【浄土真宗】妙好人と学ぶ3【信心獲得(決定)】at PSY
【浄土真宗】妙好人と学ぶ3【信心獲得(決定)】 - 暇つぶし2ch2:神も仏も名無しさん
08/01/16 04:13:46 JHVPPO4l

            ,、    ,、
           ( ( __) )    さあ、本スレも異安心を
  /\     l\< 、_    ゝ    ドンドン裁いて裁いて血祭りだ。
/ /|ヽ\    | ヽ (io\ ル、/,)    人を裁くのは楽しいね。
   |  ヽ\   | c)    フ 、, ヾ
  |    ヽ\  ゝ_ , ヽ  ,_、_,ノ     、 、 、 、
  |      ヽ\ ヽ   VwwwV ヽ   / UUUU  アツイヨ!
 | / ⌒ ヽ_ノ  ヽ\_ヽー''ノ  )  (つ(;´Д`)ノ アァッ-!!
 レ'    /    ヽ  ーヽ   | ヾ\/ ( >>1 )へ
      \ ゝ   )   |  ノヽ  イ '  >  , '
        ヽ   丿\ヽ ノ )  \_ノ   人 '人 , ゴオオオォォォーー
_____/|\   、|ヽ ノ )       ' ( ( 人( ))
         \\  ⌒ ̄ ̄~`へ     ( 人( ))人 , チリ チリ
 お前の信心  | \__ニ  ヾ )   =从  从 ())=
 まちがってる。 |        >/    //// \ヽ\

3:神も仏も名無しさん
08/01/16 05:44:55 JHVPPO4l
>>1さんが>>2で火あぶりになっていますが、コピー時の誤りです。
ごめんなさい。

4:神も仏も名無しさん
08/01/16 09:13:07 6C8Auf+p
精神病の渡海難は放置してください。相手にする価値も無い人間です
ので放置が一番です。現実社会で渡海難が誰にも相手にされないように
無視してください。

▲▼▲▼渡海難とは ▲▼▲▼
2ちゃん以外では誰にも相手にされない人間。
内面から滲み出すキモイ精神のお陰で腐臭が漂い、周りから忌み嫌われ
ているのだが社会が自分のことを理解してくれないと誤解し、浄土真宗の
坊主と思われる人を叩くことでようやく自我を保っているような屑。そのような
卑屈な根性が誰にも相手にされなくなる原因と未だ理解できないようだ。。。。
長い間 社会と隔絶された生活をしているため脳内でいろいろな人と語り
合う事ができる。(自作自演が得意)


※以下の文を10回暗誦して反省してください。

荒らし・煽り・叩きに反応する事は荒らしへの荷担にしかなりません。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
荒らし・煽り・叩きを無視できないあなたも荒らしです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

5:神も仏も名無しさん
08/01/16 09:14:43 6C8Auf+p
     ∞~プーン       ~
      / ̄ ̄ ̄ ̄\   ~ プゥーン
     (  人____)  ~
 ~∞  |ミ/  ー◎-◎-)  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 プーン (6     (_ _) )<オレはこう見えても結構モテるんだぜ!!!!
      |/ ∴ ノ  3 ノ  \_________
      \_____ノ,,    ∩_
     /,|┌-[]─┐| \  (  ノ
      / ヽ| |  バ  | '、/\ / /
     / `./| |  カ  |  |\   /
     \ ヽ| lゝ    |  |  \__/
     \ |  ̄ ̄ ̄   | プーン~∞ 
      ⊂|______|
       |l_l i l_l |  
       |   ┬    |
◆渡海難の正体◆
・引篭り歴10年以上・童貞、彼女&女友達無し(というか友達1人も無し)
・身長159cm以下体重75kg以上 体脂肪率38%以上 ・年賀状は1枚も来た事が無い
・3流大学卒、アニメサークル所属、合コン歴無し ロリコン
・今行きたい所:秋葉原、オタワ(カナダの首都、ヲタクが集まる所だと思ってるらしい)
・前科5犯(万引き、食い逃げ、性的暴行、強制猥褻、痴漢(存在自体が痴漢))
・好きなゲーム:ゲーム関係なんでも、但しホラー以外(ションベンちびって3日以上放心状態になるから)
・所持エロゲーは軽く1000を越える
・コンビニの処分された弁当しか食べられない、というか最近家族に手料理を作ってもらってない
・風呂には3日に1回しか入らない ・50M走タイム11秒5以上 ・自分の年齢=彼女いない歴
・AV、アニメビデオを1日最低3回は見る ・“ラップ”と聞くと「サランラップ?」とボケでなくマジで答える
・趣味:2CH心と宗教板への書き込みをすること、座禅念仏
 そして浄土真宗関連スレ、親鸞会関連スレを見つけるとここぞとばかり攻撃し、チンポをこすりながらレスを待つ
・カラオケで歌うのはいつもアニソン、というか友達がいなくてカラオケも行けない
・真宗教団と親鸞会と真宗の僧侶を目の敵にしている ・ギャルゲグッズを多数所持
・メル友募集をしても女性からは1通も来ない、(ネカマからは来る、しかも普通に女と勘違いする)
・自分にレスする者全員に対して「ボーズ(坊主)」「親鸞会」と言う恥知らずのリアル精神病患者

6:神も仏も名無しさん
08/01/16 09:24:16 6C8Auf+p
念仏宗渡海会(「こんにちは会」ともいう)
・教祖 渡海 難(「とうみかたし」と読む) ←渡海紀三朗文科相とは無関係
・会費 4000円
・HP  URLリンク(www7b.biglobe.ne.jp)
・根本聖典(?)親鸞の思想と教行信証(世界数ヶ国後に翻訳されると本人が称している)
「親鸞仏教の正当性を問う」URLリンク(mentai.2ch.net)
「親鸞仏教の正当性を問う(パート2)」URLリンク(mentai.2ch.net)
「親鸞仏教を見直そう。」URLリンク(mentai.2ch.net)
「親鸞仏教を問う(Ⅲ)」URLリンク(life.2ch.net)
「親鸞仏教論 Ⅳ」URLリンク(life.2ch.net)
「□■ЯЯ親鸞仏教(浄土真宗)質問箱RR■□」スレリンク(psy板)
「○●Я親鸞仏教質問箱R(その2)●○」スレリンク(psy板)
「○●Я親鸞仏教質問箱R(その3)●○」スレリンク(psy板)
・教義 渡海教祖の思いつきで右に左にコロコロ変わる。ある時はお釈迦さまの代弁者となり、ある時は親鸞思
想の代弁者となる。大川隆法の「霊言」のようなものである。
ちなみにカルト教団に「サタン」とするものがあるのと同じく念仏宗渡海会にも「親鸞会」や「浄土真宗のお坊
さん」というサタンが存在し、自分に都合の悪い者がいると「親鸞会」や「浄土真宗のお坊さん」と言って決め
つける。
ちょうど創価学会の「日顕宗」のようなものと思えばいいだろう。
・会員数 ゼロ(笑)
・教祖の性格 一言で言えば基地害、電波。独善的で絶対に他人の言うことを聞かない。
裁判の時弁護士が使うような論法で次々と質問をはぐらかす。
・活動 2chでの布教活動を主とする。
あと、彼にとってのサタンである親鸞会の退会者に狙いをつけて退会者狩りを行うが念仏宗渡海会の信者になっ
たという話は聞いたことがない。
渡海会には「座禅念仏」という行があるそうだ。それを真宗関係のサイトで説いて回った所、次々と拒絶されて
いる。
あと「ああ先生」という呪文もある。詳しいことは分からないが人の意見を聞かない奴に先生もヘチマもあった
ものではないが。

7:神も仏も名無しさん
08/01/16 09:29:26 6C8Auf+p
渡海難のカキコパターン

1 あるスレに突如として乱入。「最初は~について教えてください」と学習者を装って参加する。
2 スレの参加者がそれに乗って丁寧に教えてやる。
3 その言葉の揚げ足を取って渡海難が攻撃開始。『教行信証』を断章して自分勝手な仏教解釈のコーシャクが
始まる。
4 それに対しスレの参加者が「まともな根拠をつけて」反撃する。
5 渡海難、正論で反撃できなくなり、しばらく黙る。その後、「お坊さんですね」(最近はこのパターンが多
い)か、「親鸞会ですね」と寺や親鸞会批判をする。(大概は奴の妄想)
6 それに対する反撃の後、4~5、もしくは3~4がしばらく続く。(7、もしくは8へ)
7 「馬のションベントーク」で相手がウザイと感じるまでけなす。
8 明後日の方向にひたすら答えにならないレスを乱発し、スレの流れをかく乱する。もしくは「仮説」に逃げ
る。「ウソも100回言えば」のクチでそれに騙されて「渡海は真の論者だ」という信者はこの8のシチュエー
ションから生まれる。(9もしくは10へ)
9 (しばらくしてスレが静かになると)一方的勝利宣言をして他スレを荒らしに行く(1に戻る)
10 あまりに渡海難がウザイので2chではスレが下がったり、他のHP掲示板は静かになる、すると「私を恐
れているんだ」と他スレや他の掲示板で言いふらす。

8:298
08/01/17 02:17:21 knufgGVP
>>298
確かに私も、裁き裁かれ、哀れな姿を現しているものだと思います。
弥陀の摂取不捨のお誓いに甘えざるをえない凡夫だとは言え、
この機会に、前スレを読み返してみると、傲慢と言われても、
全く仕方がありません。また、自分で見て、「おかしいな」という記述もあります。

9:298
08/01/17 02:18:56 knufgGVP
>>8
上の、>>298は、>>2の間違いです・・・

10:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/01/17 09:55:53 CURxQ91C
 298対熊本、298対名無しの問答は、休戦・水入りか?

 他人が見ておかしいと思う記述はあるんだが、「自分で見て、おかしいな
という記述(>>8)」ってどこなんでしょうね。気になりますね。

11:神も仏も名無しさん
08/01/17 10:48:23 wGZixPEu
  |\__/ハ__
 {_____」
       
         \\              ∧_∧
◎     ≫〃vミー‐w  へ          (´<_` ) >>10 お前の頭の中がおかしいんだよ!
  \   彡_____彡ヽ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄⌒    \
      {_親●鸞___| )  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\       )
 ◎-○一( * *    ヽミ            |.      |
      ((_ _ (( ( ;;;;-=- ̄=─ ̄ '⌒ヽ.〉      | |
 ‘,'.∴・,‘・(ε ((  ヽ:: -=_二__ ̄ .   \_     | |
  ,'.・∵  ヽ_____ ノ        ̄\      / /
    (   ) 渡 ≡ ;;; )  )         .\__/_丿
     |__|. 海 ≡ ;;; )_l          .|  |
    _|  |  難 ≡ ;;;; ) (           |  |
   |  \.._\.      入 \,       |  |
   |ハルヒ(_る~~~~~wv)       \ ヽ
   |___||:::::::::::::/::::::::::/               \ |
         .|;;;;;;;;;;;/;;;;;;;;;;;/             / ノ
         (___|)__|)     

12:298
08/01/17 14:43:16 KUOW5UvN
>>10
スレが探せないのではないでしょうか。
いずれにしても、諍論は煩悩のもとでございますので、
しなくて済むなら、それに越したことはございません。

13:神も仏も名無しさん
08/01/17 16:30:17 oBsp7AVR
>>12
基地外にレス不要

14:神も仏も名無しさん
08/01/17 18:31:14 TRGQsj3o
>12
298さんへ
諍論ではないです。私は「宿善の機=救いを求める者」の出拠をお尋ねしているだけです。
言い換えれば、親鸞聖人、蓮如上人また、覚如上人が
何処でそのようなことを仰っておられるのか、尋ねているだけなんです。
さて、『改邪鈔』(八)の「正法」の意ですが、これは=正しい理法、正しい道理=仏法、
これは、お釈迦さまの教えを伝え継ぐ宗旨であれば、肯首する所でしょう。
親鸞聖人にとっては、大経こそ出世本懐の教、時機相応の法、大乗至極の法であって、
その体をたずねれば、南無阿弥陀仏の名号でありましたと受け取られたのでした。
勿論、親鸞聖人の教えを継ぐ覚如上人であるから、「名号を本とする仏法」を
「正法」と表現されたことは間違いないと思います。
しかし、それが「宿善の機=救いを求める者」という
298さんの定義と何の関係があるのでしょうか?


15:神も仏も名無しさん
08/01/17 18:45:49 TRGQsj3o
あと一つだけ。298さんは私のパーソナリティーをいじくろうとするレスが多いですが、
私が浄土門であろうが聖道門であろうが、私の質問はそんなことに関係ありません。
「宿善の機=救いを求める者」と、親鸞聖人は何処で仰っておられるのか、
その箇所を挙げて下さい、それだけです。誰が質問しようが、同じです。
こんなシンプルな事で、何故時間を費やさなくてはならないのでしょう。
有るなら有るで、「宿善の機=救いを求める者」と書いてある箇所を引用すればいいし、
無いなら無いですと書き込めばいいだけの話なのですが。


16:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/01/17 20:08:13 CURxQ91C
 2月3日第一日曜日、東京新宿で新年会を考えています。
 集合場所、東京・新宿駅
 近くで飲み会をしませんか。
夕方5時ころ集合、その後近くの店で新年会

 参加予定者はメールください。

 これはネタじゃない。煽りでもない。何か意見・提案のある方は、この掲
示板でもいい。メールでもいい。送って貰えるとありがたい。

 なお、参加者名は愛称・匿名OKとしたいと考えています。
 詳細はメールでお知らせしています。
  tkatasi@mail.goo.ne.jp

17:神も仏も名無しさん
08/01/17 22:48:59 uuPsHGbI
>>16
人が全然集まらないから必死で宣伝してるキモヲタおっさん乙www

18:298
08/01/17 23:52:28 KUOW5UvN
>>14
出拠についてですけれども、まず私は改邪鈔を挙げているわけです。
それが適切か非適切かは、判断の対象になりますでしょうけれども、
出拠は出しています。
あなた様は、それをわからないとのことです。
ですから、今説明している途中です。
それと相変わらずHNを定めてくださいませんが、
お話を続けてゆきたいのであれば、HNを定めてほしいと思います。
過去のご発言を検索する上で、とても不便です。

19:298
08/01/17 23:54:01 KUOW5UvN
>>15
また、誰が質問しようが、同じということはありません。
機に応じて、話す内容、話す順序も異なります。
たとえば、改邪鈔を引いて、「なるほど」という方には、
それ以上説明する必要もありません。

20:298
08/01/17 23:59:28 KUOW5UvN
>>14
「正法をのぶる」とは、「南无阿彌陀佛をのぶる」これは、よろしいのでしょうか。
もちろん、南无阿彌陀佛にもいろいろございますので、より正確には、
「正法をのぶる」とは、「第十八願をのぶる」と解釈することができることは、
認めていただけるのでしょうか。
もちろん、あなた様のおっしゃる通り、「正しい道理」で構いませんが、
十八願以外は、すべて方便である、「正しい道理」ということです。
つまり、一見十八願以外の「正しい道理」を述べているように見えるとしても、
あくまでも、十八願に導く為の「正しい道理」を述べている、
そのような善知識、という意味に解せると思いますが、
いかがですか。
「第十八願」をのべているかどうかで、邪正を分けているということです。
それとも、ここの解釈における「正」とは、「正邪対」ではなく、
別の対について考えていらっしゃいますか。

21:298
08/01/18 00:13:04 x1KYXlo9
>>15
>私が浄土門であろうが聖道門であろうが、私の質問はそんなことに関係ありません。

あなた様は、関係ないと思っているかもしれませんが、
私は、関係があると思っています。

あなた様は、前スレにおいて、

>仏教は救われれば良いと言う教えではありません。
スレリンク(psy板:622番)

という発言をなさっています。しかし、これも「~ではない」という
趣旨ですので、あなた様によれば、

>言及されていないことを言及していないと証明しろと言う方が不自然です。
スレリンク(psy板:609番)

ということになるのでしょう。

しかし、浄土門というのは、救いについて考えている教えなのであり、
私たちは、弥陀の第十八願を示すのは、
釈尊の、出世の本懐だと思っているのです。
それを理解せずして、宿善について論じようと言うのは、
順序がおかしいと思います。
それとも、浄土門は、救いについての教えでは無いという
お立場なのでしょうか。

22:298
08/01/18 02:40:54 x1KYXlo9
>>15
それに、当流では、聖道門の方に対し、宗義を明らかにすることは、
戒められております。
我らは、聖道門の尊い方から見れば、あくまでも、いやしき、
汚き衆であって、機が卑しいがために、弥陀の救いを求めているからです。

23:神も仏も名無しさん
08/01/18 18:53:12 YxW2nbKd
298さん、『改邪鈔』(八)の意訳をみれば、「宿善の機=救いを求める者」
とは述べられてありません。
述べられていないのに、それを出拠とし、正義であると主張するのならば、
たとえば、表向きには説かれていないが、実は密意がある等、
前置きをしてから解釈されたらどうでしょう。勿論、依拠する経釈に無理が生じたり、
論術に穴があれば、突っ込みますが。
また、解釈されるなら、「~の故に~であって、~であるが故に~」と、
簡潔に論述できないものでしょうか?
ちなみに、彼の「第十八願文」にも「第十八願成就文」にも
「宿善の機=救いを求める者」とは述べられていません。
文章読解能力が乏しい方に対しては、問題を多岐に渡せて複雑化し、
語意に曖昧さをもたせて、誤魔化すのも有効な手段でしょうが
(詐欺的行為だと思いますが)、何度も言うように、
私は祖師の言葉そのものの提出をあなたに求めている、それだけです。
聖書には、確か「求めよ、されば与えられん」でしたか、
正にあなたの仰ることの出拠としてぴったりな言葉があるように
記憶しておるのですが、どうなんでしょうね。
南無阿弥陀仏


24:神も仏も名無しさん
08/01/18 19:30:21 YxW2nbKd
>23補足
「宿善の機=救いを求める者」と規定することは、阿弥陀如来の救済対象を
限定することにもなりかねません。
宿善開発を信心獲得・信心決定と言うのですから、必ず救いを求める行為があって、
信心決定することとなりますね。逆から言えば、救いを求めること無き者は、
宿善の機ではない。即ち信心決定は不可能と言うことを暗に示しています。
浄土真宗の方々にとっては、これは重大事でしょう。
このような浄土真宗の教義全体に関わる重大事を
親鸞聖人が述べておられない訳がありません。
故に、出拠はいくらでもあるはずですから、挙げて下さいと言っているのです。
もし、これが密意であって、表向きに説かれていないとするのならば、
「めずらしき法もひろめず」と『歎異抄』に書かれている言葉と矛盾し、
親鸞聖人は、一番大切である宗義において両舌を犯している事になります。
あと、>22の解釈はおかしいですよ。こちらも出拠をもう一度確認されてみたら如何でしょう。

25:298
08/01/19 01:05:06 xEYumR8a
>>24
>宿善開発を信心獲得・信心決定と言う

そうではないと思います。

26:298
08/01/19 01:06:38 xEYumR8a
>>24
>あと、>22の解釈はおかしいですよ。こちらも出拠をもう一度確認されてみたら如何でしょう。

「おかしい」ということは、お聖教と矛盾しているという意味でしょうか。
それとも、個人的な感想でしょうか。
思い当たる文言があるのであれば、お示しください。

27:298
08/01/19 01:09:02 xEYumR8a
>>24
>浄土真宗の方々にとっては、これは重大事でしょう。

やはり、このような言い方が、気になるのですが・・・
真宗の方でないならば、ご自分に適切と思われる道を
進まれたら、よろしいのではないかと思います。
仏法にも、さまざまな法門がございます。

28:298
08/01/19 01:34:20 xEYumR8a
>>24
>救いを求めること無き者は、宿善の機ではない。
>即ち信心決定は不可能と言うことを暗に示しています。

救いを求めること無くして、どうやって信心を決定するとおっしゃるのですか。

29:298
08/01/19 01:41:40 xEYumR8a
>>24
あなた様からすれば、良くない態度なのかもしれませんが、
近頃は、お聖教を確認して、自らの言論を守ってゆくと言いましょうか、
そういうことに、あまり興味がなくなってきているのです。

30:298
08/01/19 01:42:20 xEYumR8a
>>24
弥陀が救ってくださった。私がよろこんでいる。
それで、わかる人には、わかります。

31:298
08/01/19 01:44:44 xEYumR8a
>>24
阿弥陀様の救いは、弥陀をたのむ者、すなわち、念仏衆生を
救うものだと私は思っています。
もちろん、宿善をお育てくださいますので、いずれは、
一切衆生を救うお方です。
今生で弥陀をたのんで信心決定する方は、
宿善の機であり、宿善の機であっても、開発前には、
法を求めないのです。

32:298
08/01/19 01:50:04 xEYumR8a
>>24
結局、批判されますのも、私がお聖教を根拠にあげたからだと思います。
それは、私のことばよりも、お聖教がある方が、
親鸞聖人を尊敬する方々に、届き易いのではないかと思ったからです。
しかし、宿善と、自然法爾を考えましたときに、
私は誤っていたのではないかと考えるようになりました。

33:298
08/01/19 01:51:15 xEYumR8a
>>24
他宗他派他人を誹謗してはならないのですが、
誹謗や押しつけであると考えねばならぬ内容が、
多々含まれていると思い、悔恨している次第です。

34:298
08/01/19 01:56:16 xEYumR8a
>>24
24様は、ご心配なのかもしれませんが、救いを求め、
弥陀をたのむ方は皆救われるのですから、
何の心配も要らないのです。

35:298
08/01/19 02:11:07 xEYumR8a
>>24
24様は、「宿善開発の機」とは、どのような方だと解していらっしゃるのでしょうか?
おそらく、私の書いたことは、24様のお考えに反することがあったということだと
思うのですが・・・

36:横レスごめん
08/01/19 09:16:49 G3E7X95J
となえてでは間に合わぬ

聞いてでも間に合わぬ

南無阿弥陀仏で間に合っているよ

37:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/01/19 10:01:25 DF1Pp3Xq
 298と名無しに提案。とりあえず論点を絞って欲しい。
 議論が多岐にわたるとギャラリーは論筋を追えない。例えば以下のような論点、主張、理由で
はいかが。

 論点 救いを求めることが無い者は宿善の機であることはないのか。
    宿善の機とは、救いを求める者に限るのか。

 主張
 298 救いを求めることが無い者は宿善の機ではない。
 名無し 救いを求めることが無い者は宿善の機ではないという主張は間違っている。

 理由 名無し 
a 救いを求めることが無い者は宿善の機ではないということは、浄土真宗の教義全体に関わる
 重大事である。
b 浄土真宗の教義全体に関わる重大事であれば、親鸞聖人が述べてない訳がない。
c  親鸞聖人が述べてないということは、救いを求めることが無い者も宿善の機であるとこと を証明している。
d 救いを求めることが無い者は宿善の機ではないというなら、そのように親鸞が言っている根
 拠を示せ。
 298
a 救いを求めることが無ければ信心を決定することはない。
b 信心を決定しない者が宿善の機であることはありえない。従って、救いを求めることが無い
 者は宿善の機ではない。
c 救いを求めることが無い者でも宿善の機であるといえば、「宿善開発の機」の概念が不明確
 になる。無宿善の機との相違がなくなる。宿善の機とは、救いを求めることが無い者であると
 解すべきである。

38:神も仏も名無しさん
08/01/19 10:04:56 MNmCJY1j
>>37
 渡海に提案。とりあえずこのスレに来ないで欲しい。

39:298
08/01/19 10:52:40 xEYumR8a
>>37
確かに論点が拡散しています。名無し様が求める「出拠」が、私の考えと
異なるように思います。
もともと、名無し様は、私の言うことを理解したいのではなく、
否定したいのだと思います。そのような方に話すことが、無理です。
これは、渡海様に書くのですが、宿善ある機でも、開発前には、
法に興味を示しません。
宿善が開発されてくれば、法に興味を示します。
しかし、宿善が開発されてきても、それだけでは、信心決定致しません。
五重の義にありますように、宿善開発の機が、次第相承の善知識に会うことが必要です。
そして、信をいただくのは、あくまでも、南无阿彌陀佛によるのです。

40:298
08/01/19 10:59:04 xEYumR8a
>>36
どう書いたら良いのか、わからなくなっているのは、
上述した通りです。
自余の浄土門を認めよ、と御文様にもございます。
南无阿彌陀佛は、具体的な弥陀の救いです。
我らが自らの心を加工して、それによって得る安心ではありません。
横レスごめんなどおっしゃらず、思うところを、ぜひ書いて下さい。
名無し様が私のことを否定しようとしていると書きましたが、
それでも、思うところを書いて頂けることはうれしいのです。
ですけれども、名無し様は、思う所をあれこれ隠してもいらっしゃいます。
しかしそれも、凡夫の自然な性質であり、私も何でも書いてはおりません。
間違いのあるのが、我らです。

41:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/01/19 12:46:57 DF1Pp3Xq
 名無しさんに質問。298さんとの論争をまだ続けますか?。

 298の名無しに対する感想。
 名無しは、298の言うことを理解したいのではなく、否定したいのだと思う。そのような方
に話すことは、無理。どう書いたら良いのか、わからなくなっている

 名無しさんはまだ続けますか?。298はどう書いたら良いのか、わからなくなっているぞ。
298は、止めたいんだろう。休戦にしたらどう?

 一本槍戦法というのは、往々にしてこういう結果になる。互いに生産性がない。

 法の名一・義異なるあり。法の名義倶異なるあり(真仏土)。
 一法において二種の説を作す、一名の法において無量名を説く、一義の中において無量の名を
説く、無量の義において無量の名を説く(真仏土)。

 同じ名詞でも、使うところによって意味が違っていることがある。類似の概念だが、厳密には
意味が異なり、これによって名詞を変えていることもある。
 一つの名詞の意味は一つとは限らない。宿善ということばを、「救いを求めている者」という
意味に限定しているところもあるだろうし、救いを求めている者に限定していない箇所もありそ
うだ。
 デジタル思考つまり一かゼロかという硬直化して融通の利かない解釈は、つまらん論争の種に
なる。

42:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/01/19 12:54:15 DF1Pp3Xq
>41   (補足)

 「デジタル思考つまり一かゼロかという硬直化して融通の利かない解釈」とは、
名無しさんもそうだが、むしろ298さんに考えて頂きたいと思ってる率直な感想
ですと、申し上げておきたい。

 失礼を申し上げた。 m(_ _)m

43:298
08/01/19 13:00:26 xEYumR8a
>>41
「宿善」というのは、あくまでも、過去生において、弥陀から廻向された善のことで、
宿善の機は、その善を相続している機です。
弥陀から発せられた光が相続して、その機になっているのです。
その善が、三恒河沙の諸佛に育てられ、開発し、摂取の心光に値に至るのです。

44:298
08/01/19 13:04:02 xEYumR8a
>>41
同じ法でも、機に応じて、千差万別に説かれます。
名無し様も、掲示板ですので、そこに限界があることは
間違いありません。
掲示板で、信が獲れることはありません。
会わなければ、わかりません。

45:298
08/01/19 13:07:32 xEYumR8a
>>41
宿善というのは、たとえば一般の成人が開発された場合でしたら、
明らかに法を求めるのです。
開発されていなければ、こちらが勧めても、拒否されるだけです。
しかし、宿善の有無を論じても意味がないのは、
開発前なのか、無いのか、凡夫には、わからないからです。
自分のことも、他人のことも、わからないのです。
ですから、誹謗が縁になることもあるのです。

46:298
08/01/19 13:15:05 xEYumR8a
>>41
たとえば、私の身近な方でも、ほとんどは、私が念仏者であることすら
知りません。
仏法者と見えてはならないからです。
凡夫が感じる「近い、遠い」というのは、単なる錯覚です。
地理的距離、時間的距離は、凡夫の錯覚に過ぎず、
宿善こそが、第十八願との距離なのです。
しかも、その宿善すら、回向されるのであって、凡夫が
独自に積めるようなものではありません。
我らはただただ、弥陀におたよりするしかありません。
いわゆる「お手引き」というのも、できません。
相手の方の宿善は、弥陀が積んでくださるのです。
何を説いても、詮無きことです。
宿善ある機が、反応するだけです。
私は、求める方に、道を示したいだけです。
お手引きというのは、無理して手を引くのではありません。
求めるけれども、易行の門がどこにあるかわからず、
迷われている方に、「こちらですよ」と手を引いて案内するということです。

47:298
08/01/19 13:32:44 xEYumR8a
>>41
思想的距離すら、錯覚です。
親鸞聖人をお慕いしているようでいる方が、その実遠い事もありますし、
昨日まで誹謗されていた方が、「聞かせて下さい」と頭を下げることもあります。

48:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/01/19 13:43:46 DF1Pp3Xq
>43-47
 ノーコメント。
 宿善論争の相手は僕じゃない。名無しとやってくれ。


49:7
08/01/19 15:50:35 5RNXJCci
新スレ有難うございます。
南無阿弥陀仏、弥陀の救いを求める方にとって良き縁となりますように願っています。
信心の沙汰をせよと蓮如上人は仰ってみえますので、素直に従うばかりです。
獲信された先輩方、よろしくお願い申し上げます。

50:神も仏も名無しさん
08/01/19 17:03:44 IPsSWcYz
>298さんへ
問題を複雑化しているのは、298さんご自身だとは思いませんか?
質問していることとは、全く関係のない答えや勝手な推測のレスを
されているのはあなたですよ。私の問いは、「宿善の機=救いを求める者」と
親鸞聖人が言われているのかどうか?それだけです。
だから、出拠如何?と尋ねたのですよ。
所が、あなたが挙げた『改邪鈔』(八)の引用には
「宿善の機=救いを求める者」と書かれていない。
日本語がある程度わかる人ならば、そのような事を意味する文章でない事は
誰にだって分かります。意訳されたのでしょう?
ならば、まず、その意訳の通りに読むのが手順として当然です。
「宿善の機=救いを求める者」と述べられてありましたか?
ないならば、ここは典拠にはならないと言うことです。
他に出拠が探せないのであれば、試しに、お聖教中で「宿善」と言う
語句が説明されている箇所を抜き出しましょうか?
これは本当は、出拠を尋ねられた方が、
一番最初にしなければならない作業なのですが。


51:神も仏も名無しさん
08/01/19 17:40:35 IPsSWcYz
>渡海さん
私は、親鸞聖人が何処でそのようなことを述べているのか尋ねているだけです。
論争じゃありませんよ。私は論を立てていないのですから。
298さんの「宿善の機=救いを求める者」と言う論が成立するには、
その根拠が必要です。これは別に本件に限ったことではなく、
立論する上では当然の事です。ですから、そう述べられている箇所は何処ですか?
とお尋ねしている次第です。デジタル思考でも何でもない。
無いなら無いとまず答えるべきです。有るなら、引用すればいい。
そののちに、無いけれども、そう解釈可能な所もあるとか、
そう解釈できない所もあるとか、各々論じ、欠点をついていけばいい。
そういう作業を経て、論と言うものは煮詰まり、固まっていくのでしょう。
その作業に敵も味方もありません。今はまだ最初の段階で躓いている所です。


52:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/01/19 20:12:11 DF1Pp3Xq
>51
 ギャラリーが出しゃばるというのもやや気が引けるが、スレしておきます。

>私は、親鸞聖人が何処でそのようなことを述べているのか尋ねているだけです。
   そうそう。そこは了解しているつもりです。

>論争じゃありませんよ。
   論争じゃない?。まあ、それじゃそれは主観の相違かな。

>私は論を立てていないのですから。

 論を立てているように聞こえるけどね。改邪鈔の引用には 「宿善の機=救いを求める者」と
書かれていないというのは、一つの論じゃないのか。現実に、書かれているという人がいるんだ
ろう。
 
>論が成立するには、その根拠が必要です。    うん。まあ、そうだろうね。

>立論する上では当然の事です。         うんうん。そうそう。

>とお尋ねしている次第です。          うんうん。そうそう。

53:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/01/19 20:13:54 DF1Pp3Xq
>デジタル思考でも何でもない。     デジタル思考ではない?。はて?そうかな?。

>無いなら無いとまず答えるべきです。
   あるのか、ないのか。これはデジタルじゃないのか。
   デジタル思考は一律にいけないと言っているんじゃないよ。あるのか、無いのかという二
者択一を求めることが必要な場合もある。

>まず答えるべきです。 ~   そののち ~ 各々論じ、 ~ 欠点をついていけばいい ~ そうい
う作業を経て ~ 固まっていく

 名無しさんには、歩みたい想定プログラムがあり、そのプログラムに298を誘導しようとし
ているんだろう。「無いなら無いとまず答えるべきです。あるのかないのか、はっきりせい!」。
まあこういう論法は誘導尋問と言う。相手はどこに自分を連れて行くつもりなのか心配になる。
自分の考える筋書き、目的地があり、相手をそこに引っ張っていこうとしても、誘導尋問は掲示
板では絶対に成功しないよ。だれも相手に対して尋問権なんかないんだからね。誘導尋問は諦め
た方がいい。

【誘導尋問】(広辞苑)
 尋問者が自分の欲する供述を暗示して、それに誘導するような尋問。

>今はまだ最初の段階で躓いている所
     誘導尋問だから躓いているんだろう。相手は乗ってこないよ。

54:神も仏も名無しさん
08/01/19 21:42:44 ORvGO4vZ
私が読み聞きしてきたことの範囲でいえば
宿善の機=救いを求める者 とい言い方には違和感があります。

しかしながら、自ら救いを求めない者は信心を獲ることもない
というのも、おそらく正しいんだろうと思います。


55:298
08/01/20 06:59:20 6sIbCk2G
>>50
>日本語がある程度わかる人ならば、
>そのような事を意味する文章でない事は誰にだって分かります。

たとえば、この「誰にだって」ですが、私は、「誰にだって」とは言いませんが、
かなりの方にわかる間違いであると思います。
「過度の一般化」と呼ばれるようなもので、詭弁の特徴です。
「全く関係のない」「勝手な推測」「それだけ」「手順として当然」なども、
似た傾向の表現だと思います。
これだけに限りません。あなた様の論法には、詭弁の特徴とされているものが、
複数登場していると思います。
あなた様は、中古文を厳密に読まれる方なのでしょう?
直接お会いして質問できれば、あなた様の文法や語彙の知識も、
すぐにわかることです。
あなた様は、出典を厳密に読む方であるとご自身を誇っていらっしゃいますが、
私から見れば、あなた様は、なぜ出拠になるかが理解できていないのです、
と私は申し上げているのです。
それは、おそらく、浄土門とは何かという理解がずれているからであり、
そして、弥陀の救いを信じていないからです。
御本典も、多くの引文で構成されていますが、あなた様は、そのすべての
意図が理解できているのですか?
私には、とてもで無いですが、無理です。
宿善について引文から何か述べたいのであれば、
ぜひそうなさってください。
私が述べていることと矛盾があると思われる箇所があるのであれば、
その説明も付してくださるように御願い致します。
また、正法の解釈についてですが、私の質問を無視なさっていますが、
どのようにお考えなのですか。
それに、相変わらずHNを定めませんが、まじめに論じたいのですか。
私には、そうは思えません。

56:298
08/01/20 07:02:36 6sIbCk2G
>>54
違う考え方に触れられて来た方であれば、違和感を覚えられることは、
とても自然なことだと思います。
宿善について、どのように習われて、あるいは、考えられてきている
のでしょうか?

57:298
08/01/20 07:05:49 6sIbCk2G
例の名無しの方(と言ってもきちんと特定できませんが)は、
教義について、知りたい方とは思えません。

58:298
08/01/20 07:14:52 6sIbCk2G
弥陀の救いは、一文不知の方も救われる、完成されたものです。
造悪無善の凡夫が、造作も無く、いとも簡単に救われてしまいます。
弥陀の信心は、とりやすい信心です。
そのような弥陀の救いを素晴らしいと思い、求める方には、
必ずご縁が現れるはずです。
例の名無しの方に独自の宿善論があるのであれば、
その御説に乗っ取って、ご自分の道を歩まれればよろしいと思います。
あなた様の論で、私は考えを変える動機がありません。
出拠を求める割には、ご自身の論には出拠が伴っていないと思います。
そもそも、HNを定めないところが、私からすれば、信用できません。
もちろん、軽く知りたい気持ちの方が、HNを定める必要は無いと思いますが、
続けて論じたいのであれば、過去の発言を検索する上で不便です。

59:神も仏も名無しさん
08/01/20 10:39:22 EGFTMFhA
少し、前スレを読みなおしてみて、読みはぐっていた所を見つけました。
298さんの『改邪鈔』(八)の解釈(渡海さんへのレス)の一部を抜粋させていただきます。
556:298 :2008/01/10(木) 23:44:33 ID:xgWkOzGf [sage]
(前略)
改邪鈔の記載ですが、私は、「善知識に親しめ」という指示として
読んでいるわけではないんです。
「宿善の機は、真の善知識には、おのずと親しんでしまう謂れがある」と
解しています。
本人にもよくわからないことですが、宿善の機は、己の好き嫌いを超えて、
義理をも超えて、自動的に、真の善知識に親しんでしまうということです。
逆に、宿善のない機は、己の好き嫌いを超えて、
義理をも超えて、自動的に、真の善知識から離れ、
悪知識に親しんでしまうということです。(後略)

これは全くその通り、覚如上人がここで仰っている通りに読まれておられます。
ならばもう一度、このご自身で書かれた文章を読み直してみていただきたいと思います。
果たして、この箇所に「宿善の機=救いを求める者」
と覚如上人はお示しになられていますか?


60:54
08/01/20 11:17:21 3N9f0nYK
私は名無しで298氏に細かく質問していた人とは別人です。
それから宿善の根拠を求めておられる方とも違う者です。


61:神も仏も名無しさん
08/01/20 11:22:52 3N9f0nYK
たとえば、今は直接関係のない質問ばかりしている人がいるとして、
あるいは批判的に聞こうとしている人、こういう人はご縁のない人なのでしょうか?
世の中の多くの人は他力の信心に興味をおぼえないでしょう。
そういうなかで単なる好奇心だけだったとしても、お話に触れようとする人は
やはり何かご縁があるのではないだろうか、と思ってしまうのですが。


62:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/01/20 15:43:55 t6IoXtaZ
>59
 2ちゃんねるは、こんな誘導尋問は不可能なんですよ。

> 果たして、この箇所に「宿善の機=救いを求める者」
> と覚如上人はお示しになられていますか?

 「宿善の機=救いを求める者」とはお示しになっていないでしょう。「宿善の機=救いを求め
る者」とはお示しになっていないと、貴方も私の説をお認めになったらいかがですか。宿善の機
≠救いを求める者であると認めるように、私は再三に渡って、一番いい回答を示唆してあげてい
るんです。私が誘導しているように、私の誘導に従って回答なさりなさいよ。
 私は貴方を誘導してあげているんです。私が示唆しているようにお答えになれば、私が望んで
いる次の段階に進めるんです。あなたがいつまでもいつまでも返事をしなければ、私が望んでい
る方向に少しも進まないじゃないですか。
 「宿善の機=救いを求める者」と貴方が回答すれば、私は二の矢、三の矢を用意しています
よ。宿善の機≠救いを求める者であると、すなおに返事をしたらどうですか。あなたが何時まで
も何時までも煮え切らないから、私が誘導したいと思っている結論の方向に議論がちっとも進ま
ないじゃないですか。私が誘導してあげている結論にちっとも到着しないじゃないですか。どうするつ
もりですか。

 2ちゃんねるは、こんな誘導尋問はだめなんですよ。

63: ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄
08/01/20 16:02:17 rfx3l0kz
   |/-O-O-ヽ| ブツブツ・・・
   | . : )'e'( : . |
   ` ‐-=-‐  
   /    \
||\ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \
||\\.          \      ∧_∧
||. .\\          \    ( ;´Д`) (オイ、なんか変なのがいるぞ)
.    \\          \ /    ヽ.  
.      \\         / .|   | |
.        \∧_∧   (⌒\|__./ ./
         ( ´,_・・`)目合わせるなって ∧_∧ 
.         _/   ヽ          \  (     ) うわー、こっち見てるよ

64:神も仏も名無しさん
08/01/20 16:41:27 6ZXZfJPZ
*・゜゚・*:.。*・゜゚・*:.。*・゜゚・*:.。.*・゜゚・*:.。.お掃除はいりま~す♪.。.:*・゜゚・*:.。*・゜゚・*:.。.*・゜゚・*:.。*・゜゚・*:.。

     ____
   ,/:::::::::::::::::::::\ ~プーン.  
 /::::::::::::::::::::::::::::::::::\ ~プーン.     
 |:::::::::::|_|_|_|_|_| ~プーン.   
 |_|_ノ∪ \,, ,,/ ヽ    
 |::( 6  ー─◎─◎ )   
 |ノ  (∵∴∪( o o)∴)  
 |   <  ∵   3 ∵> <2ちゃんねるは、こんな誘導尋問はだめなんですよ。
/\ └    ___ ノ   
  .\\U   ___ノ\   
    \\____)  ヽ  
 渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
               
↑この顔でプーンときたらキモヲタ童貞中年(50歳台後半無職童貞引きこもり川崎在住)


..。.:*・゚ ☆お掃除終了。でも、加齢臭とヲタ臭がひどいので、もうこの部屋は使えません。☆ ゚・*:.。.

65:神も仏も名無しさん
08/01/20 17:04:07 EGFTMFhA
>62
親鸞聖人が何処でそのような事を述べておられるのか
尋ねる事が誘導尋問になるのですか?
宿善の機とは救いを求める者のことをいう、という定義が
浄土真宗の教え上にあるのであれば、当然、親鸞聖人が
述べておられることでしょう。
それでは、何処に書いてあるんですか?と尋ねる事は極めて自然な質問でしょう。
そういった単純な事も誘導尋問になるのでしょうか?
何か不都合な事がありますか?別に無理難題を押しつけているつもりはないのですが。

66:神も仏も名無しさん
08/01/20 18:59:14 gYvjahI8
大丈夫、宿善無くても本願成就の南無阿弥陀仏がある!

67:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/01/20 21:58:55 t6IoXtaZ
>65
>別に無理難題を押しつけているつもりはないのですが。

 無理難題?面白いことを言う。
 無理難題と言うなら、貴方自身、自分に無理難題を押しつけているん
じゃないか。
 相手が回答したがらないような問いで相手から回答を求めさせようと、
自分で自分に無理なハードルを設定しているんじゃないのか。このハー
ドルを貴方は越せるのか?

 貴方自身が298さんの立場に立ってごらん。貴方なら、喜んで相手の
質問に答えるか?。
 貴方は相手の立場に自分を置き換えることができない人か?

68:298
08/01/20 22:27:28 RWxkSqEi
>>61
宿善があるかどうか、凡夫には、わかりません。
どんな意味にせよ、聞いてくる方は、
何かしらのご縁があることは、間違いないと思います。
そして、もちろん、誹謗も宿善開発のご縁になることがあります。
有名な例は、弁円様です。
求める方であれば、その求める気持ちがある間は、
自らに宿善があると信じて、求めるしかないと思います。
宿善がないなら、途中で求めるのを止めるでしょう。
宿善があるなら、一度は熱意が薄くなっても、
また人生のどこかで、法を求め始めるはずです。
導く側であれば、その方に宿善があるかもしれないと思い、
あるいは、宿善ある機の耳に入るかもしれないと思い、
説明することになると思います。
宿善開発の機は、開発されたと凡夫にもわかります。
宿善の有無を見て、というのは、開発されてきているかを見る、
ということです。

69:298
08/01/21 00:44:03 0HQNivqZ

>>65
典拠をあげていますのに、「全く分からない」のような趣旨ですので、
さらなる説明が必要と思い、書いているのです。
あなた様の考え方では、「論を立てる」ということでなく、
お聖教の直訳レベルの発言のみになってしまうのではありませんか。
たとえば、蓮師は「たすけたまへ」と書いていらっしゃいますが、
単語自体としては、「たすけたまへ」とは、それ以前には書かれて
いないと思います。
それをわかりやすく、砕かれたのです。
私も、「宿善」ではわかりにくいと思い、言い換えました。
問題があると思われるなら、あなた様が考える「宿善」や、
あなた様が考える真宗の教義に照らして、おかしい所があると
思われたということなのではないのですか。
ですから、あなた様ご自身の考えを問うています。
しかし、これまでの、あなた様の発言にも、
お聖教の直訳を超えた内容が多々含まれていると私は考えます。
ですから、あなた様の論の進め方は、おかしいと私は思っています。
あなた様に、宿善についての考えがあり、また真宗についての
お考えがあるのであれば、そのお考えに基づいて、
信を獲られたら、良いと思うのです。
私は、たぶんそれは無理だと思いますが、
それも、ご自身で体験しなければ、わからないと思いますし、
私が間違っていたら、あなた様は獲信できるのですから、
それで良いのではないでしょうか。
また、真宗以外の道を好ましいと思われるなら、
その道を歩まれたらよろしいのではないでしょうか。
それとも、真宗以外の道であり、かつ、他宗誹謗を推奨される道を
歩まれている方ですか。
実践されないであれこれ言っていても、わからないと思います。

70:298
08/01/21 00:48:34 0HQNivqZ
>>69
検索したら、後世物語にありました。読んでいたら、素晴らしくて、感動しました。

◎ただ仏たすけたまへとおもへば、かならず弥陀の大慈悲にてたすけたまふこと、
本願力なるゆゑに摂取決定なり。摂取決定なるがゆゑに往生決定なりとおもひさだめて、
いかなるひと来りていひさまたぐとも、すこしもかはらざるこころを金剛心といふ

71:神も仏も名無しさん
08/01/21 14:14:41 9EJpwX1c
たとえ我が想い不定なるとも、
本願成就の南無阿弥陀仏のゆえに摂取決定なり。
摂取決定なるがゆえに往生決定なり。

72:神も仏も名無しさん
08/01/21 20:57:50 QrFgT0rj
他力の救いというのは、自己暗示、もしくは自己催眠なのでしょうか?
それとも、人間を超えた霊的神的存在の働きかけによるものなのでしょうか?

73:神も仏も名無しさん
08/01/21 22:10:46 9EJpwX1c
ただ不可思議の救い。難思議の救い。
それが南無阿弥陀仏の救い。

ただ南無阿弥陀仏によって救われるのだと思えばそれで十分。

南無阿弥陀仏が霊的な救いなのか神的な救いなのか、
それぞれ好きなように考えればいい。
そんな事は誰にもわからない。

わかってもわからなくても南無阿弥陀仏によって救われる事には間違いない。

74:神も仏も名無しさん
08/01/21 22:15:08 9EJpwX1c
南無阿弥陀仏によって救われるのかどうか疑わしいと
思っても、必ず救うの誓いが成就した証が南無阿弥陀仏だから、
いくら疑おうが非難しようが、南無阿弥陀仏の救いには
全く障りが無い。
自己暗示しようがしまいが南無阿弥陀仏には一切障りが無い。

南無阿弥陀仏は仏体そのものだから、それに触れた者は全て
往生決定で必ず仏と成る身と定まる。

75:神も仏も名無しさん
08/01/21 22:17:35 9EJpwX1c
南無阿弥陀仏で救いは決定している。

南無阿弥陀仏が救う。
私達はいずれ南無阿弥陀仏となって人々を導き救う身と成る。

76:神も仏も名無しさん
08/01/21 23:58:43 q/5Nmx9z
子供のときからジイバアと暮らしてきたので、加齢臭というのがどんなのかよくわからない。

77:神も仏も名無しさん
08/01/22 00:01:50 QrFgT0rj
>>73
他力の救いというのは、
霊的なものなのか、自己暗示なのか、誰にもわからない、ということですか?

78:298
08/01/22 05:37:57 1DWqDHkI
>>72
他力の救いというのは、自己暗示、もしくは、自己催眠ではないのだと思います。
では、人間を超えた霊的神的存在の働きかけによるものであるかと言えば、
そうも言えると思います。
ただ、「人間を超えた霊的神的存在の働きかけ」の意味するものは、
自力の心が想像するものでしょうから、結局他力とは異なってしまうと思います。
信前の機は問われませんので、どう考えていても良いのですが、
もともと、不可説不可称であり、わからないものなのですから、
「人間を超えた霊的神的存在の働きかけによる」のような捉え方を
している方のほうが、信を獲り易いような気もします。
教義的な話しを求められているかはわかりませんが、このようなところから、
二諦がかかわってくるのであって、真諦は凡夫には認識できませんので、
俗諦が必要になり、南无阿彌陀佛とは、弥陀の無上方便であると思います。

◎維摩経にのたまはく、「諸仏の国とおよび衆生とは、空なりと観ずといへども、
しかもつねに浄土を修して、もろもろの群生を教化す」と(安楽集)

79:神も仏も名無しさん
08/01/22 09:49:56 PeyBTitB
南無阿弥陀仏の救いは自己暗示では無い。

疑っても非難しても良いのだから。

80:神も仏も名無しさん
08/01/22 11:04:30 cpJtkTCP
>>78
安心しました。
どうも、最近の真宗のお坊さんは、文献学者の近代合理的解釈による仏教無霊魂説や、マルクス唯物論の影響で、
形而上や霊的世界、死後の世界を否定していらっしゃるようなので。


81:298
08/01/22 13:08:44 MatYAWBg
>>80
もはや道俗というのは、ほとんどの場合において、仏法から見たときに、
本質的な区分になっていないと思います。
そのような末法においても、すべての機を救えるのが南无阿彌陀佛ですし、
三宝帰依もできない凡夫に、三宝帰依の気持ちを廻向してくださるのも、
南无阿彌陀佛なのです。
無上方便というのは、真実であり、あくまでも仏法です。

82:298
08/01/22 14:54:40 MatYAWBg
>>65
たとえば、「正法を述ぶる善知識にむつぶ」と書いてあるとします。
ここに何が書いてあるか、書いていないか、というのは、
「正法」「述ぶる」「善知識」「むつぶ」の解釈によって異なると思います。
しかし、あなた様は、「私は、解釈無くしてお聖教を読むことができる」というお立場
ですので、そもそも、その部分から、私と違います。
解釈無くして読めるなら、智慧の眼によって、直接認識するということでしょう?
つまり、意によって法を認識すると。
そのような方が、いないとは思いませんが、それであれば、
あなた様は私の言うところもわかり、私に対して、対機で真理を説けるでしょう。
私からすれば、「解釈無くして読める」というのは、はなはだ仏教的でありません。
ですから、仏教をどう捉えているかも、かなり異なると思われます。

83:298
08/01/22 15:08:35 MatYAWBg
>>62
「ここに書いてありますよ」とこちらが言っても、「そこにはどこにも書いてありません」と
あなた様は、おっしゃるわけでしょう?
しかも、それでわかろうとしているようには見えないわけです。
あなた様は、不勉強だから私に質問しているとのことです。
そのようなことばも、むなしく響くのです。
たぶん、あなた様は、不勉強だから私に質問しているのではなく、
「知っている」と思って質問しているのではありませんか。
それでも「不勉強だから質問します」と、嘘を書いているのではありませんか。
あなた様のような方は、不勉強であるなら、まず勉強して下さい。
そもそも、不勉強なのに、「厳密に読める」など、あまりにも傲慢ではありませんか?
そのように、自らの思いを隠しながら、会話されているように見えるのです。
悪しき意図を持つのは凡夫の常ですが、宿善は要求されます。
疑いがあるのも凡夫の常ですが、宿善は要求されるのです。
私が間違っていて、論ずるに値しないと思われるなら、
あなた様から見て、素晴らしいと思われる方を見つけるなりして、
その方についてゆけば良いのではありませんか。

84:298
08/01/22 15:16:58 MatYAWBg
>>15
あなた様ご自身を離れた救いや、開悟に、意味がありますか。
それこそ、戯論ではないでしょうか?
自分事ではなく、他人事である仏法など、あるとは思えません。
この部分も、大分立場が異なると思います。
私からすれば、あなた様にとっては、あなた様が獲信することこそが大切なのです。
私は、私のことについては、もう解決しているのです。
獲信しなければ、地獄に堕ちてしまいます。
真宗に縁がありながら、教義を学びながら、法話を聴きながら、
弥陀をありがたがりながら、堕ちて行く。誠にむなしいことです。
これを、「聞いて堕ちるか、聞かずに堕ちるかの差」と申します。
もちろん、聞いて堕ちれば、宿善になるでしょう。
弥陀の名は聞きましたし、「今度こそ、弥陀に救われよう」と思うからです。
ですけれども、可能な方には、今生で、なんとか弥陀をたのんでほしいと、切に思います。
もちろん、あなた様からすれば余計なお世話でしょうけれども、
我らはそのように捉え、生活しているのです。
私は、誰を見るときでも、宿善の有無を常に気をつけています。
宿善がある機には、弥陀をたのんでもらわねばなりません。
娑婆の仕事は外相に過ぎません。弥陀に救い上げてもらうことこそ肝要です。

85:神も仏も名無しさん
08/01/22 15:42:47 PeyBTitB
阿弥陀仏様は、唯物論者だろうが霊界信者だろうが、差別しないからね。

全ての衆生を救うために南無阿弥陀仏となられた仏様が、阿弥陀仏様だから。

86:神も仏も名無しさん
08/01/22 17:04:20 cpJtkTCP
>>85
阿弥陀仏はそうかもしれませんが、
唯物論者は阿弥陀仏など信じないのですから、そういう人がお坊さんであるのは問題ですね。

87:神も仏も名無しさん
08/01/22 17:28:03 PeyBTitB
阿弥陀仏を人格的存在と見ずに、
法(ダルマ)の人格的表現と見る僧侶もいる。
そんな僧侶がいたって構わないと私は思う。
いずれにしてもお互いに凡夫である事には変わりが無い。

88:神も仏も名無しさん
08/01/22 17:32:34 YOu4ABoy
>69
直訳レベルとは如何なる意味なのでしょうか?
親鸞聖人(本件では覚如上人ですが)が
真実信心について書き残された書を直訳しようとする営みは、
他の方々に真実信心を得させたいと思っておられる298さんにとって、
最も尊重すべきことでしょう。親鸞聖人が心血注がれ、
真実信心を顕らかにされた書なのですから。
それとも、親鸞聖人の仰せより「自分が善知識だと信じているある方」の
仰せに依ると思っておられるのでしょうか?
お聖教に根拠がない事を自分中心に構築するのであるのならば、
298さんが善知識と認められる方の教えを旨とする宗であって、
親鸞聖人をご開山とする宗旨ではないのですから、
そう言ったスレでも立てて自己主張されるべきだと思いますよ。
298さんの経験を主とし、その主のお眼鏡にかなった範囲で、
親鸞聖人の教えをピックアップする事を旨とする宗として。
私はここは親鸞聖人をご開山とする浄土真宗のスレだと思っています。
故に、典拠はどこまで言っても親鸞聖人の仰せであります。
宗祖が開かれた浄土真宗の典拠を宗祖に求める。当たり前の態度でしょう。


89:神も仏も名無しさん
08/01/22 17:56:42 YOu4ABoy
さらに298さんへ
沢山レスを頂いておりますが、申し訳有りません。
私には誤魔化しにしか見えないのです。
あなたは過去スレであなた自身の手によって意訳をされました。
その意訳には、宿善の機=救いを求める者と書いてありません。
「書いてあるのにどうして読めないの」と繰り返されても、
ご自身の意訳にも書かれておられないのに、どうして読めるのでしょう?
脳内に、そう読めるように強制変換する装置でも
ついていれば、読めるかもしれまんが。
『改邪鈔』は、ノストラダムスの予言書のように、暗号読解しなければ、
理解できない文書なんでしょうか?

90:神も仏も名無しさん
08/01/22 18:37:40 cpJtkTCP
>>87
法(ダルマ)というのは、唯物論の枠組みで説明できるのでしょうか?


91:神も仏も名無しさん
08/01/22 19:00:31 PeyBTitB
法則を唯物論は否定しない。
仏になるための法則、それがダルマだ。
そんなに唯物論者の僧侶と議論したいなら、自分で探せばいい。
俺は本人じゃないからこれ以上は言えない。

92:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/01/22 19:42:05 q+8WJ9Ie
 唯物論の坊主発見!!  → 「蓮如!!」

 のたまわく、南无の字は、聖人の御流儀に限りて、遊ばしけり。南無阿弥陀仏を泥にて
写させられて、御座敷に掛けさせられて、仰せられけるは、不可思議光仏・無碍光仏も、
この南無阿弥陀仏をほめたもう徳号なり。しかれば、南無阿弥陀仏を本とすべしと、仰せ
候なり(蓮如聞き書き)。

 蓮如上人は言われた。南无という字は親鸞聖人の流派だけが使用している。普通、阿弥
陀仏の号(名前)は阿弥陀仏である。名号を掛け軸に書いて飾る場合、阿弥陀仏と書く。
しかし、親鸞聖人の流派だけは南無阿弥陀仏と書いて飾る。蓮如上人は南無阿弥陀仏と名
号を金泥で書写し、それをお座敷に飾った。そしてこのように言った。
 善導大師はどうして偉かったのか。南無阿弥陀仏は尊いぞと教えてくれたから、偉か
ったのだ。法然上人はどうして偉かったのか。南無阿弥陀仏は尊いぞと教えてくれたから、
偉かったのだ。曇鸞大師はどうして偉かったのか。南無阿弥陀仏は尊いぞと教えてくれた
から、偉かったのだ。お釈迦様はどうして偉かったのか。南無阿弥陀仏は尊いぞと教えて
くれたから、偉かったのだ。
 不可思議光仏・無碍光仏、いずれも「南無阿弥陀仏は尊いぞ」と称賛するための徳号
(名前〔道具〕)である。阿弥陀仏〔道具〕が尊いのではない。道具が示す南無阿弥陀仏
が尊いのだ。だから、もっとも尊い南無阿弥陀仏を掛け軸に書いて飾るのだ。

93:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/01/22 19:42:33 q+8WJ9Ie
 唯物論の坊主発見!!  → 「親鸞!!」

 無上仏と申すは形もなくまします。形のましまさぬゆえに、自然とは申すなり。形まし
ますと示すときには、無上涅槃とはもうさず。形もましまさぬ様を知らせんとて、始めて
弥陀仏とぞ聞き習いて候う。弥陀仏は、自然の様を知らせん料なり(親鸞 末燈鈔)。

 無上仏は形而下(有形)の存在ではない。形而上(無形)の存在である。架空である。
観念である。形而下の存在ではないからこそ、自然という概念が導かれてくる。形があれ
ば無上涅槃とは言わない。観念的・抽象的あり方を明らかにするため、一番最初に比叡山
で阿弥陀仏というものの講義を受けたとき、阿弥陀仏というのは、自然という概念を教え
るための資料であり。道具である。方法論であると教わりました。

94:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/01/22 19:52:09 q+8WJ9Ie
 唯物論発見!!! → 親鸞

『菩薩戒経』に言わく、出家の人の法は、国王に向かいて礼拝せず、父母に向かいて礼拝せず、
六親に務えず、鬼神を礼せず、と。已上

 僧は鬼神を礼拝してはいけない。

 大智律師(元照)の云わく、神は謂わく鬼神なり。すべて四趣・天・修・鬼・獄に収む、と。

 いわゆる霊的なものというのは、所詮、六道の中の天・阿修羅・餓鬼・地獄のいずれかに収ま
る。いずれも迷いの世界を免れない。

 度律師(戒度)の云わく、魔はすなわち悪道の所収なり、と。

 霊的作用など、所詮は悪道の一つである。

論語に云わく、季路問わく、「鬼神に事えんか」と。子の曰わく、「事うることあたわず。人
いずくんぞ能く鬼神に事えんや」と。

 季路が孔子に聞いた。霊的な鬼神につかえることはいかがでしょうか。孔子は答えた。そのよ
うなことは不可能である。人がどうして鬼神につかえることができるだろうか。
                               (化身土巻)

95:神も仏も名無しさん
08/01/22 20:24:58 cpJtkTCP
>>94
唯物論者はあなたでしょ。

96:神も仏も名無しさん
08/01/22 21:23:00 ODpSiTY2
*・゜゚・*:.。*・゜゚・*:.。*・゜゚・*:.。.*・゜゚・*:.。.お掃除はいりま~す♪.。.:*・゜゚・*:.。*・゜゚・*:.。.*・゜゚・*:.。*・゜゚・*:.。

     ____
   ,/:::::::::::::::::::::\ ~プーン.  
 /::::::::::::::::::::::::::::::::::\ ~プーン.     
 |:::::::::::|_|_|_|_|_| ~プーン.   
 |_|_ノ∪ \,, ,,/ ヽ    
 |::( 6  ー─◎─◎ )   
 |ノ  (∵∴∪( o o)∴)  
 |   <  ∵   3 ∵> < 唯物論の坊主発見!!
  .\\U   ___ノ\   
    \\____)  ヽ  
 渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
               
↑この顔でプーンときたらキモヲタ童貞中年(50歳台後半無職童貞引きこもり川崎在住)


..。.:*・゚ ☆お掃除終了。でも、加齢臭とヲタ臭がひどいので、もうこの部屋は使えません。☆ ゚・*:.。.

97:298
08/01/22 22:57:47 MatYAWBg
>>88
>真実信心について書き残された書を直訳しようとする営みは、
>他の方々に真実信心を得させたいと思っておられる298さんにとって、
>最も尊重すべきことでしょう

「最も尊重すべき」とあなた様が思うなら、
あなた様が、直訳を出すことに精を出せばよいのです。
これまで、いかほどの量の御聖典を直訳なさいましたか?
1ページですか、2ページですか。
それとも、5巻ですか。
別に、私に量を報告する必要はありませんが、
私は、あなた様は実行もせずに、
アドバイスする方だと思っています。
あなた様は、お聖教を直訳して、「他の方々に真実信心を得させ」る
ことができたのですか?
その前に、ご自分は得ることができたのですか?
別にそれが誤解でも構いませんが、
とりあえず、自覚としては、信心を得ることができたのでしょうか。
もしできないならば、「他の方々に真実信心を得させるために
最も尊重すべきことは、お聖教を直訳しようとする営み」という
あなた様の論の、典拠はどこですか?
私からすれば、最も尊重すべきなのは、南无阿彌陀佛に決まっています。
典拠を宗祖に求めることを、私は問題視していません。
お聖教を読まなくても、弥陀をたのめば信心決定します。

98:298
08/01/22 22:58:15 MatYAWBg
>>89
>暗号読解しなければ、理解できない文書なんでしょうか?

これは、あなた様は理解しているという御主張でしょうか?
あるいは、他の方も、ただ読むだけで、すいすいわかるという
ご主張ですか?
そんなに皆様がすいすいわかって、次々に信を獲られるならば、
このスレの存在目的は、何なのでしょう。
私からすれば、信心いただかねば理解できない文書なのです。
ノストラダムスの予言書の暗号の解読について、
私は詳しくありませんから、よくわかりません。
あなた様は、お聖教を厳密に読むことができる上に、
ノストラダムスの予言書の暗号も解読できるのですか?
「南无阿彌陀佛のすがた」とは何か、わかりますか?
そして、信は獲れていますか?
有縁の求める方に、信を獲っていただくことはできますか?
相変わらず、HNも定めませんし、私の質問にも、
ほとんど答えないでしょう。
わかりたいのではなく、否定したいのでしたら、
なぜ、否定に精を出すのかを聞いているのです。
否定したら信が獲れるのですか?

99:298
08/01/22 23:00:17 MatYAWBg
>>89
>沢山レスを頂いておりますが、申し訳有りません。
>私には誤魔化しにしか見えないのです。

それが別に不思議だとは思いません。
これまでのあなた様の書き込みから察するに、
そのように見えるのではないでしょうか。
ですから、「ご自身の信じる道に従って、
信を獲られたら良いのではないですか」と申し上げています。

100:神も仏も名無しさん
08/01/22 23:09:47 F3iIEiHV
>>66
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

101:298
08/01/22 23:12:05 fX/L9DMg
>>89
私は、あなた様がお聖教を厳密に読める方だとは思っておりません。
私も、厳密には読めません。
それでも、お聖教の素晴らしさはわかります。
御開山を尊敬していらっしゃるならば、御聖典を繰り返し読んで、
どうすれば信が獲れるか、探されたら良いのではないですか。
(個人的には、御文様の方がわかりやすいだろうとは思います。)
お聖教を読んで信が獲れるとは思いませんが、
それが無駄であるとは思いません。
通らねばならぬ方は、通らねばならぬ道です。
わざわざ獲信者に聞こうとする方は、もうその段階は超えているはずです。
「厳密に読める」などとうぬぼれていないで、
あるいは、「自分の解釈をいれなくても読める」などとうぬぼれていないで、
きちんと原典と対座し、信を獲られたらよろしいと思います。
「解釈をいれなくても読める」というのは、真宗以前の、通仏教でもわかる
問題だと思います。
もちろん、真宗は、通仏教の話しを全く理解しない方でも救います。

102:298
08/01/22 23:30:33 fX/L9DMg
>>89
>「書いてあるのにどうして読めないの」と繰り返されても、

それに、これは私からすれば誤読なのです。
私は、「あなた様は、書いてあるのに読めない」とは言っていますが、
「どうして」と繰り返書いたかどうか、わかりません。
いくつか、その理由の推測をあげています。
1)そもそも、浄土門を求めていないのではないか?
2)正法についての理解が違うのではないか?
あるいは、まだ書いてはいませんが、
3)人間の意識がどうなっているかについての考え方が異なるのでは?
とも思っています。これは、私が書いた「求める」の解釈を問題に
しています。
しかし、基本的にあなた様の態度は、話しを前に進めようとしている
ようには、見えません。
他にも、私はいくつかの理由を推測していますが、
あなた様が、あなた様について書きませんので、
よくわからないのです。

103:298
08/01/22 23:31:58 fX/L9DMg
>>89
ご自分の解釈を入れずに云々の話ですが、
私が書いている書き込みを、あなた様が、あなた様の
解釈を入れずに直接に認識してくださっているとは、
とても思えません。

104:神も仏も名無しさん
08/01/23 00:48:00 qLP+lhCT
298さん、お答えも出なさそうですし、
後日、祖師方が「宿善」について述べておられる所を挙げますね。
そこから、宿善の機=救いを求める者という定義が成立するか否か、
お聖教に問い尋ねてみましょうか。
戯言は本当に、時間の無駄です。私はあなたのお考えを別に否定するつもりはないんですよ。
お聖教上に、根拠が有るのか無いのか、
それだけを確かめようと試行しているだけです。

105:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
08/01/23 10:01:04 2p4ptP0l
>95
>唯物論者はあなたでしょ。

 粗雑な言い方をここだけ許して貰えれば、僕は親鸞主義者だ。
貴方は心霊論者のようだ。
 考え方の立場は、天地の開きがあるようだ

106:神も仏も名無しさん
08/01/23 11:28:06 bNtnFOt4
*・゜゚・*:.。*・゜゚・*:.。*・゜゚・*:.。.*・゜゚・*:.。.お掃除はいりま~す♪.。.:*・゜゚・*:.。*・゜゚・*:.。.*・゜゚・*:.。*・゜゚・*:.。

     ____
   ,/:::::::::::::::::::::\ ~プーン.  
 /::::::::::::::::::::::::::::::::::\ ~プーン.     
 |:::::::::::|_|_|_|_|_| ~プーン.   
 |_|_ノ∪ \,, ,,/ ヽ    
 |::( 6  ー─◎─◎ )   
 |ノ  (∵∴∪( o o)∴)  
 |   <  ∵   3 ∵> < 粗雑な言い方をここだけ許して貰えれば、僕は親鸞主義者だ。
/\ └    ___ ノ   貴方は心霊論者のようだ。
  .\\U   ___ノ\    考え方の立場は、天地の開きがあるようだ
    \\____)  ヽ  
 渡海 難  ◆Fe19/y1.mI (自称親鸞主義者)
               
↑この顔でプーンときたらキモヲタ童貞中年(50歳台後半無職童貞引きこもり川崎在住)


..。.:*・゚ ☆お掃除終了。でも、加齢臭とヲタ臭がひどいので、もうこの部屋は使えません。☆ ゚・*:.。.

107:298
08/01/23 12:50:50 ggD3xGqV
>>104
その方が助かります。
上でも少し述べましたが、おそらく「いつ獲信するのか」についての
意見も異なり、それによって、わからなくなっている可能性もあります。
(これは、真宗についての理解、すなわち、あなた様が
獲信していないことによって、わからなくなっている部分です。)
「宿善」についてお聖教を全文検索すれば、いろいろ出てくるでしょう。
あなた様自身の論として
は、「宿善開発=信心獲得」となっていたと
思いますが、それについても、確認してみてください。
ただ、宿善がきちんと開発すれば、たしかに、信心獲得の直前には
来ていると思います。

108:298
08/01/23 12:54:20 ggD3xGqV
>>104
また、「否定するつもりがない」というのは、おそらく、
ご自身の心を観察する能力が低いからわからないだけです。
ご自分のことを不勉強だと思っているとすれば、
それも、ご自身の心を観察する能力が低いために、
自身の傲慢さを見落としていると思います。
あなた様は、真宗とは何かについての先入観をお持ちであり、
お聖教に基づいてではなく、あなた様の先入観に基づいて判断を下し、
私の意見を否定していると思います

109:298
08/01/23 13:07:43 ggD3xGqV
>>104
>それだけ

この「だけ」というのが、あなた様の言い回しの特徴なのです。
(参考>>55
あなた様の過去の発言をご自身でご確認ください。
「だけ」ではない要素が、いろいろ見えてくると思います。
書く事の利点のひとつは、自分の考えを確認しやすくなることです。
そして、できましたならば、HNをお定めください。
過去の一連のご発言を確認してゆく上で、とても不便です。
あなた様は、HNも定めませんし、質問の多くも無視されています。
検討していただければ、気付きがあるかもしれないと思い、
質問しているわけですが、あなた様は無視されていますから、
今のところ、あまり考え方が変わっていないのではありませんか。
宿善を持っている方は、救いを求めますし、
救いを求める方には、宿善があるのです。
お聖教を検討するのは良いことですから、
よくよく検討し、信をいただいて、極楽往生治定してください。
お聖教も、それに従って信を獲ることができないなら、
単なる紙です。
読むだけ読んで、信を獲らず、自障障他を続けることを、
「聖教読みの聖教読まず」と申すのです。

110:298
08/01/23 13:42:13 ggD3xGqV
以前、「誹謗も縁になるのでは?」とおっしゃってくださった方が
いらっしゃって、>>2の書き込みもそうですが、
それらはやはり正論ですので、私も起動修正されて、
やる気が出てきますので、感謝しています。
真宗の法は、ほとんどの方が聞き入れませんので、
難信にして易行なのだと思います。
宿善ある機も、はじめは疑心を解消しようとしますが、
ある程度まで進めば宿善が響いて、
疑心あるままで、それはそれとして求め出し、
獲信まで辿り着いてしまいます。
これらすべて弥陀のお育てによるもの、
宿善によるもので、行者にしても、お手引きするにしても、
自分で、できることではありません。

111:神も仏も名無しさん
08/01/23 14:01:49 vGQN/KVg
>>110
横レスすみませんが、宿善・無宿善ってこちらからどうやって判断するのでしょうか?
私は自覚言語だと思っておりますので、他者をこのように判断して対応するのは何か変だなと思ってしまいます
獲信したものが自らを振り返って、宿善の機であったと初めていえるのではないかと思うのです
それとついでですが、「私は獲信したので、私の考えは正しいのだ」っていう立場で話されているように思うのですが、それだと話がかみ合わない場合が多いと思います
少なくとも私の尊敬する先生方にはそのような言い方をされる方はおりません
偉そうなことを言って恐縮ですが、法を自ら掴んで離さない立場を省みられたほうがいいのではないかと思いますよ

112:298
08/01/23 14:16:26 ggD3xGqV
>>111
そう見えることは、十分承知した上で、このような書き方をしています。
探せども正意が見つからず苦しんでいる方のために、
スレタイに共鳴して書き込みを続けています。
宿善・無宿善の判別については、お聖教には数カ所記述があります。
宿善の有無を見てから法を説く、ということについては、
御文様には、かなりの回数の記述があります。
尊敬する先生方についてゆくことが大切だと思います。
「おかしな事を言う、傲慢な奴がいる」ということで、私は構いません。
そう見えて仕方がないと思っているからです。
もちろん、少しでも心に響く様に、傲慢には響かない様に、
工夫は続けたいと思っております。
宿善の機が現す特徴は記載箇所が少ないですが、
宿善の有無を見てから法を説くことについては、御文様に幾度も出てきますので、
ぜひ御文様をご確認ください。
あなた様は、御文様を読んでいないか、蓮師を否定する立場の
方なのではないかと思います。
獲信しているかどうかは、人格の成熟でははかれません。
ですから、私の機を見て判断すると、間違えると思います。
したがって、上下を問わず聞かねばならないのです。
法の観点からすれば、どんなにすばらしい方でも、
信を得ていないならば、たよりにならないのです。
求める方が正意に出会って、半年以内に信を獲れないことは
ほぼ無いでしょうし、早い方であれば、1週間で信を獲れることもあるでしょう。
あくまでも易行です。

113:298
08/01/23 14:17:22 ggD3xGqV
>>112
判別の仕方について引かなかったのは、
より傲慢と思われることを恐れてのことです。

114:298
08/01/23 14:26:12 ggD3xGqV
>>111
私は、111様は、良い方であると思います。
難信之法ですので、良い方にも、受け入れていただけません。
そもそも、良い方は、「難信之法」ということ自体を、
受け入れないことが多く、難信ではなく、
自分にとってわかりやすいものを求める傾向があると思います。
良い方に話すのが心苦しいのは、弥陀を尊敬する心も
お持ちであることが多いからです。
ですけれども、その弥陀は、ご自分の心が想像したものに
過ぎないのです。
弥陀を尊敬し、弥陀から離れる。
往生治定を説く真宗に触れながら、堕ちて行く。
嘆く他ありません。宿善によって決まることですけれども、
嘆かざるを得ません。私がこのようなことを書いているのは、
宿善有る機の、開発の助けになることを願って書いています。

115:神も仏も名無しさん
08/01/23 14:28:05 8M1cvND7
吉本氏の内観法は、仏教的にも間違っていないし、信心を獲得することも可能だと思うのですが、異安心になりますか?



116:神も仏も名無しさん
08/01/23 14:30:53 vGQN/KVg
>>112
298氏の考えについては了解しました
個人的には覚如上人、蓮如上人等の教学についてはほとんど学んだことがないため、正直あまりわかりません
親鸞聖人自身は仰られていないと思うのですが、どうなのでしょうか?
また、信心の問題について「あくまでも易行です」という言い方には語弊があると思います
易行難信と仰られておりますので
>>113
傲慢だと言ったものの、こちらこそ傲慢なのでそんなに気になさらないでください
もしよろしければ後学のために、判別の仕方について引いてもらえないでしょうか?
聖典の箇所を教えてくれることを傲慢だなんて思いませんよ


117:神も仏も名無しさん
08/01/23 14:36:49 vGQN/KVg
>>114
>自分にとってわかりやすいものを求める傾向があると思います
まさにそうだと思います
自分を良い人間だとは思いませんが
実際は先生方が言われることに素直に頷いていけない反逆児です(先生方が自分にとって分かりやすいことを言われているわけではないので)
聞法していくしかないですね」

118:神も仏も名無しさん
08/01/23 14:40:16 R67bZQO5
宿善がない!と言われたところで
救われないままでいるわけにはいかない

119:神も仏も名無しさん
08/01/23 14:47:44 vGQN/KVg
>>118
それはその通りなのですが、御同行(または仏教に縁を持たない人)を法を根拠にして見下げるような姿勢には違和感があるのです

120:298
08/01/23 15:24:42 ggD3xGqV
>>116
ご親切にありがとうございます。
宿善の判別について、その具体的な指針として、
私が把握しているものが二カ所ありますので、
今晩、お書きしようと思います。
(もし、今晩間に合わなくても、なるべく早く調べてお書き致します。)
私は、親鸞聖人もおっしゃっていると思うのですが、
それを「ここですよ」と書いた場合、「なぜですか?」という問いを
誘発するようなものだと思っています。
易行難信につきましては、「難信」の「難」とは何が難しいのか、
つまり、「信」とは何なのか? によって、解釈が大分異なると思います。
この「難」とは「希」と解した方が、わかりやすいように思います。
互いに傲慢なのは、避けられない所です。
この傲慢さ自体に取り組んでゆくのは、聖道を歩む尊い方々ですので、
私のような凡夫には及びも参りません。

121:298
08/01/23 15:25:35 ggD3xGqV
>>118
法を求める方は宿善があるのですから、そのようなことは
実際には起こらないと思います。
すなわち、杞憂であると思います。
法を求めているのに宿善が無いと見なす論に
問題があるのです。

122:298
08/01/23 15:30:07 ggD3xGqV
>>119
「見下げる」ことについてですが、たとえば、阿弥陀如来は如来でしょう?
私は、凡夫です。
三宝帰依もできないような凡夫でした。
弥陀如来が、私を哀れんで救ってくださることを、
私はよろこんでいます。
それは、私は私を凡夫と思い、もう自分ではどうにもならぬと思ったからです。
つくづく傲慢ですからね、自分で滅度に至れると思ったら、
弥陀をたのまずに、自分でやろうとしたと思います。
おそらく、過去生にはそんなことを試みて、正法も誹謗して、
流転していたのではないかと自身を思っています。

123:神も仏も名無しさん
08/01/23 15:32:18 vGQN/KVg
>>120
ありがとうございます
それでは期待して待たせていただきます

>私は、親鸞聖人もおっしゃっていると思うのですが、
>それを「ここですよ」と書いた場合、「なぜですか?」という問いを
>誘発するようなものだと思っています。
これは解釈によって分かれる文であるということなのでしょうか?
「それは違う」などと絡む気は一切ありませんし、私がそう読めなくとも298氏の考え方がはっきりしますので、できたらそこもお願いいたします

124:298
08/01/23 15:41:14 ggD3xGqV
>>115
内観法で信を獲ることはできませんし、「異安心」というよりは、
「内観法で真実信心いただきました!」という方が、
そもそもいらっしゃるのでしょうか?
あくまでも、心理療法のひとつとして把握しています。
寝ている間も南无阿彌陀佛を唱える程になったとしても、
それでも、南无阿彌陀佛が無ければ自力の信なのです。
もちろん、信をいただいた以上、その恩を感じ、
御恩報謝のお念仏をつづけてゆくことが、
望ましいです。ですけれども、私も、不断に口称できていません。
(この「口称」は、発声器官の口称のことです。)
南无阿彌陀佛が南无阿彌陀佛を称える、という意味では、
無間に相続されているはずです。
信前も信後も機を問わないとは言え、
できないなりに、善行しようとするのだと思います。
真宗から南无阿彌陀佛を取り除いて、
残ったもので獲信することはあり得ません。
南无阿彌陀佛だけを残すなら、獲信できます。

125:神も仏も名無しさん
08/01/23 15:47:25 vGQN/KVg
>>122
阿弥陀様は十方衆生に呼びかけて下さっていますし、親鸞聖人は逆謗闡提さえも救われると示してくださっています
そう考えると、阿弥陀様がそんな条件をつけて救おうとされているとは思えないのです
安楽房は念仏者を弾圧する後鳥羽上皇を無宿善の機だと見捨てずに念仏を勧めて殺されていったではないですか
後鳥羽上皇はその後、念仏者になられたと聞きました
私が聴聞し始めるきっかけとなった先生の法話に「念仏者は阿弥陀様との関係が開かれることによって、
阿弥陀様が呼びかける十方衆生を見出すのです。本当に人間を信頼できるようになるのです。
人間とは意識するしないに関わらず浄土を求めているんだということがはっきりするのです。」とあって、私はそれに感動したのです。
法話ですから、教学的にどうかということは私には言えないのですが、「この人は無宿善の機だ」という判断を凡夫が下すのが念仏者の態度なのかということは、
私にとっては本当に大きな問題なんです

126:298
08/01/23 15:48:18 ggD3xGqV
>>123
親鸞聖人は、とにかくすごい方なのです。
御本典を読んでいても、わけのわからない部分もたくさんあります。
これは、意地悪ではなく、もし、私の考えを知りたいということでしたら、
信を獲った上で、親しく数年以上お話してゆかねば無理だと思います。
これはなぜそう思うのかというと、私の体験で言えば、
たとえば、ある方に古典文法を教えて行くとします。
それでも、ある程度のお話をするのに、実際に数年かかります。
ですから、このような話題であれば、もっと時間がかかっても、
おかしく無いのです。
さまざまな前提をすりあわせ、そこから領解を合わせてゆく作業も
必要だと思います。
ひとまず、わかりやすいと思われる箇所を示しますので、
そこと、その周辺をご自分でご確認してご判断いただければと思います。
そこをご覧になって、どのように感じられたか、お知らせいただけたらうれしいです。
また、期待しても、たいしたことはありませんので、失望されるかもしれないと思います。
獲信ですら、期待しない方が良い面もあるのです。
あまりにもすごいことだと、凡夫には、価値が認識できないこともあるからです。

127:298
08/01/23 15:59:39 ggD3xGqV
>>125
これは、私の書き方が悪いです。お詫び致しますと同時に、
問うていただけましたことに、感謝致します。
続きをお書きしますが、わかっていただけるかわかりません。
ご不審があれば、また問うていただければうれしいです。
宿善の有無を見るというのは、「無」というのは、「開発前」も含むのです。
そして、無宿善の機に正雑二行の沙汰をしないというのは、
「南无阿彌陀佛が何か」を伝えないということです。
もちろん、一般の法話は致しますし、示談も致しますし、
見捨てるわけではないのです。
見捨てるどころか、信を獲ってほしいと望んでいるのです。
凡夫が下すとは言っても、明らかに知れるようになっていますから、
間違いはめったに無いと思います。
それに、間違いがあったとしても、次第相承の善知識もひとりではありません。
(基本的に、間違いは無いとは思いますが・・・)
凡夫が下すというよりも、弥陀が明らかに示してくださると
お考えいただければと思います。
だからこそ、佛智不可思議と実感できるのです。
これは見事に、分かれるのです。
自他の宿善の有無は、信前にはわかりません。
開発されているかどうかは、わかります。
開発というのは、宿善の機が、その生において、開発するのです。
ご不安は、理解できると思っていますが、求める方は、
信をいただけるのですから、心配要らないと思います。
宿善の機は、生涯のどこかで、その宿善が開発され、
法を求め、信をいただき、生涯一度の回心を致し、極楽往生が治定致します。

128:神も仏も名無しさん
08/01/23 16:00:06 vGQN/KVg
>>126
そうですか、わかりました
たしかに教行信証は親鸞聖人の意図がつかめない部分が多くて、私なんかは歯が立ちません
残念ですが、掲示板では限界もありますしね
場所だけでも教えてほしいと思うのは、無宿善の機について書かれているのが覚如上人や蓮如上人の場合は特別親しみがないため、
「親鸞聖人は言われていないじゃないか」と私の意に沿わない場合は無視できてしまうからなんです
だから私の思いは破れないと思うのです
ですからできれば親鸞聖人が仰られている場所だけでも教えてほしいのですが、やっぱり難しいでしょうか?

129:神も仏も名無しさん
08/01/23 16:01:53 8M1cvND7
吉本伊信「法味道しるべ」

「死んで生き返った人もなし、有るとか無いとか言っても、共に不明の事、不解の話と片附けて忘れ去りたいのが私の心ですが、
一体、人間死ねばどこへ行くのであらうかと、真剣に真面目に求め尋ねるのと、少しも心に止めないのとで、
人間としての偉大さが決まる分水嶺かもしれない。
釋尊をはじめ古来幾多の高僧聖人は、この死についての解決を求め、後生知りたさに道をたどり、安心立命、
大悟徹底された事実は誰もよく知っておりながら、自分自身の後生について真面目に大事をかける人は少い。
真宗七高僧の一人で恵心僧都(源信和尚)はその著『往生要集』にはっきり、地獄、極楽の有様を詳しく教へて下さってはあるが、
『あれはいましめの為に、かりにたとえての想像であろう』と笑いながら、絵のみを見るのが私の姿である。(中略)
夏生れて夏死ぬ蝉は、春も秋もあるんですが知らんだけです。私等にも、地獄もあれば極楽もありますが、ただ知らぬだけのことです。
自己究明、反省、内観、身調べの結果、現在の自分は、地獄行きの種を沢山造って居るか、極楽行きの種を沢山持ちあわして居るかを知ることによって、
御自分の後生は極楽行きか地獄行きかが知れるんです。
(中略)反省の徹底により罪悪感、無常観が熾烈になり、三定死の境に到り、二河白道の旅人様の御跡を歩む人のみ往生要集を読まなくても、
自らの内心を見るだけではっきりはっきり存在の事実を体感されるのではなかろうか。その地獄行きの自らを知る人だけが、
極楽の実在をも体感出来る一歩前と思う。火と水のそのなかみちを行けよ人  こいよ行けよのこえをたよりに」




130:298
08/01/23 16:04:08 ggD3xGqV
>>125
教学的にどうこうというのは、真宗に於いては、あまり重要では無いと
私は思っています。
素朴な感覚こそが大切であり、だからこそ、示談が奨励されているのだと
思います。

131:神も仏も名無しさん
08/01/23 16:05:23 vGQN/KVg
>>127
そうですか
納得できました
私の無宿善の機の了解がずれていたんですね
先日「あいつは一闡提だから駄目だ」と言われる御同行に出合ってショックをうけたので、同じようなことを言われているのだと勘違いしてしまいました
ありがとうございます

132:298
08/01/23 16:05:46 ggD3xGqV
>>126
なるほど、そういうことなのですね。
なるべく努力したいと思います。
もしできましたならば、私が述べている宿善・無宿善について、
どのように解釈していらっしゃるか、
そして、ご自身の現在の考えと照らして、
どこがおかしいと思われていらっしゃるか、
教えていただけないでしょうか。

133:298
08/01/23 16:09:39 ggD3xGqV
>>131
私のことばなど、不正確なものなのです。
ですので、示談を重ねたりして、
お互いに思うところを明らかにしてゆかねば、
互いに間違えてしまうと思います。
掲示板という場所は、不便な面もありますが、
地理的時間的距離を短くし、示談ができるという
大きな利点があります。
間違いがあるのは、凡夫ですから当たり前なのですから、
間違いを恐れるよりも、思うところを明らかにしてゆき、
信を獲る方を増やすことが肝要だと思います。

>「あいつは一闡提だから駄目だ」と言われる御同行

これはやはり、おかしいです。
易行だからこそ、皆が救われるとわかるのです。
どんな悪人でも、掌を返すように簡単に獲信し、
便同弥勒になるのです。

134:298
08/01/23 16:11:16 ggD3xGqV
>>133
>どんな悪人でも、掌を返すように簡単に獲信し、便同弥勒になる

補足ですが、「急に善人になる」という意味ではありません。

135:神も仏も名無しさん
08/01/23 16:16:54 vGQN/KVg
>>132
私が298氏の宿善・無宿善理解だと思っていたもの
宿善 自ら法を求める人のみにあるもので、これがあるものにだけ法を説くべき
無宿善 法を求める素因がないもので、法を説くべきではないし、救われないから見捨てるべき

このように言われているものだと思っていました
127を見て対機説法のようなものかなと思いました
読んだ直後は納得したのですが、やっぱりちょっと疑問がわいてくるのでもう少しお相手してほしいです
でもやっぱり無宿善の機は救われないのでしょうか?
そして信心獲得した人はそれを見抜けるのでしょうか?

書き終えて見ると前に書いたことの返事が来ていてちょっとタイムラグがでちゃいますねw

136:298
08/01/23 16:24:24 ggD3xGqV
>>135
私はお相手するのは、時間の許す限り、いくらでも致します。
「法を説く」の「法」に種類があるのです。
最後の最後、信をいただく直前に説かれる「六字の謂れ」が法の要です。
これが「教」の中身であり、南无阿彌陀佛です。
これに基づいて「行」が行われ、そのとき「信」をいただきます。
教が行に至るときに、体が用と働き、信をいただきます。
法の要に至る前、方便として、さまざまなことが説かれます。
しかし、そのすべては、南无阿彌陀佛を指し示しています。
これが、諸佛が指しており、垂迹するのも、そのためです。
最後は弥陀をたのむしか無いのです。
ただし、これは、我ら真宗門徒が思うことであり、
他宗に説くべき内容ではありません。
見捨てるのではなく、説く内容が異なるのです。
我らからすれば、八万四千すべての法門は、
弥陀の救いを指し示しております。

137:298
08/01/23 16:30:13 ggD3xGqV
>>135
残念ですが、無宿善の機が、今生で信をいただくことは叶いません。
ですから、もし、あなた様が信をいただいて、近い縁の方が
信を得なくても、あなた様の責任ではありません。
難信之法なのです。あくまでも宿善ですので、
誰もお手引きしない方よりも、ひとりでもお手引きした方が偉いということは、
ありません。できる範囲で、できることをした時に、何かしらの結果が出るだけで、
そこは、凡夫がはからうことではないのです。(はからってしまいますが・・・)
しかし、あなた様が浄土に参ったとき、神通をいただき、
有縁の方がいつどこでどのようにして信をいただくか、
知ることができます。
ですので、その経路のどこでどのようにして自分が宿善、あるいは、開発の助けに
なるかもわかり、さまざまな姿として生まれ、お導きするのです。
南无阿彌陀佛

138:神も仏も名無しさん
08/01/23 16:40:30 vGQN/KVg
>>136
それは理解できます
私がこだわっているのは
でもやっぱり無宿善の機は救われないのでしょうか?
そして信心獲得した人はそれを見抜けるのでしょうか?
この二つの問題なんです
>求める方は、信をいただけるのですから、心配要らないと思います。
と言われますが、真宗は個人だけでなく、我らを救わんとする教えだと思うのです
どんなきっかけで法を聞こうとするか分かりませんし、もし無宿善の機は救われないもので獲信したものにはそれがわかるとすれば、やはり阿弥陀様の救いからもれるものがいるということだと思うのです
私にはそれこそはからいに見えてしまいます
可能性を判断できるというのはやはり今の私には納得できません
私が知る限り親鸞聖人はそのように言われていないと思います
私の考えが絶対正しいわけではありませんし、もし親鸞聖人がそのように語られている場所があれば教えていただきたいと思います
(覚如上人、蓮如上人の語られている場所も知りたいです)
ここで分かったとはいえませんが、その箇所を教えていただければ自分でもう一度考えてみたいと思います


139:298
08/01/23 16:46:39 ggD3xGqV
>>138
引用するには手元に資料を揃えねばなりませんので、
今晩になってしまいます。
特に、御本典のどこを引くのが良いかを考えるために、
ご意見をお伺いできればと思ったのです。
弥陀のお誓いは、「すべての衆生を今生で救う」のだと
理解されていらっしゃるのでしょうか?
もし、「すべてを今生で」でなければ、今生においては、
救われる機もいれば、救われない機も出てきます。
まだ、地獄に堕ちる機もいらっしゃるのです。
ですけれども、他の苦しみを望まないのが仏教です。
地獄に堕ちるのを、望むのではありません。
「悪人だから地獄に堕ちろ」は世間の考えであり、
仏説ではありません。
自業自得は仕方がありませんので、弥陀をたのむという無上善を
為してもらって、それによって救い摂るのです。
地獄に堕ちる機を、我々凡夫は救えませんし、
そもそも、自分をも自分では救えませんから、自分の救いも、
他の救いも、弥陀にたよるのです。

140:138
08/01/23 16:46:40 vGQN/KVg
訂正

どんなきっかけで法を聞こうとするか分かりませんし、もし無宿善の機は救われないもので獲信したものにはそれがわかるとすれば、やはり阿弥陀様の救いからもれるものがいるということだと思うのです
私にはそれこそはからいに見えてしまいます
            ↓
どんなきっかけで法を聞こうとするか分かりませんし、もし無宿善の機は救われないもので獲信したものにはそれがわかるとすれば、やはり阿弥陀様の呼びかけに応え得ないものがはっきりしてしまう
(やはり私には見捨てるように見えます)
私には「この人は無宿善だ」という判断こそはからいに見えてしまいます


141:神も仏も名無しさん
08/01/23 16:50:25 vGQN/KVg
>>139
ちょっと自分でも問題がある表現だと思いました
少なくとも今生で救われる契機、可能性はみなに開かれているのだと思っています
信後の人には「可能性がない人がはっきり分かる」というのに違和感があるのです
それは凡夫の分限を超えていると思うのです

142:298
08/01/23 16:50:42 ggD3xGqV
>>140
その時点では、正雑二行の沙汰ができないだけです。
なんとかわかってもらおうと、働きかけは続けてゆきます。
まだ実感はできないかもしれませんが、
望まないというのは、あくまでも、ご本人が望まないのです。
求める方を、拒否するわけではありません。
求める機が希なのです。
宿善の機が、生涯のある時点において、法を聞こうとしないとします。
これは、まだ開発前だからです。
ところが、宿善の機であれば、その後、何かしらの縁によって、
宿善が開発され、法を求める時節が至るのです。

143:298
08/01/23 16:52:11 ggD3xGqV
>>141
例をあげれば、わかりやすいでしょうか。
赤子の獲信ということが言われますが、
宿善開発前の赤子はどうなるかと言いますと、
泣き叫んで法を聞くことを拒否します。
明らかに知れます。

144:298
08/01/23 16:54:38 ggD3xGqV
>>141
今現在、真宗に興味を示さない方がいらっしゃるとして、
その方が宿善が無いかと言えば、そうは断言できません。
開発されているかどうかがわかるだけなのです。
宿善開発前の機にも、宿善の機と、無宿善の機がおります。
開発されていれば、はっきりとそれがわかり、
六字の謂れを聞き開くことになります。

145:神も仏も名無しさん
08/01/23 17:06:53 vGQN/KVg
>>144
少し確認したいのですが、「無宿善の機は絶対に今生では救われないもので、信後の人にはそういう人を見分けることができる」ということだと思って聞いていましたが、違うのでしょうか?
開発されることによって宿善の機だと自覚できる、開発されているもの同士は相手が開発されているということがよくわかるという話なら納得できます
信後の人は「あの人は無宿善だから駄目だとわかる、可能性がない奴だと判断できる」ということに違和感を感じていたのですが、それは私が勘違いして聞いていたんでしょうか?


146:298
08/01/23 17:14:29 ggD3xGqV
>>145
無宿善の機を見分けるには、獲信だけでは足りません。
法相続だけでも足りないはずですから、次第相承の善知識にも、無理だと思います。
聖道門をかなり進まれている方には、わかる方もいらっしゃるかもしれません。
開発されても、自覚はできません。成人であれば、
「宿善が無かったらどうしよう」と不安になることが多いと思います。
開発されていれば、善知識から見て分かります。
善知識でなくとも、獲信の方から見ても、かなりの程度まで分かります。
宿善あるかもしれないと見れば、信後の方が、善知識のもとにお連れします。
しかし、宿善無い機(あるいは開発前の機)は、途中で恐くなってしまうのです。
これは、魔が働くからです。
ですから、第十九願、第二十願によって、守られねばならぬのだと思っています。

147:298
08/01/23 17:16:43 ggD3xGqV
>>145
146で確認になりますでしょうか?

148:神も仏も名無しさん
08/01/23 17:18:57 vGQN/KVg
>>146
やはり私が勘違いして聞いていました
いろいろありがとうございました

149:298
08/01/23 17:28:31 ggD3xGqV
>>148
私の表現が足りないのです。
聞いてくださって、ありがとうございます。

150:神も仏も名無しさん
08/01/23 18:01:10 ilrin2kt
罪悪感をいくら深めたところで、
それはただの自己満足に過ぎない事を
知る人は少ない。

本当に自己の罪悪を見たと思う人がいるなら、
それはただの思い上がりに過ぎない事を知るべきだ。

151:神も仏も名無しさん
08/01/23 18:04:26 ilrin2kt
念仏の教えを聞いて、身の毛のよだつ思いがし、
後に喜ぶ心起こる人は、宿世に仏道を為した人である。

念仏の教えを聞いて何も感じず、馬鹿にする思いが起こる人は、
三悪道から生まれて来た人である。

152:7
08/01/23 18:10:52 wg7F033m
私も宿善についてはとても不安に思っておりました。今はまだ信前ですから、その不安が完全になくなったわけではありませんが、
もう求めいく他はないな、という結論に達しました。298さん、他の皆様のおかげです。感謝しております。

>>150
そうですね、自分も罪悪感と無常感を深めていけば、三定死に至って、窮まったところで突然信心決定出来ると思ってました。
凡夫にはとてもとても罪悪観やら無常観やら、そんな能力を持ち合わせた自分か?と考えますとゴールがやたら遠のいたものです。

全然話が変わりますが、二河白道の例えが信後の姿であることはここがきっかけで知ることが出来ました。ありがとうございます。

153:神も仏も名無しさん
08/01/23 19:08:14 ilrin2kt
まさに知るべし。
生死の因縁不可思議なり。
薄徳にして聞くことを得る。
その縁を知ること難し。
烏豆衆のごとし。

154:神も仏も名無しさん
08/01/23 20:16:02 8M1cvND7
心を開けば、宗教体験は得られると思うのです。
しかし、不退転とは言いつつも、実際には、信後にも、疑いや、快楽、絶望、魔の誘惑に敗れることもあると思うのですが?

155:神も仏も名無しさん
08/01/23 22:39:55 ilrin2kt
臨終の一念までは、自らは煩悩の地体なりと思うて、
かかる我等がための大悲の本願成就なりと
彌陀仏を仰いで念仏申すばかりなりと心得べし。

156:神も仏も名無しさん
08/01/23 22:52:39 ilrin2kt
〉298さんへ

「救いを求める者=宿善の機」という意味合いの親鸞聖人の文章は、まだ見たことは無いが、
念仏の教えを聞いて喜んだ人達、または誹謗したりする人達が、
宿世(過去世)において仏道を修していたか、三悪道から
生まれて来たのかによって、そのような違いが現れてくる、
という文章を七祖の著作や言動から書いておられるのは、読んだ事がある。

しかし、298さんは独自に親鸞聖人の著作から文章を発見したかもしれないから、今はまだ言わないでおく。…

157:298
08/01/24 00:47:48 CUW3PUVd
宿善について、例の名無しの方の書き込みも、わくわくしています。
安楽集には、次のごとしです。

◎第二に『大智度論』にいはく、「聴くものは端視して渇飲のごとくせよ。
一心に語議のなかに入り、法を聞きて踊躍し心に悲喜す。
かくのごとき人にために説くべし」と。(安楽集)

158:298
08/01/24 01:51:19 CUW3PUVd
お昼の方にもともと引こうと思っていた箇所とは違うものもあるのですが、
今は、これを引きます。ご参考になれば幸いです。

◎宿世の時、仏を見たてまつる者、楽〈この〉んで世尊の教を聴聞せん。
人の命、まれに得べし。仏、世にましませども、はなはだ値〈もうあ〉いがたし。
信慧ありて致るべからず。もし聞見せば、精進して求めよ。
この法を聞きて忘れず、すなわち見て敬い得て大きに慶ばば、
すなわち我が善き親厚なり。これをもってのゆえに道意を発せよ。
たとい世界に満てらん火とも、この中を過ぎて法を聞くことを得ば、
かならず当に世尊と作りて、将に一切生老死を度せんとすべしと(行巻、平等覚経)

◎且は宿世値遇の善縁に酬い、且は垂迹多生の調熟に依りて、
今、正法に帰して生死を出でんと欲す(六要鈔)

◎しかれば信心をおこして往生を求願するとき、
名号もとなへられ光明もこれを摂取するなり(執持鈔)

159:298
08/01/24 01:52:45 CUW3PUVd
昼間の時点で引こうと思っていたのは、たとえば、ここです。

◎十方衆生のなかに、浄土教を信受する機あり、信受せざる機あり。いかんと
ならば、『大経』のなかに説くがごとく、過去の宿善あつきものは今生にこの
教にあうてまさに信楽す。宿福なきものはこの教にあふといへども念持せざれ
ばまたあはざるがごとし。「欲知過去因」の文のごとく、今生のありさまにて
宿善の有無あきらかにしりぬべし。
しかるに宿善開発する機のしるしには、善知識にあうて開悟せらるるとき、
一念〔も〕疑惑を生ぜざるなり。(口伝鈔)

160:298
08/01/24 01:56:48 CUW3PUVd
>>154
いわゆる宗教体験と、弥陀の救いは、異なるような気がします。
「気がします」というのは、「いわゆる宗教体験」の方を、私はよく知らないからです。

>実際には、信後にも、疑いや、快楽、絶望、魔の誘惑に敗れることもあると思うのですが?

敗れることもあるどころか、敗れ、踊らされるばかりではないでしょうか。
凡夫ですから。

161:298
08/01/24 03:37:09 CUW3PUVd
近頃思うのは、「他力の中の自力」ではなく、「自力の中の他力」がある
ということです。
他力の中の自力は第二十願ですが、自力の中の他力は、
単なる想像であり、思い込みであり、「衆生の欲の投影」と揶揄されるものであり、
他力をいただいたと言いながら、むなしく堕ちて行く他力です。
聖道門でもなく、浄土門でもなく、外道である他力です。

162:298
08/01/24 04:27:08 CUW3PUVd
たとえば、宿善開発の行者が善知識に会い、六字の謂れを聞き開くならば、
「たちどころに他力摂生の旨趣を受得し、あくまで凡夫直入の真心を決定」
これを我が身に体験できるのです。ありがたき上にもありがたきこと。
罪悪深重の惑染凡夫には、もったいなき事。
しかし、そのような凡夫のための本願です。ますますもったいなき事です。

163:298
08/01/24 05:32:09 CUW3PUVd
>>116
◎自以所見問斯義耳(教巻)

164:298
08/01/24 06:21:45 CUW3PUVd
◎努力勤精進修善、願度世。可得極長生。(大経)
◎当求度世、抜断生死衆悪之本。(大経)

165:298
08/01/24 15:38:43 CUW3PUVd
カンタンなチェックリストを作りましたので、領解を確認する助けに
していただけたらと思います。

信前の方は、

・「弥陀をたのむ」とはどういうことか、わからないはずです

・「六字のいわれ」も、わからないはずです

・「易行」と言われても、わからないはずです

・「非行の行」と言われても、わからないはずです

・「他力の行」と言われても、わからないはずです

・「自力の心をふりすてて」と言われても、どうすれば良いか、わからないはずです

・「六字のすがた」もわからないはずです

・「南无阿彌陀佛の主になる」も、わからないはずです

・「一文不知の愚鈍の身になして」も、わからないはずです

信をいただけば、これらすべてがわかります。

166:神も仏も名無しさん
08/01/24 18:01:26 M6ijMP/+
>>160
>敗れることもあるどころか、敗れ、踊らされるばかりではないでしょうか。
>凡夫ですから。

信後にも、信仰を手放した場合、浄土へ行けず、地獄に堕ちることもあるわけですね。
因果の理法をくらますことはできないのですから。




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