07/05/14 21:50:25 IAyvcORH
前スレの>> 627の続きです。
輪廻論というのは、釈迦の十二因縁の原理と、考えの本質は同じである。人はなぜ輪廻するの
か。なぜ生死生死を繰り返すのか。これに対し、多くの人は、「欲があるからだ」という。欲を起
こすのが間違いの本であるという。釈迦は反論する。欲を断ち切っても輪廻は続くと。欲を断っ
ても、迷いはあると考えたのだ。釈迦は、無明という概念を立てた。それが十二因縁の原理であ
る。理想主義も破壊主義も何一つ真の解決にならないことを、釈迦は説いている。
釈迦が悟りとを開くと、梵天と帝釈天が教えを請いに来る。梵天や帝釈天ともなると、世の中
に仏陀が出現したとなると、いち早くそれを察知する超能力を持っている。まさに、梵天や帝釈
天たるゆえんだろう。
梵天や帝釈天ともなると、人一倍優れた能力を持つ。人並み外れた深い智慧と洞察力をもって
いる。その実力は、釈迦と比べても恐らく遙かに勝っているだろう。しかし、その梵天や帝釈天
でも、釈迦に唯一劣っていることがあった。どうしても釈迦に決定的に劣っている点があった。
それは何か。梵天や帝釈天は、外のあらゆる点で釈迦に勝っていても、実は、自分は何一つ本当
のことを知らないということ、この智慧だけは全く持ち合わせが無かったのだ。あらゆることを
知っている者は、自分が何一つ知らないと言うことを知らない。この事実の認識おいて、梵天や
帝釈天は決定的に釈迦にかなわなかった。自分は真実を何一つ知らないと言うこと、釈迦はその
一点の認識で梵天や帝釈天に決定的に勝り、梵天や帝釈天はその一点で釈迦の前に跪き、教えを
乞うこととなった。僕はそう考えている。釈迦は、三十五歳のとき、十二因縁の原理を悟った。