私はよくわかりません。
尋ねることに問題があるのではなくて、
質問にこたえている私の意図を受け取ろうとせず、
簡単に「それは違います」と決めつけて、「では、次の根拠を」という
態度に問題があると思います。
なぜなら、それは「尋ねている」とは見なされないからです。
形式的に尋ねているに過ぎず、その実は、否定であり、拒否であると
思います。
あなた様の態度は一方的であって、私の多くの質問にも、
答えません。思うことを、隠していらっしゃるはずです。
ご自身の意図を、さらに明確に表してください。
不審に問題があるのではなく、表さないことに問題があるのです。
368:298
08/01/29 05:20:57 6ZmE25GX
>>15
>私が浄土門であろうが聖道門であろうが、私の質問はそんなことに関係ありません。
やはりこれは、尋ねる態度としては、問題があると考えます。
答を求める方であれば、より協力的であるのではないでしょうか。
尋ねているとは言えない、と見なされても、仕方の無い態度であるように
思われます。
弥陀の救いの法は、機を問わず、そこに変化はありませんが、
疑心に対する方法は、応機になると思います。
あなた様は、疑心を隠して、問うています。そこに問題があります。
つまり、あなた様は、質問しているようでいて、
行おうとしていることは、質問ではありません。
そこに倒錯がありますから、批判をしたいのであれば、
まずはその批判を、なるべく直接ことばで表すことを
試みるのが良いと思います。
369:298
08/01/29 05:27:12 6ZmE25GX
>>15
破邪顕正を為そうとしているのであれば、当流では、自身が信を獲らずして、
破邪顕正などは、言語同断であると申し上げます。
他派では、良しとされているのかもしれませんが、その場合は、
浄土門そのものへの批判となるでしょう。
あなた様は、意図を明かしませんので、とてもおっしゃっていることが、
わかりにくいです。
思う所を、そのまま表すことを心がけてほしいと思います。
不綺語戒は、ご存知でしょう? それとも、外道の方ですか?
370:298
08/01/29 05:29:51 6ZmE25GX
>>50
>他に出拠が探せないのであれば、試しに、お聖教中で「宿善」と言う
>語句が説明されている箇所を抜き出しましょうか?
ただ抜き出すだけでは、あまり生産的とも思えませんので、
私の発言と矛盾すると思われる箇所を引いていただけたらと思います。
371:298
08/01/29 05:35:29 6ZmE25GX
>>339
>貴方は、自分が知っているつもりでしょう。それなら貴方がここで応えたらどうですか
無宿善の機も読む可能性がある場所では、述べられないことも多いのです。
ですから、有縁を辿り、直接面会して、お聞きするしかありません。
面会しても、どこまで教えていただけるか、私にはわかりません。
基本的に、内心に秘めるべきものですから、教えていただけないことの方が、
多いのかもしれません。それであれば、再度尋ねるか、また別の方を
お探しするしかないと思います。
たとえば、渡海様のこの聞き方では、おそらく無理です。
372:298
08/01/29 05:44:54 6ZmE25GX
>>339
>信心の世界に隠し事などあるわけもない。
そうでしょうか? 渡海様の自力信の立場は、自分の心は他人にはわからないのだからということで、
強弁して押し切ろうとするものではないのですか。
しかし、信仰もありますので、弥陀を渇仰すれば、弥陀は見捨てないだろうけれども、
蓮の華が開かないことへの不安もあるのではないのですか。
化土往生もかなわず、堕ちられたらどうなさるのですか。
つつけば揺らぐ自力信、その後の揺らぎについても、語られたらいかがでしょうか。
自力で渇仰しても、他力が来迎するわけではないでしょう。
渡海様の信心は、来迎を心待ちにするタイプのものに他なりません。
臨終来迎ではなく、平生来迎を期待する信仰です。
373:298
08/01/29 05:49:43 6ZmE25GX
>>339
凡夫直入の「直」を、よくお考え下さい。
374:神も仏も名無しさん
08/01/29 17:15:27 QpxhIjS1
>>366
こういうような説には、共感を覚えるのですが、異安心となるのでしょうか?
URLリンク(www.d7.dion.ne.jp)
375:298
08/01/29 17:39:03 z0ogCagR
>>374
まず、私が申します所の「異安心」というのは、あくまでも、当流の安心と比較しての
ことを言っています。
当流における安心というのは、阿弥陀如来が建立されました極楽浄土に往生する
因を得ることです。
URLリンク(www.d7.dion.ne.jp)
に、念仏について書いてありますが、当流とは違います。
ですけれども、それが無意味ということではありません。
浄土真宗では、凡夫があっと言う間に彌陀教主の極楽浄土に往く因を得ることを
考えています。
すべての方が、そのような道を求めるわけではありません。
ちらっと見ただけですけれども、この著者の方は、
とても日本の神霊的なお方であると感じます。
この方も、弥陀の救いに出会ったならば、
おそらく、大変よろこばれたことと思います。
書いてあることには、とても勉強になることがたくさんあると思います。
ただし、あくまでも当流においては、
◎八万の法蔵をしるといふとも、後世をしらざる人を愚者とす(御文章)
であるのです。霊界のことを何もしらなくても、気の利いた説法ができなくとも、
弥陀をたのんだ方を智者と呼び、仏法者とお呼びします。
376:神も仏も名無しさん
08/01/29 18:44:32 QpxhIjS1
>>375
弁栄師は、日本の神霊とは関係がありません。
筋金入りの仏教者ですし、近代浄土宗にも多大な影響を与えた方です。
コピペ
浄土仏教の思想 14-清沢満之・山崎弁栄 (-) (講談社)
脇本 平也 (著), 河波 昌 (著)
商品の説明
日本文化の大潮流を体系的に書き下ろす初の全集!
●清沢満之―浩々洞を開設して雑誌『精神界』を刊行、精神主義によって仏教の近代化をはかる。
●山崎弁栄―光明主義を唱導して光明会を創設。釈尊にかえり、法然の真精神を現代に蘇らせる。
この方は、
○通じて神と如来は宇宙大霊体の代表的人格現にして即ち大霊である。
○人は宇宙の一分子にて小霊である。
こうおっしゃっています。
377:神も仏も名無しさん
08/01/29 18:52:15 QpxhIjS1
また、こうも言われます。キーワードは万教同根です。
○宗敎の関係は己のみにて成立するものにあらず。
○主体と客体の親密に合一する処に成立す。
○主体は即ち人にて客体は神即ち仏敎の如来である。
○人の信仰と如来の恩寵との関係である。
○信仰とは己を獻げて帰命信頼すること恩寵とは人の信仰に対して慈愛心を以て愛念養成し給ふ親子的関係の如くである。
○通じて神と如来は宇宙大霊体の代表的人格現にして即ち大霊である。
○人は宇宙の一分子にて小霊である。
378:298
08/01/29 18:52:30 z0ogCagR
>>376
教義的には、似ていると思いますよ。あくまでも、感覚的なものですが。
379:298
08/01/29 19:24:50 z0ogCagR
>>377
また、
>○主体は即ち人にて客体は神即ち仏敎の如来である。
これは私たちと方向が逆です。如来が我らを救ってくださるからです。
>○人の信仰と如来の恩寵との関係である。
これも、ひょっとしたら、方向が違います。真実信心も、如来がくださるものだからです。
380:298
08/01/29 19:35:21 z0ogCagR
>>377
もし、その方が「万教同根」とおっしゃられているのであれば、
さまざまな宗教に触れられて、そのどれでも満足できずに、
混交して、ご自分なりの宗教観をお育てになったのではないでしょうか?
381:神も仏も名無しさん
08/01/29 19:46:22 QpxhIjS1
>>380
筋金入りの仏教者です。
仏道修行の結果、諸宗教の奥にある真理を感得されたのだと思っています。
URLリンク(www.ne.jp)
382:神も仏も名無しさん
08/01/29 19:48:25 S599Os/9
374さんのご紹介の説はたいへん素晴しいものだと思います。
しかし、298さんにとっては、異安心かどうかという以前にまったく興味を覚えないんじゃないかと。
それは何故かと申しますと、298さんは既に無上の功徳をいただいているからです。
世の中には素晴しい教えや法がたくさんあるでしょう。
その中には、なにものにも代え難い尊い教えもあると思います。
しかし、それにしてでも「凡夫が佛になる」という以上の功徳は想像できないからです。
いろんな道があると思います。それぞれに思い定めた道を行けばいいのでは。
しかし、298さんとしては、当然のことながらご自身が救われたご信心を少しでも多くの方に獲得してもらいたいと考えておられるはずです。
他力は易行であるけれど、ここを読んでいると難信の法なのだなあと、つくづく感じます。
383:神も仏も名無しさん
08/01/29 19:55:41 QpxhIjS1
浄土宗(法然)と真宗(親鸞)は、もはや別の道、別の教えと、認識した方がいいのですか?
384:神も仏も名無しさん
08/01/29 20:34:02 QpxhIjS1
>>382
何か誤解されているようですね。
コピペ
山崎の宗教思想
「宗教家は奇跡を現わさなくてはつまりません」と述べ、現世利益を認めるような発言をされているが、
「予言ができるとか、病気がなおるとか、そんな奇跡がなんの価値がありましょう。
凡夫が仏になる。これほど大きい奇跡がまたとありましょうか」
と、阿弥陀仏信仰の絶対性を説いている。
385:298
08/01/29 20:49:50 z0ogCagR
>>384
>凡夫が仏になる。これほど大きい奇跡がまたとありましょうか」
>と、阿弥陀仏信仰の絶対性を説いている
私が言う所の他力信は、「阿弥陀仏信仰」というものとは、少し違います。
凡夫が自分で信仰するものでは無いからです。
自力の信で報土に達することは無いからです。
>仏道修行の結果、諸宗教の奥にある真理を感得されたのだと思っています。
仏道修行の結果であれば、四諦を得るのではないでしょうか。
釈尊は、真理の内容も明示しています。
真理を感得していない方でも、四諦の内容を読むことができます。
当流においても、「南无阿彌陀佛」は、信前の方も知っています。
ただ、機法一体になっていません。
諸宗教の奥にある真理が感得されたと感じ、万教同根と感じたり、説いたりしたとしても、
南无阿彌陀佛の謂れを知ることはできなかったということになります。
また、「万教」を本当に知るのなら、神通が開けているはずでしょう。
「万教同根のはずである」と推測するに至った、ということなのでしょうか?
それとも、弥陀如来が本師本佛であるために、
根を辿れば、弥陀如来であるということなのでしょうか?
浄土真宗では、諸宗教の奥にある真理を感得する必要も無く、
ただ、一心に弥陀をたのめば、それで良いのです。
386:298
08/01/29 20:51:32 z0ogCagR
>>383
「もはや」ということは、「現在説かれている」という意味でしょうか?
「現在説かれている」ということでしたら、「真宗(親鸞)」だけでも、
さまざまな教えがあり、それぞれは、別物と認識することができると思います。
私たちの考えでは、法然聖人の教えも、親鸞聖人の教えも、同じです。
387:298
08/01/29 20:54:39 z0ogCagR
>>382
>しかし、298さんとしては、当然のことながらご自身が救われたご信心を
>少しでも多くの方に獲得してもらいたいと考えておられるはずです。
そうです、そう考えております。
>他力は易行であるけれど、ここを読んでいると難信の法なのだなあと、つくづく感じます。
難信ということが、示されていますね。ありがたいことです。
388:298
08/01/29 20:57:46 z0ogCagR
>>384
弥陀の救いというのは、信仰する必要も無いのです。
南无阿彌陀佛という無上の方便があるのですから、
それにより、弥陀から真実信心をいただき、
極楽往生が治定致します。
389:298
08/01/29 21:04:02 z0ogCagR
>>381
>筋金入りの仏教者です。
私は、山崎様が筋金入りの仏教者であるかどうかは、よく存じません。
しかし、たとえば1000年くらい転生を重ねて修行されている
筋金入りの仏教者がいらっしゃるとして、
もし、凡夫が今生にて弥陀をたのむならば、その修行者を
軽く飛び越えて正定聚の位に住すというのが、
浄土真宗です。
390:神も仏も名無しさん
08/01/29 21:14:24 rDyH+ofd
勤行はお西とお東のどちらの節がよろしいのでしょうか。
391:298
08/01/29 21:19:28 z0ogCagR
>>390
どちらでもよろしいのではないでしょうか。好みで決めればよろしいかと思います。
392:神も仏も名無しさん
08/01/29 21:21:15 QpxhIjS1
>>389
同じ阿弥陀仏の教えでも、いろいろあるのですね。
正当の浄土真宗では、阿弥陀仏は神霊であると認識してもおかしくはないですか?
393:298
08/01/29 21:31:09 z0ogCagR
>>392
「神霊」の定義によります。通常、「神霊」という言い方はしません。
「神霊のようなもの」と捉えて、弥陀に救われたいと念じ、
縁を得て、一心に弥陀をたのむ方がいらっしゃったなら、
その方は、弥陀に救われます。
弥陀は、信前の機を問いませんので、たとえば、信前にキリスト教を信仰して
いらっしゃったり、あるいは、仏教の他宗を信仰していらっしゃった方でも、
要は、弥陀をたのめば、救われるのです。
信前の思想も問われません。素行も問われません。
通常は、「本師本佛」と捉え、西方浄土にて、尽十方無碍光を発していらっしゃっていると
捉えると思います。
394:神も仏も名無しさん
08/01/29 21:33:33 rDyH+ofd
>>391
ありがとうございました。
395:298
08/01/29 21:40:43 z0ogCagR
>>392
私は山崎様のことは、全くと言って良い程知らないのですが、
たとえば、たくさん修行された方だとします。
そのような方でも、聞くことのできないのが、
南无阿彌陀佛なのです。
ですから、もし、聞くことのできた方は、本当にそのご縁をよろこべるのです。
396:神も仏も名無しさん
08/01/29 21:41:39 QpxhIjS1
>>393
「本師本佛」とはどういう存在でしょうか?
不可思議なのは分っていますが、専門用語ではなく、「神霊」のような意味の分る言葉で、理解したいのです。
397:298
08/01/29 21:45:25 z0ogCagR
>>394
正信念仏偈も、本当に素晴らしい内容を含んでいます。
勤行なさっているうちに、「ああ、本当に阿彌陀様に救われてみたいものだ」という
渇仰の気持ちが育つかもしれないと思います。
そうなりましたら、信心決定の行者をお探し下さい。
外相には出しませんけれども、それでも、このスレを読んでいるような方であれば、
何となく思い当たるご発言に気付かれるはずです。
身分の上下も、年齢の上下も問わずに、聞いてみて下さい。
そうしましたら、「南无阿彌陀佛とは、何ですか?」とその方の領解を聞いてみて下さい。
もしその方が六歳の子供でも、信を得ているなら、この道の先輩です。
決しておろそかにせず、次第相承の善知識を、紹介してもらってください。
398:298
08/01/29 21:48:33 z0ogCagR
>>396
これは、396様の現在のご理解によって、どのようにお話すれば
良いのか、異なってくると思います。
本師本佛というのは、簡単に言えば、「もっとも先に悟った生命」ということです。
阿弥陀如来は、ご自身が如来となった後、たくさんの佛をお育てになりました。
次に、私たち凡夫を哀れみまして、どうにかして、私たちも救いたいと、
思ってくださったのです。
そのために、法蔵菩薩となって生まれ、御修行されて、
南无阿彌陀佛を成就なさったのです。
これで、わかりますでしょうか? それとも、わけがわかりませんか?
399:298
08/01/29 21:59:46 z0ogCagR
>>396
「大本の師であり、佛である」という言い方であれば、わかりますか?
ある佛がいらっしゃったとして、その先生の、そのまた先生の・・・と
ずっと辿ってゆくと、最後は阿弥陀如来に辿り着く、ということです。
400:神も仏も名無しさん
08/01/29 22:02:55 QpxhIjS1
>>399
法蔵菩薩というのは、過去に実際に地球上に人間として生まれた存在ですか?
それならば、モーゼや釈迦如来、イエスと同じように、阿弥陀如来は、人格神とも呼べます。
地球の人間が300万年程の歴史をもつとしたら、(私はダーウィン論者ではないので何億年もあると思っていますが)、
法蔵菩薩が地球上に生まれたのは、いつごろのことだと想定されますか?
それから、佛と言うのは、霊的存在だと思ってもいいですか?
401:298
08/01/29 22:07:19 z0ogCagR
>>400
法蔵菩薩が名号を成就なさったのは、十劫前ですから、まだこの宇宙もできていません。
「人格神」と呼ぶには、「人」の定義もいるのです。
仏教では、「人」というのは、人間界の衆生ですから。
佛を、とりあえず霊的存在と思うのはかまわないと思いますが、
あえて「霊」ということばを好むのには、理由があるはずですので、
ご自分の心を、よく観てみると良いと思います。
「霊的存在と思いたい」からには、「霊的存在とは何か」という観念、
そして、「霊的存在では無いならばイヤだ」という理由があるはずですので、
できましたら、それらを教えてください。
用語としては、「佛」や「如来」を推奨致します。
402:298
08/01/29 22:10:48 z0ogCagR
>>401
ただし、劫には、さまざまな説があり、私がここに書いたことについて、
多く同意されているわけではありません。
私は、劫というのは、宇宙1回分だと捉えています。
私も、さらに勉強が必要なところです。
403:298
08/01/29 22:14:24 z0ogCagR
>>400
宇宙レベルの話になると、私には、よくわかりません。
それをわかるために、修行して行く道も仏教にはあるのですが、
地上に転生を重ねて修行するのも良いですけれども、
私は弥陀をおたのみして、極楽浄土へと参り、
本師本佛の阿弥陀如来の説法を直に聴くことを選んだということです。
浄土に参りませば、神通もいただけますから、
自分のこれまでの転生もすべてわかるようになりますし、
他の宇宙の生命の考えている内容までわかるようになります。
404:神も仏も名無しさん
08/01/29 22:18:20 QpxhIjS1
>>401
法蔵菩薩は人間ではないとすれば何ですか?
それと、別に「霊」にこだわっている訳ではありません。
意味の分る言葉で理解したいのです。
「佛」、「如来」というのは、人間ではないとすれば、どんな存在だと思えばいいのでしょうか?
405:298
08/01/29 22:27:15 z0ogCagR
>>404
まず、「何」ということについて、仏教では「一切」ということを立てます。
ですけれども、これを説明してゆくことは、仏教系の別のスレで、
熱心になされているかもしれないと思います。(未確認です。)
意味のわかる言葉ということであれば、「生命(せいめい)」はいかがですか?
たとえば、虫という生命から見れば、人間という生命は、
いろいろ知力もあるし、想像を超えた能力を得ているように見えるかもしれません。
そのように、私たち人間から見て、はるかに超越した能力を持っている生命を
考えるとわかりやすいのではないかと思います。
私たちが、虫に対して、自分のわかっていることを伝えようとしたら、
どうですか? 困難ではないですか?
ですので、釈尊としてお生まれくださり、縁をつくってくださったのです。
法蔵菩薩様ですが、五劫思惟に永劫修行ですので、寿命がこの地上の人とは全く違います。
406:神も仏も名無しさん
08/01/29 22:39:34 QpxhIjS1
>>405
肉を持たない生命体=佛、如来
これでいいですか?
407:神も仏も名無しさん
08/01/29 22:42:05 QpxhIjS1
>>405
法蔵菩薩は、地上ではないなら、どこで修行をしたのですか?
また、肉体は持っていたのでしょうか?
408:神も仏も名無しさん
08/01/29 22:44:27 0YVkmeky
>>406
googleやwikipediaかなんかで調べろよ、そのくらいのこと。
409:298
08/01/29 22:50:04 z0ogCagR
>>406
地上の私たち人間の肉とは違いますが、身体はお持ちであったと思います。
(しかし、佛如来の場合には、「持たない」という言い方で表現されることも
あると思います。)
浄土真宗で信をいただく場合、南无阿彌陀佛以外の教義を全然知らなくても救われるという
御宗旨ですので、私は自分が「救われる」内容に絞って学んできました。
ですので、仏教全般についての知識が不足しています。
ですから、きちんとお答えすることができません。申し訳ありません。
しかも、佛如来は、身体を他の世界に複数出すことがお出来になり、
たとえば、釈迦牟尼如来は、阿弥陀如来の応身です。
諸経典類や概説書を読まれると、解説が載っているかもしれないと思います。
私の場合は、「私が勉強しても、所詮私の想像だから不正確だろう」と思い、
浄土往生後に先送りしている感じです。ですけれども、ご質問受けましたので、
今後、少し興味を持って勉強するかもしれません。
あるいは、仏教系のスレで、そのような話題を扱っているスレッドもあるかもしれません。
真宗では、たいした知力も無ければ修行もできない私たちを救うための
名号がありますので、この名号によって、弥陀に救われようということなのです。
あまりお役に立てなくて申し訳ありません。
410:298
08/01/29 22:51:10 z0ogCagR
獲信者というのは、一切智者ではなくて、あくまでも凡夫なのです・・・
411:298
08/01/29 22:52:12 z0ogCagR
>>407
とりあえず、大経を読んでみてください。
412:神も仏も名無しさん
08/01/29 22:55:04 QpxhIjS1
>>411
形而上の問題よりも、まず、信をいただくことだ大切だということですね。
大経読んでみます。ありがとうございました。
413:298
08/01/29 23:01:40 z0ogCagR
>>412
とにかく信心為先です。ですけれども、興味があるのであれば、
三部経(漢訳あるいは現代語訳)を通読していただければ、
基本はわかると思います。(「なんとなくわかる」というレベルのわかり方になると思いますけれども。)
(ひょっとして、過去生で聖道をやられている方であれば、すいすいわかるかもしれません。)
経典を読んでも信は獲れないのですが、基本的なイメージを掴むことができます。
「あくまでも信心為先である」ということを頭に入れた上で、
いろいろ勉強なさると良いと思います。
414:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
08/01/30 11:12:28 O5VtNhVz
>>350
>無宿善の機に話すならば、掟破りになるでしょう。
>> 357,358,359,360,365 等々。
掟、掟を連呼する298さんは、実に饒舌だ。饒舌は人を煙に巻く。こういう饒舌が掟破りにならんという
のは、不思議な話だ。298には誠実みがない(苦笑)。浄土真宗は、宗祖の主張と、一つ一つ誠実に照
合しながら語るのが原則だ。教外別伝は受けられない。
>> 372,373
饒舌が止まらない貴方の掟はダブルスタンダードで誠実みがない。
貴方は、宗祖の主張と調和しない我流の宗教を立てているのだということはよく分かる。親鸞にも蓮如に
も、ダブルスタンダードは無いからね。
掟破りになるから話さないと、相手の話は遮断して、自分の饒舌は止まらない。ダブルスタンダードで疑城
胎宮の信心を防衛するのは勝手だが、他人の心配をする前に、貴方自身が金鎖を断ち切る勇気をもつこと
が必要だ。
415:298
08/01/30 13:06:02 vXfK6vNX
>>414
掟がありながら、蓮師も御文を書いていらっしゃるでしょう。
また、親鸞聖人も、教行信証を書いていらっしゃいます。
御本典にせよ、御文にせよ、南无阿彌陀佛(=真実行)が何であるかは、
書いてありません。
まじめに読んだ方は、気付くはずです。
浄土真宗には、「聖教読まずの聖教読み」と呼ばれる方々もいらっしゃいます。
一般のイメージの「妙好人」には、特にそのようなイメージがあると思います。
当流は、自信教人信が原則であり、自障障他は戒められています。
416:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
08/01/30 13:18:21 O5VtNhVz
>415
> 当流は、自信教人信が原則であり、自障障他は戒められています。
貴方の掟も自障障他も、疑城胎宮の金鎖の守護神。結局の所はダ
ブルスタンダードの操り人形。二枚の舌の内の一方の舌。
舌を何枚も持っていて巧みに使い分ける人に、誠実な人はいるわけ
がない。
417:298
08/01/30 13:19:07 vXfK6vNX
>>414
>貴方は、宗祖の主張と調和しない我流の宗教を立てているのだということはよく分かる。
なぜ、よくわかるのかがわかりません。
渡海様は、浄土真宗を信じていらっしゃらないのですか。
親鸞聖人を語りながら、名号を南無とたのんだことも無く、
そして、そのまま命終を迎える方がほとんどです。
もちろん、いずれは、渡海様も弥陀に救っていただけます。
私がお話しているのは、今生に救われたい方々に対してです。
418:298
08/01/30 13:21:23 vXfK6vNX
>>416
掟があるから、話してはいけない内容があり、
公開の場では、あくまでも、宿善の機と無宿善の機が混在していても
許される内容を語ることが、なぜダブルスタンダードになるのですか?
419:298
08/01/30 13:24:43 vXfK6vNX
>>416
信心獲らずにおすすめするのが、自障障他ですよ。
420:298
08/01/30 14:01:47 vXfK6vNX
>>416
確かに、このような公開の場でお話できることには、限りがあります。
しかし、それでただ沈黙してしまっては、ご縁にならないでしょう?
ですから、御開山も御本典を遺されましたし、蓮師も御文を遺されました。
そして、一般の方向けに、法話もなさったのです。
法話は、角有るところを聴かねばなりません。
そして、宿善の機は、「足りないお話」であることに、気付くのです。
御本典を読むにしても、御文様を読むにしても、
「結局、南无阿彌陀佛が何かは書いていないじゃないか! どうすればいいんだ?」
と嘆くような読み方、それでも諦めきれずに、本の中に探すような読み方が良いのです。
それでも、
◎『御文』はこれ凡夫往生の鏡なり。『御文』のうへに法門あるべきやうに
思ふ人あり。大きなる誤りなりと云々(聞書177)
です。ですけれども、納得行くまでは、探されたらよいのです。
いずれは、「善知識を尋ねよ」と書いてあることに気付くでしょう。
南无阿彌陀佛
421:298
08/01/30 14:07:12 vXfK6vNX
>>412
あくまでも易行です。ぜひ、今生で信をお獲り下さい。
いずれは弥陀に救っていただけるとは言え、
わざわざ、苦しみの転生を長引かせることもありません。
共に浄土に参り、衆生済度を致しましょう。
422:298
08/01/30 14:21:33 vXfK6vNX
>>412
悩まれる方の多くは、信心為先であることも、易行であることも、弥陀が機を問わないことも、
心のどこかで信じられないのです。
ですので、あれこれ理解しなくてはいけないとか、教義を理解しなくてはいけないとか、
罪悪感を深めねばいけないとか、自分の機を扱ってしまいます。
(これらはすべて、必要の無いことです。)
弥陀の救いは、そのようなものではありません。機を問わずに、他力にて、
お救いくださいます。
今のままの身と心で、そのままで、弥陀のもとに参ればよいのです。
423:298
08/01/30 14:29:06 vXfK6vNX
>>422
>悩まれる方の多くは、信心為先であることも、易行であることも、弥陀が機を問わないことも、
>心のどこかで信じられないのです。
これは、「信じられない」のがいけない、という意味ではありません。
信じられないから、悩んでしまう、という意味です。
そのままで、信じられずに、悩んでいるままで、弥陀をたのめば良いのですが、
そのためには、次第相承の善知識に遭い、六字のいわれを聞き開くことが必要なのです。
多くの法話では、「そのままで、信じられずに、悩んでいるままで、弥陀をたのめば良い」で
話しが終わってしまいますので、「でも、どうやって弥陀をたのんだらいいんだ?」と
聴いた方が、また悩まれてしまうと思います。
ですので、批難が起こることもわかった上で、「そのためには、次第相承の善知識に遭い、
六字のいわれを聞き開くことが必要」とまで、私は申し上げます。
これは、蓮師に倣っています。
424:298
08/01/30 16:05:23 vXfK6vNX
>>403
地上の生活でも、遠くに参るときには、飛行機や電車の切符を手配致します。
尊敬される方の説法、あるいは、好きなミュージシャンのコンサートがあると聴けば、
あるいは、好きな画家の展示会があると聴けば、
切符を手配して、かけつけることでしょう。
本師本佛であらせます極楽浄土の教主阿彌陀如来様は、
私たち凡夫を、希望者は全員、招待してくださっています。
私は、如来の説法を直に聴きたいと思い、
浄土往生を希望し、弥陀をおたのみ申し上げました。
ですから、死後を楽しみにしているのです。
この地上へのご縁が切れましたら、極楽浄土へと参ります。
425:298
08/01/30 16:15:48 vXfK6vNX
>>405
通常の感性であれば、たとえば虫を見て、「どうにかして救ってあげたいなあ」と
智慧を尽くして、虫にわかってもらおうとは、思いつかないと思います。
私など、子供の頃、簡単に虫を殺していました。
慈悲心がない恐ろしい存在であることが、よくわかります。
我ながら、ぞっと致します。今でも、体内の免疫系も、日々殺生していることでしょう。
どうやっても、救われない存在であると思います。
弥陀におたよりする由縁です。南无阿彌陀佛