07/10/28 11:08:02 hlxupyRW
意思と行動が変われば人格が変わる。人格が変わればその節々で古い人格が死に、新たな人格
が誕生する。挫折(死)があり、再起(生)がある。
中途半端に再起(生)すれば、意思は持続していても行動は再起の時の意思の実現に向かわな
くなる。人は彷徨う(病)。行動は惰性で持続していても、再起の時の意思は放棄される。人は
疲弊(老)する。人が、意思も放棄し、行動も放棄すれば、人は挫折する(死)。人はこのよう
にして、生(再起)・老(疲弊)・病(彷徨)・死(挫折)を経験する。中途半端に再起し、中
途半端に挫折する。生(再起)・死(挫折)・生・死を繰り返す。これを迷いという。人は、地
獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天の六つの世界を巡っていく。
今日の私の生老病死は、私の肉体の誕生で始めて発生したものではない。私の肉体の消滅で修
了するものではない。今日の私の生老病死は、過去、無数の人々が繰り返し繰り返し経験してき
た無数の生老病死といささかの相違もない。今日の私の生老病死は、今後も無数の人々が繰り返
していくだろう無数の生老病死といささかの相違もない。実に全く同一の生老病死が、無限の過
去から無限の未来に向かって連続している。今日の私の生老病死は、その無限の過去から無限の
未来に向かって連続している生老病死の単なる一つに過ぎない。これを輪廻という。
釈迦は、このように無限の過去(前世)から、無限の未来(来世)へと、三世に連続する輪廻
の連続を断とうと提案している。輪廻は、現在(現世)でいまここで断てば再び連続することは
ないだろう。釈迦はそう言う。輪廻を断ち、二度と輪廻しなくなったときのことを、釈迦は滅と
呼ぶ。ろうそくの火を吹き消せば、再びどこからか新たな火を持ってこない限り、蝋燭は自力で
火をともすことがない。滅とはろうそくを吹き消した状態であり、これを涅槃という。
輪廻を断とう。仏教とは釈迦のこの提案に賛同し、釈迦がライフワークとして提案した仮説を実践
することを決意した運動体である。