08/08/02 23:48:18 KtnZA/Qc
私は生まれたときから天理教の家に育ったから、幼少時からの記憶がすべて
天理教と関係がある。だから、天理教をのぞいて今の自分はないし、
それでよかったと思っている。天理教であることを、自分で喜んでいるよ。
お供えはどうでもいい。母親に仕送りしていて、その中から都合のいいだけを
私の分としてお供えしてもらっている。
奇跡はあるよ。天理教だからかどうかというのは知らない。しかし人間の世界には
奇跡はたしかにある。末期がんで最後に自宅で看取られるために家に帰された人が、
今、母の友人として、元気に農作業をしている。これ、今年の話。
癌が完全に消えたわけではないけれども、死にかけていたのが、なぜか、農作業が
できるまでになっている。
私は子供のころからおさずけを受けながら育った。何があってもおさずけだった。
医者ももちろん行くけどね。両方でいいんじゃないかな。