08/01/25 01:39:24 W4UC9HIh
>>197
私は疑い深いので、「自分は本当に弥陀をたのんだのか?」
「これが真実信心なのか?」「思い込みではないのか?」と
考えてしまうのです。
201:神も仏も名無しさん
08/01/25 01:42:11 Ez6dcgcr
>>199
納得しました。
202:298
08/01/25 01:45:39 W4UC9HIh
>>201
こんな短い説明で、ある程度でも納得できるなら、
かなりの可能性で、弥陀に縁のある方であると思います。
有縁を辿り、弥陀をたのんでください。その、生涯ただ一度の廻心により、
極楽往生が治定致します。
我らが廻心するための無上方便が、南无阿彌陀佛です。
203:神も仏も名無しさん
08/01/25 02:02:18 5U1X8fmA
>200
我思うゆえに我ありという言葉があります。この我を凡夫と置き換えたらどうなるでしょう。
凡夫思うゆえに凡夫あり。虚仮不実の凡夫が思う故に虚仮不実の凡夫あり。
正にパラドックスです。虚仮不実の私が疑ったことが、
正しい解答を導きことが出来るでしょうか。
疑うも、凡夫の思い。真実だと思うも凡夫の思い。
真実を凡夫の内に求めることが可能でしょうか。
もし可能でないならば、もはや真実は悟りの言葉に求めるしかなくなります。
若不生者不取正覚とは仏の言葉でありました。
凡夫の疑いなど、何様のものでしょう。悟りの言葉の前には、
閉口するより他ありません。
204:298
08/01/25 02:09:19 W4UC9HIh
>>203
疑ってばかりの凡夫を救う、弥陀の本願です。
凡夫の信など、全くたよりになりません。
南无阿彌陀佛という、はっきりとしたものがございます。
この六字のいわれを次第相承の善知識より聞き開き、弥陀をたのむまでは、
極楽往生は治定致しません。
どれほど救われたと思い込んでも、いたずら事ですし、
弥陀をたのんだのであれば、どんなに疑っても、極楽往生治定に変化はありません。
疑おうが、疑うまいが、どちらでも良いのです。ですけれども、凡夫であれば、
疑うのが通常です。そして、疑っても、障りにはなりません。
どんなに疑っても、地獄には堕ちません。極楽往生治定です。
閉口するも、しないも、どちらでも良いのです。弥陀をたのんだかどうかが肝心です。
205:298
08/01/25 02:12:45 W4UC9HIh
>>203
>若不生者不取正覚とは仏の言葉でありました。
これも、信をいただく前に信じろと言っても、無理でしょう。
信をいただいたからこそ、「仏説まこと」とわかるのです。
お聖教一文字も読まずとも、弥陀をたのめば信心決定致します。
206:298
08/01/25 02:20:24 W4UC9HIh
これは私の領解ですけれども、まずはとにかく信心為先であって、
弥陀から信心をいただき、それからお聖教を読みますと、
「仏説まこと」とわかりますし、お聖教と違わぬ信心をいただいたことが、
うれしくてうれしくて、ありがたくてありがたくて、となるものだと思います。
207:298
08/01/25 04:41:11 W4UC9HIh
>>201
仏の目から見れば、私たちが殊勝な心、良い心を起こしたつもりでも、
それは地獄往きの悪業であるのです。
良い心を起こしたつもりでも、名利も潜みます。
いわゆる悪人と自分を比べて、本当に自分が善人であるかということです。
つくづく、自分でもどうにもならぬので、弥陀をたのむのです。
208:神も仏も名無しさん
08/01/25 13:02:58 Ez6dcgcr
仏教では、新米出家者は、必ず先輩出家者(和尚)の弟子にならなければいけなかったし、
善知識という存在は、どの宗派でも、重要視されますね。
やはり、宗教は知識や学問とは違い、神秘主義的側面があるので、
覚者からの直接の口伝や、その人格を通じて霊的感化力にふれることで、覚醒が促されるということなのでしょう。
209:神も仏も名無しさん
08/01/25 20:58:17 TSJI4IdC
そのような場合もあるでしょうね。
そのように霊的現象を見させて導く事もあるでしょう
宿善ある人にそのように如来が回向してくださるのでしょう
短絡的に如来と書いたが、十方諸仏・諸菩薩方が縁ある人を見逃さないのでしょう
諸仏・諸菩薩方が十八願へと導くのでしょう
その謂れを人が受け入れた時、世界感は反転し、なにものにも妨げられない境地をも頂くのでしょう
210:298
08/01/26 04:51:49 hpPaAQGK
>>50
>問題を複雑化しているのは、298さんご自身だとは思いませんか?
問題の発端は、あなた様のご主張が、「(私の書いていることが)わからない」ではなく、
「(私の書いていることが)誤っている」という内容であることにあると思います。
「誤っている」ということであれば、そして、あなた様のように出拠にこだわる方であれば、
矛盾する出拠を書くことができるのではないでしょうか。
もし、出拠が無いのであれば、そして、「わからない」と感じるのではなく、
「間違っている」と感じるのであれば、あなた様の心の中に、是とされる教義があり、
それに基づいて判断されているのだと思います。
思い当たる教義があるのではありませんか?
それを明らかにせず、書き続けるのは、なぜですか?
211:神も仏も名無しさん
08/01/26 11:46:48 1g+fOa/j
質問ですが、
極楽浄土というのは、
臨死体験での報告、スウェーデンボルグ等の見霊者の報告、各種霊界通信(スピリチュアリズム、チャネリング)での報告、
諸宗教の説く死後の世界、超心理学(科学)等の主張する別次元高次元世界が実在するという主張、
とリンクしてくるものなのでしょうか?
それとも、全く別の観念的(空想、フィクション)なものなのでしょうか?
212:298
08/01/26 13:51:55 uU3H1urN
>>211
リンクするかどうかは、その内容まで知らないと、私にはわからないです。
それに、「リンク」の意味にもよります。
たとえば、死後の世界に全く興味のない方が、それらの内容から
興味を示し、なんとなく輪廻を感じて、死後のことを気にし出し・・・
という感じで、弥陀の救いに導かれてくる「リンク」もあると思います。
「全く別の観念的」ということですと、「観念とは何か」がむずかしくなってしまいます。
あなた様が認識している、この娑婆世界も「観念」とも呼べます。
弥陀の救いが何かということの概要は、一般に本がたくさん出ていますので、
それを読んでゆけば、わかると思います。
私がこのスレで書いている内容は、一般的な内容だけでは飽き足らない方のための
内容を中心にするように意識していますが、一般的な法話も、導きという意味で、とても大切です。
それとも、そのような法話を聞いたり読んだ上でのご質問でしょうか?
213:神も仏も名無しさん
08/01/26 14:52:27 1g+fOa/j
>>212
そんなややこしいことではなく、
単純な疑問ですよ。
真宗で言う死後の世界である極楽浄土と、
一般で言われるところの死後の世界(天国、黄泉の国、霊界等)とは同じなのか、違うのか?ということです。
最近では、霊能者の江原氏なんかが、霊界についていろいろ、言ってますよね。
そういう世界とどう違うのか?
また、ここでの言う観念的とは、娑婆世界と同じように死後の世界も実在すると捉えるのではなく、
浄土というのは、観念として(空想)のみの存在なのか?という意味です。
最近では、5割以上の方(外国では10割のところもある)が、死後の世界の実在を信じているそうです。
お坊さんは専門用語で誤魔化すので、このあたりの答えを明瞭に聞いたことはありません。
214:298
08/01/26 15:30:13 uU3H1urN
>>213
申し訳ありません、公開の場ですと、どのようなことばづかいをしたら良いのか、
よくわからない面もあるのです。
「単純に」ということですので、単純化して、私の考えを書きたいと思います。
また、本来、真宗は一切衆生を救うための教えですから、
難しくする必要はないですのに、簡単な程良いはずですのに、
ついついわかりにくい書き方をしてしまい、誠に申し訳なく思っております。
これは、私共の悪い癖でございます。
お聖教ほぼ読まずして救われ、救われた後も教学をなさらない方の
お話の方が、響くかもしれませんが、そのような方々は、
書くこともなさらないので、身近にいらっしゃらないと、
お話お伺いする機会も、なかなか無いと思います。
霊界についていろいろ、ということであれば、全然違うと思います。
極楽浄土がどのような場所なのかについては、往生要集に書いてありますので、
現代語訳をざっと読んでみれば、概要はつかめると思います。
弥陀をたのまない限り、弥陀如来の極楽浄土に参ることはできません。
一般に言われる霊界は、六道輪廻に近いのだと思います。
また、実在についてですが、弥陀に救われることを考えた場合、
娑婆世界と同じように実在するという捉え方で、何の問題もありません。
その捉え方の方が、簡単で実用的だと思いますし、
凡夫がそれ以外の捉え方をしようとすれば、難しくなってしまうでしょう。
我らからすれば、この娑婆世界そのものが、弥陀の救いのための方便なのです。
さらに興味あれば、信を獲られた後に、教学をすすめれば良いと思います。
ごまかす方もいらっしゃるかもしれませんが、捉え方の枠が違いますと、
ひとことで説明することも困難ですし、誤解を恐れる気持ちがはたらくこともあると
思います。後は、批判をおそれるのでしょう。場合によっては、信を獲られていない方も
いらっしゃるのでしょう。
この書き込みでも、疑問が残ると思いますので、どうか遠慮なさらずに、
不審の点を、重ねて問うていただけたら、ありがたく思います。
215:神も仏も名無しさん
08/01/26 15:58:28 1g+fOa/j
>>214
極楽浄土は、娑婆世界と同じように実在すると思っても差しつかえない。
しかし、一般的に言われている死後の世界(霊界)というのは、仏教でいう迷いの六道の世界に相当する。
極楽浄土は六道輪廻を超えた世界である。
こういうことですね。
しかし、一般的に言われている死後の世界(霊界)でも、最近の情報によると、
階層構造をなしており、より高次な世界、神々の住む世界、強制的な輪廻から解脱した世界があるということです。
仏教でいえば、無色界といわれる領域にあたります。
こういうことは、西洋の神智学、人智学、アランカルディック等の霊実在論哲学、新宗教、ニューエージ思想等でも言われています。
極楽浄土と、このような高次な世界がリンクする可能性はありませんか?
216:298
08/01/26 16:10:23 uU3H1urN
>>215
高次な世界は天界どまりだと思います。
天界においては、寿命が非常に長い世界があります。
そこの住人は、自分の寿命を無量と誤解しているケースがあることが、
仏典に記述してあります。
そこまでの知識がおありであれば、仏典の現代語訳に直接あたってみていただければ、
得るものが多いのではないかと思います。
解説書を読むよりも、現代語訳をおすすめします。
極楽浄土とのリンクですが、極楽浄土から、他の佛国土へと、還相廻向となって、
済度に生まれることができます。
佛国土ごとに、また六道を具しています。(六道すべてが有るとは限りません。)
どの佛国土に生まれるにしても、その生まれるのは「果」ですから、
「因」が必要です。
阿弥陀如来の極楽浄土に生まれるためには、「南无阿彌陀佛」という因が必要です。
私も、自分が救われることと、有縁の方が救われることを優先して学びましたので、
仏教のコスモロジー(宇宙論)には、詳しくありません。
ここに書いたことにも、間違いがあるかもしれません。
ですけれども、弥陀をたのまずして、極楽浄土に生まれることは、無いはずです。
217:神も仏も名無しさん
08/01/26 16:38:48 1g+fOa/j
>>216
ありがとうございす。
極楽浄土と仏教のコスモロジーである三界(欲界・色界・無色界)との関係について、調べてみたいと思います。
218:神も仏も名無しさん
08/01/26 16:39:45 1g+fOa/j
訂正
ございす→ございます
219:298
08/01/26 16:43:46 uU3H1urN
>>217
今手元にありませんが、比較的入手しやすい経典があれば、
今晩にでもお調べして、経典名もご紹介したいと思います。
「三千大世界」などもキーワードですので、調べてみて下さい。
漢文経典は、一切経がインターネットで公開されているのですが、
敷居が高いです。基本的には、春秋社から出ている原始仏典が
(現代語訳ですので)読み易いと思います。
漢文が大丈夫であれば、とてもアクセスしやすくなります。
220:298
08/01/26 16:52:46 uU3H1urN
>>217
私は一切経を通読しておりませんが、私たちの間では、
一切経を幾たびも通読すると、その結論として、「南无阿彌陀佛」が
浮かび上がってくるというようなことが言われているわけです。
そのようなことを、素朴に信じているわけですね。
ですので、いろいろ学ばれると、良いと思います。
221:神も仏も名無しさん
08/01/26 17:00:56 1g+fOa/j
>>220
素朴な信仰は、素晴らしいですね。
ついでながら、高次な世界の無色界というのはやはり、天界より上位になります。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
222:神も仏も名無しさん
08/01/26 18:03:45 1g+fOa/j
どう考えればいいのでしょうか?
浄土 (ジョウド )
菩薩は成仏を目指して修行する。その修行の成果は、彼が仏に成った時に住むことになる新世界=「仏国土」に反映される。
この「仏国土」こそ「浄土」に他ならないと一般に理解されているが、実は「浄土」と云う観念は中国で形成されたものなのである。
インドでは「仏国土」は想像されたが、これは「浄土」ではない。仏国土を「pure land」と捉えたのは中国人の願望だったのである。
従って、大雑把に言えば「浄土」に関する信仰は漢訳仏典の世界にのみ存在するものである。
しかし、ここでは「浄土」に関する言説を扱うので、受容した側の心性に合わせて「仏国土=浄土」と前提して話を進めることとする。
さて、最も有名な浄土は阿弥陀仏の西方極楽世界である。
極楽世界は阿弥陀仏の本願によって創造された。大地も街路樹も何から何まで宝石でできていて、
全てが金ピカに輝いている豪壮な世界である。
この極楽の起源については、アフラ・マズダーやアメンテやエデンの園やエリューシオンやヴァルナやヴィシュヌやヤマや転輪聖王や
北倶盧州や他化自在天や梵天や仏塔や…に結び付けて諸説紛々だが、定説は無い。
さて、極楽が余りに有名になったので、後から造られた浄土創造の神話は何某かの形で極楽を引き合いに出さざるを得なくなった。
例えば薬師如来の東方浄琉璃世界は極楽と全く同じ作品である。
それどころか文殊菩薩は、大海と水滴の差くらいに極楽よりも優れた浄土を建設する。
果ては部下であるはずの観音菩薩までが弥陀を乗り越え、極楽の更に百億万倍優れた浄土を建設すると云う神話まで現れる。
ライバル阿シュク如来の東方妙喜世界には極楽世界との比較は無い。しかし同じ理想の世界に大した違いができる訳が無く、
多くの類似点が、特に初期の極楽浄土との間に見受けられる。
但し、釈迦如来がこの娑婆世界そのものを浄土としたように、浄土は三界の外とは限らない。
223:神も仏も名無しさん
08/01/26 20:17:21 RFwT4BzL
凡夫の私が阿弥陀仏の極楽世界に生まれることができるなら、それ以上はないと考えます。
224:神も仏も名無しさん
08/01/26 21:09:42 PXUiKO4d
>>223
南無阿弥陀仏
225:298
08/01/26 21:38:06 uU3H1urN
>>222
まず、ご引用のテキストなのですが・・・
とりあえず、そこに書かれていることは、あまり気にせずに、
もっと一般的な本から読まれることを、お勧めします。
あまり真剣に浄土を求めている方の文章とは、
感じられないのです。
「一般的」と言っても、主観が入りますし、
何をより真実と思うかも、各自各様ですけれども、
たとえば、岩波文庫の三部経ですとか。
そして、私たちの考えでは、釈尊の教えがずっと相承されてきていて、
今に伝わっているということになるのですから、
「極楽の起源」は、「釈尊の説法」ということになります。
それは、おそらく少数派の考え方でしょう。
ほとんどゼロに近いくらいかもしれませんね。
「本当に易行です」と言い切るだけでも、少数派かも知れないくらいです。
ですから、「何を本当と感じるか」は、各自各様であると言えると思います。
226:298
08/01/26 21:46:42 uU3H1urN
>>221
リンク先を見てみましたが、よくわからないですね・・・
輪廻を抜けるのは、滅界からだと思っていたのですが。
上にも書きましたが、実際不勉強ですので、違うかもしれません。
極楽浄土との関係等、わかりましたら、教えてください。
227:298
08/01/26 22:06:37 uU3H1urN
>>223
本当に、そうですね。本師本佛が、我らのために建立してくださったわけですからね。
しかも、南无阿彌陀佛という招待券つきです。自力では、行けないくらいの場所ですから。
なんとたとえたら、いいんでしょうね。
たとえば、ディズニーランドの入場料が一千兆円だとして、凡夫はそんなに稼げないので、
しかもお金であげるとロクなことに使わないですから、一千兆円の価値がある入場券を
プレゼントする感じでしょうか。
228:神も仏も名無しさん
08/01/26 23:14:14 1g+fOa/j
>>225
>「極楽の起源」は、「釈尊の説法」ということになります。
>それは、おそらく少数派の考え方でしょう。
>ほとんどゼロに近いくらいかもしれませんね。
>「本当に易行です」と言い切るだけでも、少数派かも知れないくらいです。
>ですから、「何を本当と感じるか」は、各自各様であると言えると思います。
少数派を誇るのであれば、一般的な心霊主義(オカルト)もそうですね。
現代においては、もったいぶる(秘儀ぶる)は必要はないでしょうね。
229:298
08/01/26 23:35:45 uU3H1urN
>>228
必要があるかはわかりませんが、そのようなことになっております。
228様の信じる道を行かれたら、よろしいと思います。
230:神も仏も名無しさん
08/01/26 23:44:15 1g+fOa/j
>>229
>そのようなことになっております
人ごとですか?
231:298
08/01/26 23:45:24 uU3H1urN
>>230
すみません、端的な表現で、意味がよくわかりません。
できましたら、いま少し御説明を御願いします。
232:神も仏も名無しさん
08/01/26 23:58:20 1g+fOa/j
>>231
>そのようなことになっております
というのは、他人行儀な表現であって、
本音ではなく、たてまえで、そうあるべきはずなのに、と言う意味にとれます。
あなたの本音では、
「一般的な死後の世界と極楽浄土の違いはよく解らないけど、違うようにした方が付加価値が付く」
もしくは、「求道した私の考えと、一般庶民とは違う」と、
もしくは、「これ以上の対話は出来そうもないので、適当にあしらっておこう」
と思っているのではという疑惑が生じたのです。
233:298
08/01/27 00:08:18 BSmRIUGS
>>232
なるほど、そういうことですか。他の方からも、たびたび私のことば不足で
疑いを引き出してしまっており、誠に申し訳なく思います。
お手数かけてしまいましたが、ご説明くださり、ありがとうございます。
このスレを見るだけでも、幾分かは感じられるかと思うのですが、
もちろん、できますことならば、弥陀の救いを説きましたときに、
「なるほど!」と多くの方が帰命してくださるならば、
そんなにうれしいことはございません。
ひとりでも多くの方が、今生にて弥陀に救い摂られることを望んでおります。
しかし、現実問題として、これは難信之法であり、
うなづく方がなかなかおりません。
私のはからいを超えた出来事である、というような意味です。
私が望んだところで、どうにもならず、これは、弥陀のお育てに
おまかせするしかない所なのです。
それに、信じない方を強く説得するようなことはしてはいけないことになっているのです。
もちろん、不必要な誤解は招かぬように、表現には気をつけねばなりません。
たびたび指摘されているのですが、いまだ十分に改善できていないということだと思います。
ですので、思うところを説明してくださると、本当に助かります。
234:298
08/01/27 00:11:40 BSmRIUGS
>>231にて、「端的でよくわからない」と申しましたけれども、
そもそも、>>229の私の発言が端的であり、わかりにくいものであったと
反省しております。
振り返りますれば、表現の手間を省いてしまったことは、否めません。
誠に申し訳ないことです。私は至らぬ凡夫ですが、弥陀は本物です。
235:あんこ入り☆パスタライス
08/01/27 00:28:46 88W4/AzT
>>234
298さん、よろしくお願いします
他者に対して
> 弥陀は本物です
と言い切れる理由を教えて頂きたいと思いました
私としては「私は~と思います」と言うのが自分の考えや理解を他者に表現する限界だと思っているのでこう思いました
236:298
08/01/27 00:29:18 BSmRIUGS
>>232
また、私は、自分自身の本音もよくわからないような修行の足らない凡夫ですので、
私の本音も、ご指摘の通りかもしれません。
自分のことは、自分ではよくわからないと言いますから・・・
ひとまず、自覚している内容をお書き致します。
>一般的な死後の世界と極楽浄土の違いはよく解らないけど、違うようにした方が付加価値が付く
これは、付加価値が付くというよりは、「実際に違う」というように考えております。
私の主観的な気持ちを申しますならば、弥陀をたのむ前と、後とでは、
死後への不安が全く異なります。現在では、「救われて良かった」と安堵しております。
しかし、今後この気持ちがどう変わるのか、凡夫の私には、自分のことながら、
わからないのです。
>求道した私の考えと、一般庶民とは違う
これは、「一般庶民」あるいは「求道」のニュアンスのなのですが、
真宗の救いというのは、「南无阿彌陀佛」の六字にすべておさまっており、
そして、この六字は、易行なのです。ですので、誰でも行ずることができる
非行の行なのです。
この行を行じた方を、人中の分陀利華、あるいは、妙好人と呼びまして
讃えるわけですが、易行ですから、望む方であるならば、誰でも行じることが
できるのです。
私も、あくまで一般庶民であります。偉いのは、弥陀なのです。
ごく当たり前の一般庶民が、弥陀如来のご修行の成果を受け取る易行が
南无阿彌陀佛でございます。
私が偉いのではありません。よく思い出すのは、イソップ物語の、
神像を運ぶロバです。岩波文庫のイソップ寓話集を近くに置きまして、
戒めとしております。182のお話です。とても短いお話ですが、
真宗の獲信者にとりまして、本当に大切なお話であると思っております。
237:神も仏も名無しさん
08/01/27 00:33:46 R46LctlO
298さんは、信心を得ていらっしゃるのは良く分ります。
そして、真摯な対応からも、一人でも多くの人に信を得て欲しいという気持ちも良く分ります。
やっぱり、信を得るということは、凄いことだし、憧れでもあります。
一般的な疑問としては、やはり、真宗で言う極楽浄土と、
超心理学や一部の物理学者、霊能者、宗教家の言う死後の世界
との関連を、是非とも、究明していただきたいと思うのであります。
それは捉え方が違うとか、違う世界だとか、空だとかいわずに、現代的な言葉で語ることが、
「なるほど!」と多くの方が帰命することになるのだと思うのです。
私の本音としては、一宗一派にこだわらず、万教同根だと、言ってほしかったのです。
238:298
08/01/27 00:36:08 BSmRIUGS
>>235
これは、うまく表現できませんが、たとえば、「明日は月曜日です」というのは、
凡夫でありましても、通常断言ができる範囲であると思います。
実際、獲信しまして、南无阿彌陀佛を体験致しまして、
また、お講にて他の獲信者とお会いしまして、
善知識様からお話を聞きまして、また、自身の経験からも、
そして、御文様等を読んでおりましても、また、生活の変化からも、
生活上の実感からも、「これは、確かに仏法だ」と私は嘆息致しました。
断言と言っても、「~と>>235
これは、うまく表現できませんが、たとえば、「明日は月曜日です」というのは、
凡夫でありましても、通常断言ができる範囲であると思います。
実際、獲信しまして、南无阿彌陀佛を体験致しまして、
また、お講にて他の獲信者とお会いしまして、
善知識様からお話を聞きまして、また、自身の経験からも、
そして、御文様等を読んでおりましても、また、生活の変化からも、
生活上の実感からも、「これは、確かに仏法だ」と私は嘆息致しました。
断言と言っても、「~と思います」の強い形であることは、間違いないことであると思います。
ですから、「絶対に絶対に絶対ですか?」と問われますならば、
「そう信じております。真実は違うかもしれません」と答えざるを得ません。
これは、私の認識能力はたいしたことありませんから、
私自身、強く思い込んでいるに過ぎず、誤解しているかもしれないからです。
「強く信じています」と毎回明示して表現致しますと、
かえって誤解されそうですので、断言形で書いている感じです。
思います」の強い形であることは、間違いないことであると思います。
ですから、「絶対に絶対に絶対ですか?」と問われますならば、
「そう信じております。真実は違うかもしれません」と答えざるを得ません。
これは、私の認識能力はたいしたことありませんから、
私自身、強く思い込んでいるに過ぎず、誤解しているかもしれないからです。
239:298
08/01/27 00:48:52 BSmRIUGS
>>237
真宗は、昔から、「おかしく、汚き宗」であると言われているのです。
「衆生が欲に踊らされて、夢を見ているだけ」のように批判もされますし、
仏法者でありますならば、「衆生をだまして仏道から遠ざけている」のような
批判もされるのです。
そしてそれは、無理が無いことだと、自分でも思います。
転生を重ねながら修行していらっしゃる禅宗の方がいらっしゃるとします。
我ら凡夫よりも、当然のことながら修行が進んでおり、
心境も進んでおります。
しかし、真宗の教義というのは、そういう方々をさておいて、
一念帰命致しましたならば、盗賊団に属するような方々でも、
手のひらを返すように、簡単に次如弥勒の等覚の位に住すると言うのです。
信じろという方が無理なことも、わかるのです。
ですけれども、希にこのような変わった教えを信じてくださる方が
いらっしゃいます。
ひょっとしたら、将来、物理学等で、解明もされるのかもしれません。
そうなれば、より多くの方が一念帰命するのかもしれません。
すべて、弥陀が計画されていると思います。
真宗では、すべては、南无阿彌陀佛につながる方便である、のような
捉え方を致すのです。これを、そのまま他宗や仏教徒でない方に言いましたら、
「なんと傲慢な!」と思うでありましょう。
これはどうなっているかと言いますと、「あくまでも、私にとりましては」という
ことになります。
私という悪機は、弥陀にたよらざるを得なかった、という捉え方になります。
ご自身で修行のできる尊い方は、そちらで求道してゆけば良いのですが、
自分ではどうにもならない私たちは、弥陀をたのんで、
弥陀に救っていただいたのです。
私の場合も、いろいろなものにおちこぼれまして、おちこぼれておちこぼれて、
最後に一番低い、弥陀の救いに救い摂っていただきました。
弥陀は機を問いませんので、一番低く、一番広い救いであると私は
思っております。
240:298
08/01/27 00:52:54 BSmRIUGS
>>238
うまく書き込めず、読みにくくなってしまいました。
申し訳ありません。
241:298
08/01/27 00:58:47 BSmRIUGS
>>237
>やっぱり、信を得るということは、凄いことだし、憧れでもあります。
信を獲ることは、とてもとても凄いことだと、私も思います。
そして、私も憧れ、求めました。
弥陀の救いの場合は、凡夫の側には、何も難しいことはありません。
とても凄いことが、簡単にできる、だからこそ、本当にすごい、と
私は思っています。
難信にして易行、易行にして確実です。
易行というのは、「こんなに易しいのに、なぜわからないのだ!」のように、
人をいじめるための詭弁ではありません。実際に、易しいのです。
242:神も仏も名無しさん
08/01/27 01:00:48 R46LctlO
>>239
それは、他の宗教でもそうですよ、罪は許されます。
宗教間対話が望まれる時代において、
弥陀=神(宇宙意志)
だと思ったら駄目ですか?
弥陀というのは、特殊な神なのですか?
それともやはり、「南無阿弥陀仏という称名」という行為にこだわらないといけないのでしょうか?
243:298
08/01/27 01:02:33 BSmRIUGS
>>232
>これ以上の対話は出来そうもないので、適当にあしらっておこう
このように感じられてしまうのは、2つの理由があると思います。
1)他宗他派他人の誹謗は避けよと教えられています。
2)他州他派他人に(仏法を)誹謗させてはいけないと教えられています。
後者につきましては、先方からすれば大きなお世話かもしれませんが、
我らからすれば仏法の誹謗は大罪でございますので、
そのようなことをさせるわけには参りません。
ですので、小出しに小出しにお話することになります。
244:あんこ入り☆パスタライス
08/01/27 01:03:27 88W4/AzT
>>238
298さん、率直にご自身のお考えをお答え頂きましてありがとうございます
298さんにも、他者に「弥陀を本物だ」と言い切れる理由はないと理解しました
でも、私の理解が間違っていたら訂正してくださいね
私は「弥陀を本物だ」と他者に言い切れるようになりたいと思っていましたが、獲信後にID:R46LctlOさんが言われる方向で思索した結果それが無理なことだと思いました
それなので、なぜ言い切れるのだろうと疑問を抱いたわけでした
245:298
08/01/27 01:09:08 BSmRIUGS
>>242
真宗では、弥陀は本師本佛と言われます。
久遠の弥陀がおりまして、辿ればすべての如来も、
弥陀の導きによって成仏したと言われます。
宇宙意志云々に付いては、できましたら、
原始仏典第一巻第一経(春秋社)をお読みください。
弥陀は、宇宙意志ではありません。
宇宙を超えて届く光を発しておられます。
「神」という単語の定義にもよりますが、
弥陀はこの宇宙の創造神でもありませんし、
それに、仏教では、複数の宇宙を扱いますし、
宇宙の寿命よりも、さらに永い時間についても扱います。
我らが捉える真宗では、「南无阿彌陀佛という称名」には、
どうしてもこだわらねばなりません。
真宗から南无阿彌陀佛を取りましたら、もはや真宗ではありません。
南无阿彌陀佛を取り出しまして、残りを抽象化することは、
できないのです。
逆に、南无阿彌陀佛だけを残しますなら、これは真宗です。
これは、信を獲りましたら、わかります。
246:298
08/01/27 01:15:17 BSmRIUGS
>>244
あんこ入り☆パスタライス様は、獲信者でいらっしゃいますか?
では、>>165のリストは、わかりますでしょうか?
あんこ入り☆パスタライス様の信心は、おそらく、>>165は
通過できると感じる可能性があると思います。
しかし、もし、齟齬の感覚がありますならば、それを大切にしてほしいです。
ですので、あんこ入り☆パスタライス様のために加えますならば、
「もし、有縁の方で求める方がいらっしゃるならば、
カンタンに獲信していただくことができますか?」です。
>>245にお書きしたこととも関連致しますが、
南无阿彌陀佛は弥陀の無上方便であって、
俗諦です。真諦には、どのようにアクセスしたか良いかわからぬ
私たちのための、方便です。
あんこ入り☆パスタライス様の信心では、
南无阿彌陀佛が必須でしょうか? 南无阿彌陀佛抜きでも、
思索によって得ることできる信心でしょうか?
247:神も仏も名無しさん
08/01/27 01:21:53 R46LctlO
>>245
>複数の宇宙を扱いますし、
>宇宙の寿命よりも、さらに永い時間についても扱います。
これは古代の秘儀や、神秘主義、オカルティズム、ベーダなどのインド思想、シャーマニズムも同じです。
ヘルメス学とか、古代エジプトの「エメラルドタブレッド」とか知ってますか?宇宙思想について説いてますよ。
「神」というのは、昔からの腐るほど議論し尽くされています。
むしろ、現代よりも、「神」議論、「神」信仰は活発だったのですよ。
もちろんそれは、大乗仏教における、ビルシャナブツ、大日信仰しかり。
阿弥陀は至高神なのか、それとも人格神なのか、精霊なのか、観念なのか、妄想なのか?この答が知りたいのです。
248:あんこ入り☆パスタライス
08/01/27 01:26:48 88W4/AzT
>>246
> あんこ入り☆パスタライス様は、獲信者でいらっしゃいますか?
自分ではそう思っています
> では、>>165のリストは、わかりますでしょうか?
自分の理解でいいのであれば分かります
しかし、私の言う「分かる」と298さんの仰る「分かる」同じかは分かりません
ですので、正確には「分かるとも分からないとも言えます」としかお答えすることができません
> 「もし、有縁の方で求める方がいらっしゃるならば、
> カンタンに獲信していただくことができますか?」です。
私は救済者ではないので分かりません
何をもってカンタンと判断すればいいのかも分かりません
ごめんなさい
> >>245にお書きしたこととも関連致しますが、
> 南无阿彌陀佛は弥陀の無上方便であって、
> 俗諦です。真諦には、どのようにアクセスしたか良いかわからぬ
> 私たちのための、方便です。
> あんこ入り☆パスタライス様の信心では、
> 南无阿彌陀佛が必須でしょうか? 南无阿彌陀佛抜きでも、
> 思索によって得ることできる信心でしょうか?
私にとっては必須だったと思います
ただし、南无阿彌陀佛の六文字に限定する必要はないと私は理解しています
親鸞さんもそういう理解だったと把握しています
249:298
08/01/27 01:40:11 BSmRIUGS
>>247
もし、その答を今生にて本当に知りたいということでしたら、
私の知る範囲では、易行門ではなく、聖道門に入り、
神通を得るためにご修行なさるしかないのではと思います。
ただし、私はそちらには詳しくないのです。
弥陀の救いは横超の道であって、自身は縦に登らなくとも、
他力によって、わからぬままで、救い上げてもらうのです。
私は2chにも詳しくないのですが、聖道のスレもあるのでは
ないでしょうか?
250:298
08/01/27 01:43:28 BSmRIUGS
>>248
>ただし、南无阿彌陀佛の六文字に限定する必要はないと私は理解しています
>親鸞さんもそういう理解だったと把握しています
そういうことでありますならば、私の領解と「違う」ということは言えると思います。
つまり、同行でも、同心でもありません。
ですけれども、どちらが正しいのかは、私にはわかりません。
各自の信じる道を行くしかないとしか、わからないのです。
親鸞聖人の名号の理解についてですが、六字名号に限らなかったという
意味でしょうか?
251:あんこ入り☆パスタライス
08/01/27 01:45:33 88W4/AzT
>>250
> 親鸞聖人の名号の理解についてですが、六字名号に限らなかったという
> 意味でしょうか?
そう書いたつもりでしたが・・・分かりにくくてすみません
252:298
08/01/27 01:48:20 BSmRIUGS
>>248
>> 「もし、有縁の方で求める方がいらっしゃるならば、
>> カンタンに獲信していただくことができますか?」です。
>私は救済者ではないので分かりません
>何をもってカンタンと判断すればいいのかも分かりません
>ごめんなさい
これは、我らからすれば、「自力の信」ということになります。
思索による信であり、観念的な理解です。
救済者ではなくても、わかるのです。
出第五門を、いただいていないことになってしまいませんか?
253:神も仏も名無しさん
08/01/27 01:49:00 R46LctlO
>>249
長々とすいませんでした。
他力念仏もまだ生きているだな、と思いました。
254:神も仏も名無しさん
08/01/27 01:49:52 R46LctlO
訂正
いるだな→いるのだな
255:あんこ入り☆パスタライス
08/01/27 01:50:25 88W4/AzT
>>250
> そういうことでありますならば、私の領解と「違う」ということは言えると思います。
そうですか、298さんと私の領解は違うんでね
> つまり、同行でも、同心でもありません。
了解です
> ですけれども、どちらが正しいのかは、私にはわかりません。
> 各自の信じる道を行くしかないとしか、わからないのです。
そうですね、私もそう思います
256:298
08/01/27 01:52:08 BSmRIUGS
>>251
私の理解では、真実行は南无阿彌陀佛です。
257:298
08/01/27 01:54:35 BSmRIUGS
>>251
また、蓮師も「六字のいはれ」とはおっしゃいますが、「九字のいはれ」「十字のいはれ」とは
おっしゃいません。
文字数を変えることによるお示しは、御開山一流のものであると私は考えています。
(不勉強なのでわかりませんが、ひょっとすると、法然聖人も示されているのかもしれません。)
救いの法は同一ですが、方便は積み重ねられてきていると思います。
258:あんこ入り☆パスタライス
08/01/27 01:54:48 88W4/AzT
>>252
> これは、我らからすれば、「自力の信」ということになります。
> 思索による信であり、観念的な理解です。
皆さん(「我ら」から推測)からするとそうなるんですか
> 救済者ではなくても、わかるのです。
凄いですね
> 出第五門を、いただいていないことになってしまいませんか?
出第五門とは、どういうことでしょうか?
教えてください
ところで、298さんの仰る「カンタン」とは、絶対的な言葉なのでしょうか?
私はその言葉の概念の把握ができていないのかな?とも思いました
どうでしょう
259:298
08/01/27 01:56:01 BSmRIUGS
>>255
おそらく、あんこ入り☆パスタライス様の信心では、「同行」自体が、
存在しないのではないでしょうか?
これは、文字通り「同じ」「行」ということです。
五念門は、わかりますでしょうか?
真実行は、五念門を含みます。
260:298
08/01/27 02:02:15 BSmRIUGS
>>258
まず、あくまでも、「六字のいわれ」であって、「九字のいわれ」では無い、と
言われてピンと来ないということは、少なくとも、次第相承の善知識から、
六字のいわれを聞き開いていないと思います。
救済者では無くともわかるのは、もちろんのことで、
そうでなくては、凡夫に救済のお手伝いができません。
「カンタン」というのは、むずかしく考える必要は無く、
真の御同行であれば、「もちろん、カンタンですよ」という領解になります。
これは、無理して表現しているのではなく、自然とうなずけます。
無理してわかったことにしようとすれば、何でも比喩と考えたりすることによって、
わかっていることにできます。
出第五門については、次の書き込みで、御本典から引きます。
もしわかりにくければ、再度ご質問いただければ、うれしいです。
また、御文様を幾度か御拝読したことはございますか? よろしければ、教えてください。
261:あんこ入り☆パスタライス
08/01/27 02:05:19 88W4/AzT
>>259
> おそらく、あんこ入り☆パスタライス様の信心では、「同行」自体が、
> 存在しないのではないでしょうか?
「同行」の存在の有無を問題にしていないというのが、私の率直な感じだと思います
でも、「同行」の意味の理解を間違えているかもしれません
> これは、文字通り「同じ」「行」ということです。
これも、298さんの言う同心ではないので、こだわりどころがイマイチ分からない感じです
> 五念門は、わかりますでしょうか?
興味を抱かなかったので、名称のみ知っているくらいです
詳しくは知りません
> 真実行は、五念門を含みます。
そういうことを書いた文章は散見したことがあります
そのくらいで、この言葉で仰りたい重要性が分かりません
262:298
08/01/27 02:16:51 BSmRIUGS
>>261
とりあえず、「違う」ということは、ほぼ間違いないと思います。
ですので、もし知りたい、興味がある、ということでしたら御説明申し上げるのですが、
現在、獲信しているということで落ち着いているということでしたら、
特に申し上げる必要も無い様に思います。
「真実行」が抜けていて良いという実感でしたらば、我らからすれば、
いたずら事ということになり、真実信心もいただいていないということになり、
極楽往生も治定していないということになります。
もし、蓮師を認めてくださっていらっしゃるならば、
御文様と領解を合わせてみてくださいとしか言えません。
御文様は、我らの信心の合わせ鏡です。
◎そもそも、当流勧化のおもむきをくはしくしりて、極楽に往生せんとおもは
んひとは、まづ他力の信心といふことを存知すべきなり。それ、他力の信心と
いふはなにの要ぞといへば、かかるあさましきわれらごときの凡夫の身が、た
やすく浄土へまゐるべき用意なり。その他力の信心のすがたといふはいかなる
ことぞといへば、なにのやうもなく、ただひとすぢに阿弥陀如来を一心一向に
たのみたてまつりて、たすけたまへとおもふこころの一念おこるとき、かなら
ず弥陀如来の摂取の光明を放ちて、その身の娑婆にあらんほどは、この光明の
なかに摂めおきましますなり。これすなはちわれらが往生の定まりたるすがた
なり。されば南無阿弥陀仏と申す体は、われらが他力の信心をえたるすがたな
り。この信心といふは、この南無阿弥陀仏のいはれをあらはせるすがたなりと
こころうべきなり。さればわれらがいまの他力の信心ひとつをとるによりて、
極楽にやすく往生すべきことの、さらになにの疑もなし。あら、殊勝の弥陀
如来の本願や。このありがたさの弥陀の御恩をば、いかがして報じたてまつる
べきぞなれば、ただねてもおきても南無阿弥陀仏ととなへて、かの弥陀如来の
仏恩を報ずべきなり。されば南無阿弥陀仏ととなふるこころはいかんぞなれば
阿弥陀如来の御たすけありつるありがたさたふとさよとおもひて、それをよろ
こびまうすこころなりとおもふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。(御文5-22)
263:298
08/01/27 02:25:57 BSmRIUGS
◎「出第五門とは、大慈悲をもって一切苦悩の衆生を観察して、応化身を示して、
生死の園、煩悩の林の中に回入して、神通に遊戯し、教化地に至る。
本願力の回向をもってのゆえに。これを出第五門と名づく」(論)とのたまえり。
示応化身とは、『法華経』の普門示現の類のごときなり。
ただし、還相廻向につきましては、詳しい方から、異論があるかもしれない
所です。
264:298
08/01/27 02:27:40 BSmRIUGS
>>253
私としては、長い分には構わないというか、できることなら、
なるべく弥陀の救いに興味を示していただいて、
できることなら、弥陀に救われていただけるなら、
それほどうれしいことはございません。
265:あんこ入り☆パスタライス
08/01/27 02:31:13 88W4/AzT
>>260
ごめんなさい
> 「六字のいわれ」であって、「九字のいわれ」では無い
と言われた印象がありませんでした
どこでのお話でしたか?レスを急いで読み飛ばしてるのかも・・・
> 少なくとも、次第相承の善知識から、 六字のいわれを聞き開いていないと思います。
なるほど、これは
> 「六字のいわれ」であって、「九字のいわれ」では無い、と言われてピンと
来るような話を「次第相承の善知識」はされるから、298さんはそう判断したと理解しましたが
> 救済者では無くともわかるのは、もちろんのことで、
> そうでなくては、凡夫に救済のお手伝いができません。
分からないとできないと思います。同感です
> 「カンタン」というのは、むずかしく考える必要は無く、
> 真の御同行であれば、「もちろん、カンタンですよ」という領解になります。
難しく考えずにということなので、私の領解は「無条件、そのまま」です
私が知り得た方法、考えうる方法の中で比較すればカンタンという表現になります
> これは、無理して表現しているのではなく、自然とうなずけます。
そういう思いで仰っているのだと思っています
> 無理してわかったことにしようとすれば、何でも比喩と考えたりすることによって、
> わかっていることにできます。
そういう理解の仕方もあるんですね
266:あんこ入り☆パスタライス
08/01/27 02:32:21 88W4/AzT
> 出第五門については、次の書き込みで、御本典から引きます。
ありがとうございます
> また、御文様を幾度か御拝読したことはございますか?
ありますが、正しく理解できているかな?と疑問に思っているくらいの読み方です
疑問を持つ理由は、私の知識不足や教学理解への偏りがあるんじゃないかということに対する疑念です
267:298
08/01/27 02:32:39 BSmRIUGS
>>261
>>真実行は、五念門を含みます。
>そういうことを書いた文章は散見したことがあります
>そのくらいで、この言葉で仰りたい重要性が分かりません
五念門のことばの定義を知らなくても獲信はできますが、
できますならば、五念門の内容を確認していただいて、
あんこ入り☆パスタライス様の獲信の模様を思い出していただいて、
比較していただいて、お聖教の通りであるかどうかを、
確認してほしいと思うのです。
なぜ重要かというと、自力の信では、いたずら事であり、
極楽往生が治定していないと思うからです。
これまでの書き込みから推測致しますに、杞憂ではないと思いますので、
ご自身で、お聖教と照らし合わせていただければと思うのです。
268:298
08/01/27 02:38:25 BSmRIUGS
>>265
掟がありますので、肝心なところを、あまり詳しく説明することができないのです。
真実信心そのものは、きちんと認識できないわけですから、
御同行かどうかわかるような方便があるのです。
御開山一流であれば、それとわかるようになっています。
あんこ入り☆パスタライス様は、冷静にお聞きになってくださいますので、
とても感謝しています。
言いにくいことを書いていますから、私はかなり遠慮しながら書いております。
「九字のいわれでは無い」というのは、わかりやすくするために、私が
付け加えました。
九字にも十字にも、もちろんいわれがございますけれども、
六字のいわれが真実行なのです。
269:あんこ入り☆パスタライス
08/01/27 02:49:21 88W4/AzT
>>268
他にもレス頂いていますが、特にこれは印象的でした
> 九字にも十字にも、もちろんいわれがございますけれども、
> 六字のいわれが真実行なのです。
私の見識が狭いことが理由でしょうが・・・この言葉には初めて接しました
九字、十字ではなく六字でなくてはという理由をお尋ねしたいところですが
これが掟でナイショの部分なのでしょうか?
270:298
08/01/27 02:54:54 BSmRIUGS
>>269
レスくださいましたことに、感謝致します。
ひやひやもので書いていますので・・・
心の広い方であると思います。
◎「その名号をきく」といふは、ただおほやうにきくにあらず、
善知識にあひて、南無阿弥陀仏の六つの字のいはれをよくききひらきぬれば、
報土に往生すべき他力信心の道理なりとこころえられたり(御文3-6)
「九字、十字ではなく六字でなくてはという理由」は、
六字のいはれをよくききひらいたときに、自然とわかります。
なぜなら、あくまでも、六字のいはれであるからです。
あんこ入り☆パスタライス様には、この言い方でわかると思います。
271:298
08/01/27 02:58:16 BSmRIUGS
行巻では、次の如しです。
◎称名則是最勝真妙正業。正業則是念仏。念仏則是南無阿弥陀仏。
南無阿弥陀仏則是正念也。可知。
◎今弥勒付属之一念即是一声。一声即是一念。一念即是一行。
一行即是正行。正行即是正業。正業即是正念。正念即是念仏。即是南無阿弥陀仏也。
272:298
08/01/27 03:00:11 BSmRIUGS
>>269
掟についてですが、南无阿彌陀佛とは、正業そのものなのですから、
そのいはれを聞き開くということは、正雑二行の沙汰をしていただくことに、
他なりません。
そこでの示し方は、正業を示すことにより、それ以外のすべては雑行であるという
示し方になります。
273:あんこ入り☆パスタライス
08/01/27 03:09:29 88W4/AzT
>>270
> レスくださいましたことに、感謝致します。
こちらこそです
> ひやひやもので書いていますので・・・
お気遣いありがとうございます
> 心の広い方であると思います。
関心があって298さんとお話しているので、お付き合い頂けて嬉しいです
274:298
08/01/27 03:20:41 BSmRIUGS
>>273
行巻では、五念門のところで、論註が引かれております。長くなりますので、
途中まで引きます。
◎「帰命尽十方無碍光如来」とは、「帰命」はすなわちこれ礼拝門なり、
「尽十方無碍光如来」はすなわちこれ讃嘆門なり。何をもってか知らん、
帰命はこれ礼拝なりとは。龍樹菩薩、阿弥陀如来の讃を造れる中に、
あるいは「稽首礼」と言い、あるいは「我帰命」と言い、あるいは「帰命礼」と言えり。
この『論』の長行の中に、また「五念門を修す」と言えり。
五念門の中に礼拝はこれ一なり。天親菩薩すでに往生を願ず。あに礼せざるべけんや。
故に知りぬ、帰命はすなわちこれ礼拝なりと。しかるに礼拝はただこれ恭敬にして、
必ずしも帰命ならず。帰命はこれ礼拝なり。もしこれをもって推するに、
帰命を重とす。偈は己心を申ぶ、宜しく帰命と言うべし
ここには、「尽十方無碍光如来」はすなわちこれ讃嘆門なり、とございます。
しかし、阿弥陀の三文字には、弥陀の兆載永刧の修行がおさまっているのです。
◎兆載永刧の修行は
阿彌陀の三字にをさまれり
五刧思惟の名號は
五濁のわれらに付屬せり
275:あんこ入り☆パスタライス
08/01/27 03:20:45 88W4/AzT
私が六字に限定しないと理解するに至った根拠を挙げておきますね
親鸞聖人御消息集
「念仏申し候ふ人々のなかに、南無阿弥陀仏ととなへ候ふひまには、無碍
光如来ととなへまゐらせ候ふ人も候ふ。これをききて、ある人の申し候ふ
なる、南無阿弥陀仏ととなへてのうへに、帰命尽十方無碍光如来ととなへ
まゐらせ候ふことは、おそれあることにてこそあれ、いまめがはしくと申
し候ふなる、このやういかが候ふべき。
南無阿弥陀仏をとなへてのうへに無碍光仏と申さんはあしきことなりと候ふ
なるこそ、きはまれる御ひがごとときこえ候へ。帰命は南無なり、無碍光仏は
光明なり、智慧なり、この智慧はすなはち阿弥陀仏なり。阿弥陀仏の御かたち
をしらせたまはねば、その御かたちをたしかにたしかにしらせまゐらせんと
て、世親菩薩 御ちからを尽してあらはしたまへるなり。このほかのこ
とは、少々文字をなほしてまゐらせ候ふなり。」
誤解があれば指摘して下さい
276:298
08/01/27 03:29:10 BSmRIUGS
>>275
この部分は、信後の御恩報謝のお念仏についてのことであると私は解しています。
また、
「南無阿弥陀仏ととなへてのうへに、帰命尽十方無碍光如来ととなへ
まゐらせ」
「南無阿弥陀仏をとなへてのうへに無碍光仏と申さん」
につきましては、
「南無阿弥陀仏をとなへ」が真実行、
「てのうへに」は信後を示し、
「帰命尽十方無碍光如来ととなへ」「無碍光仏と申さん」が御恩報謝のお念仏と
解釈することもできると思います。
御恩報謝でありますれば、たとえば、「阿弥陀様って、本当にありがたいね!!!」でも
良いわけです。もう、信はいただいているわけですから。
ただ、繰り返し申すには、「南無阿弥陀仏」は便利ですし、
さりげなく、真実行の存在を広めていることにもなります。
いかがでしょうか。
277:298
08/01/27 03:33:00 BSmRIUGS
>>275
さらに申しますれば、念仏衆生は摂取不捨ですので、信後のすがたは
問われませんから、たとえば一念帰命した後に、他の宗教に熱心になり、
弥陀をかえりみないとしても、極楽往生治定に変わりはありません。
ですから、どう称えても良いのです。
ですけれども、多くの場合は、真実行のありがたさに、
機法一体のありがたさに、自然と、「南無阿弥陀仏・・・」とお称えしたく
なるものであると思います。
また、そのように、自力の心も開発してゆきまして、よろこびを開発してゆくことにより、
命終まで、たのしく暮らしてゆくことができると思います。
せっかく価値あるものをいただいたのですから、よろこべる方が、
ラクに過ごせますし、楽しいですし、しあわせです。
278:298
08/01/27 03:36:26 BSmRIUGS
>>277
>せっかく価値あるものをいただいたのですから、よろこべる方が、
>ラクに過ごせますし、楽しいですし、しあわせです。
ただし、これは私の押しつけですので、同感しない方については、
この限りではありません。
279:あんこ入り☆パスタライス
08/01/27 03:40:32 88W4/AzT
>>276
納得しました
他にも、六字に限定しないと考えるに至った雑多な知識があります
以下の点、298さんの見解を教えて頂けませんか?
・親鸞さんは、礼拝対象を六字名号限定とはされていなかったらしい
・蓮如さんは、当初は帰命尽十方無碍光如来の名号を多用していたらしいが
同時代に問題視された無碍光派(増悪無碍の団体)と区別をつける為、六字名号に切り替えたらしい
どちらも、ネットか本で得た知識です
根拠薄弱または正否の確認不能だと判断されるなら、その一言で結構です
280:298
08/01/27 03:42:51 BSmRIUGS
>>275
弥陀の救いにも、さまざまな側面がございますので、
「ああ、弥陀の救いは、こんなところにまで届いているんだ・・・」という感慨であれば、
「帰命尽十方無碍光如来」という言い方も、しっくり来ると思いますし、
私の個人的な経験で言えば、信をいただく前、十字名号は、よくお称えしていました。
これは、意味がわかりやすいということと、長くてカッコ良いと感じたということと、
親鸞聖人が好まれた、とどこかで聞いたからです。
しかし、真実行は、単なる口称念仏ではございませんので、これは、
六字名号になっております。ですけれども、九字名号も、十字名号も必要なのです。
281:あんこ入り☆パスタライス
08/01/27 03:43:21 88W4/AzT
>>277
これも同感なんですけどね
でも、298さんと私は違うということなんでしょうね
282:298
08/01/27 03:55:56 BSmRIUGS
>>279
>親鸞さんは、礼拝対象を六字名号限定とはされていなかったらしい
現在でも、九字名号、十字名号を脇がけに致しますが、それでもちろん問題ありません。
そして、向かって右が十字名号であることにも、いわれがございますけれども、
このいわれが、どの時代に生じたかまでは、存じておりません。
あくまでも、方便でございます。
また、この「礼拝対象」の礼拝とは、信後の礼拝のことであると思います。
これも、御恩報謝です。
また、信前の礼拝であれば、宿縁のためか、宿善開発のためになると思います。
不可思議光は摂取の光ですので、調熟の光明(宿善を育てる光明)の
表現としては、帰命尽十方無碍光如来が適切だと思います。
宿善の開発を願う意味とも取れますが、これも、私の推測です。
283:298
08/01/27 03:56:26 BSmRIUGS
>蓮如さんは、当初は帰命尽十方無碍光如来の名号を多用していたらしいが
同時代に問題視された無碍光派(増悪無碍の団体)と区別をつける為、
六字名号に切り替えたらしい
これも、その通りであっても、不思議はないと思います。
真偽に関わらず、問題が無いということです。
なぜなら、真実行についてのことではなく、渇仰の気持ちからの
礼拝等に関することであるからです。
わざわざ誤解されることもありません。これは、王法為先などにも
つながると思います。
南無阿弥陀仏とは、あくまでも梵語ですので、わかりやすいように、
意味が(漢字を知る人には)わかる十字名号を好まれたのかもしれません。
このあたり、歴史的な背景につきましては、私も今後知識を深めたい所です。
なぜなら、その方が、説得力が増して良いと思うからです。
参考になるかもわかりませんが、確かな知識もありませんので、
雑感を述べさせていただきました。
歴史的な背景の説明というよりは、私の領解の説明と取ってください。
284:298
08/01/27 04:02:44 BSmRIUGS
>>277
落ち着かれているなら、日暮しの上では、全く問題がないわけです。
それに、もしかしたら、あんこ入り☆パスタライス様は、
過去生にて第十八願をいただいている、還相廻向の方かも
しれないわけですから、今生で必ず第十八願をいただくことが
必要かも、凡夫である私には、究極のところ、わかりません。
気になりますならば、いつか、十八願いただいてくだされば、
私としては安心ということです。領解で共通する部分がありますれば、
違うところは残るにしても、讃嘆はできますので、
信心の沙汰というのも、あれこれ信心を表現して行けば良いわけですから、
それで、「うーん、何が違うんだろう」で良いと思いますし、
将来私の気が変わるのかも知れませんし。
285:298
08/01/27 04:05:57 BSmRIUGS
>>281
とりあえず、阿弥陀様についてあれこれお話してゆけるだけでも、
私はうれしいですから。
286:あんこ入り☆パスタライス
08/01/27 04:07:24 88W4/AzT
>>282-284
レスありがとうございます
今までのお話を再読して「我らとは違う」と言われた訳が理解できました
随分違うものだなぁと久しぶりに感心してしまいました
私の理解は、「”六字=九字=etc”のいわれ」でしたが
「”六字”のいわれ」が重要なのだと教えて頂きました
ありがとうございました
また、お付き合いをお願いするかもしれません
その時は、よろしくお願いします
失礼します
287:298
08/01/27 04:09:23 BSmRIUGS
>>286
こちらこそ、おつきあいありがとうございました。
またお話できます機会がありましたら、うれしく思います。
288:神も仏も名無しさん
08/01/27 12:39:01 R46LctlO
298さんへ
近現代の浄土教の篤信者で、真実信心を得ていると思われる方を教えてください。
著書を読んでみたいです。
私が感銘を受けたのは、
稲津紀三著『中論と他力信仰』(大東出版社)です。
289:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
08/01/27 13:28:17 071AYamC
>>165
>カンタンなチェックリストを作りましたので、領解を確認する助けにしていただけたらと思いま
す。
298さん。298さんは信心を得ていると仰っていますよね。貴方が掲げたチェックリストを
拝見すると、どれも非常に基本的な言葉が並んでいます。カンタンなチェックリストを作っていた
だけたので、全部は大変かと思いますが、二つ,三つでも、その深い意味を、貴方のお考えで
できるだけ簡潔ご説明いただけませんか。
290: ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄
08/01/27 13:43:28 K5RBgFVw
/ ̄ ̄ ̄ ̄\
( _ 人_ _)
|:::| ´・ ・^ ||
( ∴ (_ _)∴ ) _
| ノ 3ヽ ノ /  ̄  ̄ \
ゝー_ _ ノ /、 ヽ
/ /"lヽ ヽ |- |―-、 |
/ ,ィ -っ( ,人) ヽ q -´ 二 ヽ |
| / 、__ う| | ・,.y i ペッ、、、 ノ_ ー | | キモいんだよてめーは
| / | ⊂llll | \. ̄` | /
 ̄T ̄ | ⊂llll / O===== |
| ノ ノ 彡イ / |
291:298
08/01/27 14:56:16 BSmRIUGS
>>261
なぜ、「同行」が重要なのかを書きたいと思います。
「因」があって、「果」があります。
御同行であるが故に、「因」が同じですので、同じ報土に生まれるからです。
化土が孤独なのは、因が千差万別だからです。
292:298
08/01/27 15:00:51 BSmRIUGS
>>289
書いてしまえば、チェックリストとしての機能を果たさなくなってしまいます。
御同行であるが故に、次第相承の善知識に教わった方は、
「なるほど」とわかるのです。
それに、掟に関わる内容だからこそ、他の方も他言しないわけですから、
チェックリストとなるのです。
「よくわからない」ということであれば、次第相承の善知識に教わっていない
ことに他なりません。
今でも、真宗の救いは生きているのですから、有縁を辿り、
獲信者を探し、次第相承の善知識に値奉り、永劫の流転から抜けねばならないと
思います。
293:298
08/01/27 15:09:54 BSmRIUGS
>>288
おそらく、真実信心獲た方の著書もあると思うのですが、
広く一般にすすめて良いものを、私は知らないのです。
私は、信をいただく前に、自身に対して、
「最後は真宗なのだろう」という予感は持っていました。
理由として思いつくのは、
1)南無阿弥陀仏は有名
2)救われなければあきらめて、なりふりかまわず他力信心にすがる
3)自力聖道の方も、最期は称名念仏になることがあると聞く
などです。
しかし、あきらめて、偽物の南無阿弥陀仏にすがるのは避けたいという
思いが有りました。
真宗の本も、書店で買いまして、いろいろ読みましたが、どうも、
ごまかされているという感が否めませんでした。
その内容で、命を賭して普及しようとするものだろうか。
その内容で、骨を砕いてまで謝そうとするものだろうか。
と、失礼ですが、疑問が残りました。
そもそも、子供のときに、「南無阿弥陀仏と唱えて救われる。
信じる人はそれで休まるのかもしれないけれど、
よく信じられるものだな」と思うような、疑い深い私なのです。
しかし、著書がある方が、求める方の助けになるはずです。
真実信心獲た方の著書もあると聞きますので、
同行に尋ねてみようと思います。
294:298
08/01/27 15:10:56 BSmRIUGS
>>288
「近現代」と絞りますのは、語学的な問題でしょうか?
295:神も仏も名無しさん
08/01/27 15:27:20 F1unvP33
>>165のチェックリストがわからないのなら
「次第相承の善知識に教わっていない」ということになるということですが、
その「流れ」に接触しない限り獲信できないということなのでしょうか?
296:298
08/01/27 15:27:41 BSmRIUGS
>>288
もし、まだ真宗の聖典を読んだことが無いのでしたら、
『浄土真宗聖典註釈版第二版』(本願寺出版社)をお勧めします。
5000円くらいしますけれども、主要なものがひと通り入っていますので、
便利です。これ1冊手元にあれば、基本はわかりますし、
インターネットで全文検索もできますので、索引も強力です。
わからなくても、註釈をたよりに、何となく読んでゆくだけでも、違うと思います。
はじめての方へのおすすめは、
一枚起請文→領解文→御裁断御書→御裁断申明書→御文章
という順序です。特に、御文章八十帖は、幾度も読み返していただければ、
だんだんわかってくると思います。
御文章は、宿善ある機には、必ずわかる謂れがあり、
信前には道しるべとなり、信後には後念相続の助けとなる、
本当に尊い書です。
297:神も仏も名無しさん
08/01/27 15:29:04 R46LctlO
>>294
まだ神や仏への敬い、信仰心が残っていた時代(昭和初期以前)よりも、
唯物論全盛の信仰困難な現代で、真実信心を獲た方の信仰本を読んでみたいと思ったからです。
298:298
08/01/27 15:30:01 BSmRIUGS
>>295
>その「流れ」に接触しない限り獲信できない
これは、その通りです。そもそも、その「流れ」を地上に出すために、
釈尊がお生まれくださったのです。
このように申しますと、排他的に聞こえるでしょうけれども、
求める方には、必ずご縁が現れる謂れがあるのです。
極楽浄土から、諸菩薩も私たちを見守っており、
還相廻向として、さまざまに現れ、宿善の機には、必ず、
ご縁を現させてくださいます。
299:神も仏も名無しさん
08/01/27 15:30:13 R46LctlO
>>296
ありがとうございます。
300:神も仏も名無しさん
08/01/27 15:33:31 F1unvP33
>>298
たとえば妙好人といわれた源左の場合は
特定の流れに接触したり善知識との面談を通じて信を獲たのではなかったようですが
298さんの信心は源左とは違うということなんでしょうか?
301:298
08/01/27 15:33:33 BSmRIUGS
>>297
信仰困難な時代でも、弥陀の救いは自力の信ではありませんので、
基本は変わりません。
自分の心を自分でどうこうするのではなく、機は問わずに、
南无阿彌陀佛で獲信致します。
南无阿彌陀佛により、阿弥陀如来から真実信心をいただくのですから、
時代も自分も、関係なく、同じ信心をいただけます。
現代人でも、御文様と同じ信心をいただける、七祖聖教を読んでも
うなずける信心をいただけるところに、正統性を感じ、
よろこべるものだと思います。
302:298
08/01/27 15:35:41 BSmRIUGS
>>300
源左様につきましては、前スレにて、愚見をお書き致しました。
よろしければ、ご覧ください。私のHNは、298で同じです。
もし見れなければ、また別の表現で書いてみようと思います。
あくまでも、掟がありますので、
ほとんど言わない方も多いのです。
303:298
08/01/27 15:38:52 BSmRIUGS
>>270に書きましたように、善知識に会って、六字のいわれを聞き開くことが必要です。
もし、源左様が善知識に会っていないなら、別の信心ということになります。
私が源左様について詳しくなく、史料が少なくてよくわかりませんが、
確か、牛にヒントをいただいた日に、ご隠居様に会われていると思います。
304:神も仏も名無しさん
08/01/27 15:47:15 F1unvP33
前のスレですか。2ちゃんねるビュワーを買っていないので読めないです。
残念。私も源左について得に詳しいわけではなく、代表的人物として
思いついたのが源左だったのでした。ご隠居が何か
その「流れ」と関係があるのかもしれないということですね。
ありがとうございました。
305:298
08/01/27 15:49:14 BSmRIUGS
「真宗には掟が有る」ということが、あまり有名ではないようなのですが、
御文様には、とてもわかりやすく書いてあります。
「機を見て説く」ということを、わかりやすく言い換えたのが「掟」ですけれども、
わかりやすいがために、誤解を生んだり、反感を生んだりもするようです。
たとえば、次第相承の善知識の法話を20年聞いていたとしても、
自らは名乗りませんから、わからないのです。
宿善、無宿善の機が混在する場所にての一般の法話とは異なる導きが
あるのですから、尋ねねばならないのです。
306:298
08/01/27 15:53:50 BSmRIUGS
>>304
結局、掟がありますので、真の同行に対してでなければ、肝心の所は
語られず、それでも、ご縁になるようにと、皆様工夫なさるわけです。
このスレで私が書いているのは、現代人の方にとって疑問が起こるようにと
書いています。
307:298
08/01/27 17:00:15 BSmRIUGS
もし、興味を持たれた方がいらっしゃれば、
御文様八十帖を繰り返しご拝読くださいと願うばかりです。
南无阿彌陀佛
308:298
08/01/27 17:08:03 BSmRIUGS
>>307
すみません、五帖八十通と書いた方がいいですね。
訂正致します。
私の意識では、通というよりも、一通一通が帖であって、
一文字一文字が佛菩薩なのですが、あくまでも
個人的なものですから。
309:298
08/01/27 17:14:23 BSmRIUGS
>>217
安楽集のこの周辺に、いろいろと記述があります。
御聖典を、インターネットからダウンロードすることもできますので、
ダウンロードして、検索してみてください。
◎また『智度論』(意)によるにいはく、「浄土の果報は欲なきがゆゑに欲界にあらず、
地居のゆゑに色界にあらず、形色あるがゆゑに無色界にあらず、
地居といふといへども精勝妙絶なり」と(安楽集)
310:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
08/01/27 20:31:56 071AYamC
>>292
>書いてしまえば、チェックリストとしての機能を果たさなくなってしまいます。
チェックリストとしての機能を果たさなくなる?。おかしいですね。
蓮師は「不審は問へ」(聞書40)とのことですから、それは、大分変わったことをなさっている
と思います。
スレリンク(psy板:443番)
>掟に関わる内容だからこそ、他の方も他言しないわけですから、
掟ですか?。
貴方の掟は、不穏分子をあぶり出すための手段になっているような感じですね。
表向きと内情が異なる時点で、良くないことだと思います。 もちろん、蓮師の意図は違うと思
います。不審があれば、弥陀をたのむことはできないでしょうから、何とかわかってほしいための
ものだと思います。
スレリンク(psy板:445番)
>今でも、真宗の救いは生きているのですから、有縁を辿り、獲信者を探し、次第相承の善知識に
値奉り、永劫の流転から抜けねばならないと思います
そこに真実があると感じる方は、ここ(今2ch)で求めるしかないと思います。
スレリンク(psy板:445番)
311: ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄
08/01/27 20:37:52 Olmir7Oe
_____
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|;;;;;;;;;;ノ /,, ,,\ ヽ |・ |―-、 |
|::( 6 ー─◎─◎ ) q -´ 二 ヽ |
|ノ (∵∴ ( o o)∴) ノ_ ー | |
/| < ∵ 3 ∵> \. ̄` | /
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312:298
08/01/27 22:50:54 BSmRIUGS
>>310
全体的に、主語などがよくわからず、主張が読み取りにくいです。
「掟がありますので・・・」というのでは、答えにならないということなのでしょうか?
それとも、「なぜ掟などというものがあるのか、公開すれば良いではないか」という
批判なのでしょうか?
313:298
08/01/27 23:04:50 BSmRIUGS
>>310
掟があるからこそ、他言されていないわけで、だからこそ、
次第相承の善知識から話しを聞くことができたかどうかの
チェックリストになると思うのですが・・・
わかりにくいでしょうか?
314:神も仏も名無しさん
08/01/27 23:15:07 W5IULun+
チェックリスト、どれも私が助かるすがたのことを言っているのだと思います。
そして、掟は一期かぎり守り申すべきものですからね。
315:298
08/01/27 23:16:47 BSmRIUGS
>>299
もし、御聖典を読まれていないのでしたら、近現代の方の著書を読むにしても、
いずれにしても、基礎知識としても、御聖典を読むのは良いことだと思います。
他宗教の知識もたくさんある方のようですので、獲信すれば、
より多くの方にわかりやすい説明ができるかもしれないと思います。
316:298
08/01/27 23:18:59 BSmRIUGS
>>314
そうです、そこが最重要事であり、真実行そのものですので、
掟を守りながらも、真実行を描写しようとされた先輩方のことばを
並べてあります。
317:298
08/01/27 23:22:45 BSmRIUGS
>>316
行のことを言うと、「信心正因」の批判が出るかもしれませんので、
少し説明致します。
真実行と言えども、私たちに、寸分違わぬ行ができるわけではありません。
ですから、この行が因であれば、果が異なってしまいます。
ところが、この行は、途中から弥陀が行いますので、完全に同一となり、
いただく信心も同一ですから、同じ果を得るのです。
たとえて言えば、番号を合わせると開く鍵があるとします。
この番号を合わせるときに、人によって、ダイヤルを回す早さも違うでしょう。
しかし、番号が揃った後には、同一の仕組みによって解錠しますから、
その部分は共通します。
同行とは、そのようなものです。
318:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
08/01/28 01:07:18 CNc29+hb
>>312
>主張が読み取りにくい
難しいことは言っているつもりはないんですよ。
掟だなどともったいぶらずに、自分の考えを述べたらどうですか。
貴方は自分から言い出した信心チェックリストだ。各項目について、どのように考えれば正し
い信心となると貴方は考えているのか、貴方の所見を述べればいいのであり、隠す程の問題では
ないでしょう。
親鸞会の会長が、質問に応えないのはおかしいと言っているのは貴方でしょう。自分が提起し
たチェックリストに自分で回答を寄せることがどうして掟違反などになるのよ。
「不審は問へ」。分からないことは質問しろということだ。貴方が余所のスレに書いたコメン
トでしょ。不審を問われたら、気軽に応えたらどうですか?。それとも貴方には信心がないから、
自分が出した信心チェックリストに応えられないのでしょうか?。 貴方は舌を何枚持っている
のか?馬鹿馬鹿しい。
319:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
08/01/28 01:07:50 CNc29+hb
>>313
さっぱり分かりません。
人には隠して法文教えたること候わず。もしこの事、慈信に申しながら、空言をも申し隠して、
人にも知らせずして教えたること候わば、三宝を本として、三界の諸天善神、四海の龍神八部、
閻魔王界の神祇冥道の罰を、親鸞が身に尽く被り候べし。
他の人に隠して誰か特別な人に法文を教えるようなことは決してありません。仮にも善鸞に伝
え、他の人には嘘を言って本当のことを隠し、誰にも分からないように善鸞に教えるようなこと
があれば、仏・法・僧を基本として、欲界・色界・無色界のあらゆる天人、善神、東西南北四方
の海の龍神達、八部衆、閻魔大王、あらゆる神々の罰がこの親鸞一人に被さるだろう。
298さんの仏法は二枚舌?。三宝を本として、三界の諸天善神、四海の龍神八部、閻魔王界
の神祇冥道の罰が一身に降り被ってくるそういう教えなのでしょうかね?。
>>317
>この行は、途中から弥陀が行いますので、完全に同一となり、
全く意味不明。
320:298
08/01/28 01:16:08 r+QbJxLf
>>318
私の考えというのは、次のようなものです。
「信心をいただくためには、次第相承の善知識から、六字の謂れを聞き開いて、
一心に弥陀をおたのみすることが必要です」
そして、私の同行の方は、>>115のチェックリストがよくわかるはずです、
と申しているのですから、チェックリストとして機能できるのではないでしょうか。
真宗は、一子相伝ではないのですから、同じ流れを汲んでいる善知識様から
教われば、同じ内容を聞くはずです。
隠す問題ではないのではなくて、隠されているからこそ、他では聞けないのですから、
チェックリストになるのです。
これは、「なぜチェックリストになるのか?」という質問にお答えするつもりで
書いているのですが、わかりにくいでしょうか?
321:298
08/01/28 01:25:30 r+QbJxLf
>>319
その御消息は、
◎また夜も昼も慈信一人に、人にはかくして法文をしへたること候はず。
もしこのこと、慈信に申しながら、そらごとをも申しかくして、
人にもしらせずしてをしへたること候はば、三宝を本として三界の諸天善神・四海の竜神八部・
閻魔王界の神祇冥道の罰を、親鸞が身にことごとくかぶり候ふべし。
のことでしょう? これは、「慈信一人に、特別なことを教えているということは無い」という
意味なのではないでしょうか?
確かに、私程度の者が申すことの中には、矛盾する内容も間違いもあるとは思います。
ですけれども、この部分を典拠にご批判なさるのは、よく意図がわかりません。
322:298
08/01/28 01:32:07 r+QbJxLf
>>318
> 「不審は問へ」。分からないことは質問しろということだ。貴方が余所のスレに書いたコメン
トでしょ。不審を問われたら、気軽に応えたらどうですか?
問われたので、なぜ、それがチェックリストになるのか、そして、
私があげた単語について、なぜ私は解説しないのかについて、お答えしたつもりなのですが・・・
内容自体は、次第相承の善知識にお会いして、直接お伺いして下さい、
そうすれば、わかりますよ、ということで、お書きしています。
323:298
08/01/28 01:40:55 r+QbJxLf
>>318
「隠す」という言い方が、お気に召さないのでしょうか?
求めている方には、開かれている教えなのですから、
本当に求めている方は、有縁を辿って、獲信者を探し、
次第相承の善知識を紹介してもらえば良いのです。
仏法は、誰が知っているかわからないのですから、
それらしき人がいたら、尋ねれば良いのです。
その際に、御文様を読み込んでいれば、適確な質問が出来、
異安心から守られるだろうと思います。
神通ある方々が浄土から見守っていらっしゃるのですから、
宿善の機には、必ずご縁が現れます。
324:298
08/01/28 01:44:40 r+QbJxLf
>>320
チェックリストの引用番号は>>165の間違いでした。
325:298
08/01/28 01:49:26 r+QbJxLf
>>318
>各項目について、どのように考えれば正しい信心となると貴方は考えているのか、
>貴方の所見を述べればいいのであり、隠す程の問題ではないでしょう。
別に模範解答があるわけではなくて、「ああ、成る程、よくわかる」というわかり方が
出来るなら、それで良いのです。
無理しなくとも、「なるほどね」とわかる感じです。
「考える」という時点で、ずれているような感じです。
体験したのであれば、「成る程」とわかります。
326:298
08/01/28 02:07:10 r+QbJxLf
>>318
>掟だなどともったいぶらずに、自分の考えを述べたらどうですか。
掟というのは、もったいぶっているものではなくて、定められているものなのです。
「おきつ」という動詞から派生した名詞で、そもそも「定められているもの」という意味です。
この場合、「ありよう」や「(あるべき、あるいは、うつくしき)すがた」と解釈してくださっても構いません。
327:298
08/01/28 02:10:46 r+QbJxLf
>>318
>>165のチェックリストは、「自分で答えを考えましょう」という趣旨ではありません。
もし、わからないならば、次第相承の善知識に出会っていないと判断して、
探していただくきっかけになることを意図しています。
328:298
08/01/28 05:12:08 r+QbJxLf
信心は内心に秘めながら、外相には出さず、それでいて、
宿善を判断し、王法を優先し、仁義を優先し、
娑婆に生のある間は、仏法者であることを隠し、
ということですが、内部に沸き上がるようなエネルギーを秘めながら、
基本的には、お講にて同行と会ってゆくということなのでしょうか。
救われたい方とは、弥陀が引き合わせてくださるということだと思いますが、
私には、まだまだわからないことが多いです。
獲信者の先輩の方がいらっしゃったら、ぜひいろいろと教えてほしいです。
329:298
08/01/28 05:17:48 r+QbJxLf
永劫の流転から離れてしまうということは、
これまでずっと執着を持って、こだわって、かかわってきた世界から
離れてしまうということです。
私は、そこには一抹のさみしさを感じます。
これは、執着の残留だと思いますけれども、
いわば、弥陀の救いというのは、弥陀の早業によって、
強制的にこの執着から切り離されるようなものであり、
法性への回帰をうながされるようなものです。
やはり、これは、凡夫の性質としては、本来望むようなものではありません。
それであるが故に、荘厳な浄土のイメージが説かれていると思います。
330:298
08/01/28 05:50:45 r+QbJxLf
弥陀の救いにより、自らの悪機が照らし出されるのようなことが言われ、
また、そこには個人差があるとのことですが、私の場合は、
確かに照らし出されてきているように思います。
信前から、多少は自覚がありましたが、独占欲・支配欲のようなものも
非常に強く、地獄に行くどころではなく、地獄に行ったとしても、
そこの冥主になりたいくらいの勢いの望みを抱いていたと思われます。
331:秘事法門
08/01/28 06:26:06 ROUnldlg
298さんの掟とは、次第相承の善知識と言う特定の人間がいて、その善知識が特殊な法を握っていて、
それに従う事によらねば、信心が得られないと言うことなのですか?
そして、その特殊な法とは、真実行と言う行法を修行することで、
初めは自分の行だったものが、阿弥陀如来の行に変化していく、
それを他力と名付けていると言うことでしょうか?
332:298
08/01/28 06:53:20 r+QbJxLf
>>331
そのように解釈していただいて構いませんが、
かなり秘事法門様の先入観に影響されている解釈になっているような
気も致します。
「特殊な法」「握って」「従う」「行法」「修行」「名付け」のあたりの
用語法から、見て取れると思います。
おそらく、これまで学習された内容から、
何かを想像していらっしゃるのでしょう。
前スレか、前々スレにも、似たような方がいらっしゃいました。
どのようなものを想像されているのか、
具体的に書いてくださるならば、私でも、
より正確な判断ができると思います。
333:298
08/01/28 06:59:45 r+QbJxLf
>>331
おそらく、おっしゃりたいことは、異安心であって、
手を出すなということなのでしょう。
違うのでしょうか?
334:298
08/01/28 07:08:15 r+QbJxLf
今私にリアルタイムで関心があるのは、
交換の概念ですね。
「宗教組織を維持するには、金銭が必要だ」という
理論が、財施の正当化に使われますが、
「本当にそうなのか?」ということを考えています。
335:298
08/01/28 07:42:51 r+QbJxLf
>>331
例によって私の表現と性格が悪く、攻撃的に響いてしまったかも
しれないことを、お詫びします。
ただ、思うことを、言って欲しかったのです。
336:298
08/01/28 08:08:45 r+QbJxLf
>>331
私は、331様からは、自分が知っていることを
自慢したい気持ちを感じたのですが、
違いましたでしょうか?
いずれにしても、どのようなものを想像なさっているのか、
教えていただけたら、うれしいです。
337:298
08/01/28 09:18:51 r+QbJxLf
>>331
「掟とは?」という質問そのものに答えるならば、「掟の要とは、無宿善の機に
正雑二行の沙汰をしないことです」ということになります。
これは第一に、正法誹謗の罪を犯させないためであり、無宿善の機を守る
ためです。
そして、第二に、法を守るためです。魔という存在にとって、正法は
都合の悪いものだからです。
338:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
08/01/28 10:35:06 CNc29+hb
>>320
>私の同行の方は、>> 115のチェックリストがよくわかるはずです
信心の有無をチェックリストで確認するなど、聞いたことがない。
経釈をよみ学せざるともがら、往生不定のよしのこと。この条、すこぶる不足言の義といいつ
べし。他力真実のむねをあかせるもろもろの聖教は、本願を信じ、念仏をもうさば仏になる。そ
のほか、なにの学問かは往生の要なるべきや。
>同じ流れを汲んでいる善知識様から教われば、同じ内容を聞くはずです。
貴方の善知識はひとに何を勧めているのやら。 ┐( -"-)┌ヤレヤレ...
親鸞は弟子一人も持たず候。
そもそも善知識の能というは、「一心一向に弥陀に帰命したてまつるべし」と、ひとをすすむべきばかりなり。
>質問にお答えするつもりで書いているのですが、わかりにくいでしょうか?
チェックリスト信心など聞いたこともない。
>>321
>私程度の者が申すことの中には、矛盾する内容も間違いもあるとは思います。
そう思うなら、真摯になったらどうですか。
信前か信後か、貴方はあのチェックリストで分かるという考えなんでしょう。あれで領解を確
認できるというのでしょう。それなら、自分こそ進んでそのチェックリストを試し、信前か信後
かを多くの人に確認して貰おうとは思わないのですか。
他人の余計な心配だけして、貴方自身はそれで終わりですか?
339:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
08/01/28 10:36:13 CNc29+hb
>>322
>次第相承の善知識にお会いして、直接お伺いして下さい、そうすれば、わかりますよ
2CHのここで知ろうとする人がいてはいけないのでしょうか。隠す程のことがあるのでし
ょうか。
そもそも善知識の能というは、「一心一向に弥陀に帰命したてまつるべし」と、ひとをすすむ
べきばかりなり(蓮如)。余所で聞けば必ず分かるという保証などあるわけもない。
>>323
>「隠す」という言い方が、お気に召さないのでしょうか?
信心の世界に隠し事などあるわけもない。
>本当に求めている方は、有縁を辿って、獲信者を探し、次第相承の善知識を紹介してもらえば良いのです。
今求めている人に対し、貴方がここで善知識となり、開かれている教えをそのまま開いたらど
うですか?貴方は言っていることと、行っていることがちぐはぐだ。言葉に誠実みがない。
>それらしき人がいたら、尋ねれば良いのです。
貴方は、自分が知っているつもりでしょう。それなら貴方がここで応えたらどうですか
>御文様を読み込んでいれば、適確な質問が出来、異安心から守られるだろうと思います。
御文様を適確に読んで異安心から守られている成果をここで示したらどうですか。
340:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
08/01/28 10:37:48 CNc29+hb
>宿善の機には、必ずご縁が現れます。
貴方に現れたご縁を示してみたらどうですか。
人には隠して法文教えたること候わず。 ~ 人にも知らせずして教えたること候わば、三宝
を本として、三界の諸天善神、四海の龍神八部、閻魔王界の神祇冥道の罰を、親鸞が身に尽く被
り候べし。
人に隠して教える法文があるというなら、親鸞は地獄に堕ちることでしょう。
>>325
>別に模範解答があるわけではなくて、「ああ、成る程、よくわかる」というわかり方が出来る
なら、それで良いのです。
298さんに模範解答を求めている人などいませんよ。ああ成る程、よくわかる。298さん
は本当に信心のある人だ。僕も貴方のことをそのように思えれば安心できる。
298さんにお答えいただけなければ、「ああ、成る程、よくわかる」という、こんな分かり
方さえできないでしょう。不信感だけが妙な形で膨らんでいく。
「この行は、途中から弥陀が行いますので、完全に同一となり(>>317)」など、奇妙きてれ
つな宇宙人の呪文のような言葉が出てくれば、「コノヒト ワ イッタイ ナニ オ カンガエ
テ イル ヒト ナン ダ ロウ」なんていう不信感がでてくるんですよ。
>326
>掟というのは、もったいぶっているものではなくて、定められているものなのです。
弥陀をたのむ・六字のいわれ・易行・非行の行・他力の行・自力の心をふりすてて・六字のす
がた・南无阿彌陀佛の主になる・一文不知の愚鈍の身になして
341:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
08/01/28 10:48:08 CNc29+hb
>>340 (続き)
これらの説明をすれば掟に反するとは、いったいどこの世界の話をしていることやら。貴方自身「信をい
ただけば全て分かる」と言っているじゃないですか。信を得た人は、掟破りでもしたということか。馬鹿馬鹿
しい。
>「おきつ」という動詞から派生した名詞で、
掟の説明などはスレ違い。板違い。
>>327
>次第相承の善知識に出会っていないと判断して、探していただくきっかけになることを意図しています。
ばかばかしい。貴方がいまここで説明すれば足りるでしょう。
342:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
08/01/28 10:49:30 CNc29+hb
>>328
>私には、まだまだわからないことが多いです。獲信者の先輩の方がいらっしゃったら、ぜひいろいろと教えてほしいです。
貴方は自分で信心を得ているつもりなのか、つもりでないのか。
自分が作ったチェックリストで見て、自分は信前だったのか、信後だったのか。
自分は信心が分かってないと思えば、自分でチェックリストを作るのは勝手だが、他人の信心を測るようなことはやめなさい。
貴方の言葉には、助かったという実感がない。血が通わない。涙が通っていない
口ほど便利な道具はない。誠実みがない。
>>329
>私は、そこには一抹のさみしさを感じます。 貴方の言葉には実感がない。
>>330-331 意味不明。
>>337
全く誠実みが感じられない薄っぺらな話だ。
343:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
08/01/28 10:56:42 CNc29+hb
>342
>他人の信心を測るようなことはやめなさい。
やれやれ。言葉が過ぎた。僕には他人に命令するような資格はないんだ。
チェックリストには、仏教音痴の無宿善の機が、生兵法で刀を振り回し、挙げ
句の果てに自分で怪我をし、質問を受けても答えられなくなっている滑稽さを
感じました。
344:神も仏も名無しさん
08/01/28 10:58:11 eRlsfNTN
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:::::::::::| キ じ き i::::::::::::
:::::::::::.ゝ モ つ み ノ:::::::::::
:::::::::::/ イ に は イ:::::::::::::
::::: | な。 ゙i ::::::
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―--、..,ヽ__ _,,-''
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:::::_|/ 。|。ヽ|-i、 .. / ̄ ̄ ̄ ̄
/. ` ' ● ' ニ 、 (____人
ニ __l___ノ (-◎-◎一
/ ̄ _ | i ( (_ _)
|( ̄`' )/ / ,.. ( ε (∴
`ー---―' / '(__ ) ヽ____
====( i)==::::/ ,/ニ渡海 難
:/ ヽ:::i /;;;;;;;;;;;;;;;;
345:神も仏も名無しさん
08/01/28 13:04:26 aqG6YF/d
法然 百四十五箇条問答 第二十七条
問 .輪廻を離れ、三界には生まれたくないと願って極楽に生まれたとしても、
また、この世に生まれ帰って来なければならないのでしょうか?
答 極楽に一度生まれれば、永遠にこの世に帰って来ることはない。
ただし、人を導くために、あえて帰って来ることはある。しかしそれは、苦しみの生死を繰り返す輪廻ではない。
346:神も仏も名無しさん
08/01/28 13:44:23 aqG6YF/d
URLリンク(www1.ocn.ne.jp)
↑
仏教の正しい理解が学べるサイト
347:298
08/01/28 15:26:22 RNpWEO5r
>>338
>信心の有無をチェックリストで確認するなど、聞いたことがない。
◎あるいは記得し出言しながら、心口各異にして慚愧せざるのものあり。
はなはだ悲歎すべきところなり(文如上人)
>>同じ流れを汲んでいる善知識様から教われば、同じ内容を聞くはずです。
>貴方の善知識はひとに何を勧めているのやら。 ┐( -"-)┌ヤレヤレ...
>親鸞は弟子一人も持たず候。
>そもそも善知識の能というは、「一心一向に弥陀に帰命したてまつるべし」と、ひとをすすむべきばかりなり。
この部分は、何を疑問に思われているかが、よくわかりませんでした。
「一心一向に弥陀に帰命したてまつるべし」には、もちろん私も同感ですし、善知識様も、そうおっしゃると思います。
>それなら、自分こそ進んでそのチェックリストを試し、信前か信後
かを多くの人に確認して貰おうとは思わないのですか。
>他人の余計な心配だけして、貴方自身はそれで終わりですか?
もちろん、「私はわかる」という意味で書いています。
348:298
08/01/28 15:26:43 RNpWEO5r
>>338
>2CHのここで知ろうとする人がいてはいけないのでしょうか。隠す程のことがあるのでしょうか。
御文様を引きます。
◎無宿善の機のまへにおいては、正雑二行の沙汰をするときは、
かへりて誹謗のもとゐとなるべきなり。この宿善・無宿善の道理を分別せずして、
手びろに世間のひとをもはばからず勧化をいたすこと、
もつてのほかの当流の掟にあひそむけり。
◎一つには、自身の往生すべき安心をまづ治定すべし。二つには、
ひとを勧化せんに宿善・無宿善のふたつを分別して勧化をいたすべし。
◎当流のこころは、人を勧化せんとおもふとも、宿善・無宿善のふたつを
分別せずはいたづらごとなるべし。このゆゑに、宿善の有無の根機をあひはかりて
人をば勧化すべし。
◎あるいはまた仏法聴聞のためにとて人数おほくあつまりたらんときも、
この人数のなかにおいて、もし無宿善の機やあるらんとおもひて、
一流真実の法義を沙汰すべからざるところ
349:298
08/01/28 15:35:49 RNpWEO5r
>>339
>今求めている人に対し、貴方がここで善知識となり、開かれている教えをそのまま開いたらど
>うですか?貴方は言っていることと、行っていることがちぐはぐだ。言葉に誠実みがない。
もちろん、私に求めてきた方には示しています。
2chのような公開の場所に書かれた内容は、無宿善の機も見る可能性がありますから、
何でも書けないだけです。
また、私は次第相承の善知識ではありません。
>人に隠して教える法文があるというなら、親鸞は地獄に堕ちることでしょう。
これについては、>>321にておこたえしています。
350:298
08/01/28 15:36:10 RNpWEO5r
>>339
>信を得た人は、掟破りでもしたということか。馬鹿馬鹿しい。
無宿善の機に話すならば、掟破りになるでしょう。
なぜ、信を得るだけで、掟破りになってしまうと思われたのか、よくわかりません。
できることなら、信は獲った方が良いです。
>自分が作ったチェックリストで見て、自分は信前だったのか、信後だったのか。
もちろん、私は全部わかります。同行に対してであれば、
自分の領解を説明もできます。
>貴方の言葉には、助かったという実感がない。血が通わない。涙が通っていない。
>口ほど便利な道具はない。誠実みがない。
これは、私の性格が至らぬためです。私を見て弥陀から離れてしまうのは、
もったいないことです。私は確かに浅はかな凡夫ですが、
弥陀はそうではないからです。
ご不審あれば、重ねて問うていただければ、うれしいです。
351:神も仏も名無しさん
08/01/28 15:52:49 v5RsnxdP
「一心一向に弥陀に帰命した」ということと「本願力に疑いがない」とは同じことでしょうか。
帰命したが疑いが残っている、ということはありえるのでしょうか。
352:298
08/01/28 15:56:30 RNpWEO5r
>>340
>>別に模範解答があるわけではなくて、「ああ、成る程、よくわかる」というわかり方が出来るなら、それで良いのです。
>298さんに模範解答を求めている人などいませんよ。ああ成る程、よくわかる。298さんは本当に信心のある人だ。僕も貴方のことをそのように思えれば安心できる。
>298さんにお答えいただけなければ、「ああ、成る程、よくわかる」という、こんな分かり方さえできないでしょう。不信感だけが妙な形で膨らんでいく。
「ああ、成る程、よくわかる」というのは、たとえば、このスレを読んだ人がいて、
刺激を受けて、獲信者を探しはじめ、探しあて、次第相承の善知識のご紹介をたのみ、
紹介していただき、会い、六字のいわれを聞き開き、弥陀をたのんだならば、
その後に見れば、「ああ、成る程、よくわかる」と、その方が実感するのです。
私に信心があるかどうかは、見た方がそれぞれ判断すれば良いことです。
何も私が無理して示そうとするようなことではありません。
353:298
08/01/28 15:56:49 RNpWEO5r
>>340
> 「この行は、途中から弥陀が行いますので、完全に同一となり(>>317)」など、
>奇妙きてれつな宇宙人の呪文のような言葉が出てくれば、「コノヒト ワ
>イッタイ ナニ オ カンガエ テ イル ヒト ナン ダ ロウ」なんていう
>不信感がでてくるんですよ。
そんなに奇妙に思われたことを、つい不思議に思ってしまうのですが、
信じがたいお話であることも、よくわかりますが、真宗に於いては、
弥陀が私たちを救ってくださるのです。
凡夫は、凡夫であるが故に、自らを救うことできませんので、
弥陀に救っていただくのです。
これは、真宗に関係する人の間では、有名なことですから、
少し調べていただけるなら、きっと、(渡海様には信じられなくても)
このようなことを主張している宗旨であると知れると思います。
もちろん、ご自分の道を歩むのは尊い方ですが、私たちは、自力至らぬから
弥陀をたのむのですから、どうかバカになさらないでください。
私たちをバカにするのは構いませんが、私たちの気持ちとしては、
弥陀をバカにはしてほしくないのです。
しかし、これも単なるお願いで、渡海様におまかせするしかありません。
宿善の機は、今生で弥陀にあったことが一度も無くとも、
「弥陀をたのみたい」と思うのです。
確かに希なお話ではありますが、その希な方々を丹念に見つけ、
浄土への道をお教えしたいのが、私の希望です。
354:298
08/01/28 16:02:23 RNpWEO5r
>>351
根源無明そのものは破砕してくださいます。ですから、この意味での疑いは、
生涯一度の一念帰命にて、きれいさっぱりとなくなります。
これにより、流転から離れることができます。
信後でも、自力の信は残りますから、疑おうと思えば、いくらでも疑うこと可能です。
しかし、どれほど疑おうと、極楽往生治定に変わりはありません。
それでも、せっかく救われたのですから、自力の信も育てていった方が、
楽しく生きられます。このために、後念相続を行います。
たとえば、御文様を読んでゆきます。すると、読む程に、「蓮師と同じ信心いただけた」
とよろこべるのです。(はじめは、御同行と一緒に読んでいった方が良いと思います。)
このようにして、信後のよろこびは、開発してゆくことができます。
355:298
08/01/28 16:05:09 RNpWEO5r
>>354
「いくらでも」というのは、あくまでも、「その方の能力の範囲内において」
という意味です。
疑いは凡夫の心の自然な働きですから、疑いは出てくる方が普通だと思います。
しかし、それをそのまま打ち捨てておくのはもったいないことです。
そのために、後念相続してゆくのですが、これは、「疑いが出てくること」も
自覚できますし、「それがもったいない」ことも自覚できます。
もちろん、それは全員ではありません。信後のすがたは、機によります。
大体の傾向をお話しています。
356:神も仏も名無しさん
08/01/28 16:06:19 v5RsnxdP
>>355
なるほどよくわかりました。
ありがとうございました。
357:298
08/01/28 16:13:59 RNpWEO5r
>>356
大きなよろこびを得たい方は、信後相続を丹念にするでしょうし、
「もう救われたのだから、そんなのも面倒だ」という方は、
打ち捨ててもおかれるでしょう。
もちろん、御恩報謝のお念仏をしてゆくことが、おすすめです。
これは、本来、弥陀の救いの価値と意味を感じてゆくことにより、
「あいがたき法に出会えた、ありがたい、うれしい」「こんな自分が救っていただけた、
ありがたい、うれしい」等の感謝の気持ちが出てきて、
自然と弥陀に感謝することばを口から出したくなるのです。
南无阿彌陀佛
358:298
08/01/28 18:16:27 RNpWEO5r
信を得るには、信心決定の念仏行者を探し、その方は、次第相承の善知識を
知っているはずですから、ご紹介を御願いし、次第相承の善知識に遭い奉り、
六字の謂れを聞き開き、一心に弥陀をおたのみして、これにて極楽往生治定と
知るべきなのです。
たったこれだけで、永劫の流転から抜けることができます。
凡夫直入易行、横超捷径です。頓教中の頓、これに過ぎるものはありません。
弥陀をたのめば、救われるのもアッと言う間であり、そのあまりの簡単さに、
易行であると実感し、「こんなに簡単だったとは・・・ 自分で疑っていただけだった。
自分で弥陀から逃げていただけだった。阿弥陀様、ごめんなさい、ごめんなさい」と
涙も致しますし、そんな自分をも見捨てず救ってくださったうれしさに、
涙もするものなのです。
359:298
08/01/28 18:18:22 RNpWEO5r
自力の心をふりすてるのは、自力ではできないのですから、
ふりすてようと自分であれこれ工夫しても、詮無きことです。
その方法を、次第相承の善知識から、教えてもらわなければなりません。
360:298
08/01/28 18:29:14 RNpWEO5r
凡夫直入の捷径なのですから、難しいことは、何もありません。
彌陀に救われることを望まれる方になら、誰にでも開かれている道です。
真実信心の招待状は、南无阿彌陀佛というかたちで、届いています。
この南无阿彌陀佛を目にし、呼ばれたと感じる宿善の機は、
その人身にて、南无阿彌陀佛という他力の行を致さねばなりません。
361:神も仏も名無しさん
08/01/28 21:31:47 fnPeWFKm
真の知識は真実をあきらかに耳の底にのこした人。
その仕事は「弥陀をたのめ」と人にすすめるばかり。
我が身の罪深さに地獄一定と嘆く人が宿善のもよほしにあづかって、次第相承の善知識に親近を得て、南無阿弥陀仏のいわれを聞きひらいたときに往生は治定。
年齢も能力も人物の善し悪しも関係なし。ただ帰命するのみ。
たのむ一念のときに信心決定して等正覚の位になるけれど、凡夫はやはり凡夫のまま。
愚かさゆえ、こちらが南無阿弥陀仏を忘れても阿弥陀はけっして捨てはしない。
しかしそれではあまりにもったいないので、たびたびに溝をさらえて仏恩報謝の念仏をすべし。
・・というふうな感じだと思います。
362:神も仏も名無しさん
08/01/28 21:45:04 fnPeWFKm
法をたずねるとき。
信心を獲得するのにお金はいらないと思います。
お賽銭程度は別として。
363:神も仏も名無しさん
08/01/29 00:00:50 YQJ/uIv4
/ ̄ ̄ ̄ ̄\
( 人____)
|ミ/ ー◎-◎-) / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(6 (_ _) ) <キミも自分のキモヲタ度を調べてみよう by渡海 難
| ∴ ノ 3 ノ \_____________
\_____ノ
1.サークル活動と聞いて連想するのは大学でなく同人だ。
2.服は親に買ってきてもらう。または親が勝手に買ってくる。
3.「りぼん」「なかよし」「ちゃお」の内、定期購読していた雑誌がある。
4.ヲタクと呼ばれると自分はマニアということを主張する。
5.「CC」の後に続くのは「さくら」だ。
6.やたらと独り言が多い。
7.ちなみに部屋は踏み場が無いほど汚い。
8.茶髪、金髪の人間が恐い。
9.人名:「○きどうざん」 ○に入るのは「り」である。
10.モー娘のメンバーは全員言えないがシスプリの妹12人の名前はすべて分かる。
11.エロゲー雑誌の名前は5個以上言えるがファッション雑誌の名前は5個以上言えない。
12.アニメは本編よりスタッフロールの方が楽しい。
13.「メッセサンオー」「虎の穴」「アニメイト」の袋を持って平気で町を歩ける。
14.3段腹だがノースリーブの服で町を歩ける。
15.ゲームを買うのに徹夜で並んだことがある。
16.携帯の着メロはアニメorエロゲーの主題歌。
17.渋谷、原宿、池袋は近寄りがたい。
18.「メイド」「巫女」「ネコミミ」と聞くと興奮する。
19.「眼鏡娘」ではなく「メガネっ娘」が正しい。
20.靴下は白が多い。
21.もちろんギャルゲーは本名プレイ。
22.アニメorゲームのキャラ名で領収書をもらったことがある。
5個以上該当はマジでヤバイです。
ちなみに渡海 難さんは見事全部該当しました。