08/01/23 15:30:07 ggD3xGqV
>>119
「見下げる」ことについてですが、たとえば、阿弥陀如来は如来でしょう?
私は、凡夫です。
三宝帰依もできないような凡夫でした。
弥陀如来が、私を哀れんで救ってくださることを、
私はよろこんでいます。
それは、私は私を凡夫と思い、もう自分ではどうにもならぬと思ったからです。
つくづく傲慢ですからね、自分で滅度に至れると思ったら、
弥陀をたのまずに、自分でやろうとしたと思います。
おそらく、過去生にはそんなことを試みて、正法も誹謗して、
流転していたのではないかと自身を思っています。