【浄土真宗】妙好人と学ぶ【信心獲得(決定)】at PSY
【浄土真宗】妙好人と学ぶ【信心獲得(決定)】 - 暇つぶし2ch2:神も仏も名無しさん
07/10/07 20:48:20 FZu3jxim
どもノ

3:神も仏も名無しさん
07/10/07 23:08:21 0BV0dC3l
スレたてありがとうございます!

4:神も仏も名無しさん
07/10/07 23:20:15 0BV0dC3l
早速ですが・・・妙好人さまへ
 親鸞聖人のお言葉に、
 「誠に知んぬ。悲しきかな、愚禿鸞。愛欲の広海に沈没(ちんもつ)し、名利(みょうり)の大山(たいせん)に迷惑して、定聚(じょうじゅ)の数に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことをたのしまず。恥ずべし、いたむべし」とあります。
信心獲得した時の喜び、それは時と共に味わいが変わってくるのでしょうけれど、「自分は本当に信心決定しているのだろうか?」
というような疑問が沸いてくるようなことはあるのでしょうか。その内心で感じる「確かさ」「間違いなさ」というものは、
どのような感じなのでしょうか?

5:神も仏も名無しさん
07/10/07 23:30:05 GIWbmUZl
また渡海難が荒らしに来るのか

6:神も仏も名無しさん
07/10/08 01:03:52 u0pd2ELf
>4
ある坊さんが、信心がないと悩んでいた。
そして、妙好人として名高い三河のおそのさんを呼び、
意見を頂戴しようとされた。
坊主「私は寺に生まれ乍ら、信心がない。
どうか、信心とはなんたるか教えてほしい」
おその「私にも仏法尊む心がない。
ないからこそ、必ず助けるという仏法様がうれしい」と。
坊主「あなたは妙好人と呼ばれるような人、
すなわち仏法を間違いなく領解している方でしょう。
そんな薄情なことを言わず、私に意見してほしい」
おその「私が仏法をちゃんと理解していると思っておられるのか?
先程、言ったことは嘘じゃない。私は、これっぽっちも、仏法を理解していない。
理解できない私だからこそ、仏さまに助けられるのがうれしい他ない」と。


7:神も仏も名無しさん
07/10/08 03:00:26 SyGI1ge2
知識で助かるわけではないが、知識がなしでは不安な私。
どうすればいい?という心はいらないのに、どうすれば「どうすればいいかと思う心」を捨てられるだろうかと執心している。
無限ループの繰り返し。他事を考えていても、いいとは思えず、仏法を考えても、無意味感に苛まされる。

8:神も仏も名無しさん
07/10/08 04:15:19 spwiENgR
・・・妙好人さまへ
って見てたらなんか昔のアニメの『お兄さまへ・・・』ってのを思い出してしまった。

9:神も仏も名無しさん
07/10/08 04:38:22 0zQrBclm
>信心獲得した時の喜び、それは時と共に味わいが変わってくるのでしょうけれど、「自分は本当に信心決定しているのだろうか?」
というような疑問が沸いてくるようなことはあるのでしょうか。その内心で感じる「確かさ」「間違いなさ」というものは、
どのような感じなのでしょうか?

ここ3日間ほど回答させていただいているものです。
スレを立てていただいた方、お疲れ様でした。ありがとうございます。
また仏法(信心)のお話をできる場所を作っていただいて、とてもうれしいです。ほんとうにありがとうございます。
遅い時間ですが、寝る前に答えさせていただこうと思います。

>「自分は本当に信心決定しているのだろうか?」 というような疑問

そりゃ出ますよ。108個の煩悩の中に「疑う」という煩悩がありますから。わたしはなんでも疑います。
ただ、親鸞会では「本願への疑いは二度と出ない」と強調されていましたが、これもものすごく誤解を招くおそれがある表現だと思います。
私が親鸞会にいた時は、「本願への疑い(自力)が出ない」は、イコール=「つねに阿弥陀仏の本願が信じられる」というニュアンスで教えられました。
けど、「つねに阿弥陀仏の本願が信じられる」というのは、凡夫では無理です。それは悟りを開いた菩薩さまじゃないとできないことです。
それに「自分があのとき信心決定した体験」だって、もしかしたら夢の中のことかもしれない。ただの思い込みかもしれない。
そういう意味では、信心決定体験は、あやふやなものです
(もちろん、とんでもない驚き・感動はあるのですが、わたしの脳みそは夢の中のことを現実と思い込むことがあります。
 また、自分の過去の体験を、客観的に真実だ、と証明できないという特徴ももっていますし)。

じゃあ、未信のときとは何がちがうのか?
信心決定体験の時に、何が断ち切られるのか?何が出なくなるのか?
それは、『「本願を疑うこころ(こうすれば獲信できるのじゃないか?というこころ)」を「握りしめるこころ(執着・こだわり)」』を断ち切られるのです。
(たんなる煩悩の「疑い」ではない)
そして、本願を「聞ける」ようになる、ということです。
ややこしいとこですが、ここは誤解されている方が多いと思います。ええ、わたしもきちんと誤解してました。

10:神も仏も名無しさん
07/10/08 04:39:36 0zQrBclm
>その内心で感じる「確かさ」「間違いなさ」というものは、 どのような感じなのでしょうか?

わたしは、絶対に本願を聞かないもの・絶対に念仏を称えないものだ、という「確かさ」「間違いなさ」です。
これをきっちり教えてもらえば(思い知らされれば)、おのずと本願を聞かされます。
そして本願を聞くと、「浄土往生」「必堕無間」がハッキリします。
だって念仏がわたしの口から出ているんだから。
阿弥陀仏は、地獄に落ちるものに、必ず念仏を届けてみせる・となえさせてみせると約束なさって、その願いを達成なさったのだから。
(もちろんわたしがそこまでたどり着くには、獲信者による多くのアドバイスが必要でしたが。)

南無阿弥陀仏

11:神も仏も名無しさん
07/10/08 04:53:50 0zQrBclm
>どうすればいい?という心はいらないのに、どうすれば「どうすればいいかと思う心」を捨てられるだろうかと執心している。

これは・・・もっとも難関なところですね。ここがあるから、良質な獲信者によるアドバイスが必要となってくるのですが・・・。
とにかく、文章でなんとか答えさせていただきます。
おっしゃっておられるように、「どうすれば、どうすれば、どうすれば・・・」というのは、根性でがんばる限り、当然無限ループに落ちます。
じゃあ、どうすればいいのか?
これは、求道者の求道の進み具合によって、答えが変わってきます。
なので、すみませんが、まず、7さんに質問をさせてください。

Q1、7さんは、無常を感じられますか?「もう、本当に今日死ぬ可能性をありありと感じられる。」という状態ですか?目の前に「死の穴」が見えますか?
   それとも「無常と聞いているけど、本心はあまり死ぬとは思えない・・・」という状態にちかいでしょうか?
Q2、7さんは、罪悪を感じられますか?「今日も鶏肉を食べた。これはもう、必ず因果の道理によって、必ずわたしが食べられる日が来る」という反省がありますか?
   また、その反省から、殺生をゼロにしよう!と思い、実行しておられますでしょうか?
   それとも「罪悪と聞いているけど、いくら罪だと聞いても、夕食には鶏肉をおいしく食べられるなあ・・・」という状態にちかいでしょうか?
Q3、7さんは、自分が後生の一大事を感じられますか?本当に地獄に落ちると思いますか?自分が落ちる地獄の業火が、目の前にありありと見えますか?
   それとも「後生の一大事と聞いているけれど、いくら後生は地獄と聞いても、本心では実感がない・・・」という状態にちかいでしょうか?
ちなみに、わたしは、恥ずかしながら、答えは全て後者です。

もしさしつかえなければ、お答えいただけると、なにか7さんの求道のお役に立てることを書かせていただけるかもしれません。


12:神も仏も名無しさん
07/10/08 08:01:47 z/yn+x2b
ご存知の方、教えてください。

■『こんなことが知りたい』①(by顕徹)より
「自力一杯、もとめたことのない者に、自力無功と知らされる筈がありません。」

疑問① 根拠は何?
疑問②「自力一杯、もとめたことがある者に、自力無功と知らされる筈です。」といえるのか?

■『本願寺 なぜ 答えぬ 親鸞会 かく答える』(by顕徹)より
「仏教で修善をすすめるのは獲信の方便(因縁)に、ほかならない。
″獲信の因縁にならぬ諸善はなかりけり″親鸞聖人の、ご金言である。」

疑問①聖道門ですすめる修善は″獲信の因縁になる諸善″か?
疑問②浄土宗ですすめる修善は″獲信の因縁になる諸善″か?
疑問③秘事法門ですすめる修善は″獲信の因縁になる諸善″か?



13:神も仏も名無しさん
07/10/08 08:39:15 jOroAPwa
>>10
>>その内心で感じる「確かさ」「間違いなさ」というものは、 どのような感じなのでしょうか?

>わたしは、絶対に本願を聞かないもの・絶対に念仏を称えないものだ、という「確かさ」「間違いなさ」です。
>これをきっちり教えてもらえば(思い知らされれば)、おのずと本願を聞かされます。
>そして本願を聞くと、「浄土往生」「必堕無間」がハッキリします。
>だって念仏がわたしの口から出ているんだから。


う~ん
昔、深沢七郎の「楢山節考」という小説を読んだ時の読後感を思い出した。

14:神も仏も名無しさん
07/10/08 09:22:55 rJuuVAR9
>>12の質問を教学論争ととるか、それとも信心についての純粋な疑問ととるか。
今後も出てくる質問の形式と思えるけど、本スレではどうだろう。


15:神も仏も名無しさん
07/10/08 09:34:54 PRn1yQEq
講師にでも聞けよ

16:神も仏も名無しさん
07/10/08 10:44:47 uvzViE5F
>>11
>どうすればいい?という心はいらないのに、どうすれば「どうすればいいかと思う心」を捨てられるだろうかと執心している。

この人は「自力一杯、もとめて」いるように思いますので、次の不審が
>■『こんなことが知りたい』①(by顕徹)より
>「自力一杯、もとめたことのない者に、自力無功と知らされる筈がありません。」
>疑問① 根拠は何?
>疑問②「自力一杯、もとめたことがある者に、自力無功と知らされる筈です。」といえるのか?
このスレとまったく関係ないようには思えなかったので質問いたしました。
邪魔ならおっしゃってください。

>おっしゃっておられるように、「どうすれば、どうすれば、どうすれば・・・」というのは、
>根性でがんばる限り、当然無限ループに落ちます。

「どうすれば、どうすれば、どうすれば・・・」とは私を助けんがための
阿弥陀様の五劫の思惟・永劫のご修行のご苦労と聞かせていただけば、
こちらには用意はいらないと知らされますが、いかがでしょうか?

>>15
>講師にでも聞けよ

このご回答がこのスレの趣旨でありましたら、
ご遠慮いたします。

17:妙好人さまへ
07/10/08 14:21:13 RkcssVDi
前スレより参りました。レスありがとうございます。
>獲信体験は、合点の大きなものだとか、脳内作用だとかいう、いわば「相対的体験説」
>を主張する人がいますが、体験者として、これを明確に否定されますでしょうか?
>あくまで超越的な絶対的な体験なのでしょうか。この質問は、高森氏が「次第に」迷雲
>が晴れたことと絡んで大きな疑問です。

以上の私の質問に対し、以下のようにお答え下さいました。

>>906
>でも、そのドーパミンも後生にはたよりになりません。
>なので、もっと大事なのは、聞く(聞即信する)ことですね。

とのことですが、これは「相対的体験説」を明確に否定されていると解釈して宜しい
でしょうか?その場合、次のご発言との整合はどのようにお考えになりますか?

>>650(前スレ)
>ちなみに高森氏は獲信体験があったのだとわたしは推測します。
>ただ、もともとの気性が激しかったそうですし、信後の聴聞も怠ったのでは・・・?

それとも、「次第に迷雲が晴れ」ることも、

>>904(前スレ)
>「獲信体験」自体は、あらゆる種類があります。

の一つとして位置付けることは可能なのでしょうか?

18:神も仏も名無しさん
07/10/08 14:27:40 GpZIaesS
<重要なお知らせ>

ここは親鸞会とは無関係のスレです。
親鸞会の関係者は来ないでください。
親鸞会や高森顕徹氏の話題は親鸞会のスレでお願いします。
以後、これらの話題に触れるのは禁止です。

また、渡海難氏もこのスレには来ないでください。
来ただけで荒れる恐れがあるのでお願いします。

19:神も仏も名無しさん
07/10/08 16:58:36 gtK5vMGh
>>9
前スレより
>935 :神も仏も名無しさん:2007/10/07(日) 02:44:00 ID:AxpkBOoS
>凡夫は、憎しみに悩み、寂しさに悩み、くやしさに悩み、おだてられて有頂天になり、他人に勝とうと思う、というしょうもない心しかありあません(わたしの場合)。
>ですが、つらい時、苦しい時に阿弥陀仏の本願を聞けば、そういうときほど有り難い。
>「有り難い」なんて軽くいいますが、ほんとうにウルッと涙が出るんですよ。
>本当に孤独なんだなー、本当に死ぬ時って1人なんだなー、わたしの味方なんていないんだなー、と絶望するときに
>本願を聞けば、「ああ、世界一の応援者がいた!いつ死んでも必ず救うぞ、今死んでも必ず浄土につれていくぞ!」といってくださる方がわたしにいる。
>どんなに孤独でも、1人じゃない。だれが非難しようとも、阿弥陀仏だけは「おまえが可愛くてたまらん」とおっしゃってくださる。

>後生の苦はなくなるし、上に書いたような安心感はたくさんいただけるし。幸福感はムチャクチャ多いですよ。

と語っておられますが、道を歩いている時、電車に乗り遅れそうになって駆け出している時、会社で仕事に集中している時などでも、念仏を唱えるたびに
「有難い」という気持ちで胸が一杯になるのでしょうか?

親鸞聖人は歎異抄九条で
「念仏申し候へども、踊躍歓喜のこころおろそかに候ふこと・・・・・・・・・・
踊躍歓喜のこころもあり、いそぎ浄土へもまゐりたく候はんには、煩悩のなきやらんと、あやしく候ひなましと云々。」
と述べておられるようですが

20:神も仏も名無しさん
07/10/08 18:03:15 6Mbvddpg
>>656 :神も仏も名無しさん:2007/10/03(水) 09:08:56 ID:4TDRVsmv
>>「信後の聴聞」とは具体的に何かを指しますか?
>>たとへば、念仏・説法・聖教拝読・お勤めなど。
>>これらは「信後の聴聞」にならないのでしょうか?

>しっかり聞く耳を使う人なら、別に念仏やお勤めじゃなくても、目の前の食事が仏さまの説法として聞こえてくることもある。


獲信した後に会社や家族の身近な人々の存在や、
金銭などに対する価値観などに変化が生じたならば、
教えていただきたいのですが。

21:7
07/10/08 21:15:41 SyGI1ge2
>>9-11 ご丁寧なレス大変ありがとうございます!感謝しています。

ご質問についてですが

Q1 無常について・・・明日、いや今日も死ぬ日かも知れないなぁ・・・というのはボンヤリと毎日感じます。死を思わない日はありませんが、今!まさに死!という切迫したものはなく、本心はのんきそのもの、大事なことは全て先延ばしなのです。

Q2 罪悪感について・・・魚を捌かれる、ああいつか自分もこう捌かれるのも仕方ないのかな、肉を焼けば、いつか自分も焼かれるのだなあ、と考えることはありますが、それでも食べているときはおいしいばかり。すぐに忘れておかわりしてしまいます。

Q3 自分の後生の一大事・・・死んだらどうなるんだろう?と考えればどこにも答えと確信できるものがなくて、暗い気分にはなりますが、地獄の業火が目の前にありありと見えることはありません。自分の未来がどんなものか、はっきりと何かを感じたことがありません。

今週、お勧めの本をいくつか入手するために京都へ行きます。仕事のついでなので聴聞してまわることは出来ませんが、もしかたら獲信者の方にお会いできるかもしれないとワクワクしています。ボンヤリと自身の問題を放置する期間はもう過ぎたと感じています。
もう無駄足を恐れていても、仕方ないですから。。

22:神も仏も名無しさん
07/10/08 22:35:01 0zQrBclm
>と語っておられますが、道を歩いている時、電車に乗り遅れそうになって駆け出している時、会社で仕事に集中している時などでも、念仏を唱えるたびに
「有難い」という気持ちで胸が一杯になるのでしょうか?

念仏となえるたびに有り難い気持ちで一杯になる・・・、うーん、わたしもそういうイメージを持っていましたが、実際はちがいました。
念仏をとなえるたびに、ではなく、「聞く耳を使うたび」(=聞即信するたび)に有り難い気持ち&申し訳ない気持ちになります。
それで、聞く耳を使うと、お念仏が出ないわたしから、お念仏が出てくださる。
なので、念仏というよりも、まず阿弥陀仏の本願を聞くことが大事ですね。

これを聞かなかったら、自分の口から出ている念仏の意味が分からない。
言い換えると、生きたお念仏に出会えない。お念仏が「本当に阿弥陀仏からの最高のプレゼントだった」ということが分からない。
俗っぽく言うと、いちばんおいしい部分が味わえないわけです。

>親鸞聖人は歎異抄九条で
>「念仏申し候へども、踊躍歓喜のこころおろそかに候ふこと・・・・・・・・・・
>踊躍歓喜のこころもあり、いそぎ浄土へもまゐりたく候はんには、煩悩のなきやらんと、あやしく候ひなましと云々。」
>と述べておられるようですが

これは、その通りでしょう。「わたしは、仏法に対して喜びの心もあります。はやくお浄土に行きたいです」なんて言う人は、
凡夫というより悟りを開いた菩薩です。
でも、仏法を喜ぶこころがまったくないわたしの後生をかならず救う、という本願は、
仏法を喜ぶこころが自分にはまったくない、ということが思い知らされると、
とてつもなくありがたい・申し訳ない・うれしい・たのもしい。
親鸞聖人も、念仏をとなえていながらも喜べない自分を発見されて、とても阿弥陀仏の本願がありがたかっただろうな、だと推察します。
だって、後生の地獄を救う功徳がつまった念仏をとなえていても喜べないような人、こそをかならず救う、というのが阿弥陀仏の18願ですし。

ちょっと中途半端ですが・・・すみません。

23:神も仏も名無しさん
07/10/08 22:47:07 0zQrBclm
>獲信した後に会社や家族の身近な人々の存在や、 金銭などに対する価値観などに変化が生じたならば、
教えていただきたいのですが。

うーん、基本的に変わってないです。わたしの本性には変化なし。
お金は欲しいし、家族にも腹は立つし・・・。

ただ、そういうしょうもない煩悩しか持ってないわたし、その煩悩で罪ばかりつくってあとは地獄に落ちるのを待つばかり、
という状態のわたしの後生をかならず救う、という阿弥陀仏の本願を聞くと、感謝と懺悔の念が生まれます。
こんな感謝と懺悔の念なんて、わたしの本性から言ったら、絶対生まれるはずないんですよ。
でもね、聞けるはずのない本願を聞かせていただくと、生まれるはずのない感謝と懺悔が生まれる。
そして阿弥陀仏は、わたしの後生をかならず救う、とおっしゃってくださっている。

本性は変わらないし、他人を殺してでも自分が生き延びたい、という人でなしのわたし。
そのわたしの後生を救う、と聞くと、不思議なことにありがたい。
ありがたいから人にも伝えたくなる。人に仏法を伝えるこころなんて全くないわたしが。

で、仏法伝えたいから、友達に家族にやさしくしよう、という気持ちも生まれる。
本心から友達や家族にやさしくしよう、なんて思わない私が。
お金も、なるべく無駄使いせず、仏法を広める活動資金にあてよう、と思う。仏法が尊いなんて、まったく思ってないわたしが。

うまくいえませんが、このような変化はありました。
自分中心(いわゆる自己中)でしかモノを考えない本性は、まったくそのまま存在していて変化はゼロでしたが・・・。
本性が変わらない、という点では、浄土真宗の教えを聞いても「いいひと」にはならない、といえると思います。

24:神も仏も名無しさん
07/10/08 22:53:00 0zQrBclm
>21 今週、お勧めの本をいくつか入手するために京都へ行きます。仕事のついでなので聴聞してまわることは出来ませんが、もしかたら獲信者の方にお会いできるかもしれないとワクワクしています。ボンヤリと自身の問題を放置する期間はもう過ぎたと感じています。
もう無駄足を恐れていても、仕方ないですから。。

求道を本格的に開始されたのですね。うれしいです。
たしかに獲信者の数はとても少ないですが、ていねいに探していけば、必ず出会える程度には存在します。
このように足を踏み出す方(後生を自分の問題ととらえている方)は、絶対に聞かせてもらえます。
どうぞ、あせらず、変な組織や個人には気をつけながら、求道なさってください。
でも、うーん、いや、ほんとにうれしいです・・・・、
こういう真摯な求道者がおられるから、わたしも本願を聞きつづけさせていただけるのだと思います。

南無阿弥陀仏

25:神も仏も名無しさん
07/10/08 23:10:49 0zQrBclm
>21

で、無常・罪悪・後生の一大事を、あんまり真剣に感じられない、とのことですが、
阿弥陀仏は「無常・罪悪・後生の一大事を、あんまり真剣に感じられないような人」をこそ救う、とおっしゃっておられます。
罪悪の重い人、どうしようもない人、仏法を求めない人、仏法が理解できない人、そういうダメな人こそ救うよ、と。
阿弥陀仏の本願(お約束)ですね。
つまり、阿弥陀仏は21さんの後生をかならず救うよ、とおっしゃっておられる、それが阿弥陀仏の本願。
21さんの口から、万善万行の功徳のかたまりである念仏を「なむあみだぶつ」ととなえさせて、それで21さんの後生を必ず救う、と。

「どうすればいいのか」というこころを、どうしても捨てられない21さんを救う、
「どうすればいいのか」というこころをどうすれば・・・というこころを、どうしても捨てられない21さんを救う、
・・・・・
21さんの全て(体の行いも、こころの行いも全て)を救う、というのが阿弥陀仏の本願。
なので、「どうすればいいのか、というこころも捨てられない」という21さんも、救いの対象なんです。
このように、「どうがんばっても、うまく求道できない自分」すらも救う、というのが阿弥陀仏の本願。
「どうがんばっても本願を信じられない・理解できない」という人を救うのが阿弥陀仏の本願なんです。

ここらへんが求道で、最も難関ではあります。
とにかく、出てくる自分の思いをいったん認めて、でも
「そういう思いがでてくる自分の後生を救う、と阿弥陀仏はおっしゃっている」と聞いていく。くりかえし本願を聞く。

この「本願を聞いていく」という作業は、未信も信後もまったく同じです。
とにかく、くりかえし本願を聞く。
自分の思い(どうすれば・・・など)にとらわれずに、本願を聞く。
自分の思いにとらわれたら、とらわれたまま本願を聞いてみてください。


こんなことをオススメするのは、
わたしが聞即信にたどり着くのに、本願をくりかえし聞く(=何回も聴聞する)のが必要だったからです。

26:神も仏も名無しさん
07/10/08 23:16:47 DVdr9bRD
7さんこんにちは私も救われました。このような形で救われた方がおられる
ことを知り、うれしく思います。頑張ってください。

27:神も仏も名無しさん
07/10/08 23:39:01 u0pd2ELf
>16
>■『こんなことが知りたい』①(by顕徹)より
>「自力一杯、もとめたことのない者に、自力無功と知らされる筈がありません。」
>疑問① 根拠は何?
横レスすみません。①根拠は、独自の三願転入観によるものかと思われます。
①第19願の実践。
「諸善万行ことごく
至心発願せるゆえに
往生浄土の方便の
善とならぬはなかりけり」
『愚禿鈔』には、「ただ阿弥陀如来の選択本願を除きて、
以外の、大(乗)小(乗)・権(教)実(教)・顕(教)密(教)の
諸教は、みなこれ難行道、聖道門なり。
また易行道、浄土門の教は、これを浄土回向発願自力方便の仮門
といふなりと知るべし。」とあります。「浄土回向発願自力方便の仮門」とは、
第19願・第20願のことを指します。第19願は、菩提心をおこして、
もろもろの功徳を修行して、心を至して、浄土に生まれようと願う者が
対象とされ、その者は、臨終に迎えとると言う誓いですから、
まずここから、実践しなさいというのが、親鸞会の考え方でしょう。
親鸞聖人は、『観経』の表向きの説き方は、第19願の諸善功徳を顕らかにしたもの
と、とらえていらっしゃる。親鸞会の考え方に沿えば、
『観経』に説かれるところの定散二善をまずやってみろと言うことになりましょう。
最終的には、定散の修習に耐えられない自分に気付き、
自身は下々品たる身と内省されると、そこに「具足十念 称南無阿弥陀仏」とある。
そこで、はじめて八十億劫の生死の罪を除くのは
「弥陀の名号を称えること」と知り、第20願に転入していく。


28:22
07/10/09 00:05:51 iHgMq0SW
>>23-24
「乗っていた飛行機に大穴が開いて落ちていくのだと思ったら、
実は阿弥陀様の手の上に乗って救われていたのだ」という感じがしました。

まだ実感が湧きませんが、なにかとても惹かれるものがあいます。

上のほうに書かれていた楢山節考の話なんかも面白かったです。
是非今後とも、いろいろと教えて下さい。
これを糸口に獲信者にお遭いすることが出来ることを願っています。

29:神も仏も名無しさん
07/10/09 00:56:03 VUakfL0T
>27続き
を書こうと思いましたが、億劫なので、江戸っ子的には、しゃらくせぇので、
真実義のみを書きます。つまり、19・20・18と、私の人生暗かったということです(古)。
親鸞聖人は、比叡のお山で常行三昧堂で修行されていたそうであります。
このことは、『恵信尼文書』が発見されるより、もっと以前より、
指摘されています。蓮如上人は、本願寺に常行堂を建立すべき
遺言を残されており、山科に、その後、建立されています。
この修行を第19・第20願修行時代と配当できないか?ということです。
常行三昧とは、90日間、念仏を称しながら、
阿弥陀仏像の周りを不眠不休不座で回る行を言います。
死者が相次いだため、江戸時代には封印されたと言う修行です
(酒井大阿闍梨が近年行っておられます)。
それこそ、命を懸けた求道でありましょう。
もし、親鸞聖人の体験(三願転入)を追体験するのであれば、
常行三昧をせよ、と言うことです。
口先だけの三願転入など、何の意味をもちません。
その後、親鸞聖人は吉水法然上人の許に参じ、
たちどころに他力摂生の旨趣を受得(『御伝鈔』)された。
親鸞聖人が勧められたのは、紆余曲折の自力行ではなく、
法然上人の許での、一切衆生を洩らさず救う、他力念仏のみ教えでした。
本師源空いまさずは
このたび空しくすぎなまし
出離の強力な縁も因も、他力念仏の他なし、と示されたのでした。
故に、お勧めはただひとつ、他力念仏に帰入せよ、であります。
しかしながら、今までの修行はムダだったのかと言うと、
さにあらず。これも、一切衆生が『平等に』救われる法に、
出遇わせて下さった阿弥陀如来のお手回しだったのだと、
そう読めば、第19願、第20願の役割が自ずと知れるわけです。


30:7
07/10/09 08:20:02 OCt26LC+
親身に回答して下さり、本当にありがとうございます。
>>25・・・摂取不捨の光明に救い採られるには、調熟の光明によるお育てが必要、ということでしょうか。
何度も何度も聞かせていただきたいと思っています。

本願不思議の世界は未だ知らない世界ですが、そもそも自分が存在すること自体が今の自分には不思議極まりないことでして。
数多ある人生哲学、理念、宗教、の中で、浄土真宗に巡り合えたことも不思議です。
これこそ真実だと思うのは、無学で無思慮な自分の早とちりなのか、強縁によってそう思わさせていただいているのか?
考えるほど何がなんだか分からなくなってきますが、道を求めていきますね。

31:神も仏も名無しさん
07/10/09 09:05:34 8+0aZzDE
ならば、極楽浄土の存在を証明してみろ? 脳内でバーチャル極楽を作り、救われた気になってる奴はしあわせ。ないはずのものをあると思いこみ、死んでいける。また、それも人生なのかもしれぬのぅ。

32:神も仏も名無しさん
07/10/09 09:41:16 vERZKabd
>>31 極楽浄土の存在の証明が気になることはいいことかも。
面白いのは、極楽浄土を「ないはずのもの」と「信じている」という点。ないと思うものをないと証明することはとんでもなく難しいのに、ないと信じられる自分に何か疑問を抱きませんか?

僕は死後の世界が存在しないことが証明されるまでは不安が尽きない性分なんで仕方がありません。
自分自身だと自分が思っている自分というものが、この肉体がある間の化学反応の産物にすぎず過去世もなく未来世もなく、
心というものはどこまでも即物的なもので死と共に霧散し絶対に消え去るとハッキリ証明されたならどれほど楽チンだろう。
残念ながら科学はまだまだ不完全で、その基礎となる数学ですら証明など出来ない命題があることが証明されてしまった現在、
ただただハッキリしているのは「自分にとって」世界も自分も不確かで、これが答えだ!という証明が未だに僕は知らないということぐらい。


33:神も仏も名無しさん
07/10/09 10:58:04 VUakfL0T
(浄土)はあるのでもなく、ないのでもなく、他によって存するのでもなく、
自ずから存するのでもない、何によって存すると言えるのだろうか?
『中論』を著された龍樹菩薩ならば、そうお答えになられるかもしれません。
( )には、どのような語句を入れてもかまわないのですが。
有無の戯論は、縁起(相互依存・相依性)の道理によって、悉く破されます。
ただ、私たちは傷つけられれば、痛い、苦しい、「痛み有り」と
思うのです。それは縁起に依るからと頭では理解できても、
また『唯識』からすれば、ただ阿頼耶識に薫習された種子が現行した夢まぼろしに過ぎないと
理解できても、痛いものは痛い、そこに我々の現実があるわけです。
さて、いかにすれば、この繋縛された私たちを
寂滅たる、融通無碍たる、智恵円満たる悟りに導くことができるのでしょう?
浄土教家の方々は、得道の人(仏)の巧みなお手並みを、
念仏による往生浄土という教説に見いだされたのです。


34:7
07/10/09 12:31:07 vERZKabd
>>26さん 弥陀の本願を聞かれたのですか 今はただ凄いなぁとばかり思います。
 未信だからでしょうか 煩悩具足だからでしょうか 今は不安と迷いだらけですが 頑張りますね。
 ・・・とはいえあまり頑張っているという感じでは無くて ご縁を求めて彷徨っているようなものですが。

35:神も仏も名無しさん
07/10/09 13:32:50 8+0aZzDE
親鸞さん自身、800年前の科学がない時代の人だからね。今や、宇宙にロケット飛ばしてる時代ですよ? 極楽浄土など、時代錯誤の何物でもない。

36:神も仏も名無しさん
07/10/09 15:53:14 VUakfL0T
>85
科学が発達して、失ったものも数多いですね。いくらロケットを飛ばしても、
交通網が広がっても、生死を巡る苦しみが絶えないのはどういう訳でしょう?
果たして、800年前の人より、私たちは賢くなっているのでしょうか?
私は、逆に、叡智は見失われ、ますます個人が無力化される
体制になってきている気がします。ロケットを飛ばしても、
飛ばす人間が無力になっている所に問題を感じますが、いかがでしょうか?

37:神も仏も名無しさん
07/10/09 15:55:02 VUakfL0T
>36
アンカーミス、すみません。>35でした。

38:神も仏も名無しさん
07/10/09 16:43:59 8+0aZzDE
>>36 もっと科学を進めれば良い。クローン科学で人間が不死になった時、宗教の役目はすべて終了する。宗教はただの慰めであったと。

39:神も仏も名無しさん
07/10/09 17:58:09 vERZKabd
生・老・病・死、この全てを医学科学で解決できる日が来たら宗教などいらんかも知れんねぇ。
しかし、老化が防げるようになり、全ての病気も治療できるようになり、寿命も無限に延ばせるようになったとして、
思うようにならない人生という生の苦しみはどう解決するのかな?誰もが幸せになれる方法を、医学や科学は生み出せるのかな?
まぁ、無理やり薬や手術で脳内にドーパミンでも出させて多幸感を維持させるとかそういう力技はなしの方向で。

あと、寿命が無限に延ばせたところでいつか冷え切ってしまうこの宇宙で生命維持は難しいのでは。
それとも科学が進めば他の若い宇宙へ移行できる日が来るのかな。
いずれにしても、戦争一つ、隣人との喧嘩一つ解決できないこんな世の中じゃ、それは見果てぬ遠い夢のような。
今日明日死ぬかも知れない我が身というのが現実でしょ。
自分の人生に限って見つめていけば、自分の心の問題は科学の進歩をのんきに待ってはいられない。
今、何が出来るのか。今どう解決する道があるのか。求めずにおれないのも人生だと思うなぁ。

40:神も仏も名無しさん
07/10/09 21:19:51 Xr6L0yaH
ここ数日、回答させていただいているものです。

>30 数多ある人生哲学、理念、宗教、の中で、浄土真宗に巡り合えたことも不思議です。
>これこそ真実だと思うのは、無学で無思慮な自分の早とちりなのか、強縁によってそう思わさせていただいているのか?
>考えるほど何がなんだか分からなくなってきますが、道を求めていきますね。

うーん、かなり求道が進んでいるところにおられる感じがします・・・。
ぜひそのまま、繰り返し本願を聞いていっていただきたい、と思います。
30さん、かならず聞く耳いただけますよ。


41:神も仏も名無しさん
07/10/09 21:20:24 Xr6L0yaH
求道にかんして疑問のある方、おられますでしょうか?


42:30
07/10/09 22:15:01 vERZKabd
>>40 いつもご解答有難うございます。大変勇気付けられます。
 人生や死とは何か悩みぬいた高校時代、選んだのが仏教系の大学で、その学生時代に親鸞聖人のみ教えに出会ったまでは良かったのですが、
なんだかんだで某会とも疎遠になってかれこれ10年。もういい加減なんとかせねばと焦って古巣の様子を覗いてみましたが批判のための批判の繰り返し。
 嘘でもイイから「俺は獲信したぞー」ってな人はいないものかと絶望的な気分でした。
 まさか獲信について前向きに現実的にアドバイスしてくださる方が現れるとは、本当に不思議なご縁です。
 いよいよ、ネットだけじゃなくて、今週行ってきます。まずはいくつか書籍を求めてまいります。獲信者の方にもお会いできるかも知れません。
不安と期待が入り混じります。

最後にまた質問ですが、仏法を聞くときは「後生の一大事をこころにかけて」と言われますが、具体的にはどのような感じなのでしょうか。
後生とも一大事とも思えず、ましてや他事ばかり考える自分のこころには全然かけることが出来ません。
また、聞法中の心得としてその他の気をつけるべき点はあるのでしょうか。ひたすら集中力を用いればいいのでしょうか。

43:神も仏も名無しさん
07/10/09 23:07:38 VUakfL0T
>38
それこそ、夢、おとぎ話ではないですか?極楽が有ると信念を持つのと
クローン技術で不死になるという予想も、あまり大差はないように思えますが。
生死の問題は、一般論や仮設では語れない、
今、私が死に直面している事実から出発します。
十年後、二十年後、私が生存しているという仮定は、
問題にならないと言うことです。
試しに、クローン技術で何万年の寿命を持ったとしても、
様々な苦痛が発生するでしょう。私たちに欲望がある限り。
源信和尚の『往生要集』に「天人五衰」という話があります。
膨大な寿命を有する天人は、死について考えることがなく、
楽しく何不自由なく生きていることが当然と疑わない。
ところが、いざ天人の寿命が尽きる時は、五つの衰弱相「五衰」が現われると言います。
頭の花が萎れ、生まれてから一度も汚れることのなかった衣服が汚れ、
体から死の臭いがするなどです。
一番の苦痛は、まわりの天人達が、この兆候が出始めた天人から
次第に遠ざかっていき、自らの万能の生活を壊さないために、
無かったことにするということでしょう。
死にゆく天人は、最後は誰ひとり共感する者も傍にはなく、
生まれてはじめて経験する孤独と万能感が崩壊していく苦痛の中、
命尽きていくということです。おとぎ話と言えば、それまでですが、
自分達の知恵・技術が万能と錯覚した現代人にも
何か共通するところはないでしょうか?
さて、私はどうか?ということです。
機会が有れば、仏教典籍など開いてみてもいいのではないでしょうか。

44:神も仏も名無しさん
07/10/09 23:21:42 VUakfL0T
>42横レス失礼します
いってらっしゃい。私は信一念体験説は採ることができませんが
(加茂和上という方の門下であったため)、
私も確固とした信心を求めていたので、大丈夫。
「もし菩薩、種々の行を修行するのを見て、善・不善の心を
起こすことありとも、菩薩(私は法蔵菩薩と読む)みな摂取せん。」
『教行信証』の結びです。
自由に大らかに仏法を聞き開いていけばよい。阿弥陀如来は、
みんなご存じです。有り難いやら、恥ずかしいやら。
南無阿弥陀仏


45:神も仏も名無しさん
07/10/09 23:26:30 Xr6L0yaH
ご質問ありがとうございます。つたない文章ではありますが、答えさせていただきます。

>仏法を聞くときは「後生の一大事をこころにかけて」と言われますが、具体的にはどのような感じなのでしょうか。

後生の一大事をこころにかける。
これは、わたしが死んだら、死後(後生)に一大事(地獄に落ちるという大変なこと)があるのだ、と、後生の一大事を自分の問題としてとらえる、ということです。
この後生の一大事を自分の問題だ、と思う人は、地獄に落ちるのが不安なので真剣な求道を開始します。
そして、後生が全然こころにかからない自分を発見していくことになります。
そういう意味で、30さんは後生をこころにかけた聴聞をなされていると思います。
そのまま、そのまま繰り返し本願を聞いていってほしいと思います。

>>後生とも一大事とも思えず、ましてや他事ばかり考える自分のこころには全然かけることが出来ません。

「後生とも一大事とも思えず、ましてや他事ばかり考える自分のこころには全然かけることが出来ない」
ような人の後生を救うよ、というのが阿弥陀仏の本願です。

>また、聞法中の心得としてその他の気をつけるべき点はあるのでしょうか。ひたすら集中力を用いればいいのでしょうか。

集中力がないとダメ、というのはありません。リラックスしててもいいです。やる気なくてもいいです。本願を聞きたくないままでもいいです。
とにかく、くりかえし阿弥陀仏の本願を聞く。くりかえし聞く。聞きたくなくても聞く。
そして、本願を聴聞すると、おのずといろんな思いが出てきます。
「分からない」「後生が救われたという実感がない」「後生がこころにかからない」
「無常をとりつめられない」etc・・・という思いが出てくるようなものの後生を救うよ、という阿弥陀仏の本願を、再び聞く。
このくりかえしです。

聞いて聞いて聞いて聞いていくと、『「上に書いたような自分の思い(分からない、など)」にたいする執着』を離れて、聞即信できるときが来ます。
その時は、くりかえし本願を聞けばかならず来ます。
しかし、獲信体験までで止まってしまう人も多いです。
なので、聞く耳をいただいたら、ぜひ信後の聴聞もやってくださいね。

46:30
07/10/09 23:48:15 vERZKabd
レス有難うございます。
信後の聴聞をさせていただける日こそ楽しみです。そんな今の気持はまだ求道のしんどさも感じていない自分の宿善の薄さの表れかもしれませんが。
繰り返し、繰り返し、阿弥陀仏の本願を聞くことですね。アドバイス有難うございます。ひたすら聞いてみます。

47:神も仏も名無しさん
07/10/09 23:55:36 VUakfL0T
折角の妙好人スレですから、寝る前にひとつご紹介しましょう。
あるお同行と三河のおそのさんの問答。
お同行「あなたは真宗をどのように領解しておりますか?」
おその「(浄土へ)やってもらいますのー」
お同行「それではタノムが抜けている、それは南無がない四字安心と言うものだ。
もっとしっかり聴聞しないと、地獄に落ちることになりますぞ」
おその「ありがとうございます。うれしゅうございます」
お同行「あなたは地獄に落ちるのがうれしいのか?」
おその「落ちればこそ、(浄土へ)やってもらいますわいのー」
お同行「それでは、阿弥陀如来のご恩を尊めますか?
お慈悲ありがたいという日々を送れますか?」
おその「ご恩やお慈悲はなんともない、
毎日、火事の炎燃え盛る真っ最中にいるようなものだのー」         お同行「それでは、信心頂けたのか、疑い晴れたのか、
弥陀をタノミ奉ったとは言えないではないか!」  おその「私は、阿弥陀如来の必ず参らせてやるの仰せのほかには、
後にも先にも何も存じません。」
タノムは、まさに姿(相)であって、自覚意識ではないということです。
仏の「あなたを苦痛の世界、迷いの世界に留めておくことは、
何が何でも出来ないぞ、故に必ず浄土へ連れて参る。
何故なら、お前は私の一人子だから。人間の親とは違う、
仏の真実心の親心ゆえ、救わずにはおられんのだ。」
この仰せ・命令だけだったということです。
それを受けた姿(相)が信心なのであって、
私の中に確固たるものが出来上がったものは、所詮、凡夫の築いた自力信。
すなわち、ガラクタと言うわけです。
我となえ、我聞くなれど、
南無阿弥陀
つれてゆくぞの親のよび声


48:神も仏も名無しさん
07/10/10 07:08:45 HOSJVhbo
あまりにくだらない。800年前の迷信を現代に適応させようなど、時代錯誤も甚だしい。ちなみに私は親鸞会に出入りしたいたことのある人間です。聞いて、聞いて、聞いて、聞いて、得られるものは洗脳しかない。

49:神も仏も名無しさん
07/10/10 07:12:58 HOSJVhbo
何が後生一大事か? 人間が死ぬのは生物学的に見て自然なことです。死にたくない、だから、宗教は死後の世界を勝手に作った。当然、そんなものは創造の産物でしかない。

50:神も仏も名無しさん
07/10/10 07:16:33 HOSJVhbo
クローン科学による永遠の命が出来た時、宗教は役割を終える。また、仏教でいう悟りも脳科学で完全に解明されることになる。その方が私は分かり易く、面白いと考える。今時、極楽浄土なんていっても幼稚園児でさえ信じないよ。

51:暇人
07/10/10 07:18:27 QXGhIVQK
カルトの親鸞会と 念仏を混同するなんて

くそと 味噌を いっしょにするようなものだ

52:神も仏も名無しさん
07/10/10 08:25:38 HOSJVhbo
>>51 どっちも一緒だよ。800年前の迷信。

53:神も仏も名無しさん
07/10/10 09:21:37 C7Shl8Jo
>>51
このスレは親鸞会とは無関係。

54:神も仏も名無しさん
07/10/10 09:40:17 g07rLagz
>52
価値観の問題なので、あなたはそれでいいのではないかと思いますが、
ちなみに、私は後生の一大事を死後大変なことがある
こととは考えたこともありませんでした。
しかしながら、自他分別をし続け、各自の欲望と欲望との対立が止むことがないならば、
争いとそれが生み出す苦しみも、止むことがないと思いました。
その繰り返しを、私たちはいつまで続けていくのでしょうか。
クローン技術ができたところで、我々の自己中心的欲求をもって、
それを用いれば、苦しみの果を生み出す新たな装置が発明された
という結果に終わることも大いにありうると言うことです。
私は、そのクローン技術とやらの恩恵を受けられそうですかね?
あと何年で不死の人間とやらはできるんでしょうかね。
有りもしないものに希望を抱き、その完成を信じながら死んでいくなど、
私にはできそうもありませんが。

55:神も仏も名無しさん
07/10/10 10:07:23 HOSJVhbo
>>54 ありもしないものとは極楽浄土の方ですよ。当然、阿弥陀仏も存在しません。それと、あなたも私も生きているうちに不死の恩恵を受けるのは無理です。だから、いいんじゃないですか、自分は極楽浄土に行くと思いながら、死んでいって。

56:神も仏も名無しさん
07/10/10 10:17:27 SBTGVERW
 
質問です
 
親鸞会スレではsageてばかりだったのに自分のスレ建った途端age進行するのは何でですか?
 

57:神も仏も名無しさん
07/10/10 10:36:55 g07rLagz
>55
死を恐怖するものと考え、極楽を仮設するのも、クローン技術を仮設するのも、
本質は同じと言うことですね。死を恐怖することがなくなれば、
生への執着を離れれば、極楽もクローン技術も、もはや無用の長物。
私たちにとって何ら必要ないものと化すと言うことです。
でも、私は浄土に参らせていただくそうです。何故なら、
私の願いではなく、戯論の寂滅した仏が願ったことだからです。
浄土が有るのか無いのか、そんなことわしゃしらん、仏に聞いてくれ、
と言うことです。

58:神も仏も名無しさん
07/10/10 11:07:04 JCzeJjgU
>>57

生への執着は親鸞さんでも捨てられなかったのでは? 仏を持ち出すことを
思考停止という。悟りを脳科学で解明できる日が楽しみです。目指すものが
明確になる。

59:神も仏も名無しさん
07/10/10 12:22:15 HOSJVhbo
神秘体験、宗教体験も脳科学で解明できるようになる。親鸞さんに起こった脳内現象ですね。宗教は文化として触れるだけのものになる。それも致仕方ないことでしょう。

60:神も仏も名無しさん
07/10/10 14:42:00 g07rLagz
>59
研究して成果を出せたらそれは素晴らしいことですね。頑張って研究して下さい。応援しています。


61:神も仏も名無しさん
07/10/10 15:32:12 HOSJVhbo
>>60 信心決定するのは恐ろしいほど簡単です。仕事以外の時間を、すべて親鸞の読み物に捧げればいい。そうすれば、脳内に親鸞しかいなくなる。

62:神も仏も名無しさん
07/10/10 17:13:55 g07rLagz
>61
仮説や推測なら、いくらだって立てられますから、
実際に実験してみるといいですね。
方法論的には易しいようですし。
脳内を親鸞の教説で満たしたら、信心決定ということが
成り立ちうることを確認すればよいでしょう。
ただし、脳内を親鸞の教説で満たすと言う条件自体、
何を基準とするのか?その基準・立脚点が間違いないと何故言えるか?
前提条件の正当性を一つ一つ、築きあげていくことだけでも、
非常に困難な作業と言わねばならないでしょう。
個人的には、様々な人々とかかわり合いながら、苦を乗り越え、
生き死んでいくそうした営みにとって、こうした箱庭の中の談義は
さして重要事のようには思えませんが。
もう一点、あなたが親鸞会で学んだことが本当に仏教なのかどうか、
再確認していただきたいと言うことです。少なくとも私の学んでいる仏教は
仮説なき実際の事を相手にしています。過去でも未来でもない
現今の私が対象なのです。
故に、三世十方を貫く真理だから信ずる、というような
仮説された概念に対しての信念を基準とするものではありません。
神経細胞が作り上げたものである私と言うのも、また概念規定に他ならない
と言うことです。概念規定の前に、私は現在しているのですから。
そう言った意味においては、あなたの思考法は、親鸞会のそれと
本質的には大差なく、未だ束縛されている感がありますが、
如何でしょうか?

63:神も仏も名無しさん
07/10/10 18:28:27 mGry1KBB
ここは妙好人と呼ばれる方々がたくさんいるスレですね

64:神も仏も名無しさん
07/10/10 18:31:39 HOSJVhbo
だって、聴聞を繰り返せということが脳内に極楽浄土を作るということでしょうが。(キリスト教徒が毎回の日曜日に聖書の話を教会に聞きに行くのと同じ。)

65:神も仏も名無しさん
07/10/10 18:41:53 HOSJVhbo
私の学んでいる仏教は仮説ではないとおっしゃるなら、極楽浄土や阿弥陀仏の存在をあなたが証明できなければならないでしょうが。親鸞さんは、あの時代だったからこそ、宗教として確立できたのであって、現代人には適応しないと私は考えます。

66:神も仏も名無しさん
07/10/10 21:27:09 DF9r209O
こんばんは、ここ数日回答させてもらっているものです。

求道にかんして質問のある方おられますでしょうか?

67:神も仏も名無しさん
07/10/10 22:07:08 g07rLagz
>64
聴聞とは、名号のいわれを聞かせていただくこと、
広義で言えば、それを勧めて下さる方のお話を聞くことです。
つづめれば、五逆十悪の罪人も必ず救うと聞かせていただくことに極まります。
繰り返し聞き、洗脳されることでも、
頭の中に概念を構築していくことではありません。
「必ず救う」、ただこの事を今聞かせていただくだけです。
聴聞を繰り返しせよ、と言うのは、信心を獲るためではありません。
もし、聴聞を繰り返したことによって、信心決定・浄土往生が定まったとするならば、
自分の聴聞の功を認めることとなり、自力信と言わねばなりません。
必ず浄土へ参らせるに疑いがないという
如来の真実心を聞かせていただくのです。
こちらの意を運んで向かっていくのではなく、如来の真実心が私に間違いなく、
疑いなく向かっている事を聞かせていただくのです。
握った信心は必ず変わっていきます。私の心が絶えず変化し続けているからです。
如来の「必ずタスケル」の心だけが変わらないのです。
故に、聞くことが即ち信心だと言うのです。聞いてわかったが、信心ではないのです。
>65
私は現代人ですが、仏さまがいつも、お前が必要だ、大事だ、
故に必ずたすけるぞ、と仰って下さるのを聞きながら、
おかげさまで生活させていただいております。毎日、煩悩に焼かれる
生活ではありますが、決して捨てないと聞かせていただきます。
取るも取らぬも、みなさま方のおはからいでしょう。
私にとっては、時代錯誤ではなく、今ただ今です。

68:神も仏も名無しさん
07/10/10 22:21:32 Gyksn47R
以前ある団体で親鸞聖人の話を聞いていましたが、
その団体を離れ、現在は仏教とは無縁の生活を送っています。
今の所は、仏教を聞く気にはなりません。

ただ死後に地獄へ落ちてしまうのではないかという不安があります。
今後、仏教とは無縁の生活を送ろうとしている私は、
死んだら地獄に落ちてしまうのでしょうか?

69:神も仏も名無しさん
07/10/10 22:32:18 DF9r209O
>ただ死後に地獄へ落ちてしまうのではないかという不安があります。

これは「後生不安なこころ」とも「宿善のある人」ともいわれます。なんせ、凡夫が後生を気にかけているのですから。

>今後、仏教とは無縁の生活を送ろうとしている私は、
>死んだら地獄に落ちてしまうのでしょうか?

うーん、すみませんが、あなたの死後はわたしには全然断言できません。
わたしは自分の死後さえ、断言できない。
ただ、わたし自身は必ず地獄におちる、と聞きました。そして、その地獄におちるわたしを阿弥陀仏はかならず救う、と。
わたしの死後を断言している阿弥陀仏のおっしゃっていることを「聞いた」わけです。

また、68さんは「今の所は、仏教を聞く気にはなりません」とおっしゃってますが、この掲示板にこのような質問をなされていること自体、
一種の聴聞になっていると思います。宿善のあるなしで言えば「大アリ」の人です。
質疑応答のない、聞きっぱなしの法座に行くよりも、こちらの方がはるかに求道はすすんでいると思いますよ。

70:神も仏も名無しさん
07/10/10 22:51:39 DF9r209O
68さんののぞむ答えとはちがったかもしれませんが・・・、これを回答とさせていただきます。
68さんはほかに質問はございますでしょうか?

また、他の方で求道にかんする質問のある方、おられますでしょうか?

71:神も仏も名無しさん
07/10/10 23:50:51 Gyksn47R
先ほど質問した68です。

>うーん、すみませんが、あなたの死後はわたしには全然断言できません。

たとえ獲信しても、人の後世については判らないということですね。
親鸞聖人と同じ信心ならば、聖人も人の後世については判らなかった
ともとれますけれども、少し混乱しています。

>ただ、わたし自身は必ず地獄におちる、と聞きました。
>そして、その地獄におちるわたしを阿弥陀仏はかならず救う、と。
>わたしの死後を断言している阿弥陀仏のおっしゃっていることを「聞いた」わけです。

この時点で「後世への不安がなくなった」ととれますが、

>わたしは自分の死後さえ、断言できない。

の部分に、頭をかかえこんでしまいます。

でも、70さんのような方にお遭い出来て本当に良かったです。

72:神も仏も名無しさん
07/10/11 00:12:05 0Lvau7EM
>>67
>故に、聞くことが即ち信心だと言うのです。

 聞きに来なくなったら、信心はなくなったということでしょうか

73:神も仏も名無しさん
07/10/11 00:25:31 0Lvau7EM
>69
>これは「後生不安なこころ」とも「宿善のある人」ともいわれます。

 宿善のある人?。気に病んで不安になっているだけだと思いますけどね。
 不安を抱えて生きていく方は苦しいと思いますよ。

>ただ、わたし自身は必ず地獄におちる、と聞きました。

 そのようなことを、だれが言ったんですか?
 聞き違いではありませんか?

>その地獄におちるわたしを阿弥陀仏はかならず救う、と。

 そのようなことを、誰が言ったんですか?
 聞き違いではありませんか?

 地獄におちるのか、落ちないのか。貴方の自身の結論はどうなりましたか?。


74:神も仏も名無しさん
07/10/11 00:36:17 73mgSBO8
>72
何処に聞きに出かけるのですか?「今現在説法」の阿弥陀さまが、
十方にその声届かねば、仏に成らぬと誓われているのに。
今、ここで聞けばいいではないですか。
兆載永劫の修行も、五劫の思案も、全部、悪業煩悩作りと作る私のため。
全部背負っても後悔しないと誓った仏が
「我が身に代えてもお前を奈落の底にはおとさない」
と、ここにも響き渡る大説法をされておるのに、
いまさら何処に行くつもりですか?
何処にいようが、掴んで離さない仏を、何処か他の場所にいるように
思わなくてもいいのではないですか?今、このボロアパートが、
聴聞会場真っ盛りじゃないですか。無量寿無量光、光の届かないところはないのだから。
南無阿弥陀仏

75:神も仏も名無しさん
07/10/11 00:54:58 SjKnrXuz
>>わたしは自分の死後さえ、断言できない。
>の部分に、頭をかかえこんでしまいます。

ああ、うーん、そりゃそうですよね。頭かかえこみますよね。
ここはいわゆる二種深信の部分であり、まあいっけん矛盾して見えるところです。

でもね。68さんだって、自分の死後も、他人の死後も、どうなるか分からないでしょ?
そりゃわたしも一緒です。まったく一緒。死後なんてどうなってるか、分からん。

そして、自分や他人の死後が分からないのが凡夫、その凡夫の死後が分かるのが阿弥陀仏。
その阿弥陀仏が、「あなたは毎日地獄におちる罪を作っているよ、でもそういうあなたを必ず救うよ。そのためにあなたに、善が詰まった念仏をとなえさせてみせるよ。」
という、阿弥陀仏の本願を、「聞く」わけです。
だから、安心する、うれしくなる、申し訳なくなる。

やっぱり、死後への不安をかかえる人には、ぜひこの「本願を聞く耳」をいただいてほしい、と強く思います。
すんごく楽になるし。


76:神も仏も名無しさん
07/10/11 01:09:42 SjKnrXuz
68さん、中途半端な回答になってしまったかもしれませんが・・・すみません。

眠くなってきたので、そろそろ寝ようと思います。
これ以降にご質問くださった方には、また、昼か夜にお答えさせていただこうと思います。

77:神も仏も名無しさん
07/10/11 07:33:41 +rM2G57T
>>67 すごいですね、あなたは仏様の声が聞こえるんですね。いくら理屈をつけても駄目ですよ。聴聞は洗脳の手法でしかないの。毎・日曜日に教会に通うことも同じ。

78:神も仏も名無しさん
07/10/11 07:39:05 +rM2G57T
>>68 地獄なんてありません。人間は死ねば、骨になるだけ。骨になれば、自分が誰であったのかさえも分からない。極楽浄土も地獄もないのだから、行きようがない。ただ、意識のない骨になるだけ。

79:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
07/10/11 09:21:44 0Lvau7EM
>72
>何処に聞きに出かけるのですか?
    はて?どこかに聞きに行くという話ではなかったのでしょうか?

>「今現在説法」の阿弥陀さまが、十方にその声届かねば、仏に成らぬと誓われているのに。
    はて?。どこのお伽噺の話でしょうか?。

>今、ここで聞けばいいではないですか。
     今、ここ?。はて?。どこ?。見ても見えず。呼べど応えず、聞いても聞こえず。

>兆載永劫の修行も、五劫の思案も、全部、悪業煩悩作りと作る私のため。全部背負っても後悔
しないと誓った仏が

 どこのお伽噺話でしょうか?。お伽噺は子供に聞かせるもの。大人相手じゃ無理でしょう。

>「我が身に代えてもお前を奈落の底にはおとさない」と、

 はて?。どこのお伽噺でしょうか?
 桃太郎は、この世の鬼を退治しないではおくものかと、確か、大変固く誓ったと聞きましたが、
それがどうかしましたか?

80:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
07/10/11 09:23:03 0Lvau7EM
>ここにも響き渡る大説法をされておるのに、
 ここにも響き渡る?。はてどこに響き渡っている?。
 ジェット機の騒音でも聞こえましたか?

>いまさら何処に行くつもりですか?
   それを私が聞いている。

>何処にいようが、掴んで離さない仏を、
 どこかの電柱に突き刺さっていた釘に襟首が引っ掛かって歩けなくなった?

>何処か他の場所にいるように思わなくてもいいのではないですか?
   夢でも見ているんじゃないでしょうか?。

>今、このボロアパートが、聴聞会場真っ盛りじゃないですか。

 どこぞのボロアパートに聞きにいらっしゃいとお誘いなさっているのでしょうか。
 「ここ」とは、どこのボロアパートの話ですか?

>無量寿無量光、光の届かないところはないのだから。南無阿弥陀仏

 はて?。夢でも見ているのではございませんか?
 お目を覚ましたらいかがでしょうか。

81:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
07/10/11 09:40:44 0Lvau7EM
>>75
>二種深信の部分
 にしゅじんしん?。単なる勘違いではないのでしょうか?

>いっけん矛盾して見えるところ
 二見しても三見しても矛盾しているように見えますけど。気のせいでしょうか?。

>死後なんてどうなってるか、分からん。
  仏教を聞いて、貴方にはそれが分かったというお話をしているのではなかったのでしょうか。
  それとも、やっぱり皆目分からないということなのでしょうか

>その凡夫の死後が分かるのが阿弥陀仏。
  阿弥陀様とやらに聞いて、どのようにわかったのでしょうか?
  分かった結論はどうなりましたか。地獄に堕ちるのか。落ちないのか。

>阿弥陀仏が、「あなたは毎日地獄におちる罪を作っているよ、 ~ という

 はて?。どこのお伽噺話でしょうか?
 誰が、どこで、どのような罪をつくっていのでしょうか?。
 こういうのは、詐欺師、阿弥陀様の脅迫、言いがかりとでも言うのではないでしょうか。

 そう言えば、「悪いことすると桃太郎が懲らしめにくるよ」。確か、桃太郎もそんなことを言っていた
ような、いなかったような。

82:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
07/10/11 09:45:50 0Lvau7EM
>そういうあなたを必ず救うよ。
    脅迫したりすかしたり、あの手この手で不安にしたり、安心させたり
    口先三寸。世の中に、口程便利な道具はない。
    あなたはどこのお伽噺をなさっているんですか?

>そのためにあなたに、善が詰まった念仏をとなえさせてみせるよ。

 このうえは、念仏をとりて信じ奉らんとも、また捨てんとも、面々の御計らいなりと云々
 あなたの宗教では、どこぞから詐欺師のトリック電磁波でも飛んでくるのでしょうかね。

>という、阿弥陀仏の本願を、「聞く」わけです。
    聞いて何かが変わるのでしょうか?
    桃太郎が鬼退治するぞという本願話を聞いても、何も変わりませんでしたよ。

>安心する、うれしくなる、申し訳なくなる。
    はて?。躁病?

>ぜひこの「本願を聞く耳」をいただいてほしい、と強く思います。
  はて?本願を聞く耳と本願を聞かない耳とがあるのでしょうか?
  本願を聞く耳と本願を聞かない耳とは、何処が違うのでしょうか?

>すんごく楽になる
   気の迷いではありませんか?

83:神も仏も名無しさん
07/10/11 09:51:50 ZomblQV0
>>79-82
あーあ、とうとう来ちゃったよ。
もうこのスレ終わったな。

84:神も仏も名無しさん
07/10/11 10:31:30 5q9rvCDs
終了


85:神も仏も名無しさん
07/10/11 11:11:43 MACuNIMa
渡海の隔離スレはまだあんの?
潰れたんでアラシに戻ったのかな?

86:神も仏も名無しさん
07/10/11 11:28:57 afVDQdkf
 
あとは松屋で夜勤明けの池のザリガニくんが来ればパーフェクトだな
 

87:神も仏も名無しさん
07/10/11 11:39:24 73mgSBO8
>77
別段、なんたることもないです。聞其名号の説示の通りですから。
必ず浄土へ参らせる、という勅命を蒙るだけのことであります。
浄土があるのか地獄があるのか、何もなくなってしまうのか、
いくら議論を尽くしても、自分が死んでみなければ、
実際わからないから、意味がありません。
今、阿弥陀如来の本願に依ると、必ず参らせるとの誓いであった、
ということだけの話なのです。あとは取るも取らないも、各自の自由です。
どうと言うほどのことでもないですね。
洗脳と言えば、私たちは生まれてこのかた、常に洗脳されています。
父母の意向、先生の意向、様々な出来事、新聞、テレビ、雑誌、
書籍、ゲーム、洗脳されていない日など
なかったのかもしれないと言うことです。
あなたの死んだら骨になって、意識も何もなくなってしまう
というご意見は、洗脳の結果でないと果たして言えるでしょうか?
本当のところは、実際死なねばわからないわけですから。
私たちは、皆、完全に公平であり、超絶した観点からものを観察することは
できません。それぞれの経験によっての判断であり、
それも他の影響を受けて、刻一刻と変化し続けます。
洗脳されている私が判断基準になりうるのか?ということです。

88:神も仏も名無しさん
07/10/11 12:43:27 dTl6SLVZ
あーあ。信心談合、止まっちゃった。勉強になってたのに。

89:神も仏も名無しさん
07/10/11 12:51:38 +rM2G57T
>>87 その通りだと思います。でも、なぜ、今頃になって親鸞なんでしょうかなぁ? 浄土真宗の方が怠慢してたのか。。。

90:神も仏も名無しさん
07/10/11 12:58:25 +rM2G57T
科学が進歩して、不死が実現しても、宗教に走る人はなくなりません。アマゾンの原始人に、今更、東京で生活してみろといっても、それは無理な話です。

91:神も仏も名無しさん
07/10/11 13:00:46 +rM2G57T
あと、不死になれないなら、せめて宗教で救われようという考え方も分かる。不死になるには資格がいります。ノーベル賞受賞者とかね。凡人みんなが不死になったら、地球が壊れてしまうでしょ?

92:神も仏も名無しさん
07/10/11 13:05:03 +rM2G57T
親鸞の時代には月にはうさぎが餅をついているといっていました。だから、阿弥陀仏なんて言い出しても仕方がない。仏とは海王星の遥か向こうにいるのだといいますか?、あなた。(笑)

93:神も仏も名無しさん
07/10/11 14:16:04 +YZwREHF
親鸞会の人も紛れ込んでるな

94:神も仏も名無しさん
07/10/11 14:28:12 4qprz6hO
.>>90-92

「アマゾンの原始人に文明生活は無理」とか「優れた人物だけが不死の資格がある」とか、

釣りにしてもあまり聞いてていい気持ちはしません。





95:神も仏も名無しさん
07/10/11 14:53:42 +rM2G57T
>>94 私も最初はそうでした。しかし、よくよく考えてみると犯罪は不幸な人が起こすのです。しあわせな人は罪を犯す必要がない。不死の資格を得る人はしあわせな人だけに限ります。



96:神も仏も名無しさん
07/10/11 14:58:42 +rM2G57T
お釈迦様は極楽浄土へ行く資格を得て、その後も教えを説き続けた。もし、人生の目的が浄土行きの切符を獲得することのみならば、釈迦のその後の教えは必要ないことになる。親鸞仏教は未完成ですね。

97:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
07/10/11 19:13:54 0Lvau7EM
>>87
>必ず浄土へ参らせる、という勅命を蒙るだけのことであります。

 お伽噺を蒙るだけなら、正直に、私はお伽噺を蒙るだけと言えばいいんじゃないですか?もっ
とも、「蒙る」という言葉は意味がよく分からん。妄信しているだけですよと言うことなんでし
ょう。多分。

>自分が死んでみなければ、実際わからないから、意味がありません。

 結局そうなんでしょう。それなら最初からそう言えばいいんじゃないですか?
 私は何も分かりません。それだけ言えば、他の人は期待を持つことがない。死ななきゃわから
んことを死んでもないのに、あたかも分かっているかのように、無邪気な人に期待を持たせるの
は、罪なことではござんせんか?。

>今、阿弥陀如来の本願に依ると、必ず参らせるとの誓いであった、ということだけの話なのです。

 習い覚えたお伽噺のあらすじを話したくなったんでしょうか。
 桃太郎さんは、おじいさんとおばあさんとに対し、必ず鬼を退治してくるという誓いであった
と聞いております。大人に聞かせる話じゃないでしょう。

98:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
07/10/11 19:16:21 0Lvau7EM
>あとは取るも取らないも、各自の自由です。

 「そのためにあなたに、善が詰まった念仏をとなえさせてみせるよ」という話は、立ち消えで
すか?。みせると言った意気込みが、張り子の虎の「から元気」だったでしょう。
 もともと根も葉もないお伽噺は、最初から「根も葉もないお伽噺です」と断ってから話をした
らどうですか?。そうすれば大人は最初から席を外すし、子供会には喜んで貰えることでしょう。

>洗脳と言えば、私たちは生まれてこのかた、常に洗脳されています。

 根も葉もない馬鹿話、お伽噺に洗脳され、自分はマインドコントロールされていると思ってい
るなら、それを最初に言いなさいな。自分の心理状態、精神状態が異常であるというなら、聞こ
うとする相手にとってはとても大事なことだ。
 お伽噺で洗脳され、マインドコントロールされている人間なんですよと、最初に説明すれば、
相手は最初から貴方のことを用心してくれるでしょう

>本当のところは、実際死なねばわからないわけですから。

 自分には何も分からないというなら、最初からそう言ったらどうですか?
そうすれば、誰も貴方に期待を寄せることはない。

>洗脳の結果でないと果たして言えるでしょうか?

  洗脳の結果ではない話があるなら、それを話したらどうですか。
  死ななければ自分には何も分からないというなら、自分はまだ生きていますから自分には何
も分かりませんと言えば済む。人はその後の話を聞かんだろう。
 要するに、自分には何も分かりませんと、一言言えばそれで済む。高森顕徹さんの馬鹿話を一
日も早く忘れることが、洗脳を解く第一歩ではありませんか。

99:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
07/10/11 19:21:41 0Lvau7EM
>96
>お釈迦様は極楽浄土へ行く資格を得て、その後も教えを説き続けた。

 どこかのお寺付属幼稚園でおそわった「絵本おしゃかさま」か何か
の中の一こまですか?。

 幼稚園で教わった「おしゃかさまのおはなし」は卒業し、より客観
的な大人の釈迦像を学ぶといいでしょう。 

100:神も仏も名無しさん
07/10/11 20:44:26 +OzhLvQH
精神病の渡海難は放置してください。相手にする価値も無い人間です
ので放置が一番です。現実社会で渡海難が誰にも相手にされないように
無視してください。

▲▼▲▼渡海難とは ▲▼▲▼
2ちゃん以外では誰にも相手にされない人間。
内面から滲み出すキモイ精神のお陰で腐臭が漂い、周りから忌み嫌われ
ているのだが社会が自分のことを理解してくれないと誤解し、浄土真宗の
坊主と思われる人を叩くことでようやく自我を保っているような屑。そのような
卑屈な根性が誰にも相手にされなくなる原因と未だ理解できないようだ。。。。
長い間 社会と隔絶された生活をしているため脳内でいろいろな人と語り
合う事ができる。(自作自演が得意)


※以下の文を10回暗誦して反省してください。

荒らし・煽り・叩きに反応する事は荒らしへの荷担にしかなりません。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
荒らし・煽り・叩きを無視できないあなたも荒らしです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

101:神も仏も名無しさん
07/10/11 21:16:44 enb8ynHn
渡海アンチの方には申し訳ないですが>>79から現時点までに限っては
渡海の意見の方が納得いきました
自分は洗脳されていると自覚があるのなら、自分の信仰心を語る時
それを予め相手に伝え用心させるのが責任ある態度だと思いました

> 要するに、自分には何も分かりませんと、一言言えばそれで済む。
これもよく的を射ていると思います

でも、それじゃ物足りないからイヤなんだろな
ひとって・・・


そんな感じで皆さんのお話を微笑ましく読ませてもらっています


102:神も仏も名無しさん
07/10/11 21:56:33 SjKnrXuz
こんばんは、ここ数日回答させてもらっているものです。

求道にかんして悩みのある方おられますでしょうか?


103:神も仏も名無しさん
07/10/11 22:14:47 k02Pd0mA
>>102
妙好人初心者です
求道の定義すらわかりません
前スレを教えてください

104:神も仏も名無しさん
07/10/11 22:21:09 SjKnrXuz
前スレは【コピー本尊】本尊を貸します 親鸞会【レンタル】

です。

105:神も仏も名無しさん
07/10/11 22:24:23 J8MNs1T7
ここは親鸞会のスレではありません。
親鸞会のスレを前スレにするのは迷惑です。

106:神も仏も名無しさん
07/10/11 22:42:59 SjKnrXuz
あ、そうか・・・。すみません。
まあ、悩みやご質問があれば、初歩的なものもOKなので、新たにここで質問していただく、ということで・・・。
既出の質問でもいいですし。

107:神も仏も名無しさん
07/10/11 22:43:54 +rM2G57T
>>105 親鸞会との違いは?

108:神も仏も名無しさん
07/10/11 22:46:57 +rM2G57T
日蓮は真言亡国、念仏地獄といってるんだけど、どう思います? また、涅槃経で説かれている常楽我浄と極楽浄土の違いについて教えてください。

109:神も仏も名無しさん
07/10/11 22:52:01 SjKnrXuz
どなたかご自分の求道にかんして悩みのある方おられますでしょうか?


110:神も仏も名無しさん
07/10/12 01:40:37 Exb7xU6c
うーん、眠い・・・、すみませんが、もう寝ます。
おやすみなさい。

111:神も仏も名無しさん
07/10/12 09:37:06 j3mP2k5/
「信心について語りあう」ことに関しては、実質機能停止状態。
しばらくはだめかもね。
人の出入りが少なくなった分、同時に荒らしへの抗体となってくれていた
住人もいなくなってしまったのも一因か。
やはり2chで信心決定なんて無理だったのかな。


112:神も仏も名無しさん
07/10/12 10:23:59 lzewFJoZ
>111
 荒らしのこないこちらに移動して下さい。 ↓
                    URLリンク(tamahi.parfe.jp)


113:神も仏も名無しさん
07/10/12 12:59:49 6xvrPCwk
おつかれさまです。
>101
一連の書き込みをした者の一人です。
洗脳されている人の自覚とはどのようなものなのでしょう。
その自覚自体、また洗脳された自覚だとしたら、泥を洗うのに泥水をもって
洗うのと同じことで、汚れが無くなることはないと言うことです。
一切の群生海、無始よりこのかた乃至今日今時に至るまで、
穢悪汚染にして清浄の心なし、虚仮諂偽にして真実の心なし。
虚仮雑毒の善をもって無量光明土に生ぜんと欲する、
これ必ず不可なり。
親鸞聖人は何を真実だと言われているのでしょうか?
妙好人と呼ばれた方々の言動の根底には何があったのでしょうか?


114:神も仏も名無しさん
07/10/12 13:23:05 pweg8hd0
>>113

>>101は渡海難の自演ですよ。

115:神も仏も名無しさん
07/10/12 14:54:47 u/gv6hei
>>113
お返事ありがとうございます
私も意見交換をしたいのですが、他の方の書込みと区別できるように
名前の欄に固定のハンドルネームを入れていただけませんか?
ご了解いただければ、お話をさせてもらいたいです


>>114
あなたにとっては残念かもしれませんが、私は渡海とは違いますw


116:101
07/10/12 14:56:16 u/gv6hei
>>115
すみません
私もこれ以降は固定「101」で書き込みます
ご検討くださいませ
よろしくお願いします


117:774
07/10/12 18:58:25 6xvrPCwk
>116
了解いたしました。774と名乗りますので、今後ともよろしくお願いします。


118:774
07/10/12 19:10:10 6xvrPCwk
>116
了解いたしました。774と名乗りますので、今後ともよろしくお願いします。


119:7
07/10/12 20:12:22 NF09HID6
なんか一気に伸びてますね。まだ読んでないですけど、ご報告申し上げます。

無事、獲信者の方とお会いすることが出来ました。いくつか書籍も求めてきました。
短い時間でしたが、なんだか嬉しいような懐かしいような。正直、感激してます。

今は、ハッキリと、一味の世界を知りたいばかりですね。

120:神も仏も名無しさん
07/10/12 20:20:13 fjlXn0fz
可哀相に さんざ親鸞会に金搾られたあげく独り親鸞会?
極楽? 阿弥陀? そんなもんあるわけないだろうが!


121:101
07/10/12 22:06:25 u/gv6hei
>>117
774さんハンドルネームの件、快く受け入れていただき
ありがとうございます
113の件について話を始めたいのですが、774さんのお考えというか
立場を知りたいので、過去の書込み番号を教えて頂けませんか?
範囲は、このスレと>>104のスレ内でお願いしたいのですが
よろしいですか?
不都合があれば、教えて下さらなくても結構ですが
その場合、774さんの過去の書込みと重複することを改めて
書き込んで頂くことになるかもしれません
ちなみに、私は101が初書き込みです


122:神も仏も名無しさん
07/10/12 22:46:41 Exb7xU6c
こんばんは、ここ数日回答させてもらっているものです。

>無事、獲信者の方とお会いすることが出来ました。いくつか書籍も求めてきました。
>短い時間でしたが、なんだか嬉しいような懐かしいような。正直、感激してます。
>今は、ハッキリと、一味の世界を知りたいばかりですね。

ああ、いい感じですね。
ぜひ信頼できる獲信者のもと、聴聞していかれると早いと思います。
(ちなみにわたしは、なぜか偉そうな態度の獲信者と相性が悪かったです。
 相手が偉そうにしてると、「わたしもああいうスゴイ人にならないといけないんだ」と力むからかもしれません。
 逆に、「あんたは未信者らしいけど、おれもあんたと同じ腹底持ってるんだよ」といってくれる獲信者につくと、力む必要がなかったです)


はい、求道にかんして悩みのある方おられますでしょうか?

123:774
07/10/12 23:43:29 6xvrPCwk
>121
当スレでは、>6、>27、>29、>33、>36、>43、>44、>47、>57、
>59、>61、>67、>74、>87、>113が、概ね見たところ、私の書き込みです。
前のスレは、抽出するのが大変ですので、省かせていただいても、
よろしいでしょうか?


124:101
07/10/13 00:00:55 xZrXpdcx
>>123
774さん、お手数かけました
ありがとうございます
定期的に書込まれている方なんですね

ひとまず該当レスを再読します


125:774
07/10/13 00:09:59 WJ2E8X5y
>122
求道に関してではないですが、一つ質問があります。
獲信者とおっしゃいますが、「あの人は獲信者である」と、
判断する基準は何ですか?渡海さんという方がおっしゃる通り、
口先三寸で、なんとでも言うことができる私たちと聞きますし、
判断の当体である意業は、刹那消滅を繰り返し、目まぐるしく変わっていく。
私たちの意業によって認識された獲信者ならば、
不確かなものと言わねばなりません。
実際、私は加茂仰順という和上のご縁によって今、
こうしてご本願を聞かせていただいておりますが、
加茂和上が、獲信者なのかどうか、私には判別できませんし、
判別できる立場にさえないと思っております。
ただ、今の私を真宗に導いて下さった方、
すなわち、一心一向に弥陀に帰命たてまつるべしと勧めて
下さった方でありますから、私にとっては善知識様であることは無論です。
しかしながら、獲信者と規定することはできません。
そもそも、獲信者なる言葉を親鸞聖人はじめ、列祖の方々が
用いられておられるのでしょうか?少し賦に落ちない気がしまして、
質問させていただきました。

126:101
07/10/13 00:30:06 xZrXpdcx
774さん
該当レスを一通り再読しました
私が、774さんの書込みに対する渡海の反論に賛同した>>101
774さんが>>113で私にレスを下さったという経緯が分かりました
私が割って入っていちゃもんつけてしまったんですね
すみません

真宗の信心者という立場では、私は774さんとそれほど食い違いがない
のではないかと以前から思っていました
また、加茂和上の評判を聞き、お話も聴きにお寺へ伺おうと思っていた
時期もあったのであなたとお話したい衝動も胸に抱えていました

また>>125の書込みも同様に疑問を抱いている立場です
お二人の話合いで私にも理解できる結論を導き出して頂きたい
と期待しています


127:774
07/10/13 00:30:57 WJ2E8X5y
>124
ご意見ご指導よろしくお願いいたします。
仏教を学んでいて楽しいことの一つは、
悉く既成概念を破壊されていくことでした。
理解していないのに理解したふりをすること、また名利心や、高慢心が
焙り出されても(私の煩悩では嫌だけれども)、
それが新たな欠陥の発見(即ち、また学べるという喜び)に
繋がってくる。自分が受けいれられる喜び
(煩悩の所作として当たり前な喜び)だけでなく、
全否定されることによって、未だ不完全たる我が身を知り、
だからこそ学んで行こうという喜び。
煩悩というのは、観察すると非常に面白いものです。


128:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
07/10/13 00:49:02 RYIWPQM3
>>125
 実にいい質問と思います。
 問いは101さんに向かっているようなので、僕の考えは保留します。将来、「質問箱」でコ
メントさせて貰うかも知れません。101さんが、このスレでコメントを寄せればそれに横やり
を入れるかも知れません。
 これについて、当方の胸中には言うべきことがあると考えます。

 一つ誤解だけは解いておきたい。
 「口先三寸で、なんとでも言うことができる」と> 82で書いたのは、元レスの記載が、先人の
書き残してくれているものと明らかに矛盾しており、しかも、引用元の記載を独自の独創的理
論として仮定しても、明らかに不合理であると渡海難は確信したという意味で、申し上げました。

 先人の言葉と一致しているかしていないかは別にして、私は、主張の内容に合理性があること
について「口先三寸で、なんとでも言うことができる」と申し上げるつもりは全くありません。
 主張の内容に合理性があることについて、もしそのように言っていたら、それは渡海難が誤り
です。

129:101
07/10/13 00:49:06 xZrXpdcx
>>127
なかなか本題(洗脳うんぬんの件)に入らなくて申し訳ありませんが・・・

> ご意見ご指導よろしくお願いいたします。
こちらこそです

> 仏教を学んでいて楽しいことの一つは、
> 悉く既成概念を破壊されていくことでした。
> 理解していないのに理解したふりをすること、また名利心や、高慢心が
> 焙り出されても(私の煩悩では嫌だけれども)、
> それが新たな欠陥の発見(即ち、また学べるという喜び)に
> 繋がってくる。自分が受けいれられる喜び
> (煩悩の所作として当たり前な喜び)だけでなく、
> 全否定されることによって、未だ不完全たる我が身を知り、
> だからこそ学んで行こうという喜び。
> 煩悩というのは、観察すると非常に面白いものです。
私も既成概念の破壊という基本作業は、同じ姿勢を持っていると思います
ただ、私の場合、極端な物言いですが
喜びなどという言葉で表せる感情はありません
面白みなども感じません
あえて表現すると、私の場合「癖」ではないかと思います
空気を吸わないと死んでしまうように、そういう思考でないとイヤというか

直感的に言うと、全認識への無批判な自己に嫌悪感のようなものを
感じているのではないかと推測しています
そして、全認識へ無批判でないように努めたいのに、その作業そのものも
批判対象となってしまうという無限否定・・・w

対話を通して774さんのような楽める生き方も学べたらいいなと
ふと思いました


130:101
07/10/13 01:00:15 xZrXpdcx
>>128
渡海さん、はじめまして
書込みは随分前から散見させてもらっています
ところで>>125は私(101)へではなくID:Exb7xU6cへの質問です
ID:Exb7xU6cの方も中心的スレ住人なのでコテハンで書き込まれれば
このような誤解は避けられるのに・・・
まぁ、その辺は各自のお考えがあるのでしょうから
とりあえず、そういうことです


131:神も仏も名無しさん
07/10/13 01:45:39 SLT6AmEC
>獲信者とおっしゃいますが、「あの人は獲信者である」と、判断する基準は何ですか?

>判断の当体である意業は、刹那消滅を繰り返し、目まぐるしく変わっていく。
私たちの意業によって認識された獲信者ならば、 不確かなものと言わねばなりません。

これは、単なる「獲信者という言葉の定義」以上のことをおっしゃってますね。
でも、意業のあやふやさまで持ち出すならば、獲信者の判断どころか、自分自身の認識すべてが不確かなものなのですが・・・。
125さんのつきつめた視点から言うならば、わたしも125さんも、培養液に漬けられ電気信号を送られているだけの脳みそかもしれない、ということです。
つまり、わたしは125さんにレスしようとパソコンに向かっている、と自分で思っているけれど、それが誤認かもしれないわけですし。
そして、誤認かどうかの確認は、究極的にはできません。それぐらい意業はあやふや。

そのあやふやな判断をたよりに、わたしも125さんも日常を生きているわけですし。
そのあやふやな判断をたよりに、わたしも125さんも善知識にたどりついたわけです。
で、このあやふやな判断を「全くあやふやなものだ!」とはっきり聞いた人、という面が獲信者にはあります(あくまで一面ですが)。

132:神も仏も名無しさん
07/10/13 01:46:36 SLT6AmEC
ついでに、あやふやな範囲ですが、わたしの獲信者の定義を書いておきます。
・他力摂生の旨趣を受得した人
・他力念仏に帰入した人
・私は、これっぽっちも、仏法を理解していない。
 理解できない私だからこそ、仏さまに助けられるのがうれしい他ない」という人
・我となえ、我聞くなれど、 南無阿弥陀 つれてゆくぞの親のよび声」を体得してる人

うーん、わざわざ125さんの言葉を引用したのは、これなら言葉の定義がしっかり伝わるだろうと思ったからです。
聞法した場所が違うからか、仏教の言葉の使い方やスタンスも若干ちがう感じもしましたので。
誤解してほしくないのですが、もちろん皮肉ではありません。

うーん、ほんとはこういう、あまり求道者のヒントにならないようなややこしい書き込みはしたくないのですが・・・。
125さんの一連の書き込みを見て、わざわざこんな質問を横からする人には思えなかったし・・・。
125さんは何にこだわって質問なされたのか、よく分かりませんが、
ややこしい話はややこしい割りに読んでくれてる人が疲れる人が多いので(わたし含め)、興味もありません・・・。

生意気なレスだと思われたかもしれませんが、これが精一杯の回答です・・・すみません。

133:101
07/10/13 02:35:22 xZrXpdcx
774さん
>>113についてです

> 洗脳されている人の自覚とはどのようなものなのでしょう。
私は、自覚という言葉で表現された錯覚、妄想だと思っています
そう思う理由は、774さんがこの後におっしゃっている
> その自覚自体、また洗脳された自覚だとしたら、
というお言葉と同じ考えに基きます
つまり、洗脳されていない(他に影響を受けていない)自立した自覚
などありえないだろうなという立場です

>>101で私が
> 自分は洗脳されていると自覚があるのなら、自分の信仰心を語る時
> それを予め相手に伝え用心させるのが責任ある態度だと思いました
と言ったのは、洗脳されていない自立した自覚など誰も持ちえない
だから、予め「自分は洗脳されている」と伝えることもできない
伝えることができないから、相手に用心を促すことも出来ない
でも、私の場合、無批判で積極的に受け入れたこと、今も種々の情報を
無批判に受け入れざるを得ない自分を悔いる気持ちがあり、そこを
なんとかできんものかという問題提起でした

これで私が表現したかったことがご理解いただけるかどうか・・・



134:101
07/10/13 02:36:35 xZrXpdcx
私は、どんな考えも妄想だと思っています
言うまでもないですが、この私の思いも妄想だと思っています
これ言っちゃうと、この対話そのものを否定することになりますがw

私の推測では「各自が種々の縁起に従い、否応無く別々の考えを持ち
それを確かなものだと思い込んで生きているだけなんだろな」です

> 泥を洗うのに泥水をもって
> 洗うのと同じことで、汚れが無くなることはないと言うことです。
ないと思います
というか、ここでおっしゃる「汚れ」とは何でしょうか?
また、なくす必要のあるものなんでしょうか?
そして、それはなくせるものなのでしょうか?
「汚れ」の定義が分からなかったので判断できませんでした

> 一切の群生海、無始よりこのかた乃至今日今時に至るまで、
> 穢悪汚染にして清浄の心なし、虚仮諂偽にして真実の心なし。
> 虚仮雑毒の善をもって無量光明土に生ぜんと欲する、
> これ必ず不可なり。
> 親鸞聖人は何を真実だと言われているのでしょうか?
親鸞聖人の理解された阿弥陀仏の本願という言葉で表現された何か
だと思います

> 妙好人と呼ばれた方々の言動の根底には何があったのでしょうか?
妙好人と呼ばれた方々の理解された阿弥陀仏の本願という言葉で表現
された何かだと思います

親鸞聖人や妙好人と呼ばれた方々が、どのように阿弥陀仏の本願を
理解されていたのかは私には分からないというのが私の考えです

それでは今日は失礼します

135:神も仏も名無しさん
07/10/13 06:12:43 gug0NlsN
>>122さん いつもレスありがとうございます。
 私がお会いした獲信者の方は全然偉そうな方ではなく、優しく素敵な方という印象を受けました。
 本当にちょっと立ち話させてもらったような感じですが、信心の話題については、誤解を招くような表現があればすぐに厳しくご指摘されました。
 求道に関して自分が抱いていた固定観念や想像をいい意味で裏切られました。
 今までは獲信といっても非常に抽象的な話で、具体的な想像をする手がかりも少なかったのですが、
 獲信者が普通にそばにいるという環境はとても心強く、そして励まされるものだと知りました。
 こういった恵まれた環境があるなどということは今まで想像もしてこなかったことです。
 10年近くボンヤリとした不安を抱いたまま足踏みしていた自分がまたこうして一歩進もうとしていることも>>122さんにここで会えたご縁のおかげです。
 ありがとうございます。新たな出発、再チャレンジです。

136:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
07/10/13 08:46:44 RYIWPQM3
>130
 どこのどなたか存じ上げませんが、はじめまして。
 最近、ある方に八つ当たり的な大変失礼なメールを送ってしまった
ことがあります。もしかしたらメール送り先のその相手の方かな、などと
勝手な想像が頭をかすめました。おそらく別の方でしょう。
 2ちゃんねるは匿名が原則ですから、詮索はしません。

> ところで>>125は私(101)へではなくID:Exb7xU6cへの質問です

 そうでしたね。質問先はID:Exb7xU6に向かっているようですね。失礼しました。

137:101
07/10/13 12:23:35 xZrXpdcx
>>136
渡海さんレスありがとうございます
ご想像されている方と私は別人です
ある方を連想されたようなので、おそらくその方と私の意見が似ている
と感じられたのでしょうね
私の場合、特定の誰かに教えられて得た結論ではないのですが
ありふれたものなんでしょう

私は気に入ったスレを気が向いた時にROMっていた程度の人です
ですから、今まで渡海さんともお話したことありません
お話したいと思ったこともありましたが、教学面、論証面において
対等に話せるほど私には力量がないので差し控えていました
今も渡海さんに対しては同じ思いです
アクセスログからプロバイダ経由で住所を割り出すとかしない限り
詮索をなさっても特定できないですよ
まぁ、個人特定をする為に詮索されるのはイヤですから
詮索しないと仰ってくださることをご好意として受取らせてもらいます


138:神も仏も名無しさん
07/10/13 12:46:12 76Z3BDPc
                 渡海           「!/7
                  ↓           /ふ(⌒r_-_、_
                / ̄ ̄ ̄ ̄\    .l'、そrィ(_,,},}ニ)
             (  人____)    l ` ''ー<´..... __゙!
             |ミ/  ー◎-◎-)     ゝ.,,______ |
            ,r (6     (_ _) )   |ミ/  ー◎-◎-)
          ,/ヾ<|/ ∴ ノ  3 ノ   (6     (_ _) )←101
       ,.、‐'":ヽ::::\ __  __ノ      |/ ∴ ノ  3 ノ
      /::::::::::::::::ヽ::::::ヽ `/)乙二ス、   ,rニ ̄`ヽ   __ノ
     /:::::::::::::::::::::::::::ヽ::::;/ ーンノハヾ,!} /- ... `ヽ、 ,! ! ヽ
   /::::::::::::::::::::::::::::::/^i´    /(_, イヽ'    :..  \,!  : ',
.   i:::::::::::::::::::(⌒/:::::::::::l,r‐ァ''";!/:i,  |:::::::゙!      :..  \:  ',
    !:::::::::::::;:、-'":::::::::::::::::::|::/::::;:':{;::::i, |:::::::::} :. i    :.. ヽ :. ',
   }::::::;:::'::::::::::::::::::::::::::::::::|'::::;:':__:i;::::::i, l;::::::::|  ヽ _,,..、、-‐ 'i ゝ,
   |::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::|:;:':::|ll|::l;:::::ヽ.',:::::;!   ゙i      ノ .: )
    ,!:::::::::(⌒)::::::::::::::::::::::::::|::::::|ll|,r;|:::::::::'J:/  ``ヽ、  __,,. r=ニ=ュ __
.   |::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::|:::::|ll|/::|:::::::::::iノ   r=''.,,´__::::::(   )::::`_,''=ォ
    |::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::|,./'ii'彡|::::::::::::゙!   └- 、.,,__`''''ー:--:‐''''´ _,. -┘
   |::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::|"'"´';:::|:::::::::::::|ヽ.     |::::::::_`::''''┬t‐‐'_"::::|
   |:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::|   ;'::|::::::::::::::! \  |::::{´ `i;::::l:::l::i´ `i::|

139:神も仏も名無しさん
07/10/13 22:08:54 SLT6AmEC
>私がお会いした獲信者の方は全然偉そうな方ではなく、優しく素敵な方という印象を受けました。
 本当にちょっと立ち話させてもらったような感じですが、信心の話題については、誤解を招くような表現があればすぐに厳しくご指摘されました。
 求道に関して自分が抱いていた固定観念や想像をいい意味で裏切られました。

これはもう・・・これを聞いてわたしもうれしいです。

>10年近くボンヤリとした不安を抱いたまま足踏みしていた自分がまたこうして一歩進もうとしていることも>>122さんにここで会えたご縁のおかげです。
 ありがとうございます。新たな出発、再チャレンジです。

135さんのような真摯な求道者の姿から、阿弥陀仏の大願業力を思い知らされるばっかりです。
南無阿弥陀仏

140:神も仏も名無しさん
07/10/13 22:10:01 SLT6AmEC
どなたかご自分の求道に関して悩みなどある方おられますでしょうか?


141:7
07/10/13 23:48:22 gug0NlsN
>>139
レス有難うございます。真摯な姿とは程遠い私ですから、恥ずかしいばかりです。
 あれから貪るように書籍を読み始めてみました。思わず泣けてきました。
それから「後生の一大事を心にかけて」聴聞するがごとくに朗読しつつ、読んでみましたが・・・
 どうにも後生とも一大事とも驚かぬ心というか、微動だにしない心というか、「今、いざ後生と踏み出したらどうか」と
どれだけ問い詰めても全くもって無反応・無感動な心が感じられてきました。この感覚は久しぶりです。
ああ、これは、今日獲信するぞ、今聞かせていただくぞという求道姿勢だった頃に知った感覚かも知れません。
あの頃はそれと気付かず、具体的に把握できなかったのですが、今それが何か分かりやすく説かれていて、
遭難者がやっと具体的な地図に出会えた時のような喜びを味わっています。
はっきりと現在地がわかるところまでまずは進みたいと思います。

142:神も仏も名無しさん
07/10/14 00:04:48 FARuMDDJ
>はっきりと現在地がわかるところまでまずは進みたいと思います。

ぜひぜひ。また分からなくなったら、聞いてください。
「分からない自分、聞けない自分」に出会っていく、という、なんとも矛盾した求道を味わうことになりますが、
その先には自分よりはるかに大きな阿弥陀仏に抱かれている自分、を発見する瞬間があります。
そしてその、7さんが出会われた獲信者など、信頼できる人にアドバイスを直接うけるのがベストです。
というのも、獲信者の特異な喜び・懺悔ばかりを目にして、余計な頑張りをしてしまい遠回りする求道者がほとんどです。
「ああ、獲信者もまったくわたしと同じところがあるんだ」という点をしっかり押さえて、
そのうえで彼らがやっていること(自分の思いを横に置いて、本願を聞くこと)をマスターするのが早道です。

いや、しかし・・・うれしいです・・・。南無阿弥陀仏

143:774
07/10/14 01:05:15 axp6AGKE
>131-132
お返事ありがとうございます。遅くなりすみません。
私が、特定の個人を指して「誰々は獲信者である」と
するような表現に疑問を投げ掛けたのは、
凡夫が「獲信者」という太鼓判を押す失があるように見えたからです。
思えば、『仏敵』という求道記に出てくる念仏道場の人々も、
その傾向がありました。他人の体験を捕えて、「あなたはまだ獲信していない」、
あるいは、「あなたは真の信心を獲得しましたね、
今日から私たち(獲信者)の仲間ですよ。」
等、本質的に誰が誰を分別しているのか、一つ反省が必要だと、
私自身も『仏敵』を読んで思ったのでした。
高森顕徹氏も華光会在籍時に太鼓判を押された方の一人でしょう。
太鼓判を押されれば、「自分は獲信者である」という、
他力回向の一心の他に「要らない自覚」(ふたごころ)
が芽生えるきっかけとなり、高森氏のような方を生んでしまう要因とも
なったのではないかと考えた次第であります。
また、獲信者集団であると言う自覚に基づく
優越感(煩悩の所作)に対し、無批判になるということ、
優位な集団としてのセクト化という傾向もあげられます。
これは『仏敵』に出てくる念仏道場もそうでありました。
無碍光をセクト化すること自体ナンセンスですし、
大信海を優越感という煩悩の道具としてしまう
過失が生じる恐れもあります。
また、親鸞聖人は個人を指して獲信者と規定するような表現を
されておりますでしょうか。
同行・同朋という言葉があるのですから、
そちらを用いた方がよろしいのではないかという事も
ご一考賜りたく思うのですが、いかがでしょうか?


144:神も仏も名無しさん
07/10/14 09:10:28 FARuMDDJ
>143
131、132です。レスしようと思ったんですが・・・
あの・・・、おっしゃっていることのニュアンスが前回といきなり変わっているんですが・・・。

前回は
>判断の当体である意業は、刹那消滅を繰り返し、目まぐるしく変わっていく。 >私たちの意業によって認識された獲信者ならば、 >不確かなものと言わねばなりません。

つまり「意業による認識ならば不確か」だから、「だれだれは獲信者」という言葉は使うべきでない。

今回は
>高森氏のような方を生んでしまう要因ともなったのではないかと考えた次第であります。
>優位な集団としてのセクト化という傾向もあげられます。
>大信海を優越感という煩悩の道具としてしまう
過失が生じる恐れもあります

つまり
「高森氏のような方を生む要因となる」「セクト化という傾向」「大信海を煩悩の道具としてしまう過失が生じる恐れ」
があるから、「だれだれは獲信者」という言葉は使うべきではない。

うーん・・・もしかして違う方の書き込みなのでしょうか・・・?
いちおうレスしてみます。
>「高森氏のような方を生む要因となる」>「セクト化という傾向」>「大信海を煩悩の道具としてしまう過失が生じる恐れ」

これらは全て推測ですね。意業というあやふやなものの中の、さらに確実性の低い推論です。
わたしもあやふやなこの推論というものでお答えしようと思います。
>「高森氏のような方を生む要因となる」
これは、獲信者の太鼓判が要因というより、本人の資質が大きいと思われます。
なぜなら、華光会から第2・第3の高森氏が生まれていないから。
ちなみにS会では、「獲信したら、会のヒエラルキーが崩れるので、除名される」という現象が起きているそうです。
この現象は、求道に苦しんでいた求道者が獲信体験を通過して、晴れ晴れとした顔をしているのを獲信者が見て
「ああ、もしかしてあなたも阿弥陀仏にお会いされたのですね」という単純なうれしさとは、まったく異質のものです。

145:神も仏も名無しさん
07/10/14 09:11:14 FARuMDDJ
>優位な集団としてのセクト化という傾向
これは、「おれたちは特別だ、正しい。世間はダメなやつらばかりだ」という感じの集団でしょうか?
そりゃ、信後の聴聞を怠れば、このようになるかもしれませんが・・・。
ちなみにこの念仏道場(奈良の野口道場)では、今はもう信心の沙汰をする集まりはなくなっています(建物はまだあったはず)。
また、伊藤康善氏も故人となっておられます。なのでセクト化してたかどうか、分かりません。
しかし、わたしは獲信後に、華光会には数回行ったことがあります。
(獲信前にいかなかったのは、土蔵秘事だと思っていたわけではなく、たんに遠かったから。)
しっかり信後の聴聞の指導が行き届いていました。はい。
かんちがいした獲信者(獲信したからオレは未信者よりえらいんだ、という態度のひと)には、
「自分にはいばれるようなものは何もないことを聞いたのでしょう。聞く耳をいただいたのならば、
 信心を自分のものにしないで阿弥陀仏の本願を聞いてください」というアドバイスがありました。
信後の聴聞をきっちりやれば「すべて他力の働きなのに、それさえも自分の力だと思い込んでいる自分」
を懺悔させられるので、セクト化とは反対の方向に向かいます。
信後の聴聞を怠っている人は、獲信者というより、「過去に獲信らしき体験があった自称獲信者」です。
また伊藤氏は「何か感動をともなう体験をした求道者に『よかったね』と言ってはいけない。変なものをつかませてしまう恐れがある」
と指導していたそうです。
だからなんだって話ですが・・・。

146:神も仏も名無しさん
07/10/14 09:12:00 FARuMDDJ
>「大信海を優越感という煩悩の道具としてしまう過失が生じる恐れ」

これは・・・この過失は凡夫には常に生じていますよ。
凡夫は仏法をおもちゃにするもの。仏法をもてあそぶもの。
その凡夫を救うという阿弥陀仏の本願を聞くからうれしい。
これも、信後の聴聞をしっかりさせていただくこと、だけですね。

>また、親鸞聖人は個人を指して獲信者と規定するような表現を
されておりますでしょうか。 同行・同朋という言葉があるのですから

こりゃ、分からないでしょう。文書で残ってないだけで。
蓮如上人は晩年に「信心のある者以外には会いたくない」と言っていたらしいので、してたみたいですね。

以上のあやふやな推論を回答とさせていただきます。
できればそろそろ終わりたいです、ちょっとしんどくなってきましたので・・・。

147:7
07/10/14 09:48:47 EXuhuutW
>>144-146 横レスごめんなさい。朝から妙好人さまとお見受けする方の書き込みが目に触れて、思わずテンションが上がりました。
なるほどなるほどと、合点させていただきました。

 ところで話の流れに沿わない内容で申し訳ありませんが、質問させて頂いてよろしいですか。
「後生の一大事をこころにかけて」聴聞しようとすればするほど、
全くそうはならない自分との戦いになってしまって疲れるというかシンドイ感じになります。
ただ聴くだけとは違う求道の苦しさというものは、そういう感じになってくるものなのでしょうか。
よろしければ教えて頂きたくお願い申し上げます。

148:774
07/10/14 12:17:53 axp6AGKE
言い方が悪かったかもしれません。すみません。
獲信者と未獲信者と分けてしまう憶測そのものに、意味があるのか?
また、憶測による分別作用を無批判で流してしまうのはどうか?
例えば、私が獲信者だと思っていた人が、
実は獲信者でないこともありえるし、獲信者でないと思っていた人が、
獲信者であると言うこともありえるわけです。
所詮は、不確かな意業による判断に過ぎないのですから。
その不確かな意業によって、他人の意業を詮索する、判別する行為自体、
願力回向たる信心を意業におとしめていることにはならないか?
ということです。
「おとしめるような私なればこそなあ、もうし」なればこそ、
獲信者の規定自体、はからいにすぎないとは言えないでしょうか?
次に、信後の聴聞という言葉の出拠は何処にありますか?
求道体験・また教学追求を先とすると、親鸞聖人の仰ることは後になります。
徐々にその進む方向がずれていくこともあるのではないでしょうか?
信心の談義をする上でも、お聖教と照らし合わせる作業をおざなりには
できません。

149:神も仏も名無しさん
07/10/14 14:23:27 FARuMDDJ
>148
>所詮は、不確かな意業による判断に過ぎないのですから。

うーん・・・
ふたたび意業にもどりましたね。

すみませんが、なぜそこまで「獲信」「未獲信」の区別を嫌うのか、わたしにはもう分かりません・・・。

144-146で答えたように、「獲信」「未獲信」の区別には、大きなデメリットはありません。
そりゃ信後の聴聞を怠って「お前は未信だから、おれの方がエライ」などと言い出したら、問題ですが。

なにか、148さん自身に、この区別を嫌う個人的な理由(悲劇的な場面を目撃した、とか)があるのでしょうか?

150:神も仏も名無しさん
07/10/14 14:39:24 FARuMDDJ
>147
>「後生の一大事をこころにかけて」聴聞しようとすればするほど、
>全くそうはならない自分との戦いになってしまって疲れるというかシンドイ感じになります。
>ただ聴くだけとは違う求道の苦しさというものは、そういう感じになってくるものなのでしょうか。

求道上の話には、わたしもテンションが上がります。ありがとうございます。
えー、このしんどさはですね、聴聞のポイントがわずかにズレている状態です。
(でも、早くもこのしんどさにたどりつかれた、というのは、とてもセンスが良い方だと思います)

「後生の一大事をこころにかけて」と言いますが、もしこれが出来る人なら、「罪悪深重の人」とは言えません。
どちらかというと、「後生の一大事がこころにかからない」という方が、「罪悪深重の人」と言えます。
なので、こころにかからない人こそ、阿弥陀仏の正客(お目当て)だということです。

だから、「後生の一大事をこころにかけるぞ!」といって不可能なことに力むよりも、
「阿弥陀仏は『あなたは後生の一大事をこころにかけられない人(罪悪深重の人)だよ』と言っているが、本当だろうか?やってみよう」
という感じで、自分が後生の一大事をこころにかけられるかどうか、挑戦してみてください。
絶対できませんから。できたら菩薩さまです。できなければ、阿弥陀仏の正客です。

後生の一大事をこころにかける・真剣に聴聞する・無常をとりつめる・罪悪をとりつめる。などなど、
いろいろアドバイスはありますが、
「後生の一大事をこころにかからない自分・真剣に聴聞できない自分・無常をとりつめられない自分・罪悪をとりつめられない自分」
がある程度発見できれば、これらのアドバイスは、捨てて捨ててOKです。
それよりも、「阿弥陀仏の本願を繰り返し聞くこと」が1000倍重要です。

147さんが後生の一大事をこころにかけられないような、どうしようもない人だからこそ、
阿弥陀仏は万善功徳がつまった南無阿弥陀仏を用意してくださったのだ、という本願を聞いていってください。
147さんの後生をかならず救うよ、という本願を聞いていってください。

ここらへんはほんとにデリケートなところなので、分からないことはなんでも聞いてください。

151:神も仏も名無しさん
07/10/14 15:23:41 TU9EpCvV
ここは自称「妙好人」しかいないスレですね

152:神も仏も名無しさん
07/10/14 15:45:16 KMoXm20r
うちは大谷派なんですが、住職が
「死刑は絶対に認められない。なんでもかんでも死刑にすればよいという風潮は間違っている。
 韓国が死刑を廃止しましたね。先進国で死刑が在る国は日本ぐらいのものです。恥です。
 昔から我が宗派は死刑に反対してきましたよ。うんたらかんたら」
しゃべっておりましたが、疑問があります。
60年前の戦争には反対したのでしょうか? 宗派をあげて戦争勝利を祈祷したそうですが、どうなんでしょう。
戦国時代は敵の首を取れば極楽往生できたのではなかったのでしょうか? 悪人往生だから何でも在りなんですか?
どんな悪人でも往生できるから野放しにして良い、と聞こえましたが、
死刑にしなかったがためにこれから犠牲になる人は善人で往生するんだから
死んで(殺されて)よいのでしょうか? 遺族の感情はどう責任を取るつもりなんでしょうか?

法要の席だったので質問もできずもんもんとしております。
どなたかお答えを賜りたく存じます。

153:神も仏も名無しさん
07/10/14 16:16:26 jO4JmuY4
僭越ながら、わたしは>>148さんの危惧に共鳴しますね。
>>149さんの説明には説得力がないように思います。
要約すると
・信後の聴聞さえしてれば大丈夫なはずです。
・今のところ問題が起きているように思えません。
・蓮如上人も支持されていたらしいです。
このように聞こえますが、このような回答ではまるでお役所の苦情封じです。
教学に裏付けられた抜本的な解決がなされているとは言い難いレベルだと思います。

ある人が信心をえているかどうか、判断するのに
あるレトリックを決して嘘をついているとは思わない程度に使っているからそうにちがいない、
長い間いっしょにいて自分が信心と思っているものと差異があるように思えないという手応えがある、
というあやふやな感覚に基づいて行うことが可能なのであれば、そしてそれが主流として認められるに至れば
著名な信心判定人に判断してもらおうと、特定の人間をあてにする門徒が続出するのではないでしょうか?
わたしなどは確実にそのような失におちいると思いますね。
他人の信心判断は、こうこうこういう理由でこの程度まで問題ない、ここからはダメという教学に基づいているとか、
そうではなく、信心は師資相承であり、師と弟子との間の阿吽の呼吸によって認可される捉えがたいものであるとか
そういった持論を展開してもらわないことには信心という理解しがたい微妙なものを占有する少数の人々によって
信心獲得というあんしんをうるために隷属的な立場を余儀なくされる被害者を無自覚な中に量産していくことに
なると思います。煩悩一杯の人間が組織するものなんですから。

149さんがどのような程度で信心の判断、認定を行うことを認めているのか、
また信心をうるということをどの程度重要視しているのか、
(信は得やすいが、信後の態度でその人の信心が試されるのが真宗というスタンスの人もいますし)
いまいち、ここでは判然としませんので、それがかえって誤解をうんでいるのかもしれませんね。
これからきっちり教学でコンセンサスを求めていくという方向に向かった方がいいのかもしれません。



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