08/01/02 09:41:40 QUS//yxP
>>177
ここは人間界。「神」などを持ち出す必要はない。人間の道徳(共生の技術)
の問題として、容易に解決できること。
「人間」が神を語る限り、それはどこまで行っても「人間」の観念作用・思考
に過ぎない。
「人間にあらざる、架空の神」など持ち出すから、「人間の恣意性」による
根拠皆無な優越感、差別、区別、選民意識、「人間そのものに対する愛の欠如」
が生じる。人間が、「神の教え」と称して、百人百様の、口から出任せの、勝
手な内容を盛り込むことが出来るからである。イエスがその典型である。
イエスは、「貧しい者・心の清い者は幸いである」などと口から出任せなことを
言ったが、「豊かな者」「心の清くない者」は幸いではないのか。そもそも
「心が清い」とは、具体的にはどういうことで、誰がどうやって判断するのか。
貧者・富者、強者・弱者、心の清い人、清くない人、いずれもすべて「創造主」
が作った人間であることには変わりはない。そして、人間のこれらの資質は、
状況にしたがって、常に変化するものである。強者にも弱さがあり、弱者にも
強さがある。
イエスの言葉は、人間そのものの洞察と人間そのものへの「愛」に著しく
欠けた、極めて浅薄な、「自分が神になった積りの独りよがりの独善性」
を表すものであり、創造に対する畏敬と人間そのものに対する愛の欠如を
示す、「人間差別」の元凶であると言わざるを得ない。
なお、「精神世界」も、現世における人間の生物的生命の機能に過ぎない。
死ねば、人間の精神活動は一切停止する。