08/08/14 21:24:17 78ztyrcE
>>354
信仰はあくまでも一人一人。
そこに教会長が介在しようが、あくまでも自分と神との対話。
天理教では、しっかり教えを学べば学ぶほど、そこに行き着く。
また、>>351さんが書いてるようなケースが >多数を占め るとは、どこから来るのだろうか?
信仰に基づけば、先に書いたように、その環境に置かれる本人の問題も否めない。
>天理教の場合、相手にとってはお節介。ありがた迷惑でしかない。
これは、大きな受け取り方の違いだし、本当にそうならば、もっと早いペースで教会自体が衰退する。
教会が増えることも有り得ない。
未だに、新しく教会になるところがあるのも、自分の廻りにも少なくはあるが確実にある。
そこには、一時の救いではなく、確実に繋がろうとする人の輪がある。
きちんとした信仰無くして、根本の救いも無く、一時の救いならば、また災難は繰り返す・・・
だからこそ、子供達にもその家々の救われた元一日を伝承するため、幼い内から馴染んで貰う。
更に究極の目標たる、「ようきぐらし」を垣間見られるよう、楽しい数日を過ごして貰う。
「こどもおぢばがえり」の根本を思い返すだけでも、それくらい考えが及ぶでしょ?
これ以上書くのは、スレから大きく外れていくから、自重願いたい。