08/01/18 19:30:21 YxW2nbKd
>23補足
「宿善の機=救いを求める者」と規定することは、阿弥陀如来の救済対象を
限定することにもなりかねません。
宿善開発を信心獲得・信心決定と言うのですから、必ず救いを求める行為があって、
信心決定することとなりますね。逆から言えば、救いを求めること無き者は、
宿善の機ではない。即ち信心決定は不可能と言うことを暗に示しています。
浄土真宗の方々にとっては、これは重大事でしょう。
このような浄土真宗の教義全体に関わる重大事を
親鸞聖人が述べておられない訳がありません。
故に、出拠はいくらでもあるはずですから、挙げて下さいと言っているのです。
もし、これが密意であって、表向きに説かれていないとするのならば、
「めずらしき法もひろめず」と『歎異抄』に書かれている言葉と矛盾し、
親鸞聖人は、一番大切である宗義において両舌を犯している事になります。
あと、>22の解釈はおかしいですよ。こちらも出拠をもう一度確認されてみたら如何でしょう。