【浄土真宗】妙好人と学ぶ【信心獲得(決定)】at PSY
【浄土真宗】妙好人と学ぶ【信心獲得(決定)】 - 暇つぶし2ch122:神も仏も名無しさん
07/10/12 22:46:41 Exb7xU6c
こんばんは、ここ数日回答させてもらっているものです。

>無事、獲信者の方とお会いすることが出来ました。いくつか書籍も求めてきました。
>短い時間でしたが、なんだか嬉しいような懐かしいような。正直、感激してます。
>今は、ハッキリと、一味の世界を知りたいばかりですね。

ああ、いい感じですね。
ぜひ信頼できる獲信者のもと、聴聞していかれると早いと思います。
(ちなみにわたしは、なぜか偉そうな態度の獲信者と相性が悪かったです。
 相手が偉そうにしてると、「わたしもああいうスゴイ人にならないといけないんだ」と力むからかもしれません。
 逆に、「あんたは未信者らしいけど、おれもあんたと同じ腹底持ってるんだよ」といってくれる獲信者につくと、力む必要がなかったです)


はい、求道にかんして悩みのある方おられますでしょうか?

123:774
07/10/12 23:43:29 6xvrPCwk
>121
当スレでは、>6、>27、>29、>33、>36、>43、>44、>47、>57、
>59、>61、>67、>74、>87、>113が、概ね見たところ、私の書き込みです。
前のスレは、抽出するのが大変ですので、省かせていただいても、
よろしいでしょうか?


124:101
07/10/13 00:00:55 xZrXpdcx
>>123
774さん、お手数かけました
ありがとうございます
定期的に書込まれている方なんですね

ひとまず該当レスを再読します


125:774
07/10/13 00:09:59 WJ2E8X5y
>122
求道に関してではないですが、一つ質問があります。
獲信者とおっしゃいますが、「あの人は獲信者である」と、
判断する基準は何ですか?渡海さんという方がおっしゃる通り、
口先三寸で、なんとでも言うことができる私たちと聞きますし、
判断の当体である意業は、刹那消滅を繰り返し、目まぐるしく変わっていく。
私たちの意業によって認識された獲信者ならば、
不確かなものと言わねばなりません。
実際、私は加茂仰順という和上のご縁によって今、
こうしてご本願を聞かせていただいておりますが、
加茂和上が、獲信者なのかどうか、私には判別できませんし、
判別できる立場にさえないと思っております。
ただ、今の私を真宗に導いて下さった方、
すなわち、一心一向に弥陀に帰命たてまつるべしと勧めて
下さった方でありますから、私にとっては善知識様であることは無論です。
しかしながら、獲信者と規定することはできません。
そもそも、獲信者なる言葉を親鸞聖人はじめ、列祖の方々が
用いられておられるのでしょうか?少し賦に落ちない気がしまして、
質問させていただきました。

126:101
07/10/13 00:30:06 xZrXpdcx
774さん
該当レスを一通り再読しました
私が、774さんの書込みに対する渡海の反論に賛同した>>101
774さんが>>113で私にレスを下さったという経緯が分かりました
私が割って入っていちゃもんつけてしまったんですね
すみません

真宗の信心者という立場では、私は774さんとそれほど食い違いがない
のではないかと以前から思っていました
また、加茂和上の評判を聞き、お話も聴きにお寺へ伺おうと思っていた
時期もあったのであなたとお話したい衝動も胸に抱えていました

また>>125の書込みも同様に疑問を抱いている立場です
お二人の話合いで私にも理解できる結論を導き出して頂きたい
と期待しています


127:774
07/10/13 00:30:57 WJ2E8X5y
>124
ご意見ご指導よろしくお願いいたします。
仏教を学んでいて楽しいことの一つは、
悉く既成概念を破壊されていくことでした。
理解していないのに理解したふりをすること、また名利心や、高慢心が
焙り出されても(私の煩悩では嫌だけれども)、
それが新たな欠陥の発見(即ち、また学べるという喜び)に
繋がってくる。自分が受けいれられる喜び
(煩悩の所作として当たり前な喜び)だけでなく、
全否定されることによって、未だ不完全たる我が身を知り、
だからこそ学んで行こうという喜び。
煩悩というのは、観察すると非常に面白いものです。


128:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
07/10/13 00:49:02 RYIWPQM3
>>125
 実にいい質問と思います。
 問いは101さんに向かっているようなので、僕の考えは保留します。将来、「質問箱」でコ
メントさせて貰うかも知れません。101さんが、このスレでコメントを寄せればそれに横やり
を入れるかも知れません。
 これについて、当方の胸中には言うべきことがあると考えます。

 一つ誤解だけは解いておきたい。
 「口先三寸で、なんとでも言うことができる」と> 82で書いたのは、元レスの記載が、先人の
書き残してくれているものと明らかに矛盾しており、しかも、引用元の記載を独自の独創的理
論として仮定しても、明らかに不合理であると渡海難は確信したという意味で、申し上げました。

 先人の言葉と一致しているかしていないかは別にして、私は、主張の内容に合理性があること
について「口先三寸で、なんとでも言うことができる」と申し上げるつもりは全くありません。
 主張の内容に合理性があることについて、もしそのように言っていたら、それは渡海難が誤り
です。

129:101
07/10/13 00:49:06 xZrXpdcx
>>127
なかなか本題(洗脳うんぬんの件)に入らなくて申し訳ありませんが・・・

> ご意見ご指導よろしくお願いいたします。
こちらこそです

> 仏教を学んでいて楽しいことの一つは、
> 悉く既成概念を破壊されていくことでした。
> 理解していないのに理解したふりをすること、また名利心や、高慢心が
> 焙り出されても(私の煩悩では嫌だけれども)、
> それが新たな欠陥の発見(即ち、また学べるという喜び)に
> 繋がってくる。自分が受けいれられる喜び
> (煩悩の所作として当たり前な喜び)だけでなく、
> 全否定されることによって、未だ不完全たる我が身を知り、
> だからこそ学んで行こうという喜び。
> 煩悩というのは、観察すると非常に面白いものです。
私も既成概念の破壊という基本作業は、同じ姿勢を持っていると思います
ただ、私の場合、極端な物言いですが
喜びなどという言葉で表せる感情はありません
面白みなども感じません
あえて表現すると、私の場合「癖」ではないかと思います
空気を吸わないと死んでしまうように、そういう思考でないとイヤというか

直感的に言うと、全認識への無批判な自己に嫌悪感のようなものを
感じているのではないかと推測しています
そして、全認識へ無批判でないように努めたいのに、その作業そのものも
批判対象となってしまうという無限否定・・・w

対話を通して774さんのような楽める生き方も学べたらいいなと
ふと思いました


130:101
07/10/13 01:00:15 xZrXpdcx
>>128
渡海さん、はじめまして
書込みは随分前から散見させてもらっています
ところで>>125は私(101)へではなくID:Exb7xU6cへの質問です
ID:Exb7xU6cの方も中心的スレ住人なのでコテハンで書き込まれれば
このような誤解は避けられるのに・・・
まぁ、その辺は各自のお考えがあるのでしょうから
とりあえず、そういうことです


131:神も仏も名無しさん
07/10/13 01:45:39 SLT6AmEC
>獲信者とおっしゃいますが、「あの人は獲信者である」と、判断する基準は何ですか?

>判断の当体である意業は、刹那消滅を繰り返し、目まぐるしく変わっていく。
私たちの意業によって認識された獲信者ならば、 不確かなものと言わねばなりません。

これは、単なる「獲信者という言葉の定義」以上のことをおっしゃってますね。
でも、意業のあやふやさまで持ち出すならば、獲信者の判断どころか、自分自身の認識すべてが不確かなものなのですが・・・。
125さんのつきつめた視点から言うならば、わたしも125さんも、培養液に漬けられ電気信号を送られているだけの脳みそかもしれない、ということです。
つまり、わたしは125さんにレスしようとパソコンに向かっている、と自分で思っているけれど、それが誤認かもしれないわけですし。
そして、誤認かどうかの確認は、究極的にはできません。それぐらい意業はあやふや。

そのあやふやな判断をたよりに、わたしも125さんも日常を生きているわけですし。
そのあやふやな判断をたよりに、わたしも125さんも善知識にたどりついたわけです。
で、このあやふやな判断を「全くあやふやなものだ!」とはっきり聞いた人、という面が獲信者にはあります(あくまで一面ですが)。

132:神も仏も名無しさん
07/10/13 01:46:36 SLT6AmEC
ついでに、あやふやな範囲ですが、わたしの獲信者の定義を書いておきます。
・他力摂生の旨趣を受得した人
・他力念仏に帰入した人
・私は、これっぽっちも、仏法を理解していない。
 理解できない私だからこそ、仏さまに助けられるのがうれしい他ない」という人
・我となえ、我聞くなれど、 南無阿弥陀 つれてゆくぞの親のよび声」を体得してる人

うーん、わざわざ125さんの言葉を引用したのは、これなら言葉の定義がしっかり伝わるだろうと思ったからです。
聞法した場所が違うからか、仏教の言葉の使い方やスタンスも若干ちがう感じもしましたので。
誤解してほしくないのですが、もちろん皮肉ではありません。

うーん、ほんとはこういう、あまり求道者のヒントにならないようなややこしい書き込みはしたくないのですが・・・。
125さんの一連の書き込みを見て、わざわざこんな質問を横からする人には思えなかったし・・・。
125さんは何にこだわって質問なされたのか、よく分かりませんが、
ややこしい話はややこしい割りに読んでくれてる人が疲れる人が多いので(わたし含め)、興味もありません・・・。

生意気なレスだと思われたかもしれませんが、これが精一杯の回答です・・・すみません。

133:101
07/10/13 02:35:22 xZrXpdcx
774さん
>>113についてです

> 洗脳されている人の自覚とはどのようなものなのでしょう。
私は、自覚という言葉で表現された錯覚、妄想だと思っています
そう思う理由は、774さんがこの後におっしゃっている
> その自覚自体、また洗脳された自覚だとしたら、
というお言葉と同じ考えに基きます
つまり、洗脳されていない(他に影響を受けていない)自立した自覚
などありえないだろうなという立場です

>>101で私が
> 自分は洗脳されていると自覚があるのなら、自分の信仰心を語る時
> それを予め相手に伝え用心させるのが責任ある態度だと思いました
と言ったのは、洗脳されていない自立した自覚など誰も持ちえない
だから、予め「自分は洗脳されている」と伝えることもできない
伝えることができないから、相手に用心を促すことも出来ない
でも、私の場合、無批判で積極的に受け入れたこと、今も種々の情報を
無批判に受け入れざるを得ない自分を悔いる気持ちがあり、そこを
なんとかできんものかという問題提起でした

これで私が表現したかったことがご理解いただけるかどうか・・・



134:101
07/10/13 02:36:35 xZrXpdcx
私は、どんな考えも妄想だと思っています
言うまでもないですが、この私の思いも妄想だと思っています
これ言っちゃうと、この対話そのものを否定することになりますがw

私の推測では「各自が種々の縁起に従い、否応無く別々の考えを持ち
それを確かなものだと思い込んで生きているだけなんだろな」です

> 泥を洗うのに泥水をもって
> 洗うのと同じことで、汚れが無くなることはないと言うことです。
ないと思います
というか、ここでおっしゃる「汚れ」とは何でしょうか?
また、なくす必要のあるものなんでしょうか?
そして、それはなくせるものなのでしょうか?
「汚れ」の定義が分からなかったので判断できませんでした

> 一切の群生海、無始よりこのかた乃至今日今時に至るまで、
> 穢悪汚染にして清浄の心なし、虚仮諂偽にして真実の心なし。
> 虚仮雑毒の善をもって無量光明土に生ぜんと欲する、
> これ必ず不可なり。
> 親鸞聖人は何を真実だと言われているのでしょうか?
親鸞聖人の理解された阿弥陀仏の本願という言葉で表現された何か
だと思います

> 妙好人と呼ばれた方々の言動の根底には何があったのでしょうか?
妙好人と呼ばれた方々の理解された阿弥陀仏の本願という言葉で表現
された何かだと思います

親鸞聖人や妙好人と呼ばれた方々が、どのように阿弥陀仏の本願を
理解されていたのかは私には分からないというのが私の考えです

それでは今日は失礼します

135:神も仏も名無しさん
07/10/13 06:12:43 gug0NlsN
>>122さん いつもレスありがとうございます。
 私がお会いした獲信者の方は全然偉そうな方ではなく、優しく素敵な方という印象を受けました。
 本当にちょっと立ち話させてもらったような感じですが、信心の話題については、誤解を招くような表現があればすぐに厳しくご指摘されました。
 求道に関して自分が抱いていた固定観念や想像をいい意味で裏切られました。
 今までは獲信といっても非常に抽象的な話で、具体的な想像をする手がかりも少なかったのですが、
 獲信者が普通にそばにいるという環境はとても心強く、そして励まされるものだと知りました。
 こういった恵まれた環境があるなどということは今まで想像もしてこなかったことです。
 10年近くボンヤリとした不安を抱いたまま足踏みしていた自分がまたこうして一歩進もうとしていることも>>122さんにここで会えたご縁のおかげです。
 ありがとうございます。新たな出発、再チャレンジです。

136:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
07/10/13 08:46:44 RYIWPQM3
>130
 どこのどなたか存じ上げませんが、はじめまして。
 最近、ある方に八つ当たり的な大変失礼なメールを送ってしまった
ことがあります。もしかしたらメール送り先のその相手の方かな、などと
勝手な想像が頭をかすめました。おそらく別の方でしょう。
 2ちゃんねるは匿名が原則ですから、詮索はしません。

> ところで>>125は私(101)へではなくID:Exb7xU6cへの質問です

 そうでしたね。質問先はID:Exb7xU6に向かっているようですね。失礼しました。

137:101
07/10/13 12:23:35 xZrXpdcx
>>136
渡海さんレスありがとうございます
ご想像されている方と私は別人です
ある方を連想されたようなので、おそらくその方と私の意見が似ている
と感じられたのでしょうね
私の場合、特定の誰かに教えられて得た結論ではないのですが
ありふれたものなんでしょう

私は気に入ったスレを気が向いた時にROMっていた程度の人です
ですから、今まで渡海さんともお話したことありません
お話したいと思ったこともありましたが、教学面、論証面において
対等に話せるほど私には力量がないので差し控えていました
今も渡海さんに対しては同じ思いです
アクセスログからプロバイダ経由で住所を割り出すとかしない限り
詮索をなさっても特定できないですよ
まぁ、個人特定をする為に詮索されるのはイヤですから
詮索しないと仰ってくださることをご好意として受取らせてもらいます


138:神も仏も名無しさん
07/10/13 12:46:12 76Z3BDPc
                 渡海           「!/7
                  ↓           /ふ(⌒r_-_、_
                / ̄ ̄ ̄ ̄\    .l'、そrィ(_,,},}ニ)
             (  人____)    l ` ''ー<´..... __゙!
             |ミ/  ー◎-◎-)     ゝ.,,______ |
            ,r (6     (_ _) )   |ミ/  ー◎-◎-)
          ,/ヾ<|/ ∴ ノ  3 ノ   (6     (_ _) )←101
       ,.、‐'":ヽ::::\ __  __ノ      |/ ∴ ノ  3 ノ
      /::::::::::::::::ヽ::::::ヽ `/)乙二ス、   ,rニ ̄`ヽ   __ノ
     /:::::::::::::::::::::::::::ヽ::::;/ ーンノハヾ,!} /- ... `ヽ、 ,! ! ヽ
   /::::::::::::::::::::::::::::::/^i´    /(_, イヽ'    :..  \,!  : ',
.   i:::::::::::::::::::(⌒/:::::::::::l,r‐ァ''";!/:i,  |:::::::゙!      :..  \:  ',
    !:::::::::::::;:、-'":::::::::::::::::::|::/::::;:':{;::::i, |:::::::::} :. i    :.. ヽ :. ',
   }::::::;:::'::::::::::::::::::::::::::::::::|'::::;:':__:i;::::::i, l;::::::::|  ヽ _,,..、、-‐ 'i ゝ,
   |::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::|:;:':::|ll|::l;:::::ヽ.',:::::;!   ゙i      ノ .: )
    ,!:::::::::(⌒)::::::::::::::::::::::::::|::::::|ll|,r;|:::::::::'J:/  ``ヽ、  __,,. r=ニ=ュ __
.   |::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::|:::::|ll|/::|:::::::::::iノ   r=''.,,´__::::::(   )::::`_,''=ォ
    |::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::|,./'ii'彡|::::::::::::゙!   └- 、.,,__`''''ー:--:‐''''´ _,. -┘
   |::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::|"'"´';:::|:::::::::::::|ヽ.     |::::::::_`::''''┬t‐‐'_"::::|
   |:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::|   ;'::|::::::::::::::! \  |::::{´ `i;::::l:::l::i´ `i::|

139:神も仏も名無しさん
07/10/13 22:08:54 SLT6AmEC
>私がお会いした獲信者の方は全然偉そうな方ではなく、優しく素敵な方という印象を受けました。
 本当にちょっと立ち話させてもらったような感じですが、信心の話題については、誤解を招くような表現があればすぐに厳しくご指摘されました。
 求道に関して自分が抱いていた固定観念や想像をいい意味で裏切られました。

これはもう・・・これを聞いてわたしもうれしいです。

>10年近くボンヤリとした不安を抱いたまま足踏みしていた自分がまたこうして一歩進もうとしていることも>>122さんにここで会えたご縁のおかげです。
 ありがとうございます。新たな出発、再チャレンジです。

135さんのような真摯な求道者の姿から、阿弥陀仏の大願業力を思い知らされるばっかりです。
南無阿弥陀仏

140:神も仏も名無しさん
07/10/13 22:10:01 SLT6AmEC
どなたかご自分の求道に関して悩みなどある方おられますでしょうか?


141:7
07/10/13 23:48:22 gug0NlsN
>>139
レス有難うございます。真摯な姿とは程遠い私ですから、恥ずかしいばかりです。
 あれから貪るように書籍を読み始めてみました。思わず泣けてきました。
それから「後生の一大事を心にかけて」聴聞するがごとくに朗読しつつ、読んでみましたが・・・
 どうにも後生とも一大事とも驚かぬ心というか、微動だにしない心というか、「今、いざ後生と踏み出したらどうか」と
どれだけ問い詰めても全くもって無反応・無感動な心が感じられてきました。この感覚は久しぶりです。
ああ、これは、今日獲信するぞ、今聞かせていただくぞという求道姿勢だった頃に知った感覚かも知れません。
あの頃はそれと気付かず、具体的に把握できなかったのですが、今それが何か分かりやすく説かれていて、
遭難者がやっと具体的な地図に出会えた時のような喜びを味わっています。
はっきりと現在地がわかるところまでまずは進みたいと思います。

142:神も仏も名無しさん
07/10/14 00:04:48 FARuMDDJ
>はっきりと現在地がわかるところまでまずは進みたいと思います。

ぜひぜひ。また分からなくなったら、聞いてください。
「分からない自分、聞けない自分」に出会っていく、という、なんとも矛盾した求道を味わうことになりますが、
その先には自分よりはるかに大きな阿弥陀仏に抱かれている自分、を発見する瞬間があります。
そしてその、7さんが出会われた獲信者など、信頼できる人にアドバイスを直接うけるのがベストです。
というのも、獲信者の特異な喜び・懺悔ばかりを目にして、余計な頑張りをしてしまい遠回りする求道者がほとんどです。
「ああ、獲信者もまったくわたしと同じところがあるんだ」という点をしっかり押さえて、
そのうえで彼らがやっていること(自分の思いを横に置いて、本願を聞くこと)をマスターするのが早道です。

いや、しかし・・・うれしいです・・・。南無阿弥陀仏

143:774
07/10/14 01:05:15 axp6AGKE
>131-132
お返事ありがとうございます。遅くなりすみません。
私が、特定の個人を指して「誰々は獲信者である」と
するような表現に疑問を投げ掛けたのは、
凡夫が「獲信者」という太鼓判を押す失があるように見えたからです。
思えば、『仏敵』という求道記に出てくる念仏道場の人々も、
その傾向がありました。他人の体験を捕えて、「あなたはまだ獲信していない」、
あるいは、「あなたは真の信心を獲得しましたね、
今日から私たち(獲信者)の仲間ですよ。」
等、本質的に誰が誰を分別しているのか、一つ反省が必要だと、
私自身も『仏敵』を読んで思ったのでした。
高森顕徹氏も華光会在籍時に太鼓判を押された方の一人でしょう。
太鼓判を押されれば、「自分は獲信者である」という、
他力回向の一心の他に「要らない自覚」(ふたごころ)
が芽生えるきっかけとなり、高森氏のような方を生んでしまう要因とも
なったのではないかと考えた次第であります。
また、獲信者集団であると言う自覚に基づく
優越感(煩悩の所作)に対し、無批判になるということ、
優位な集団としてのセクト化という傾向もあげられます。
これは『仏敵』に出てくる念仏道場もそうでありました。
無碍光をセクト化すること自体ナンセンスですし、
大信海を優越感という煩悩の道具としてしまう
過失が生じる恐れもあります。
また、親鸞聖人は個人を指して獲信者と規定するような表現を
されておりますでしょうか。
同行・同朋という言葉があるのですから、
そちらを用いた方がよろしいのではないかという事も
ご一考賜りたく思うのですが、いかがでしょうか?


144:神も仏も名無しさん
07/10/14 09:10:28 FARuMDDJ
>143
131、132です。レスしようと思ったんですが・・・
あの・・・、おっしゃっていることのニュアンスが前回といきなり変わっているんですが・・・。

前回は
>判断の当体である意業は、刹那消滅を繰り返し、目まぐるしく変わっていく。 >私たちの意業によって認識された獲信者ならば、 >不確かなものと言わねばなりません。

つまり「意業による認識ならば不確か」だから、「だれだれは獲信者」という言葉は使うべきでない。

今回は
>高森氏のような方を生んでしまう要因ともなったのではないかと考えた次第であります。
>優位な集団としてのセクト化という傾向もあげられます。
>大信海を優越感という煩悩の道具としてしまう
過失が生じる恐れもあります

つまり
「高森氏のような方を生む要因となる」「セクト化という傾向」「大信海を煩悩の道具としてしまう過失が生じる恐れ」
があるから、「だれだれは獲信者」という言葉は使うべきではない。

うーん・・・もしかして違う方の書き込みなのでしょうか・・・?
いちおうレスしてみます。
>「高森氏のような方を生む要因となる」>「セクト化という傾向」>「大信海を煩悩の道具としてしまう過失が生じる恐れ」

これらは全て推測ですね。意業というあやふやなものの中の、さらに確実性の低い推論です。
わたしもあやふやなこの推論というものでお答えしようと思います。
>「高森氏のような方を生む要因となる」
これは、獲信者の太鼓判が要因というより、本人の資質が大きいと思われます。
なぜなら、華光会から第2・第3の高森氏が生まれていないから。
ちなみにS会では、「獲信したら、会のヒエラルキーが崩れるので、除名される」という現象が起きているそうです。
この現象は、求道に苦しんでいた求道者が獲信体験を通過して、晴れ晴れとした顔をしているのを獲信者が見て
「ああ、もしかしてあなたも阿弥陀仏にお会いされたのですね」という単純なうれしさとは、まったく異質のものです。

145:神も仏も名無しさん
07/10/14 09:11:14 FARuMDDJ
>優位な集団としてのセクト化という傾向
これは、「おれたちは特別だ、正しい。世間はダメなやつらばかりだ」という感じの集団でしょうか?
そりゃ、信後の聴聞を怠れば、このようになるかもしれませんが・・・。
ちなみにこの念仏道場(奈良の野口道場)では、今はもう信心の沙汰をする集まりはなくなっています(建物はまだあったはず)。
また、伊藤康善氏も故人となっておられます。なのでセクト化してたかどうか、分かりません。
しかし、わたしは獲信後に、華光会には数回行ったことがあります。
(獲信前にいかなかったのは、土蔵秘事だと思っていたわけではなく、たんに遠かったから。)
しっかり信後の聴聞の指導が行き届いていました。はい。
かんちがいした獲信者(獲信したからオレは未信者よりえらいんだ、という態度のひと)には、
「自分にはいばれるようなものは何もないことを聞いたのでしょう。聞く耳をいただいたのならば、
 信心を自分のものにしないで阿弥陀仏の本願を聞いてください」というアドバイスがありました。
信後の聴聞をきっちりやれば「すべて他力の働きなのに、それさえも自分の力だと思い込んでいる自分」
を懺悔させられるので、セクト化とは反対の方向に向かいます。
信後の聴聞を怠っている人は、獲信者というより、「過去に獲信らしき体験があった自称獲信者」です。
また伊藤氏は「何か感動をともなう体験をした求道者に『よかったね』と言ってはいけない。変なものをつかませてしまう恐れがある」
と指導していたそうです。
だからなんだって話ですが・・・。

146:神も仏も名無しさん
07/10/14 09:12:00 FARuMDDJ
>「大信海を優越感という煩悩の道具としてしまう過失が生じる恐れ」

これは・・・この過失は凡夫には常に生じていますよ。
凡夫は仏法をおもちゃにするもの。仏法をもてあそぶもの。
その凡夫を救うという阿弥陀仏の本願を聞くからうれしい。
これも、信後の聴聞をしっかりさせていただくこと、だけですね。

>また、親鸞聖人は個人を指して獲信者と規定するような表現を
されておりますでしょうか。 同行・同朋という言葉があるのですから

こりゃ、分からないでしょう。文書で残ってないだけで。
蓮如上人は晩年に「信心のある者以外には会いたくない」と言っていたらしいので、してたみたいですね。

以上のあやふやな推論を回答とさせていただきます。
できればそろそろ終わりたいです、ちょっとしんどくなってきましたので・・・。

147:7
07/10/14 09:48:47 EXuhuutW
>>144-146 横レスごめんなさい。朝から妙好人さまとお見受けする方の書き込みが目に触れて、思わずテンションが上がりました。
なるほどなるほどと、合点させていただきました。

 ところで話の流れに沿わない内容で申し訳ありませんが、質問させて頂いてよろしいですか。
「後生の一大事をこころにかけて」聴聞しようとすればするほど、
全くそうはならない自分との戦いになってしまって疲れるというかシンドイ感じになります。
ただ聴くだけとは違う求道の苦しさというものは、そういう感じになってくるものなのでしょうか。
よろしければ教えて頂きたくお願い申し上げます。

148:774
07/10/14 12:17:53 axp6AGKE
言い方が悪かったかもしれません。すみません。
獲信者と未獲信者と分けてしまう憶測そのものに、意味があるのか?
また、憶測による分別作用を無批判で流してしまうのはどうか?
例えば、私が獲信者だと思っていた人が、
実は獲信者でないこともありえるし、獲信者でないと思っていた人が、
獲信者であると言うこともありえるわけです。
所詮は、不確かな意業による判断に過ぎないのですから。
その不確かな意業によって、他人の意業を詮索する、判別する行為自体、
願力回向たる信心を意業におとしめていることにはならないか?
ということです。
「おとしめるような私なればこそなあ、もうし」なればこそ、
獲信者の規定自体、はからいにすぎないとは言えないでしょうか?
次に、信後の聴聞という言葉の出拠は何処にありますか?
求道体験・また教学追求を先とすると、親鸞聖人の仰ることは後になります。
徐々にその進む方向がずれていくこともあるのではないでしょうか?
信心の談義をする上でも、お聖教と照らし合わせる作業をおざなりには
できません。

149:神も仏も名無しさん
07/10/14 14:23:27 FARuMDDJ
>148
>所詮は、不確かな意業による判断に過ぎないのですから。

うーん・・・
ふたたび意業にもどりましたね。

すみませんが、なぜそこまで「獲信」「未獲信」の区別を嫌うのか、わたしにはもう分かりません・・・。

144-146で答えたように、「獲信」「未獲信」の区別には、大きなデメリットはありません。
そりゃ信後の聴聞を怠って「お前は未信だから、おれの方がエライ」などと言い出したら、問題ですが。

なにか、148さん自身に、この区別を嫌う個人的な理由(悲劇的な場面を目撃した、とか)があるのでしょうか?

150:神も仏も名無しさん
07/10/14 14:39:24 FARuMDDJ
>147
>「後生の一大事をこころにかけて」聴聞しようとすればするほど、
>全くそうはならない自分との戦いになってしまって疲れるというかシンドイ感じになります。
>ただ聴くだけとは違う求道の苦しさというものは、そういう感じになってくるものなのでしょうか。

求道上の話には、わたしもテンションが上がります。ありがとうございます。
えー、このしんどさはですね、聴聞のポイントがわずかにズレている状態です。
(でも、早くもこのしんどさにたどりつかれた、というのは、とてもセンスが良い方だと思います)

「後生の一大事をこころにかけて」と言いますが、もしこれが出来る人なら、「罪悪深重の人」とは言えません。
どちらかというと、「後生の一大事がこころにかからない」という方が、「罪悪深重の人」と言えます。
なので、こころにかからない人こそ、阿弥陀仏の正客(お目当て)だということです。

だから、「後生の一大事をこころにかけるぞ!」といって不可能なことに力むよりも、
「阿弥陀仏は『あなたは後生の一大事をこころにかけられない人(罪悪深重の人)だよ』と言っているが、本当だろうか?やってみよう」
という感じで、自分が後生の一大事をこころにかけられるかどうか、挑戦してみてください。
絶対できませんから。できたら菩薩さまです。できなければ、阿弥陀仏の正客です。

後生の一大事をこころにかける・真剣に聴聞する・無常をとりつめる・罪悪をとりつめる。などなど、
いろいろアドバイスはありますが、
「後生の一大事をこころにかからない自分・真剣に聴聞できない自分・無常をとりつめられない自分・罪悪をとりつめられない自分」
がある程度発見できれば、これらのアドバイスは、捨てて捨ててOKです。
それよりも、「阿弥陀仏の本願を繰り返し聞くこと」が1000倍重要です。

147さんが後生の一大事をこころにかけられないような、どうしようもない人だからこそ、
阿弥陀仏は万善功徳がつまった南無阿弥陀仏を用意してくださったのだ、という本願を聞いていってください。
147さんの後生をかならず救うよ、という本願を聞いていってください。

ここらへんはほんとにデリケートなところなので、分からないことはなんでも聞いてください。

151:神も仏も名無しさん
07/10/14 15:23:41 TU9EpCvV
ここは自称「妙好人」しかいないスレですね

152:神も仏も名無しさん
07/10/14 15:45:16 KMoXm20r
うちは大谷派なんですが、住職が
「死刑は絶対に認められない。なんでもかんでも死刑にすればよいという風潮は間違っている。
 韓国が死刑を廃止しましたね。先進国で死刑が在る国は日本ぐらいのものです。恥です。
 昔から我が宗派は死刑に反対してきましたよ。うんたらかんたら」
しゃべっておりましたが、疑問があります。
60年前の戦争には反対したのでしょうか? 宗派をあげて戦争勝利を祈祷したそうですが、どうなんでしょう。
戦国時代は敵の首を取れば極楽往生できたのではなかったのでしょうか? 悪人往生だから何でも在りなんですか?
どんな悪人でも往生できるから野放しにして良い、と聞こえましたが、
死刑にしなかったがためにこれから犠牲になる人は善人で往生するんだから
死んで(殺されて)よいのでしょうか? 遺族の感情はどう責任を取るつもりなんでしょうか?

法要の席だったので質問もできずもんもんとしております。
どなたかお答えを賜りたく存じます。

153:神も仏も名無しさん
07/10/14 16:16:26 jO4JmuY4
僭越ながら、わたしは>>148さんの危惧に共鳴しますね。
>>149さんの説明には説得力がないように思います。
要約すると
・信後の聴聞さえしてれば大丈夫なはずです。
・今のところ問題が起きているように思えません。
・蓮如上人も支持されていたらしいです。
このように聞こえますが、このような回答ではまるでお役所の苦情封じです。
教学に裏付けられた抜本的な解決がなされているとは言い難いレベルだと思います。

ある人が信心をえているかどうか、判断するのに
あるレトリックを決して嘘をついているとは思わない程度に使っているからそうにちがいない、
長い間いっしょにいて自分が信心と思っているものと差異があるように思えないという手応えがある、
というあやふやな感覚に基づいて行うことが可能なのであれば、そしてそれが主流として認められるに至れば
著名な信心判定人に判断してもらおうと、特定の人間をあてにする門徒が続出するのではないでしょうか?
わたしなどは確実にそのような失におちいると思いますね。
他人の信心判断は、こうこうこういう理由でこの程度まで問題ない、ここからはダメという教学に基づいているとか、
そうではなく、信心は師資相承であり、師と弟子との間の阿吽の呼吸によって認可される捉えがたいものであるとか
そういった持論を展開してもらわないことには信心という理解しがたい微妙なものを占有する少数の人々によって
信心獲得というあんしんをうるために隷属的な立場を余儀なくされる被害者を無自覚な中に量産していくことに
なると思います。煩悩一杯の人間が組織するものなんですから。

149さんがどのような程度で信心の判断、認定を行うことを認めているのか、
また信心をうるということをどの程度重要視しているのか、
(信は得やすいが、信後の態度でその人の信心が試されるのが真宗というスタンスの人もいますし)
いまいち、ここでは判然としませんので、それがかえって誤解をうんでいるのかもしれませんね。
これからきっちり教学でコンセンサスを求めていくという方向に向かった方がいいのかもしれません。


154:神も仏も名無しさん
07/10/14 19:06:32 FARuMDDJ
こんばんは、ここ数日回答させていただいているものです。
どなたかご自分の求道について悩みなどある方おられますでしょうか?

155:神も仏も名無しさん
07/10/14 19:32:19 KMoXm20r
>>154
152ですが

① 60年前の戦争には反対したのでしょうか? 宗派をあげて戦争勝利を祈祷したそうですが、どうなんでしょう。
② 戦国時代は敵の首を取れば極楽往生できたのではなかったのでしょうか? 悪人往生だから何でも在りなんですか?
  首を切られた敵はどうなるんでしょう? 地獄行きですか?
③ 結局、どんな悪人でも往生できるから野放しにして良い、と聞こえましたが、 罪人を死刑にしなかったがために
  これから彼ら残虐な殺人鬼によって犠牲になる人は善人で往生するんだから
  死んで(殺されて)よいのでしょうか? 遺族の感情に対してははどう責任を取るつもりなんでしょうか? 取れますか?

156:神も仏も名無しさん
07/10/14 19:48:15 FARuMDDJ
>155 ①②③

すみませんが、これはあなた自身の求道上の質問ではないようですので、答えを控えさせていただきます。
他人はどうなんだろう?ではなく、自分はどうなんだろう?というスタンスでないと求道にならないので。



157:神も仏も名無しさん
07/10/14 19:49:12 FARuMDDJ
どなたかご自分の求道について悩みなどある方おられますでしょうか?


158:神も仏も名無しさん
07/10/14 19:50:50 KMoXm20r
>>156
自分を客観視することが求道にならないとは、気づきませんでした。
自分を恥じて再度、初心よりやり直します。それにしても驚きました。

159:神も仏も名無しさん
07/10/14 19:54:04 KMoXm20r
>>156
自分の求道について質問した人に、他人のあなたが答えられると考えておられるようなのが
どうもわからないのですが、ひょっとしてバカですか?

160:774
07/10/14 21:12:54 axp6AGKE
>149
酔っ払いが絡んでいるようで、大変申し訳なく思っております。
興味がなければお聞き流し下さい。
さて、私の疑問の根本は、
私個人が悲劇的な出来事を経験したかしないかではなく、
獲信者か未獲信者か、判別することが、
他力回向という親鸞聖人のお示しに適っているのでしょうか?
と言うことなのです。また、あなたは求道に関して(求道と言う言葉も
安易に使うべき言葉なのかどうか疑わしいのですが)、
他人にアドバイスできる立場として、盛んに呼び掛けられているようですが
(弟子一人も持たずと言われたという親鸞聖人自身、
そのような立場をとっていたのでありましょうか?)
その行為の裏には、何が潜んでいるか、
自分自身に尋ねてみたことはありますか?
阿弥陀如来の本願に照らして、反省したことがありますか?
自分の求道体験自身が全く転倒した虚仮不実なものだと
反省されることはなかったのですか?
さらに、虚仮不実な求道を他人に勧めてもよいものなのでしょうか?
人は千差万別です。受け取り方も相手様次第。
私は自分の体験を勧めることは自己顕示欲のあらわれだと考え、
躊躇します。そんなあやふやなものより、
躊躇なく伝えられるものがあるではないか、と言うことです。


161:7
07/10/14 21:18:26 EXuhuutW
>>150 レス有難うございます。求める・捨てる・転換するという本願そのままのお答えを、
分かりやすいお言葉で説いていただけたものと了解させていただきました。

 自分の求道のことなのに、他人に聞く以外の方法を知らない大バカモノの私ですがまた質問させていただきます。
求道について、お経に説かれていることと、いくつかの体験談から、獲信への道程が具体的に見えてまいりました。
先日お会いできた方は大変優しく好感の持てる方だったのですが、押し付けがましい人は私も苦手です。
いわゆる「詰め」られるような段階にまで至った時のことを思うと正直怖いです。
求道の入り口で早くも卒業試験を受けさせてもらえるつもりでいるような質問でお恥ずかしいですが、
求めていくことが、進んでいくことが怖いというのが正直な気持です。この不安や恐怖は、どのように乗り越えていかれましたか?

162:このスレに辿り着かれた皆様へ。
07/10/14 21:37:09 EXuhuutW
このスレに辿り着かれた皆様へ。
このスレは、自身の後生の一大事の解決が出来ない悩める求道者が、何とかその手がかりを求めて、
後生の一大事を解決された先輩方に質問させていただくために建ててもらったスレです。
真宗の歴史や政治的立場や、いろんな会派組織について質疑応答するスレではありません。
また、教学のみを追求する立場のスレでもありません。
私は獲信したから答えましょう、それはどこまでいっても自己申告、自称妙好人でしかありえないかも知れません。
ですが、人の心を見る能力など誰にも無い、それは人間の限界であって仕方ありません。
信心獲得したかしないかは大問題という立場ですから、未信入信を区別せねば始まりません。
もちろんその区別が自身の求道において大きな障害となるのであれば、それはそれで厳しくご教導願います。
他人へのアドバイスが、自己顕示欲の表れということもそれが人間の自性です。
それでも、私はアドバイスが欲しくて仕方が無い。自身の問題なのに他人に聞くなど以ての外でしょうか?
ならば、聴聞すら論外ということになってしまいますが・・・仏法は先ず人より聞く他にないのではありませんか?
全てが弥陀のご説法と、食事をしてもTVを見ても、寝ても覚めても法を聞ける尊い方なら別でしょうけれど。

163:神も仏も名無しさん
07/10/14 21:39:08 YonE7/yf
>このスレは、自身の後生の一大事の解決が出来ない悩める求道者が、何とかその手がかりを求めて、
>後生の一大事を解決された先輩方に質問させていただくために建ててもらったスレです。

後生の一大事を解決された先輩方って、そんな奴いねーだろ。
自分で思い込んでる人ならいるだろうけどな。

164:神も仏も名無しさん
07/10/14 21:51:21 EXuhuutW
>>163 私もいないと思ってきました。そもそも、死んだらどうなるか全く分からないのです。
 消える?確かに肉体は焼いて灰となってしまうことは何度も見てきましたが、心も消え行くのか、現代科学は何も答えてくれません。
 この世の苦しさから逃れるために、消えるのならば死のうとしましたが、消える保証が得られず、死に切れない人生でした。
 死ねば悲しむ人がいるといっても、消えた自分には何の関係もありません。
 死ぬことで「自分」という存在が完全に消え、楽しみや喜びが無い代わりに苦しみも悲しみも消えるならば。
 心は脳にしか無いと断言できますか?化学反応の産物でしかないと割り切れますか?
 好きな人がいて、憎い奴がいて、楽しみがあって、悲しみがあって。この全てを物理化学で処理して情を捨て切り、
 湧き上がる自分の人生そのものへの思いも脳のシナプスの所作に過ぎずと達観し、この世限りと生きられますか?
 それはそれで凄いし、そのように確信できた方がうらやましくもありますが・・・

165:神も仏も名無しさん
07/10/14 21:52:55 FARuMDDJ
>その行為の裏には、何が潜んでいるか、
>自分自身に尋ねてみたことはありますか?
>阿弥陀如来の本願に照らして、反省したことがありますか?
>自分の求道体験自身が全く転倒した虚仮不実なものだと
>反省されることはなかったのですか?

うーん、すみませんが今回でレスは終わりとさせていただきたいです・・・。
あなただって求道した時期があるはずですが・・・。
自分に自己顕示欲しかない、自分の求道は虚仮不実のものだ、というのは、
獲信体験までたどりついた人なら1度はいやというほど思い知らされることです。
わたしだって、この嘘ばっかりの自分を何とかしようとして、求道中に何度も泣きました。
このことは当たり前の前提としてレスをしています。
ただ、自分の求道が虚仮不実であると同時に、自分に求道をさせてくれていたのは全て他力だった、ということも
いやというほど思い知らされます。
求道も念仏も説法も求道アドバイスも、すべてです。

アドバイスする立場にないのは、仏法から見れば当然です。でも、せずにおれない。
伝えずにおれない。
わたしの本性からいえばアドバイスせずに「他の人は獲信体験にたどりつかずに死んでいけばいい」と
1人ほくそえむような、悪魔の心しかありません。まさに罪悪深重の悪人。
そういうやつが後続の人に伝えずにおれんわけです。
また、「がんばって聴聞すれば獲信できる」という自力を強める方向のアドバイスをS会出身者は受けています。
そのため、わたしはとても遠回りしました。
わたしのような無駄な遠回りは、してほしくない。

ご質問とあまりかみ合わなかったと思いますが、これで回答を終わりとさせていただきます。
すみません。

166:神も仏も名無しさん
07/10/14 22:09:20 FARuMDDJ
>161

あなたの自分をごまかさない態度、こちらの下がらん頭が下がります。

>いわゆる「詰め」られるような段階にまで至った時のことを思うと正直怖いです。
>求道の入り口で早くも卒業試験を受けさせてもらえるつもりでいるような質問でお恥ずかしいですが、
>求めていくことが、進んでいくことが怖いというのが正直な気持です。この不安や恐怖は、どのように乗り越えていかれましたか?

これは、怖くて当然です。求道でなくても、人から詰められるのは怖いもの。
で、簡単な解決法としては「詰めない」タイプの先輩獲信者を選べばいい。
そして、「詰める」タイプは避ける。わたしはそうやりました。
緊張しやすい人は、「詰められ」ても、獲信どころか、びびってパニックになっていつもよりさらに聞けなくなるのが関の山です。

わたしはどこかに「詰められないと獲信できない」という思いがありましたが、それは間違いでした。
詰められても、力んで力んで力んで体もガチガチになって「今獲信しないといけないんだ!」という思いに支配されるだけでした。

でも、「獲信しないといけない」ということは、「獲信しないと後生を救われないのだ」ということにもなります。
ということは、阿弥陀仏が「あなたの後生を必ず救います」とおっしゃっているのを完全に無視して、
「いや、いくらあんたがそう言っても信じられない。おれは獲信しないと後生は救われないはずだ」
と、阿弥陀仏をうたがっているわけです。
後生を救う阿弥陀仏の贈り物(念仏)を口に称えながら、
「この念仏ではまだダメだ。獲信しないとダメだ」といっているわけです。

ここは、力めば力むほど脱出が困難になります。

最後に、うまく無駄な力みを置いておいて、本願を聞くことをあらわした漫画があったので、リンクを書いておきます。

URLリンク(homepage3.nifty.com)

なにかあれば、なんでも聞いてください。

167:神も仏も名無しさん
07/10/14 22:13:08 FARuMDDJ
URLリンク(homepage3.nifty.com)

すみません、リンクはこっちでした。

168:774
07/10/14 23:14:53 axp6AGKE
>162
無限遡及で誤魔化すことがないよう、私たちはお聖教を学ぶのです。
根拠が、後生助かった自分の感情であるならば、
もはや、真宗でも、仏教でもありません。
妙好人と言う言葉さえ使うべきではないでしょう。
次に、自称妙好人、自分で自分のことを白蓮華と呼んでいるのは、
恥ずかしいことだと思いませんか?
また、無批判にある特定の人物を、獲信者だと判断するのは
(私は判断することはできないし、判断する必要もないと言っているのですが)、
間違いの始まりかも知れないと注意した方が、よいと思うのです。
余計なお世話と受け流していただいてもかまいません。
しかし、あなたの書き込みを拝見すると、
少し無防備すぎるのではないかと世間的には思ってしまうのです。


169:神も仏も名無しさん
07/10/14 23:50:59 FARuMDDJ
>次に、自称妙好人、自分で自分のことを白蓮華と呼んでいるのは、
恥ずかしいことだと思いませんか?

レスはしないつもりでしたが、あまりの誤解に1つだけ。
わたしは自分を妙好人と宣言したことは1度もありません。
そもそも妙好人というのは、もともとは本願寺が宣伝のために作り上げたものだという一面がありますし。
また、信心いただく人の中で、とくにモラル的にも優れた人を妙好人とした、という経緯があります。
わたしはモラル的には優れていませんし。
すみません、あしからず。

170:774
07/10/15 00:15:54 1sptA+/b
>165
では、最後に。三業の不確かさは、死ぬまで変わりません。
即ち、仏性である信心について、教示できる立場にある人など、
誰も存在しないのです。親鸞聖人によれば、
皆、仏弟子です。皆それぞれに仏の教化を受ける仲間でしかありません。
獲信を自覚した人は、私は知っている、私は経験した、と我を張ります。
仏法は無我にてそうろう。自覚は役に立つどころか、実は足枷です。
信一念の体験が破されるような批判に対しては
耐えがたい苦痛を覚えるようになります。過去の体験に縛られ、
破壊されることを恐れるからです(本当は楽しいことなのに)。
聴聞がいつも初ごとなのは何故でしょう。
真実信心は相続心であると言われるのは何故でしょう。
信一念は過去の体験に押しやられるべきものではなく、今、ただ今だから、
相続心と言うことができ、いつも初ごとで劣化しないのです。
私の三業は劣化しますが、阿弥陀仏の劣化する私たちを必ず救うという
誓いは、劣化しないから、相続心と言い、
劣化し続けている私にとっては、常に初ごとです。
聞ける立場(獲信者)、聞けない立場(未獲信者)などと、
どっちも変わらん、どのみち劣化する三業で、はかるなと言うことです。
もう迷わせないと誓って下さった方が、
死んでもお前をはなさないと(摂取不捨)と言って下さっているのに。
一体、何を信じているのか?何を求めているのか?
遠回りなどと悠長な身の上でもないだろうに、自覚など必要なし。
毎日本願を聞き、毎日称名の日暮しです。
南無阿弥陀仏


171:774
07/10/15 00:33:33 1sptA+/b
>169
それはあなたへのレスではありませんよ。ちょっと自意識過剰気味では?
ところで、私たちは、我執を離れることができませんが、
できないからこそ、仏の悟りと照らし合わせて、恥ずかしいと痛みいることができます。
私も、きつい言い方をしてしまって申し訳なかったです。
しかしながら、仏教の発展自体が論争の歴史でありましたから、
致し方ない所もあるのでは?と言い訳しておきます。それでは。
南無阿弥陀仏

172:神も仏も名無しさん
07/10/15 05:28:07 dHKEwiMU
なんだか、
だまれ、聞け、それをだまれと言っているんだ、それを承知で聞けと言っているんだ、いやそれをだまれと・・
と、先の取り合いになってますね。というか仏様の取り合いでしょうか。


173:7
07/10/15 06:46:32 3WsCslSs
>>150さんのレスをもう一度思い返してみました。
 それで、もう一度質問させてください。

 以前、「自力がだんだん薄まるような感じ」と教えていただいたことがあるように思います。
 ピンとこなかったのですが、これは「どんどん捨てていく」姿ということですね?
 「頑張って聞いている」とか「今だ、今だ」と自分から必死になろうとする、そういう心をどんどん捨てていく。
 そんなもの握っていては後生は通られんとどんどん捨てていく。
 そして捨てて捨てて、ご本願を聞かせていただく。そういう姿勢ということでしょうか?

174:774
07/10/15 06:48:10 1sptA+/b
>172
全く違います。よく読んでほしいと思いますが、
書き方が悪かったのかもしれません。
ポイントは、体験の有無を沙汰する行為を凡夫が行えるのか?から始まり、
信一念を過去に起きた体験と採っていいのか?つまり、
親鸞聖人が仰せになられた他力の信心とは、真実の体験が一回あって
(現在から見れば過去に)、それをもって往生治定と認識し
(衆生の意業によるのは無論)、
後は信後の聴聞によって、その体験を支えていく、という
構造を持つものととらえていいのか?と言うことです。
それとも、あくまで凡夫は、仏の法に対しては何時であっても
聞く立場でしかなく(必ず助けるという仏勅に対しては完全に受動的であって)、
こちら側から意業を働かせて、獲信体験をしたとか、
体験の有無を基準に、獲信者の判別をするなどは、
必ず助けるという仏勅そのものではないから、
当然、差し控えるべきものと考えるべきなのか?
と言うことです。    非常にデリケートです。

175:7
07/10/15 06:54:41 3WsCslSs
>>166 ご丁寧なご回答ありがとうございます。
 早くも「詰められねば救われない」などというものを握っている自分に驚きました。これも捨てモノなんですね。
 獲信という未体験の世界を勝手に想像して、「獲信せねば、獲信せねば」と力み続ける。これが疑情でしょうか?
 どんどん捨てて進んでいきたいと思います。

176:7
07/10/15 07:10:25 3WsCslSs
>>168 レス有難うございます。
 常に、信心を計る定規はお聖教以外にはないと肝に銘じております。
 いかなる不思議な体験も、後生の役にはたたんと、自身を戒めているのです。
 人が獲信したかどうか判断は出来ないしする必要はない、仰るとおりだとも思っているのです。
 それでも、体験もなく疑いを持ったまま受け売りで説法をされるのは、無免許医に手術を任せるようなもので怖いものです。
 もちろん免許があっても、いくらでも藪医者はいるわけですが・・・
 確かに私は無防備に過ぎるかもしれません。ご心配ありがとうございます。
 そのせいでいろんなものにハマって、何度もひどい痛い目に遭ってきました。
 しかし、世の中がそういうものでしかないなら、それだけのこと。本当ならもう誰にも関りたくないぐらい疲れ果てました。
 それでも、まだ遣り残したことがある、忘れ物がある、死のうにも死後がハッキリしない、生きている間に求めるしかないなぁと思っているのです。

177:7
07/10/15 07:16:38 3WsCslSs
>>170 うーん、、、三業で計るなということには納得しますが、それだと生きている間にハッキリしたとしかしないとか関係ない、とも受け取れます。
 まさか不体失往生を否定される方だとは思いませんが、ちょっと十劫安心を思い出してしまったので、質問させてください。
 自覚などいらない、とはどういう意味で仰られたのでしょうか?

178:7
07/10/15 07:32:28 3WsCslSs
>>174 私もそこは気になります。信心の沙汰をせよ、と蓮如上人が言われたのはなぜなのか。
   他力の真実信心獲得の体験は一度きりだと聞いておりますが、信後の聴聞は体験を支えるためのものではないと思っています。
  そんな後から支えねば崩れるようなものは役に立ちません。
  ただ、まわり中、未信の人しかいない環境で、説法している人すら未信だった、ということがありまして、本当に不安な求道時代がありました。
  まったく、行ったこともない人に「あの観光地は素晴らしいから一度行ってきなさいよ!」と勧められているようなものです。
  じゃあどうして先ず自分が行かないのか?そして誰も行かないのか?もしかして行けないんじゃないか。不安だらけでした。
  獲信したかどうか判断できないことは肝に銘じつつ、「こんな世界だったよ!だから君も行こう!」と言われたいのです。
  そういう心がもう間違いの元で、捨てモノだと言われたら返す言葉もありませんが・・・

179:神も仏も名無しさん
07/10/15 21:47:52 32r7dC61
ここ数日回答させていただいているものです。

>早くも「詰められねば救われない」などというものを握っている自分に驚きました。これも捨てモノなんですね。
>獲信という未体験の世界を勝手に想像して、「獲信せねば、獲信せねば」と力み続ける。これが疑情でしょうか?
>どんどん捨てて進んでいきたいと思います。

はい、そういう力みも疑情です。
阿弥陀仏は「獲信しないとダメだよ。獲信しないとあなたの後生は救わないよ」とは言っていません。
「あなたの口から出ている南無阿弥陀仏に、後生を救う万善功徳をこめているんだよ」といっています。
ということは、つまり、後生に対しては、獲信は必要ない、ということになります。
だって、念仏なんてときどき称えているでしょうし、それで後生が救われるわけだから。

しかし、わたしはそれでは納得できなかったです。

だって、救われた実感がない。
だから信心を求め、求道しはじめた。
ですが、
もうこの「救われた実感がないから、納得できない」という思いにとらわれて求道しだした時点で、
阿弥陀仏のおっしゃっていることをわたしは「聞いてない」わけです。

180:神も仏も名無しさん
07/10/15 21:49:25 32r7dC61
求道者はこの「獲信せねば、信心得ねば」の思いにとらわれて、しょっちゅう阿弥陀仏の本願を聞くことからそれてしまいます。
でも、そのとらわれから戻って、本願を聞けば聞くほど、「本願を信じてない自分」「本願をいくら聞いてみても、しっかりした信心が生まれない自分」を発見していきます。

なので、「獲信せねば、信心得ねば」の思いにとらわれてしまうことに気をつけてください。
そういう思いが出たら、客観的に「ああ、わたしのこころは、獲信せねば後生救われない、と思っているな。ということは阿弥陀仏の念仏をまったく無視しているな」
「まったく阿弥陀仏の本願を聞いてないな」「わたしは本願を信じられないな」「阿弥陀仏のことをおとぎ話だと思っているな」
と、クールに観察してください。

そして、ふたたび聞く。自分の中の阿弥陀仏を無視するような思いをも救う、というふうに、自分から出た思いをあてはめて聞く。
阿弥陀仏は「まったく阿弥陀仏の念仏を無視するような人」「本願を聞かないような人」「本願を信じられない人」「阿弥陀仏のことをおとぎ話だと思っている人」
を救うとおっしゃっている、と聞く。
つまり
「このような阿弥陀仏をそしる思いが出てくるわたしを救う、と阿弥陀仏はおっしゃっている」と聞く。
わたしという極悪人を救う、と聞く。


分かりにくいとこがあったと思います。
「獲信したいと力めば力むほど、獲信体験から遠ざかる」という、求道のやっかいな部分だと思います、なんでも聞いてください。

181:神も仏も名無しさん
07/10/15 21:58:16 9kVtcpJA
>>178

はっきりしたものが欲しければ、
死後の世界へ行ける瞑想を試してみればどうでしょうか?

URLリンク(www.nagomi.com)

182:神も仏も名無しさん
07/10/16 06:46:21 JtuJzqTj
>>177
自覚というか如是のこころでは?
信の置き場がどこにあるかが重要かと思います

183:7
07/10/16 23:54:50 MQLxaxwM
>>180 レス有難うございます。非常に難しいところだと痛感しております。聞いて聞いて聞き開くのみだと、今は思っています。

>>181 見れませんでした・・・

>>182 如是のこころとはなんでしょうか・・・初めて聞きました。調べてみます。

レス有難うございました。

184:774
07/10/17 00:32:50 GZdd7usg
>176-178
お返事遅れましてすみません。
①念仏の法を伝えるのに免許がご入り用ですか?そもそも、
無始よりこのかた乃至今日今時に至るまで、穢悪汚染にして清浄の心なく、
虚仮諂偽にして真実の心ない凡夫に、手術できる免許皆伝などということなど、
あるはずがないでしょう。
だから、弥陀をたのめと勧められるわけです。「私は弥陀をたのんで救われました、
だから、人を教化できる免許があるのです」と思ったり、言ったりするのは、
二種深信の機の深信が欠落していると言わねばなりません。
一信心は必ず、開くと二種となると善導大師の仰せを
親鸞聖人はそのまま受けておられます。機の深信が欠けた信心など
存在すらしえないと言うことです。
「あなたは獲信者に違いありませんね、
そのような体験や言動をされるのですから」と周りからちやほやされれば、
上がり上がりて落ち場を知らぬ性質の我々は、
自分は免許皆伝だ、信心決定したに間違いないという妄念を
ますます真実と思い込むようになる。あさましいことです。
②十劫安心について。
『御文』にあるように、十劫安心は異義と批判されます。
阿弥陀仏が十劫の昔正覚を成じ、すでにその時に我々の往生は決定していた、
そのご恩を忘れないのが信心であるという主張が批判対象です。

ご恩を忘れない当体は何か?私の心、すなわち意業ですね。
これを信心とすることは、虚仮を真実と思い違いをすることであります。
往生は必ず不可と言うことです。
蓮如上人は、十劫安心には弥陀に帰命して他力の信心を獲たる分なし、
あるいは、我らが往生すべき他力の信心と言ういわれを知らない、
故に、大きな誤りであると仰せられます。
大きな仕事が有り、なかなかレスができません。
来月、また書き込ませていただきます。
南無阿弥陀仏

185:神も仏も名無しさん
07/10/17 08:18:19 Swv8s2Bd
思い増すに、7さんが信を獲た立場からの物言いにこだわられているのは、
親鸞会で窮屈なふんいきを体験されたからだと思います。
私は7さんの立場が親鸞会にタイする「反」としてのものなら、賛同しうるんですが
7さんの立場だけがある世界では、到底うけいれがたい、親鸞会へのそれと同じ
不快感を抱くと思います。なので、7さんをダメともよいとも言えなくなるんですが
親鸞会の会長さんも、きっと華光のおてがるな信心のふいんきにおかしなものを
かんじて、それにたいする「反」として今の親鸞会の立場があったのではと
考えたとき、なんだか笑えなくなりますね。自分たちもやはり実は過激なことを言っていて
近い未来なんらかの揺り戻しをうむ原因になるのではと恐ろしくなります。
そうすると、言葉をつむぐ勇気がなえてしまいそうになりますが、
そう考えると、ここで信をあっけらかんと表明されているような人こそ一番今のひとに
必要な方なんではと思う次第であります。

なんだかあまり考えもせずつらつらと書いてしましたが、どうかご勘弁。
お粗松

186:7
07/10/18 00:52:06 oX74tMjj
>>184 774様へ ご丁寧なレス有難うございました。

 ①ごもっとも、と思いました。私の場合、信未信に拘るのは、未信の者しかいない(らしい)某会場での聞法がトラウマとなっているからかも知れません。
 自信教人信と言われるように、まず自信ではないかと。体験無き説法、疑心のままでの説教、自力が廃れぬ者に他力を教導されることの不安や白けた気持ちを、もう味わいたくないと思っていた次第です。

 ②信心は私の心ではない、ということですね。他力の信心はいただくものだと。やはり難しいところです。

>>185 仰るとおり、いわゆる反動としての気持ちがまだ大きいのかも知れません。
  いわゆるお手軽な信心の雰囲気というものは知りませんが、獲信者の多い組織(もちろん自称も含まれるのでしょうが)と、
獲信者は会長とごくごく一部のご老人と既に亡くなった方しかおらず、講師ですらほとんど未信と言われる組織、
どちらがいいのか、私には分かりません。教えが正しく教えられているかがだけが問題だと今は思っています。

逆に、自分はどうして今こんなに獲信者に会ったり話を聞いたりしたいのだろうか、とそれが不思議になってきました。
仏法を聞きたいとか、求めたいとか、本当にどうかしています。
いろいろと本を拝読してみて、一度、今まで聞いてきたこと、勉強してきたことを全て捨ててしまおうと思いました。
今までの苦労はなんだったんだ、という思いよりも、スッキリ軽くなった爽快感と、新しい一歩が楽しみですらあります。
反面、恐いですが。それではまたよろしくお願いします。

187:OKANE
07/10/18 01:11:36 hTts5Vny
2週間後に100万円を稼ぎ出し、
さらに収入を倍増させる 90万円分の情報をプラスした超特典パック!

URLリンク(go.2ch2.net)

188:神も仏も名無しさん
07/10/18 02:21:41 L8zlhq6I
これが世界一の生臭坊主だ!

蓮如(1415-1499)の子供たち

第1夫人、如了  (伊勢下総守平貞房の娘) 1424-1455.11(32)

1男 順如光助 (河内国出口光善寺開山)酒好き 1442-1483.5.24(42)
1女 如慶 (京都常楽寺蓮覚光信の室) 1446-1471(26)
2男 蓮乗兼鎮 (越中国井波瑞泉寺、加賀国若松本泉寺兼帯) 1446-1504.2.21(59)
2女 見玉 (京都摂受庵見秀尼弟子、浄花院流相伝)禅宗→真宗 1448-1472.8.14(25)
3男 蓮綱兼祐 (加賀国波佐谷松岡寺、同山内鮎蔵坊開山) 1450-1531.10.18(82)
3女 寿尊 (摂受庵見秀弟子→摂津国富田教行寺住) 1453-1516(64)
4男 蓮誓康兼 (加賀国滝野坊、九谷坊開山、山田光教寺、越中中田坊開基、光闡坊) 1455-1521.8.7(67)

第2夫人、蓮祐  (如了の妹、1457年、蓮如の妻となる) 1438-1470.12(33)

5男 実如光兼 (第9代本願寺法主) 1458-1525(68)
4女 妙宗 (知恩院長老椿性禅尼弟子、左京大夫、義政妾) 1459-1537(79)
5女 妙意 (12歳死亡) 1460-1471(12)
6女 如空 (越前国大谷興行寺蓮助兼孝の妻) 1462-1492(31)
7女 祐心 (白川家神祇伯前従三位資氏王の室) 1463-1490(28)
6男 蓮淳兼誉 (大津顕証寺、河内久宝寺村顕証寺、伊勢国長島願証寺開基) 1464-1550.8.18(87)
8女 了忍 (7歳死亡) 1466-1472(7)
9女 了如 (越中国井波瑞泉寺蓮欽の妾) 1467-1541(75)
7男 蓮悟兼縁 (加賀国崎田坊、中頭坊、清沢坊開山、若松本泉寺住) 1468-1543.7.18(76)
10女 祐心 (中山前中納言宣親の室、同康親、重親等の母、顕如の祖母) 1469-1540(72)


189:神も仏も名無しさん
07/10/18 02:22:45 L8zlhq6I
第3夫人、如勝  (京都に住むが応仁の乱で焼け出され、家も身内を無くして門徒となり、吉崎に来る。1473年、蓮如の妻になる) 1448-1478.8.17(31)

11女 妙勝 (山城国三栖住勝林坊勝恵の妾) 1477-1500(24)

第4夫人、宗如 (前参議姉小路基綱の娘。1481年、蓮如の妻となる)   -1484

12女 蓮周 (越前国超勝寺蓮超の妻) 1482-1503(22)
8男 蓮芸兼琇 (摂津国富田教行寺、名塩教行寺) 1484-1523(40)

第5夫人、蓮能 (畠山政栄の娘、畠山家俊の双子の姉。1486年、蓮如の妻となる) 1465-1518(54)

13女 妙祐 (勝林坊勝恵の妻) 1487-1512(26)
9男 実賢兼照 (近江国堅田称徳寺住。蓮誓の娘、妙慶を妻とす) 1490-1523(34)
10男 実悟兼俊 (河内国古橋願得寺住。蓮誓の娘、了忍を妻とす) 1492-1583.11.25(92)
11男 実順兼性 (河内久宝寺村顕証寺。蓮淳の4女妙祐を妻とす) 1494-1518(25)
12男 実孝兼継 (大和国飯貝本善寺) 1495-1553(59)
14女 妙宗 (京都常楽寺実乗光恵の室) 1497-1518(22)
13男 実従兼従 (河内枚方順興寺) 1498-1564.6.1(67)



190:地の蠍
07/10/18 08:51:26 NLYw01gl
           >>1
             ↓                _人
      ∩    ∧_∧            ノ⌒ 丿
       \ヽ_(    )         _/   ::(
         \_   ノ        /     :::::::\
 ∩_   _/    /         (     :::::::;;;;;;;)
 L_ `ー / /   /           \_― ̄ ̄::::::::::\
     ヽ  | |__/ |           ノ ̄     ::::::::::::::::::::::)
  | ̄ ̄ ̄\     ノ こんな     (     ::::::::::::::;;;;;;;;;;;;ノ
  | | ̄「~| ̄( 、 A , )クソスレ   / ̄――― ̄ ̄::::::::\
  | |  | |  ∨ ̄∨        (        :::::::::::::::::::::::::::::::::)
  し'  し'                \__::::::::::::::::::;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ノ



                               __
                         >>1  l ̄/.  ___
                         ↓ / /.  / ___ノ  
                        __/ /_/ / 
      たてんじゃねー!      Y人, ' ',人⌒ヽ、, '
                      Y⌒ヽ)⌒ヽ、 人,ヽ)人'、, '
        へ, --- 、         ノ ̄     ::::::::::::::::::::::)
     / ̄ ̄ ̄  、____\       (     ::::::::::::::;;;;;;;;;;;;ノ
    / _/ ̄「~|\ __ \     / ̄――― ̄ ̄::::::::\
   | |  | | ( 、 A , \ミソ   (        :::::::::::::::::::::::::::::::::)
   し'   し' と∨ ̄∨       \__::::::::::::::::::;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ノ


191:神も仏も名無しさん
07/10/20 00:18:47 j3EUGvnc
これはもうだめかもわからんね

192:神も仏も名無しさん
07/10/21 09:47:42 PFBGvLUS
書き込みなくなったね

193:7
07/10/21 11:43:27 /LFXhXxH
いろいろと雑多な質問にご返答いただき、皆様本当にありがとうございました。
他にももっと悩んでおられる方がいるはずだとは思いましたがそうそうここを覗いたりするものでもないようですね。
またここで良き報告が出来れば幸いです。それではしばらく失礼いたします。

194:神も仏も名無しさん
07/10/23 04:58:14 jV8s22ru
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ /

195:774
07/10/25 17:39:57 kl+aaXa4
ご返事遅くなり申し訳ありません。
>186
①まず、凡夫の分際が、説法・説教することができるのでしょうか。
それは、お釈迦さまだからこそ出来うるお仕事であって、
煩悩成就の凡夫が、そのお仕事に手をかけたら、どのような結果になるか?
想像に難くないと思われますが。
凡夫の説く戯言を聞いて、信心決定するならば、
その信心は凡夫の戯言信心と言わねばなりますまい。
香月院深励という和上さまが、江戸での仕事を終え、京都にお戻りになる途中、
三河のお寺に立ち寄り、そこで法話をすることとなった。
有名な和上の法話が聞けると、遠近より大勢の人々が集まる。
満堂の本堂で、和上曰く、
「今日は、阿弥陀如来から直々の申し渡しがある。皆、心して聞くように。」
「その申し渡しと言うのは、十悪五逆の罪人も必ず助ける、
今日はここまで。」と言ったきり高座を降りて、戻っていかれた。
たった一言で、法話が終わってしまったので、集まった聴衆は不満たらたらで、
もう少しお話下さいと、和上にお願いしたが、和上は聞き入れなかった。
そんななか、一人、満足顔で席を立った人がいた。
「百のものを十に、十のものを一にして伝えてくださった。
これほどのことは、ご講師さまでなければ聞けないことだ」と。
その人こそ、妙好人のおそのさんだったと言う。
誰から聞いても同じ事。問題は何を聞くのか、と言うことです。

196:774
07/10/25 23:48:46 kl+aaXa4
南無阿弥陀仏
信心を獲ようと思うのも自力なり
信心を獲たと思うのもはからいなり
南無阿弥陀仏の本願力のよびごえの外に
自分の方から持ち出すものなし
勅命は、そのまま来たれ、はい、の信心
および声、このままにて往生す
南無至心帰命礼 西方不可思議尊
本願力にて往生す
助くるぞよも南無阿弥陀仏
ありがとうも南無阿弥陀仏
南無の二文字も六字なり
阿弥陀仏の四字も六字なり
機も南無阿弥陀仏、法も南無阿弥陀仏
六字のうちに生も死も、仏と共に旅の空
一度も聞けば、南無阿弥陀仏
これ、決定往生のしるしなり
あら、おもしろや、おもしろや、南無阿弥陀仏


197:神も仏も名無しさん
07/10/27 03:04:40 VowuMv4x
オーム。十方の、果てなく、限りない世界に安住される、過去・未来・現在 の
一切の覚った人たち、求道者たち、教えを聞く修行者たち、独り修行する修行者たちに礼したてまつる

無量寿経梵文には、最初にオーム《om=a・u・m》にはじまるこの帰敬偈が記されている

梵文和訳と漢訳の相違点…漢訳では法蔵菩薩の師仏の世自在王仏は錠光如来(燃燈仏)より数えて
五十四番目の仏となっている。これに対し梵文和訳ではディ-ンパンカラ(=ロ-ケ-シヴァラは
ヒンドゥ-教のシヴァ神の別名という)は錠光如来(燃燈仏)より数えて五十四番目の仏となっている。
これに対して梵文和訳ではディ-パンカラ(燃燈)如来からシンハ・マティ如来までの八十の仏が挙げられているが、
法蔵菩薩の師仏の世自在王仏は燃燈仏より前に出た仏として説かれている。
★漢訳では法蔵菩薩は「国を棄て、王(位)を損てて、行きて沙門となり、号して法蔵といえり。」と説かれているが、
梵文和訳には国と王位を棄てて沙門となったという記述は欠けている。

198:神も仏も名無しさん
07/10/28 17:37:10 5CurccdY
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \

199:神も仏も名無しさん
07/10/28 18:29:13 bJ0fEJRV
だから、現実の寺の坊主と無縁の議論をいくら繰り返しても仕方が無いと、何度言ったら(以下、略

200:神も仏も名無しさん
07/10/28 18:49:51 5CurccdY
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \

201:7
07/10/29 19:16:14 etjgyBny
>>774 お忙しい中、ご返答有難うございます。

    お答えに、うーん、と唸るしかありませんでした。その、「何を聞くのか」の「何」をなかなか聞かずにいる自分、腹底からしんどくなってくるのです。

 先日、十数年ぶりに聴聞させていただきました。仏法を聞き開かれた方々にも、何名かお会いすることが出来ました。感激です。
最近名前を覚えた方からこうして直接話を聞かせていただける日が来るとは、驚きです。
小さな会場ということもあるでしょうが、輪になっての聞法に嬉しくなってしまいました。 直接お話でき、いろいろ質問が出来たことにも感謝です。
 身近に同行の方がみえるというのは何とも頼もしく、心強く、嬉しさがこみ上げてきます。こんな環境に恵まれたことはかつてありませんでした。
いろいろ聞きたいことはあったのですが、今までの知識や名誉欲などが邪魔をするのか、勝手に自分の疑問に自分で答えを出してしまう傾向にある自分を発見しました。
その場しのぎや先延ばし、ごまかしばかりの人生だったなぁ・・・と改めて思いつつ、でも今は目の前に開けた希望に無邪気に喜んでいます。
ここで同行の方々にいろいろ教えていただいたおかげです。本当にありがとうございました。

202:神も仏も名無しさん
07/10/30 00:32:14 rn6Qi7/j
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \

203:774
07/10/31 14:51:39 EqJzR0iy
やっと一段落つきまして、遅レスすみません。
>201
何を聞くの、聞くとは、先にあげた香月院和上の法話で言うのならば、
「十悪五逆の罪人もかならずたすける」です。
それだけ。何も珍しいことではありませんよね。
聞き分けて来い、体験して来い、何か浄土往生の資格を持って来い、
と言うのならば、他力に自力を加えたものと言えないでしょうか。
それは、もはや一心とは言えません。何故なら、必ずたすけるの弥陀の一心に、
我が心を運ぶことになるから、二心と言わねばならないからです。
苦しみ取ってから来いではなく、苦しい私そのままが、弥陀の救いの対象なのです。
一切皆苦。苦しいのは、娑婆(堪忍土)にいるお互い当たり前、
苦しみ迷いを離れる力など端から持たないお互いであります。
肩肘張ったところでどうにもならないし、肩肘張らなくてもどうにもなりません。
どっちに転んでも、どうにもならん奴を捨ててはおかん、と誓った方がおられる。
私から見れば、縁もゆかりもない方、しかし、その方は、
私のことを我が子同然と言ってはばからない。それが阿弥陀仏でしょう。
自分の苦しみをなくすことばかりに心を砕き、
私のことを常に聞き、常に見、常に知り尽くし、心を砕かれている
阿弥陀仏に思いを寄せないなら、ただ苦しいだけなのは当たり前です。
上に申した通り、私たち凡夫には、苦を抜く能力など、端からないからです。


204:神も仏も名無しさん
07/11/02 00:23:30 wjafkeMY
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \

205:7
07/11/06 10:29:37 Hoy8EeOR
>>203さま、お忙しいところレス有難うございました。

阿弥陀仏に思いを寄せる・・・聞けば聞くほど仏説真だなぁ、となって、無常や罪悪を少しずつ知らされて、
後生の一大事が気になるようにはなったものの、必ず助けると仰って下さる阿弥陀仏と言われても
どうしても得体が知れないというか、木像や絵像、名号本尊は見ることは出来ても、
思いの馳せ方というものは、どういうことなのか分からないというのが正直なところです。
勝手に頭の中で想像した阿弥陀仏に向かっても間違っている気がしますし、
阿弥陀仏に思いを寄せる、これを意識すればするほど何というか・・・・大きな壁を感じます。
功徳のつまった南無阿弥陀仏、ただの六文字の漢字にしか見えないけれども、
一切経がそこに収まっているとなれば称えねばもったいない気がして称名念仏をする時もありますが、
口先だけの自分が嫌になってまいります。

206:神も仏も名無しさん
07/11/07 00:04:09 xbIYu+uT
浄土教=ゾロアスター教
無量寿経はゾロアスター教が国教(仏教も容認)のパルティアで書かれた偽経です
お上がゾロアスター厨なので気を使いトンデモ経典が生まれたと思われる
ちなみに安世高はパルティア人

                  ↓
<タジキスタン>仏教とゾロアスター教融合の仏像型発見
11月1日21時37分配信 毎日新聞

 7~8世紀ごろに栄えた中央アジア・タジキスタン西端の都城跡を発掘調査していた龍谷大の蓮池利隆・客員研究員(西域仏教文化)が1日、
ゾロアスター教(拝火教)を象徴する拝火壇を描いた当時の仏像の型を発掘したと発表した。
蓮池研究員は「仏教とゾロアスター教の融合を確認でき、仏教の源流の一つを示す貴重な資料」としている。
 現地の国立歴史考古民族博物館と合同で9月、首都ドゥシャンベの南西70キロにあるカレ・コファルニホン遺跡を調査。
地下約3メートルから発見された工房とみられる施設の跡から、粘土を詰めて仏像の塑像を作るための型(高さ約10センチ)が出土した。
仏の足もとにはゾロアスター教で神聖な火をたく拝火壇が描かれ、仏が手を差し伸べている。


207:神も仏も名無しさん
07/11/07 00:42:57 DkSPXjYk
>205
私の言い方が悪かったかもしれません。ごめんなさい。
阿弥陀仏が得体が知れないと言うのは、その通りでしょうね。
不可称不可説不可思議なんですから。凡夫に得体の知れないのは当然です。
ブッダとは、いかなるものを指すのか、阿弥陀仏もブッダなわけですから、
ブッダの意志について、伺ってみては如何でしょう?
弥陀の本願に通じることかと思います。

208:神も仏も名無しさん
07/11/07 15:41:18 7eT7e9Ke
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \

209:774
07/11/07 17:49:49 DkSPXjYk
>205
毎度、お返事が遅れてすみません。阿弥陀如来の誓願の対象は何でしょう?
美しい心の持ち主ならば救うとのお約束でしょうか?
波羅蜜を修している者ならば救うとのお約束でしょうか?
口先だけで自分でも自分のことが嫌になるような私を必ず浄土に参らせる、
必ず一切の智恵と真実の慈悲が備わった仏にする、
この誓いは私が立てたものじゃないし、私が望んだわけでもない。
百遍聞こうが、千遍聞こうが、破られない、色褪せない、一切知者たる仏のお約束です。
あなたがどう思おうが、私がどう思おうが、そのお約束だけは変わらない、即ち真実だと言うことです。


210:神も仏も名無しさん
07/11/07 18:27:13 7eT7e9Ke
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \

211:神も仏も名無しさん
07/11/09 00:35:03 2Q0wjLqJ
たまには( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \の相手してやってよ

212:神も仏も名無しさん
07/11/12 09:06:34 i1PPV0Jp
ふぅ~分かんねぇ~!!!!!!

213:神も仏も名無しさん
07/11/13 04:50:27 IsmtwGK8
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \

214:神も仏も名無しさん
07/11/13 04:51:33 APIDVhPt
dd

215:神も仏も名無しさん
07/11/14 09:05:00 tXiP/qnr
おいおい、せっかく良スレ見つけたと思ったのに、途中で妙好人の書き込みが無くなってるやないか(T_T)

妙好人は18願を聞け聞けと言ってるけど、それ以外の求道のアドバイスが特にありがたかったなぁ。
かなり自分の愚かさが見えてきた感じするわ。

それにしても774っちゅうやつは・・・聞け聞けといってるし、その内容は18願やからええんやけど、774の書き込みぜんぜん求道の参考にならへんw
なんで妙好人に「人にアドバイスするな」なんてイチャモンつけてんねん?
蓮如かて覚如かて、それどころか親鸞さえ和讃やらで求道上のアドバイスやってんねんで?

あーもう・・・妙好人は774のストーカーちっくな質問が嫌になったんやろかなぁ。
ほんま迷惑やわ。

だれかこの妙好人が書き込んでるスレ知らへんか?

216:774
07/11/14 20:34:25 hMdMtIt/
>225
親鸞聖人は自らの歩んだ道を求道と言われたことがあったでしょうか?
求道という一見殊勝な言葉の裏に、
自我肯定の煩悩が潜んでいることも見過ごすことはできないでしょう。
聖者ならば、求道も間違いは少ないでしょう。
右も左も、自身の立場もわからぬ、
それどころか、わからぬくせに、わかっていると信じて疑わない
我らのごときいたずらものの求道に、一体何の価値があるのでしょうか。
真実心を成就なされた仏の求道ならば、値千金の価値あるものと言えましょうが。
ここは思案あるべきかと思います。

217:神も仏も名無しさん
07/11/14 22:13:24 tXiP/qnr
うわー、こんな過疎ったスレに当日カキコしてくるなんて・・・どんだけヒマやねん。
妙好人についての情報提供かと思って一瞬よろこんでもーたやないかw

それにしても774はキモいやっちゃなあ、粘着質すぎる感じやで?
ユーモアで切り返すこともせーへんで自分の言い分ばっか言うて・・・、お前モテへんやろw


それに、求道っちゅう言葉があかんのなら、曾我量深にも信楽峻麿にも澤木興道にも秋月龍珉にも上田義文にも松原致遠にも桜井鎔俊にも抗議文を送らなあかんで?
妙好人にあんだけイチャモンつけたんやから、当然もう全員に抗議文送ってるんやろうな?

それにしても、こういう相手の話聞かんタイプのやつは疲れるなぁ。相手にできへんわ。
ああ、あの妙好人も774の質問にえらい誠実に答えてたけど、774は全く相手の話聞いてなかったな。

そーいや7ってやつも書き込まんよーになってもーてんな。774って「アドバイスするな」っちゅうわりに、一番エラそうやしなw
7も、774のヘタクソなアドバイスに嫌気がさしたんとちゃうかw

あーあ、774がうざそうやし、おれもう書き込みせえへんけど、だれか妙好人のこと知ってたら、教えてな。






あ、最後に大事なこと書いとこ。




さあ、ではみなさんご注目ください!
774さんが負け犬の遠吠えを粘着テイストで書き込みなされますw

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

218:
07/11/14 22:40:57 ZEIw6nM2
オメコ!!
ドピュピュッ!!

ごめん!オラ774じゃね~ぞ!クンニ好きな…グヘヘ!

さーてと…浄土真宗では、仏性についてはどうとらえてるのですか?

私の意見は、仏性が有るとか無いとか、
どう解釈しようとも、私は仏になれず、
ただ本願力によって往生する、だから、
仏性なんてどうでもいい!という意見だぞ!

オッス!オラクンニ好きだぞ!

219:神も仏も名無しさん
07/11/14 22:47:34 ZEIw6nM2
オッス!オラクンニ好きだぞ!

オラはどんなクンニ好きで、仏になんかなりたくもネェ!
と思ってるぞ!

そんなオラに、阿弥陀さんは「必ず仏にする」
と言ってるそうだぞ!それが南無阿弥陀仏だそうだぞ!

でもオラクンニ好きだぞ!グヘヘ!

220:774
07/11/14 23:04:00 hMdMtIt/
>217
誰が何と言われましても、求道という言葉を安易にもちいることには賛成しかねます。
理由としては、親鸞聖人が用いていない事が第一。
第二に、その語句は、果たしてお聖教の何処に順ずるのか不明瞭なまま、
使用するのは戯言をまねくことになる、と言うことです。
江戸末期、明治時代、真宗において、求道という概念が、
お聖教の根拠も規定しないまま、用いられてきた感があります。
曽我先生が何を求道と言われたのか、諸師が何を求道と言われたのか、
探っていくべきと思いました。
感情の起伏はお互いさま。この煩悩のままに、必ず救うと言われる
ご誓約がありがたいですね。南無阿弥陀仏

221:神も仏も名無しさん
07/11/14 23:30:25 tiOTlKiQ
求道自体は結果論だと思うんだ。

222:穴秋 陰 座 遊毛絵
07/11/15 12:38:54 BrS/4xSM
求道も全て阿弥陀様のお働きによりました、っつうのなら問題ないんではないかい?

要するに、こちらから仏になる要因など全く無いとしてれば問題ないんだよ。
みんな阿弥陀様のおてまわしって言ってりゃそれでいいのよ。
求道の文字を使う使わないなんてのは、枝葉の問題だと思うよW

223:神も仏も名無しさん
07/11/15 13:27:37 gUnPBlKc
>222

求道=阿弥陀様のお働き?

>> 215は、こういう意味になるのか

 774の書き込みぜんぜん阿弥陀様のおてまわし
にならへんw それどころか親鸞さえ和讃やらで阿弥
陀様のおてまわし上のアドバイスやってんねんで?

 774が、阿弥陀様のおてまわしをするとなると、774は、
阿弥陀様のお使い。? 観音菩薩か勢至菩薩の化身?。
親鸞さえと言っているから、親鸞聖人の生まれ変わり以
上の聖者だと思ったか?。

 面白い奴だなぁ。


224:神も仏も名無しさん
07/11/15 14:53:12 cAqNMfA6
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \

225:神も仏も名無しさん
07/11/15 16:14:56 BrS/4xSM
>>223

要するにさ、求道ってのは、突き詰めたら、仏になりたい、悟りを求める事だろ。
そんなもん、俺の中から湧いては来ない。
もし、湧いてきたなら、それは阿弥陀様のご本願が、
俺に働きかけたから、そういう思いが湧いて来たんだろう、
と俺は思う。

親鸞さんが化身土文類で、三願転入を言われてるのは、
自分の比叡山での修行時代も、みな阿弥陀様のご本願の
お導きだったと言われてるんだと俺はとらえてるよ~ん。

226:神も仏も名無しさん
07/11/15 16:36:00 BrS/4xSM
ご本願に転入させるための、ご本願のお導きであり、おてまわしって事だよ~ん。

227:神も仏も名無しさん
07/11/16 04:50:34 tjZ+nKX9
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \

228:7
07/11/16 09:06:42 OcrScTUK
おひさ。たまには見てます。774さんは勘違いしやすい部分への指摘が厳しい方だとお見受けします。感謝してます。

確かに私という泥凡夫の、どこをとらえて求道なんて言えるでしょうか。そう考えると、法座など、何しに来たのか聞かれると言葉に詰まります。
信心決定しにきました。ハァ?!後生の一大事を解決しにきました。後生とも一大事とも思っていないでしょ?返す言葉もナッシング。
ただ、なんとなく来ました。カエレ。いったいオイラ、どうすりゃいいの。

229:神も仏も名無しさん
07/11/16 10:55:00 67eKco7K
ただ、ご聴聞に参りました、と言えばいいでしょ。
そんな禅問答みたいな事言う浄土真宗の住職なんていないよ。
ようこそようこそ、ようお参り下さいました~ってお迎えして頂けるよ。

230:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
07/11/16 11:48:41 VAtCvDBw
>228
>法座など、何しに来たのか聞かれると言葉に詰まります。

 おのおの十余か国の境を越えて、身命を顧みずして、尋
ね来たらしめ給う御志し、一重に往生極楽の道を問い聞か
んがためなり。

 求道は何か。目的は何か。原点は決して見失いたくないものだ。

231:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
07/11/16 11:49:42 VAtCvDBw
>230
   あげ


232:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
07/11/16 12:36:03 VAtCvDBw
 追加したくなった。

 往生極楽の道とは何か。
「出世間道」と名づく。「上」は、妙なるがゆえに、名づけて「上」とす。「入」は、
正しく道を行ずるがゆえに、名づけて「入」とす。この心をもって初地に入る。

 親鸞とは決別し、独自の道を歩む人には求道などはありえない。

233:神も仏も名無しさん
07/11/16 21:54:12 VAtCvDBw
 一盲(774)、衆盲(7,221,222,229)を率いて火抗に墜つ

 教化するひと(774)、(求道して)まず信心をよく決定して、その
うえにて聖教をよみ語らば、聞く人(7,221,222,229)も信をとるべし。

234:神も仏も名無しさん
07/11/16 22:21:00 HCMID/UF
>>230-233
渡海のおっさんは二度と来るな!
スレが汚れるから。

235:神も仏も名無しさん
07/11/17 02:56:23 uVUe7hyN
なんやこれ、おもろいな。娑婆で十八願を聞ける人ってどんだけおれんろな。
真の念仏行者は往相還相の利益を得て衆生済度が使命になるのだが、
娑婆で人に聞かすのはとっても難しいです。皆さんみたいな人と
出会い教えてあげたいです。なかには真剣に考えておられる方もいるの
でしょうから、ただここでは限界がありますが。全国に地蔵さんや観音など
多くの菩薩方が像に宿ってます、手を合わせご縁を願ってください。
決して虚しい事ではありません。私は十一面観音像の上にある阿弥陀如来
は観音様が我に頼まず弥陀に頼めという云われと聞いてます。

236:毎度 難
07/11/17 06:37:04 XJZ+HiNZ
ヾ(*´∀`*)ノキャッキャ

237:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
07/11/17 10:17:46 VdHHLuUW
 ややしつこいようだが、求道という姿勢は親鸞仏教で重要な概念だからもう少し書きたくなった。
 求道と言われて聖教の根拠を示せと言われれば、最右翼に掲げる言葉があった。歎異抄は最右
翼から二番目だろう。一番は次の言葉だ。

 穢を捨て浄を欣い、行に迷い信に惑い、心昏く識寡なく、悪重く障多きもの、特に如来の発遣
を仰ぎ、必ず最勝の直道に帰して、専らこの行に奉え、ただこの信を崇めよ(序文)。

 求道とは、「最勝の直道に帰する」ということだ。最勝の直道に帰するとはどういうことか。
「専らこの行に奉え、ただこの信を崇める」ということだ。

 専らとは、専一にと言う意味だ。他を捨てて、一つだけを選び、それを実践するということだ。
歎異抄第二章のただ念仏とは、専一に念仏を選び、専一に念仏を称えていくということである。
「専ら・ただ・専一」とは、二ではないということだ。三でもない。実践という点では、一以外
の他を捨てるという意味もある。

 「信を崇める」とはどういうことか。「真宗の教行証を敬信する(序文)」という意味だ。真宗と何か。
念仏成仏これ真宗(行の巻)。
 信を崇める敬信とは、念仏成仏の教えと、教えのままに専一の念仏成仏の教えを実践することと、
念仏成仏を具現するということ。この三者を一体にして尊いもの、大事なものと受けるということだ。

 信の対象は、教と行と証である。教と行と証であるというとは、阿弥陀仏ではないということ
も大事なことだ。阿弥陀仏を信じるのではなく、教・行・証を敬信する。
 これが最勝の直道に帰するということであり、求道ということだ。往生極楽の道だ。

 774さんはよく味わってみるといいだろう。229さんはお寺さんのようだ。求道とは禅問答ではな
い。「お前は何しに来た?」と言えるような自信のある坊さんになるといいだろう。

238: ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
07/11/17 10:33:12 baiHMNjU
     /´" ̄⌒⌒ヽ,,~
    /     ∧    \~
   彳丿; /,,,,,,,,\ u lヽ
   入丿 -◎─◎- ;ヽミ.  ・・・っと
    | u:.:: (●:.:.●) u:.::|
    |  :∴) 3 (∴.:: |
    ヽ、   ,___,. u . ノ、
     ヽ:.___;;;;;;;;;;___.ノ
   /      | ̄|´     \
  (      .ri_l      ヽ
   \   >!、_彡
     \   /

239:毎度 難
07/11/17 11:08:50 XJZ+HiNZ
ヾ(*´∀`*)ノキャッキャ

240:神も仏も名無しさん
07/11/17 12:22:29 uVUe7hyN
え~な良レスに戻ってま!妙好人さんや関西弁の方もどってきて、渡海 難って
頭悪そうな方ですね、本だけの知識みたいに感じますが、阿弥陀仏あっての
教・行・信でしょうが、信の対象は間違いなく阿弥陀如来ですよ。
だいたい阿弥陀仏と教・行・信を分けてどっちが信の対象というわけの
わからん解釈する方って現代風なんか?

241:神も仏も名無しさん
07/11/17 12:50:47 nlh96azf
>>240
キチガイ渡海難は無視すればいいんだよ。

242:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
07/11/17 13:25:10 VdHHLuUW
>240
> だいたい阿弥陀仏と教・行・信を分けてどっちが信の対象というわけの
> わからん解釈する方って現代風なんか?

247 名前:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI 投稿日:2007/10/15(月) 10:52:40 ID:Y1IVr1Lo
 のたまわく、南无の字は、聖人の御流儀に限りて、遊ばしけり。南無阿弥陀仏を泥にて写させ
られて、御座敷に掛けさせられて、仰せられけるは、不可思議光仏・無碍光仏も、この南無阿弥
陀仏をほめたもう徳号なり。しかれば、南無阿弥陀仏を本とすべしと、仰せ候なり(蓮如聞き書
き)。

 蓮如上人は言われた。南无という字は親鸞聖人の流派だけが使用している。普通、阿弥陀仏の
号(名前)は阿弥陀仏である。名号を掛け軸に書いて飾る場合、阿弥陀仏と書く。しかし、親鸞
聖人の流派だけは南無阿弥陀仏と書いて飾る。蓮如上人は南無阿弥陀仏と名号を金泥で書写し、
それをお座敷に飾った。そしてこのように言った。
 善導大師はどうして偉かったのか。南無阿弥陀仏は尊いぞと教えてくれたから、偉か
ったのだ。法然上人はどうして偉かったのか。南無阿弥陀仏は尊いぞと教えてくれたから、偉か
ったのだ。曇鸞大師はどうして偉かったのか。南無阿弥陀仏は尊いぞと教えてくれたから、偉か
ったのだ。お釈迦様はどうして偉かったのか。南無阿弥陀仏は尊いぞと教えてくれたから、偉か
ったのだ。
 不可思議光仏・無碍光仏、いずれも「南無阿弥陀仏は尊いぞ」と称賛するための徳号(名前
〔道具〕)である。阿弥陀仏〔道具〕が尊いのではない。道具が示す南無阿弥陀仏が尊いのだ。
だから、もっとも尊い南無阿弥陀仏を掛け軸に書いて飾るのだ。

243:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
07/11/17 13:26:01 VdHHLuUW
248 名前:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI 投稿日:2007/10/15(月) 10:54:10 ID:Y1IVr1Lo
 無上仏と申すは形もなくまします。形のましまさぬゆえに、自然とは申すなり。形ましますと
示すときには、無上涅槃とはもうさず。形もましまさぬ様を知らせんとて、始めて弥陀仏とぞ聞
き習いて候う。弥陀仏は、自然の様を知らせん料なり(親鸞 末燈鈔)。

 無上仏は形而下(有形)の存在ではない。形而上(無形)の存在である。架空である。観念で
ある。形而下の存在ではないからこそ、自然という概念が導かれてくる。形があれば無上涅槃と
は言わない。観念的・抽象的あり方を明らかにするため、一番最初に比叡山で阿弥陀仏というも
のの講義を受けたとき、阿弥陀仏というのは、自然という概念を教えるための資料であり。道具
である。方法論であると教わりました。

244:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
07/11/17 13:35:34 VdHHLuUW
 桃太郎さんを信じることが大事なんじゃないんだ。桃太郎さんは人々に、悪いことをし
てはいけない。いいことをしなさいという、人の道を教えるための資料なんだ。桃太郎さ
んは架空なんだ。道具なんだ。

 正しいことをしようという教え、それに従って正しいことを行うという行動、正しいこ
とを行って得られる幸せ。この三つが大事なんだ。桃太郎さんを信じるということは意味
がない。教と行と証とを心に秘めていくということが大事なんだ。

 桃太郎さんと、桃太郎さんの教・行・証とはしっかり分けて考えていこう。

245:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
07/11/17 13:39:40 VdHHLuUW
 数日間カキコ不能の予定。

246:神も仏も名無しさん
07/11/17 18:11:39 uVUe7hyN
240です。基地外といわれる所以がわかりました、まさに信に迷った方が
おっしゃる言い方ですね、そういった難しい解釈をしなくとも名号に教・行・信
がこめられているのを解っているからこそ南無阿弥陀仏だけでいいんです。
ゆえに信の対象は阿弥陀仏でしょうが、そんな学者みたいな解釈は必要ない
のです、渡海 難のいいたい事もわかるけど、浄土往生にまったく役に
たちませんよそんな知識は。念仏行者(信を得た人)は信を得た後に自ずと
十八願の云われをしみじみと味わう方がほとんどです、ですからよき人(行者)
に誘われてなにもしらずとも十八願の御座にあわせていただく事こそもっとも
大事な事となるのです。




247:サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2
07/11/17 18:19:53 W4YsgMHu
つまり
キチンと信心しなきゃ救われないんですね

ていうか信が重要ですか?
上の空のお念仏は駄目ですよね?

248:月見うどん ◆GQVAicDWLY
07/11/17 19:02:49 PWhmumPN
その信すら与えられるもので、自力で得るものではない。

徹底的な他力。

249:神も仏も名無しさん
07/11/17 19:18:15 xLuhdI3+
勝利を掴むには他力本願じゃダメなんです。自力本願でないと。

250:神も仏も名無しさん
07/11/17 20:05:07 pdeHetXB
>>247
だめです。
でも信じるためにこちらから能動的に動かないのはもっとダメです。

251:毎度 おおきに
07/11/17 20:19:57 XJZ+HiNZ
ヾ(*´∀`*)ノキャッキャ

252:サロメおたぁ ◆wHb3.gs/E2
07/11/17 20:23:01 W4YsgMHu
>>250
そうですか
決して受動ではないのですね

253:神も仏も名無しさん
07/11/17 21:58:13 Igb5j/EM
勝利ってなに?現世利益?

254:神も仏も名無しさん
07/11/17 22:51:31 XJZ+HiNZ
>>253うん

255:7
07/11/18 09:31:11 CXciZxWU
俺、信心決定したら、この世の苦しみが楽になるかと思ったけど、どうもそうでは無いんだね。
極楽浄土、そんな清浄な世界を求める心なんて俺にはありゃしないが、どうすりゃいいんだ。
ただ、苦しみに満ちたこの世が嫌なだけ。ただ、この世に刹那の快楽を求めてそれを繰り返すだけ。
迷い惑うて、何かを信じる心もころころ変わるだけ。真宗にこそ解決の道がある、と思ったけれど、
それがただの早合点に過ぎないかも知れないと思えば、ますます不信が深まるばかり。
仏法。法座。阿弥陀仏。信心。求道心が分からない。何を、どのように、求めていくべきか。
本当に求まるのか。今までの思いは一時の熱病がごとく冷めてしまい、ただ呆然とする自分がいる。
虚しいやら、切ないやら。欲しいのは、現世利益。目先の快楽。この今という一瞬の充実、満たされた思いが欲しい。
死ぬとどうなるか、サッパリ分からない。自分が何に迷うているのかも、自分の本心も、もう分からない。
口先ばかりだ。先延ばしとその場しのぎがあるだけだ。頭の中の説法道場で、思考遊戯を繰り返す。
信心決定?南無阿弥陀仏?聞いても、覚えても、思っても、考えても、どんどん遠のいていく気がする。
やりきれない。

256:7
07/11/18 10:39:05 CXciZxWU
信心決定した世界。この世の苦しみは、因果の道理。痛みや悲しみが無くなる訳がないことは、分かる。
しかし、平気になるんじゃないか、とか、思ってしまう。
獲信者と断言される方、念仏を喜んでおられる方、にも何人か出会うことが出来た。
しかし、話をすると、何だか悔しいやら腹が立つやら。その心がどんな精神的世界に住み、どんな境地にあるのか、サッパリ分からない。
何を言っても間違っている気がして、心を閉ざしていく自分が居る。そして、居場所はない。
もとより信心のあるなし、三業では判断できないとなれば、自身で己の心を見ることも、三業による判断に頼りすがっているわけだ。
虚しい。俺は未信の者だと思う。これは自身の三業による判断だ。どうしてもそうなる。大バカモノ、言われてケッコウ。
俺は本当に求道する気があるのか?何を求め、何を道だと思っているのか。全て振り出し。振り出しに戻れ、のコマに停まってばかり。

257:774
07/11/18 12:07:33 79+gDoF3
>256
時間ができたので、少しだけ。凡夫の精神的境地など、真宗は相手にしません。
阿弥陀如来が必ずあなたを苦しみ迷いなき浄土に参らせる、
それだけです。あなたが参りたいと言おうが、参りたくないと言おうが、
有無も言わせません。阿弥陀如来は必ずあなたを一切の苦悩なき浄土に参らせる。
一切の苦悩を引き受ける仏となさしめる。真の智恵と慈悲に基づく喜びを獲させる。
間違いの欠片さえない、一切智者のお約束です。凡夫の約束とは雲泥の差ではありませんか。
聞いて間違いなく決定するのではなく、間違いない決定を聞く、それがご当流です。


258:7
07/11/18 12:33:05 CXciZxWU
>>774様 レス有難うございます。
 その、聞くということも分かりません。まさか十劫安心の方ではないでしょう。
 確かに阿弥陀仏の本願は、全ての人を救うお約束だと聞いております。
 しかし、救われたと喜ぶ人、求まらないと言って悩む人、全ての人が救われていないのが現実じゃないですか?
 そりゃ、宿善が違うから、と言われたらそれまでですが。
 自分は、全然、聞けない。何度も聞こうとする、聞いて解決しようとする、これは全て自力ですか。
 ならば、無為に過ごすべきなんでしょうか?仏法を聞きに言ったりする自分も如来のお手回しと聞きますが、この心には、他力の他の字も見当たらないのです。

 それに、信心決定後に、あの頃信心獲得したいと言っていたのは全く口先だけだった、と振り返る方がありましたが、
 そんなこと、決定後だからこそ言えることですよね?今何を言っても口先だけになるから、何も言いたくない、と諦めるのとは違うんですよね?
 今は、必死に求めよと?

259:神も仏も名無しさん
07/11/18 13:30:08 uB5M0xmi
なかなか深い対話だと思う

260:神も仏も名無しさん
07/11/18 14:37:45 vLRf/GaX
>259
 外に言うことはないの?


261:774
07/11/18 14:53:24 79+gDoF3
>258
必死になった人が聞こえるように、南無阿弥陀仏は仕上げられているのでしょうか。
一切智を獲、自利利他が完成している仏の立場から見られたら、私ども凡夫はどのように写るのでしょう。
仏は、私をどのように見、利他の立場から、救済するにはどのようにしなければならないと
思惟されたのか?そこを問いたずねてみたらいかがでしょうか。
試みに如来の立場から、考えてみたら、ということです。
次に、あなたの抱いている十劫安心の定義とは何ですか?前にも話にあがり、
説明させていただいた覚えがあるのですが。私の解釈が間違っているのならば、
あなたが定義している十劫安心の考え方とは如何なるものなのか教えて下さい。


262:774
07/11/18 15:06:57 79+gDoF3
南無阿弥陀仏
私を離れた如来なし
如来を離れた私なし
響流十方大正覚
二利円満の不思議哉
こういう如来になろうというのが本願であり、また本願力である
その如来様が南無阿弥陀仏である
仏法は易中の易、こんな易いものであったのか
知解分別のことばを聞くな、他の人のありがたいすがたを見るな
妄念は凡夫の地体なり
妄念の外に別に心は無きなり
自分の心は刹那刹那に変化する、流水に描いた画のようなものである
どんな心になったら助かるのか
なっても、また変わるぞよ
どんな心持ちになりたいと思うておるか
なっても、地獄へ落ちるぞよ
どんな心も、如何なる心持ちもあてにするな
凡夫というものは箸にも棒にもかからぬものである
親様がなぁ あればこそ
稲垣瑞劔師『大信海』


263:神も仏も名無しさん
07/11/18 16:28:50 2SWBM4fN
7サンへ、その、聞くということも分かりません。当然だとおもいます。
それは言うにいえぬ訳があるからです。あなたがお会いした獲信者と断言される方、
念仏を喜んでおられる方、にも何人か出会うことが出来た。 といいますが本当に
信を得た方はそのように言いませんよ。なぜなら言ってはいけないからです。また
このように言うと外道だと非難する方がわいて出てくるのを承知で言っていますよ。
故にみなさんは迷うのです、また誤解されそうな事をいいますが、現在の信宗の坊さん
に知識(善智識=如来より授かった知識をもって衆生済度(十八願)ができる方)は
いないのです、親鸞聖人より平民に分授されているからです、ただし蓮如さんは例外ですが
このことは本当はこのようなところに書いてはいけないのですが、7さんのような方がいる
からつい我慢できず書き込みました。このことをどのように捉えるかはみなさんの
自由です、わたしがいえることは例を挙げると近くの地蔵さんや観音様にどうか十八願のご縁
を授かるようにと手を合わせてください、断言します必ず虚しいことではありません。
たとえ娑婆でご縁に会うこと事がなくても心から願うような方は死後、生前お参りした如来・菩薩
方は放っておきませんから虚しい事では決してありません。このことに関してからかう
ような方は相手にできませんので勘弁してください。

264:神も仏も名無しさん
07/11/18 16:53:51 rBbn2vW1
親の大恩十種を忘れないようにしましょう。

仏教では殺るよりも、劣らぬものは思う罪といわれ、心で殺すとは、ひとつ屋根の下に暮らしていながら、ろくに口も聞かず、食事も別々に取り、呼ばれても聞こえないふりをして、親を邪魔者扱いするのは、心で親を殺しているのです。



265:神も仏も名無しさん
07/11/18 16:57:50 uZA5LYzV
子供作る奴が一番子供の事を考えていない!11
スレリンク(jinsei板)

266:神も仏も名無しさん
07/11/18 17:40:25 vLRf/GaX
>264
道徳の押し付け・売り

267:774
07/11/18 18:21:06 79+gDoF3
>263
土蔵秘事系ですね。未だに現存しているのでしょうか?
非常に興味深いです。善知識を特定の人物と取り、その資格が相続されていくという宗旨ですね。
問題点は、善知識の定義にお聖教上の根拠がない。
お聖教の一部だけを取り出して、
他のお聖教との比較検討をしない(断章取義)ため、矛盾が発生する。
真宗は秘密主義ではないのに、秘法が存するかの如く説く。
江戸時代、寺社奉行の摘発対象とされましたが、この情報社会に、
現存しているというのは、ある意味、すごいことだと思います。
人間の欲求と、それに基づく行動は、昔も今も大差なく、
現代人が精神的に成長してきたかと言えば、そんなことはないと思い知らされますね。
智恵を重視してきた仏教の伝統と言うのも、実に大切なことだった、
とも思いました。

268:神も仏も名無しさん
07/11/18 18:28:34 UWupbbv2
>>266=260=渡海難

お前も押し売りと同じだけどな

269:神も仏も名無しさん
07/11/18 18:50:08 TQ0arCwU
熱心な人が多いですね。

270:神も仏も名無しさん
07/11/18 19:47:35 rBbn2vW1
>>266

親を大切にしないと因果応報で自分に帰ってきます。



271:神も仏も名無しさん
07/11/18 22:37:22 6mAdUDHC
南無は帰命、帰命の帰は至る、命は召す、と親鸞
は釈しているから、阿弥陀仏=無量寿光
の仏に召し至らせる意味となる。

南無阿弥陀仏の名号は、阿弥陀仏が衆生
の為に姿を変えて現れた方便法身だから、
南無阿弥陀仏は阿弥陀仏に召し至らせる
仏とも言える。

南無阿弥陀仏は阿弥陀仏が姿を変えたもの
だから、南無阿弥陀仏はそのまま無量光寿
の徳を持つ。
阿弥陀仏はまた、浄土全体が阿弥陀仏の
身体であるから、南無阿弥陀仏はそのまま
無量光明土とつながる光明の一筋とも言える。

南無阿弥陀仏の名号以外に、浄土真宗の信心は無い。

272:7
07/11/18 23:48:26 uCCH4rra
土蔵秘事はご勘弁願います。オープンな姿勢でないと自分のような臆病な人間は近寄ることすら出来ません。

十劫安心、僕もよくは知りませんが、阿弥陀仏が五劫思惟された本願は成就されてから既に十劫という時間が経過したと聞いていますが、
その時に、既に全ての人が救われた、と解釈する安心でしょうか。この世でハッキリするも何も、もう既に救われていると。
そういう考え方なのかなぁ、と。つまり、信の一念を無視しているんじゃないか、と。

>>774様、262のレスに何とも心が惹かれます。稲垣瑞劔師『大信海』、自分が今あてにしようとしているものをバッサリバッサリ。
 どうしても救いの構造、システムや理論ばかりが気にかかり、他人が喜んでいる姿ばかりが気にかかり、自身の妄念を嫌い無くそうとし、
どんな心になったら助かるのかと思案し、どんな心境が訪れたら信心決定かと想像するばかり。
 今の自分の姿です。箸にも棒にもかからない・・・このあたりまだ自分は懲りていないというか読み流す余裕があるようです。ため息。

273:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
07/11/19 10:51:15 JK9Ue91K
>>246
 渡海難です。240が基地外といわれる所以がよくわかりました。まさに信に迷った方がおっしゃ
る言い方ですね。

 桃太郎さんが架空の存在ですって?。そう言った学者みたいな難しい解釈をしなくても、南無桃太
郎さんというお名号には、正しいことをしなさいという教・正しいことをするという行為・正しいこ
とを信じる信の三つが込められているんですよ。そういうことが分かっているからこそ、「南無桃太
郎さん」だけでいいんですよ。
 ゆえに、信の対象は桃太郎さんでしょうが。桃太郎さんは架空だとか、桃太郎さんと、桃太郎さん
の教・行・証とを分けなさいなどと、そんな学者みたいな解釈は、私たちには必要がないのです。
 桃太郎さんは宇宙の中心なんです。桃太郎さん天国に実在する永遠の命です。

 渡海難がいいたいことも分かるけど、桃太郎さん天国に行きたいなら、渡海難がいうようなことは
全く役に立ちませんよ。桃太郎さんは架空の存在だとか、桃太郎さんと、桃太郎さんの教・行・証と
を分けなさいなどとか、そんな知識は全く役に立ちません。
 正しいことをする人(正しいことをしなければいけないという思いを持った人)は、そういう思い
を持った後に、自ずと桃太郎さんの御本願の云われをしみじみと味わう方がほとんどです。
 桃太郎さんは、おじいさんと、おばあさんに御本願を立ててくださいました。自分が大きくなった
ら、必ず鬼退治に行こう。鬼をこの世から無くそう。鬼がこの世にいる限り、自分は大きくならない
うようにしよう。桃太郎さんはそう御本願を立ててくださいました。そして立派に鬼退治をしてくだ
さいました。
 ですから、講談社など、絵本を作ってくれているよき人(正しい人)に誘われて、何もしらずとも、
「鬼退治をしてくるぞ」という桃太郎さんの御本願のお話の場にあわせていただく事こそ、もっとも
大事なことなのです。

 ああ~、桃太郎さん桃太郎さん。お腰に付けた吉備団子、一つわたしに下さいな。なんという素晴
らしい心でしょうか。


次ページ
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch