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双樹林下往生・難思往生・難思議往生 (化身土巻)
諸行往生・念仏往生 (末燈鈔)
正念往生・狂乱往生・無記往生・意念往生 (安心決定鈔)
即得往生・臨終往生 (浄土真要鈔本)
体失往生・不体失往生 (口伝抄)
辺地往生・報土往生 (歎異抄・口伝抄)
即往生・便往生 (化身土巻)
親鸞は往生という概念を様々に説明している。親鸞の考えに即して往生を考えてみよう。
さあ、生死を超えよう。親鸞仏教も、釈迦以来のこの提案を踏襲していることは当然で
ある。再起・挫折・再起・挫折というこの果てしない連続を根本から断とうじゃないか。
そのためには無明を断てばいい。釈迦はそう教えている。さあ釈迦に学ぼう。仏弟子にな
ろう。仏陀にその道を教わっていこう。親鸞はそう提案している。
人は千差万別である。従って、仏道の参加方法、仏弟子の成り方もひととおりではない。
親鸞は仏弟子の器を二種類に分けている。一つを邪定聚の機とよぶ。もう一つを不定聚
の機とよぶ。聚とは集という意味だ。人々という意味である。機とは器つまり器という
意味だ。器量という熟語に通じる。頑迷牢固に自分の意見に固まってしまっている者、こ
れを邪定聚の機という。自分の意見には決して固まっていないが、何が真実かは見えてい
ない者、これを不定聚の機という。邪定聚の機には、邪定聚の機なりの仏道への入り方が
用意してある。不定聚の機には、不定聚の機なりの仏道の入り方が用意してある。邪定聚
の機は双樹林下往生という形で仏道の世界に入る。不定聚の機は、難思往生という形で仏
道の世界に入るのだ。