07/12/17 19:47:24 8e8VDz7d
>念仏が他力念仏を指すとすれば、あながちに「支離滅裂」ともいえないのでは?
法然上人にせよ、そういう説かれかたをされてませんか?
法然上人は「自力の念仏は全く往生すべからず」と教えておられるので
まったく違います。
>この場合の「後生の一大事の解決」が「一切衆生 必堕無間地獄」を指すのなら、
一般的な賛同は得られにくいでしょうね。
本願寺の賛同が得られないだけ、の間違いでしょう。
祖師聖人は賛同されると思いますよ。
善男子、わがいふところのごとし、阿闍世王の為に涅槃に入らず。
かくのごときの密義、なんぢいまだ解くことあたはず。
なにをもつてのゆゑに、われ「為」といふは一切凡夫、「阿闍世王」とは
あまねくおよび一切五逆を造るものなり。
また「為」とはすなはちこれ一切有為の衆生なり。
われつひに無為の衆生のためにして世に住せず。なにを
もつてのゆゑに、それ無為は衆生にあらざるなり。「阿闍世」とはすなはちこ
れ煩悩等を具足せるものなり。また「為」とはすなはちこれ仏性を見ざる衆
生なり。もし仏性を見んものには、われつひにために久しく世に住せず。な
にをもつてのゆゑに、仏性を見るものは衆生にあらざるなり。「阿闍世」とは
すなはちこれ一切いまだ阿耨多羅三藐三菩提心を発せざるものなり。(信巻、涅槃経)