08/02/28 18:21:15 xrfMQVO2
>>83
こちらに来て、初めての参加になります。まだまだ若輩者です。宜しく御願い致しますm(_ _)m
>>75で >度が過ぎれば と、コメント致しました。
「ほこり」の思案も、バランスが大切かと存じます。
一一一 朝、起こされるのと
教祖が、飯降よしゑにお聞かせ下されたお話に、
「朝起き、正直、働き。
朝、起こされるのと、人を起こすのとでは、大きく徳、不徳に分かれるで。
蔭でよく働き、人を褒めるは正直。
聞いて行わないのは、その身が嘘になるで。
もう少し、もう少しと、働いた上に働くのは、欲ではなく、真実の働きやで。」
と。
教祖さまも、「八つのほこり」に含まれる、「よく」について、このように場合分けを為さって居られます。
さて、私は「よく」に相当する旨を書きましたが、>>65さんの件は「よく」に該当しないと存じます。
「よく」について、基本的には分を過ぎて人の物をかすめ取る心と存じます。
理を省みず、あの人が良い、この人が良いで色にふける心を指して、「よく」と書きました。
修養科だけではなく講習期間も含めて、一途に思う心は、これには相当しないという結論です。
但し、実はそのケースによって、「ほしい」のほこりに対する認識も必要かと存じます。
「ほしい」は、分を省みず求める心、その場の理を省みず欲する心、選り好む心です。
こちらの件に関しても、 >>65さんの件は、理を省み、その場を自制し、旬を見計らいお付き合いしておられます。
結論として、一概にこの件で「ほこり」の心が働いたとは思えません。
>>65さんへ
修養科で伏せ込む僅か三ヶ月を共に過ごし、ここまで至るのは、余程の同じ「いんねん」と存じます。
「世界は鏡」を鑑みて、「たんのう」を心掛ければ、これ以上ない相手ではないでしょうか?