07/11/11 14:26:00 fb4zpsal
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. ⅢII| ー─‐l ' `゙ヾ;;;;ン,,,ノ;Y;≒;;,',`_____| ,人_}
| / / ,´ ;,ヾ、 、, (_,,ソ
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└一ー一 ノ'__}("___}
301:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
07/11/11 15:32:50 bmQxy78H
>>299
>念仏の救いとは何かという
昔NHKかで放映されてましたのが記憶にありまして、
阿弥陀如来から数本の綱が出てまして、その綱を持った僧が念仏を唱えながら
如来仏の周囲を旋回する。
(これは浄土宗のどの宗派かは分かりません)
この姿は、母(如来)が子(僧)の手を取るところに似てますね。
(帰依するとか、帰命するとかの体現でしょうか?)
まあ、いつかは子供は母から離れませんといけませんから、
他力の本願といふのは、まさにこの手綱を離した瞬間かと、
そのように思うたもんです。
> 念仏は禅と密接不可分の関係にあります。真宗では悟ったとは言わない。多分、これは
>北宗禅と南宗禅の対立と分裂に遡る考え方だろうと思う。
なるほど、そぉでしたか。
ならば真宗は北禅に近いやもしれませんですね。
ここは熟考せななりませんです。
どうも参考になりました。
302:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
07/11/11 15:44:18 bmQxy78H
>知的障害者だって、苦しんでたよ。それは健常者のぼくらと同じか、
> それ以上だった
知的障害じゃ~なくても、脳性麻痺などは知的には問題がなくても身体が麻痺してることもありますからね。
これは健常者には想像もつきません。
手が麻痺しているために自慰行為というのが出来ない。
というのは、あまり健常者には知られていない。
>悟ってない人だって、別に帰依しなくてもいいんじゃないのか?。
知的障害でも、幕末の仙台四郎などは、私は悟ってる御仁かと思いますがね。
>何か、自然法爾が必要ですか?
いやいや、なにもせんでいいかと。
かように思ったしだいです。
<かしこ>
303:神も仏も名無しさん
07/11/11 22:26:51 3qbuk07b
渡海 「!/7
↓ /ふ(⌒r_-_、_
/ ̄ ̄ ̄ ̄\ .l'、そrィ(_,,},}ニ)
( 人____) l ` ''ー<´..... __゙!
|ミ/ ー◎-◎-) ゝ.,,______ |
,r (6 (_ _) ) |ミ/ ー◎-◎-)
,/ヾ<|/ ∴ ノ 3 ノ (6 (_ _) )←机龍之介
,.、‐'":ヽ::::\ __ __ノ |/ ∴ ノ 3 ノ
/::::::::::::::::ヽ::::::ヽ `/)乙二ス、 ,rニ ̄`ヽ __ノ
/:::::::::::::::::::::::::::ヽ::::;/ ーンノハヾ,!} /- ... `ヽ、 ,! ! ヽ
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!:::::::::::::;:、-'":::::::::::::::::::|::/::::;:':{;::::i, |:::::::::} :. i :.. ヽ :. ',
}::::::;:::'::::::::::::::::::::::::::::::::|'::::;:':__:i;::::::i, l;::::::::| ヽ _,,..、、-‐ 'i ゝ,
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304:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
07/11/12 09:40:37 cMH0NawS
>北宗禅と南宗禅の対立と分裂に遡る考え方だろうと思う。
始祖から五祖に到る過程において、
その象徴的なものが神秀に法灯(法衣)を継承しなかった五祖・弘忍だろう。
慧能の去った後の東禅院は、既に蛻の殻だったそうですから、
いかにこの事変がインパクトのあるもんだったか推測される。
この段階において、五祖の評価は高い。
(ここに関心のある御仁は少ないが・・・)
既存の価値観に依存しない。
親鸞の戒律破壊とか、それによって旧態が果たして何だったのか?
それに疑を向けることによってしか抽出されない
「宗教的な命題は本当かどうかなんか言えるはずが無く、
信じるか信じないかしかない」。
歎異抄には、こんなことが書かれてますけど、
これなんかは非常に禅的?ですね。
305:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
07/11/12 10:36:15 dMGuGNyU
>304
>慧能の去った後の東禅院は、既に蛻の殻だった
南の主張でしょう。 (w
兄弟子に反発し、喧嘩状態で分派した弟弟子集団が、「あいつの所には
もうカス以外には何も残ってねぇーぜ。ざまぁー見ろ。さあ、笑ってやろう
じゃないか」と、こんな風に分派側が毒づくという話は、いつのどこの世界
にもあることだ。
>これなんかは非常に禅的?ですね。
禅の話はもっと後にしたいと思う。歎異抄の評価については、見解が相
違します。南と北とが、同じ価値観、見解なら、分裂などは無かったでしょ
う。親鸞は、仏心宗を聖道門と呼んで批判する。これは栄西の臨済宗を批
判しているものだ。親鸞は、北から見た南批判を承継している。
もともと、禅のない仏教などは存在しない。禅的でなければ、それは
仏教ではないんだと思う。しかしそれは、南の考えを支持しているという
ことではない。
そのまえに、釈迦の悟りをもっと考えていく。
306:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
07/11/12 11:14:10 cMH0NawS
>>305
>こんな風に分派側が毒づくという話は、
いやぁ~そうでしたか?
私はそんなふうには思ってなかったですね。
文献において考察したまでのことですが・・・
神秀は長身でハンサム、また秀才でもあった。→五祖の一番弟子
慧能は背が低くてブ男、また無学。→新人(米搗き役)
両者は非常に対照的であり、腕力からしても神秀が上手。
東禅院を抜けるときも、慧能は逃げるようにして出て逝く。
>親鸞は、北から見た南批判を承継している。
なるほど、そうでしたか。
親鸞の人間性が出てますね。
まあ、慧能というのは見方によれば異端であったわけですから。
これは納得が逝く話です。
(真宗という脈絡からすれば北禅に近いでしょうね)
>もともと、禅のない仏教などは存在しない。
またいずれ、坐禅念仏のことでも御教示願えれば幸甚でありまふ。
307:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
07/11/17 12:39:44 VdHHLuUW
>306
>私はそんなふうには思ってなかったですね。文献において考察したまでのことですが・・・
これは失礼申し上げた。「東禅院は、既に蛻の殻だった」というのは、このように書いてある
古文書があると言うのではなく、机龍之介さんがそのように考察したということだったんですね。
それなら、>> 305の記述はお門違いだったですね。机龍之介さんがどう考察してもそれは自由だ。
失礼しました。
ただ、神秀は唐の皇帝に仏教を教え、北宗禅は、唐朝廷の公式の仏教となりました。遣唐使の
ような国家間の留学生はこれを学びに海を渡りました。蛻の殻ならそういうことにはならなかっ
たと思いますよ。なお、少林寺拳法の少林寺は、現代では数少ない北宗禅を名乗っているそうで
す。
延暦寺の僧兵もこの北宗禅を学んでいたはずなんで、僧兵・一向一揆などとの関連で、北宗禅
は武闘派、南宗禅は農耕派なんじゃないかというイメージを僕は持っている。見当違いかもしれ
ないけどね。
>真宗という脈絡からすれば北禅に近いでしょう
善導禅師→法照禅師→円仁大師→親鸞という流れがあります。
法照禅師は唐の皇帝に五会念仏を教えている。中国仏教全盛時代、全盛の中国仏教の最高指導
者だったようです。
308:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
07/11/17 12:41:59 VdHHLuUW
釈迦は十二因縁の法理を悟ったとき、同時に四諦の法を悟った。四諦とは、苦諦・集諦・滅諦
・道諦の四つを指す。
釈迦は、菩提樹の下で十二因縁の法理を悟ると、五人の比丘に法を説いた。中村元さんのゴー
タマ・ブッダを読むと、後代の人が尾ひれを付けたり省略したりして、いろんな説があるようだ。
その一つ漢訳増阿含経を中村元さんの著作から孫引きする。
「四つの聖なる真理がある。四つとは何か。曰く、苦という聖なる真理。苦の集起という聖な
る真理。苦の止滅という聖なる真理。苦の止滅に導く道という聖なる真理である。仏は、この経
を説きおわって、諸々の修行僧は仏の諸説を聞いて喜び奉じ行った」。
釈迦は最初に何を説いたのか。十二因縁、中道、四諦、八正道など、いろいろ経典によって異
なるそうだ。歴史的には正確なところがよく分からないようだが、十二因縁、中道、四諦、八正
道など、何かこの辺の教えを説いたのだろう。仏教発足の非常に早い時期、仏弟子達は、十二因
縁・中道・四諦を仏教の原点として認識するようになっていった。
考察する。十二因縁と四諦とは釈迦の悟りの裏と表である。裏と表を合わさったものが中道、
中道を実践する道が八正道、結局、十二因縁と中道と四諦と八正道とは釈迦の一つの悟りを立場
を変えて表明している。仏弟子達は釈迦からそのように教わったんだろうと僕は思う。
十二因縁を語れば、裏には必ず四諦がある。四諦を語れば、裏には十二因縁がある。十二因縁
のない四諦は存在しない、四諦のない十二因縁は存在しない。四諦と十二因縁が合わされば中道
になる。中道は、八正道で具現する。八正道を実践するということは、四諦を実践することであ
る。四諦を実践することは、十二因縁の業を断つこと。涅槃を得ることである。
十二因縁は悪因(無明)・悪果(生死)を教えている。悪因・悪果の裏には善因(道諦)善果
(滅諦)がある。悪因悪果・善因善果、因果の理法が正しく併存するところに中道が具現する。
中道はいかにして具現するのか。それは八正道による。正見・正思・正語・正業・正命・正精進
・正念・正定を実践せよ。これが涅槃の道である。ここで大事なことは、釈迦には方法論がある
ということだと僕は思う。
309:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
07/11/17 12:44:48 VdHHLuUW
十二因縁とは分析論である。十二因縁は現状を分析している。多くの論者は分析で話が止まる。
釈迦は方法論を明らかにした。四諦と八正道は方法論である。四諦は、方法論の総論である。八
正道は具体論である。
こう議論を進めてくると、十二因縁がいう無明の本質が見えてくる。色界には方法論がない。
夢のようなことを言うが、実現方法に具体性がない。それが色界だ。無色界には分析論がない。
行き当たりばったりの方法論はあるが、行き当たりばったりで何をしたいのかが分からない。分
析論が無い。釈迦は方法論(四諦)と分析論(十二因縁)をセットにした。釈迦は、分析論と方
法論とをセットにし、方法論を総論(四諦)と具体論(八正道)で説明している。
無明とは何か。無明とは、分析論も方法論もない、欲の赴くまま(欲界)、分析論はあるが方
法論がない(色界)、方法論はあっても分析論がない(無色界)。無明とは、何がどうなってい
るのか分からない、何をどうしたらいいのかがわからないという状況である。何をどうしたらい
いのかがわからないから人は迷う。生死生死を繰り返す。分かったつもりでいても、実際には何
も分かっていない。
十二因縁、中道、四諦、八正道が釈迦の悟りの全体である。仏教の原点である。中核である。
これ以外の教えは仏教ではない。親鸞の教えであっても、決してその例外ではない。浄土真宗と
は、まさに釈迦のこの悟りを中核としていることを決して忘れてはならない。
もし、釈迦の悟りと親鸞の思想との間に相違があれば、それは時間というファクターが加わっ
ているだけである。釈迦の悟りは、紀元前四世紀ころのインドの思想である。親鸞は紀元十二世
紀の日本に誕生している。時間ファクターがどのように加わっていったかを議論する。
悟りを開いた釈迦はその後何をしたか。それを考えていこう。
310:神も仏も名無しさん
07/11/17 13:47:34 nlh96azf
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| 彼女ができたにょ~
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| |_」O Oy |ミ/ ー◎-◎-) [¬]-[¬]一 6)
| .人ひ - ノ| (6 (_ _) ) < 「、 > | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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!__j_》、___,》_) / (__)) )) (( ((\|/|⊃
〔>ヽヽっ./ /〕 []_ | | 渡海 難ヽ .|机 |\/
ム/i\_)_∧j |[] | |______) |龍之介|ノ
/\i i∧ \_(___)三三三[□]三) .(三□三三)
/:::/::`ー一ヘ::::ヽ /(_)\:::::::::::::::::::::::/ |::::::|:::::::::::|
く::/:::/:::l::::lヘ:::ゝ::::ゝ| Sofmap|::::::::/:::::::/ .|::::::|:::::::::::|
`´^ト‐iー'i_´ー ^´ (_____);;;;;/;;;;;;;/ |;;;;;;|;;;;;;;;;;|
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311:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
07/11/17 15:03:16 JuAqXImw
>北宗禅 は武闘派、南宗禅は農耕派なんじゃないかというイメージを僕は持っている。
>見当違いかもしれないけどね。
なるほど、なかなか示唆に富んでいる書込みですね。
例えば、
剣術などを習うと、ごく自然に精神世界に関心が向くようになる。
剣の勝敗というのは殆ど一発で勝敗が決しますから、
当然の如く精神修養に関心が向くんでしょうね。
鹿島流などは、相手の切り込むその刹那に・・・相手のコテに剣を入れるのを得意とする。
コテを入れた時点で相手は戦意を消失しますから、それで殆ど勝敗は決まる。
まあ、重い剣をいつまでも振り回す訳にいかんから、
この奥義は長年、秘儀として伝えられたもんでしょう。
(つづく)
312:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
07/11/17 15:04:00 JuAqXImw
相手に先手を打って切り込むには、恐怖心があっては出来ませんから、
先ず平常心をもつ。
そこから精神を集中させる。そして相手の動向を即座に観察する。
これだと本来無一物の南禅では無理ですね。
南禅の象徴的な人物というのは場祖かとおもいますね。
馬祖の風貌というのは、今でいうホームレス的なものっだったでしょうから、
これは農耕的な・・・どこにでも居るオッちゃんタイプですね。
南禅だと、こういうタイプに憧れる。
法燈国師とか盤珪はルンペンになってますから。
誰でもこういうのは一度はやってみたいんでしょうね。
坊主と乞食は一度やったら辞められない。
ともいう。
私もそういう時期がありましたw
獅子文六の「自由学校」を読んでから・・・
まあ、リアルではシビアなんでしょうけどw
313:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
07/11/17 15:20:25 JuAqXImw
鹿島流で有名なのが塚原卜伝ですね。
武蔵の剣を鍋蓋でかわしたのが有名。
これはたぶん、相手の気配を即座に読みとるんでしょう?
蛇足ですが、
全盲の方は、気配を強く感じる人と・・・そうでない人がいるらしい。
これも私には分からんですね。
全盲ではないから。
だけど考えさせる命題です。
314:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
07/11/18 10:59:28 CJPNumqT
× 場祖>>312
○ 馬祖
>善導禅師→法照禅師→円仁大師→親鸞という流れがあります。
なるほど、そうでしたか。
念仏と禅の双修というのは、現在でも中国にあるらしいですね。
日本では黄檗宗などでせうか?
私は中国禅の開花期というのは、慧能→南岳→馬祖あたりが頂点を極めた時代かと思ってます。
それ以降も勿論この流れはありましたが・・・次第に形骸化されていった。
日本においては、これより更に日本ナイズされた禅文化を形成していったのかと思います。
南禅と特徴というのは、いわゆる南岳の「瓦を磨いても鏡にならない」。
かとおもいますね。
これは禅定の否定であります。否定というか・・・
テーゼにおけるアンチテーゼにおいてのテーゼですね。
弁証法的には「正反合」になりますが、
ここに北禅とは一線をなす、慧能から引き継いでいた脈絡はあったわけです。
(北禅は、鏡をよく払拭せよ。ですから)
禅が日本に入ってきますと、勤勉な日本人にはどうも南禅は合わない。
勤勉・努力の日本人は、鏡を払拭せにゃ~気がすまん。
という流れになってきます。
禅定は禅堂の必須ですから。
つまり、北禅にうまくナイズされた日本禅が育ってきたことと思います。
(中国禅(南禅)とは随分違うものになってる)
315:神も仏も名無しさん
07/11/18 12:33:13 VU2cWJQN
机龍之介
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316:神も仏も名無しさん
07/11/18 12:34:14 VU2cWJQN
渡海 難
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317:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
07/11/23 10:25:19 9SypLsBm
>念仏と禅の双修というのは、現在でも中国にあるらしいですね。日本では黄檗宗などでせうか?
親鸞は「一心に弥陀の名号を専念」すると言っており、禅と念仏とを双修せよとは、一言も言
ってない。念仏者は念仏に集中する。
美術館に行ったら絵画が額に嵌め込んであった。館長さんに「お宅の美術館は額と絵画の双方
展示場なんですね。こういう美術館は、確かに中国にもありますよね」と言えば、これは失礼な
話ではないか。中国に限らず、額を嵌めている美術館などは世界中にあるだろう。額を使わない
美術館の方が珍しい。
習字教室に出かけたら、子供達がみな正座して字を書いていた。「ここの教室は、正座と習字
の双修教室なんですね。双修と言えば、これは黄檗宗の影響でしょうか」と言えば、聞いた相手
はビックリするだろう。
習字教室の先生は黄檗宗など聞いたこともない。正座をしていても、正座をしているわけでな
い。あくまで習字をしているのだ。先生は子供達に、「さあ、正座して字を書きましょう」と言
うが、「正座をしよう」と言っているわけではない。ちゃんとした字を書こうと言っているのだ。
別に難しい理屈ではないと思う。
318:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
07/11/23 10:27:56 9SypLsBm
釈迦は分析論と方法論とを示した。釈迦のすごさは、単に分析論と方法論とを示したことだけ
ではない。釈迦にとって分析論と方法論とを示すと言うことは、それを実践すると言うことだっ
た。苦の止滅という目標に向かい、苦の止滅の道を実践する。釈迦は、戒定慧という三学を提示
し、互いに教え合おう、学び合おうと呼びかけた。
祇園精舎という学校を建設した。釈迦の下には多くの若者が参集した。彼らは、釈迦が提示し
たルールつまり戒律を守ることを誓うと、弟子入りが許された。有形の真理は、言葉(文字)、
絵画・彫刻・建築物などの形で示され、それを学んだ。有形の真理を知恵という。無形の真理は、
直接それを提示できないことから、それを体得する方法論が示された。禅定という。釈迦は、そ
れまで王宮が独占していた最先端知識を、惜しげもなく多くの人々に公開した。これは画期的な
ことだった。
それまで、九九が分からず、いつも釣り銭を間違え、顧客から文句を言われていた商人には九
九を教え、釣り銭勘定を間違えないようにしてやった。これによって、商人は永続的に商売がで
きるようになった。種まきの時期を間違えていつも失敗をしていた農民には、星の運行、太陽の
位置に基づく暦を教え、季節の循環と種まきの時期を教え、正しい農業をできるようにしてやっ
た。釈迦は、分析論・方法論・実践論を下に教育手法を合理的に組織化し、算術・暦・薬学・文
字・測量などを人々に智慧として教え、さらに禅定を実践させ、優れた多くの人材を育ってた。
まさにこれが、生老病死という苦を止滅するという目標に向かい、苦の止滅の道を実践するとい
うことだった。釈迦の悟りの中身そのものだった。
これはまさに、浄土真宗の原点である。
319:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
07/11/23 10:30:22 9SypLsBm
>318
誤 戒定慧という三学
正 戒定慧という三学(実践論)
320:紅炉上一点の雪
07/11/23 22:51:11 pge70CD1
阿弥陀仏とはデウスなりや?
321:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
07/11/25 21:48:51 y5sfJwbQ
2月3日第一日曜日、東京新宿で新年会を考えています。
集合場所、東京・新宿駅
近くで飲み会をしませんか。
夕方5時ころ集合、その後近くの店で新年会
12月、1月は店は予約で一杯だと思うから、予約なしの飛び込みで席が
取れそうな2月を選びました。
これはネタじゃないよ。煽りでもない。ただ、予定だから変更はある。細部は未定。
何か意見・提案のある方は、この掲示板でもいい。メールでもいい。送って貰えるとありがたい。
集合してくれる人は4,5人だと思っていますが、100人、200人も来るとなると
こちらも考えないといけない。
集合者がゼロなら中止。
なお、参加名は愛称・匿名OKとしたいと考えています。
tkatasi@mail.goo.ne.jp
322:神も仏も名無しさん
07/12/01 08:23:14 KQ4lA87c
↑?
323:神も仏も名無しさん
07/12/01 11:54:00 60oBcP54
スレタイと内容が違うやん!
親鸞と違うやん。
324:神も仏も名無しさん
07/12/01 12:35:22 5vWprmEy
>>322-323
ここは世間では誰からも相手にされないキモヲタ親父の妄想オナニースレなのでageないでください。
325:神も仏も名無しさん
07/12/02 12:18:58 k4g4YpJQ
京都の常楽台で親鸞聖人の骨が出てきたので、檀家から10万円の割り当てが来ていますがみなさん払いましたか?
326:神も仏も名無しさん
07/12/02 12:20:45 ukFzvLs+
ご遺体は腐敗していなかった 日本を愛した宣教師 チマッティ神父様
URLリンク(www.v-cimatti.com)
URLリンク(www.v-cimatti.com)
キリスト
「最も大きな罪を犯した人であっても、わたしの憐れみを願うならば、
わたしは、彼に罰を与えることが出来ない。その代わりに、
わたしの限りない、はかり知れないいつくしみによって彼を義とする」
URLリンク(www.nowaksvd.opoka.net.pl)
キリストと会話できる女性 ヴァッスーラ・ライデン
URLリンク(www.tlig.org)
キリストの人生を見せられた女性 マリア・ワルトルタ
URLリンク(swedenborgian.hp.infoseek.co.jp)
病を持ちながらも信仰心が篤かった女性 マルタ・ロバン
URLリンク(homepage3.nifty.com)
アレッサンドリーナ・ダ・コスタ
URLリンク(www.salesio.jp)
URLリンク(salveregina.dyndns.org)
カトリック書店一覧
URLリンク(www.cbcj.catholic.jp)
カトリック教会マップ
URLリンク(www.cbcj.catholic.jp)
327:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
07/12/03 20:22:00 +hFSfBnq
釈迦の下からは多くの賢人・哲人達が育っていった。やがて、その中からある種の疑問を持つ
者が出現してきた。自分たちは、教わるだけでいいのだろうか。自分たちが認識していれば、そ
れで十分なんだろうか。認識したことは、より多くの人々に拡散していくことこそ、人として実
は最も重要なことではないのか。自分たちが認識したことを、他の人々に幅広く伝えていくこと
こそ、あの釈尊先生の本当の精神ではなかったか。
釈尊先生は生涯を教育に捧げられた。自分たちも、あの釈尊先生のそんな生き方に倣おうじゃ
ないか。釈尊先生は我々に大事なことを教えてくれた。我々も自分たちが認識したことを、後の
世に伝えていこうじゃないか。自分たちが知り得たことを、多くの人々と共に共鳴的・共感的に
その共通の財産として享受し合おうじゃないか。自分たちが分かっただけではなく、多くの人々
と共に共感的に享受し合えるようになったとき、始めて我々は正しい認識を得たと、そのように
受け止めることにしようじゃないか。大乗仏教は、このように考える人々から発生してきた。
アフガニスタン・パキスタン・カザフスタンなど、現代ではイスラム圏となり、激しい戦火を
交えている地域で、仏教者達は始めて「教育学」に目覚めた。彼らは、学習と教育に最高の価値
を認める考え方を大乗仏教とよび、それいがいの仏教を小乗仏教と呼んだ。大乗仏教は、学習と
教育に最高の価値を認める教育学をその本質とする。
328:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
07/12/03 20:22:52 +hFSfBnq
大乗仏教の祖師達が教育学の重要性に目覚める前、教育というものがはかったということでは
ない。教育はそれ以前にもあった。しかし、教育というものを、他から独立した行為として認識
に、そこに隔絶的絶対的圧倒的な最高の価値観を認めるということは、この大乗仏教から始まる。
自らが孤高の道を究めて行き、そこに入門者が門を叩いてくれば入門を認めるが、自らが積極
的に弟子達を求めていくと言うことは、恐らく釈迦以後は大乗仏教の発生までしばらく無かった
ことだったろう。
かつては日本でも、大工も左官も料理も、後継者達は徒弟制度の中で先輩の技術を盗んで学ん
でいった。こうした職業を専門に教える学校ができたのは、戦後であり、すくなくとも明治以前
にまでは遡らない。教育というものはあくまで従属的なものであり、付属的な行為と考えられて
いた。そうした現実を考えれば、大乗仏教の祖師達が、西暦紀元前後、教育という活動に絶対的
圧倒的な最高の価値を認めたということは驚異的な事だろう。大乗仏典とは、人類最古の教育学
の書と言って間違いない。
教育・学習こそ、人間にとってもっとも崇高で、絶対的価値を有する行為である。浄土真宗と
は、まさにこうした価値観を核心部に持った大乗仏教を母胎にしていることを忘れてはならない。
329:神も仏も名無しさん
07/12/08 23:15:55 PxGIirZb
輪廻とは何でしょうかね ?
一般には、人間にはそれぞれ「自我」だの「霊魂」だのと呼ばれる肉体の死後も残る永遠不滅の
実体があって、それが六道等と呼ばれる様々な世界に生まれ変わっているというのが輪廻転生と
いう考え方であり、浄土教とは念仏を唱えればその六道の輪廻を断ち切って「極楽浄土」と呼ば
れる天国のような所に転生できるという教えであるという認識だと思うのですが。
だが例えば>>278のレスを読む限りでは個々人にそれぞれ輪廻転生する主体たる不滅の実体があ
るという認識とは思えない。
また>>97他のレスを読む限りでは極楽浄土や六道という世界も死後にその人間の実体が転生する
客観的実在世界などではなく、生きている人間の心が彷徨する主観的世界であるという考え方と
読み取れますが、そういう認識でよろしいのでしょうか。
330:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
07/12/09 00:54:16 B3n9kAmR
> 329
> 輪廻とは何でしょうかね ?
> 278で「これを輪廻という」という言葉を書きました。今はこれ以上最適な表現はないと思っ
ています。この説明で御理解いただけないなら、これ以上の説明は私には重すぎます。
人は時に天になり、阿修羅となり、地獄・餓鬼・畜生にもなる。これを輪廻という。私はその
ような説明をしております。念仏はこの輪廻を分断します。
> だが例えば>>278のレスを読む限りでは個々人にそれぞれ輪廻転生する主体たる不滅の実体が
あるという認識とは思えない。
何か不滅の主体があるかどうか、それは私には分かりません。しかし、浄土教の輪廻論は、不
滅の主体があれば肯定され、不滅の主体がなければ否定されたり、逆に、不滅の主体があれば否
定され、不滅の主体がなければ肯定されるというような、不滅の主体の客観的存否で左右される
ようなものではないと思っています。
>生きている人間の心が彷徨する主観的世界であるという考え方と読み取れますが、そういう認
識でよろしいのでしょうか。
主観的世界と思いますが、「人間の心が彷徨する」という言い方に引っ掛かるものを感じます。
歌謡界は人間の心が彷徨する世界でしょうか。政界は人間の心が彷徨する世界でしょうか。文
壇界は人間の心が彷徨する世界でしょうか。
これらは、そこに所属する人々にとっては紛れもなく厳然として存在する世界でしょう。その
中で彷徨する人もいますが、不動の地位を確保している人もいます。極楽とは、仏道者にとって
のそのような世界だと思っています。
331:神も仏も名無しさん
07/12/09 01:48:24 uC6mJV6P
>>渡海氏
すごい勉強量ですね。独学のみであれば尊敬に値しますよ。
しかし、同じく親鸞の教えを学ぶものとして、了解に何か違和感を覚えます。
そこで今後の勉強の為に質問させてください。
どのような本によって勉強したのでしょうか?
あと、『教行信証講義集成』か山辺習学・赤沼智善の『教行信証講義』は読んだことありますか?
332:南無大師遍照金剛
07/12/09 02:09:23 /hJQHw/S
>>331
ヽ(´∇`)ノないにょん♪
つか
嵐に北にょん♪
333:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
07/12/09 10:57:48 B3n9kAmR
>>331
>すごい勉強量ですね。
気に入った考え方があったら盗んでいってください。ただ、余所で公表する場合、インターネ
ット2ちゃんねるで渡海が主張していたと、出所だけは明らかにして欲しいと思います。できる
だけ、URLと月・日・時刻も表示してほしいものです。情報源に対する礼儀だと思います。僕は、
大量の書き込みをしていますが、著作権を放棄しているつもりはありません。
>独学のみであれば尊敬に値しますよ。
独学とは言いません。しかし、思想はほとんどオリジナルです。
念仏を称えるということは、人から教わりました。どう称えるかは、親鸞聖人から直接教わり
ました。
>了解に何か違和感を覚えます。
どんな出会いでも、もし違和感がなければおそらくそこには嘘があるでしょう。
貴方が違和感を覚える思想に始めて出会ったということなら、これまで貴方は全て自分を偽る
嘘の道を歩んできたということかも知れません。
始めて違和感を持ったというなら、2ちゃんねるの渡海難とは始めて真の出会い方をしたとい
うことかもしれません。
>どのような本によって勉強したのでしょうか?
2ちゃんねるだけでも渡海難は膨大な量の書き込みをしています。その中で、ほとんど出典を明
らかにしています。出典範囲は比較的限られています。
>山辺習学・赤沼智善の『教行信証講義』は読んだことありますか?
僕の教行信証論は、『教行信証講義』批判を原点としている部分があります。教行信証論で、
ある考えを「通説」という指定の仕方で表示し、それを批判する批判説を渡海説として提示して
いる場合があります。その場合の通説とは、ほとんど『教行信証講義』を指しています。
334:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
07/12/09 11:03:19 B3n9kAmR
>332
まあ、嵐はどっちでもいいけど、それより飲みにきませんか。
東京からは遠方に当たる所にお住まいですか。
>>321に新年会の予定を書きました。都合がつけば、
いらっしゃいませんか。掲示板ではできない接触もできそうです。
335: ̄ ̄ ̄ ̄\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
07/12/09 11:26:30 K8OUMTff
/::::::::::::::::::::::::::\~プーン
/:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::\~プーン
|:::::::::::::;;;;;;|_|_|_|_|~プーン
|;;;;;;;;;;ノ - -ヽ~
|::( 6 ー─◎─◎ )~
|ノ (∵∴ ( o o)∴)~
| < ∵∵ 3 ∵>
\ ⌒ ノ_____
\_____/ | | ̄ ̄\ \
___/ \ | | | ̄ ̄| カタカタ カタカタ
|:::::::/ \___ | \| | |__|
|:::::::| \____|つ⊂|__|__/ /
|:::::/ | ̄ ̄ ̄ ̄| 〔 ̄ ̄〕
336:南無大師遍照金剛
07/12/10 00:14:17 pFpMQbqd
>>334
(ノ_<。)刺されそうで怖いぉ…
337:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
07/12/10 00:54:36 m2P6FGyG
>336
どうぞご自由にご判断下さい。
338:神も仏も名無しさん
07/12/10 02:43:30 nVQJ7hpL
す オ 意
る ロ な 味
わ オ く も
は ロ
/
c ,. -─-、
c /´ ̄ ̄`丶、 / r、lゝ、ヽ、っ
けレ^ヽイゝ、 ト、 // ノ^′─┴t,ゝ っ
A-─ ‐-、 Y l l /#! k' / _ l | __l__
_,l__ レヽ T'j u メ./#j 〈##〈 ヘ u 〈_`j ,ハ /|
/| ⊂ニ`ー--‐ム'-'′ ` ̄V ゝ‐-=-‐'´スヽ ┌┐
┌┐ ヾ(ン'⊂ニ , ヽ、 ~⊂ニ、 マ ニ⊃)) └┘
└┘ ヾ(ンヽマ __ゝ - どイ マ‘マ_」
`´Uヽ) ~ `(フ ̄U
339:神も仏も名無しさん
07/12/10 13:41:57 kwwPEnTz
:::::::::::/ ヽ::::::::::::
:::::::::::| キ じ き i::::::::::::
:::::::::::.ゝ モ つ み ノ:::::::::::
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::::: | な。 ゙i ::::::
\_ ,,-'
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:::::::,-‐、,‐、ヽ. )ノ
:::::_|/ 。|。ヽ|-i、 .. / ̄ ̄ ̄ ̄
/. ` ' ● ' ニ 、 (____人
ニ __l___ノ (-◎-◎一
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|( ̄`' )/ / ,.. ( ε (∴
`ー---―' / '(__ ) ヽ____
====( i)==::::/ ,/ニ渡海 難
:/ ヽ:::i /;;;;;;;;;;;;;;;;
340:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
07/12/11 09:57:18 axDpLY39
大乗仏教は、西暦1世紀前後に中央アジアで発生する。釈迦が生存していた時代は、諸説ある
が、恐らく西暦紀元前4,5世紀だろうと思う。大乗仏教の思想というのは、その間、ゆっくり
と時間をかけて熟成してきた。
釈迦が北インドに創建した祇園精舎は、それ自体が大きくなると同時に、各地に分校が広がっ
ていった。大乗仏教とは、中央アジアに拡大していったそのような分校集団の中で発生していっ
た極めて進歩的な思想である。彼らは大量の経典を排出した。その中の一つに「極楽の美しいあ
りさま」という経典がある。中国語には「大無量寿経」という名で翻訳された。
仏教の経典は全て阿難尊者が著したということが、仏教上の約束になっている。当然、「極楽
の美しいありさま」も阿難尊者が書いたということになっている。阿難尊者とは、釈迦教団の第
三代の最高指導者である。彼は釈迦の直弟子の一人であり、釈迦とは三十歳程度年齢が離れてい
た最も若い弟子の一人だった。釈迦晩年の25年間は常に釈迦の最も近くにあっという。釈迦の
直弟子であれば、やはり紀元前4,5世紀の人だろう。非常に長生きをされ、非常に長期間釈迦
教団を指導したそうだが、大乗経典の発生は、阿難の死後、さらに数百年後のことである。阿難
尊者が著したというのはあくまで仏教教団の約束上の話であり、当然、実際の著者は他にいると
言わざるを得ない。
341:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
07/12/11 09:57:56 axDpLY39
西暦紀元一世紀頃になると、中央アジアから南インドにかけ、インド各地には、粗密の程度は
あっても、地理的に多数の分派教団が散在していたと思われる。その頂点には祇園精舎があった
が、中央の統制は緩やかで、むしろ地理的に近在する分派教団同士は類似の考えで相互に緩やか
にまとまり、緩やかな連合体を形成していたと思われる。
経典類は、そのような分派教団の構成員が独立的に提案し、全体の合議の下で共通テキストと
して必要に応じて承認していったものではないだろうか。「極楽の美しいありさま」もそのよう
にして分派教団の緩やかな連合体の中で、一構成員から提案され、全体の公式の承認を受けた経
典なのだろう。承認を受けた経典は、阿難尊者の著作という評価を受け、承認した分派教団全体
に配布されていった。承認を受けられなかった経典は、ニセモノという評価をされ、連合体から
排除されていった。
「極楽の美しいありさま」とは、人々に学校の建設を勧めるテキストである。分校を建設せよ。
分校を建設して近在の人々に学問を教えよ。学校はどのような価値観をもって運用していくのか。
大無量寿経は、祇園精舎建設の精神をベースとして、学校というものあり方を説明する人類最古
の教育論である。
342: ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
07/12/11 11:05:44 tF5og+qw
_./ ̄ ̄ ̄ ̄\
/( 人____)
/ .|ミ/ ◎ ◎ )
,/ (6 (_ _) )\
`、 `,| ∴ ノ 3 ノ‐'`ノ モワ~
キタ━━━ \ ヽ,._____ノ ノ━━━!!!!
豸. ``Y" 拜."..::.::.::.::.::・・'゚。.・'゚。.::。.::・'・'゚。.::。.::・'・'゚。.::。.::・'・'゚。.::。.:
;": :: i. 、 ¥ ノ ・'゚。.:・・'゚。.::。.::・'・'゚。.::。.・:(;´Д`)オエーッ
; .;: :∴:(. ` -‐´;`ー ) ・'゚。.::。.::・'・'゚。.::。.::・・'゚。.::。.::・''・'゚。.::。.::
. ': .;".;": ( 彡 ミ ) モワ~
: .;"∵;": ::″: ; ゝ '´ ̄"`ヽ
: .;".;":: :.;".;": / ■_,,,,,、 ノ
´ ..‘ :´ ;` :. ~. ;. / /`' ( ノ
:´ `: .``:. ;' ~ヾ ( ノ | (_,,-,,,
: : .~.. :´; ` :` , `: \ `ヽ / __ノ
;`: ,´ ;: ;` : :. .~.. \ \  ̄
; : ..‘:´ ;`:. ~.. ; :,´ : ノ _)
` ;..``:. ; ' ;.~ ;ヾ (.,,_/~
343:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
07/12/15 10:29:30 +ddnqU9x
学校教育の原点は何か。大乗仏教の先人達は、これを祇園精舎を建設した釈迦に学んだ。漢文
大無量寿経の阿弥陀仏は、学校運営の基本原理を四八箇条に列挙している。梵文は四九箇条(異
本では四七箇条)である。内容に多少の異同はあるが、根本原理である第一条はほとんど共通し
ている。
第一条 世尊(世自在王仏)よ、もしもかの私の仏国土(極楽浄土)に、地獄に堕ちる者や、
動物界に生まれる者や、餓鬼の境地に陥る者や、阿修羅の種類となるものがあるようであったら、
その間は私はこの上ない正しい悟りを現に悟ることがありませんように〈岩波梵文大無量寿経〉。
学校を建てるということ。それは建築会社が建物を物理的に組み立てることではない。地獄界
・餓鬼界・畜生界・阿修羅界に転落していく者がなくなりますように。学校建設とは、この祈り
の実現に他ならない。
畜生の心で畜生の行為を実行する者を畜生と言う。餓鬼の心で餓鬼の行為をする者を餓鬼とい
う。人は無明を原因として地獄界から天界を巡る。六道を巡る。その中でもっとも悲惨なのが。
地獄界・餓鬼界・畜生界・阿修羅界である。そこには知恵がない。漢文大無量寿経では阿修羅界
が削除してある。この問題は、今ここでは議論しない。地獄界・餓鬼界・畜生界は、知恵をもた
らせば霧散霧消する。学校教育の目的とはそのようにして、知恵のない世界に知恵をもたらせ、
三悪道(地獄界・餓鬼界・畜生界)又は四悪道(地獄界・餓鬼界・畜生界・阿修羅界)を無くす
ことなのだ。西暦紀元一世紀ころの中央アジアの先人達は、釈迦の姿勢の中から教育というもの
の基本的原理をそのように認識し、それを次の時代の教育者を目指す学生に提示した。