07/10/15 20:06:07 oILVfaql
>>68 どの部分がどう間違ってるかをかけないのなら、「読んでませんね」といわれますよ。
宝島新書の般若心経の批判の本は、読んだことないし、他で読んだ般若心経批判も、以前ちょっと読んだだけで
手元にないし、正確な記述が分からないから、確かなことが書けない。
なので、不正確だけど、何を的外れと思ったかというと
「般若心経のある句が、論理的に成り立たない」というような批判だったわけ。
変だと思わない?
般若心経て論理学の書じゃないでしょ。というか、実はお経でもない。
原文は、「般若波羅蜜多心」と書いてあるだけで、経とは書いていない。
だから経ではなくて、陀羅尼のようなもの、もう少し言えば、瞑想のツールとして唱えられてきたもの。
よく般若心経を読んでも意味が分からないという人がいるが、そんなの当たりまえで、
あれは分かるように解説した文章ではないから。
論理の飛躍、論理の前提の省略は当然のことで、そうでなければ240字くらいに収められない。
長々と解説したら、瞑想のツールにならないからね。
行間を読み取って、その意味するところから批判するなら分かるのだけれど
字面の形式的な論理だけで批判してたから、的外れだと思ったわけ。
そんな批判しても、「般若心経はそういう意図で書かれていません」て言われたら、話は平行線。
万葉集を読んで、それ論理的に間違っていると言っているようなもんだなと思ったわけ。
もっともサンスクリットに詳しい人に言わせると、原文は形式論理的にも問題ないらしいけど
私はサンスクリットには詳しくないから、その真偽はよく分からない。