08/02/14 20:17:07 yEJ+2BSP
>>501
>自我が破綻した人間の善行に報いたり、罰を与えることにいかなる意味があるのでしょうか?
回答します。
自我の破綻した人間にとっては「非常感は無い」です。在るが侭に過ごすだけです。
自我の破綻した人間に関わる方にとっては「非常に非常感を味わう」のでしょうが、
自我の破綻した人間に関わっている方が「○○に罰を与えられている」と思うのは間違いです。
全ての経験を記憶するのはアナタご自身であって「比較」に縁って「苦」と決めているのです。
佛教、殊に妙法蓮華経には性別・身分・知識・身体能力の差異よりも、自分を殺害しようとした張本人を「善智識」と全面肯定する。
其の感受法を験されている・・・と解釈を改めましょう。 世間様は誰でも不幸を云わば「混迷・酩酊・瞋恚・享楽」で苦しんでます。
出典は、妙法蓮華経提婆達多品第十二です。(部分を載せます)
我過去の劫を念うに 大法を求むるをもっての故に 世の国王と作れりと雖も 五欲の楽を貧らざりき 鐘を椎いて四方に告ぐ
誰か大法を有てる者なる 若し我が為に解説せば 身当に奴僕と為るべし 時に阿私仙あり 来って大王に白さく
我微妙の法を有てり 世間に希有なる所なり 若し能く修行せば 吾当に汝が為に説くべし
時に王仙の言を聞いて 心大喜悦を生じ 即便仙人に随って 所須を供給し 薪及び果・を採って 時に随って恭敬して与えき
情に妙法を存ぜるが故に 身心懈倦なかりき 普く諸の衆生の為に 大法を勤求して
亦己が身 及び五欲の楽の為にせず 故に大国の王と為って 勤求して此の法を獲て 遂に成仏を得ることを致せり 今故に汝が為に説く
諸の比丘に告げたまわく、爾の時の王とは則ち我が身是れなり。
時の仙人とは今の提婆達多是れなり。
提婆達多が善知識に由るが故に、我をして六波羅蜜・慈悲喜捨・三十二相・八十種好・紫磨金色・十力・四無所畏・四摂法・十八不共・神通道力を
具足せしめたり。
等正覚を成じて広く衆生を度すること、皆提婆達多が善知識に因るが故なり。