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熱原法難研究最前線
『弟子分本尊目録』
神四郎兄・弥五郎弟 □□郎=弥次郎(北山本門寺14世の日優写本一六六四年)
堀上人『熱原法難史』 □□郎=弥六郎 三烈士三兄弟説
讒訴人舎兄弥藤次入道(次男?)弥次郎(次男?)次男二人は変。日優写本は誤写である。
弥五郎の弟なら弥六郎で辻褄があう。
堀上人「わざと弥六郎としたが、もし兄弟でなければ弥六郎とはいい切れない」=根拠薄弱。
斬首の日時
熱原法華講衆の鎌倉連行は弘安二年九月二十一日。
『滝泉寺申状』弘安二年十月 日(宗祖の陳状案)身延→鎌倉・日興上人到着は十月十四日頃。
『聖人等御返事』弘安二年十月十七日
今月十五日酉時御文、同じき十七日酉時到来す
目師からみる当時の交通事情は鎌倉から大石寺まで3~4日。
結論:日達上人弘安二年十月十五日説が妥当。