08/02/23 21:55:44 wEmT1SQp
天理の事を真剣に案じて論じるのならば、教団の存亡とか、表面の騙したとか
騙されたとか、そう言う枝葉の話しは止めませんか?
確かに多くの教会があり、教会長が居て、信者がいれば、道を外れた事もあるかも
しれません。それは公にして、今の民事、刑事に委ねて、我々はもっと、本質の
話しをするべきです。①何故、中山みきに神が降りたのか?②神は何を人間に伝えたかったのか?
③神は我々に何を言って残したのか? 三原典と言われる、みかぐらうた、おふでさき、
さしづに何が書いてあるのか? それから外れるから、目を覆いたくなる、耳を
塞ぎたくなる、哀しい天理教になったと考えます。議論をされている方たち、
①~③に答えてください。