07/11/18 10:59:28 CJPNumqT
× 場祖>>312
○ 馬祖
>善導禅師→法照禅師→円仁大師→親鸞という流れがあります。
なるほど、そうでしたか。
念仏と禅の双修というのは、現在でも中国にあるらしいですね。
日本では黄檗宗などでせうか?
私は中国禅の開花期というのは、慧能→南岳→馬祖あたりが頂点を極めた時代かと思ってます。
それ以降も勿論この流れはありましたが・・・次第に形骸化されていった。
日本においては、これより更に日本ナイズされた禅文化を形成していったのかと思います。
南禅と特徴というのは、いわゆる南岳の「瓦を磨いても鏡にならない」。
かとおもいますね。
これは禅定の否定であります。否定というか・・・
テーゼにおけるアンチテーゼにおいてのテーゼですね。
弁証法的には「正反合」になりますが、
ここに北禅とは一線をなす、慧能から引き継いでいた脈絡はあったわけです。
(北禅は、鏡をよく払拭せよ。ですから)
禅が日本に入ってきますと、勤勉な日本人にはどうも南禅は合わない。
勤勉・努力の日本人は、鏡を払拭せにゃ~気がすまん。
という流れになってきます。
禅定は禅堂の必須ですから。
つまり、北禅にうまくナイズされた日本禅が育ってきたことと思います。
(中国禅(南禅)とは随分違うものになってる)