07/07/08 12:57:41 qCEEznjT
スレリンク(psy板:379番)
こちらにレスする。「十王讃歎抄」につき格別論じることはない。
>>また僧俗の役割から僧侶が追善供養の執行をするのは当然かと思うが?
後世できた化儀だろ。
固定化・法事の数が増えるのは、江戸時代の檀家制度による。
一方、釈尊は、出家(修行者)は私の葬儀にかかわらなくていいと言い残している。
現代に僧侶は不要との立場であろうか。釈尊のことは「大般涅槃経」だね。
やっつけ仕事だね。ググルとあっさり参考にしたと思われるサイトを見出した。こちらは以前から持ち出されているから
反論も沢山載っている。
佐藤弘夫教授は信用しないほうが賢明だ。とても旧帝大教授とは思えない論文しか書けない。
>一方、釈尊は、出家(修行者)は私の葬儀にかかわらなくていいと言い残している。
しかし仏弟子たちは釈尊の葬儀に積極的に参加している事実も見逃せない。釈尊は阿難尊者に葬儀方法を示され
在家は大迦葉尊者の到着まで火葬の執行はしていない。
浄飯王崩御の際釈尊は(息子でもあるが)葬儀を主宰遊ばされる。
「宗祖御遷化記録」「日興上人御遷化次第 」勿論御書そのものから、あるいは宗史の上から
>僧俗の役割から僧侶が追善供養の執行をするのは当然かと思うが?
幾らでも主張できる。江戸時代の檀家制度は国家佛教として明治以降より余程ましである。
佛教を堕落させずに利用して現在に良い所を生かせば良い。