06/04/30 02:48:11 3Z6NIfyN
>>85
ここに一つの米粒があるとします。
それは宇宙全体から見れば、実に取るに足りない ちっぽけな存在だ。
しかし、そこに一粒の米が存在するのは、太陽の恵み、大地の恵みが
あり、お百姓さんの苦労があり、脱穀して精米して運搬してくれた
人達の労力があったからです。
目の前の一粒の米には、自然世界、人間世界の営みが集約されている
のです。「一つ」のものは「多数」のものと繋がって切り離して存在
することは出来ない。すなわち「一即多」である。
この世の全ての出来事は、無限に関連しあって次々に新しい事象を
生んでいく。これを「重々無尽」という。当然すべての人間の営みも
他者から独立して存在し得ない。すべての行いは他者にも原因がある。
殺される者には殺されるべき理由が必ずあるのだ。