08/03/17 14:22:55 r5/n590Z
恋人を折伏すれば恋人の本性が分かる、だから折伏しなきゃいけないし、入信したら付き合いを認めるけど、入信しないなら付き合ってはいけない。
こんな話しは男子部より女子部で良く聞く話しです。
しかし恋人を含め、執着を全て捨てなきゃいけないとすれば、それは爾前迩門だから謗法。大聖人様が人として大切な事を反対する筈がない
まして、在家の本分は仏法を根本として生活する事だから、生活を蔑ろにしての信心を大聖人様はお喜びにはならない。
身を投げ捨てた雪山童子は釈迦仏の前世の姿、未だ爾前迩門すら説かない未顕の仏で、言わば凡夫です。
それを見習い仏道修行だなんて、文字通り馬鹿な話し。
本門の修行は日夜、勤行唱題に勤め、時あれば折伏する、生活法なのだとの指導が、折伏理論書に書かれている。
それが間違いなら何故削除されずにこの文言が残っているのか?正しいから削除されない。
それしかない。
だからこそ、私達は生活をする中に信心が育まれ、いつか成仏と言う大功徳を頂ける。
今あるがままの姿で成仏するからこそ、速成就仏身と仏様は願われ、私達も信力行力でお応えし、仏果を得るのでしょう。
一切の執着を捨てるのではなく、信心を通して少しずつ軽減されてゆくのが本当で強いるものではありません。
強いるのは信心の全くない証拠。あるいは、慢心です。
捨てなければならないのは、邪宗邪義であり邪師への執着です。
執着があればこそ、正しい修行が叶い、仏果を得るのです。