08/02/05 20:04:27 q7MNvh4M
「死」というのは、「躰を失うという現象」である。
それが起きるのは「当人と周りにとって必要な場合」に起きる。
躰は「現世(物質世界)を生き、体験し、学び、成長するために必要なもの」である。つまり、「人の本質にとっては道具である」ということだ。
道具ゆえにメインテナンスは必要だし、寿命もある。
死には「予定された死」と「予定外の死」が存在する。
「予定された死」とは、「その人が死を迎えることを予め決めてきたもの」だ。「予定外の死」とは、「その人が死を迎えることにより、周りの人が大いに学び、自覚することができる場合に起きるもの」だ。
どちらの場合でも、現世に於いては学びであることは間違いない。
では、死後の学びはどうなるか。
死とはそもそも、霊体と肉体と分離により起こる。
霊体とは、そのものが「光であり、愛である」が、分離されたばかりの霊体は、物質世界に暮らした多くの想念を抱えているため、そのままでは光の世界には入ることはできない。
そのために、霊体は「自己の人生を省みる」ことになる。
自分が行ったことを客観的に見たり、立場を変えて体験することになる。
このときの基準が「愛」である。