08/01/17 18:31:14 TRGQsj3o
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298さんへ
諍論ではないです。私は「宿善の機=救いを求める者」の出拠をお尋ねしているだけです。
言い換えれば、親鸞聖人、蓮如上人また、覚如上人が
何処でそのようなことを仰っておられるのか、尋ねているだけなんです。
さて、『改邪鈔』(八)の「正法」の意ですが、これは=正しい理法、正しい道理=仏法、
これは、お釈迦さまの教えを伝え継ぐ宗旨であれば、肯首する所でしょう。
親鸞聖人にとっては、大経こそ出世本懐の教、時機相応の法、大乗至極の法であって、
その体をたずねれば、南無阿弥陀仏の名号でありましたと受け取られたのでした。
勿論、親鸞聖人の教えを継ぐ覚如上人であるから、「名号を本とする仏法」を
「正法」と表現されたことは間違いないと思います。
しかし、それが「宿善の機=救いを求める者」という
298さんの定義と何の関係があるのでしょうか?