07/07/26 20:01:29 1wT1Aokg
隆寛の流罪は親鸞五五歳の時、親鸞が京都に戻ったのは、その五年後、僕は六〇歳の時だろう
と思う。この期間は、機会を待っていたのかも知れないかも知れない。長旅が可能な、遅すぎる
位のぎりぎりの年齢だったと思う。この時代、道元53歳、日蓮60歳、栄西74歳、頼朝52
歳で死んでいる。親鸞も、明日死んでもおかしくない年だった。
親鸞八〇歳の過ぎ、巨大化した関東一門の中で様々な異説が出、性信らの手に負えない状況
が出現した。このころ、性信は六五歳、京都には関東からたびたび手紙送られ、直接お弟子さん
も上京してくる。歎異抄第二章は、そのころのことを題材にしている。
親鸞は、もう関東に戻れない。そこで善鸞という人を自分の代理として関東に送ったようだ。
善鸞は親鸞の子だ。親鸞が善鸞を送り込んだことは、火に油を注ぐ結果になった。善鸞は奇想天
外の説を立て、関東の教団はさらに混迷していく。
このころの手紙の一つを紹介する。 (続く)