06/04/24 19:11:30 u4sxuQlD
米沢興穣教会は、教団を脱退したことにその問題性が表れている。
日キ教団はたしかに問題が多いところ。(教団関係者ごめん・・・)
しかし、それぞれの教会は、その問題の中で、何とか隣の教会と協力して、歩んでいこうとしているわけだ。
方向性の違いはいくつかの系統があっても、それぞれ問題に取り組もうとしている。
けれども、興穣教会は、他の教会の問題を一緒に担うことからも、協力と一致を目指すことからも逃げたわけ。
多分興穣教会の田中牧師らは、「堕落した教団の中にいると、純粋な信仰を保てない」などともっともらしい理由を述べることだろう。
そう、たしかに「堕落した」教団にいるよりは、教団から脱退したほうが、自分たちで「純粋な」信仰を保つことができると思う。
しかし、そんな「純粋」は何なのだろうか。
完璧な美貌と健康を保ったキリストのからだ、そんなものはおかしい!
他の教会の問題や痛みをどう一緒に担っていくか、これがキリストのからだではないだろうか。
しかし、興穣教会は、それを放棄して、「自分たちさえよければ」路線を歩んでいるように思える。
これは何か違うんじゃないだろうか・・・??