07/10/20 10:53:21 48YORWvJ
夢告伝説の創作者は覚如(1271~1351)である。覚如は親鸞のひ孫にあたる。本願寺
第三世であり、親鸞は覚如が八歳のときに死んでいる。
覚如の時代、京都では法然流念仏宗の勢力図が大きく変化していく時代にあった。九州と関東
で大幅に信者を拡大していた弁長系(鎮西派)が、京都でも大幅に信者を拡大し、証空系(西山
派)を圧倒して行った時代である。証空の孫弟子である一遍も勢力を拡大し、京都の念仏宗は混
沌状体にあった。関東から京都に戻った親鸞系の主張は、京都残留派の証空系からは異端視され、
弁長系からも異端視されていただろう。
親鸞集団は、親鸞在世中は法然を祖と仰いでいた。しかし、親鸞が大谷の地に埋葬されると、
証空系と完全に袂をわかち、親鸞を宗祖と認識しだしたというのは、僕は極めて自然のことだろ
うと考える。