07/12/01 11:54:00 60oBcP54
スレタイと内容が違うやん!
親鸞と違うやん。
324:神も仏も名無しさん
07/12/01 12:35:22 5vWprmEy
>>322-323
ここは世間では誰からも相手にされないキモヲタ親父の妄想オナニースレなのでageないでください。
325:神も仏も名無しさん
07/12/02 12:18:58 k4g4YpJQ
京都の常楽台で親鸞聖人の骨が出てきたので、檀家から10万円の割り当てが来ていますがみなさん払いましたか?
326:神も仏も名無しさん
07/12/02 12:20:45 ukFzvLs+
ご遺体は腐敗していなかった 日本を愛した宣教師 チマッティ神父様
URLリンク(www.v-cimatti.com)
URLリンク(www.v-cimatti.com)
キリスト
「最も大きな罪を犯した人であっても、わたしの憐れみを願うならば、
わたしは、彼に罰を与えることが出来ない。その代わりに、
わたしの限りない、はかり知れないいつくしみによって彼を義とする」
URLリンク(www.nowaksvd.opoka.net.pl)
キリストと会話できる女性 ヴァッスーラ・ライデン
URLリンク(www.tlig.org)
キリストの人生を見せられた女性 マリア・ワルトルタ
URLリンク(swedenborgian.hp.infoseek.co.jp)
病を持ちながらも信仰心が篤かった女性 マルタ・ロバン
URLリンク(homepage3.nifty.com)
アレッサンドリーナ・ダ・コスタ
URLリンク(www.salesio.jp)
URLリンク(salveregina.dyndns.org)
カトリック書店一覧
URLリンク(www.cbcj.catholic.jp)
カトリック教会マップ
URLリンク(www.cbcj.catholic.jp)
327:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
07/12/03 20:22:00 +hFSfBnq
釈迦の下からは多くの賢人・哲人達が育っていった。やがて、その中からある種の疑問を持つ
者が出現してきた。自分たちは、教わるだけでいいのだろうか。自分たちが認識していれば、そ
れで十分なんだろうか。認識したことは、より多くの人々に拡散していくことこそ、人として実
は最も重要なことではないのか。自分たちが認識したことを、他の人々に幅広く伝えていくこと
こそ、あの釈尊先生の本当の精神ではなかったか。
釈尊先生は生涯を教育に捧げられた。自分たちも、あの釈尊先生のそんな生き方に倣おうじゃ
ないか。釈尊先生は我々に大事なことを教えてくれた。我々も自分たちが認識したことを、後の
世に伝えていこうじゃないか。自分たちが知り得たことを、多くの人々と共に共鳴的・共感的に
その共通の財産として享受し合おうじゃないか。自分たちが分かっただけではなく、多くの人々
と共に共感的に享受し合えるようになったとき、始めて我々は正しい認識を得たと、そのように
受け止めることにしようじゃないか。大乗仏教は、このように考える人々から発生してきた。
アフガニスタン・パキスタン・カザフスタンなど、現代ではイスラム圏となり、激しい戦火を
交えている地域で、仏教者達は始めて「教育学」に目覚めた。彼らは、学習と教育に最高の価値
を認める考え方を大乗仏教とよび、それいがいの仏教を小乗仏教と呼んだ。大乗仏教は、学習と
教育に最高の価値を認める教育学をその本質とする。
328:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
07/12/03 20:22:52 +hFSfBnq
大乗仏教の祖師達が教育学の重要性に目覚める前、教育というものがはかったということでは
ない。教育はそれ以前にもあった。しかし、教育というものを、他から独立した行為として認識
に、そこに隔絶的絶対的圧倒的な最高の価値観を認めるということは、この大乗仏教から始まる。
自らが孤高の道を究めて行き、そこに入門者が門を叩いてくれば入門を認めるが、自らが積極
的に弟子達を求めていくと言うことは、恐らく釈迦以後は大乗仏教の発生までしばらく無かった
ことだったろう。
かつては日本でも、大工も左官も料理も、後継者達は徒弟制度の中で先輩の技術を盗んで学ん
でいった。こうした職業を専門に教える学校ができたのは、戦後であり、すくなくとも明治以前
にまでは遡らない。教育というものはあくまで従属的なものであり、付属的な行為と考えられて
いた。そうした現実を考えれば、大乗仏教の祖師達が、西暦紀元前後、教育という活動に絶対的
圧倒的な最高の価値を認めたということは驚異的な事だろう。大乗仏典とは、人類最古の教育学
の書と言って間違いない。
教育・学習こそ、人間にとってもっとも崇高で、絶対的価値を有する行為である。浄土真宗と
は、まさにこうした価値観を核心部に持った大乗仏教を母胎にしていることを忘れてはならない。
329:神も仏も名無しさん
07/12/08 23:15:55 PxGIirZb
輪廻とは何でしょうかね ?
一般には、人間にはそれぞれ「自我」だの「霊魂」だのと呼ばれる肉体の死後も残る永遠不滅の
実体があって、それが六道等と呼ばれる様々な世界に生まれ変わっているというのが輪廻転生と
いう考え方であり、浄土教とは念仏を唱えればその六道の輪廻を断ち切って「極楽浄土」と呼ば
れる天国のような所に転生できるという教えであるという認識だと思うのですが。
だが例えば>>278のレスを読む限りでは個々人にそれぞれ輪廻転生する主体たる不滅の実体があ
るという認識とは思えない。
また>>97他のレスを読む限りでは極楽浄土や六道という世界も死後にその人間の実体が転生する
客観的実在世界などではなく、生きている人間の心が彷徨する主観的世界であるという考え方と
読み取れますが、そういう認識でよろしいのでしょうか。
330:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
07/12/09 00:54:16 B3n9kAmR
> 329
> 輪廻とは何でしょうかね ?
> 278で「これを輪廻という」という言葉を書きました。今はこれ以上最適な表現はないと思っ
ています。この説明で御理解いただけないなら、これ以上の説明は私には重すぎます。
人は時に天になり、阿修羅となり、地獄・餓鬼・畜生にもなる。これを輪廻という。私はその
ような説明をしております。念仏はこの輪廻を分断します。
> だが例えば>>278のレスを読む限りでは個々人にそれぞれ輪廻転生する主体たる不滅の実体が
あるという認識とは思えない。
何か不滅の主体があるかどうか、それは私には分かりません。しかし、浄土教の輪廻論は、不
滅の主体があれば肯定され、不滅の主体がなければ否定されたり、逆に、不滅の主体があれば否
定され、不滅の主体がなければ肯定されるというような、不滅の主体の客観的存否で左右される
ようなものではないと思っています。
>生きている人間の心が彷徨する主観的世界であるという考え方と読み取れますが、そういう認
識でよろしいのでしょうか。
主観的世界と思いますが、「人間の心が彷徨する」という言い方に引っ掛かるものを感じます。
歌謡界は人間の心が彷徨する世界でしょうか。政界は人間の心が彷徨する世界でしょうか。文
壇界は人間の心が彷徨する世界でしょうか。
これらは、そこに所属する人々にとっては紛れもなく厳然として存在する世界でしょう。その
中で彷徨する人もいますが、不動の地位を確保している人もいます。極楽とは、仏道者にとって
のそのような世界だと思っています。
331:神も仏も名無しさん
07/12/09 01:48:24 uC6mJV6P
>>渡海氏
すごい勉強量ですね。独学のみであれば尊敬に値しますよ。
しかし、同じく親鸞の教えを学ぶものとして、了解に何か違和感を覚えます。
そこで今後の勉強の為に質問させてください。
どのような本によって勉強したのでしょうか?
あと、『教行信証講義集成』か山辺習学・赤沼智善の『教行信証講義』は読んだことありますか?
332:南無大師遍照金剛
07/12/09 02:09:23 /hJQHw/S
>>331
ヽ(´∇`)ノないにょん♪
つか
嵐に北にょん♪
333:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
07/12/09 10:57:48 B3n9kAmR
>>331
>すごい勉強量ですね。
気に入った考え方があったら盗んでいってください。ただ、余所で公表する場合、インターネ
ット2ちゃんねるで渡海が主張していたと、出所だけは明らかにして欲しいと思います。できる
だけ、URLと月・日・時刻も表示してほしいものです。情報源に対する礼儀だと思います。僕は、
大量の書き込みをしていますが、著作権を放棄しているつもりはありません。
>独学のみであれば尊敬に値しますよ。
独学とは言いません。しかし、思想はほとんどオリジナルです。
念仏を称えるということは、人から教わりました。どう称えるかは、親鸞聖人から直接教わり
ました。
>了解に何か違和感を覚えます。
どんな出会いでも、もし違和感がなければおそらくそこには嘘があるでしょう。
貴方が違和感を覚える思想に始めて出会ったということなら、これまで貴方は全て自分を偽る
嘘の道を歩んできたということかも知れません。
始めて違和感を持ったというなら、2ちゃんねるの渡海難とは始めて真の出会い方をしたとい
うことかもしれません。
>どのような本によって勉強したのでしょうか?
2ちゃんねるだけでも渡海難は膨大な量の書き込みをしています。その中で、ほとんど出典を明
らかにしています。出典範囲は比較的限られています。
>山辺習学・赤沼智善の『教行信証講義』は読んだことありますか?
僕の教行信証論は、『教行信証講義』批判を原点としている部分があります。教行信証論で、
ある考えを「通説」という指定の仕方で表示し、それを批判する批判説を渡海説として提示して
いる場合があります。その場合の通説とは、ほとんど『教行信証講義』を指しています。
334:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
07/12/09 11:03:19 B3n9kAmR
>332
まあ、嵐はどっちでもいいけど、それより飲みにきませんか。
東京からは遠方に当たる所にお住まいですか。
>>321に新年会の予定を書きました。都合がつけば、
いらっしゃいませんか。掲示板ではできない接触もできそうです。
335: ̄ ̄ ̄ ̄\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
07/12/09 11:26:30 K8OUMTff
/::::::::::::::::::::::::::\~プーン
/:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::\~プーン
|:::::::::::::;;;;;;|_|_|_|_|~プーン
|;;;;;;;;;;ノ - -ヽ~
|::( 6 ー─◎─◎ )~
|ノ (∵∴ ( o o)∴)~
| < ∵∵ 3 ∵>
\ ⌒ ノ_____
\_____/ | | ̄ ̄\ \
___/ \ | | | ̄ ̄| カタカタ カタカタ
|:::::::/ \___ | \| | |__|
|:::::::| \____|つ⊂|__|__/ /
|:::::/ | ̄ ̄ ̄ ̄| 〔 ̄ ̄〕
336:南無大師遍照金剛
07/12/10 00:14:17 pFpMQbqd
>>334
(ノ_<。)刺されそうで怖いぉ…
337:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
07/12/10 00:54:36 m2P6FGyG
>336
どうぞご自由にご判断下さい。
338:神も仏も名無しさん
07/12/10 02:43:30 nVQJ7hpL
す オ 意
る ロ な 味
わ オ く も
は ロ
/
c ,. -─-、
c /´ ̄ ̄`丶、 / r、lゝ、ヽ、っ
けレ^ヽイゝ、 ト、 // ノ^′─┴t,ゝ っ
A-─ ‐-、 Y l l /#! k' / _ l | __l__
_,l__ レヽ T'j u メ./#j 〈##〈 ヘ u 〈_`j ,ハ /|
/| ⊂ニ`ー--‐ム'-'′ ` ̄V ゝ‐-=-‐'´スヽ ┌┐
┌┐ ヾ(ン'⊂ニ , ヽ、 ~⊂ニ、 マ ニ⊃)) └┘
└┘ ヾ(ンヽマ __ゝ - どイ マ‘マ_」
`´Uヽ) ~ `(フ ̄U
339:神も仏も名無しさん
07/12/10 13:41:57 kwwPEnTz
:::::::::::/ ヽ::::::::::::
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:::::::::::.ゝ モ つ み ノ:::::::::::
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::::: | な。 ゙i ::::::
\_ ,,-'
―--、..,ヽ__ _,,-''
:::::::,-‐、,‐、ヽ. )ノ
:::::_|/ 。|。ヽ|-i、 .. / ̄ ̄ ̄ ̄
/. ` ' ● ' ニ 、 (____人
ニ __l___ノ (-◎-◎一
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|( ̄`' )/ / ,.. ( ε (∴
`ー---―' / '(__ ) ヽ____
====( i)==::::/ ,/ニ渡海 難
:/ ヽ:::i /;;;;;;;;;;;;;;;;
340:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
07/12/11 09:57:18 axDpLY39
大乗仏教は、西暦1世紀前後に中央アジアで発生する。釈迦が生存していた時代は、諸説ある
が、恐らく西暦紀元前4,5世紀だろうと思う。大乗仏教の思想というのは、その間、ゆっくり
と時間をかけて熟成してきた。
釈迦が北インドに創建した祇園精舎は、それ自体が大きくなると同時に、各地に分校が広がっ
ていった。大乗仏教とは、中央アジアに拡大していったそのような分校集団の中で発生していっ
た極めて進歩的な思想である。彼らは大量の経典を排出した。その中の一つに「極楽の美しいあ
りさま」という経典がある。中国語には「大無量寿経」という名で翻訳された。
仏教の経典は全て阿難尊者が著したということが、仏教上の約束になっている。当然、「極楽
の美しいありさま」も阿難尊者が書いたということになっている。阿難尊者とは、釈迦教団の第
三代の最高指導者である。彼は釈迦の直弟子の一人であり、釈迦とは三十歳程度年齢が離れてい
た最も若い弟子の一人だった。釈迦晩年の25年間は常に釈迦の最も近くにあっという。釈迦の
直弟子であれば、やはり紀元前4,5世紀の人だろう。非常に長生きをされ、非常に長期間釈迦
教団を指導したそうだが、大乗経典の発生は、阿難の死後、さらに数百年後のことである。阿難
尊者が著したというのはあくまで仏教教団の約束上の話であり、当然、実際の著者は他にいると
言わざるを得ない。
341:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
07/12/11 09:57:56 axDpLY39
西暦紀元一世紀頃になると、中央アジアから南インドにかけ、インド各地には、粗密の程度は
あっても、地理的に多数の分派教団が散在していたと思われる。その頂点には祇園精舎があった
が、中央の統制は緩やかで、むしろ地理的に近在する分派教団同士は類似の考えで相互に緩やか
にまとまり、緩やかな連合体を形成していたと思われる。
経典類は、そのような分派教団の構成員が独立的に提案し、全体の合議の下で共通テキストと
して必要に応じて承認していったものではないだろうか。「極楽の美しいありさま」もそのよう
にして分派教団の緩やかな連合体の中で、一構成員から提案され、全体の公式の承認を受けた経
典なのだろう。承認を受けた経典は、阿難尊者の著作という評価を受け、承認した分派教団全体
に配布されていった。承認を受けられなかった経典は、ニセモノという評価をされ、連合体から
排除されていった。
「極楽の美しいありさま」とは、人々に学校の建設を勧めるテキストである。分校を建設せよ。
分校を建設して近在の人々に学問を教えよ。学校はどのような価値観をもって運用していくのか。
大無量寿経は、祇園精舎建設の精神をベースとして、学校というものあり方を説明する人類最古
の教育論である。
342: ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
07/12/11 11:05:44 tF5og+qw
_./ ̄ ̄ ̄ ̄\
/( 人____)
/ .|ミ/ ◎ ◎ )
,/ (6 (_ _) )\
`、 `,| ∴ ノ 3 ノ‐'`ノ モワ~
キタ━━━ \ ヽ,._____ノ ノ━━━!!!!
豸. ``Y" 拜."..::.::.::.::.::・・'゚。.・'゚。.::。.::・'・'゚。.::。.::・'・'゚。.::。.::・'・'゚。.::。.:
;": :: i. 、 ¥ ノ ・'゚。.:・・'゚。.::。.::・'・'゚。.::。.・:(;´Д`)オエーッ
; .;: :∴:(. ` -‐´;`ー ) ・'゚。.::。.::・'・'゚。.::。.::・・'゚。.::。.::・''・'゚。.::。.::
. ': .;".;": ( 彡 ミ ) モワ~
: .;"∵;": ::″: ; ゝ '´ ̄"`ヽ
: .;".;":: :.;".;": / ■_,,,,,、 ノ
´ ..‘ :´ ;` :. ~. ;. / /`' ( ノ
:´ `: .``:. ;' ~ヾ ( ノ | (_,,-,,,
: : .~.. :´; ` :` , `: \ `ヽ / __ノ
;`: ,´ ;: ;` : :. .~.. \ \  ̄
; : ..‘:´ ;`:. ~.. ; :,´ : ノ _)
` ;..``:. ; ' ;.~ ;ヾ (.,,_/~
343:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
07/12/15 10:29:30 +ddnqU9x
学校教育の原点は何か。大乗仏教の先人達は、これを祇園精舎を建設した釈迦に学んだ。漢文
大無量寿経の阿弥陀仏は、学校運営の基本原理を四八箇条に列挙している。梵文は四九箇条(異
本では四七箇条)である。内容に多少の異同はあるが、根本原理である第一条はほとんど共通し
ている。
第一条 世尊(世自在王仏)よ、もしもかの私の仏国土(極楽浄土)に、地獄に堕ちる者や、
動物界に生まれる者や、餓鬼の境地に陥る者や、阿修羅の種類となるものがあるようであったら、
その間は私はこの上ない正しい悟りを現に悟ることがありませんように〈岩波梵文大無量寿経〉。
学校を建てるということ。それは建築会社が建物を物理的に組み立てることではない。地獄界
・餓鬼界・畜生界・阿修羅界に転落していく者がなくなりますように。学校建設とは、この祈り
の実現に他ならない。
畜生の心で畜生の行為を実行する者を畜生と言う。餓鬼の心で餓鬼の行為をする者を餓鬼とい
う。人は無明を原因として地獄界から天界を巡る。六道を巡る。その中でもっとも悲惨なのが。
地獄界・餓鬼界・畜生界・阿修羅界である。そこには知恵がない。漢文大無量寿経では阿修羅界
が削除してある。この問題は、今ここでは議論しない。地獄界・餓鬼界・畜生界は、知恵をもた
らせば霧散霧消する。学校教育の目的とはそのようにして、知恵のない世界に知恵をもたらせ、
三悪道(地獄界・餓鬼界・畜生界)又は四悪道(地獄界・餓鬼界・畜生界・阿修羅界)を無くす
ことなのだ。西暦紀元一世紀ころの中央アジアの先人達は、釈迦の姿勢の中から教育というもの
の基本的原理をそのように認識し、それを次の時代の教育者を目指す学生に提示した。