07/12/08 07:24:11 NBwSPNHD
しかし、これでは日蓮大聖人の教えと反してしまうことになるのです。
なぜならば、第一に日蓮正宗では、信徒の御供養以外に財源を求めません。世間謗法の人からの供養は受けませんので、日蓮正宗の寺院には賽銭箱は存在しません。したがって、税金には一切よらないのであります。
第二には、日興上人が日目上人に宛てられた「日興跡条々事」において、
「日興が身に宛て給はる弘安二年の大御本尊は日目に之を相伝す。本門寺にかけ奉るべし」
と仰せになられて、本門戒壇の大御本尊の管理の一切は御法主上人がなされるのであり、国に移管することは絶対にありません。
実際に、戒壇の大御本尊様安置の御厨子(仏壇のようなもの)には鍵が掛かっており、この鍵は御法主上人が管理されております。
したがって、税金の拠出もなければ、管理運営も御法主上人のご指南によるところの御宗門によって行われるわけでありますから、「国立」ではないのです。
それでは、なぜ「国立戒壇」と云う事が、日蓮正宗でも云われてきたのかと云いますと、明治時代に遡りますが、「田中智学(たなかちがく)」という学者が「国柱会」という教団を結成し、次のようなことを言い出しました。
1)天皇を戴いて「国立戒壇」を建立する
2)その「国立戒壇」には、大聖人出世の本懐である「佐渡始顕(さどしけん)の本尊」(*ニセモノです)を安置する。
3)折伏とは、天皇の意を戴して五穀豊穣を願って世界を掌握すること。
このようなことを言い出し、一時期は百万人もの信徒を有し、社会現象まで巻き起こしたといわれております。その代表的な信者としては宮沢賢治(作家)、石原莞爾(軍人)などがあります。